その日は、突然やってきた。

「本日より、この学園に留学することになりました、ミシェル・シルヴァンディアと申します。よろしくお願いします」

 教室中の視線を集めるなか、教師が立つ教壇の横に立った王子は、丁寧にお辞儀をした。

 シルクのような金色の髪に、水晶のような青い瞳。長いまつげに、すっと通った鼻筋。

 口元にたたえた微笑みが、優しげな印象を与えている。

「かっこいい……」

「おとぎ話のなかから出てきたみたい……」

 ノクスに勝るとも劣らない端整な顔立ちに、教室中の令嬢はうっとりとした視線を送っている。

 そのなかで、私は少し警戒しながら、ミシェルを見つめていた。

(まさか、こんなに早くやってくるとは……)

 ――ミシェル・シルヴァンディア第三王子が、学園へとやってきた。

 先週の休日、リリスと一緒に出かけた時に、隣国シルヴァンディア王国から王子が留学してくるかもしれない、ということは聞いていたが、まさかそこから数日もしないうちにやってくるとは思わなかった。

 でも私は驚かなかった。

 昨日、ノクスから話を聞いていたからだ。

 私は昨日のことを思い出す。


***


「まずいことになった」

 昨日、ノクスが生徒会室に私とリリスを集めて、そう告げた。

「一体どうしたんですか?」

「明日、ミシェル・シルヴァンディア第三王子がやってくるらしい」

「……なんですって?」

 これには「私とセレナの昼食時間を奪った意味はわかってるんでしょうね」と頬を膨らませていたリリスも、一瞬で真面目な顔になった。

「一応王家から受け入れる、という旨の手紙は出していたようだが……それにしても何もかもが早すぎる」

「その、ノクス様、早すぎるというのは?」

 私が首を傾げると、ノクスが説明してくれる。

「ああ。それが、王家が先方に受け入れの連絡をしたのは、三日前のことなんだ」

「え? 三日前、ですか?」

 私は驚きの声を上げる。

 ノクスは頷いた。

「そうだ。この王都からシルヴァンディア王国までは、どれだけ早く馬を走らせても三日はかかる」

 あちらに手紙が届くのに三日かかるということは、こちらにやってくるまでにも少なくとも三日はかかるということだ。だから、本来ならミシェル王子がやってくるのはどれだけ早くても三日後でなければならない。

「つまりだ」とノクスは話をまとめる。

「シルヴァンディアの第三王子は、王家の手紙を受け取る前に出発している可能性が高い」

「そんな……もし受け入れてもらえなかったらどうするつもりで……」

「必ず受け入れるだろうと高をくくっていたのか、それともそうせざるを得ない状況だったのか……非常識なのに先触れだけは出すというちぐはぐさだ。正直に言って意味がわからん」

「明日じゃ、まともに準備もできないんじゃない?」

「ああ、今王宮は大変なことになってるよ」

 他国の王族を受け入れるには色々と準備が必要になる。

 初めてノクスが私の家にやってきた時のあの感じを何倍にもした感じになっているのだろう。

 しかし私はそこでふと疑問を抱いた。

「あれ? そこまでやってするのは留学することだけ、なんですか?」

「そう、引っかかるのはそこだ。俺の言いたいことを拾ってくれるとは、さすがはセレナだ」

「いえ」

 ノクスが柔らかい笑みを浮かべる。

 私も釣られて笑みを浮かべた。

「……いちゃつくのは二人きりの時にしていただけます?」

 リリスの言葉で私たちは現実世界に引き戻される。

「……それで、リリスは知っていることだが一つ注意しておくことがある」

「注意しておくことですか?」

「シルヴァンディア王国だが、今現在、俺たちの国との関係が悪化していることは、知っているな」

「はい」

「それはなぜか、という理由については?」

「それは知りません。すみません……」

 私はシュンとなった。

「いや、昔の話だから仕方がない。シュガーブルーム家とシルヴァンディア王家にはな、血縁関係があるんだ」

「えっ?」

 私は耳を疑うような話に目を見開く。

「シュガーブルーム元公爵家とシルヴァンディア王国は、領地が隣接していることもあり、昔から交流があったんだ。今はその領地は没収されているがな。そして昔の話だが、シュガーブルーム家にはシルヴァンディアの王女が嫁いだこともある。つまりシュガーブルーム家にはシルヴァンディアの王家の血が流れているんだ」

「そうだったんですね……」

「それに加えて、我がレイヴンクロフト王家とシルヴァンディア王家も、歴史を振り返れば婚姻関係を結んだこともある。つまり、シュガーブルーム家には遠縁とはいえ、我が国の王族の血も入っているんだ。これが王族がシュガーブルーム家をどれだけ疎ましく思っていても、マリベルが決定的にやらかすまで切ることのできなかった理由だ」

「なるほど……」

 たしかに言われてみれば、やけにマリベルは尊大に振る舞っていた気がする。あれは自分が「二つの王族の血が混じっているお姫様である」という自負の現れだったのかもしれない。

 いや、あれはお姫様と言うより暴君って感じだから関係ないか。

「そしてここからが問題なんだが、マリベルの件でシュガーブルーム家を問答無用で断罪し、王家が嫁いだ家の爵位を落としただろう? そのことでシルヴァンディア王国が王家をないがしろにされた、と憤慨したんだ」

「そんな……言いがかりでは?」

「国にとって、面子めんつというのは大事だ。血縁関係である家を勝手に伯爵へと落とされては、シルヴァンディア王家の面子が潰れる。だが、血が混じっていると言っても、シュガーブルーム家はレイヴンクロフト王国の貴族だ。うちの国の貴族が犯した罪を裁いたことに干渉するのは、それこそこちらの王家を蔑ろにしている。どちらにとっても譲れない問題だからこそ、国同士の関係は悪化してしまった」

 私はそこで、ハッと気がついた。

「となると、今回留学してきたのは……」

「ああ、色々ときな臭い」

「いつか二国間の問題が大きくなった時に備えて、レイヴンクロフトの弱みを探るためのスパイかもしれないわね」

「ス、スパイ……」

 私はその言葉を反復する。

 まるで小説のなかの出来事のようだ。

「まあ、俺が言いたいのはスパイに気をつけろということじゃない。シルヴァンディアの第三王子と接する機会があった時には、一応そのことを頭に入れておいてほしい、ということだ」

「はい!」

 私は勢いよく頷いた。


***


 教壇の横に立つミシェルを見ながら、私はそんなことを思い出していた。

 とまあ、一応は警戒しているのだが、実際、そんなに話すこともないでしょう。うん。

 パーティーとかお茶会で少し会話する程度のことはあるだろうけど、ミシェルもわざわざ婚約者がいる私に積極的に話しかけてこないだろうし。

 教室をちらりと見渡してみれば、令嬢たちが自分の隣に来てほしい、と自分の席の隣を空けている。

 もちろん、私にはノクスがいるのでそんな努力をする必要はない。高みの見物だ。

 それに私の左隣にはリリスが座っており、この絶世の最強美少女コンビの近くに座るなんて、いくら王子といえども無理だろう。

 さて、ミシェルはどこに座るのやら……。

 そんなことをぼーっと考えていると。

「ハートフィールド嬢、これからよろしくお願いします」

「……え?」

 いつの間にか、隣にミシェルが座っていた。

「……」

 目をごしごしとこすってみた。

 目を開けたら、まだそこにミシェルがいた。

 ……え、なんでこんなところにいるのこの人。

 ニコニコと笑う異国の王子様は、私のいぶかしげな視線に全く動じていない。

(ちょっと待って……なんで王子様が私のとこに来たの……!?

 心のなかで頭を抱えた。

 あの数いる令嬢のなかから、なぜ私の隣を選んだのかがわからない。……私が可愛いからかな?

 色々と理由を考えてみるが、他に理由は思いつかない。

 私がオロオロと慌てていると、ミシェルはニコッと笑みを浮かべて私へと挨拶してきた。

「私はミシェル・シルヴァンディアと申します。先ほども述べさせていただきましたが、学園に入った以上、同じ学生として接してくださると嬉しいです」

 一応、シルヴァンディア王国からレイヴンクロフト王国まで、そこそこ長旅をしてきたはずだが、ミシェルは疲れた素振りを全く見せない爽やかな笑みを浮かべて、手を差し出してくる。

 あっ、なるほど、握手。

「あ、は、はい……」

 私はおずおずと手を握る。

 ふわりと柔らかく握り返された。

 ミシェルは曇りのない笑顔を浮かべた。

 一旦冷静になって考えてみる。

 ……まさか私、可愛すぎて異国の王子様に一目惚れされちゃった?

 いつの間にか私は、美少女から傾国の美少女になってしまったのかもしれない。

 いや、今はそんなふざけたことを考えている場合じゃない。いくら私と言っても絶世の美少女止まりだ。

 どうしてミシェルが私の隣にやってきたのかを考えないと。もしかしたらスパイの件かもしれないし。

 しかしいくら頭をひねっても、答えは出てこなかった。いっそのこと、思い切って質問してみよう。

 私はニコニコと話し続けているミシェルの言葉を遮り、質問をなげかけた。

「これから同級生として、よろしくお願いします。それでですね、少しお願いが……」

「あの、ミシェル様」

「はい? なんでしょう」

 私はおずおずと手を挙げた。

 言葉を遮られたというのに、ミシェルは特に気分を害した様子もなく首を傾げる。

「お言葉の途中で申し訳ありません。質問してもいいでしょうか?」

「どうぞ」

 笑顔でミシェルが頷く。

 私は思い切って質問した。

「なぜ、私のお隣に? それにどうして私の名前を……」

「単純に横が空いていたからです。それに留学生として、事前に高位貴族の方々の名前は覚えてきたので」

 一瞬ポカンとして、ハッと我を取り戻す。

 あ、そうだ。私の隣、空いてたんだった。

 なるほど、だから私のお隣に……と一瞬納得してしまったが、私はすぐに新たな疑問を抱いた。

 でも他にも空いている席はあったのに、どうしてわざわざ私の隣に……?

 やっぱり疑問が残ったものの、これ以上ミシェルに根掘り葉掘り聞くわけにもいかないので自分で考えていた。

「留学生の身ですが、初めての異国と新しい環境に慣れるか少々不安でして。執事ともクラスが離れてしまいましたし」

「なるほど」

 考え事をしながら私は返事を返す。

 ミシェルがスパイだとしたら、私はこのなかで一番情報を抜き出しやすそうだと思われた、ということだ。

 そういえば、本に顔がいいほど性格もよく見える、と書いてあった気がする。

 そういうことかな。きっとそうだ。いやそうに違いない。

「というわけで、学園生活をサポートしてくださると嬉しいのですが」

「え?」

 目をパチパチと瞬かせる。

「羨ましいです……」

「でもセレナ様なら……」

 といった声が聞こえてくる。

 なんだか教室のなかの空気が、私が引き受ける流れになっている。

 しかもちょっと断りづらい雰囲気だ。

 隣に座っているリリスの方を見てみれば、リリスは首を横に振っていた。たぶん「お手上げね」という意味だ。

 どちらにせよ、こんな大勢の前で名指しでお願いされて、断るわけにもいかない。

 さらにミシェルがお願いしてくる。

「お願いできないでしょうか」

「………………は、はい」

 雰囲気に押され、私は承諾してしまった。

 教室中からパチパチと拍手が聞こえてくる。

 あ、これまずいかも……。

 と内心で、私は汗をかいたのだった。


***


 休み時間になった瞬間、一気に教室の内外に生徒が増えた。このクラスではない生徒たちが押し寄せてきたのだ。

 目当てはもちろん、隣国から留学してきたミシェル・シルヴァンディアをひと目見ること。

 滅多にいない他国からの留学生、それも絶世の美青年とくれば、ひと目見たいと令嬢たちが教室の扉付近に押し寄せるのも、仕方がないのかもしれない。

「ミシェル様、本当にお美しい……」

「私、ノクス様のファンクラブに所属していますが、ミシェル様にくらえしてしまいそうです……」

「さすがに私はノクス様一筋ですが、その気持ちもわからなくもないですわ……」

 教室の外でミシェルを見ていた令嬢たちがうっとりと、ミシェルに見惚れている。

 興味はあれど、しかしまださすがに誰も話しかける勇気はないみたいで、教室の外や中から遠巻きに見ているだけだった。

 そして一身に注目を浴びているミシェルの隣で、私は一人冷や汗をかいていた。

「なるほど、そこまで進んでいるのですね」

「は、はい……」

 どうしよう、さっきからミシェルがずっと話しかけてくる……。

 それもこれも、不可抗力でミシェルの学園生活をサポートすると言ってしまったのが原因なのだけど、つまり私が原因なのだけど、この状況はさすがに聞いてない……!

 今は学園の授業進度について質問されたので、一通りの教科の進捗状況を説明し終えたところだった。

「ありがとうございますセレナ嬢」

「いえ、お気になさらず……」

 ミシェルが爽やかな笑みを浮かべてお礼を述べる。

 その笑顔を見て令嬢たちがざわめいた。

「笑った!」

「ミシェル様が笑ったわ!」

 ノクスはずっと真顔だったので、王子様の笑顔を見たことがある令嬢は少ない。そのためこの学園の令嬢たちは笑顔の耐性がないのだ。

 ミシェルは考え込むように顎に手を当てる。

「そうですね……こんなにお世話になっていますから、お礼に今度――」

 ミシェルがそう言った瞬間、授業の開始を告げる鐘が響き渡った。

「おっと、鐘が鳴ってしまいましたね」

 真面目なミシェルは何か言いかけていたのをやめ、授業へと集中した。


 次の休み時間、ミシェルはあることをお願いしてきた。

「セレナ嬢、教員室まで案内していただけないでしょうか? 教員室に必要なものを取りに来るように言われているのですが、留学してきたばかりで、場所がわからないのです」

 留学してきたばかりでは教員が詰めている教員室の場所はわからないのは事実だろうし、困った様子でお願いされれば……断ることはできなかった。


 そして私とミシェルは一緒に教員室へと向かうことになったのだが……すごい人の目を感じる。

 今、私はミシェルと並んで歩いている。

 つまりは「学園中噂で持ち切りの、留学してきた王子と仲がいい」とけんでんしているようなものだ。

「あれ、セレナ様じゃない? どうしてミシェル様と一緒にいらっしゃるんでしょう……?」

「聞いた話では、学園生活のお世話をすることになったとか」

「羨ましいですわ……」

 羨望と少しの嫉妬が混じった視線が私へと突き刺さる。嫉妬が控えめなのは恐らく私が公爵令嬢だからだろう。

 この国で一番位の高い貴族に、むき出しの嫉妬を投げかけることができるような人間はそう多くない。それでも少しはいるけど。

 そうして私はミシェルを教員室に送り届けると、そのまま放って帰るわけにもいかないので彼を待つことにした。

 私たちが並び立って教室に戻ろうとすると、前方から、重そうなプリントの束を持った女子生徒がやってきた。フラフラとしていて今にも倒れそうな危なっかしい運び方をしている。

 その女子生徒を見た瞬間、ミシェルがすっと前に歩み出た。

「大丈夫ですか?」

「えっ」

 突然イケメンに目の前に立たれた女子生徒は困惑の声を上げる。

 ミシェルはそんな彼女に対してすっと手を差し伸べた。

「よろしければ持ちますよ」

「あっ、いえっ、でも貴族の方にそんな手間をかけさせるのは……」

 口ぶりから察するに、恐らく女子生徒は平民の生徒なのだろう。ひと目見て明らかに高貴な身分とわかるミシェルに、慌てながら首を横に振った。

 しかしミシェルはニコッと笑って続ける。

「学園に入学した以上、同じ生徒ですよ。上も下もありません」

 そう言ったミシェルは彼女からひょいとプリントの束を取り上げた。

 私はその光景を見て、正直驚いていた。まさか、最初の「身分関係なく接してほしい」という言葉が本当だとは思わなかったからだ。普通の貴族なら方便だと考えるだろうし、実際に方便であることが多い。

 貴族という身分を笠に着て平民の生徒に威張り散らしている貴族も多いなかで、王族であるミシェルが身分関係なく接しているのは意外だった。

「なんてお優しい……」

「身分関係なく話しかけてほしいというのは本当だったのね」

「私も話しかけに行ってもいいのかしら……」

 などと、周囲の生徒は今のミシェルに感激していた。

「あ、ありがとうございます……」

 女子生徒は顔を真っ赤に染めてミシェルへとお礼を述べた。

「いえいえ」

 ミシェルはどこに運べばいいのかを聞き出すと、笑顔で女子生徒が去っていくのを見送る。

「私はこのプリントを届けてくるので、セレナ嬢は先に……おっと」

「大丈夫ですかっ!?

 しかし予想外にもプリントが重かったのか、ミシェルはよろけた。

 私は思わず心配してしまう。

「いえ、大丈夫です。これくらいなら……私一人でなんとかなりますから」

 ミシェルは強がって笑うが、どう見ても一人で運べそうにはなかった。

「ミシェル様、私もお手伝いしますよ」

「本当ですか。助かります、実は思ったよりも重くて……」

 私が手伝いを申し出ると、ミシェルは照れくさそうに笑う。私は三割ほどのプリントの束を受け取った。半分じゃないのはミシェルの紳士としての気遣いなんだろう。

 そして私たちはそのプリントを運び終え、今度こそ教室へと向かっていた。

「セレナ嬢、本当にありがとうございます」

「いえ、手伝うのは当たり前ですから」

「しかし、ここまで手伝っていただいたのですから、お礼をしなければなりませんね。今度是非お茶でもいかがですか?」

「えっ……」

 そのお誘いに私は固まった。婚約者がいる身として、このお誘いは受けられない。

 だけど、シルヴァンディア王国と私の国は今、あまり仲がいいとは言えない。それなのに王族であるミシェルからの誘いをばっさりと断ったら、最悪、国際問題に発展するかも……。

「どうかしましたか……?」

 そんな事情を知らないミシェルは固まる私に不思議そうに首を傾げる。

 いろんな考えが頭をよぎった時、助けがやってきた。

「セレナ、こんなところにいたのか」

「ノクス様」

 私はノクスの名前を呼ぶ。

 王族二人が顔を突き合わせるという一大イベントに、廊下にいる生徒が興奮する。

「見て! ノクス様とミシェル様よ!」

「どうしてノクス様がこんなところに……? あっ、もしかして、セレナ様のために……!?

「目の保養だわぁ……」

 二人の王子様の登場に、生徒たちの反応はそれぞれだ。

「ノクス王子」

「すまないが、セレナは俺の婚約者だ。無闇やたらに誘うのはやめてもらおうか」

「おや、それは申し訳ございません。単純にお礼の意味しかなかったのですが……」

 ノクスに釘を刺されてもミシェルは爽やかな笑みを崩さずに謝る。

 ノクスとミシェルの間に少しピリッとした雰囲気が流れたような気がした。


***


「だから、あれほど気をつけろと言っただろ……」

 昼休み、とりあえず作戦会議、という名目で私とノクス、そしてリリスは生徒会室に集まっていた。

 ミシェルは親睦を深める意味もこめて、食堂でクラスの生徒たちと昼食を食べている。

 先ほど、休み時間の時に平民の生徒に分け隔てなく接していたことは、すぐに学園中に広まった。その結果、ミシェルに話しかけたがっていた人間たちが、「自分も話しかけていいんだ」と、一気にミシェルへと押し寄せることとなったのだ。

 ミシェルの人気は凄まじいものだった。

 もともと、圧倒的なカリスマを誇っていたノクスに婚約者ができて、皆くすぶっていたところに、ちょうど新たなイケメンの王子様が現れたのだ。人気が出ないわけがない。

 私もミシェルから昼食に誘われたのだが、幸いにもノクスとリリスに呼ばれたのでそちらを優先することになった。

 そして、これまでの出来事――ミシェルにうっかり隣の席に座られ、私がお世話係に任命され、教員室まで案内したりと関わりを持ってしまったことを報告したところだ。

 ノクスの呆れたような視線が突き刺さる。

「申し訳ございません……」

 返す言葉もなく、私は素直に謝った。

 こんなことになるなら、もっと隣に空白ができないようにしておくべきだった。

 教科書を置くなり、色々とできたはずなのに……。

 そう内心で反省している私の横で、ノクスが口を開いた。

「うちのクラスにも留学生がやってきた。ミシェルの執事だ」

「どんな方ですか?」

「普通の執事といった感じだ。名前はオリバー・アシュモア。王子付きの執事というだけあって仕事はできそうだな。ただ……」

 ノクスが訝しげな顔で考えこむ。

「どうしたんですか?」

「シルヴァンディアの第三王子は、この国に留学する際に、執事一人しか連れてこなかったんだ」

「え?」

「執事一人? 王族がたったそれだけの使用人で留学してきたの?」

 リリスが眉根を寄せた。

 私も同意見だった。王族の使用人が執事一人だけなんて、さすがに少なすぎる。

「ああ、俺たちもそう思って使用人をつけようか、と申し出たんだが、『ただでさえわがままを言っているのに、そちらに迷惑をかけるわけにはいかない』と固辞されてしまった。今日から学園の寮に住むという徹底ぶりだ」

 学園にある学生寮は、王都に居住を持っていない地方の貴族や平民のための施設だ。

 王族からすればかなり手狭に感じるだろう。

 普通の人からすれば人のできた王子だというイメージを抱くだろうが、マリベルをかくまっている国であることを知っている私たちからすれば、どうしても怪しさを感じてしまう。

「そう言われると、やっぱり怪しいですね……」

「ああ、王族が執事一人だけで留学してくるなんて、前代未聞だ。裏がある気がしてならない。セレナも気をつけてくれ」

「でも一応、スパイじゃないかと思ってミシェル王子のことは観察してましたけど、特に悪い人という印象はありませんでしたよ?」

 ミシェルはとにかく人柄のいい人物だった。

 教員室近くでの平民の女子生徒に対する対応はもちろん、教室でも性別や身分問わず生徒たちと交流している。

 そんなミシェルの噂はどんどん学園に広まって、令嬢たちの間での人気は高まるばかりだった。

 ミシェルには婚約者がいないこともそれを後押ししていた。

「演技をしているのかもしれない。気を抜くのは禁物だ」

「そうよ、あの王子、絶対にセレナのことを狙ってるわよ」

「いや、そんなことはないと思うけど……」

 どうやらノクスもリリスもいまだにミシェルのことは疑っているようだ。私としてもまだ疑わしいとは思ってるけど。

「世話係を今から止める、というのはできないの?」

「それが……突然隣国へとやってきた今、信頼できる人間が全くいなくて、王族だからあまり急に友人を増やすこともできないので、最初に話したあなたに差し支えない範囲で手を貸してほしいと言われてしまって……」

「そう言われると断るのは難しいわね」

「そうなんだよね……」

「とにかく、引き受けてしまったものは仕方がない。が……」

「が?」

 ノクスの思わせぶりな態度とセリフに、私は首を傾げる。

 ノクスは私の頬に軽く触れてきた。

「お前は、俺の婚約者なんだからな」

「……? はい、もちろんです」

 なぜ今更、そんなわかりきったことを確認するのだろう。

 ……いや、待って。

 私はノクスの言葉の意味に気がついてしまった。

 もしかしてこれ、私がミシェルの顔につられて引き受けたと思っているのでは……?

 そういえば、ノクスと偽装婚約を結ぶ時に、ノクスが提示した「顔のいい男を侍らせることができる」という条件に心を惹かれてしまったことを思い出す。

 ノクスはあの時と同じように、私がミシェルの整った顔に惹かれて、ミシェルの学園でのお世話係を引き受けたと思っているのではないだろうか。

 それは不名誉な勘違いだ。ちゃんと誤解を解かないと……。

「勘違いしないでほしいのですが、顔に負けたわけではありません」

「……は?」

 ノクスが素っ頓狂な声をあげた。

「たしかにミシェル王子は端整な顔立ちをしています。そして私は整った顔が好きです。でも私のタイプは、ノクス様みたいなちょっとオラオラ系が混じった顔で、優しい系のミシェル王子ではありませんから!」

 慌ててまくしたてると、きょとんとしていたノクスの頬が緩んだ。

「ああ、わかってるよ」

 ふう……よかった。これで誤解は解けたはずだ。

 そう思ってノクスの表情を見るが、しかしいまだにノクスの表情が完全に晴れた、ということはなかった。

 あれ、なんで?

「でも、学園では、あいつと一緒にいることになるんだろ?」

 ノクスがそっぽを向く。

 私はさらに首を傾げてもう一度、同じことを説明した。

「へ? いやですからあくまで成り行きでお手伝い係を引き受けてしまっただけで、私としては別にミシェル王子の顔が好きなわけでは……」

「……もういい」

 ノクスはつまらなさそうな顔でそっぽを向いてしまった。

 私、何か機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。

 助けを求めるようにリリスを見てみる。

 リリスは「お手上げね」と呆れたように首を振っていた。

 やっぱり、いとこのリリスとはいえ、男心を理解するのは難しいのだろうか。

 そんな感じのことをリリスに言ったら、「お手上げなのはあなたよ」と言われた。どうして……。