「用件じゃなくて、ただいろいろ会話したいだけ」

「俺と?」

「うん!」

 シェラが頷く。

「あんたにはいろいろ聞きたいんだよ。格闘場の試合のこととか」

「へっ、それはお前らしいな」

「どういう意味?」

 シェラが半目になる。

 ま、少し話すのも悪くはないだろう。結局俺はシェラと一緒に庭園まで行って、木の下の長なが椅い子すに座った。

「あんたの試合はいつも凄すごいらしいけど、ちょっと聞かせてよ!」

「分かった」

 俺は今までの戦いを簡単に説明した。シェラは目を輝かがやかせて俺の話を聞いてくれた。

「ねえ、レッド」

 話の途中、シェラが口を挟はさむ。

「あんたはもうそんなに強いのに、まだまだ強くなるつもりでしょう?」

「ああ、そうだ」

「どうして?」

 シェラは真顔で質問を続ける。

「どうしてそこまで強くなろうとしているの? あんたの目標は何なの?」

「俺おれの目標か」

 俺はニヤリと笑った。

「お前にだけ教えてやる。誰にも言うな」

「うん」

「俺は……この王国を滅ほろぼすつもりだ」

「……え?」

 シェラが目を見開く。

「冗談……でしょう?」

「本気だ」

 俺は笑った。

「どうして……王国を?」

 シェラの質問に、俺は少し間を置いた。それを説明するためには……過去を振り返らなければならない。

「見ての通り、俺は肌はだ色いろが人とは違う。おかげでいつも侮ぶ辱じよくされ、いつも殴られた」

 シェラが口を噤んで俺を凝視する。

「最初はただ仕方の無いことだと思っていた。だが、ある貴族との出会いでその考えが変わった」

「貴族?」

「ああ」

 俺は頷いた。

「その貴族は俺を……虫けら以下のクソを見るような目で見つめた。それで俺は分かった。あいつと俺の間には絶対的な壁があって……同じ人間として扱われることは、絶対ないということを」

 シェラが固かた唾ずを呑のむ。

「俺は怒いかりに満ちた。そして俺の師し匠しようがその怒りの行き先を教えてくれた。つまり……この王国を滅ぼし、俺を見下すやつらを全部跪ひざまずかせて……誰が上なのか教えてやるつもりだ」

 しばらくの沈ちん黙もくの後、俺はまた口を開いた。

「そしてこれは俺自身との戦いでもある」

 俺は自分の赤い手を見下ろした。

「自分自身がどこまで強くなれるか、確かめたい。常に強敵と戦って己おのれを高めたい。立ち止まることは俺自身が許さない」

 俺は長椅子から立ち上がった。

「話はここまでだ。また会おう」

 シェラは何も言わなかった。俺はそんなシェラを残して屋敷を出た。

---

 昼はあんなに晴れていたのに、夜になると雨が降り始めた。しかも結構大雨だ。

 こんな大雨の中じゃ、通行人もあまりいないだろう。俺としては都合がいい。

「行くぞ」

 俺の言葉に組織員たちが「はい」と答えた。俺たちは全員フードを被かぶって顔を隠かくしたまま、雨に濡ぬれながら移動した。薬物の売人の隠れ家がに向かって。

 売人の隠れ家は、俺たちの本拠地から意外と近い。俺たちが毎日鍛錬していた間に、やつらは薬物を開発して流通させていたわけだ。

「ここだ」

 港の隅すみに建っている、用よう途と不明の建物。一見ただの捨てられた倉庫に見えるけど、内部から微かすかな光が漏れている。

「突とつ入にゆうする」

 言葉と同時に、俺は扉を蹴けっ飛ばして隠れ家に侵入した。

「な、何なんだ!?」

 薄うす暗ぐらい隠れ家の中には十数人の男がいた。男たちは俺らの襲しゆう撃げきに驚おどろいて、動きが止まる。

「警告する」

 俺はやつらに向かって声を上げた。

「もしこの中に、薬物のせいで無理矢理協力させられている人がいるなら……抵てい抗こうせず降参しろ。抵抗するとその時点から容赦は無い」

 その言葉を聞いて、男たちの目の色が変わる。この襲撃の意味が分かったのだ。

「貴様ら……」

 男たちがこん棒やナイフなどの武器を持ち出す。どうやら誰も降参する気は無いらしい。

「どこのどいつらかは知らんが、全員殺してやる!」

 男たちが攻こう撃げきを始める。武器と数的優位を信じているんだろう。だがそれは過信というものだ。

「はあっ!」

 俺の拳こぶしが先頭のやつの顎を砕くだくと同時に、俺の組織員たちが一いつ斉せいに動く。武器は持っていないけど、毎日戦うために鍛錬してきた強者たちだ。

「うおおお!」

 レイモンが華か麗れいな回し蹴げりで一人をぶっ飛ばし、ジョージとゲッリトは突とつ撃げきしてくるやつらを迎むかえ撃うつ。カールトン、エイブ、リックは立ち止まっている敵に攻撃を仕し掛かける。

「こ、こいつら……うぐっ!?」

 戦いは長く続かなかった。俺たちは何倍の敵も正面から圧あつ倒とうしたことがある。この程度のやつらが俺たちに敵うわけがない。

 俺たちは用意してきた縄で、倒たおれた男たちを拘こう束そくした。そして建物の中を調べ始めた。

「ボス、ここに」

 リックが何かを発見した。それは地面についている蓋ふた……つまり地下室への扉だ。鍵かぎがかかっているが、俺は力で無理矢理こじ開けて地下室に入った。

「これは……」

 地下室の中は……蒸留器やガラス瓶びんなどの化学実験道具でいっぱいだ。それは予想していたけど、規模の大きさは予想以上だ。

「これが例の薬物か」

 入り口付近の机の上に、白い粉末が積もっている。俺はそれを小さな革かわ袋ぶくろに入れた。出来れば分ぶん析せきしておきたい。

「この中の道具……全部海辺に運んで、ぶち壊してから埋まい蔵ぞうしろ」

「はい!」

 組織員たちが化学実験道具を運び始める。道具を残しておけば他のやつら、例えば警備隊に悪用される可能性がある。全部破は壊かいした方がいい。

 一人になった俺は考えに耽った。本格的な薬物の開発、そして人体実験……やっぱりこいつらはただの売人ではない。もっと大きな何かが裏にあるに違いない。

---

 翌日の朝、俺は格かく闘とう場に向かった。そこの事務室でロベルトが俺を待っていた。

「レッドさん」

 ロベルトが机から立って、俺を迎えてくれる。

「本当にお疲つかれ様さまでした」

「ロベルトさん、売人たちの尋じん問もんはどうなったんだ?」

 俺は単刀直入に話した。

「何か情報を得たのか?」

「はい」

 ロベルトが頷く。

「彼らに薬物の開発や実験、流通を指示していたのは……やっぱり警備隊隊長のラズロさんでした」

「そうか」

 腐ふ敗はいした警備隊隊長の横暴……ありふれた話ではある。

「でもロベルトさん、俺はそのラズロというやつが全ての原因ではない気がする」

「……同意します」

 ロベルトの表情が暗くなる。

「欲張りがお金のために悪わる知ぢ恵えを働かせた……にしては、あまりにも本格的です」

「ああ」

 薬物を『流通』させただけなら、お金のためだと説明できる。しかしわざわざ『開発』や『実験』までしたのはおかしい話だ。もうお金より……別の何かが目的だと見るのが妥だ当とうだろう。

「この件に関しては、自分なりに捜そう査さを進めるつもりです」

「俺も調べてみる。ずいぶんきな臭くさくなってきたからな」

 俺の懐ふところには、例の薬物の入った革袋がある。これを分析すれば何か手て掛がかりが見つかるかもしれない。

「じゃ、お互たがい何か分かったら……情報を共有しよう」

「分かりました」

 朝の会話はそれで終わった。

---

 ロベルトと別れた俺は、一いつ旦たん南の都市から離はなれた。そして数時間も歩いて小さな小屋に辿り着いた。

「あう……!」

 アイリンが明るい顔で駆かけつけてきて、俺の横腹に抱だき着く。

「元気にしてたか?」

 俺はアイリンの頭を撫なでてやった。するといきなり後ろから人の気配がした。

「レッドか」

「爺じじい」

 いつの間にか鼠ねずみの爺が近づいてきていた。本当に予測不可能な老人だ。

「今日は何の用件だ? 言っておくけど、対決はもうごめんだぞ」

「安心してくれ。今日は別の件だ」

 俺は懐から革袋を持ち出して、爺に渡した。

「これは何だ?」

「薬物だ」

「薬物?」

「ああ、実は……」

 俺は今までのことを爺に話した。

「爺は優すぐれた情報屋でもあるんだろう? 何か知っているんじゃないかと思って」

「どれどれ」

 爺は革袋を開いて、その中の白い粉末を観察する。

「……これは『天使の涙』だな」

「天使の涙?」

「そうだ」

 爺が頷く。

「ここから海を渡って、ずっと南に行けば『南方大陸』がある。この天使の涙はそこから伝わって来た薬物だ」

「南方大陸のことは本で読んだことがあるけど……」

「そこの国々では、この薬物を持ち歩くだけで処しよ刑けいされる。数多くの人を苦しめてきた代しろ物ものだからな」

 なるほど。

「覚かく醒せい効果、そして一時的な身体強化の効果もある。でも中毒性が強いし、最後は……」

「内臓が壊れて死ぬのか」

「ああ」

 爺が俺に天使の涙を返した。

「俺が捕とらえたやつらは、これを使って何か新しい薬物を開発しているようだった」

「効果だけは確かだからな。副作用を抑おさえて、無敵の軍隊を作る気かもしれない」

 爺が冷れい笑しようする。

「だが、そんな都合のいい薬物があるもんか。作用が強ければ副作用も強くなるのが常識だ」

「そうだな」

 俺が頷くと、爺の顔から表情が消える。

「……注意しろ、レッド。薬物とか人体実験とか……常識の通じる連中のやることではない」

「分かった。慎しん重ちように動くよ」

「へっ、お前が慎重と言ってもな」

 俺は天使の涙を懐にしまった。

 確かに爺の言う通りだ。俺が相手しているのは極きわめて危険なやつらだ。なるべく慎重に動いて……一気に撃げき滅めつするべきだ。

---

 次の日、俺は爺から聞いた情報をロベルトに話した。

「なるほど、薬物の正体は……悪名高い『天使の涙』でしたか」

 ロベルトの顔が暗くなる。

「噂うわさなら聞いたことがあります。ある貴族の子息も天使の涙による中毒で悲ひ惨さんな死を迎えたとか」

「あんたの方は、何か情報を掴つかんだのか?」

「残念ながら具体的な情報は入手できませんでした。ですが……」

 ロベルトは暗い表情で俺を見つめる。

「医者たちの話によると、最近この都市の貧ひん民みんの中に……突然死した人が結構いるみたいです」

「その原因がこの天使の涙だと?」

「ま、貧民たちですからね。死んでも一々調査しませんし、確証があるわけではありません。ですがグレッグさんは薬物による中毒死の可能性が高いと言いました」

 しばらく沈黙が流れた。

「……私も正直驚きました」

 ロベルトが視線を落とす。

「もちろんここは、昔から危険な匂いが漂う都市でした。しかし同時に活気溢あふれる姿も持っていて、人々が集まる魅み力りよくがあります。それなのにいつの間にか……内部から薬物が広がっていたとは」

 ロベルトが本気でこの都市を案じている。裏組織のボスだが、彼かれの気持ちに嘘うそ偽いつわりは無い。

「もっと早く気付くべきでした」

「後こう悔かいしても無む駄ださ。これからのことを考えよう」

「はい」

 その時、誰だれかが事務室の扉をノックした。ロベルトが「入れ」と言うと、扉が開かれてロベルトの部下が姿を現す。

「ボ、ボス……お客さんがいらっしゃいました」

「客? 誰だ?」

「それが……」

 部下は慌あわてた様子だ。

「ビ、ビットリオさんが……多数の組織員を連れていらっしゃいました」

「ビットリオさんだと?」

 ロベルトと俺の視線が交差した。

「客をここに案内しろ」

「はっ」

 ロベルトの指示を受けた部下が部屋から出ていった。そしてしばらく後、険悪な顔の中年男性が姿を現す。格闘場の選手たちを脅きよう迫はくし、そのせいで俺と正面から衝しよう突とつした裏組織のボス……ビットリオだ。

「化け物、お前もいたのか」

 ビットリオが俺を睨にらんでくる。

「ま、いい。貴様には用が無い」

 ビットリオは俺を無視してロベルトに近づく。

「いきなり何ですか、ビットリオさん? 組織員たちまで連れてきて……」

「お前が薬物のことを調べていると聞いた」

「薬物? 何のことでしょうか」

「とぼけるな」

 ビットリオの顔が更さらに険悪になる。

「私はこの化け物と戦って以来、お前たちの挙動を注視してきた。弱みを握にぎるためにな」

「ビットリオさんらしいですね」

「それで知ったんだ。ロベルト、お前の部下たちが薬物について調べているってことを」

 ビットリオがロベルトの座すわっている机を拳で叩く。

「もう忘れたのか? 薬物に関する情報は、まず私に報告しないと許さないぞ」

 俺はビットリオに一歩近づいた。

「おい、ビットリオ。あんたと薬物に何の関係があるんだ?」

「化け物はまだ知らないのか」

 ビットリオが俺を振ふり向く。

「私には……息むす子こがいたんだ」

「息子?」

「ああ」

 ビットリオは唇くちびるを噛かんだ。

「私は悪党だが、私の息子は……純じゆん粋すいで正義感の強いやつだった。私のやることにいつも反対して……ある日、家を出てそのまま警備隊になった」

 裏組織のボスの息子が警備隊か……。

「しかし昨年、あいつは……遺体となって発見された。薬物による中毒死だった」

 ビットリオはもう一度机を拳で叩いた。

「あいつが薬物なんかに手を出したはずがない。誰かに無む理り矢や理り飲まされたに違いない」

 ビットリオの声が少し震ふるえている。

「あの日以来、私はずっと薬物について調べてきた。そしてついこの間、警備隊隊長のラズロが密ひそかに薬物を流通させているという噂を聞いて……今度こそ息子を殺した犯人を見つけられると思っていた」

 ビットリオがロベルトを睨みつける。

「何か薬物に関する情報を掴んだのなら……今ここで言え。でなければ戦争だぞ」

 ロベルトは俺を見つめる。俺は軽く頷うなずいた。

「……いいでしょう。ビットリオさんとは協力できそうですから」

 ロベルトは今まで俺たちが調べてきた情報を、ビットリオに話した。ビットリオは激げき昂こうする。

「じゃ、やっぱりラズロの野や郎ろうが……!」

「そう簡単な話ではありません」

 顔が真っ赤になったビットリオに向かって、ロベルトが冷たく言った。

「今までの情報から推論すれば、ラズロとは別の『黒幕』がいると見た方が合理的です」

「なら何を迷っているんだ!?」

 ビットリオが声を上げる。

「ラズロの野郎を拉ら致ちして、何もかも白状させればいい!」

「ビットリオさん、流石さすがにそれは……」

「いや、ビットリオの言うことも正しい」

 俺が口を挟んだ。

「俺たちが薬物を調べているってことは、もうすぐラズロの耳にも入る。やつが反はん撃げきに出る前に、こちらから先手を打って一気に撃滅するべきだ」

「流石化け物だ。戦い方を知っている」

 ビットリオが俺に向かって笑え顔がおを見せる。だがロベルトはまだ迷っているようだ。

「ロベルトさん。俺たちが迷っている間にも、やつらは動いているぞ」

「……分かりました」

 ロベルトが席から立つ。

「私も一いつ緒しよにします。また新たな犠ぎ牲せい者しやが出る前に……仕留めましょう」

 ロベルトの答えに、ビットリオの顔が明るくなる。

「よし、そうと決まれば今夜実行する」

「何かいい作戦でもあるのか?」

 俺が聞くと、ビットリオが「もちろんだ」と答えた。

「ここ最近、ラズロの野郎は毎晩と言ってもいいほど娼しよう館かんに出入りしている。やつが女に抱きついている間に襲撃すれば間ま違ちがいない」

「護衛は?」

「五、六人くらいだ。そいつらを迅じん速そくに制圧する必要がある」

「問題ない、俺がやる」

 俺が名乗り出ると、ロベルトとビットリオが頷いた。

「あんたたちは拉致と陽動を担当してくれ」

「分かった」

「分かりました」

 それで大体の作戦が決まった。今夜……俺たちは警備隊隊長を拉致する。

---

 夜一時……俺は大通りの真ん中に立って、ちらっと空を見上げた。月が雲に隠れていて、空は真っ暗だ。奇き襲しゆうする側にとっては好都合だ。

 フードで顔を隠した後、大通りを歩いて北に向かった。そして二十分くらい後、歓かん楽らく街がいに辿たどり着いた。

 当然なことだが、歓楽街は夜中にも通行人が多い。俺はなるべく通行人を避さけて、ある娼館の近くまで行った。二階建ての広い娼館だ。

「……あれか」

 俺は路地の隅に隠れて、娼館の様子を窺うかがった。深夜なのにランタンの光が眩まぶしく、中から人々の笑い声が聞こえてくる。結構繁はん盛じようしている娼館だ。

 今夜の目標である『警備隊隊長ラズロ』は、二階の特別室で女と二人きりだ。それはもうビットリオの部下が確かく認にんしている。問題は……どうやってそこまで辿り着くかだ。

 この娼館は警備隊本部から割と近い。騒さわぎが起こると武装警備隊が駆けつけてくるだろう。もちろんそんな事態を防ぐために、ロベルトの部下たちが陽動作戦に出ているが……なるべく静かに動くべきだ。

 だからこそ俺は一人で動いている。巨きよ大だいな体格の俺に隠おん密みつ行動なんて似合わないが、どうにか腕わん力りよくと速さで勝負するしかない。

 娼館の入り口をしばらく眺ながめていたら、一人の男が出てきた。俺は息を殺して男を注視した。

「怠だるいな」

 門番に見える男は身体を伸のばす。外の空気でも吸いたかったんだろう。俺にはちょうどいい機会だ。

「っ……!?」

 俺は後ろから門番に接近して……左手でやつの口を塞ふさぐと同時に右みぎ腕うでを首に回し、力を入れた。それで門番は気を失ってしまう。

「よし」

 失神した門番の身体を物もの陰かげに隠して、娼館の入り口を覗のぞいた。誰も見当たらない。侵しん入にゆうするなら今だ。俺は周りを警けい戒かいしながら娼館の中に踏ふみ入った。

 娼館の内部はとても華麗だ。赤いランタン、高そうな花か瓶びん、眩しく光るガラスの装そう飾しよく品ひん……しかも甘あまい香りが漂ただよっている。本当に刺し激げき的てきな場所だ。

 入り口の正面に二階への階段がある。俺は忍しのび足でそっちに向かった。

「それでさ、あの子が……」

 いきなり人の声が聞こえてきて、俺は大きな鉢はち植うえの後ろに身を隠した。

「うん、分かる。酷ひどいよねー」

 露ろ出しゆつ度どの高いドレスを着ている、二人の若い女がこちらに近づいてくる。

「流石にそれはないんじゃない? いくら何でも……」

 女たちの会話を聞きながら、俺は汗あせをかいた。鉢植えは大きいけど……俺の巨きよ体たいを完全に隠せるほどではない。もし女たちがこっちを振り向いたら……俺は間違いなく見つかる。

「じゃ、私は仕事に戻もどるわ」

「うん、後でまた話しましょう」

 やがて一人の女が右の方へ、もう一人は左の方へ行ってしまった。俺は彼かの女じよたちの気配が完全に消え去ったことを確認してから身を起こした。

「ふう」

 巨体がこんなにも不便と感じるのは初めてだ。だがこれで道が開いた。俺は忍び足で階段に近づき、そっと登り始めた。

「くっそ」

 今度は男の声が聞こえてきた。踊おどり場ばに椅い子すが置いてあって、一人の男が座っていたのだ。

「くっそ……早く終わらせろ、まったく」

 男はまだ俺に気付いていない。だがこのままでは俺も動けない。

「警備隊隊長のくせに毎晩娼館って……いい加減にしろよ、本当」

 言動や腰こしの剣けんから推測すると、この男はラズロの護衛の一人に違いない。俺はイライラしている男に少し同情した。

「あの野郎……」

 しばらく待っていたら、男が椅子から立って足を運ぶ。これは……危ない。もうすぐ俺の姿が男の視野に入ってしまう。そうなる前に……!

「うぐっ!?」

 俺は突とつ進しんして男のみぞおちを強打した。男は悲鳴も上げられずに倒れ、俺は素す早ばやく周りを確認した。幸い誰にも見つかっていない。俺は男の身体を背負って二階に登り、壁かべの隅に隠した。

 二階には狭せまい廊ろう下かがあった。壁に体を密着させてこっそり覗くと、大きな扉とびらの前に四人の男が並んでいた。全員腰に剣を差している。ラズロの護衛たちだ。

 こいつらを倒し、裏階段の扉を開けば俺の任務は成功だ。しかし……たとえ四人を一いつ瞬しゆんで倒しても、一人くらいは確実に悲鳴を上げるだろう。そうなったら騒ぎが起こる。

 でもずっと機会を待っているわけにもいかない。他の人が二階に登ってきたり、俺が倒したやつらを見つけたりすると同じく騒ぎが起こる。ここは無理矢理にでも突とつ破ぱするしかない。

「じゃ、お酒持ってくるよ」

 俺が強行突破を覚かく悟ごした時、二人の男がこっちに向かって歩き始める。俺は壁に身体を密着させたまま息を殺した。足音がどんどん近づき、やがて二人の男は俺のすぐ傍そばを通る。

「……うぐっ!?」

 俺は後ろから二人の男の首に左右の腕うでを回し、同時に絞しめた。やつらは少し足あ掻がいたけど、結局気を失って倒れる。

「ん? 何だ?」

 残り二人が今の音を聞いてしまった。緊きん急きゆう事態だ。

 やつらは周りを警戒しながらこっちに向かう。これでは後ろから奇襲するのは無理だ。そう思った俺は全身の感覚を極限まで高めたまま、懐から硬こう貨かを取り出して……やつらの方に軽く飛ばした。

「あ……?」

 やつらが空中の硬貨に視線を移す。その刹せつ那なの隙すきが……俺には十分すぎる!

「がはっ!?」

 俺は物陰から飛び出て……右の男の顎あごを強打した直後、左の男のみぞおちを膝ひざで蹴った。そして倒れていく二人の身体を捕つかまえた。

「ふう」

 音は最低限に抑えた。でも油断は出来ない。俺は倒れた男たちの身体をなるべく見つかりにくい場所まで運んだ。

「よし、これで……」

 忍び足で狭い廊下を渡わたり、裏階段の扉まで行った。この扉は外部から開けることが出来ないし、気付かれずにぶち壊こわすことも難しい。おかげで結構苦労したけど……これで任務完かん了りようだ。

 俺はビットリオが用意してくれた鍵で裏階段の扉を開いた。すると三人の男が階段を登ってきた。ビットリオの部下たちだ。

「俺が警戒に当たっている間に、ラズロを連れ出して逃にげろ」

「はい」

 三人の男はナイフや縄などを持って特別室に入る。特別室は厚い壁のおかげで防音性が高く、たとえ女が悲鳴を上げても外には聞こえないらしい。いや、たとえ悲鳴が聞こえても誰も気にしないみたいだ。

 つまり……一階からの邪じや魔ま者ものさえ現れなければ、拉致はもう成功したも同然だ。俺は階段の近くに身を隠して、一階を警戒した。

 しばらく後、特別室からビットリオの部下たちが出てきた。しかし……ラズロの姿が見当たらない。

「おい、どうしたんだ?」

 何か様子がおかしい。そう感じた俺はビットリオの部下たちに近づいた。彼らはみんな……驚きよう愕がくの顔をしている。

「どうしたんだ?」

「そ、それが……」

 異変が起きたに違ちがいない。俺は答えを待たずに特別室の扉を開き、その中に入った。

「これは……」

 目の前の光景に、俺は固唾を呑んだ。

 華麗に飾かざられている広い部屋……その真ん中に大きな寝しん台だいがあり、男女二人が横になっていた。しかしその男女二人には……首が無かった。

---

 数秒後……俺は冷静さを取り戻して、寝台に近づいた。そして遺体を観察した。

 まだ血が流れている。殺されてから数分も経たっていないんだろう。つまり……俺が外で護衛たちを倒していた間に、誰かがこっそりラズロと女を殺したわけだ。

 でも犯人はどうやってここから逃げたんだ? 扉はずっと俺が見守っていたし、窓は小さくて人が通れるほどではない。ということは……。

「暖だん炉ろ……」

 広い部屋の隅に大きな暖炉がある。暑い夏だから今は使われていないけど、当然ながら煙えん突とつと繋つながっている。

 俺は慎重に暖炉に近づき、煙突の中を覗いた。

「……っ!?」

 俺は見た。人ひと影かげが煙突から抜ぬけ出していくところを……! つまり犯人は殺人を犯おかした後、ずっと暖炉に隠れて……こちらを覗いていたのだ!

「こいつ!」

 大だい胆たんすぎるやつだ。しかも動きがとても素早い。たぶん汚きたない仕事の専門家なんだろう。そんな危険な暗殺者やつを……野放しにするわけにはいかない!

 俺の巨体では、煙突を通って追つい跡せきするのは無理だ。俺は特別室の扉を通り、裏階段を降りて娼館から出た。娼館の甘い空気が消え去り、海の匂においがする。

「どこだ……」

 まだこの近くにいるはずだ。月明かりも無い暗い夜だけど……屋根上を走っているのなら、当然音がするはずだ。俺は全神経を集中し、小さな音も逃のがさないようにした。すると微かに聞こえてきた。まるで猫ねこみたいな軽い足音が。

 絶対捕まえてやる。俺は足音を追って走った。暗殺者は足場の不安定な屋根上を、まるで飛行でもするかのように疾しつ走そうしているが……こっちも走りには自信がある!

 追跡の途と中ちゆう、一瞬だけ雲の隙すき間まから月明かりが漏もれた。それで俺おれは屋根上を走っている暗殺者の姿を目視できた。暗い服装をしている、普ふ通つうの体格の男だ。男は背中に布の袋ふくろを背負っている。大きさからして、袋の中にあるのは死んだ二人の頭なんだろう。

 しばらく追跡していたら、暗殺者が屋根上から地面に降りて港の路地裏を走り出す。本当にとんでもないほど速い。もう速さだけなら爺と同格かもしれない。

「ちっ!」

 俺も歯を食いしばって必死に走った。真夜中の競走は五分くらい続き、やがて俺たちは海岸に進入した。本来なら砂のせいで走りづらい場所だが、やつも俺も速度を落とさない。

 いきなり周りが明るくなる。暗い雲が消え、月が出てきたのだ。そしてそれと同時に状況が変わる。暗殺者がいきなり立ち止まり、こちらを振り向く。俺の追跡を振り切ることは難しいと判断し……ここで仕留めるつもりなんだろう。

 暗殺者は覆ふく面めんをしていて、顔は見えないが……俺を睨んでくる目つきはとても鋭するどく、殺気がこもっている。

「やっと戦う気になったのか?」

 俺は戦せん闘とう態勢に入った。暗殺者も懐から短たん剣けんを抜いた。両者は互いを睨んだまま、しばらく動かなかった。

「ちっ……!」

 先に動いたのは暗殺者の方だ。やつはまるで幽ゆう霊れいのように音もなく突進してきて、短剣で俺の目を奪うばおうとする。俺は素早く避けたが、短剣が執しつ拗ように追ってくる。いや、短剣だけじゃない。暗殺者は俺の足を狙ねらって下段蹴りを放った。俺は危あやうく均きん衡こうを失うところだった。

「こいつは……」

 強い。これはもう『戦いに慣れている』という水準ではない。常に生死を分ける戦いの中で生きてきた『修しゆ羅ら』そのものだ。

 短剣の動きが鋭すぎて接近することも難しい。俺は守りに専念しながら機会を待った。

「はあっ!」

 そして短剣がもう一度俺の目を狙ってきた時、俺は回かい避ひしながら渾こん身しんの反撃を放った。俺の拳が暗殺者の横腹を強打し、やつは数歩後あと退ずさる。

「ほぅ」

 俺は感かん嘆たんした。本来なら今の反撃であばらが折れてもおかしくないが……暗殺者は俺の拳が当たる直前に体をひねって、衝しよう撃げきを抑えた。

 爺を除けば……こいつは今までの相手の中で間違いなく最強だ。前後の事情がどうであれ、俺はこの戦いが楽しくなってきた!

「ぐおおお!」

 暗殺者の動きが鈍にぶくなった今こそ好機だ。俺は連続攻撃でやつを追いつめた。そして十数回の攻こう防ぼうの後、俺の拳がまた暗殺者の横腹を強打する。

「こいつ……」

 俺は微かすかに笑った。暗殺者は俺の拳に殴なぐられながらも短剣を振ふるい、俺の左ひだり肩かたに傷をつけた。

「やるな」

 傷から血が出てくる。俺は奥おくの手てを使うことにした。

「っ……!?」

 だがその時、俺は自分の左肩から力が抜けていくのを感じた。いや、単に力が抜けていくわけではなく……感覚も無くなっていく……!

「……麻ま痺ひ毒か」

 暗殺者の短剣には麻痺毒が塗ぬられていたのだ。しかも結構強い毒だ。俺の左ひだり腕うではもう動かすことすらままならない。

 暗殺者は立ち止まって、俺をじっと見つめる。

「何しているんだ?」

 俺は声を上げた。

「今が好機だぞ。早くかかってこい」

 全ぜん身しん全ぜん霊れいの力を溜ためて、暗殺者の攻こう撃げきを待った。しかしやつは……俺に背を向けて走り出す。

「おい、待て!」

 俺は慌てて追いかけようとした。だがもう左足の感覚まで鈍くなっている。追跡は無理だ。

「へっ」

 おかしい話だが、別に気持ちは悪くない。むしろ正体不明の強敵の出現が……俺には嬉うれしい限りだ。

---

「一体どういう体なんだよ」

 医者のグレッグが呆あきれたように呟つぶやいた。

「あんた、本当に人間なのか?」

「俺に聞かれても困る」

 俺は上半身の服を脱ぬいだまま、椅子に座って苦く笑しようした。

 ここは診しん療りよう所じよだ。昨晩、暗殺者との戦いで麻痺毒に侵おかされた俺はここで治ち療りようを受けているのだ。

「普通の人だったら命まで危ないはずなのに、もう回復し始めている。どういうことだ?」

「だから医者はあんただろう? 俺に聞くな」

「医学では説明できないから困っているんだよ」

 グレッグは俺の肩かたに包帯を巻いてくれた。

「どうやらあんたは……他人を患かん者じやにすることに関しては一流でも、自分が患者になることに関しては三流みたいだ」

「医学的な説明、ありがとう」

 俺はもう一度苦笑して服を着た。その時、誰かが部屋に入ってきた。

「レッドさん」

 入ってきたのはロベルトだ。彼は心配そうな顔で俺の肩を見つめる。

「お怪け我がの具合はいかがですか?」

「医者さんの話では問題ないようだ」

「幸いですね」

 ロベルトが頷いてからグレッグの方を振り向く。グレッグは「じゃ、私はこれで」と言って部屋を出る。それで俺はロベルトと二人きりになった。

「レッドさん」

 ロベルトは俺の真正面に座って口を開く。

「大体のことはお聞きしましたが……昨晩のことについて、もう一度ご説明頂けますでしょうか」

「ああ」

 俺は昨晩のことを出来るだけ詳くわしく説明した。

「なるほど」

 ロベルトは顎に手を当てて、しばらく考かんがえ込こんだ。

「……レッドさん、その暗殺者の正体なんですが」

「心当たりがあるのか?」

「はい」

 ロベルトが慎重な顔で頷いた。

「『夜の狩人かりゆうど』という名前をご存じでしょうか?」

「初耳だな」

「裏社会に密かに伝わる暗殺集団です」

 暗殺集団?

「夜の狩人は莫ばく大だいな金額の依い頼らい料りようを受けて暗殺を行い、今まで失敗したことが無いと言われています」

「ほぉ」

「正体を隠かくして標的に近づいたり、闇やみに紛まぎれて潜せん入にゆうしたりと、いろんな手法を駆く使ししますが……暗殺自体は必ず夜に実行し、任務成功の証しよう拠ことして標的の首を持っていくらしいです」

「だから夜の狩人か」

 俺は昨晩目もく撃げきした、首の無い遺体たちを思おもい浮うかべた。

「まるで怪かい談だんだな。そんなやつらが実在するのか」

「本当に怪談のような存在ではあります。何せ夜の狩人の暗殺者と戦って生き延びた人は、私が知っている限りレッドさんだけですから」

 ロベルトは感心した顔で俺を見つめる。

「で、そいつがラズロを暗殺した理由は……やっぱり口くち封ふうじだろうな」

「はい。この都市に薬物を広めた『黒幕』は、誰かが自分を追跡していることに気付いたのでしょう。だから暗殺者を派は遣けんし、自分の正体を知っているラズロを殺した。そう見るのが一番妥だ当とうです」

「そうだな」

 俺は頷いた。

「しかし暗殺者は何故なぜ女の首まで持っていったんだろう?」

 ロベルトの説明によると、夜の狩人は標的を殺してその首を持っていく。しかしラズロの首だけならまだしも、何故一いつ緒しよにいた娼しよう婦ふの首まで持っていったんだろうか。

「私もそれが怪あやしいと思っていました」

 ロベルトが眉まゆをひそめる。

「もしかすると、最初からあの女も暗殺の標的だったのかもしれません」

「あの女がただの娼婦ではなかったと?」

「はい。あくまでも推測ですが、彼女はラズロと黒幕の間を繋ぐ連れん絡らく係がかりだったのではないでしょうか」

「可能性はあるな」

 それが本当なら、黒幕は協力者のラズロと連絡係の娼婦を殺して……自分に辿り着く手て掛がかりを全て抹まつ殺さつしたわけだ。

「恐おそろしいやつだ」

「まったくです」

「だが、まだ道が完全に塞がれたわけではない」

 俺とロベルトは席から立ち上がった。

「死んだラズロと娼婦の周りを調査すれば、何か分かるかもしれない」

「はい、直ちに調査するつもりです」

「俺は鼠ねずみの爺じじいに会ってみるよ。爺なら謎なぞの集団についても知ってるだろう」

「分かりました」

 俺はロベルトと別れて診療所を出た。太陽が眩しい。

 大通りでは子供たちが笑いながら走り回っていた。それを見ていると薬物や暗殺者などとは関係の無い、平和な都市に見える。

 しかし実際はそうではないのだ。今この都市は見えない危機に晒さらされている。そしてその危機をもたらした黒幕の尻しつ尾ぽを……俺は見み逃のがしてしまった。

 あの暗殺者とは、いずれまた戦うことになるだろう。今度は……逃がさない。俺は拳こぶしを握ったまま、太陽の下でそう誓ちかった。