第七章 拳を一発入れてや



 俺と鼠の爺は一緒に歩いて、『レッド組』のほんきよに入った。

あせくさいな」

 本拠地に入るや否や、爺が不満げに言った。俺は笑ってしまった。

「仕方ないじゃないか。大男たちが毎日身体をきたえる空間だぞ」

「アイリンがこんなところにまらなくてよかったな」

「それは同意する」

 俺と爺は一緒にながすわって、かわすいとうの水を飲んだ。その後、俺は爺の身体に巻かれている包帯を見つめた。

「……爺、だいじようか?」

「大丈夫だ。もうだいぶ回復した」

 爺が無表情で答えた。

「一体何があったんだ? 爺がそんな傷を負うなんて……軍隊と戦争でもしたのか?」

「へっ」

 爺は笑ったが、俺は真面目だ。俺としては爺が傷を負うなんて想像も出来ない。

「情報屋に危険はつきものだ。今回はだんより少し危険度が高かっただけだ」

「いや、だから爺に傷を負わせる人間って一体……」

「『夜の狩人かりゆうど』だ」

 伝説の暗殺集団と呼ばれている夜の狩人。その名を聞いて、俺はかたんだ。

「『天使の涙』の件について、私はお前とは別の角度で接近したのさ。つまり『黒幕』を直接追跡するんじゃなく、やつにやとわれた夜の狩人を追跡した」

「なるほど」

 確かに夜の狩人を追跡すれば、その雇いぬしである黒幕に辿り着くことも出来るだろう。

「で、爺は夜の狩人の暗殺者に負けたのか?」

「負けてねぇよ!」

 爺がカッとなって声を上げる。

「三人を同時に相手したせいで少し傷を負っただけだ!」

「そうだったのか」

 三対一だったとはいえ、爺に傷を負わせるなんて相当な強者たちだ。

「レッド、お前……そもそも夜の狩人が伝説とか言われている理由も知らないだろう?」

「そりゃ暗殺らいに失敗したことが無いからじゃないか?」

 俺が答えると爺が首を横にる。

ちがう。やつらが伝説とか言われている理由は……もうすい退たいしてしまったからだ」

「衰退しただと?」

「ああ」

 爺が無表情で頷く。

「もう数十年以上昔のことだ。夜の狩人は高いほうしゆうの代わりにどんな暗殺依頼も成功させて、裏社会に悪名をせたが……その結果は軍隊によるてつていてきな駆逐だった」

「貴族たちから危険分子あつかいされるようになったのか」

「その通り」

 爺がまた頷いた。

「考えてみれば当然のことだ。貴族はもちろん、王族もいつか自分の首が消えてしまうかもしれないと恐れたからな。そりゃ軍隊でも何でも送って駆逐したくなるだろう」

「確かに」

「それで夜の狩人は衰退してしまい、本拠地を捨てて姿を消した。そしてやつらが見えなくなると、その消息についていろんなうわさが流れて……いつの間にか伝説のような存在になったのさ」

「見えなくなったから、逆に伝説になったのか。皮肉なことだな」

 夜の狩人の裏にはそんな事情があったのか。

「童話やかいだんのようなもんだ。実体が見えないからこそ、いろんな作り話が出来上がるわけだ」

「しかし……やつらはまだ存在している」

「ああ、もう十人も残っていないけどな」

 十人もいないのか。レッド組と同じだな。

「そしてその中の二人が黒幕に雇われた」

「二人?」

「『しろへび』と『フクロウ』だ」

 白蛇と……フクロウ?

「夜の狩人の一員は、みんなそういう名前を使うのさ」

「へっ、俺や爺の名前と同水準だな」

「確かに」

 俺と爺は一緒に笑った。

「黒幕は白蛇とフクロウを雇うためにばくだいなお金を使ったらしい。しかし白蛇はもう死んでしまった」

「まさか……ラズロと一緒に死んだ女の工作員か?」

「ああ、その女が白蛇だ」

 なるほど。

「じゃ、俺と戦った暗殺者がフクロウだな」

「そうだ」

 俺は自分の胸がさわぐのを感じた。やっとやつの名前が分かった。

「フクロウはしゆうと直接せんとうを専門にしている。レッド、お前もやつとの一対一で勝てる保証はないぞ」

「分かっている。だからこそうれしい」

「本当に化け物の思考だな」

 爺はニヤリと笑った後、ふところから小さなびんを取り出して俺にわたした。

「これは何だ?」

どくざいだ。今度フクロウと戦うことになったらそれを飲め。やつの毒にえられるはずだ」

「ほぉ」

「言っておくが、解毒剤の効果は長くない」

「分かった、ありがとう」

 俺は解毒剤を懐にしまった。

「他の情報は無いのか? 黒幕の正体について」

「残念ながら多くない。ただ……どうやら黒幕は王都のたちにも追われているようだ」

「特別調査官のことだろう?」

「知っていたのか?」

「ああ、その一人から聞いた」

 俺はドロシーのことと、かのじよから聞いた情報を簡単に説明した。

「なるほど。じゃ、私の情報はあまり役に立たなかったな」

「いや、いろいろ助かったよ」

 俺は爺の顔を見つめた。

「ちなみに聞くけど、爺と戦った夜の狩人の三人はどんなやつらだったんだ?」

「……それはこの件とは関係ない」

 爺が冷たく言った。

「お前のものはあくまでも黒幕だろう? 夜の狩人じゃなくて」

「ま、そうだな」

 爺は自分の戦いについては話したくない様子だ。れないでおこう。

「あ、そう言えば……爺にもう一つ聞きたいことがある」

「何だ?」

「もしかして、この都市の隠し通路について知っているか?」

「隠し通路?」

 爺が眉をひそめた。俺はゼロムから聞いた話を簡単に説明した。黒幕の手下たちが、隠し通路を通じてこの都市を出入りしたのかもしれないと。

「隠し通路か」

 爺は少し考えてから口を開く。

「……心当たりが無いわけではない」

「本当か?」

「あくまでも推測だけどな。この都市の詳しい地図を持っているか?」

「それならロベルトが持っているはずだ」

「じゃ、ロベルトの事務室に行こう」

「ああ」

 俺と爺は席から立ち、レッド組の本拠地を出た。俺は爺の調子が心配になったが……爺の足取りは軽い。それを見て俺は安心した。

---

 しばらく後……俺と鼠の爺はかくとう場の事務室に入って、ロベルトに会った。

「鼠のじいさん、そのおは?」

 ロベルトも爺の負傷が信じられないという反応だ。爺は「情報探しの途中、少しごとがあった」と説明した。

「それより、この都市の地図を持っているか?」

「地図ならありますが」

 ロベルトは自分の机の引き出しから大きな地図を取り出し、机の上に広げた。爺はその地図を注意深く見つめる。

「何をお探しですか?」

「どうやら爺には隠し通路について心当たりがあるらしい」

「隠し通路って……」

 ロベルトが首を横に振る。

「もちろんその可能性があるのは認めます。でもこの都市で数十年も生きてきた私でさえ、そんな隠し通路のことは聞いたことがありません」

「数十年の話じゃない。少なくとも百年以上昔のことだ」

 爺が冷たく言った。

「二人共、『たん戦争』のことは知っているだろう?」

「ああ、本で読んだことがある」

 おれうでを組んで答えた。

「確か『国王』と『女神教の教会』が対立して、結局国王の勝ちで終わったふんそうだろう?」

「そうだ」

 爺がうなずく。

「その原因や経緯については複雑な問題がからんでいるが……大事なのは『異端戦争の間、女神教の信者たちは異端にんていされてはくがいを受けた』という事実だ」

 迫害か。

「迫害を受けた信者たちは、自らのしんこうを守るために『地下礼拝堂』を作ったのさ」

「それが隠し通路につながるのか」

「ああ」

 なるほど。

「私は昔、『異端』の生き残りたちと少し絡んだことがあってな。この南の都市にも地下礼拝堂と『だつそうのための隠し通路』が存在するのは確かだ。問題は……その位置だ」

 爺は指で地図の上をなぞる。

「港とその周辺はもう調査済みなんだろう?」

「ああ、細かく調べたけど何もなかったよ」

「じゃ、そっちは除外して……北西の方はどうだ?」

 俺は首を横に振った。

りんせつ領地に繋がる陸路の周りは全部調査済みさ」

「そうか」

 その時、ロベルトが地図のある一点を指さす。

「この旧市街はどうでしょうか。ここなら古くからの建物が多いし、可能性はあると思いますが」

 俺はあごに手を当てた。

「確かにそこはまだ詳しく調べていない。でも都市のど真ん中なのに隠し通路があるのかな」

「逆にもうてんだったのかもしれません。百年前の人々にとっても、私たちにとっても」

「なるほど」

 今まで俺たちは都市の外側を優先して調べてきた。しかし隠し通路は……逆に中心部に存在しているのかもしれない。

「明日から調べてみよう」

「はい」

 ロベルトは頷いてから、爺を見つめる。

「鼠の爺さんは、私の屋敷でしばらくごりようように専念してください」

「そうさせてもらう」

 爺は意外となおに頷いた。アイリンもロベルトの屋敷にいるし、そうした方がいいだろう。

 俺はもう一度地図を見つめた。この南の都市は本当に広大で、旧市街だけでもなみの町より広い。しかし南の都市の裏組織の大半は、もう俺の指揮を受けている。ドロシーの兵士たちも協力してくれているし、旧市街を細かく調べるのも不可能ではない。

 そして隠し通路を見つけたら、俺は『黒幕』に辿り着ける。

---

 翌日の朝から大々的な調査が行われた。俺は数百の人を連れて旧市街の内部を細かく調べた。ここの市民たちには悪いけど。

 そして調査開始から三日目のことだった。組織員たちといつしよに旧市街を見回るちゆう、俺は少しみようなものを見つけた。

「あれは……」

 近づいてみたら、それは小さくて古い墓地だ。しかも建物のかげに隠れていて、つうに歩いていたら視線が届きにくい場所だ。

 墓地の中央には小さなれんづくりの建物があり、その中には地下への階段がある。地下でひつぎを保管しているんだろう。

「レイモン、ランタンを用意しろ」

「はい」

 組織員たちを率いて階段を降りたら、多くの棺が見えた。一見普通の墓地に見えるけど……。

「これは……」

 俺はランタンで地面を照らした。そこには何の痕跡も無い。しかし逆にそれがあやしい……!

 もちろん普通の墓地ならはかもりそうをするはずだ。だがここは内側も外側もほこりだらけで、もう捨てられた墓地に見える。それなのに地面だけがれいだ。まるでだれかが自分の痕跡を消したかのように。

 俺は左手でランタンを持ち、右手でれんの壁をなぞった。どこも埃だらけだが……。

「あ……」

 思わず声を出した。他と比べて、明らかに綺麗な煉瓦がある。

みな、後ろに下がれ」

 俺は組織員たちに指示してから、綺麗な煉瓦を思い切ってった。すると……壁に大きな穴が空いた。ランタンでその中を照らしたら、広い階段が見える。

 慎重に階段を降りると、広い空間に辿り着いた。その空間の真ん中には精密に作られた女神の彫刻がある。ここが……『地下礼拝堂』に違いない。

「……ついに見つけた」

 俺は顔にみをかべた。女神の彫刻の向こうに大きなとびらがあったのだ。『隠し通路』への扉だ。

---

 俺からの知らせを聞いて、ロベルトとドロシーはすぐ『地下礼拝堂』までけつけてきた。

「地下礼拝堂……本当に存在していたのですね」

 用心深く周囲を見回しながら、ロベルトがつぶやいた。

「しかしこれを作った信者たちはどこに行ってしまったのでしょうか?」

「さあな」

 俺はかたをすくめた。

「何らかの理由でみんな死んでしまったのかもしれないし、そこの隠し通路を使ってげたかもしれない」

 地下礼拝堂の奥には大きな扉があり、その向こうには……暗い通路がどこまでも続いている。

「王室直属の騎士様なら、何か知っているんじゃないのか?」

 ドロシーに向かってそう言うと、彼女は首を横に振る。

「残念だけど、私も何も知らない。異端に関する情報は機密扱いだ」

「機密扱いか」

「それより……これから隠し通路にとつにゆうするつもりなんだろう?」

 ドロシーの目つきがするどくなる。

「誰が先に入るんだ?」

「もちろん俺と俺の組織だ」

 俺は『レッド組』の組織員たちをちらっと見て答えた。

わなや待ちせがある可能性が高い。俺たちが先に入って、道の安全を確保する」

「その判断に不満は無いが、私も一緒に行く」

 ドロシーの発言に俺は少し驚いた。

「あんたも?」

「もちろんだ。この件に関して、私とお前は対等な関係だということを忘れたか?」

「それは分かっているけど……あんたの命は保証できないぞ」

「騎士をめるな、レッド」

 ドロシーがこおりつくような声で言った。

「へっ、分かった。一緒に行こう」

「ああ」

 ロベルトに後方の安全確認をたのんで、俺たちは通路に突入する準備に入った。ランタンとつるはし、スコップなどはもちろん、万が一のために非常食も必要だ。

 準備が終わると、俺はレッド組の組織員たちをもう一度ながめた。みんなかくを決めてゆうかんな顔をしている。本当にたよれるやつらだ。

 しかしたった一人だけ……気になるやつがいる。

「……デリック」

「はい、ボス」

 デリックはるぎないまなしで俺を見つめてくる。

 ここ数日間、デリックは誰よりも誠実に働いた。かれに残された命はあとわずかなのに……もう誰にも負けないというはくだ。他の組織員たちもそんなデリックのことを認めている。

 だが、いくら気迫が強くても……デリックは明らかにすいじやくしている。

「たぶん何時間も歩かなければならないし、敵が待っている可能性も……」

ぼくも一緒に行きます」

 俺の意図を読んで、デリックがそう答えた。

「……分かった」

 もう何も言うまい。俺は七人の組織員、そしてドロシーと一緒に暗い通路へみ入った。

---

 通路はひたすら暗く……長い。

 俺はドロシーと二人で先頭を歩いた。なるべく慎重に、そしてなるべくじんそくに進んだ。

 通路自体は意外と広くてがんじようだ。かべはしっかり煉瓦で作られていて、長い年月にも耐えられるようになっている。しかもどういう構造なのか、かんも悪くない。

「よくも作ったな」

 ドロシーが呟いた。俺もその感想に同感だ。こんな通路を作るために一体何年かかったんだろう? 五年? 十年? いや、それ以上かもしれない。

「ドロシー、あれを見ろ」

「あれは……」

 俺とドロシーは同時に立ち止まった。遠くから……白い光が見えてきたのだ。

 慎重に近づくと、それは地上からの光だった。通路のてんじように穴が空いていて、そこから日差しが入ってきている。たぶんかんこうなんだろう。

「これはただ脱走のための通路ではないな」

「俺もそう思う。ただ脱走するためなら、ここまでつくむ必要は無い。たぶん百年以上昔の人々も……何度もこの通路で都市を出入りしたんだろう」

「そう見てちがいないだろう」

 それからも所々に換気口があった。いくつかはれきふさがれて使えなくなっていたけど、別に換気には問題が無い。

「レッド、そろそろ都市の外なのではないか?」

「ああ、その通りだ」

 この通路が一直線だと仮定すると……俺たちの進行速度からして、そろそろ都市の外だ。しかしまだ通路は終わらない。一体どこまで続いているんだ?

「少しきゆうけいするか」

 俺たちは通路に座って休憩に入った。万が一に備えて、皆の体力をある程度温存させるべきだ。

「ドロシー、疲れていないか?」

「問題ない」

「へっ、流石さすが様だな」

 俺がニヤリとすると、ドロシーが冷たい視線を送ってくる。

 ほんの少しの休憩を終えて、俺たちはまた進み始めた。そしてしばらく後……異変が起きる。

「レッド、道が……」

「ああ、上り坂になっている」

 いつの間にか通路は上り坂になっている。しかし不思議にも地上は見えない。ということは……。

「俺たちはたぶん北の山脈に向かっている」

「じゃ、この通路は山のどうくつに繋がっている可能性があるな」

 この通路は完全なる人工物ではなく、自然の洞窟を利用したものかもしれない。

「やっぱりか」

 その予想は当たった。とつぜん『煉瓦の壁』が『がんぺき』に変わり、『通路』は『洞窟』に変わったのだ。しかもそれだけではない。かすかだが……風が感じられる。

 俺たちは身を引きめた。出口が近いと、みんな直感的に気付いた。

「あ……!」

 誰かがおどろきの声を上げた。しかしその声は俺たちの方からではない。くらやみの向こうから……誰かが俺たちの存在に気付いたのだ!

 そしてその誰かは……背を向けて走り出す。

「やつを追え!」

 指示を下し、俺も走り出した。たぶんやつは『黒幕』の部下だ。めんどうなことになる前に、ここで制圧するべきだ!

 ランタンの光に頼って、俺は暗い洞窟の内部をしつそうした。俺に追われているやつも同じく必死に走っているが、少しずつきよが縮まっている。

 白い光が見えてきた。洞窟の出口だ。俺に追われているやつは出口をくぐり、俺もその後を追ったが……いきなり岩石が落ちてきて、ごうおんと共に出口を塞いでしまう。

「ちっ!」

 やつらは万が一に備えて、いつでも洞窟の出口をふうできるようにけておいたのだ。

「レッド!」

 ドロシーと組織員たちが駆けつけてきた。

「レイモン、つるはし!」

「はい!」

「みんな、下がれ!」

 俺はレイモンからつるはしを受け取って、出口を塞いでいる岩石を思い切って叩きつけた。

「うおおおお!」

 二回、三回……そして四回目、岩石が粉々になって飛び散る。俺はレイモンにつるはしを返して洞窟を出た。

「どこだ……?」

 外はまぶしい。俺は逃げたやつの痕跡を探した。地面に縄や板などが落ちている。たぶん岩石を落とす仕掛けに使われたものだ。

「こっちだ!」

 俺はあしあとを見つけて、それをついせきした。ドロシーと組織員たちも俺に続く。

 予想通り、ここは山のおくだ。俺たちは数時間も歩いて、南の都市から北の山脈まで移動したわけだ。

 険しい道を走り続けると、山のがけに沿うように建てられた建物が見えた。木造の建物だ。さっき逃げたやつはこの中にいるだろう。俺たちは戦闘を予感し、しんちような足取りで建物に近づいた。

「レッド」

 そばからドロシーが小さな声で俺を呼んだ。

「この建物、規模が……」

「ああ、本拠地にしては小さすぎる」

 俺は頷いた。一階建ての建物は、せいぜい十人程度が生活できる規模だ。黒幕の本拠地にしては小さすぎる。

「地下室が広いのかもしれないが、たぶん本拠地ではない。ちゆうけいきよてんなんだろう」

 それを確かめる方法は一つしかない。俺は建物の扉を蹴っ飛ばし、罠が無いことをかくにんしてから内部にしんにゆうした。

 建物の内部には十数人の男が並んでいた。全員ふくめんで顔をかくして、手に武器を持っている。

「やつを殺せ!」

 一番後ろの男が命令すると、他のやつらが俺にかかってくる。俺はこぶしを振るってやつらの顔面を強打した。

「ボス!」

 組織員たちも建物に入ってきて、俺に加勢する。ドロシーもこしからさいけんいて戦い始める。

「ぐおおおお!」

 俺はナイフを持っている男の横腹を蹴った。やつはあばらが折れて、そのままたおれたが……すぐ起き上がる。

「レッド、こいつらは……!」

 ドロシーがきんぱくした声でさけぶ。

「ああ、実験のせいしやたちだ!」

 こいつらは……俺と戦った時のデリックと同じだ。『天使のなみだ』の実験に利用され、自分の意志はほとんど無いまま……ただ殺意だけで動いている。拳でなぐられようが細剣でされようが、構わずこうげきを続ける。おかげで俺たちは苦戦をいられる。

「ぬおおおお!」

 こいつらを倒すためには、意識を完全にうばうしかない。俺は正面の男の武器を蹴っ飛ばし、右手でそいつの首をつかんだ。やつは少していこうしたが結局倒れてしまう。

「はあっ!」

 組織員たちが俺をして、敵を武装解除させて首をめる。一番強いレイモンはもちろん、衰弱しているデリックも勇敢に戦う。

「ちっ!」

 後ろで命令を出していた男はせんきようが不利になると、ばやく階段を降りて地下室へ逃げてしまった。俺はみんなと一緒に逃げた男を追った。

 地下室は広く、化学実験道具が散らばっている。逃げた男は大きな机の前に立ち止まり、俺をにらんでくる。男の後ろには多くの文書が積まれている。

 俺は男の目を注意深く見つめた。この男は俺と洞窟でそうぐうしたやつだ。しかもこいつだけ天使の涙による実験を受けていない。たぶんこのきよてんの管理者なんだろう。

「お前がここの管理者なんだな?」

 俺の質問に、男は何の反応も見せない。

「薬物の黒幕……つまりお前のボスはどこだ? 素直に話せば命だけは助けてやる」

 一階に倒れている実験の犠牲者たちは、たぶん黒幕について何も知らない。具体的な情報を持っているのはこいつだけだ。何としても白状させなければならない。

「早く返事しないと、お前を……」

「ふふふ」

 男がいきなり笑い出す。それはあきらめた人間の笑いではなく……悪意に満ちた笑いだ。俺がその事実に気付いたしゆんかん……男は机の上の化学実験道具を地面にたたきつけて、その上にランタンを投げ出す。

「こいつ……!」

 薬品のせいでまたたほのおが燃え上がり、周りの全てを焼きくし始める。男はもちろん、やつの後ろに積まれていた文書も炎に包まれる。やつは自分自身をふくめて黒幕に関する情報を全てしようめつさせたのだ。

「ボス、ここは危険です!」

「くっそ!」

 炎の勢いが強すぎる。ここにいては全員危ない。くやしいけど、みんなを連れてだつしゆつするべきだ。

「うおおおお!」

 その時、組織員の中の誰かが……燃え上がる炎に飛び込んだ。それは……デリックだった。

「デリック!」

 俺があわてて叫ぶと、デリックが炎の中から飛び出てきた。彼はまだ燃えていない文書をかかえている。

「くっ!」

 俺はデリックを抱えて、みんなと一緒に地下室から抜け出した。しかし炎はもう建物全体を燃やそうとしている。組織員たちは実験の犠牲者たちを背負って建物から脱出し、俺もその後を追った。

「おい、デリック! しっかりしろ!」

 燃え上がる建物の前で、俺はデリックを見下ろした。もう衰弱していた彼は……全身に火傷やけどを負っている。

「デリック!」

「ボ、ボス……」

 デリックが細い腕を動かし、俺に文書を渡してくれた。

「デリック!」

「僕は……役に……」

 それがデリックのさいの言葉だった。

---

 北の山脈の奥……けものの道すら無い場所に深い谷がある。

 その谷のことは、地図にもくわしくっていない。たぶんこの地方の人間ですら正確な位置を知らないだろう。だから誰もが『人の手が届かない場所』だと思ってきたはずだ。でも実は……その谷には百をえる人間が住んでいる。

 やつらは木造のとりでを建設し、やりや弓などで武装して、十分なしよくりようちくしている。まるでさんぞくの群れだが、山賊とは違ってりやくだつはしない。その代わり……薬物を広めている。

 そう、この砦こそが……『黒幕』のほんきよだ。やつはここで様々な計画を進行させて、多くの人を苦しめてきた。だがそれも今日までだ。

 夜の暗闇にまぎれて、俺と俺の組織員たちは砦に接近した。そして見回りしているやつらを後ろから奇襲し、首を絞めて制圧した。

「レイモン」

「はい」

 しげみに身を隠したまま、俺はレイモンと話した。

「あちらのやぐらが見えるか?」

「はい」

「俺が暴れている間、お前はあれを制圧しろ。その後は……分かるな?」

「はい、問題ありません」

 レイモンはいつもより強い気迫を発している。いや、レイモンだけではない。組織員たちはみんな……死んだデリックの覚悟を受けいだ。

 人間って不思議なものだ。きように支配されたら、大男もあかぼう同然になるけど……一度覚悟を決めたら、すさまじい力を発揮する。これが……人間の底力なんだろうか。

 音を立てずに砦に近づくと、一人の男が壁の上からこっちをかんしているのが見えた。俺は地面から石を拾って力いっぱい投げた。

「うっ!?

 壁の上の男は頭に石が当たり、あつなく倒れてしまう。その直後、俺は全力でとつしんして……壁に向かって飛び上がった。

「はっ!」

 木造の壁のとつしゆつした部分を掴み、体重を移動させて登る。俺のあくりよくきやくりよくならこれくらい簡単だ。

「さて……」

 数秒後、俺は壁の上に立って砦の内部を見下ろした。

「一暴れしてやる」

 月明かりを浴びながら、俺はちようやくした。そして夜の冷たい空気の中を飛び……勢いよく砦のど真ん中に着地した。轟音がとどろき、敵の視線が俺に集まる。

「何なんだ!?

「こ、こいつ……!」

 敵の顔にきようがくとうわく、そして恐怖が浮かぶ。俺としては……最高に気持ちいい瞬間だ!

「うおおおお!」

 たけびを上げながら、俺は一番近くのやつの顔を掴んで投げ飛ばした。そいつは他の二人にげきとつし、三人共気を失う。

「て、てきしゆう! 敵襲だ!」

「敵が現れた!」

 敵が俺の前に集まってくる。全員槍で武装していて、それなりに訓練を受けたような動きだ。だが今日の俺は……誰にも止められない!

 俺は三人の敵に突進した。そいつらは槍で俺を刺そうとしたが、俺は空中に跳躍して、やつらの頭上まで飛んだ。

「ぐおおおお!」

 着地しながら真ん中のやつを踏みにじった。そしてすかさず両手で左右のやつの頭を掴み、そのまま激突させた。それでまた三人が倒れる。

「この化け物……!」

 他のやつが俺に攻撃してきたが、俺はやつの槍をけて横腹に拳を入れてやった。

「がはっ!」

 あばらが折れたやつを持ち上げて、並んでいる四人に投げ出す。それでやつらの隊列が乱れると、俺はとつげきして拳をるう。頭に一発、みぞおちに一発、心臓に一発、腹に一発……瞬く間にまた四人が倒れる。

「ゆ、弓兵! 早く!」

 弓を持っている男が現れ、俺をねらって矢を放つ。俺は素早く右に移動して矢を避け、そこに落ちていた石を拾って投げた。弓兵は顔面に石がぶつかり、血を流しながら倒れる。

「お、おい! 正門が開かれたぞ!?

 敵がさらなる混乱におちいる。俺が暴れて敵の注意を引いていた間、レイモンと組織員たちがこっそり動いて砦の正門を開いたのだ。そして開かれた正門を通じて……武装した兵士たちが突入してくる。

「やつらをちくせよ!」

 兵士たちを率いているのはもちろんドロシーだ。しゆうを成功させるために、かのじよの部隊はわずか三十人程度だけど……全員ゆうもうだ。

「実験体を出せ!」

 だが敵もはんげきを開始する。砦の真ん中の建物から数十人のくつきような男が飛び出てきたのだ。そいつらは全員薬物に中毒され、意志の無いまま戦わされている。

「レッド!」

 ドロシーが俺に近寄った。

「ここは任せて、お前は黒幕を追え! やつを……絶対逃がすな!」

「ああ、もちろんだ!」

 俺は真ん中の建物に向かって突進した。敵は慌てて俺を追いかけようとするが、ドロシーと彼女の兵士たち、そして俺の組織員たちによってされる。

 建物の中に侵入した俺は、かかってくる敵をげきしながら奥に向かった。奥には作戦室みたいな広い部屋があり、すみに地下への階段がある。

「地下か」

 じようきようと建物の構造からして、黒幕は地下へ逃げたにちがいない。俺は壁にかけられていたランタンを手に持ち、地下への階段を降りた。

---

 長い階段が終わると、暗い通路が見えた。たぶん黒幕がここに砦を建てた時、万が一に備えて作った脱出通路なんだろう。

 俺は通路の中を全力で走った。ここまできて黒幕をのがすわけにはいかない。必ず仕留めてやる!

「うっ!?

 俺は反射的に後ろへんだ。暗闇の中から何の音もなくたんけんが現れ、俺の首をろうとしたのだ。

「くっ……!」

 背筋が冷たくなり、首筋から血が流れてくる。かいがほんの少しでもおそかったら……俺はもうやられている。

「……やっとお出ましか」

 俺を奇襲した敵の気配が感じられない。でも気配が感じられないからこそ……逆に敵の正体が分かる。

 やつは伝説の暗殺集団『夜の狩人かりゆうど』……その中でも奇襲と直接せんとうを専門にしている暗殺者。俺の目の前で二人の人間を殺し、俺に傷を負わせた敵。その名は……。

「『フクロウ』」

 俺は暗闇に向かって敵の名前を呼んだ。だが何の返事も返ってこない。

 地面にランタンを置き、ふところから小さなびんを取り出して緑色の液体を飲んだ。じじいからもらったどくざいだ。これでフクロウの毒に少しえられる。

 そして俺が一歩前に進んだ時、また短剣が音もなく現れて俺の首を狙う。だが今回は俺の方もしっかり備えている。

「はっ!」

 短剣を避けると同時に蹴りを入れる。その反撃は防がれたが、俺は暗闇の中で動いているフクロウの姿をとらえた。

 暗い通路の中では視覚が制限される。しかもフクロウの動きはほとんど音がしないからちようかくばかりに頼ることも出来ない。視覚と聴覚はもちろん、しよつかくきゆうかくまで使ってやつの姿を追い続けなければならない!

 俺はフクロウの横腹を狙って拳を振るった。フクロウはその攻撃をかわさず、俺の肩を狙って短剣を振るう。あの夜の再現……に見えるが、これは俺の罠だ。

「はあっ!」

 身体をねじって短剣をかわし、フクロウの手に蹴りを入れる。それでフクロウは短剣を落としてしまう。

「うおおお!」

 この機会を逃すわけにはいかない。俺は大きく踏み込んでいちげきを放った。だがフクロウはその一撃をぎりぎりのところで回避し、俺の足に下段蹴りを入れる。それで俺のきんこういつしゆんくずれると、上段まわりで俺の頭を強打する。

「くっ!」

 俺はしようげきあと退ずさった。美しいほどの蹴りだ。こいつは……本当に強い。

「へっ」

 危険な状況なのに、不思議にも楽しい。強敵と命をかけて戦うこの瞬間が……俺には楽しすぎる!

「行くぞ」

 俺はもう血まみれになったはだいだ。そして全身の力を集中し、身体のせんざい能力を引き出した。爺からぬすんだ『ぜんしんぜんれいの動き』……これで決めてやる。

「……何?」

 だがその時、俺は驚いて目を見開いた。フクロウが俺とまったく同じ構えで……全身の力をめ始める!

「お前が、爺の技を……?」

 おれの言葉にフクロウは拳で答える。間違いない。やつは……爺の全身全霊の動きを使っている。

「うっ!」

 瞬く間に何度も殴られた。全身に衝撃が広がる。このままでは危ない。俺は気合を入れ直してフクロウにたいこうした。

「ぐおおおお!」

 俺とフクロウは人間の限界を超えるわんりよくと速さを手に入れ、激突し続けた。わずか数秒で無数のこうぼうが交差する。しかも一発一発が全部必殺の攻撃だ。

「ぬおおおお!」

 俺のこんしんの一撃を、フクロウがとんでもない速さで回避する。それで俺の拳は後ろのいしかべに穴を開けてしまう。そのすきを逃さずにフクロウは俺の腹に蹴りを入れるが、俺の反撃がフクロウの顔面を強打する。

「ちっ……!」

 結局一分後には……二人共ボロボロになってしまう。俺もフクロウも全身に傷を負って、もうまっすぐ立っていることすら出来ないほど気力を失う。

「うおおおお!」

 力をしぼり出して攻撃すると、フクロウも必死の反撃を放ってくる。まんしんそうの二人は一歩も引かずに戦い続ける。どちらかの命が終わるまでは……この戦いは終わらない。