
ミシェルに関する一件は、表面上は終わったかのように見えた。
それでも、私とノクスの間にはギクシャクした雰囲気が流れていた。
私とノクスでミシェルに対する意見は食い違っている。そのズレが、普段のちょっとした言動や態度に出るたびに、微妙な雰囲気が流れるせいだった。
それからしばらく、私とノクスの心の距離が離れた時間が続いた。
それでも朝は、ノクスがいつも通りに迎えにくる。
「おはよう、セレナ」
「おはようございます、ノクス様」
挨拶は交わすものの、いつもみたいにノクスが微笑むことはない。
そして馬車に乗り込んで、学園へと向かう。
以前までなら馬車のなかでも楽しくお話しできていたのだが、今はお互いに無言の時間が続いている。
学園に着くと、ノクスが私の手を取って馬車から降ろしてくれる。
でも、そこにいつもの優しげな微笑みはない。
最近、態度が冷たくなっている気がする。
私は「ノクスに嫌われてしまったのではないだろうか」と怖くなった。
だから、私が一番信頼している親友に相談することにした。
休日、私は親友をカフェに呼び出していた。
「今日はありがとう、リリス」
「別に構わないわよ。親友からの相談だもの」
今日のリリスの服装は……珍しいことに男装はしていないようだ。
女性用の服を身に着けている。
「そういえば、今日は男装してないんだね」
「今日はそういう雰囲気じゃないかと思って」
どうやらリリスは気を回してくれたらしい。本当にいい友人を持ったんだな、としみじみと思った。
ストレートの紅茶を一口飲んだリリスは、カップを置くと私に用を尋ねてきた。
「それで、相談って?」
「その……ノクス様に嫌われちゃったんじゃないかって……」
「ノクス様に? 何があったの?」
「実はね……」
私はリリスに対してノクスとミシェルのことで言い合いをしたことを話す。
「ちょっと前にね、ミシェル様が生徒の女の子の探しものを手伝ってたの。その件でノクス様と喧嘩みたいになっちゃって……」
「なるほど、だから最近雰囲気がおかしかったのね……」
「ミシェル様のことを庇おうとしたから、愛想を尽かされたんじゃないかって……ノクス様に嫌われたら、私……っ!」
「セレナ、ちょっと落ち着いて」
リリスが私の手を掴む。
「……ごめん、落ち着いてきた」
「でもなんで、それで嫌われたと思ったの?」
「だって……」
私は顔に影を落として、カップを握り直す。
「毎朝迎えにきてくれるけど微笑んでくれないし、馬車のなかではずっと無言だし、馬車から降りる時にいつもみたいに『気をつけろ』って言ってくれないんだよ!? それに、『好きだ』って言ってくれなくなったし!!」
私は悲痛な声でリリスに訴えた。
「…………」
しかし、なぜかリリスはこめかみを手で押さえて黙ってしまった。
ちょっと呆れたようなため息までついている。
どうしてだろう。
「セレナ……」
「どう思う、リリス? 私、ずっと不安で……」
「あのね、セレナ。どう考えても嫌われてないから、それ」
「へ?」
私は首を傾げる。
「冷静になって考えてみて。嫌ってる人を毎朝迎えにくると思う?」
「たしかにそうかもしれないけど……」
「嫌われるどころか、愛されまくってるわよ」
「そうなのかな……?」
「ええ、そうよ。絶対にそう」
本当にそうなのかな……?
でもリリスが言うなら、そうなのかもしれない。
たしかに常識的に考えて、嫌いな人を毎日送り迎えなんてするわけないんだけど……。
「あ、でもいつも『綺麗だな』って言ってくれるのに、最近は言ってくれないんだよ……?」
「普通は毎日言わないの。ちょっと気恥ずかしくなってきたとか、そういうことでしょ。いっつもあの致死量レベルのノクス様の愛を浴びてるせいで、感覚が麻痺してきてるんじゃない?」
む……そうかも。
最初の頃はあのノクスの溺愛にいちいち照れていたけど、最近はそういうのもない。もしかして、私はいつの間にかノクスの溺愛に慣れてきてしまっていたのだろうか。
そう考えると、ノクスがちょっとよそよそしくなったように見えたのも、私がノクスのエスコートに慣れてしまったせいもあるのかもしれない。
私はノクスに嫌われてないのかもしれない。
リリスに太鼓判を押されて少し安堵したところで、リリスが話題を切り替えた。
「はぁ……なんだか重そうな相談だったから身構えてたのが、馬鹿らしくなってきた」
「ひ、酷い……」
「だってそうじゃない。まさか惚気話だったなんて思いもしなかったわ」
「の、惚気話のつもりはなかったんだけど……」
「あのね、そういうのを惚気っていうのよ。覚えておきなさい」
の、惚気……。
なんとか言い返したかったけど、言い返しようがなかったので謝るしかなかった。
「す、すみませんでした……」
「別にいいわよ。今回はちょっと深刻そうな悩みだと思ったから拍子抜けしただけだし」
リリスは本当に気にしないことを伝えたかったのだろうけど、私はさらに縮こまる。
「とりあえず、スイーツもっと頼んだら?」
リリスがメニュー表を差し出してくる。
「で、でも……食べすぎると色々とカロリーが……」
「こういう時は甘いものを食べてストレスを発散するのが一番よ。色々と溜まってるし、今日くらい仕方ないわよ」
「そ、そうなのかな……」
甘い誘惑に誘われ、ゴクリとつばを飲み込む。
そうだ、たしかにリリスの言う通り、最近は色々とあったし、スイーツも我慢してたし。
……ちょっとくらい一杯食べても、問題ないよね?
その時、私のなかの天使が囁いた。
「暴飲暴食すれば太っちゃうぞ」と。
そこで、私の悪魔から追撃がかかった。
「大丈夫、セレナ、最近痩せてるから。それにちょっとやそっと食べたくらいじゃ太らないわよ。大事なのは合計のカロリーを減らすことだから」
この言葉が、最後の一撃となった。
「そ、そうかな……それなら……ちょっとくらい食べても大丈夫だよね」
痩せてる、と言われて頬が緩んだ私は自制心も緩んでしまった。
「そうそう、ほら選んで」
リリスはニコニコとメニュー表を差し出してくる。
「じゃあこれと、これと……」
そこに書かれているメニューを、私はもう一度ゴクリと唾を飲み込みながら選んでいった。
気になるメニューを選ぶと店員に注文する。
いつもはセーブしているスイーツを欲望の赴くまま選んでしまった罪悪感と、これから来るスイーツ天国に対する興奮を感じながら、私はスイーツが来るのを待っていた。
「……それにしても、私のセレナをこんな顔にさせるなんて……許さないから」
「? 何か言った?」
「ううん、なんでもないわ」
リリスが何か言ったような気がして聞くが、リリスは笑顔で首を振った。
一瞬、リリスが身も凍るような笑みを浮かべて何かを呟いていた気がしたのだが、どうやら気のせいだったようだ。
そして合計五つのスイーツを食べてしまった私が、翌日からどうなってしまったかは想像に難くない。
***
「ど、どうしよう……」
私はずーん、と沈みながら学園の廊下を歩いていた。
あれから、まだノクスとは仲直りできてない。
ノクスから嫌われているという勘違いはなくなったものの、ギクシャクしている原因である、私とノクスのミシェルに対する見方の違いは解消されていないのだ。
それに加えてもう一つ大きな悩みがある。
「太ったかも……」
原因はわかっている。
先日、休日にリリスと出かけた際に……スイーツを食べすぎた。
体重を測ったわけではない、というか測るのが怖かったので、どれくらい太ったのかは正確にはわからない。
だけど、あんな量のカロリーを摂取して太ってないわけがない。
リリスは「別に見た目は全く変わってないわよ」と言っていたけど、内側から何かが変わっているはずだ。
「ダイエットするしかないのかな……」
でも、ジョギングとかは……むり。箱入りで育ってきた令嬢を舐めないでほしい。
一番の解決策はカロリーを減らすことだ。
しばらくはスイーツもお預けかな、と思っていると、見知った顔を見つけた。
黒髪黒目に、平均的な身長。どこにでもいるような雰囲気の男子生徒。
しかし、その身はシルヴァンディア王国の第三王子を補佐する役目を負っている。
オリバー・アシュモア。
ミシェルの留学に一人だけ付いてきた執事であり、ノクスのクラスに生徒として編入してきた男子生徒だ。
彼はミシェルについて生徒会の仕事を手伝ったことがある。そのため私は顔見知りの状態だった。
オリバーは今、女子生徒に囲まれていた。
別に女子生徒に人気があるというわけではなさそうで、オリバーは囲まれているというよりは、詰め寄られているという表現の方が似合っていた。
嫌な予感がした私は、オリバーの方へと歩いていく。
「どうしてよ!」
「なんでミシェル王子に私たちを紹介してくれないの!?」
「あなたは執事でしょう! 私たちを紹介しなさい!」
「そうよ、執事のくせに私たちに口答えしないで!」
令嬢たちはオリバーを取り囲み、強い口調でそんなことを言っていた。
「何度も言っていますが、私からミシェル王子へ顔を繋ぐ、というのはできかねます」
「あなた、私たちが誰だかわかってるの!?」
令嬢に対して
どうやらミシェルとどうにかして知り合いになりたいと思っている令嬢が、オリバーに迫っているらしい。
ミシェルは気さくで誰に対しても公平に接するがあくまで王族なので、一介の貴族令嬢から声をかけるのは気後れするうえ、強引に接触すると不興を買い、嫌われる可能性もある。
そのためオリバーからミシェルへと紹介してもらおう、という目算なのだろう。
あれだけ強気で詰め寄っているのは、オリバーが執事だからというのもあるのかもしれない。
どちらにせよ、同じこの国の貴族としても、生徒としても見過ごせない光景だ。
「何をしているんですか」
私は彼女たちに声を掛ける。
「セ、セレナ様……」
私が声を掛けると、令嬢たちは驚いたような表情になった。
彼女たちに向かって眉を
「彼はこの国に留学してきている方ですよ。その方に詰め寄るような無礼な振る舞いは、私たちの国の評判を下げる行為です。その自覚があなたたちにはありますか?」
「それは……」
私が問いかけると、女子生徒たちはたじろいだ。
なかには私に言われてハッと自覚している子までいた。
多分、この子たちは一年生だろう。
「どちらにせよ、執事だから、と見下すのはこの学園の生徒としても貴族としても恥ずべき言動です。今後、絶対にしないと約束してください。いいですね」
「……はい」
女子生徒たちは反省した顔色で去っていく。
「ハートフィールド様、助けていただいてありがとうございます」
彼女たちが立ち去ったあと、オリバーが私へと頭を下げてきた。私も慌ててオリバーへと謝った。
「いえ、謝罪するのは私の方で……」
「私は特に気にしていないので」
うちの生徒が迷惑をかけてごめんなさい、と謝ろうとするとオリバーが首を振って止めてきた。
気にしていないと言われればこれ以上謝ることもできないので、私は別の質問をすることにした。
「そういえばアシュモアさん。こんなところで何をしているんですか?」
オリバーの教室や、ミシェルのいる教室からも外れている。
「少し、探しものをしてまして」
「えっ、探しものを?」
「はい、私の不注意で落としてしまって」
オリバーが少し残念そうに目を伏せる。
いつも感情を表に出すことのないオリバーが初めて感情を見せた。
きっと、以前手伝った生徒のようにとても大切なものなのだろう。
「それは一体どんなものなのでしょうか」
「ペンダントです」
「そのペンダント探し、私も手伝ってもいいでしょうか」
「ありがとうございます」
驚くほどあっさりとオリバーは頭を下げて、私の提案を受け入れた。
それから、私とオリバーは彼が通った場所をたどることにした。
以前の指輪をなくした生徒のように芝生の上を歩いた、ということはないそうなので、来た道をたどっていけばじきに見つかるだろう、ということだった。
だが、かなり歩いてきたが、やはり見つからない。
無口なオリバーと二人きり、というのも気まずかったので、私は頭をフル回転させて質問してみた。
「そういえば、アシュモアさんはミシェル様と学園寮で同室でしたよね? ミシェル様はいつも休日は何をされているのでしょう」
と、すべて言いきって、私は「あっ」と気がついた。
急いで質問を考えたせいで、さっきの令嬢たちと同じような質問をしてしまった……!
「あ、あの、これは別にそういう意味ではなくてですね……ちょっと急いで考えた結果というか……!」
勘違いされそうだったので、慌てて私は言い訳する。
それに、オリバーは王族付きの執事だ。
王族付きの執事は仕事柄、王族の秘密や弱点になりそうなことを知っているため、万が一にも王族の情報を他国に漏らさないように訓練を受けている。
例に漏れずオリバーもミシェルに関しては秘密一つ漏らすまいと鉄壁なので、何も喋らないだろうと思っていたのだが……。
「ミシェル王子は朝に弱いので、休日はかなり遅くに起きてきます」
オリバーは鉄仮面を崩さないまま答えた。
……あれ?
さっきの彼女たちには頑として何も教えなかったのに、私にはあっさり教えた? どうしてだろう。
「あの……こういうのもなんですが、私には言ってもいいんですか?」
「ハートフィールド様はミシェル様のご友人ですので」
「な、なるほど……?」
基準がよくわからない……。
私が首を捻っていると、今度はオリバーが質問をしてきた。
「私の方からも、少し質問させていただいてもよろしいでしょうか」
「はい、いいですけど……」
「休日は何をされてらっしゃいますか?」
「休日、ですか?」
「はい、できるだけ具体的に教えていただきたいです」
なんでそんなことを聞くのだろうと思いながら、深くは考えずオリバーへ答えを返す。
「そうですね……朝は起きるのはちょっとだけ遅くなるかもしれません。そのあとは出かけたり、ノクス様と会うこともありますね」
「そうですか、ありがとうございます」
今の質問に何の意味があったんだろう?
「では、好みの異性のタイプなどはございますか?」
「え、好みのタイプですか? そうですね……特に考えたことはありませんが…………ノクス様みたいなタイプかと」
ちょっと照れてしまって、最後の方は尻すぼみになった。
「なるほど」
オリバーは仏頂面で頷く。
「では、最後の質問です。セレナ様とノクス様の婚約は、政略的なものなのでしょうか?」
「それは……違います。私たちは正真正銘、お互いが好きで婚約しました」
「では、何があっても婚約を解消するつもりはないと?」
いくらなんでも、さすがに根掘り葉掘り聞きすぎじゃない……?
私がそう思った時、オリバーが急にしゃがみこんだ。
「見つけました」
「えっ」
オリバーが立ち上がると、そこにはペンダントが握られていた。
「これが私の探していたものです」
どうやら落としたものを見つけたらしい。
おかしいな……さっきまでそんなところにはペンダントは落ちてなかったはずなんだけど。
まあ、多分見落としたのかな、と私は結論づけることにした。
オリバーがお礼を言いながら頭を下げてくる。
「ハートフィールド様、手伝っていただいてありがとうございます」
「あ、いえ……私はほとんど何もしてないですけど」
実際、私はただ一緒に歩いていただけだ。
「それでは、私はここで失礼致します」
もう一度オリバーは頭を下げると、去っていった。
「……ま、見つかったからいっか」
色々と不思議なことはあったものの、落とし物は見つかったのでよしとすることにした。
廊下を歩きながら、私は一人呟く。
「それにしても、休日は起きるのが遅いんだ……」
あの完璧超人みたいなミシェルに、私は少しだけ親近感を覚えたのだった。