「どうしてお前がこんなところにいる」

「たまたま通りかかったらお二人がいたので、是非挨拶をと思いまして」

「たまたま? わざわざテラス席の前を通りかかる奴がいるのか?」

「残念ながらここにいたみたいです」

 ノクスはミシェルの不自然な言動を指摘するが、当のミシェルはどこ吹く風で完璧な笑顔で応対してみせる。返す言葉の内容は普段よりもかなり刺々しい気がするけど。

 出会った時でこそピリピリしていた二人だが、生徒会のなかで交流を重ねてきたことで、今では少しだけ打ち解けてきていた。元々お互いが王族ということもあり、通じるところがあったのかもしれない。いや、この刺々した会話が本当に打ち解けたことになるのかは微妙だけど。

「そうだ、せっかくですから、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」

「駄目だ」

 即答で断るノクス。

「私はセレナ嬢に聞いているのです」

 ニッコリと笑って答えるミシェル。

 どうしてだろう。爽やかな笑顔を浮かべているはずなのに、ミシェルから圧を感じる……。

 するとミシェルはくるりと私の方に顔を向けて尋ねてきた。

「セレナ嬢は私と一緒では嫌ですか?」

 王子に「自分が一緒にいたら嫌か」と聞かれて、「嫌です」と答えられる人間は稀だろう。

「い、嫌ではないですけど……」

「では問題ありませんね」

 止める暇もなくミシェルは椅子を引いて座ってしまった。これではもう追い出すことも難しい。

「そういえば、こうして落ち着いて話をするのは初めてかもしれませんね」

「は、はい、そうですね……」

 春のそよ風のような笑みを浮かべたミシェルは、ノクスから睨まれていることすらものともせず私に話しかける。

「そういえば、セレナ嬢のご趣味はどういったものなのでしょう。休日はどうされているので?」

「私の趣味は……」

「セレナの趣味は読書だ」

 私の言葉に被せるようにノクスが答えた。

 あれ? たしかに読書もたしなむことはあるけれど、私の趣味はスイーツ巡りだ。それはノクスも重々承知しているはずなのに、一体どうしたというのだろう。

「セレナはインドア派だから休日は外には出ない。目論見が外れて残念だったな」

「はて、一体何のことでしょうか」

(え、もしかして……)

 ノクスの言葉を聞いて、今のやり取りについて一つの可能性に思い至った。

 もしやノクスは、私が本当の趣味である「スイーツ巡りです」と答えた結果、話の流れでミシェルが「私もついていきましょう」と言い出すことを警戒したのではないだろうか。そうならないように、わざとミシェルに嘘の情報を与えたのだとしたら……。

 なんて、こんな完璧な王子様が子供っぽい嫉妬をするわけがないので、単純にミシェルをスパイとして警戒してそう言ったのだろう。

 そのような事情を知らず、ミシェルは笑顔で頷く。

「ほう、読書ですか。一体どういったものを読まれるんですか?」

 また質問が飛んできた。ええと、私がいつも見てるのは……。

 とっさのことで焦ってしまい、つい本当のことを答えそうになってしまった。

「え、ええと……スイーツの……」

「レイヴンクロフト王国の地理と特産物が載せられている本だ」

「それはなかなか……渋いですね」

 さすがにこれはミシェルも驚いたのか、目を見開いて私のことを見てきた。

 ……ちょっと待ってほしい。ノクス様、さすがにそれは乙女にしては選択が渋すぎないでしょうか。ちょっとミシェルも引いてそうだし。

 しかしせっかくノクスが手助けしてくれたので、私は言いたいことは飲み込んだ。

「え、ええ。そうです……」

 そうして私が少し傷を負ったことで、無事その場は切り抜けることができた。

 ……と、思ったのだが。

「それほど本がお好きなら、是非このあと学園の図書館を案内していただけませんか?」

 ミシェルに笑顔で頼まれた私は、慌てて無理だと伝えようとする。

 しかしそれを遮るように「セレナ嬢は、私のお世話係ですしね?」と念を押されてしまえば、頷く以外の道はない。

 ノクスのじとっとした視線を感じたが、極力情報を漏らさないことを徹底すれば大丈夫だろう。たぶん。


***


「この先が図書館です。書見台や自習するスペースもありますから、気分を変えたい時におすすめです」

「ありがとうございます。セレナ嬢」

 私はミシェルに学園の施設を案内していた。

 この学園は王国のなかでも一番大きな教育施設であるため、王都に建てられているとはいえ、それでも広大な敷地を持っていた。

 ミシェルが住んでいる寮や、庭園、講堂、研究棟まである。

 以前にもミシェルに校内を案内したことがあるがあまりにも広大なのですべては紹介しきれなかった。

 私はミシェルの他についてきているもう一人の方を向く。

「……それで、ノクス様はどうしてここに?」

「別に、俺も一緒に案内の手伝いをしようと思っただけだ」

 図書館の案内には、ノクスも同行すると言い出して、半ば無理やりついてきた。

 扉を開けて、図書館のなかに入っていく。

 開けた空間が視界に広がる。

 天井まである本棚にはぎっしりと本が詰め込まれ、それが見渡す限り広がっている。

 そのなかで生徒たちはテーブルで本を広げたり、紙に何か書いたりしていた。

「おお……広い上にこんなに本が……! 私も読んでいいんですか?」

 目の前に広がる光景に、ミシェルは少し興奮しながら尋ねてくる。

 瞳の輝かせ方がまるで子供みたいで、少し微笑みを浮かべそうになった。

 もちろんそれは表情を引き締めて我慢して、貴族用の笑顔で頷く。

「はい、もちろんです」

「この学園は本当に広いですね。私の国にもこれほど大きな教育機関があれば、と羨ましくなってしまうほどです」

「ありがとうございます」

「少しだけ本を見て回っても構いませんか?」

「ええ、もちろん」

 私が頷くと、ミシェルは目を輝かせながら本棚の方まで歩いていった。

 ミシェルは「この国に学びにきた」という言葉の通り、本当によく学んでいる。

 一つたりとも見逃すまい、とこの学園の施設を食い入るように眺めている。

 その表情も言葉も、とても演技には見えない。

 ……本当にこの人はスパイなのだろうか。

 私はそこで思考を打ち切った。今は考えても仕方のないことだ。

 それよりもせっかく図書館に来たのだから、本でも見よう。

 そう考えて私はノクスの方を振り向いた。

「ノクス様、ちょうどいいので私たちも……」

「セレナ」

 ノクスが私の手を掴むと、少し無理やり引っ張って人がいない本棚の方まで連れてきた。

「ノ、ノクス様……!?

 そして……私を後ろから抱きしめた。

 身体を包みこまれるような感覚。

「ノクス様っ……!?

 先ほどよりも上ずった声で私はノクスに何をしているのかを尋ねる。

「……」

 しかしノクスは不満そうな表情のまま答えない。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 嫌というわけではなかったけれど、驚いてしまった私は思わずノクスを肘で突き放す。

 するとノクスはよくわからない表情で、私に謝った。

「……すまなかったな」

 ノクスは私から離れていった。

 一方で私は、ノクスに抱きつかれたことによる驚きとドキドキで、この時のノクスの表情まで気がつかなかった。


 だから、当然、本棚の陰から私たちをじっと見つめているミシェルにも気がつかなかった。


***


 それは、ミシェルが留学してきて二週間ほど経った時のことだった。

 廊下を歩きながら、私は悶々としていた。

 図書館でノクスから突然抱きつかれた一件が、いまだに頭から離れないのだ。

 いつもノクスは私に甘い言葉を囁いてくれている。

 でも、あんなふうに抱きしめられたのは初めてだった。思い出すだけで心臓がドキドキする。

 ドキドキしすぎて、ノクスと二人きりになると、ちょっと変な感じになってしまうほどだった。

 そして不思議なことに、ノクスの様子もおかしかった。

 やけに私に「好き」という言葉を言わせようとしてくるのだ。一体どうしたのだろう。

 それに加えて、ミシェルの件で私へ色々と探りを入れてくるようになった。私がスパイの被害にあってないか心配なのかもしれない。


 と、その時。芝生の生えた広場でしゃがみこみ、何かを探している様子の男子生徒がいた。

 その人物に私は驚いていた。

 サラサラの金髪、青い瞳、ノクスのように整った顔。

 探しものをしているのは……ミシェルだったからだ。

「ミシェル様、一体どうされたんですか……?」

「ああ、セレナ嬢……」

 私の声を聞いてミシェルが立ち上がる。

 ミシェルは探しものをしているうちに暑くなったのか、制服の上着を脱ぎ、シャツの腕をまくっていた。

 まくった袖やボタンを外した首元から血管の浮かんだ腕や、鎖骨がチラリと見えて私は目をそらす。

 なんだかいけないものを見てしまったような気がしたのだ。

 意外だったのは、ミシェルが泥だらけになっていることだった。

 泥がついた手で頬を拭ったのか、頬にも泥がついていた。

 ミシェルはいつも、身だしなみはキッチリとしている。

 制服には一つの乱れもないし、寝癖なんてついてるところは見たことがない。

 学園にやってきた初日、長旅の翌日ですら、疲れたところを見せない完璧ぶりだ。

 一部の隙もない、という言葉がよく似合うくらいだ。

 そんなミシェルが、泥に汚れながら何かを探している、というのが衝撃だった。

「何か探しものをされているみたいでしたが……」

「ああ、そうなんですよ。さっきからずっと探しているのですが、なかなか見つからなくて」

「ここでですか? それは……」

 私はミシェルに少し同情した。

 この広い芝生のなか、落とし物をすればさぞ見つけるのは大変だろう。

 ノクスの忠告はもちろん覚えているけれど、無性に手伝ってあげたくなった。

「何を失くされたんですか? 私も手伝います」

「ああ、失くしたのは私ではなくて……」

 ちらり、とミシェルは遠くの方に視線をやった。

 そこにはさっきまでのミシェルと同じく、泥だらけになりながらも何かを探している女子生徒がいた。

「アンナさん」

 ミシェルが手を振って名前を呼ぶと、アンナと呼ばれた生徒はこちらへとやってきた。

 顔は見たことがない生徒だった。

 身なりを見るに、恐らく平民の生徒だ。

「実は、失くしものをしたのは彼女なんです。どうやら、亡くなったおばあ様の形見を失くされたそうで」

「そんな……」

 祖母の遺してくれた形見。

 そんなの諦められるはずがないだろう。

「あれは……昨年亡くなった祖母が遺してくれた、唯一の形見なんです……絶対に見つけないといけないのに全然見つからなくて……」

 アンナはずっと探しても見つからないからか、泣きそうな顔になっていた。

 ミシェルが手伝っている理由がわかる。

 こんなの、私だって放っておけない。

「私も手伝います」

「え、そんな……セレナ様に手伝っていただくわけには……」

「遠慮しないで。私も生徒会の人間ですから、この学園の生徒が困っていたら助けるのは当然です」

「ありがとうございます……」

「失くしものって、どんな形?」

「指輪です。小さいですが宝石がはまっています」

 落としたのは小さな指輪らしい。

 道理で見つけにくいわけだ。

「どこで落としたのかわかる?」

「ここらへんなんですけど、芝生で全然見えなくて……」


 それから、私たちの失せ物探しが始まった。

 黙々と、芝生をかき分けながら小さな指輪を探していく。

 私も徐々にミシェルやアンナのように泥だらけになっていったが、そんなこと祖母の形見を失くしてしまったアンナの気持ちに比べれば、全く気にならなかった。

 一時間、二時間と時間が過ぎていき、誰も口にしないがもう見つからないのでは、と思った時。

「これ……」

 芝生のなかから小さな指輪が出てきた。

 アンナの言った通り、小さな宝石がはまっている。

「アンナさん、これ」

「見つかったんですか!?

「落とした指輪はこれですか?」

 駆け寄ってきたアンナに私は指輪を見せる。

「あ、ああっ……!」

 指輪を見た途端、アンナは感極まって泣き始めた。

「よかった……っ! もう、見つからないんじゃって思って……っ!」

 アンナは胸の前で指輪を強く握りしめ、大粒の涙を流す。

「ありがとうございます……っ! セレナ様、ミシェル様……っ!!

「ほら、泣かないで」

 アンナの涙をハンカチで拭おうとしたが、指先が泥だらけなことに気がついた。

「はは、皆泥だらけですね」

 そのことに気がついたミシェルが、カラッと爽やかに笑う。

「何にせよ、見つかってよかったです。本当に」

「……」

 そのホッと安堵しているようなミシェルの笑顔に、私はまた少し意外さを覚えた。

 何度も頭を下げて去っていくアンナに手を振っていたミシェルが、不意に口を開いた。

「生徒会の仕事、遅れてしまいましたね」

「そうですね、どう言い訳したものか……」

 時刻はすでに夕方。

 すでに生徒会の仕事は始まっていて、私たちは現在進行形で無断でサボってしまっている。

 やっちゃったな、という気持ちはある。

 でも、不思議と後悔はなかった。

 隣のミシェルを見れば同じ考えのようで、生徒会の仕事を放りだしてしまっている現状にもかかわらず、アンナの姿を見てどこか晴れやかな笑顔を浮かべている。

 その姿は、とてもじゃないがノクスたちが心配しているようなスパイからはかけ離れていた。

 ――本当にこの人は悪人なのか。

 そうだ、本当にスパイなら、ここまで泥だらけになって何の得にもならないことをして、他国の人間を助けるだろうか。

 私は確かめるために、質問をした。

「……どうして、彼女を手伝おうと思ったのですか?」

「え? そうですね……」

 ミシェルは考え込んで、顔を上げる。

「うまく説明はできませんが……どうしても見過ごせなかったんです」

「ミシェル様は王族なのに?」

「王族だからこそ、見過ごせなかったんですよ。だって、私たちは彼女のような人の笑顔を守るべき立場でしょう?」

 その姿が、かつてのノクスと重なった。

(ああ、この人は……)

 私は確信した。

 この人は悪人ではないと。

「セレナ!」

 その時だった。

 焦った様子のノクスが私とミシェルの方へと駆け寄ってきた。

「ノクス様?」

「一体なんでこんなところにいるんだ! いつまで経っても生徒会室に来ないから心配したんだぞ!」

 どうやら、ノクスは私を心配して探し回っていたらしい。

 今まで走っていたのか、少し汗ばんでいる。

「すみません、ノクス様。実は……」

 私はノクスに対して状況を説明する。

 説明を聞いたノクスは、両腕を組んで唸ったあと、ため息を吐いた。

「……そうか、それなら仕方がないな。お前がそういうのを見過ごせない性格なのは知っているしな」

「怒らないんですか?」

「生徒のためにしていたなら、怒ることもできないさ」

 てっきり連絡もなかったから怒られると思ったんだけど……。

「申し訳ありません、ノクス。無断で生徒会の仕事に遅れてしまって」

「いや、構わない。それよりも生徒会長として、うちの生徒を助けてくれたこと、感謝する」

 ノクスはミシェルに対して一礼する。

「すまないが、セレナと二人きりで話がしたいんだ。先に行ってもらえるか」

「わかりました」

 ミシェルは特に気分を害した様子もなく、生徒会室へと向かう。

 その背中が見えなくなると、ノクスが私に向き直る。

「セレナ、あいつには警戒しろと言っただろ。奴と二人きりになるなんて……」

「ですが、生徒の失くしものを……」

「事情はわかる。だがあいつは危険なんだ。指輪を探していたのだって、お前や他の生徒たちを騙すための演技なのかもしれないんだぞ」

 ノクスの言い草に、さっきのミシェルの清々しい顔を思い出し、私はムッとなった。

「ノクス様、さすがにそれは言いすぎだと思います。そこまでミシェル様の善意を疑うんですか!?

「いや、俺は……」

「もし仮にあれが私や他の生徒に向けたパフォーマンスだとして、あの場にはミシェル様と女子生徒しかいなかったんです! そんな人助けをしたって、誰にも見てもらえない。それでも泥だらけになって、彼女を手伝ってたんですよ!?

 もしこれが、生徒や人通りの多い場所だったなら、人心を掴むためにやっているパフォーマンスだ、という見方もできる。

 でもここを私が通ったのは、全くの偶然だ。

 それに放課後であるため、生徒たちはあまり通らない。

 そのなかでわざわざ人を助ける必要があるのだろうか。

「……なぜ、そこまであいつをかばうんだ」

「えっ?」

 ノクスのセリフが聞き取れなかった私は問い返す。

 しかしノクスは拗ねたような表情を改め、私に向き直った。

「お前の言うことにも一理ある。……だが、留学してきた状況的にミシェルが怪しいことは明らかだ。俺はこの国の王族として、常に最悪を考えておかなければならない。それにお前に何かあったらと思うと俺は……」

 ノクスが心配そうな顔で私の頬に触れてくる。

 ちょっと一旦冷静になって考えてみた。

 ノクスの言うことにも一理ある。

 一緒に失くしものを探した私はミシェルがどういう人間かわかっているが、ノクスは一緒にいたわけではない。

 ミシェルが留学してきた経緯や、国同士の状況を見れば、怪しいのは確かなのだ。

 そして、ノクスは本当に私を心配してこう言ってくれているのだ。

「とにかく、ミシェルとは二人きりになるな。いいな」

「ええっ!?

「何が問題なんだ。それとも、婚約者以外の男と二人きりでいたいとでも?」

「もちろんそんなことは考えてません、でも……」

 こんなふうにノクスが私の行動に制限をかけてくるのは初めてのことだった。

 ふと、脳裏にエリオットから可愛くすることを禁じられていた記憶が蘇る。

 でも、どうしてもノクスは意見を覆すつもりがないらしい。

 納得はできない。

 でも、ノクスの言うことは理解できる。

 だから私は完全には納得できていないものの、頷いたのだった。