夏の間、シェラと結構な時間を一緒に過ごしたけど……結局何も起きなかった。それでいい。俺はロベルトの手て駒ごまになるつもりは無いし、いずれはこの都市から……。

 俺は頭の中で未来のことを描いてみた。

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 南の都市の大通りを歩いていると、自然に港とその向こうの海が視野に入ってくる。そして自然に笑顔が思い浮かぶ。海を初めて見た少女の明るい笑顔が。

 あの笑顔はたぶん一生忘れられないだろう。そう思っていると、いつの間にか俺も笑顔になる。

 十五分くらい後、俺は大通りの西側の大きな建物に辿たどり着いた。真っ白な建物だ。扉とびらを開けて入ったら、広い空間とテーブルに座っている男たちが見えた。

「レッドさん」

 俺がフードを外すと、男たちが急いで席から立ち上がる。

「うちのボスから話は聞きました。真ん中の部屋で医者が待っています」

「分かった」

 俺は男たちの横を通って、奥おくの真ん中の部屋に入った。部屋の中には薬やく剤ざいの匂においが漂ただよっていて、初老の男性が机に座って本を読んでいた。

「あんたは……」

 初老の男性が本から視線を外して、俺を見つめる。

「なるほど、あんたが噂の『赤い化け物』だな」

「ああ」

 俺が頷うなずくと、初老の男性は机から立ち上がって右手を出す。

「私は医者の『グレッグ』だ」

「俺はレッドだ」

 俺とグレッグは握あく手しゆを交かわした。

「この都市の医者たちは、あんたのことをよく知っているさ」

 グレッグがニヤリと口元を歪ゆがませる。

「あんたのおかげで患かん者じやが激増して、仕事も激増したんでな」

「どういたしまして」

「感謝していない! おかげでこちらは過労死しそうだったんだ!」

 俺は苦笑した。医者にしてはちょっと変わった人だ。

「そんなことより、デリックはどこだ?」

「案内するよ。ついてこい」

 俺はグレッグと一いつ緒しよに部屋を出て、廊ろう下かを歩いた。

 ここはロベルトが経営している診しん療りよう所じよだ。負傷した格闘場の選手たちはこの診療所で治ち療りようを受ける。もちろんデリックもここで治療を受けていて、俺は彼から情報を聞くために来たわけだ。

「……デリックは本当に長生きできないのか?」

「ああ、そうだ」

 グレッグが頷く。

「出来るだけの処しよ置ちを施ほどこしたが、そもそも薬物のおかげで内臓が壊こわれている」

「じゃ、後どれくらい生きられるんだ?」

「それは私にも断言できない。明日死ぬかもしれないし、半年後に死ぬかもしれない」

 長くても半年ということか……。

 俺たちは診療所の東側まで行き、そこの部屋に入った。綺き麗れいに掃除されている部屋だ。部屋の中では一人の男が寝しん台だいに寝ねている。

「あ……」

 男が上半身を起こす。俺の十一戦目の相手、デリックだ。

「じゃ、会話を楽しんでくれ」

 グレッグが部屋を出た。それで俺はデリックと二人きりになった。

 俺は寝台の近くの椅い子すに座って口を開いた。

「俺がここに来た理由が分かるか?」

「……はい」

 デリックが静かな声で答えた。試合場では強敵だったのに、こう見ると普通の青年だ。

「僕ぼくが使っていた薬物……その売人の情報が欲ほしいんでしょう?」

「ああ」

 俺が頷くと、デリックは俺の顔を凝ぎよう視しする。

「それを知ってどうする気ですか?」

「もちろん叩たたき潰つぶす」

「何故なぜ……?」

 デリックが眉をひそめる。

「まさか正義の味方のつもりですか?」

「いや、そんなわけがあるか」

 思わず苦笑いしてしまった。

「気に入らないから叩き潰すだけだ。それ以上の理由は無い」

 デリックは口を噤つぐんで、俺をじっと見つめる。

「……不思議だ。嘘うそをついているようには見えない」

「嘘ではないからな」

「ただ気に入らないからって、危険な人々と戦うつもりですか?」

 俺とデリックの視線が交差した。

「俺は生まれてこの方、気に入らないものがいっぱいだ。いつかは全部叩き潰してやるつもりさ。薬物の売人なんて、その一つに過ぎない」

「……噂以上の化け物ですね、貴方あなたは」

 デリックが微かに笑う。

「分かりました、売人の情報を教えます」

 デリックは俺にある建物の位置を教えてくれた。

「そこに行けば、売人とその手下たちに会えるはずです」

「もう一つ教えてくれ。お前は何故薬物中毒になったんだ?」

 その質問に、デリックは少し間を置いてから答える。

「最初はお金のためでした。新しい薬物の実験に参加すれば、大きなお金を稼かせげると聞いて……」

「実験か」

 やつらは薬物の流通だけではなく、開発もしているわけか。

「それで気が付いたら中毒に、ということか?」

「はい、やつらの言いなりになるしかありませんでした」

 デリックはもう死を覚悟した顔だ。

「格闘場で戦ったのも、薬物の効能を試ためす実験の一いつ環かんでした」

「なるほど」

 俺は頷いてから、もう一つ質問をした。

「デリック、お前はこれからどうするつもりだ?」

「どうするも何も……」

 デリックが乾かわいた笑顔になる。

「もう僕には何もありません。道みち端ばたで死を待つだけです」

「じゃ、これを受け取れ」

 俺は手持ちのお金を全部デリックに渡わたした。

「この都市の出身じゃないだろう? 馬車に乗って、故郷に戻れ」

「貴方は……」

「最さい期ごは故郷がいいはずだ」

「……ありがとうございます」

 デリックが涙なみだを流す。俺は立ち上がって部屋を出た。

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 その日の午後、俺はいつも通りシェラに格かく闘とう技ぎを教えた。

「暑い」

 シェラが手で汗あせを拭ぬぐう。露ろ出しゆつ度どの高い服を着ているけど、流石にこの暑さには敵かなわないみたいだ。

「じゃ、今日はここまでにしよう」

「え?」

 シェラが目を丸くする。

「でも、まだ三十分も経っていないよ?」

「この暑さの中で無理して動いても、あまり鍛たん錬れんにはならない。むしろ体調を崩くずすだけだ」

「それは……そうかも」

「ああ、だから今日はここまでだ。ご苦労さん」

 俺が身体の向きを変えて屋や敷しきを出ようとした時、シェラが俺を呼び止める。

「レッド!」

「ん?」

「そのまま帰るつもりなの?」

 シェラが俺に近づく。

「うちには大きな浴室があるし、洗っていってね!」

「俺はお前と一緒に身体を洗うつもりは無いんだが」

「だ、誰があんたと一緒に……!」

「ムキになるな。冗じよう談だんだ」

 俺は暑さにも寒さにも強い方だし、そんなに汗もかいていない。でも今日くらいはいいだろう。

「分かった。浴室に案内してくれ」

「うん!」

 俺はシェラの後を追って、屋敷の本館に入った。

 もうシェラに格闘技を教え始めてから結構な時間が経ったが、本館に入ったのは初めてだ。ロベルトが食事に誘さそってきたりしたけど、全部断った。なるべくシェラと距離を置きたかったのだ。だが……何故か今日はそこまでしたくない。

 広くて綺麗な廊下を歩いて屋敷の北側に向かうと、大きな両開きの扉がある。シェラが両手でその扉を開く。

「ここが浴室!」

「広いな」

 大理石調壁かべの浴室は、まるで風ふ呂ろ屋やみたいに広い。しかも高級な工芸品で飾かざられている。流石お金持ちは違ちがうな。

「お前はどうする気だ? 一緒に洗わないのか?」

「そういう冗談は要らない!」

 シェラが睨んでくる。

「私は自分の部屋に浴室がついているから」

「なるほど。じゃ、俺はここで洗う」

「うん。あ、着き替がえ用意してあげるね」

「俺に合う大きさの服があるのか? じゃ、頼む」

 シェラがその場を去ると、俺は服を脱ぬいで浴室に入った。

 壁についてる蛇口から温かい水が出ている。まず身体を洗って首まで水に浸つかると、雑念が消えていく。確かに悪くない。

 それから三十分くらい経ったんだろうか。入浴を終えて浴室の入り口に向かうと、結構高級な服が用意されていた。俺はそれを着た。

「シェラはまだか」

 俺は廊下の椅子に座ってシェラを待った。せめて挨あい拶さつしてから帰るべきだと思ったのだ。

「レッド!」

 数分後、シェラが現れた。彼女はいつもの短いズボンではなく、女の子らしいスカートを穿はいている。

「お前もスカートを穿くことがあるのか?」

「何言ってるの? 怒おこるわよ!?」

 シェラが怒った顔で睨んでくるが、可愛いだけだ。

 いや、俺は何を考えているんだ。今日の俺はちょっと……いつもより緩ゆるいな。

「とにかくありがとう。服は明後日返す。じゃ、俺はこれで」

「ちょっと!」

 シェラが俺を呼び止める。

「せっかくだからお話ししようよ!」

「話?」

 俺は眉まゆをひそめた。

「用件でもあるのか?」