「はあっ!」

 シェラが再び上段回し蹴りを放ったしゆんかんおれはそのどうを完全にとらえて……かのじよの足首をつかんだ。そしてその細くてやわらかい足首を強く引っ張った。

「キャー!」

 引っ張られてきんこうくずれたシェラを、俺は後ろからきしめた。もちろんそれはこいびとの優しいほうようではない。

「は、離して!」

 俺はシェラの首にうでを回した。このまま力を入れたら、この生意気な女の子は大変なことになる。

「勝負ありですね!」

 ロベルトが素早く宣言した。娘が心配になったんだろう。俺はシェラを手放した。

「流石レッドさんだ。このじゃじゃ馬……シェラをこうも簡単に制圧した人はレッドさんだけです」

「どうも」

 俺はシェラの方をちらっと見た。シェラはくやしい顔で俺をにらんでいる。

「シェラ、実力の差が分かっただろう? これからはレッドさんの指導を受けなさい」

「……分かった」

 シェラは不服そうな態度だ。

「レッドさん、どうぞ娘をよろしくお願いいたします」

「ああ」

 俺は頷いた。

『格闘技の教師』って、俺としては思いもよらなかった仕事だ。でも条件がいいのは確かだ。何か裏があるかもしれないけど、しばらく務めてやる。

 それに……『裏組織のボスの生意気な娘』に痛い目を見せてやるのも、少しは楽しそうだ。

---

 俺は小屋に戻って、今日の出来事を鼠の爺に話した。すると爺は冷たく笑う。

「ロベルトめ、ざかしい手を使いやがったか」

「何?」

「あいつはお前のゆいいつの弱点をいてきたんだよ」

「俺の弱点?」

 俺はまゆをひそめた。

「分からないのか? お前はまだ女を知らない。それがお前の弱点だ」

「……はあ?」

 そんなものが弱点だと?

「ロベルトの娘はな、見た目は可愛かわいいけどしようあらいという評判だ。こんやくする予定だった相手を殴って追いはらったこともあるらしい」

「なるほど」

 俺はシェラの姿をおもかべた。とてもちようせんてきで、攻撃的な女の子だった。

「だからロベルトは、自分の娘をおさえられる人を探していたにちがいない。そこでお前が現れたんだ」

「まさか……」

「お前と自分の娘を結ぶつもりさ」

 俺とあの小娘を?

上手うまく行けば気性の荒い娘も落ち着かせられるし、お前という強い手駒も手に入る。ロベルトとしては一石二鳥だ」

「……何か裏があるとは思っていたけど、そういうことか」

「ああ、お前はもうわなに引っかかったんだよ」

「何言ってんだ、爺? 俺はまだ引っかかっていないぞ」

 俺の答えに爺がれいしようする。

「だから最初に言ったじゃないか。お前はまだ女を知らない。要するにめんえきが無いんだ。可愛い女の子と二人だけの時間を過ごせば、必ず何かが起きる」

「俺を馬鹿にするなよ、爺。罠だと知っているのに、俺があの子に手を出すわけがないじゃないか」

「へっ、果たしてそんな自制が出来るかな?」

 俺は爺の言葉をえて無視した。

---

 次の日、俺はレイモンと一緒に組織員たちの情報を確認した。

「ほとんどが一人暮らしなんだな?」

「はい」

 レイモンの話によると、レイモンとリックを除けば全員一人暮らしだそうだ。

「個人差はあるけど、みんな生活に余裕がありません。でもがんって格闘技にしようじんしています」

「そうか」

 俺は気付いた。組織員たちが格闘場の選手として戦っているのは、ただ高い報酬のためではない。そもそも報酬が高くても、かれらはせいぜい一ヶ月に一度くらいしか戦えないから生活に余裕が無い。

 みんな格闘技が好きだから戦っている。そんな彼らだからこそ俺にあこがれて、加勢してくれたのだ。

「……レイモン」

「はい」

「本拠地の話だが、港の近くの倉庫を借りた。明日から使える」

「そうですか? 流石ボスです」

 レイモンが明るい顔で俺を見上げる。

「場所を教えてやる。明日の午後、本拠地の前で全員集結できるように」

「かしこまりました」

 レイモンは独創的ではないけど、誠実だし行動力もある。組織員をまとめることに関しては有能だろう。

 そしてみんなに『道を示す』のが、ボスとしての俺の役目だ。

---

 午後になり、俺はロベルトの屋敷に入った。ボスのもう一つの役目である『収入源の確保』のためだ。

「さあ、一時間の授業だ」

 俺は『裏組織のボスの生意気な娘』、つまりシェラに向かってそう言った。

「授業の内容は簡単だ。一時間の間、全力で俺にかかってこい」

「……上等だ!」

 シェラが挑戦的な眼差しで攻撃を始める。俺は昨日と同じく防御に入った。

「はあっ!」

 気合と共に、シェラが連続で回し蹴りを放つ。細い足のわりにはなかなかのりよくだ。しかし俺は軽く受け流した。

「ちっ!」

 シェラは悔しい顔をする。最初からこんしんの攻撃を仕掛けて、俺に一発らわせるつもりだったんだろう。

「まだまだ!」

 それからもシェラは激しい攻撃を続ける。その姿は……ねずみの爺に向かって必死に攻撃を繰り返した昔の俺に似ている。なるほど、こういう感じだったのか。

「はあ、はあ……」

 三十分くらい後、シェラは完全につかれてしまう。彼女の細い体はもうあせまみれだ。

「もう終わりか?」

「くっそ……」

 シェラは地面にすわり込んで悔しがる。負けずぎらいな娘だ。

「明日は……絶対倒してやる……!」

「それは無理だな」

「何でだよ!?

「俺に他の用事があるからだ。次の授業は明後日だ」

 俺はしようした。

「……明後日ね。絶対来てよ」

「分かった。それまでゆっくり休め」

 ま、シェラの見た目が可愛いのは認める。だがロベルトのねらいが分かった以上、その手に乗るわけにはいかない。シェラとはこれくらいの浅い関係を保てばいいだろう。俺はそう考えた。

---

 港の近くで、俺は『レッド組』の組織員たちをながめた。

「全員集まったな」

「はい」

 副ボス格のレイモン、きよかんのジョージ、活発なゲッリト、無口なカールトン、気長なエイブ、優しいリック……みんなそれぞれだけど、格闘技への熱意だけは同じだ。

「あれが俺たちのほんきよだ」

 海岸に向かって立っている大きな倉庫……俺たちはそれに近づいた。

「レイモン、これがかぎだ。開けてみろ」

「はい」

 レイモンは俺から鍵を受け取り、倉庫のとびらを開く。

「おお……」

 組織員たちがたんせいらした。倉庫の内部はとても広くて、よく掃除されている。しかもある程度の家具までそろっている。これはロベルトに感謝しないとな。

「今日からここがお前たちの居所だ」

 俺は本拠地の中に一歩踏み入った。

「俺たちはここでいつしよに生活し、一緒にたんれんする」

 みんなの視線が俺に集まる。

「そしてこの都市のどんな組織よりも強くなる。それが俺たちの目標だ」

「はい!」

 みんな口を揃えて答えた。

「レイモンとリックは家族と一緒に住んでいるから、無理しなくていい」

「いいえ」

 レイモンが口を開いた。

ぼくもリックも一緒に生活します」

 レイモンがそう言うと、リックが頷いた。どうやら俺は……彼らのかくを舐めていたようだ。

「分かった。全員で強くなろう」

「はい!」

 それから俺たちは、本拠地の空間のようについて相談した。基本的に二階が生活空間、一階が訓練場で、おのおのの部屋や食堂、用具室などを決めた。

「よし。本格的な引っしは明日からになるけど、これで一息ついたな」

 俺はみんなを見つめながら頷いた。

「じゃ、これからお前たちの実力を確認する」

「実力を? ボスがですか?」

 レイモンが目を丸くして聞いた。

「もちろんだ。レイモンは俺と戦ったことがあるけど、他はまだだからな。鍛錬の計画を立てるためにも、みんな実力を確認する必要がある」

 俺の言葉に全員きんちようし始める。

「ジョージから前に出ろ」

「は、はい!」

 巨漢のジョージが急いで前に出る。

「当然の話だが、全力でかかってこい。それでなきゃ意味が無い」

「はい!」

 俺たちはこれからもっと強くなるべきだ。そのためには個人の差、くせ、長所と短所をあくして適切な指導をする必要がある。だから俺もシェラを教える時とは違って、真面目に戦った。

 ジョージは俺と同格のきよたいを持っていて、わんりよくらしい。でも自分の体格に頼りすぎて技が足りない。俺はジョージの防御を崩して、頭に一撃を入れる寸前で手を止めた。

「うっ……! さ、流石ボスです!」

 ジョージが頭を下げる。

「次、ゲッリト。前に出ろ」

「はい!」

 それから十五分くらい後、俺は組織員たちとの対決を終えた。やっぱりみんな強い。でも改善の余地はある。

「今日はここまでだ。身体を洗って食事しよう」

 俺たちは街ので一緒に身体を洗い、食堂で食事をしてから別れた。みんな明るい顔だ。これからのことを期待しているんだろう。俺はそんな彼らの姿を見て、覚悟を新たにした。

---

 小屋に帰った俺は、鼠の爺とアイリンに話した。これからは組織員たちと一緒に生活すると。

「やけに真面目だな、お前」

 爺が眉をひそめた。

「俺を信じてくれたやつらの覚悟に、俺もぜんしんぜんれいで応えるべきだ」

 俺がそう答えると、爺は俺の顔をじっと見つめる。俺の覚悟を見定めているようだ。

 無表情の爺とは違って、アイリンは今にも泣き出しそうな顔だ。俺はそんなアイリンの頭をでてやった。

「心配するな、アイリン。組織員たちの鍛錬が一息ついたら、またここで一緒に暮らすさ」

「あう……」

 アイリンの顔が少し明るくなる。

「その言葉、果たして信用できるかな?」

 爺が口をはさむ。

「こいつ、都市での生活に満足して、こんなボロ小屋のことは忘れちまうかもしれないぞ」

「あうあう!」

 アイリンがおこった顔で俺を見上げる。『そんなことしたら絶対許さない!』という意味だ。

「そんなわけがないじゃないか。いい加減にしろよ、爺」

 俺は笑いながら思った。もしごうな屋敷で暮らすことになっても、俺にとって一番気楽なのは結局この小さな小屋かもしれないと。

---

 翌日の朝、俺と組織員たちは本拠地への引っ越しを開始した。みんな荷物が少ないから時間はあまりかからなかった。

「これは東の国の格闘技がさいされている本だ」

 引っ越しの後、俺は組織員たちに格闘技の本を見せた。

「身体をきたえることも大事だが、知識をたくわえることも大事だ。今日からこの本の内容を熟知するように」

「はい」

 組織員たちが答えると、俺はジョージとゲッリトを見つめた。

「ジョージとゲッリトはまだ文字を知らないと聞いたが」

「は、はい」

 二人が少しずかしそうにうなずいた。

「恥ずかしがることは無い。少しずつ学んでいけばいい。レイモン、俺とお前がこの二人に文字を教える」

「はい!」

 それから俺は組織員たちに一対一の対決を指示し、彼らの戦いを観察した。よりくわしい情報を得るためだ。

 今のところ、レイモンがずばけて強い。レイモンの実力が十だとすれば、他は六か七ぐらいだ。でもジョージ、ゲッリト、カールトンは経験を積めばすぐレイモンに追いつくだろう。エイブとリックはもう少し訓練が必要だ。

 対決が終わった後、俺はレイモンとリックを呼び出した。

「リック、お前の家族は果物屋を経営しているみたいだな」

「はい」

「じゃ、これはお前に任せる」

 俺はリックに革袋を渡した。

「今月の運営資金だ。レイモンと二人で相談して使うように」

「は、はい!」

ちよう簿の記録を忘れるな」

「はい!」

 これでしばらくは問題ないだろう。俺は本拠地を出てロベルトの屋敷に向かった。

---

「今日こそ、あんたをぶちのめす!」

 シェラが勢いよくさけび、俺にとつしんしてくる。

「はあっ!」

 下段蹴りと上段蹴りの連続攻撃……確かに動きは鋭い。だが俺は難なく防いだ。

「……ちっ!」

 シェラは悔しい顔でさらに激しい攻撃をり返す。しかし俺には通じない。

 何しろ、シェラと戦うのもこれで三回目だ。この小娘の攻撃経路はほとんど把握している。シェラは素早い連続攻撃が得意だけど、相手に読まれてはあまり意味が無い。

「くっ!」

 十分、二十分……シェラは諦めずに攻撃を続ける。そして三十分の時点で完全に疲れてしまう。

「くっそ!」

 シェラは座り込んで、拳で地面を叩く。よほど悔しいようだ。

「どうして一発も……」

「今日はここまでだな」

 俺はかすかに笑った。

「じゃ、次の授業は明後日だ。また会おう」

 シェラを残して、俺はその場を去ろうとした。しかしその時、何かが聞こえてきた。

「うっ、ううっ……」

 それは泣き声だ。シェラが座り込んだまま泣き始めたのだ。

 俺は無視して足を運ぼうとした。しかし……何故なぜか足が動かない。

「くっそ、めんどうくさい」

 小声で呟いてから、俺はシェラに近づいた。

「おい」

 俺が呼ぶと、シェラがなみだれた目で俺を見上げる。

「何よ?」

「泣くのはお前の自由だが、いくら泣いても強くはなれないぞ」

 シェラの顔が真っ赤になる。

「じゃ、どうすれば強くなれるか教えなさいよ! あんたって教師なんでしょう!?

 確かにその通りだ。俺は内心笑った。

 そもそも俺はシェラと深く関わりたくない。だから適当に相手するつもりだった。でもこれでは教師として失格だし、ロベルトにも少し恩返しするべきだ。

 俺はシェラの真正面に座って、彼女の顔をぎようした。

「お前には二つの問題がある」

「二つの……問題?」

 シェラは手で涙をき、俺の話に集中する。

「一つは、戦い方があまりにも単純だということだ。お前の頭の中には『早く攻撃して早く敵を倒す』ことしか入っていない」

「そ、それは……」

「もちろん攻撃的な戦い方が有効な時もある。しかし『それだけ』だと駄目だ。特に相手との体格の差が激しい時はな」

 シェラは別に低身長ではない。しかし俺とは絶対的な体格の差がある。

「体格の差が激しいから、いくらお前が体重を乗せて攻撃しても俺にはあまり効かない。そういう時ははんげきを狙うか、相手の均衡を崩すか……とにかく別の方法を使う必要がある。しかしお前にはそれが無いんだ」

「……じゃ、もう一つの問題は?」

 さっきまで泣いていたシェラは、もう挑戦的な顔になっている。向上心の高い子だな。

「もう一つの問題は、お前にしんけん勝負の経験が無いってことだ」

「はあ?」

 シェラが眉をひそめる。

「何言ってんのよ? 私だっていろんな相手と……」

「全部父の部下だったんだろう?」

 俺の言葉にシェラは口をつぐむ。

「ボスの娘を相手に、本気で戦えるやつがいるもんか。みんな消極的に戦って、結局お前の攻撃に倒されたはずだ」

「でも……」

「お前が攻撃しか知らないのも当然だ。相手がみんな消極的、いや、ほぼていこうだったから防御する必要もなかったんだろう」

 俺は無表情で話を続けた。

「つまりお前は父のせいを借りて一方的に暴力を振るっただけだ。そんなものを真剣勝負とは呼ばない」

 しばらくちんもくが流れた。そしてシェラはじよじよに落ち込んだ顔になり、うなれる。

「……私はどうすればいいの?」

 自分のちがいに気付いたか。

「お前がそれでも強くなりたいと言うんなら、俺が出来るだけのことを教えてやる」

「本当?」

「ああ。でも今日はもう時間だから、次の授業からだ」

「うん、分かった」

 シェラが頷いた。こう見ると『裏組織のボスの生意気な娘』じゃなくて、つうに良い子に見える。

 俺が地面から立ち上がると、シェラも立ち上がる。

「じゃ、俺はこれで」

「あ、あの……」

「何だ」

「その……ありがとう」

 シェラはほおを少し赤くして、礼を言った。意外となおなところもあるんだな。

 俺は「気にするな」と答えてから、シェラを残して足を運んだ。

---

 本拠地の二階、一番おくの部屋……それが俺の個室だ。

 部屋は広くてしんだいは柔らかい。しかし俺はなかなかねむれなかった。

「へっ」

 俺は別に『場所が変わると眠れない人』ではない。だが鼠のじじいとアイリンのいきが聞こえないのは少しさびしい。

 ま、今生の別れでもないし……時間が出来れば会いにいけばいい。俺はそう思って眠りについた。

 そして翌日、俺は早朝から『レッド組』の組織員たちを連れて鍛錬を始めた。

 まずは体力をつけるために走る。港から海岸まで、海岸から街まで、街から港まで……人々の視線を浴びながら走り続ける。

 本拠地にもどると身体を洗って食事を取る。パンとベーコンなどの簡単な食事だが量は十分だ。

「さあ、かかってこい」

 少しきゆうけいして、組織員たちと対決する。常に彼らの実力を把握しておきたい。

「さ、流石さすがボスです。完敗です」

「よくやった、レイモン」

 六回連続の対決が終わると、各々に必要なことを指示する。文字を知らないジョージとゲッリトには勉強を、経験の足りないカールトンにはレイモンとの対決を、体力の足りないエイブには走りを、腕力の足りないリックには筋力訓練を指示するわけだ。

 食事、休憩、訓練、勉強、対決……どれも大事だ。細かいことは誠実なレイモンと頭のいいリックに任せてもいいけど、大きな方向は俺が決めるべきだ。

「レイモン、かくとう場に行ってくる。ここは任せた」

「分かりました!」

 俺は本拠地を出て格闘場に向かった。組織員たちの試合の日程を確認するためだ。

 港から大通りに出て十五分くらい歩くと格闘場だ。門番が俺の姿を見てすぐ扉を開けてくれた。

「おはようございます、レッドさん」

 格闘場に入るやいなや、トムが近づいてきた。でも今日のトムは何か顔が暗い。

「レッドさん、その……話は聞きました」

「話?」

「レッドさんの試合、全部取り消しになってしまったと」

「ああ、そうみたいだな」

「残念です……」

 トムが項垂れる。

「素晴らしい戦いをもっと見たかったのに……本当に残念です」

 トムは俺よりも残念がっている。ありがたい話だ。

「ま、確かに残念ではあるな。五十連勝くらいしたかったのに」

 鼠の爺の記録をえたかった。しかしこうなっては仕方が無い。

「レッドさんが最強すぎてちようせんしやが無くなるとは、思ってもみませんでした」

「そのうち挑戦してくるやつが現れるかもしれない。その時はおうえんたのむ」

「はい、任せてください!」

 トムががおで頷く。本当にこいつは……どうして裏組織の下っをやっているんだろう?

「トム、お前は何故ここで働いているんだ?」

 俺は疑問を素直に聞いてみることにした。

「こういう言い方はあれだが、お前は裏社会に似合わない人間だと思うが」

「それは……」

 トムは少しまどってから答え始める。

「自分は……ボスに大きな恩があります」

「ロベルトに?」

「はい」

 トムが真面目な顔で頷く。

「自分は生まれた時から身体が弱くて、子供のころはほとんどの時間を寝台の上で過ごしました。姉がそばにいてくれてどうにかえてきたんです」

「そうか」

「しかし……結局自分の薬代のせいで姉が借金を背負うことになりました。それである日、家にこわもての男たちが入ってきて……」

 借金取りか。よくある話だな。

「自分と姉は絶望しましたが……その時、ぐうぜん近くを通っていたボスが助けてくださいました」

「ロベルトが……」

「数年後、少し元気になった自分はボスに恩返しがしたくて組織に入ろうとしました。ボスは身体の弱いやつはらないと言いましたが……自分はボスのしきの前で丸一日頭を下げていました。それでやっと組織に入ることが出来ました」

 そんな事情があったのか。

「自分はいまだに弱いです。そうとか留守番くらいしか出来ません。でもいつかは……」

 トムが俺を見上げる。

「いつかは、レッドさんの半分くらいだけでもいいから強くなって……ボスに恩返しして、自分の家族を自分の手で守りたいです」

「いい心構えだが、それではだな」

「そ、そうですよね。やっぱり自分には……」

「男ならおれの半分くらいとかじゃなくて、『最強になりたい』と言え」

 その言葉にトムが笑う。

「いや、流石にそれは無理です。レッドさんを超えるなど自分にはとうてい無理です」

 俺も笑った。

「……トム」

「はい」

「俺の下で鍛錬してみないか?」

 俺の急な提案に、トムは目を丸くした。

---

『レッド組』のみんなは、本拠地での生活と鍛錬に適応していった。一緒に暮らしてからたった二日目なのに、彼らはもう一心不乱に動いていた。

 朝の訓練の後、俺はレイモンと一緒に組織の運営方針について話した。まだ始まったばかりの組織だし、細かい規則などをしっかり決めておく必要がある。

「そう言えば……」

 ふとレイモンが口を開いた。

「ボスの試合、全部取り消しになったようですね。本当に残念です」

 トムと同じく、レイモンも俺より残念がっていた。

「ボスの試合を見ていると、何というか……勇気をもらいます」

「勇気?」

「はい」

 レイモンが頷いた。

「観客たちの声にもひるまず、おのれの生き方を世に示すように戦う。そんなボスの姿から勇気をもらいます。僕だけじゃなく、組織員たちはみんなそうです」

「なるほど」

 俺の自分勝手な戦いが、他の人の目にはそう映っていたなんて。ちょっと不思議な気持ちだ。組織員たちは……ただ力に対する憧れで俺に従っているわけではないのだ。

「たった一度の人生だからな」

 俺は組織員たちの訓練する姿を眺めた。

「他のやつらに何を言われようが、俺は俺の生き方を変えるつもりは無い。時間がしい」

「流石です」

 レイモンが感心した顔で頷く。

「その、ボスの目標は何でしょうか。最強のかくとうですか?」

「まずはレッド組をこの都市最強の組織に鍛え上げるつもりだ。その次は……」

「その次は?」

「その次は、その時になったら教えてやる」

 俺は微かに笑った。

---

 午後三時頃、俺はこうがいの屋敷に向かった。シェラの授業のためだ。

 俺が屋敷に辿たどり着いた時、ちょうどだれかが正門から出てきた。この屋敷の主であるロベルトだ。

「レッドさん」

 ロベルトはゆうな身のこなしであいさつしてきた。

「ちょうどよかった。ロベルトさん、少し話できるかな?」

 俺はロベルトに近づいた。

「何事でしょうか?」

「トムのことだ。実はあいつを少し鍛錬させてやるつもりだったんだが、どうやらボスの許可が必要らしい」

「なるほど」

 ロベルトが頷いた。

「そういうことならレッドさんにお任せしても問題ないでしょう。トムのことをよろしくお願いいたします」

「ああ」

「じゃ、私はこれで」

 ロベルトは馬車に乗って街の方に向かった。俺は屋敷に入った。

 美しい庭園を通って屋敷の裏側に回ると、健康美あふれる少女が見えた。少女はこぶしすなぶくろなぐっていた。

「頑張り屋だな」

「……レッド!」

 シェラが俺をり向く。俺はかのじよに近づいた。

「約束通り、今日からお前に出来るだけのことを教えてやる」

「うん!」

 シェラは明るい顔で頷いた。さつそく授業開始だ。

「先日話したけど、俺とお前は体格の差が激しい。だからいつぱんてきこうげきで俺をたおすことは難しい」

「うん、分かってる」

「そこで考えられるのが『かんせつ技』だ」

 俺は手をばして、シェラの手をつかんだ。

「ちょ、ちょっと! いきなり何を……」

「じっとしていろ」

 掴んだ手を引っ張ると同時に、外側にひねった。

「痛っ!」

 シェラが短い悲鳴を上げると、俺はばやく彼女の手をはなした。

「このように、人間は関節をひねられると意外と簡単に制圧される。場合によっては直接殴るよりも効果的だ」

「そんなこと、言葉だけで説明してよ!」

 シェラが怒った顔でこうした。

「実際に経験してみるのが一番早く理解できる。つべこべ言うな」

 それから俺はシェラに関節技の基本と応用を教え始めた。

「ち、近すぎるよ……」

 シェラがまた文句を言った。確かに俺とシェラはたがいの体温を感じるほど近い。

「仕方ない。関節技はもともと身体を密着させて使う技だ。それに戦いのちゆう、相手と身体が密着する場合はいくらでもある」

「そうかもしれないけど、ずっと密着しているのは……ちょっと恥ずかしい」

「へっ」

 俺は思わず笑った。

「お前のようなじゃじゃ馬にも恥ずかしいことがあるのか」

「わ、私だって……!」

「つべこべ言うな」

 顔が真っ赤になったシェラを無視して、俺は授業を続けた。

「関節技は腕力よりも頭だ。相手の姿勢や行動を考えて、どこをどれほど押さえるか常に計算するべきだ」

「うん」

 シェラもこのじようきようにだんだん慣れてきて、授業に集中する。

 シェラは向上心もあるし頭もいいむすめだ。基礎訓練もしっかりしているみたいだから、すぐ強くなれるだろう。

「じゃ、今日はここまでだ」

「あの、レッド」

「ん?」

「ありがとう」

「俺は一応教師だからな」

 シェラは何か言いたそうな顔だったが、俺はそのまま屋敷を出た。

---

 その日の夜、俺は組織員たちと共に格闘場に来た。今日はジョージとリックの試合がある。二人を応援するために、俺たちは観客席に並び立った。

「来たな、デカブツ!」

「今日もやっちまえ!」

 やがてジョージが試合場に登場すると、観客たちがかんせいを上げる。結構知名度があるみたいだ。

 俺はフードで顔をかくしたまま、てつもうしにジョージを眺めた。観客席から見る試合場は何かしんせんだ。

「はあっ!」

 試合が始まるや否や、ジョージは相手の選手を追いめる。何しろジョージは俺とほぼ同格の巨漢だ。技は少し足りないけど、広いこうげきはんかした戦いは悪くない。相手はジョージに接近すら出来ないまま殴られ続ける。

「ジョージ様の勝ちです!」

 数分後、相手の選手が倒れてジョージの勝利が宣言された。楽勝だ。俺と組織員たちはジョージにはくしゆを送った。

 それから他の選手たちの試合が二回あって、その後リックの試合が始まる。

「おい、リック! がんれ!」

 ジョージも俺たちに合流してリックを応援した。試合の直後なのに元気なやつだ。

「うっ……!」

 しかしリックは苦戦した。相手が強いのもあるけど、やっぱりまだかいりよくが足りない。もっと筋肉をつけるべきだ。

「はあ、はあ……」

 でもリックはあきらめることなく、あらい息をしながら拳を振るい続ける。組織員の中ではかく的にがらなリックだけど、こんじようだけは誰にも負けない。

「はあっ!」

 相手がリックのはくに怯んだしゆんかん、リックは大きく進んで拳を入れる。そのこんしんいちげきが見事に相手のあごを強打する。

「……リック様の勝ちです!」

「おおおお!」

「よくやったぞ!」

 リックの勝利に観客たちがねつきようする。楽勝もいいけど、こういうそうぜつな勝利は心にひびく。

 今日の主役であるジョージとリックを祝うために、俺たちは本拠地でパーティーを開いた。小さくてぼくなパーティーだ。でも組織員たちはみんな笑顔で楽しんだ。

 やがてかれらは歌を歌い始める。みんななかなかだが、特にエイブはびっくりするほど歌が上手うまい。

「ボスも歌ってください!」

「お、俺?」

 俺は内心あわてた。生まれてから今まで、人の前で歌ったことなどない。

「さあ、早く!」

「……分かった」

 覚悟を決めて席から立ち、文字を勉強していた頃覚えた歌を歌った。戦場に出ている兵士が、故郷のこいびとなつかしがる歌だ。

「流石ボスです!」

「ありがとう」

 俺が歌い終えると、組織員たちが拍手してくれた。俺は自分の顔が元々赤いことに感謝しながら席にすわった。

 俺たちは夜通し一緒に話し合って、一緒に笑って、一緒に眠りについた。

---

 翌日、みんなでほんきよの掃除をしていたら誰かがとびらをノックしてきた。ちょうど近くにいた俺が扉を開くと、そこには小柄の少年がいる。

「来たか、トム」

「おはようございます、レッドさん!」

 俺はトムのことを組織員たちにしようかいした。

「みんなも何度か見かけたことがあると思うが、こいつはロベルト組のトムだ。今日からここで少したんれんさせてやることにした」

「よ、よろしくお願い致します!」

 トムが上気した顔で挨拶した。そんなトムをみんな笑顔でむかえてくれた。

 俺はまずトムを走らせて、体力をためしてみた。予想通り高くはなかったが、トムはとても誠実な態度だ。教えがありそうだ。俺は午前中ずっとトムを鍛錬させた。

 午後になり、俺はトムのことをレイモンに任せて本拠地を出た。そして郊外の屋敷に向かった。

「レッド!」

 短いちやぱつの少女、シェラが明るい顔で俺を迎えてくれる。俺の姿におびえない女の子は、アイリンを除けばシェラくらいだ。

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「何だ」

「あんたが一人で百人を倒したってうわさ、本当なの?」

 シェラがこうの目を向けてくる。俺は首を振った。

「あれはちようされた噂だ。あの戦いで倒された敵は六十か七十人くらいだし、その中で俺が直接倒したのは四十人くらいだ。残りは仲間たちが倒した」

「四十人って」

 シェラがあきれたように笑う。

「あんたって本当に化け物なのね。あ、これはことだからね?」

「どうでもいい」

 俺はしようして授業を始めた。前回と同じく関節技の授業だ。

「暑い……」

 三十分くらい後、強い日差しのせいでシェラはあせをかく。

「あ、ごめん。もしかして私くさい?」

「いいんだ。一々気にするな」

「そうかな……」

 シェラは頬を赤く染める。

 そう言えば……いつの間にか夏が近づいてきた。街の外の風景が緑に染まり、人々の服装が短くなっている。

 この夏、俺はとてもいそがしくなりそうだ。組織員たち、シェラ、トム……みんなを鍛錬させなければならない。

 でもみんなにも俺にも、きっと有益な夏になるだろう。俺はそう確信した。