第五章 腐敗した都市の中で



 夏のど真ん中、俺は組織員たちの鍛錬に専念した。

 彼らは順調に強くなっている。そして格闘場で勝ち続けている。このままだと俺以外に十連勝するやつも出て来るだろう。

「みんな強くなりましたね」

「そうだな」

 本拠地の一階で、レイモンと俺は訓練している組織員たちをながめた。

「でもやっぱり不思議です」

「何が?」

「いくらぼくたちが強くなっても、ボスとの差が縮まりません。いや、むしろどんどん広がっています」

「ふむ」

 ここ数週間、俺は自分の鍛錬より組織員たちの鍛錬を優先した。それなのに差が広がるなんて、確かに不思議な話だ。でもレイモンのかくとうに関する見識はしんらいできる。

「僕たちとは最初からちがう気がします。特別というか」

「さあな」

 俺はかたをすくめた。

「それより、みんなの結束も強くなったようで安心した」

「そうですね」

「お前がみんなを上手くまとめてくれたおかげだ、レイモン」

「あ、ありがとうございます」

 レイモンの顔にみがかぶ。

 レイモンの誠実さは『レッド組』にとって本当に大事だ。一番年長者のレイモンが誠実に動いてくれるから、みんなえいきようされるわけだ。

 いや、レイモンだけではない。みんなおのおのの長所を活かして組織の原動力になっている。ボスの俺としては本当にありがたい限りだ。

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 強くなっているのは組織員だけではない。ロベルト組の下っ端、トムも同じだ。

 トムはほぼ毎日『レッド組』の本拠地に顔を出して、俺から一時間くらい訓練を受けている。別に本格的な訓練ではないけど、規則的な運動のおかげでトムが少しずつ元気になっているのは確かだ。

 トムは身体こそ弱いが、知識ならなかなかだ。幼い頃、近所から借りてきた本を寝台の上で読みながら過ごしたらしい。訓練の後、俺はトムといつしよに歴史や文化に関して話した。

「そう言えば……」

 トムがふと思い出したように口を開く。

「レッドさんの組織はお店を経営していませんよね?」

「ああ、そうだ」

 俺はうなずいた。レッド組はそこら辺の裏組織とは違って、直接せつを経営してはいない。

「じゃ、運営資金に困っていらっしゃいませんか?」

「正直に言えば、結構困っている。何しろ俺はもう格闘場で戦っていないからな」

「やっぱりそうですよね」

 トムが頷く。

「レッドさん、いつかおじようさんと一緒に食事した食堂を覚えていらっしゃいますか? 自分の姉が働いているところです」

「もちろん覚えている。小さいけどいいところだった」

 俺はアイリンとトムと一緒ににわとり料理を食べたことを思い出した。楽しい一日だった。

「実はそこの店主さんが、食堂の経営権をばいきやくして故郷に戻るつもりらしいです」

「つまり、俺がその食堂の経営者になるのも可能ってことか」

「はい。収益はそんなに高くないはずですが、結構安定した食堂です」

 なるほど、確かに悪くないかもしれない。

「トム。うちのリックと一緒に、その食堂の経営状態を確かめてくれないか? 条件がよければ俺が買い取る」

「分かりました!」

 トムが明るい顔で答えた。少しでも俺の役に立ったことがうれしいようだ。

 確かに俺の組織には安定した収入源が必要だ。当面は俺がシェラに格闘技を教えて何とかかせいでいるけど、それにそんするのは良くない。条件がよければ食堂の経営も悪くないだろう。食堂の経営者って、俺には流石に似合わないけど。

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 トムの訓練を終えてから俺は格闘場に向かった。そして道の途中、ロベルトに出会った。

「レッドさん」

 ロベルトが笑顔を見せる。暑い夏なのに、ロベルトのたんせいな顔立ちは相変わらずだ。

「格闘場に向かっていらっしゃるのですか?」

「ああ、組織員たちの試合をかくにんするためにな」

「なるほど」

 ロベルトは頷いてから俺を見つめる。

「ちょうどよかった。レッドさんに話しておきたいことがあります」

「何だ」

「実は……挑戦者が現れました」

「挑戦者? 俺に?」

「はい」

 俺は自分の胸がさわいでくるのを感じた。

「じゃ、久しぶりに戦えるのか。嬉しい知らせだな」

「私もレッドさんの試合が拝見できて嬉しい限りです」

 ロベルトは笑顔で話を続ける。

「挑戦者は『デリック』という若い男で、相手が誰でも構わない……つまりレッドさんと試合しても構わないと言い出しました」

「なるほど」

「彼は二連勝したばかりの新人ですが、試合を観戦した部下の話では結構強いらしいです」

「それは楽しみだな」

 ここ最近、俺は組織員たちを鍛錬させながら有益な時間を過ごした。しかし……ちょっと退たいくつだったのも事実だ。でも強い相手と戦えるという知らせを聞いて、俺の退屈さはどこかに飛んでいってしまった。

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「挑戦者? ボスに?」

 レイモンが目を丸くする。

「誰ですか、その命知らずは?」

「デリックという、二連勝したばかりの新人らしい」

「まだこわいもの知らずなんですね。可哀かわいそうに……」

 レイモンは本当に悲しい表情をする。俺は苦笑した。

「まだ俺の勝利が決まったわけではないぞ」

「もちろんそれはそうなんですが……ボスに勝てる人間なんて、僕には想像も出来ません」

「それはどうかな」

 俺は頭の中で一人の人間をおもい浮かべた。

「あ、そう言えば少し分かりました」

「何が?」

「ボスとの差が縮まらない理由です」

 レイモンはすっきりした顔で言った。

「昨日からずっと考えていたんです。何故なぜ僕たちがいくら強くなっても、ボスとの差は広がるばかりなのかな、と」

 それをずっと考えていたのか。本当に誠実なやつだ。

「最初はボスの身体能力がすぐれているからだと思いました。でもそれだと、僕たちが鍛錬すれば少しは追い付けるはずです。しかしそうではなかった。つまり本当の原因は別にあったんです」

「で、その『本当の原因』は何だ?」

「感覚です」

 予想外の答えに俺は首をかしげた。

「感覚だと?」

「はい。格闘技の技って、いくら簡単なものでも実戦で思う存分に活用するのは難しいと思います。相手も同じ人間だから思い通りに動いてくれないし、一人で練習する時とは全然違いますからね。だからいろんな相手と対戦して、経験を積んでいく必要があると思います」

「そうだな。同意する」

「でもボスは、どんな技であってもまるで何十年も使ってきたように活用します。その動きがあまりにも自然で、迷いがなくて……もう僕たちとは根本的な感覚が違うとしか言えません」

 レイモンが俺を見つめる。

「他と比べて強いとか、才能があるとかの水準ではありません。たぶんボスは戦うために生まれてきた存在です。だからこそみんなボスは無敵だと信じています」

「無敵か」

 俺はかすかに笑った。

「俺だって人間だ。小さかった頃は不良たちに殴られた」

「それは別ですよ」

 レイモンの顔に笑みが浮かぶ。

「そんな子供の頃じゃなきゃ、負けたことなどないですよね?」

「あるさ」

「……はい?」

 レイモンがおどろいた顔になる。

「一体誰に負けたんですか?」

「俺のしようだ」

「ボスの……師匠?」

「ああ」

 俺はねずみのような顔をしている、みすぼらしい老人の姿を思いえがいた。

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 その日の午後、俺は久しぶりに小川の小屋にもどった。

「……あう!」

 アイリンが驚きの顔でけつけてきて、俺の横腹にきつく。

「あうあう!」

「ごめん、ちょっと忙しくてな」

 俺はアイリンの頭をでながらあやまった。

「レッドか」

 小屋の中から老人が姿を現す。俺の師匠であり、俺の知っている最強の戦士……鼠のじじいだ。

「どうしたんだい? こんなボロ小屋のことは忘れたんじゃなかったのか?」

「何言ってんだ」

 俺が苦笑すると、鼠の爺も苦笑する。

「で、今日はどんな用件だ?」

「実は爺に一つ頼みがある」

「頼み?」

 爺がまゆをひそめる。

「何の頼みだ?」

「久しぶりに……俺と対決してくれ」

 しばらくのちんもくの後、爺が笑顔を見せる。

「この無力な老人を殴るつもりか? ひどいやつだな」

「誰が無力な老人だ、まったく」

「ま、分かった。久しぶりだし、少し相手をしてやる」

「ありがとう」

 俺と爺は拳に包帯を巻いて、小屋の前でたいした。ちょうど俺が爺から『一番大事な教訓』を教えてもらった場所だ。

「あう……」

 アイリンが心配げなまなしで俺たちを見つめる。だがもう誰にも止められない。

「さあ、始めようか」

「ああ」

 俺と爺は同時にせんとう態勢に入った。

「へっ」

 俺は思わず笑ってしまった。昔は見えなかったけど……今はちゃんと見えている。爺の小さな身体から発せられている、きよだいもうじゆうのような気迫が。爺の強さはもう人間の域をとっくにえている。まさにちようじんだ。

 俺はあせらずに少しずつきよを縮めた。そして爺の身体が攻撃範囲に入ってきたたん、俺の拳が無意識的に動いて攻撃を始める。

「はあっ!」

 気合と共に一撃を放ったが、爺は足を運んで簡単にける。次の攻撃も、その次の攻撃も……爺の身体にれることすら出来ない。

おそいぞ!」

 俺がほんのいつしゆんすきを見せた時、爺がかみなりのようにとつしんしてきて一撃を放つ。避けることも防ぐことも出来ない一撃……昔の俺を何度もぶっ飛ばしたあの拳だ。だが俺は昔の俺ではない。爺の拳に俺も拳で対応する!

「うっ!」

 二人の拳がげきとつした直後、一歩あと退ずさったのは俺の方だ。

「……やっぱりクソ強いじゃないか」

 俺は苦笑した。きようれつしようげきうでしびれてくる。

「お前も少しは出来るようになったな」

 爺ががおで言った。最強とか無敵、化け物と言われている俺に『少しは出来る』と言えるのは爺だけだ。

「やっぱり……つうの戦い方ではあんたに勝てない」

 俺は体勢を立て直して、ぜんしんぜんれいの力を集中させた。

「お前……」

 爺の顔に驚きの表情が浮かび、俺の顔には笑みが浮かぶ。

「爺のその顔が見たかった」

「自力で……?」

かくしろ!」

 俺は地面をった。そして次の瞬間には、俺は爺の目の前に立って拳を振るっている。

「くっ……!」

 爺がぎりぎりのところで俺の拳を防ぐ。流石さすがだけど……俺の攻撃は止まらない!

「はあっ!」

 この『全身全霊の動き』は……爺からぬすんだ技であり、組織員たちに教えられなかったたった一つの技だ。限界をえて全身の筋肉を動かし、身体にねむっているせんざい能力を引き出す技……これだけは他人に伝授することが出来なかった。

「このろう……!」

 爺がぼうぎよ態勢に入ったが、俺はそのまま爺の小さい身体をぶっ飛ばした。そして爺の足が地面につくよりも早く追い付いて……さらに一撃を放つ!

「うぐっ!」

 爺の身体はまたぶっ飛ばされて、大きな木にぶつかる。俺はそんな爺に止めをそうとしたが……状況が変わる。

「はあっ!」

 爺が俺と同じわんりよくと速さを手に入れ、はんげきしてくる。爺も全身全霊の動きを使ったのだ。

「ぐおおおお!」

「レッド……!」

 俺と爺がぶつかる度に、ごうおんが響く。両者の攻撃はもう岩すらくだけるほどだが、両者共倒れない。

「ちっ!」

 そして先に限界を迎えたのは……俺の方だ。俺は自分の身体から急激に力がけていくのを感じた。

「がはっ……!」

 ほんの少しの差を超えられず、俺の腹部に爺の一撃が刺さる。俺は空中にぶっ飛ばされ、やがて地面に落ちた。気持ちいいほどの完敗だ。

「俺の負けだ」

 俺は空を見上げながら認めた。

「このクソ野郎が……」

 爺は荒いいきづかいで座りむ。

「無力な老人に、無理させやがって」

「へっ」

 おれは笑ってから身体を起こして、爺と同じく地面に座った。

「ありがとう、爺」

「……はあ?」

「爺がいてくれて、俺はまだ最強でも無敵でもない。まだまだ強くなれる。まだまだ上にのぼれる」

「それが確かめたくて老人に無理させたのか? 本当に酷いやつだ」

 俺と爺は一緒に笑った。

「あうあう……!」

 そしてアイリンが俺たちに近づき、なみだにらんできた。俺と爺は苦笑しながら立ち上がった。

「結局最強はアイリンだな、爺」

「まったくだ」

 アイリンに傷の手当てを任せて、俺たちはいろいろ話した。俺としては本当に気楽な一日だった。

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 俺が登場する前から、かくとう場の中はすでに盛り上がっている。

「レッド! レッド! レッド!」

「赤い化け物! 早く出てこい!」

 観客たちはいろんな意味で興奮している。夜だけどまだ暑いのに……本当におもしろい連中だ。

 やがて俺は試合場に一歩足をみ入れ、自分の姿を世に示した。すると観客たちが悲鳴に近い歓声を上げる。

「出た、出たぞ!」

「お前を待っていたんだよ、レッド!」

「くたばりやがれ!」

 久しぶりの試合だからなんだろうか、いつもより歓声とが大きい気がする。ま、俺としてもこれくらい盛り上がった方が気持ちいい。

「ボス、頑張ってください!」

 組織員たちの姿も見える。俺はこぶしを挙げて彼らに答えた。

みなさん、大変お待たせしました!」

 進行係が死力をくしてさけぶ。

「これから十戦十勝のレッド様に、二戦二勝のデリック様がちようせんします!」

 俺は試合場の反対側にいるデリックの姿を眺めた。体格のいい男だ。全身にしっかり筋肉がついている。結構鍛錬してきたに違いない。