
「セレナ嬢、明日のお休みに、私と一緒にお茶にいきませんか?」
「……へ?」
いきなりミシェルより告げられたお誘いに、私は一瞬思考がフリーズした。
今は授業が始まる前の時間、リリスは席を外していて、教室にいる生徒の視線も外れているタイミングのことだった。
「が、外出……?」
「はい、その通りです。学園生活にも慣れてきたので、今度はこの王国のことも見て回りたいな、と思いまして」
せっかく留学に来たのだから、その国を見て回りたいというのは至って普通のことだが……。
「え、ええと……申し訳ございません、ミシェル様。私には婚約者がいますので」
私には婚約者がいるのだ。学園内なら人目があるからまだしも、プライベートな時間まで他の男性にほいほいとついていくような真似はできない。
ミシェルは私が断るのを予想していたのか、特にその返事に反応を示すことはなく、代わりに私の耳元に口を寄せてきた。
「……マリベル・シュガーブルームについて少しお報せしたいことがあります」
「!」
私は目を見開いた。
マリベル・シュガーブルーム。
社交界ではずっと男性を侍らせ続け、私とノクスの仲を引き裂こうと邪魔をしてきた上に、最後は禁薬を使用して取り巻きや貴族の令息を操っていたことが判明したため大罪人に指定された令嬢だ。
そして、マリベルは現在、ミシェルの国に亡命している。
その国の王子であるミシェルが話があると言ってきたということは、何か事情があるに違いない。
「彼女の居場所を知っているのですか!?」
「それはのちほど詳しく……。それで、実はですね、彼女が今きな臭い動きを取っていまして」
「きな臭い動き……?」
「その通りです。それで、ノクスに危険が迫っているかもしれないんです」
「ノクス様に……?」
聞きたい。でも、どうしてそれを本人に言わないんだろう。
私の思考を読んでいたかのようにミシェルが言葉を繋ぐ。
「私はノクスに警戒されているみたいですから、本人に直接話しても信じてもらえないでしょうし」
ミシェルはどこか寂しげな笑みを浮かべた。
婚約者ではない男性と一緒に出かけるようなことはしたくない。
でも……ノクスに危険が差し迫っているというのなら、その話を無視することはできない。
そして、ミシェルの言葉が最後の一押しだった。
「あまり時間はないかもしれません」
「……わかりました。行きます」
そうして、私はノクスのためにミシェルの話を聞くことにした。
本当なら、ノクスに事前に許可を取りたかったが、仲直りできていないせいで普段より顔を合わす頻度が少ない。
そしてそのまま、ノクスと話す機会がなく、翌日を迎えてしまったのだった。
***
私とミシェルは一緒にカフェに来ていた。
もちろん、私もミシェルも変装に変装を重ねて、全くの別人に見えるようにしている。
これは私とミシェルが一緒にいるのを他人に見られて、ノクスや他の人間に変な誤解を受けないためだ。事情を説明するとミシェルも快く変装を受け入れてくれた。
そうして別人となった私たちは、落ち着いて話をするために個室のサロンに入った。
このサロンはハートフィールド家の息がかかっており、本当に誰にも聞かれたくないような話をする時に使う場所だ。
ここなら秘密は絶対に漏れないし、防音がしっかりしているので誰かに聞かれるような心配もない。
「それで、ノクス様に危険が迫ってきているというのはどういうことなんですか」
「まぁ待ってください。まずはシルヴァンディア王国のなかでのマリベル・シュガーブルームについて説明させてください」
詰め寄る私にミシェルは両手で「落ち着いて」のポーズをとり、そして両手を組んだ。
「彼女は今は、国のなかで貴族として活動しています」
「えっ」
信じられないような言葉だった。
なぜなら、マリベルは現在亡命中のはずで、それも禁薬を使ったという大罪を犯しているのだ。
おいそれと公に貴族として振る舞えるはずはないのだけれど……。
「彼女はシルヴァンディア王国の王族と血縁である、という地位を利用して伯爵の地位を得ました。一応、名前は変えていますので、恐らくはレイヴンクロフト王国側はそのことを認知していないはずです」
「なるほど……名前を変えられているのですか。どんな名前なのでしょう」
「彼女は現在、イザベラ・ローゼンベルグと名乗っています。私は一度パーティーで出会っていたので彼女の顔を知っていましたが、ほとんど面識のないシルヴァンディア王国の貴族では、彼女がマリベル・シュガーブルームだと気づくのは無理でしょう」
わからなくもない。マリベルの名を知っていても顔を知っている人間は少ないなら、別の人間になりすますのだって可能だろう。
「そしてイザベラ……もといマリベルは今、社交界での動きが怪しいんです」
「怪しい、ですか」
「はい。彼女は今、王族と血縁であるという立場を利用して、社交界で急速に味方を集めています」
社交界で味方を集めている。それだけなら特にノクスに危害が加えられるようには思わないけど……。
「彼女は亡命中で、貴族としての立場もいまだ危うく、王族の血縁という立場を利用して仲間を募るのは普通のことです。ですが……」
「何かおかしな点が?」
「彼女は今、社交界にて集めた仲間の令嬢、令息を中心にレイヴンクロフト王国に対しての悪評を広めているんです」
「それは……」
私はミシェルの言わんとしていることを理解した。
ミシェルは頷いて説明を続ける。
「そうです。今、シュガーブルーム家の問題で、シルヴァンディア王国とレイヴンクロフト王国の関係は緊張しています。そのなかでレイヴンクロフト王国の悪感情を煽っているとなると、彼女は今――戦争を起こそうとしているのかもしれません」
「そんな……」
私は「そんな馬鹿な」と言いそうになって、口を閉じた。
いや、ありえる。マリベルなら、戦争を起こそうとしているという予想は十分ありえる。なぜなら、自分の欲望のためだけに禁忌とされている薬を使い、令嬢や令息を操っていたのだから。
「それが……ノクス様に危険が差し迫っているということなのですか?」
「それもあります。ですがもう一つ。その彼女が貴族を味方につけているという点についてですが……」
これはいくらサロンのなかで誰にも聞かれないとはいえ、それでも聞かれたくないことなのか、ミシェルは少し身を乗り出して小さな声で囁いた。
「……禁忌とされている薬が使われている痕跡があるのです」
「!!」
私は目を見開いた。
禁忌とされている薬。
一つしかない。マリベルが令息や令嬢を操るのに使用していた禁薬だ。
「ミシェル様は……禁薬について知っているのですか?」
私の問にミシェルは頷いた。
「どうしてあそこまで周囲に貴族が集まるのか疑問に思って、独自に調べてみました。そうすると……いくつか怪しい点が出てきたんです」
ミシェルは深刻そうな表情で、マリベルのおかしな点を語っていく。
「本来なら、ポッと出の貴族が社交界で信用も味方も得られるはずがありません。ですが彼女はどちらも得るのが早すぎる。たった半年間で、社交界のなかで味方を作り一つの地位を築き上げました。本来ならありえないことです」
ありえないほどの求心力。傍から見ていて疑問に感じるほどの人気ぶり。そして命令に絶対に背かない取り巻きたち。
普通ならカリスマ性があるのだと思うのだろうが、私はその求心力のカラクリを知っている。
「それは……たしかに禁薬を使っているでしょうね」
ミシェルの話を聞く限り、マリベルが禁薬を使っているのは確定だ。
「少なくとも彼女が何らかの形でレイヴンクロフト王国に報復しようとしているのは確実です」
「それで私に知らせてくれたのですね……ありがとうございます」
「……」
「あの……ミシェル様?」
私の顔を見て何か考え込むような表情を見せたミシェルに、私は首を傾げて尋ねる。するとミシェルはパッと笑顔を浮かべて首を振った。
「ああいえ、すみません。それほど重要なことではないのですが……一つ質問してもいいでしょうか」
「はい」
質問? 何についての質問だろう。
「あなたにとって、ノクスはどういう存在ですか?」
「どういう存在……」
ミシェルの質問に、私は顎に手を当てて考える。
私にとってのノクスは、一言で表すのは不可能だ。
「私にとってノクス様は大切な婚約者であり……大好きな人です」
私はミシェルの瞳をまっすぐ見つめてそう答えた。
答えを聞いたミシェルは、一瞬表情を強張らせ、だけどすぐに顔を緩めた。
「……それは、素敵ですね」
「ありがとうございます」
私もミシェルに微笑み返す。私たちの間の雰囲気が少し和らいだ。
その時、私はあることを思いついて、ミシェルに質問した。
「私からも一つ質問してよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
「どうしてミシェル様はそんな重要な情報を教えてくれたんですか? 私たちはただの同級生ですよね?」
「私も、国同士の戦争をなんとしてでも回避したい、というのが一つ。両国の関係がいいに越したことはありませんから。二つ目はあの禁忌とされている薬が使われていること。我が国の貴族が操り人形にされているのは、なんとしてでも救い出さなければなりません。そして最後は……友人に危険が差し迫っているのをただ傍観するのが嫌だっただけです」
ミシェルは照れくさそうにそう答えた。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」
私がそう言うと、ミシェルの笑顔が少し悲しみの色を帯びたような気がした。それがなぜなのか私にはわからなかった。
***
そして、マリベルについての話が終わったあと、私たちはサロンを出て、少し歩くことにした。
ミシェルの「王国を見て回りたい」という要望があったからだ。
まあ、この時間帯なら人通りも多いし、彼も怪しい動きはできない。それに国家機密レベルの情報をくれた彼に何かお礼をしたくて、私は付き合うことにした。
私たちは夕日がよく見える高台へとやってきた。
ここは広場になっており、ベンチが設置されている。ちょうど夕日が綺麗に見える時間帯ということで、周囲にはカップルが数組いた。
「きれいですね……」
風になびく髪を耳にかけながら、私は目の前の美しい景色に目を細めた。
夕日に照らされ赤一色に染まる町並みを一望できるのは、広い王都を探してもここぐらいだろう。
「セレナ嬢、今日は付き合っていただいてありがとうございます」
「私もお話が聞けてよかったです」
マリベルがレイヴンクロフト王国に対して何か報復をしようとしている、という話をこの段階で聞けたのは大きな収穫だった。
禁薬を用いてシルヴァンディア王国でマリベルは急速に地位を築いているとはいえ、さすがにまだ国の世論をレイヴンクロフト王国との戦争へと持っていく影響力はないはずだ。
それにマリベルがシルヴァンディア王国にいるという確証を得られたのも、大きな前進だ。
マリベルをどうやって捕えるかはまだ問題があるけれど、今ならまだ手の打ちようはいくらでもある。
隣を見るとミシェルの髪が風になびいていた。
夕日に照らされているその横顔に、一つ質問を投げかけた。
「ミシェル様は、どうして留学してこようと思ったのですか?」
「留学してきた理由、ですか? そうですね……」
ミシェルは一度私の方を向いて手すりを握ると、そのサラサラの金髪を風になびかせながらまた街の方へと視線を向ける。
「学びたかったんです。技術や、文化、そしてすべてを。兄上や父上の代わりに、国を発展させるために」
「ご兄弟やお父上の代わりに、国を発展させる?」
「恥ずかしい話をさせてもらいますが、今、私の国は次期王位を巡って政争の最中なのです」
「それは……」
いきなり国の内情を話し始めたミシェルに私が驚いていると、ミシェルは「私の国のなかでは周知の事実ですから」と微笑みながら片目を瞑った。
「セレナ嬢も知っての通り、シルヴァンディア王国は国力だけで見れば、レイヴンクロフト王国の半分程度しかなく、ほとんどすべての分野において劣っています。ですが私の兄上たち、第一王子と第二王子による政争のせいで、国民や国のことについては全く目が向けられていないのです。そして、父上である国王は、その政争を止めるどころか推奨してさえいる……。本来、国を動かすのが私たち王族の役目なのに……」
ミシェルは手すりを強く握りしめる。
「だから、私だけでも国を発展させる努力をしたい」
いつもより強い口調でミシェルは言い切った。
街を見つめるミシェルの目には、強い意志の光が宿っていた。まるで、いつかのノクスのように。
まっすぐな瞳を見ていると、チカ、と夕日が視界の端に入ってきて、私は目を細めた。
「この国のすべてを吸収して、母国に持ち帰りたい。兄上たちが政争で国民や国に目を向けていない今、私が代わりに国を発展させる。そのために、留学に来ました……と、これが私の本心です。信じていただけましたか?」
「……信じます」
私は頷いた。
確信した。
やっぱり、ミシェルは悪い人物ではない。
嘘をついている人がこんな目をできるはずがない。
曲がりなりにも、私は元侯爵令嬢として様々な人間を見てきたから、ある程度人の嘘はわかる。貴族としての私から見ても、ミシェルが演技をしているようには見えなかった。
マリベルの件があったから、今まで心の片隅ではこの人のことを疑っている部分もあった。
でも、信じよう。この人を。