「はあっ!」

 シェラが再び上段回し蹴りを放った瞬しゆん間かん、俺おれはその軌き道どうを完全に捉とらえて……彼かの女じよの足首を掴つかんだ。そしてその細くて柔やわらかい足首を強く引っ張った。

「キャー!」

 引っ張られて均きん衡こうが崩くずれたシェラを、俺は後ろから抱だきしめた。もちろんそれは恋こい人びとの優しい抱ほう擁ようではない。

「は、離して!」

 俺はシェラの首に腕うでを回した。このまま力を入れたら、この生意気な女の子は大変なことになる。

「勝負ありですね!」

 ロベルトが素早く宣言した。娘が心配になったんだろう。俺はシェラを手放した。

「流石レッドさんだ。このじゃじゃ馬……シェラをこうも簡単に制圧した人はレッドさんだけです」

「どうも」

 俺はシェラの方をちらっと見た。シェラは悔くやしい顔で俺を睨にらんでいる。

「シェラ、実力の差が分かっただろう? これからはレッドさんの指導を受けなさい」

「……分かった」

 シェラは不服そうな態度だ。

「レッドさん、どうぞ娘をよろしくお願い致いたします」

「ああ」

 俺は頷いた。

『格闘技の教師』って、俺としては思いもよらなかった仕事だ。でも条件がいいのは確かだ。何か裏があるかもしれないけど、しばらく務めてやる。

 それに……『裏組織のボスの生意気な娘』に痛い目を見せてやるのも、少しは楽しそうだ。

---

 俺は小屋に戻って、今日の出来事を鼠の爺に話した。すると爺は冷たく笑う。

「ロベルトめ、小こ賢ざかしい手を使いやがったか」

「何?」

「あいつはお前の唯ゆい一いつの弱点を突ついてきたんだよ」

「俺の弱点?」

 俺は眉まゆをひそめた。

「分からないのか? お前はまだ女を知らない。それがお前の弱点だ」

「……はあ?」

 そんなものが弱点だと?

「ロベルトの娘はな、見た目は可愛かわいいけど気き性しようが荒あらいという評判だ。婚こん約やくする予定だった相手を殴って追い払はらったこともあるらしい」

「なるほど」

 俺はシェラの姿を思おもい浮うかべた。とても挑ちよう戦せん的てきで、攻撃的な女の子だった。

「だからロベルトは、自分の娘を抑おさえられる人を探していたに違ちがいない。そこでお前が現れたんだ」

「まさか……」

「お前と自分の娘を結ぶつもりさ」

 俺とあの小娘を?

「上手うまく行けば気性の荒い娘も落ち着かせられるし、お前という強い手駒も手に入る。ロベルトとしては一石二鳥だ」

「……何か裏があるとは思っていたけど、そういうことか」

「ああ、お前はもう罠わなに引っかかったんだよ」

「何言ってんだ、爺? 俺はまだ引っかかっていないぞ」

 俺の答えに爺が冷れい笑しようする。

「だから最初に言ったじゃないか。お前はまだ女を知らない。要するに免めん疫えきが無いんだ。可愛い女の子と二人だけの時間を過ごせば、必ず何かが起きる」

「俺を馬鹿にするなよ、爺。罠だと知っているのに、俺があの子に手を出すわけがないじゃないか」

「へっ、果たしてそんな自制が出来るかな?」

 俺は爺の言葉を敢あえて無視した。

---

 次の日、俺はレイモンと一緒に組織員たちの情報を確認した。

「ほとんどが一人暮らしなんだな?」

「はい」

 レイモンの話によると、レイモンとリックを除けば全員一人暮らしだそうだ。

「個人差はあるけど、みんな生活に余裕がありません。でも頑がん張ばって格闘技に精しよう進じんしています」

「そうか」

 俺は気付いた。組織員たちが格闘場の選手として戦っているのは、ただ高い報酬のためではない。そもそも報酬が高くても、彼かれらはせいぜい一ヶ月に一度くらいしか戦えないから生活に余裕が無い。

 みんな格闘技が好きだから戦っている。そんな彼らだからこそ俺に憧あこがれて、加勢してくれたのだ。

「……レイモン」

「はい」

「本拠地の話だが、港の近くの倉庫を借りた。明日から使える」

「そうですか? 流石ボスです」

 レイモンが明るい顔で俺を見上げる。

「場所を教えてやる。明日の午後、本拠地の前で全員集結できるように」

「かしこまりました」

 レイモンは独創的ではないけど、誠実だし行動力もある。組織員をまとめることに関しては有能だろう。

 そしてみんなに『道を示す』のが、ボスとしての俺の役目だ。

---

 午後になり、俺はロベルトの屋敷に入った。ボスのもう一つの役目である『収入源の確保』のためだ。

「さあ、一時間の授業だ」

 俺は『裏組織のボスの生意気な娘』、つまりシェラに向かってそう言った。

「授業の内容は簡単だ。一時間の間、全力で俺にかかってこい」

「……上等だ!」

 シェラが挑戦的な眼差しで攻撃を始める。俺は昨日と同じく防御に入った。

「はあっ!」

 気合と共に、シェラが連続で回し蹴りを放つ。細い足のわりにはなかなかの威い力りよくだ。しかし俺は軽く受け流した。

「ちっ!」

 シェラは悔しい顔をする。最初から渾こん身しんの攻撃を仕掛けて、俺に一発食くらわせるつもりだったんだろう。

「まだまだ!」

 それからもシェラは激しい攻撃を続ける。その姿は……鼠ねずみの爺に向かって必死に攻撃を繰り返した昔の俺に似ている。なるほど、こういう感じだったのか。

「はあ、はあ……」

 三十分くらい後、シェラは完全に疲つかれてしまう。彼女の細い体はもう汗あせまみれだ。

「もう終わりか?」

「くっそ……」

 シェラは地面に座すわり込んで悔しがる。負けず嫌ぎらいな娘だ。

「明日は……絶対倒してやる……!」

「それは無理だな」

「何でだよ!?」

「俺に他の用事があるからだ。次の授業は明後日だ」

 俺は苦く笑しようした。

「……明後日ね。絶対来てよ」

「分かった。それまでゆっくり休め」

 ま、シェラの見た目が可愛いのは認める。だがロベルトの狙ねらいが分かった以上、その手に乗るわけにはいかない。シェラとはこれくらいの浅い関係を保てばいいだろう。俺はそう考えた。

---

 港の近くで、俺は『レッド組』の組織員たちを眺ながめた。

「全員集まったな」

「はい」

 副ボス格のレイモン、巨きよ漢かんのジョージ、活発なゲッリト、無口なカールトン、気長なエイブ、優しいリック……みんなそれぞれだけど、格闘技への熱意だけは同じだ。

「あれが俺たちの本ほん拠きよ地ちだ」

 海岸に向かって立っている大きな倉庫……俺たちはそれに近づいた。

「レイモン、これが鍵かぎだ。開けてみろ」

「はい」

 レイモンは俺から鍵を受け取り、倉庫の扉とびらを開く。

「おお……」

 組織員たちが嘆たん声せいを漏もらした。倉庫の内部はとても広くて、よく掃除されている。しかもある程度の家具まで揃そろっている。これはロベルトに感謝しないとな。

「今日からここがお前たちの居所だ」

 俺は本拠地の中に一歩踏み入った。

「俺たちはここで一いつ緒しよに生活し、一緒に鍛たん錬れんする」

 みんなの視線が俺に集まる。

「そしてこの都市のどんな組織よりも強くなる。それが俺たちの目標だ」

「はい!」

 みんな口を揃えて答えた。

「レイモンとリックは家族と一緒に住んでいるから、無理しなくていい」

「いいえ」

 レイモンが口を開いた。

「僕ぼくもリックも一緒に生活します」

 レイモンがそう言うと、リックが頷いた。どうやら俺は……彼らの覚かく悟ごを舐めていたようだ。

「分かった。全員で強くなろう」

「はい!」

 それから俺たちは、本拠地の空間の用よう途とについて相談した。基本的に二階が生活空間、一階が訓練場で、各おの々おのの部屋や食堂、用具室などを決めた。

「よし。本格的な引っ越こしは明日からになるけど、これで一息ついたな」

 俺はみんなを見つめながら頷いた。

「じゃ、これからお前たちの実力を確認する」

「実力を? ボスがですか?」

 レイモンが目を丸くして聞いた。

「もちろんだ。レイモンは俺と戦ったことがあるけど、他はまだだからな。鍛錬の計画を立てるためにも、みんな実力を確認する必要がある」

 俺の言葉に全員緊きん張ちようし始める。

「ジョージから前に出ろ」

「は、はい!」

 巨漢のジョージが急いで前に出る。

「当然の話だが、全力でかかってこい。それでなきゃ意味が無い」

「はい!」

 俺たちはこれからもっと強くなるべきだ。そのためには個人の差、癖くせ、長所と短所を把は握あくして適切な指導をする必要がある。だから俺もシェラを教える時とは違って、真面目に戦った。

 ジョージは俺と同格の巨きよ体たいを持っていて、腕わん力りよくも素す晴ばらしい。でも自分の体格に頼りすぎて技が足りない。俺はジョージの防御を崩して、頭に一撃を入れる寸前で手を止めた。

「うっ……! さ、流石ボスです!」

 ジョージが頭を下げる。

「次、ゲッリト。前に出ろ」

「はい!」

 それから十五分くらい後、俺は組織員たちとの対決を終えた。やっぱりみんな強い。でも改善の余地はある。

「今日はここまでだ。身体を洗って食事しよう」

 俺たちは街の風ふ呂ろ屋やで一緒に身体を洗い、食堂で食事をしてから別れた。みんな明るい顔だ。これからのことを期待しているんだろう。俺はそんな彼らの姿を見て、覚悟を新たにした。

---

 小屋に帰った俺は、鼠の爺とアイリンに話した。これからは組織員たちと一緒に生活すると。

「やけに真面目だな、お前」

 爺が眉をひそめた。

「俺を信じてくれたやつらの覚悟に、俺も全ぜん身しん全ぜん霊れいで応えるべきだ」

 俺がそう答えると、爺は俺の顔をじっと見つめる。俺の覚悟を見定めているようだ。

 無表情の爺とは違って、アイリンは今にも泣き出しそうな顔だ。俺はそんなアイリンの頭を撫なでてやった。

「心配するな、アイリン。組織員たちの鍛錬が一息ついたら、またここで一緒に暮らすさ」

「あう……」

 アイリンの顔が少し明るくなる。

「その言葉、果たして信用できるかな?」

 爺が口を挟はさむ。

「こいつ、都市での生活に満足して、こんなボロ小屋のことは忘れちまうかもしれないぞ」

「あうあう!」

 アイリンが怒おこった顔で俺を見上げる。『そんなことしたら絶対許さない!』という意味だ。

「そんなわけがないじゃないか。いい加減にしろよ、爺」

 俺は笑いながら思った。もし豪ごう華かな屋敷で暮らすことになっても、俺にとって一番気楽なのは結局この小さな小屋かもしれないと。

---

 翌日の朝、俺と組織員たちは本拠地への引っ越しを開始した。みんな荷物が少ないから時間はあまりかからなかった。

「これは東の国の格闘技が記き載さいされている本だ」

 引っ越しの後、俺は組織員たちに格闘技の本を見せた。

「身体を鍛きたえることも大事だが、知識を蓄たくわえることも大事だ。今日からこの本の内容を熟知するように」

「はい」

 組織員たちが答えると、俺はジョージとゲッリトを見つめた。

「ジョージとゲッリトはまだ文字を知らないと聞いたが」

「は、はい」

 二人が少し恥はずかしそうに頷うなずいた。

「恥ずかしがることは無い。少しずつ学んでいけばいい。レイモン、俺とお前がこの二人に文字を教える」

「はい!」

 それから俺は組織員たちに一対一の対決を指示し、彼らの戦いを観察した。より詳くわしい情報を得るためだ。

 今のところ、レイモンがずば抜ぬけて強い。レイモンの実力が十だとすれば、他は六か七ぐらいだ。でもジョージ、ゲッリト、カールトンは経験を積めばすぐレイモンに追いつくだろう。エイブとリックはもう少し基き礎そ訓練が必要だ。

 対決が終わった後、俺はレイモンとリックを呼び出した。

「リック、お前の家族は果物屋を経営しているみたいだな」

「はい」

「じゃ、これはお前に任せる」

 俺はリックに革袋を渡した。

「今月の運営資金だ。レイモンと二人で相談して使うように」

「は、はい!」

「帳ちよう簿ぼの記録を忘れるな」

「はい!」

 これでしばらくは問題ないだろう。俺は本拠地を出てロベルトの屋敷に向かった。

---

「今日こそ、あんたをぶちのめす!」

 シェラが勢いよく叫さけび、俺に突とつ進しんしてくる。

「はあっ!」

 下段蹴りと上段蹴りの連続攻撃……確かに動きは鋭い。だが俺は難なく防いだ。

「……ちっ!」

 シェラは悔しい顔で更さらに激しい攻撃を繰くり返す。しかし俺には通じない。

 何しろ、シェラと戦うのもこれで三回目だ。この小娘の攻撃経路はほとんど把握している。シェラは素早い連続攻撃が得意だけど、相手に読まれてはあまり意味が無い。

「くっ!」

 十分、二十分……シェラは諦めずに攻撃を続ける。そして三十分の時点で完全に疲れてしまう。

「くっそ!」

 シェラは座り込んで、拳で地面を叩く。よほど悔しいようだ。

「どうして一発も……」

「今日はここまでだな」

 俺は微かすかに笑った。

「じゃ、次の授業は明後日だ。また会おう」

 シェラを残して、俺はその場を去ろうとした。しかしその時、何かが聞こえてきた。

「うっ、ううっ……」

 それは泣き声だ。シェラが座り込んだまま泣き始めたのだ。

 俺は無視して足を運ぼうとした。しかし……何故なぜか足が動かない。

「くっそ、面めん倒どうくさい」

 小声で呟いてから、俺はシェラに近づいた。

「おい」

 俺が呼ぶと、シェラが涙なみだに濡ぬれた目で俺を見上げる。

「何よ?」

「泣くのはお前の自由だが、いくら泣いても強くはなれないぞ」

 シェラの顔が真っ赤になる。

「じゃ、どうすれば強くなれるか教えなさいよ! あんたって教師なんでしょう!?」

 確かにその通りだ。俺は内心笑った。

 そもそも俺はシェラと深く関わりたくない。だから適当に相手するつもりだった。でもこれでは教師として失格だし、ロベルトにも少し恩返しするべきだ。

 俺はシェラの真正面に座って、彼女の顔を凝ぎよう視しした。

「お前には二つの問題がある」

「二つの……問題?」

 シェラは手で涙を拭ふき、俺の話に集中する。

「一つは、戦い方があまりにも単純だということだ。お前の頭の中には『早く攻撃して早く敵を倒す』ことしか入っていない」

「そ、それは……」

「もちろん攻撃的な戦い方が有効な時もある。しかし『それだけ』だと駄目だ。特に相手との体格の差が激しい時はな」

 シェラは別に低身長ではない。しかし俺とは絶対的な体格の差がある。

「体格の差が激しいから、いくらお前が体重を乗せて攻撃しても俺にはあまり効かない。そういう時は反はん撃げきを狙うか、相手の均衡を崩すか……とにかく別の方法を使う必要がある。しかしお前にはそれが無いんだ」

「……じゃ、もう一つの問題は?」

 さっきまで泣いていたシェラは、もう挑戦的な顔になっている。向上心の高い子だな。

「もう一つの問題は、お前に真しん剣けん勝負の経験が無いってことだ」

「はあ?」

 シェラが眉をひそめる。

「何言ってんのよ? 私だっていろんな相手と……」

「全部父の部下だったんだろう?」

 俺の言葉にシェラは口を噤つぐむ。

「ボスの娘を相手に、本気で戦えるやつがいるもんか。みんな消極的に戦って、結局お前の攻撃に倒されたはずだ」

「でも……」

「お前が攻撃しか知らないのも当然だ。相手がみんな消極的、いや、ほぼ無む抵てい抗こうだったから防御する必要もなかったんだろう」

 俺は無表情で話を続けた。

「つまりお前は父の威い勢せいを借りて一方的に暴力を振るっただけだ。そんなものを真剣勝負とは呼ばない」

 しばらく沈ちん黙もくが流れた。そしてシェラは徐じよ々じよに落ち込んだ顔になり、項うな垂だれる。

「……私はどうすればいいの?」

 自分の間ま違ちがいに気付いたか。

「お前がそれでも強くなりたいと言うんなら、俺が出来るだけのことを教えてやる」

「本当?」

「ああ。でも今日はもう時間だから、次の授業からだ」

「うん、分かった」

 シェラが頷いた。こう見ると『裏組織のボスの生意気な娘』じゃなくて、普ふ通つうに良い子に見える。

 俺が地面から立ち上がると、シェラも立ち上がる。

「じゃ、俺はこれで」

「あ、あの……」

「何だ」

「その……ありがとう」

 シェラは頬ほおを少し赤くして、礼を言った。意外と素す直なおなところもあるんだな。

 俺は「気にするな」と答えてから、シェラを残して足を運んだ。

---

 本拠地の二階、一番奥おくの部屋……それが俺の個室だ。

 部屋は広くて寝しん台だいは柔らかい。しかし俺はなかなか眠ねむれなかった。

「へっ」

 俺は別に『場所が変わると眠れない人』ではない。だが鼠の爺じじいとアイリンの寝ね息いきが聞こえないのは少し寂さびしい。

 ま、今生の別れでもないし……時間が出来れば会いにいけばいい。俺はそう思って眠りについた。

 そして翌日、俺は早朝から『レッド組』の組織員たちを連れて鍛錬を始めた。

 まずは体力をつけるために走る。港から海岸まで、海岸から街まで、街から港まで……人々の視線を浴びながら走り続ける。

 本拠地に戻もどると身体を洗って食事を取る。パンとベーコンなどの簡単な食事だが量は十分だ。

「さあ、かかってこい」

 少し休きゆう憩けいして、組織員たちと対決する。常に彼らの実力を把握しておきたい。

「さ、流石さすがボスです。完敗です」

「よくやった、レイモン」

 六回連続の対決が終わると、各々に必要なことを指示する。文字を知らないジョージとゲッリトには勉強を、経験の足りないカールトンにはレイモンとの対決を、体力の足りないエイブには走りを、腕力の足りないリックには筋力訓練を指示するわけだ。

 食事、休憩、訓練、勉強、対決……どれも大事だ。細かいことは誠実なレイモンと頭のいいリックに任せてもいいけど、大きな方向は俺が決めるべきだ。

「レイモン、格かく闘とう場に行ってくる。ここは任せた」

「分かりました!」

 俺は本拠地を出て格闘場に向かった。組織員たちの試合の日程を確認するためだ。

 港から大通りに出て十五分くらい歩くと格闘場だ。門番が俺の姿を見てすぐ扉を開けてくれた。

「おはようございます、レッドさん」

 格闘場に入るや否いなや、トムが近づいてきた。でも今日のトムは何か顔が暗い。

「レッドさん、その……話は聞きました」

「話?」

「レッドさんの試合、全部取り消しになってしまったと」

「ああ、そうみたいだな」

「残念です……」

 トムが項垂れる。

「素晴らしい戦いをもっと見たかったのに……本当に残念です」

 トムは俺よりも残念がっている。ありがたい話だ。

「ま、確かに残念ではあるな。五十連勝くらいしたかったのに」

 鼠の爺の記録を超こえたかった。しかしこうなっては仕方が無い。

「レッドさんが最強すぎて挑ちよう戦せん者しやが無くなるとは、思ってもみませんでした」

「そのうち挑戦してくるやつが現れるかもしれない。その時は応おう援えんを頼たのむ」

「はい、任せてください!」

 トムが笑え顔がおで頷く。本当にこいつは……どうして裏組織の下っ端ぱをやっているんだろう?

「トム、お前は何故ここで働いているんだ?」

 俺は疑問を素直に聞いてみることにした。

「こういう言い方はあれだが、お前は裏社会に似合わない人間だと思うが」

「それは……」

 トムは少し戸と惑まどってから答え始める。

「自分は……ボスに大きな恩があります」

「ロベルトに?」

「はい」

 トムが真面目な顔で頷く。

「自分は生まれた時から身体が弱くて、子供の頃ころはほとんどの時間を寝台の上で過ごしました。姉が傍そばにいてくれてどうにか耐たえてきたんです」

「そうか」

「しかし……結局自分の薬代のせいで姉が借金を背負うことになりました。それである日、家に強こわ面もての男たちが入ってきて……」

 借金取りか。よくある話だな。

「自分と姉は絶望しましたが……その時、偶ぐう然ぜん近くを通っていたボスが助けてくださいました」

「ロベルトが……」

「数年後、少し元気になった自分はボスに恩返しがしたくて組織に入ろうとしました。ボスは身体の弱いやつは要いらないと言いましたが……自分はボスの屋や敷しきの前で丸一日頭を下げていました。それでやっと組織に入ることが出来ました」

 そんな事情があったのか。

「自分は未いまだに弱いです。掃そう除じとか留守番くらいしか出来ません。でもいつかは……」

 トムが俺を見上げる。

「いつかは、レッドさんの半分くらいだけでもいいから強くなって……ボスに恩返しして、自分の家族を自分の手で守りたいです」

「いい心構えだが、それでは駄だ目めだな」

「そ、そうですよね。やっぱり自分には……」

「男なら俺おれの半分くらいとかじゃなくて、『最強になりたい』と言え」

 その言葉にトムが笑う。

「いや、流石にそれは無理です。レッドさんを超えるなど自分には到とう底てい無理です」

 俺も笑った。

「……トム」

「はい」

「俺の下で鍛錬してみないか?」

 俺の急な提案に、トムは目を丸くした。

---

『レッド組』のみんなは、本拠地での生活と鍛錬に適応していった。一緒に暮らしてからたった二日目なのに、彼らはもう一心不乱に動いていた。

 朝の訓練の後、俺はレイモンと一緒に組織の運営方針について話した。まだ始まったばかりの組織だし、細かい規則などをしっかり決めておく必要がある。

「そう言えば……」

 ふとレイモンが口を開いた。

「ボスの試合、全部取り消しになったようですね。本当に残念です」

 トムと同じく、レイモンも俺より残念がっていた。

「ボスの試合を見ていると、何というか……勇気をもらいます」

「勇気?」

「はい」

 レイモンが頷いた。

「観客たちの声にも怯ひるまず、己おのれの生き方を世に示すように戦う。そんなボスの姿から勇気をもらいます。僕だけじゃなく、組織員たちはみんなそうです」

「なるほど」

 俺の自分勝手な戦いが、他の人の目にはそう映っていたなんて。ちょっと不思議な気持ちだ。組織員たちは……ただ力に対する憧れで俺に従っているわけではないのだ。

「たった一度の人生だからな」

 俺は組織員たちの訓練する姿を眺めた。

「他のやつらに何を言われようが、俺は俺の生き方を変えるつもりは無い。時間が惜おしい」

「流石です」

 レイモンが感心した顔で頷く。

「その、ボスの目標は何でしょうか。最強の格かく闘とう家かですか?」

「まずはレッド組をこの都市最強の組織に鍛え上げるつもりだ。その次は……」

「その次は?」

「その次は、その時になったら教えてやる」

 俺は微かに笑った。

---

 午後三時頃、俺は郊こう外がいの屋敷に向かった。シェラの授業のためだ。

 俺が屋敷に辿たどり着いた時、ちょうど誰だれかが正門から出てきた。この屋敷の主であるロベルトだ。

「レッドさん」

 ロベルトは優ゆう雅がな身のこなしで挨あい拶さつしてきた。

「ちょうどよかった。ロベルトさん、少し話できるかな?」

 俺はロベルトに近づいた。

「何事でしょうか?」

「トムのことだ。実はあいつを少し鍛錬させてやるつもりだったんだが、どうやらボスの許可が必要らしい」

「なるほど」

 ロベルトが頷いた。

「そういうことならレッドさんにお任せしても問題ないでしょう。トムのことをよろしくお願い致いたします」

「ああ」

「じゃ、私はこれで」

 ロベルトは馬車に乗って街の方に向かった。俺は屋敷に入った。

 美しい庭園を通って屋敷の裏側に回ると、健康美溢あふれる少女が見えた。少女は拳こぶしで砂すな袋ぶくろを殴なぐっていた。

「頑張り屋だな」

「……レッド!」

 シェラが俺を振ふり向く。俺は彼かの女じよに近づいた。

「約束通り、今日からお前に出来るだけのことを教えてやる」

「うん!」

 シェラは明るい顔で頷いた。早さつ速そく授業開始だ。

「先日話したけど、俺とお前は体格の差が激しい。だから一いつ般ぱん的てきな攻こう撃げきで俺を倒たおすことは難しい」

「うん、分かってる」

「そこで考えられるのが『関かん節せつ技』だ」

 俺は手を伸のばして、シェラの手を掴つかんだ。

「ちょ、ちょっと! いきなり何を……」

「じっとしていろ」

 掴んだ手を引っ張ると同時に、外側にひねった。

「痛っ!」

 シェラが短い悲鳴を上げると、俺は素す早ばやく彼女の手を離はなした。

「このように、人間は関節をひねられると意外と簡単に制圧される。場合によっては直接殴るよりも効果的だ」

「そんなこと、言葉だけで説明してよ!」

 シェラが怒った顔で抗こう議ぎした。

「実際に経験してみるのが一番早く理解できる。つべこべ言うな」

 それから俺はシェラに関節技の基本と応用を教え始めた。

「ち、近すぎるよ……」

 シェラがまた文句を言った。確かに俺とシェラは互たがいの体温を感じるほど近い。

「仕方ない。関節技はもともと身体を密着させて使う技だ。それに戦いの途と中ちゆう、相手と身体が密着する場合はいくらでもある」

「そうかもしれないけど、ずっと密着しているのは……ちょっと恥ずかしい」

「へっ」

 俺は思わず笑った。

「お前のようなじゃじゃ馬にも恥ずかしいことがあるのか」

「わ、私だって……!」

「つべこべ言うな」

 顔が真っ赤になったシェラを無視して、俺は授業を続けた。

「関節技は腕力よりも頭だ。相手の姿勢や行動を考えて、どこをどれほど押さえるか常に計算するべきだ」

「うん」

 シェラもこの状じよう況きようにだんだん慣れてきて、授業に集中する。

 シェラは向上心もあるし頭もいい娘むすめだ。基礎訓練もしっかりしているみたいだから、すぐ強くなれるだろう。

「じゃ、今日はここまでだ」

「あの、レッド」

「ん?」

「ありがとう」

「俺は一応教師だからな」

 シェラは何か言いたそうな顔だったが、俺はそのまま屋敷を出た。

---

 その日の夜、俺は組織員たちと共に格闘場に来た。今日はジョージとリックの試合がある。二人を応援するために、俺たちは観客席に並び立った。

「来たな、デカブツ!」

「今日もやっちまえ!」

 やがてジョージが試合場に登場すると、観客たちが歓かん声せいを上げる。結構知名度があるみたいだ。

 俺はフードで顔を隠かくしたまま、鉄てつ網もう越ごしにジョージを眺めた。観客席から見る試合場は何か新しん鮮せんだ。

「はあっ!」

 試合が始まるや否や、ジョージは相手の選手を追い詰つめる。何しろジョージは俺とほぼ同格の巨漢だ。技は少し足りないけど、広い攻こう撃げき範はん囲いを活いかした戦いは悪くない。相手はジョージに接近すら出来ないまま殴られ続ける。

「ジョージ様の勝ちです!」

 数分後、相手の選手が倒れてジョージの勝利が宣言された。楽勝だ。俺と組織員たちはジョージに拍はく手しゆを送った。

 それから他の選手たちの試合が二回あって、その後リックの試合が始まる。

「おい、リック! 頑がん張ばれ!」

 ジョージも俺たちに合流してリックを応援した。試合の直後なのに元気なやつだ。

「うっ……!」

 しかしリックは苦戦した。相手が強いのもあるけど、やっぱりまだ破は壊かい力りよくが足りない。もっと筋肉をつけるべきだ。

「はあ、はあ……」

 でもリックは諦あきらめることなく、荒あらい息をしながら拳を振るい続ける。組織員の中では比ひ較かく的に小こ柄がらなリックだけど、根こん性じようだけは誰にも負けない。

「はあっ!」

 相手がリックの気き迫はくに怯んだ瞬しゆん間かん、リックは大きく進んで拳を入れる。その渾こん身しんの一いち撃げきが見事に相手の顎あごを強打する。

「……リック様の勝ちです!」

「おおおお!」

「よくやったぞ!」

 リックの勝利に観客たちが熱ねつ狂きようする。楽勝もいいけど、こういう壮そう絶ぜつな勝利は心に響ひびく。

 今日の主役であるジョージとリックを祝うために、俺たちは本拠地でパーティーを開いた。小さくて素そ朴ぼくなパーティーだ。でも組織員たちはみんな笑顔で楽しんだ。

 やがて彼かれらは歌を歌い始める。みんななかなかだが、特にエイブはびっくりするほど歌が上手うまい。

「ボスも歌ってください!」

「お、俺?」

 俺は内心慌あわてた。生まれてから今まで、人の前で歌ったことなどない。

「さあ、早く!」

「……分かった」

 覚悟を決めて席から立ち、文字を勉強していた頃覚えた歌を歌った。戦場に出ている兵士が、故郷の恋こい人びとを懐なつかしがる歌だ。

「流石ボスです!」

「ありがとう」

 俺が歌い終えると、組織員たちが拍手してくれた。俺は自分の顔が元々赤いことに感謝しながら席に座すわった。

 俺たちは夜通し一緒に話し合って、一緒に笑って、一緒に眠りについた。

---

 翌日、みんなで本ほん拠きよ地ちの掃除をしていたら誰かが扉とびらをノックしてきた。ちょうど近くにいた俺が扉を開くと、そこには小柄の少年がいる。

「来たか、トム」

「おはようございます、レッドさん!」

 俺はトムのことを組織員たちに紹しよう介かいした。

「みんなも何度か見かけたことがあると思うが、こいつはロベルト組のトムだ。今日からここで少し鍛たん錬れんさせてやることにした」

「よ、よろしくお願い致します!」

 トムが上気した顔で挨拶した。そんなトムをみんな笑顔で迎むかえてくれた。

 俺はまずトムを走らせて、体力を試ためしてみた。予想通り高くはなかったが、トムはとても誠実な態度だ。教え甲が斐いがありそうだ。俺は午前中ずっとトムを鍛錬させた。

 午後になり、俺はトムのことをレイモンに任せて本拠地を出た。そして郊外の屋敷に向かった。

「レッド!」

 短い茶ちや髪ぱつの少女、シェラが明るい顔で俺を迎えてくれる。俺の姿に怯おびえない女の子は、アイリンを除けばシェラくらいだ。

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「何だ」

「あんたが一人で百人を倒したって噂うわさ、本当なの?」

 シェラが好こう奇きの目を向けてくる。俺は首を振った。

「あれは誇こ張ちようされた噂だ。あの戦いで倒された敵は六十か七十人くらいだし、その中で俺が直接倒したのは四十人くらいだ。残りは仲間たちが倒した」

「四十人って」

 シェラが呆あきれたように笑う。

「あんたって本当に化け物なのね。あ、これは褒ほめ言こと葉ばだからね?」

「どうでもいい」

 俺は苦く笑しようして授業を始めた。前回と同じく関節技の授業だ。

「暑い……」

 三十分くらい後、強い日差しのせいでシェラは汗あせをかく。

「あ、ごめん。もしかして私臭くさい?」

「いいんだ。一々気にするな」

「そうかな……」

 シェラは頬を赤く染める。

 そう言えば……いつの間にか夏が近づいてきた。街の外の風景が緑に染まり、人々の服装が短くなっている。

 この夏、俺はとても忙いそがしくなりそうだ。組織員たち、シェラ、トム……みんなを鍛錬させなければならない。

 でもみんなにも俺にも、きっと有益な夏になるだろう。俺はそう確信した。