その日は、王宮でパーティーが催されていた。

 主賓はミシェルだ。シルヴァンディア王国との関係は悪くなっている上に、無理やり押しかけてきたとはいえ、それを知っているのは王族と私たち貴族のごく一部。

 それに、客観的に見て怪しさはあれど、ミシェルがこの国に来た理由は留学だと公式には発表されている。

 せっかく他国の王族がこの国の文化などを学びに来てくれているのだから、パーティーの一つくらい開くのが礼儀だ。ということでこのパーティーは開かれることになった。

 他国の王族、それも見目がかなり整っているということで、パーティーには王都中の貴族が行くと言ったらしい。

 当然婚約者のいない令嬢や夫人からたくさん話しかけられるだろうから、今からミシェルのことが心配になってきた。

 私とノクスは、パーティーの会場にいた。

 私は淡いピンクの可愛らしさを強調したドレス。そしてノクスはいつもの黒を基調とした礼服だった。

 いつも通りの格好だ。

 だけど、パーティーが始まってしばらく経つというのに、私たちの会話は弾んでいなかった。

 リリスからはノクスが私のことを大好きだと言われたけど、こんな空気になると、やはり心配になってくる。

 それに、ノクスもどこかそわそわしてるし……。

「少し、今から話したいことがあるんだが……いいか?」

「あ、はい。大丈夫ですけど……」

「付いてきてくれ」

 私は何の話をするんだろう、と考えながらノクスのあとをついていく。


 やってきたのは王宮のなかの一室、応接室だった。

 ソファに座った私は、対面に座ったノクスの顔を見る。

 私の対面に座っているノクスは真剣な表情で、今から大切な話を切り出してきそうな雰囲気を漂わせていた。

 リリスからお墨付きをもらったし、ノクスには嫌われてないはずだ……多分。

 ごくり、と唾を飲み込んだ。

「すまなかった」

「えっ?」

 予想外の言葉に思考がフリーズした。

 ノクスは私の前にひざまずいて、手を握ってきた。

「ミシェルとの一件以降、ずっと俺たち、気まずい雰囲気だっただろう」

「そう、ですね」

 ミシェルがいい人か悪い人か、ということで少し言い合いになったのだ。

 そこでは一旦、私がミシェルを警戒するということで話がまとまったのだが、ノクスの言う通りしこりというか、わだかまりのようなものが私たちの間にはあった。

 そのせいで、ここしばらくの私たちの関係は、上手くいっていなかったと言ってもいい。

「俺のせいで、セレナにずっと不安な思いをさせてしまった。俺はもう……想い人と喧嘩なんかしたくないんだ」

 明らかにシュンとした顔でノクスは私の手を取る。

 その誠実すぎる謝罪と、寂しそうな瞳に、私の心は動かされた……どころか。

(ななな、なにこれ~~~~っ!!! すっっごくキュンとくるんですけど!?

 いつもは涼しい顔をしてなんでもこなして、孤高な雰囲気をまとっているノクスの、初めて見せる弱り顔。

 それは私の心を激しくノックした。

 なにこのしょんぼり顔、めちゃくちゃ好きなんですけど……!

 困り眉の上目遣い。くぅ、キュンキュンする……!

 この人、やはり自分の容姿のよさを自覚して使っているのではないだろうか。

 ……いや、違う。ノクスの目を見ればわかる。本当に心の底から謝ってる。

「私も、もうノクス様と喧嘩なんてしたくないです」

 私も本心をノクスへと告げた。

 私だってノクスと同じ気持ちだ。好んで好きな人と喧嘩したいわけじゃない。ただ、私とノクスの違いはミシェルに向ける視線の違いだけ。たったそれだけなのだ。

「ノクス様は、それほどまでにミシェル様を怪しんでいるのですか?」

「……正直、俺はまだミシェルを怪しいと思っている」

「ノクス様……」

「だから、俺はセレナを信じることにする」

「え? それはどういう……」

「ミシェルを信じているセレナを信じるってことだ。俺も、ミシェルを信じることにする」

「ノクス様……」

 私は感極まって、口元を手で押さえる。

「今まで不安にさせてしまってすまなかった。そして改めて言わせてくれ。俺がセレナを嫌うことは絶対にない。俺はセレナを愛している」

「……はいっ」

「そういえば、まだ言っていなかった。セレナ……綺麗だ」

 ノクスが私の手を握っている手に少し力を込める。

 私は応えるようにその手を握り返したのだった。


***


 その後、パーティー会場へと私とノクスは向かっていた。王宮の廊下をノクスに腕を絡ませながら歩く。

 今まで心の距離が離れていた分、少しいつもより距離が近いのはご愛嬌だ。

「ノクス様」

「どうした」

「えへへ、なんでもないです」

 私がへにゃっと表情をほころばせると、ノクスは「仕方ないな」と笑みを浮かべる。

 そうしていると、廊下で見知った顔に出会った。

「あれ? アシュモアさん……?」

 廊下の向こう側から歩いてきたのは、ミシェルの執事であるオリバーだった。

 オリバーはその黒い瞳を細めて、深く私たちにお辞儀した。

「ノクス王子、ハートフィールド様」

「アシュモアさん、こんなところでどうしたんですか? パーティー会場は反対方向ですよ」

「ミシェル様が忘れ物を取ってきてくれ、と」

「忘れ物?」

 ミシェルはいつも身だしなみに一切の隙がない。王族としての教育の賜物だろう。そんなミシェルがパーティーで忘れ物をした、というのが少し意外だった。

「ここだけの話ですが……忘れ物、というのはミシェル様がパーティーから席を外すための口実でして……」

「あー……」

「なるほどな」

 私とノクスは納得した。

 恐らくミシェルは今、令嬢たちにひっきりなしに話しかけられているのだろう。

 今まではその役目をノクスが一身に担っていたが、今ノクスには私という婚約者がいる。ノクス並に顔が整っていて、性格もよく、それに現在婚約者がいない他国の王族であるミシェルの人気が出ないはずがない。

 きっとオリバーは、忘れ物を探すふりをして、ミシェルが隠れられる場所を探していたのだろう。

 そして主人のもとに戻り、彼に忘れ物を渡すふりをして彼をそこへと連れ出すのだ。

 一度パーティーを抜け出して休みたい、というのは至って自然なことだ。

「ひっきりなしに質問攻めにされるのはかなりキツイからな……ミシェルには少し同情する」

 ノクスの言葉には実感が籠もっていた。

 ノクスも以前はパーティーに出るたびにひっきりなしに令嬢に話しかけられ、その人気が絶えることはなかった。

 ミシェルの場合はマリベルという人間がいない分、楽かもしれないけど。

「では、主人を待たせていますので」

「あ、引き止めてしまってすみません」

 私は慌てて頭を下げた。

 私とオリバーがこうして話している間にも、ミシェルが拘束から解放される時間が遠のいているのだ。

 オリバーはもう一度お辞儀をして、廊下を歩いていった。

 そうして、オリバーを見送ったあと、私たちはパーティーが開かれている会場までやってきた。

「……そういえば、ここで私たちの婚約が発表されたんですよね」

「そうだな。それと、俺がセレナと出会った場所でもある」

 ノクスはかつての記憶を思い出しているのか、懐かしそうに目を細めている。

「ノクス様はここで私に一目惚れしたんでしたっけ?」

「ああ。あの日から変わらず、セレナは綺麗だ」

「……」

 反撃を食らった私は頬を赤く染めながら顔を逸らす。

「さ、さぁ! 行きましょうノクス様!」

「はいはい」

 私とノクスは会場のなかに入っていく。

 会場の中心では音楽に合わせて踊っている人たちがいた。

 私がその光景を見ていると、ノクスはふっと笑って、手を差し伸ばしてきた。

「俺と踊ってくれるか、セレナ」

「もちろん」

 私は笑顔でその手を取る。

 踊りの輪のなかへと私たちは入っていった。

 お互いの顔を見つめながら、私たちはくるくると回る。

「あれが噂の……」

「ノクス様とセレナ様よ」

「やっぱりお似合いね……」

 こういったパーティーでしか顔を合わせることがない貴族や、同じ学園に通っている生徒たちが話している声が聞こえた。

 半年前よりは少し落ち着いたけれど、それでもマリベルを中心とした騒動は貴族の間では知れ渡っている。そのため、いまだにこうした注目は浴びていた。

 刺さる視線に少しだけ緊張しながらダンスを踊り終えた私たちは、また元の場所へと戻ってきた。

 するとノクスの使用人が近づいてきて、何かを耳打ちする。

 ノクスは頷いて、私に向き直る。

「すまないセレナ、用事ができた。少しだけ席を外すが、大丈夫か?」

 申し訳なさそうな表情で聞いてくるノクスに、罪悪感を抱かせないために私は首を振る。

「私のことは気にせずに行ってきてください」

「すぐに戻ってくる」

 ノクスはそう言って私のそばから離れていった。


 手持ち無沙汰になったので、私はリリスを探そうと移動することにした。たしか、リリスもこのパーティーに出ると言っていたはずだ。

 リリスはめったにパーティーには顔を出さないので、ドレス姿はかなり貴重なのだ。この機会にちゃんと姿を拝んでおかないと。

 パーティー会場のなかを歩いていると、ひときわ人だかりができているところに出くわした。

 嫌な予感がして恐る恐る人だかりの中心を見てみると、その予感は的中した。

 中心にいたのはミシェルだった。十数人の令嬢や夫人がミシェルを取り囲み、「ダンスはお得意ですか」だとか、「婚約者はいらっしゃるのですか」などの質問を、次々にミシェルに対して投げかけている。多分、令嬢たちは皆、ミシェルから踊りに誘われたいのだろう。

 ミシェルは表面上にこやかに対応しているものの、その笑顔にはほんの少し疲労が混じっていた。

 どうやら、まだオリバーの助けが来ていないらしい。

 さっき彼と行き合ってからかなり時間が経っているので、私は不思議に思った。

 するとその時、ミシェルと目が合った。

 ミシェルは目を見開いて、何かを思いついたかのような顔になると、「ちょっと失礼」と優しく人だかりの女性に謝って……私の方へと歩いてきた。

(えっ? えっ……!?

 私が困惑していると、ミシェルは私の前で跪いて……手を差し伸べてきた。

「セレナ嬢、私と一曲踊っていただけませんか?」

 ミシェルの言葉に周囲の令嬢や夫人たちはざわめき立つ。

「えっ……はっ?」

 私は目をまん丸に見開いた。

 しかし少し驚いたものの、私はすぐに理解した。

 ミシェルの目に「一旦質問攻めから解放されたいので、申し訳ありませんが話を合わせていただけないでしょうか……!!」とありありと書かれていたからだ。

 その必死な目を前にして、私は首を横に振ることはできなかった。

 それに、ノクスはミシェルを信じている私を信じると言ってくれた。

 彼が危険人物だから私から遠ざけようとしていたのであれば、その疑いが晴れた今、ミシェルと一緒に踊るくらいは気にしないだろう。

「わかりました……」

 私は彼の手を取って踊りの輪のなかへと加わっていく。


「すみません、ありがとうございます……」

 踊っているとミシェルは少し疲れたような表情で謝ってきた。

「いえ、ずいぶんと質問攻めにされていましたね」

「ええ、そうなんです。実はパーティーが始まってからずっとあの調子で。少しだけ息抜きをさせてください」

 さすがにこういったダンスは慣れているのか、ミシェルはリードが上手かった。

 最初は緊張していた私も、次第にリラックスして踊れるようになってきた。

 ミシェルが踊っているということで、注目がミシェルと私に集まってくる。

「ミシェル様、素敵……」

「まるでおとぎ話の王子様みたい……」

 涼しい顔で踊るミシェルに、女性陣はうっとりとした目を向けている。

 無理もない。ノクスという婚約者がいる私から見ても、今のミシェルは恋愛物語に出てくるような王子に見えたのだから。

 ダンスが終わる。

「ありがとうございました。セレナ嬢」

「いえ、私も楽しかったです」

 にこりと笑って私は人の輪のなかに戻っていこうとする。

 しかしその手をミシェルに握られ、引き止められた。

「……ミシェル様?」

 私は首を傾げて振り返る。

 そこには、微笑みを浮かべているミシェルがいた。

 まずい。なんだかすごく嫌な予感がする。

 ミシェルが浮かべているのはいつもと同じ表情のはずなのに、どこか違う気がする。

 違和感の正体がわかった。目だ。ミシェルの目が、いつもと違う。

 この目はそう……何か覚悟を決めたような……。

「セレナ・ハートフィールド様」

 ミシェルが先ほどと同じように私の前に跪いた。

 すぐにここから離れないと、と頭のなかで警鐘が鳴っているのに、私の体はまるで氷漬けにされたみたいに固まって動かない。

 だめだ。今すぐに離れないと。

 ミシェルは私の手を取り、大勢の貴族が見守っているなかで宣言した。


「私と――婚約してください」


 時が止まった。

 周囲の貴族の息遣いさえ聞こえてきそうな静寂が一瞬場を支配する。そして数瞬遅れて、ざわざわと周囲が騒がしくなってきた。

「えっ」

「今のって……」

「婚約、って言ったわよね……?」

「そんな、本当に……!?

「ミシェル様が、婚約……!?

「何があったんだ?」

「ミシェル王子が婚約を申し込んだらしい」

 今の一幕を聞いていた貴族たちからざわめきが広がり、やがて会場中へと波及していく。

「うそ、どうして……」

 私は目を見開いて、目の前のミシェルに問いかけた。

「申し訳ありません。セレナ嬢」

 言葉とは裏腹に、強い意志の籠もった目のミシェルが私の瞳を射すくめる。

「突然こんなことを言って困惑させてしまい、申し訳ございません。ですが、どうしてもこの気持ちを抑えることができなかったのです」

 ミシェルの言っている言葉の意味がわからなかった。

 どうして。ミシェルは私に婚約者がいることはわかっているはずなのに……。

「セレナ!」

 その時、ざわめきを打ち破るように聞き慣れた声が割って入ってきた。