しばらく二人の少女と時間を過ごした俺は、ふと外の空気を吸いたくなった。それでシェラとアイリンと
夜の庭園は美しかった。俺たち以外にも数人の客がランタンの光の下で庭園を眺めていた。
「あ……」
庭園の隅に意外な人物が立っていた。俺は二人の少女から離れてその人物に近づいた。
「レッドか」
「爺」
それは
「へっ。何だ、その格好は?」
爺が俺の礼服姿を見て
「劇団にでも入るつもりか?」
「仕方ないじゃないか。俺だって動きづらい服装は
俺は苦笑した。
「爺こそ一人で何しているんだ?」
「私はパーティーそのものが嫌いなんだよ。こういう豪華なパーティーは
「それで一人で花見をしていたのか。爺らしいな」
俺はしばらく爺と一緒にラベンダーを見つめた。
「爺」
「何だ」
「『フクロウ』のことなんだけど」
俺は爺の顔を凝視した。
「あいつ……爺の技を使っていたよ。俺が爺から盗んだ、『全身全霊の動き』と呼んでいる技を」
その言葉を聞いて、爺は無表情になる。
「しかも俺より熟練度が高かった。つまりやつは昔からあの技を使ってきたに違いない。どういうことなのか……説明してくれるか?」
しばらくの沈黙の後、爺が口を開く。
「お前が全身全霊の動きと呼んでいるその技は……『
「心魂功?」
「ああ」
爺が無表情のまま頷く。
「あれは『夜の狩人』の創始者が、いろんな国の格闘技を
「じゃ、あれが使えるのは夜の狩人だけか」
「お前以外はな」
爺が
「つまり爺も……」
「もう忘れたのか、レッド」
爺と俺の視線が交差する。
「私を
「分かった。必ず爺を超えてやるから……待っていろ」
「へっ」
俺は
---
パーティーの翌日、俺は日常に戻って組織員たちと鍛錬を続けた。化け物と呼ばれようが英雄と呼ばれようが、俺は変わらない。自分の道を進むだけだ。
「……そう言えば、お前ら」
朝の鍛錬を終えて、俺は組織員たちを見つめた。
「昨日のパーティーでお嬢さんたちに話しかけられたんだろう? どうだ、
その質問に組織員たちは視線を落とす。
「全然
「女の子とまともに話すことすら出来なかったんですよ!」
俺は笑った。やっぱりそういう結末だったか。
「断言します! ボスと俺、そしてリック以外は全員彼女なんて無理です!」
「ま、俺は格闘技を教えることはできても、
組織員たちは落ち
そして午後のことだった。鍛錬を続けている
「レッド!」
「お前ら……」
それはシェラとアイリンだった。もちろん二人は昨日のドレス姿ではなく、
「どうしたんだ?」
「アイリンちゃんがレッドに会いたいらしくてね」
「そうか」
俺はアイリンの頭を撫でてやった。するとアイリンは手に持っていた布の
「これは?」
「みんなのためのおやつだよ! アイリンちゃんの考えで買ったの」
「そうか。ありがとう」
鍛錬を一時中断して、みんなでパンを食べた。組織員たちはシェラとアイリンに感謝した。
おやつの後、シェラが「戦ってみたい」と言って来た。俺はゲッリトにシェラとの対決を指示した。
「お嬢さん、絶対勝ってください!」
「
組織員たちは全員シェラを
「うるさいな」
ゲッリトは不満げな顔でシェラを
「負けろ、ゲッリト!」
「この裏切り者!」
「……うるさいぞ、お前ら!」
ゲッリトが組織員たちに向かって
「え……!?」
均衡が
「こ、降参です!」
ゲッリトが
「流石お嬢さんです!」
「ざまあみろ、ゲッリト!」
組織員たちは
「いい関節技だった」
俺がそう言うと、シェラは恥ずかしそうに笑う。
「ゲッリトさんが油断してくれたおかげだけどね」
「相手の隙を逃さないのは実戦の基本だ。しかもゲッリトみたいな熟練者の隙を
「うん、ありがとう」
シェラの顔が明るくなる。
しばらくして、俺はシェラとアイリンと一緒に本拠地を出た。二人をロベルトの屋敷まで送るためだ。
「レッドの噂、どんどん広がっているみたいよ」
「噂か」
「あんたの活躍でこの都市が救われたんだと、みんな言っている」
シェラが俺を見上げる。
「よかったら今度その活躍について
「分かった」
俺が頷くと、シェラはいきなり声を上げる。
「あ、そう言えばちょっと急な用事があった!」
「ん?」
「私、先に行く。二人はゆっくり来てね!」
シェラが一人で走り出した。たぶん俺とアイリンだけの時間を作ってくれようとしているんだろう。俺は心の中でシェラに感謝した。
「久しぶりだから、海を見に行こうか」
「あう!」
アイリンは明るい顔で頷いた。
俺たちは大通りから離れて、海辺まで行った。以前一緒に砂遊びをしたその場所だ。
「あう……!」
太陽に照らされ、海は
ふとアイリンが地面に文字を書いた。それは『明日、お
「もう戻るのか?」
「あう」
アイリンは頷いてから『レッドは一緒に戻らない?』と書いた。
「そうだな。俺も戻るよ」
大きな戦いも終わったし、組織員たちのことはしばらくレイモンに任せても問題ないだろう。アイリンは俺の答えを聞いて『ありがとう、レッド』と書いた。俺は手を
「アイリン、お前は……」
俺は少し
「お前は……実の家族のことを覚えているか?」
アイリンは首を横に
「そうか。すまない」
俺が
アイリンの歳からして、戦争で親を
『レッドは? 家族のことを覚えているの?』とアイリンが聞いてきた。俺は首を横に振った。
「俺も何も覚えていないさ」
アイリンは『じゃ、私と一緒』と書いた。
確かにそれでいいかもしれない。今笑って生きていけることが何よりも大事だ。俺はそう思いながらまたアイリンの頭を撫でた。
---
明日、
俺の決定を聞いて、組織員たちは衝撃を受けた。
「心配するな。週に三日は本拠地に
俺がそう言うと組織員たちの顔が少し明るくなる。
ま、そもそもこの『南の都市』から完全に離れる事はできない。『レッド組』を運営しなければならないし、シェラに格闘技を教える必要もある。小屋と都市を行き来しながら生活することになるだろう。
俺の不在時に備えて、レイモンにいろいろ指示を出していた時だった。誰かが俺たちの本拠地を訪ねてきた。ロベルト組の下っ
「久しぶりだな、トム」
「お久しぶりです!」
トムが明るい声で挨拶してきた。
「
「だいぶ回復しました! ご心配、ありがとうございます!」
トムの右手には包帯が巻かれていた。港の戦いで負った傷だ。
俺が港でルアンの組織と戦った時、ロベルト組が俺に加勢してくれた。トムもその戦いに参加し、
「ロベルトから話は聞いた。お前、結構勇敢に戦ったらしいな」
「レッドさんの下で鍛錬されたおかげです! それに……」
トムは少し上気した顔で話を続ける。
「レッドさんが味方である限り、絶対負けないと思ったら……自分にも勇気が湧いてきました!」
「そうか」
「はい、あの夜の戦いはもう一生忘れられません!」
「で、今日は何の用件なんだ?」
「あ!」
トムは『しまった!』という顔になる。
「大変失礼
「そうか。ロベルトに
「はい!」
午後ということは、そんなに急な用事ではないんだろう。でも大事な相談って一体何なんだ? ま、とにかく行ってみるしかないか。
---
午後になり、俺は本拠地を出て格闘場に向かった。
ところで一人で大通りを歩いていたら、少し
「……なるほど」
俺の噂が広がった結果、もうフードを被っていてもみんな俺だと分かるのだ。俺は苦笑してフードを外した。すると人々は驚いて目を見開く。でも彼らの視線から悪意は感じられない。
やがて格闘場についた俺は、二階の事務室に入った。
「レッドさん」
ロベルトが
「大事な相談があると聞いたが」
「はい。『総会』について、ぜひレッドさんに相談したいことがあります」
「総会について?」
総会はこの都市の裏を牛耳っているボスたちの会議だ。俺を
「実は総会にも『会長』という役職があります。総会を束ねて、対外的な代表者になる人ですね」
「そうか」
「その会長は長年空席でして、一応私が代理を務めてきたわけです」
「なるほど」
俺が頷くと、ロベルトが意味ありげな視線を送ってくる。
「しかしいつまでも会長の席を空けておくわけにはいかないし、『安定した
「ロベルトさんが会長になるのか。俺は賛成だ」
「私ではなくレッドさんです」
「……俺?」
俺は目を見開いた。
「いや、でも……」
「もうこの件についてはビットリオさんやクレイ船長と相談済みです。私を含め、全員レッドさんの会長就任に賛成しました」
俺は
「自分で言うのもあれだけど、俺はまだ十七歳だ。いいのか?」
「この間、レッドさんはこの都市の主要組織を見事に指揮なさいました。その力量を考えれば、
俺は首を横に振った。
「俺の組織は小さいし、あんたの方が適任だと思うが」
「組織が小さいからこそ、逆にみんな安心できるわけですよ」
ロベルトは
「ビットリオさんもクレイ船長も、他のボスが会長になったら縄張りが
「いい加減だな」
しばらく論争が続いたけど、ロベルトの意志は固かった。
「ロベルトさん、まさかあんたは最初から俺を会長に就任させるつもりだったのか?」
「最初はレッドさんの力を借りて、私が会長に就任するつもりでした。しかしレッドさんの器と力量に気付き、レッドさんこそ会長に
ロベルトはいとも真面目な口調だ。
「お願いします。この都市を率いることが出来るのは、レッドさんしかいません」
「……ま、分かった。やってやるよ」
ついに俺が降参すると、ロベルトは
「本当にありがとうございます。では就任記念パーティーを準備します」
「またパーティーか」
俺はまた苦笑した。
「……ところで、ロベルトさん」
「はい」
「俺の噂、結構広がったようだな」
「はい。レッドさんのおかげでこの都市が救われたんだと、みんな言っています」
「その噂、流したのはあんたなんだろう?」
俺とロベルトの視線が交差する。
「もちろん俺が噂されるのは当然なことかもしれない。でも噂の内容が
ロベルトの顔に微かな笑みが
「……私はあくまでも、人々が誤解しないように手伝っただけです」
「そうか」
「はい」
「分かった、ありがとう」
俺はロベルトと別れて、再び大通りを歩いた。もちろんフードは外したままで。
---
週末の昼間、ロベルトの屋敷で再びパーティーが開かれた。俺の『会長就任記念パーティー』だ。
「レッドさんの会長就任をお祝いしましょう!」
ロベルトの乾杯の挨拶とともに、人々がワインを飲んだ。パーティーの主役である俺はジュースだけど。
前回のパーティーに比べて、客の中に
「それにしても、十七歳で総会の会長か。史上最年少だな」
ビットリオがワインを飲みながら笑う。
「気分はどうだ、化け物? お前は十七歳でこの都市の裏社会の頂点になったんだぞ」
「別に普通だ」
俺はコップをテーブルの上に置いて答えた。
「頂点と言っても、ほぼ
「それはそうだけど……」
ビットリオもワイングラスをテーブルの上に置いた。
「ルアンとゼロムが
「興味ない」
俺は首を横に振った。
「そもそも俺の組織は『裏組織』ではないし、本格的に裏社会の事業に手を出すつもりもない。食堂くらいなら経営してもいいけど」
「それは残念だな」
ビットリオが顔を
「お前がその気になりゃ、この都市の富を
「俺には他にやるべきことがある」
「じゃ、
俺はビットリオを見つめた。
「それは別にいい。ただし……
「おっと……怖い、怖い。
その時だった。ロベルトの部下が応接間に入ってきて、客たちの相手をしていたロベルトに近寄って耳打ちした。ロベルトは
「レッドさん」
「何か起きたのか?」
「屋敷の外に、ドロシー
俺は少し驚いた。
「ドロシーが?」
「はい、レッドさんに会いたいらしいです」
「分かった。俺が出てみる」
俺は足を運び、庭園を横切って屋敷を出た。屋敷の外には
「すまないな、レッド。パーティーの
ドロシーが俺の礼服姿を見てそう言った。
「いや、いいんだ。むしろパーティーから
「ふっ、お前らしいな」
ドロシーが笑顔になる。
「で、わざわざここまで来た理由は何だ?」
「私はこれから王都に
「アンセルか」
「ああ、お前にはそれを知る権利がある」
アンセルは『天使の
「調査の結果、アンセルはある貴族の私生児だったらしい」
私生児……つまり半分貴族だったのか。
「彼は王都アカデミーの
「その後、犯罪者に成り下がったのか」
「ああ」
ドロシーが頷く。
「アンセルの残した記録から推測すると、同じく王国から追放された集団に受け入れられたみたいだ。その集団から様々な知識を手に入れ、やがて裏組織を作るまでに至った」
「ふむ」
「アンセルは自分自身が優秀な人間で、社会を変えなければならないと思っていたらしい。そのために天使の涙を研究して新しい薬物を開発し、最終的には『
「そんな都合のいい薬物があるもんか」
「ああ、実際アンセルは失敗を
なるほど。
「本当に危険な人物だった。レッド、お前がいなかったら……やつはこの王国の大きな
「へっ」
俺はつい笑ってしまった。結果的には俺がこの王国の危機を取り除いたのか。
「本来なら王室から感謝されてもおかしくないが……」
「いいんだ、あんたらに感謝されるためにやったわけではない」
「ふっ、そうだな」
ドロシーが笑った。
「だからこれは……王室からではなく、私からの謝礼だ」
「謝礼?」
「そうだ」
ドロシーは後ろを振り向いて、兵士たちに「あれを持って来い」と命令した。すると二人の兵士が何か重たそうなものを持ってきた。
「それは……」
それは
戦鎚は全体的に赤色と黒色に
「お前ほどの戦士が、いつまでも
「そうか」
俺は右手で戦鎚を持ち上げ、軽く振るってみた。戦鎚は……まるで昔から俺のものだったように手に
「それを片手で……流石だな」
ドロシーの顔に
「これを俺にくれるのか?」
「もちろんだ。しかもその戦槌の名は……『
「赤竜って」
俺は笑ってしまった。ま、俺にぴったりかもしれない。
「ありがとう。大事に
「こちらこそ……世話になった」
俺とドロシーは
「
「ああ」
ドロシーは兵士たちを率いてその場を去った。俺は彼女の後ろ姿を見つめた。
何しろ……俺はこの王国を滅ぼすつもりだし、ドロシーは王室直属の騎士だ。今度会う時は……敵同士かもしれない。出来ればそんな事態は
---
小屋に
「あう!」
「元気にしてた?」
俺は手を伸ばしてアイリンの頭を撫でてやった。アイリンは勉強をしていたようだ。
「爺は?」
「こっちだ」
後ろから声が聞こえてきた。いつの間にか鼠の爺が後ろに来ていた。俺は笑いながら爺に布の袋を
「またクリームパンか?」
「いや、今日はチーズケーキだ」
「へっ」
三人で一緒にケーキを食べ終えると、爺が席から立って空を見上げる。
「今日は天気がいいな。薬草を採取しに行こう」
「あう!」
アイリンが『分かりました!』という顔で頷いた。
「レッド、お前はどうする気だ?」
「俺も一緒に行くよ」
「じゃ、草取り
「アイリン、暑くないか?」
「あう」
「無理するな」
「あう!」
時々木の
「今日はあの辺がいいかな」
爺が山の
「ここから始めよう」
山の奥には、樹林に囲まれた
「これを採取すればいいのか?」
「あう」
残念ながら俺は薬草について何も知らない。アイリンに質問しながら採取するしかないな。
「爺」
「何だ」
「爺は薬草に詳しいのか?」
爺は採取した薬草を俺に渡しながら答える。
「基本的なことは知っているが、そこまで詳しくない。アイリンの方が私より詳しいはずだ」
「へぇ」
俺は正直
「でも……」
爺は少し
「一人で勉強するのは限界がある。ちゃんとした
「確かに」
ちゃんとした薬学の師匠か。どこにいるんだろう?
「ところでお前、総会の会長がこんなところで薬草採取なんかやっていてもいいのか?」
爺の質問に俺は笑った。
「別にいいんだ。会長が一々指示しなくても、みんな
「それっぽいな」
爺も笑った。
「それより、爺の『王国
俺は爺の顔を
「俺が強くなるのが第一段階。その次は俺が兵士になることだろう?」
「そうだ。ただし、
爺は
「現国王が死んで内戦が起こると、部隊を
「だろうな」
「
「『
歴史の本によると、そういう下剋上も実際にあったらしい。
「でもお前はもう総会の会長になったからな。その立場を利用すれば、
「かもな」
まずは利用できそうな貴族を見つけ出す必要があるか。
「どちらにしろ、現国王が死んだ後の話だ。まだ二、三年くらい
「分かった」
やがて俺たちは薬草採取を終え、山を降りて小屋に向かった。俺は左手で薬草がいっぱい入っている革袋を持ち、右手でアイリンの手を
爺の予言通り二、三年後に内戦が起こるんだとしたら……こうしてアイリンと平和な日常を送るのも二、三年で終わる。残念だけど仕方ない。出来るだけアイリンと
だが……