「ちっ」

 これは本当にめんどうくさくなった。でももう仕方ない。

「おい」

 俺は子供を呼んだ。

「言葉の意味は分かるか? 俺についてこい」

 その言葉を聞いた子供の顔が……明るくなる。鼻血と傷のせいでよく分からないけど、たぶん笑っているんだろう。

「あう、あう……」

 子供はゆっくりと歩いて俺に近づき、手をばす。まるで助けを求めるかのように。

「ちっ」

 爺はもう遠くまで行ってしまった。俺は子供の汚くて小さい手を取って……一緒に歩いた。

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 四人の不良を廃人にして、そいつらに殴られていた子供を連れてきてから一週間が経った。

 この一週間の間、身体を洗って傷をいやした子供はすっかり『女の子』になっていた。つやつやとしたくろかみれいな黒いひとみのおかげでそうめいな子に見える。俺は正直驚いた。

「レッド、お前……まさかそういうしゆだったのか?」

「違う」

 言葉は喋れないけど、女の子は気がいた。ちょっと教えてやっただけなのに、もう小屋のそうとか服のせんたくが出来るようになった。ま、気が利かない子だったらもう町で死んでいたはずだろうけど。

「ふん、全然役に立たないわけではないか」

 女の子が家事を手伝うようになってから、じじいも女の子の存在を少しは認めるようになった。

「で、そいつの名前は何にする気だ?」

「名前?」

「まさかいつまでも『おい』とか『ほら』で呼ぶ気だったのか?」

 確かに爺の言う通りだ。この子にも名前を付けるべきだ。しかし……いい名前が思いつかない。

「そもそも俺は赤いからレッドだし、爺はねずみみたいな顔だから鼠の爺じゃないか。こんなかんきようでいい名前を思いつけるはずがない」

「それは……そうだな。ま、お前が連れてきたんだからお前が考えろ」

 爺は名付けを俺に任せて、出かけてしまった。面倒くさくなったんだろう。俺は一人でいろいろ考えてみたが、いい名前がおもかばない。

 仕方なく小屋の中に積まれている本を手にして、その中でいい名前を探した。すると女の子が近づいてくる。

「……おい、何するんだ?」

 女の子は俺のをして、一冊の本を手に持ってページをめくる。

「お前、どうせ読めないだろう」

「あうあう……」

 俺は女の子が手に持っている本を覗いた。それは……俺が文字を勉強し始めたころ、参考にした童話の本だ。北の国を背景に、騎士がひめを守るために戦うという物語だ。

 文字が読めない女の子は童話のさしだけ見ている。それだけでもある程度の内容は理解できるはずだ。

「あう」

 女の子が姫の挿絵を指さす。美しいドレスを着ている姫の姿が気に入ったんだろう。

「そう言えば……」

 挿絵の中の姫も黒髪に黒い瞳だ。俺の目の前にいる女の子のように。

「この姫の名前は……『アイリン』か」

 アイリン、アイリン。いい名前だ。そう、アイリンにしよう。

「おい」

 俺が呼ぶと、女の子は俺を見上げる。

「いいか。今日からお前は『アイリン』だ」

「あう……」

「アイリン、それがお前の名前だ」

「あうあう!」

 女の子ががおになる。俺の言っていることを理解したようだ。

 夕方になって、帰宅した爺にこのことを話した。すると爺はこつに嘲笑う。

「こんなボロ小屋のひんみんの子に、姫の名前を付けるなんて……いやみか?」

「なら爺がもっといい名前を考え出してみろよ」

「……アイリンっていい名前だな」

「だろう?」

 それで決まった。その日から、女の子は……アイリンは俺と一緒に歩き始めた。

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 アイリンは本当に聡明で勤勉な子だ。一緒に住み始めてから一ヶ月くらい経った今は、もう家事の大半をこなしている。おかげで俺は勉強と鍛錬にもっと集中できるようになった。

 しかし……ずっとこのままでいいのか?

「おい、爺」

「何だ」

「勉強も鍛錬も好きだけどよ、その次の計画は何だ?」

あせるな」

 爺が冷たい視線を送ってくる。

「お前が強くなるのは、第一段階に過ぎない」

「じゃ、第二段階は?」

「お前が兵士になることだ」

「兵士?」

 俺が首をかしげると、爺が頷く。

「ああ、兵士だ。戦争中には兵士の力こそがものを言うからな」

「戦争って……今は平和じゃないか」

 俺の言葉に爺は「お前もまだまだだな、レッド」とちようしようする。

「よく聞け。平和ってものは、次の戦争のための準備期間に過ぎないんだよ」

 言われてみれば確かにそうかもしれない。

「でも、次の戦争が数十年後に起きたらどうするんだ? その時は俺も爺のような老いぼれになっちまうぞ」

「この野郎……」

 爺がにらんでくる。

「お前とは違って私には分かるんだよ。近いうちに、この王国で戦争……しかも内戦が起こる」

「内戦って……」

 俺が疑うと、爺はつえを動かして地面にぶたの絵をえがいた。

「現国王である『パトリック・キネ』はさ、馬鹿の中の馬鹿なんだ。七年前、国王に就任して以来……美味おいしい食べ物を食べて、甘いお酒を飲んで、いい女をくこと以外は何もしていない」

「そいつはうらやましいな」

「おかげでやつの身体は悲惨なことになった。もう自分の足で歩くことも出来ないらしい」

「そいつは羨ましくないな」

 そんな馬鹿がこの王国の頂点なのか。本当にじんな話だ。

「私の予測では、やつは五年以内に死ぬ」

「でも国王が死んだところで、そいつの子供が新しい王になればいいじゃないか」

「それが出来ないのさ。パトリックは自分の子供に権力をじようするための下準備を何もしていない」

「本当にどうしようもない馬鹿だな」

「だが、私たちには役に立つ馬鹿だ」

 爺が気持ちよさそうに笑う。

「馬鹿が死ねば、他の王族たちは権力争いを始める。それが内戦に発展し、その機会をのがさずに隣国も手を出してくるだろう。この王国は今……の危機を目の前にしているんだ」

 俺は頷いた。

「確かに聞いてみればそうだな。でも爺がそこまで知っているのに、えらい連中は何も知らないのか?」

「いや、やつらも頭では知っているさ。ただ……欲に目がくらんでいるだけだ」

 爺の笑顔が嘲笑に変わる。

「欲望のかたまりみたいなやつらが、『王国の危機だから権力欲を捨てて団結する』というせんたくを選ぶと思うのか?」

「それはないな」

「だろう? 欲に目が眩んで、わなだと知っていても自ら飛び込む……それが人間ってものだ」

 俺はまた頷いた。何もかも爺の言う通りだ。

「でもさ、この王国がごくと化すことを顔色ひとつ変えずに予言するなんて……あんた、本当に悪魔だな」

「今更知ったのか?」

 爺が笑う。

「私はこの王国を滅亡させるために地獄から出てきた悪魔だ。そしてお前は悪魔に選ばれた人間なんだ」

「外見だけ見れば、俺の方が悪魔だけどな」

 爺のじようだんに俺も冗談で返した。その時、アイリンが水の入ったコップを二つ持ってきた。

「あう、あう」

 これ飲んでください、という意味だろう。爺と俺はアイリンからコップを受け取って水を飲んだ。

「爺が悪魔なら、アイリンは天使かもな」

「へっ」

 俺は頭の中で爺の予見の実現を描いてみた。王国がほろび、都市や町が軍隊によってじゆうりんされる光景……俺はその軍隊の先頭に立っていた。それはとても気持ちいい想像だった。