なんてことのないたった一言に、ばんかんおもいがこもっている声音だった。

 その場に居合わせた使用人一同は、そろって視線を落とす。

「わたくちはマグノリアと申ちましゅ。初めまちて、おじいしゃま。よろちくお願いいたちましゅ」

 そう言い終わるやいなや、太いうできしめられた。

「マグノリアァァァァアアッ!!!!」

「ぐえっっ!?

 カエルをみ潰したような声がマグノリアののどから発せられると同時に、耳元でのだいおんじように耳がキィィィンと鳴る。

(い、息が……ぐ、ぐるぢぃぃぃ……っっ!!

 タップタップ!!

 あわてて腕をたたくが、相手はたかぶった感情のまま高速でほおずりして気づいてない。そして頬ずりされているほっぺがけずれるが如し……!!

「セルヴェス様、お嬢が潰れちまいやすよぉ?」

「父上!! 幼児をそんなに抱きしめたら複雑骨折しますよ!」

 のんびりしたガイの声と、焦ったクロードの声がして、べりっと引きがされた。

(し、死ぬところだった……!)

 複雑骨折。遠くなりそうな意識のかたすみでかすめたおんなワードに、ギルモアくつの伝説の騎士の恐ろしさを感じる。くわばらくわばら。

「……だいじようか?」

 マグノリアはよれよれとしおれ、セルヴェスがオロオロしているのを横目でながめながら、ため息交じりにクロードが声をかけた。

「あい。クロード……叔父おじちゃま? お兄しゃま?」

 彼はいつしゆんきよをつかれたように驚いた顔をすると、マグノリアの言葉にちょっと困ったように微笑ほほえんだ。――初めて会う筈なのに、どこかなつかしい表情。

 それを見て何故か騒めくような自分の感情に、マグノリアは内心首を傾げた。

「一応叔父だが、まあ呼びやすい方で構わん。おれはクロード・アレン・ギルモアだ」

 そう言って右手を差し出す。マグノリアは小さな手で握り返した。が、温かい大き過ぎる手に、まるで握り込まれるように包み込まれた。


(……知ってる……)

 何だろう、この感覚。

 おやさんやブライアンのことを初めて思い起こしたときと同じ感覚。

 知らない筈の人間を、知っている感覚。

 はっきりと、何を、というのではないのに……肖像画を見たから、というのとはちょっとちがう感じ。

(モヤモヤするんだよなぁ……)

 そんな気持ちをり払うように、目の前の若い叔父をまじまじと見る。

 すんごいイケメンだ。前世も今世も見たことないクラスのぼう

 眼福というやつなんだろうが、美しすぎてじやつかん落ち着かない。

「マグノリアでしゅ。よちなにお願い致ちまちゅ。……ずいぶん変わりまちたねぇ……」

「ん?」

 マグノリアの思わず小さく漏れた心の声を聞くと、眉を片方上げた。

 何とも絵になる様である。


 肖像画で見た彼の姿は、線の細い、氷のようせいのようなれいな子どもだった。

 子どもらしく切り揃えられていた黒髪は、今は無造作に伸びて肩と背中に散っている。切れ長ではあるが子ども特有に丸みを帯びていたあおむらさきの瞳は、年相応にあでやかさが加わったように見えた。

 絵より細くなった頬も、高い鼻も、引き締まった口元も。綺麗と言った方がしっくりくるものの、男らしいせいかんなそれだ。

 ただ十九さいというねんれいのせいか、いまだどこか少年めいてはいるが。

 何より祖父ほどではないものの、百八十を優に超えるであろう高い上背に、見上げるマグノリアはそっくり返るのではないかと思う。かたはばも広い。

「肖像画でしゅ。女の子みたいに可愛かわいかったでしゅのに」

「女の子……可愛い?」

 言われたクロードは、ボソリとしやくぜんとしないような表情とこわいろだ。

「おや、お嬢はイケメンはお嫌いで?」

「うーん。イケメンは色々大変しょうでしゅからねぇ」

 しぶい表情のマグノリアの言葉に、社交後のげんなクロードを見ているようで、アゼンダの三人組は苦笑いをした。


 しばらくして落ち着くと、セルヴェスとクロードは部屋の中を見回す。

 白い家具で取り揃えられた部屋は美しいが、子どもの、それも幼女の部屋にはとうてい見えなかった。ついでに言えば、これらの家具はセルヴェスの妻であるルナリアが、以前この屋敷で使用していたものである。

「……子ども用の家具が一つもないのか……」

 子ども用家具を揃えることを渋ったウィステリアによって、物置に置かれていたものをみつくろい、使用人によってはこび込まれたとガイがかくにん済みだ。

 何度も家具を替えるのがめんどうだから、質も良いしじゆうぶんだろうということらしい。

 クロードはすわる為の無骨な踏みだいと、高さを調節するために重ねられたクッションを見て小さく眉を寄せた。

「マグノリア、誕生日なのにえないのか?」

 当然のようにクロードが確認すると、マグノリアはきょとんとした。

「……誕生日? 誰のでしゅか?」

 セルヴェスとクロードは、息をめる。

「自分の誕生日を知らないのか……?」

「今日はわたちの誕生日なのでしゅか?」

 クロードを仰ぎ見て、次にセルヴェスに視線を移す。

「……えーと。どんな服ならいいのでしょう? 同じようなものちかないでしゅけど」

 そう言って固まったままのふたりをクローゼットのある部屋にいざなった。

 開け放たれたクローゼットを見てふたりは絶句する。

「他に服は……?」

「ごじゃいましぇんよ。もっと古いのが一着、せんたくに出てまちゅけど」

 大きさの合わないだろう令嬢らしいドレスが二着と、くたびれた綿めんあさのワンピースが合わせて三枚。木綿のブラウスが一枚。

 それがスカスカのクローゼットにぶら下がっている。

「「…………」」

 ガイは絶句する主人達をじっと見ていた。

 セルヴェスもクロードも良家の子息として育っている。

 彼等は常に尊重され大切におんを扱われる。子どものころ、座るのになんな椅子を使うことなど無かったであろう。戦地や野営等でボロボロになることはあろうとも、家へ帰れば上質で清潔な服を身に纏う。

 それはとてもありがたいことであるのだが。ふたりも充分に理解している。

 だがくつでは解っていても、それらは当たり前であり、普段気にすることはほとんどないだろう。素材を気にすることもないので、彼らは木綿でも絹でもそうとんちやくしない。

 たんれんや練習でよごすので普段はあせを吸う木綿のシャツを羽織ってることもままある。

 そしてそれらは常に充分な数があり、そしてその時々に必要な品質のものが複数り揃えられている。

 高位貴族として体面を保つためのごうな礼服達も同じ。

 彼等は決してろうではない。

 しかししつじつごうけんとは言え、必要なものは常に充分に与えられ満たされている。

 物も心も。それはここには居ないジェラルドも同じこと。

 戦地で常に危険ととなり合わせであろうが、家でその身をじやけんに扱われることもなければ、うとまれることもない。愛され、ていねいに大切にされ、尊重されるのだ。

 ガイはえて待遇についてくわしくはふたりに伝えなかった。無論、じようきようは余すことなく伝えたが。『子ども用の家具が無く、大人用の家具で不自由している』『粗末な服しか与えられてない』『家族に顧みられていない』……そんな風にだんぺんてきな事実達を報告した。

 聞いて、令嬢なのに不憫だと思っただろう。

 そしてふたりの想像で、よもやここまでの待遇の悪さだとは思っていなかった筈だ。

 実際に見てもらって、感じてもらった方がよい。低位貴族でさえ、お下がりであったとしても出来る限りの心配りで、その子の成長に合わせたしつらえが揃えられることだろう。家具しかり、服然り。

 ドレスを除けば貴族どころかごうの平民でもなく、大してゆうふくではない平民のそれだ。


 マグノリアは舌ったらずの例の口調で『みんなが丁寧に洗濯してくれるから、いつも綺麗に着ることができて有難い』とせんたくがかりの下女に言ったらしい。そして『いつも洗濯してくれてあいがとう』と続くのだという。

 下女は、他の三人にそんなことは言われたことどころか、声掛けされたことがないと静かになみだを浮かべた。高貴な人間は頭を下げない。されることは当たり前の権利であり、下々の者と気安く話したり、ましてや頭を垂れるなど貴族のマナーに反するからだ。

 マグノリアはれた手でわたされた粗末なおを下女から受け取り、それにも礼を言うと一緒にうすいお茶を文句も言わずに飲んだそうだ。次に会ったときは、庭師に貰ったのだとマグノリアがんだ果物を荒れた手に載せられたらしい。

「おじようさまの為、家の為って言うけど。正直そこまでする必要があるのかわからないよ」

 そう言っていた。調理場でも、清掃係にも。暑い日に外に立つ守衛にも。会えば挨拶をし丁寧に頭を下げ、労をねぎらっていたという。

(まあ、お嬢にとっては情報収集で相手のふところに入り込む為もあったんでしょうけど。でも必ずしもそんなことをする必要もないっすからねぇ)

 使用人だって平民だって、人間だ。マグノリアは未だ幼いが、それを知っている人間らしい。元々の人間性なのか。未だ貴族らしい教育をされていないからなのか。それとも、すでに違う常識を学んでいるのか。

 世界は、人生は理不尽だ。

 戦争でじゆうりんされる様々なものを見て来たセルヴェスは充分に知っているだろう。

 小さい頃から領政にたずさわるジェラルドも、クロードも、領地や人間の暗い部分を知っている筈だとガイは思い、心の中で問う。


 ――さあ。それが他人事でなく、自分の身内に起こったらどうされやすか?

 自分が引き起こしたら、どう決着つけやすかと、ガイは心の中で問う。


「そうか。……マグノリア、これを」

 苦い何かを噛み締めるようにつぶやいてから、セルヴェスはマグノリアの手にずっしりとした塊を載せる。手のひらでは支えきれないと察すると、慌ててマグノリアはかかえ、無造作に包まれた塊と祖父の顔をこうに見た。

「お誕生日おめでとう、マグノリア」

 厳つさについつい目が行ってしまうが、よくよく見れば意外に整った顔をしている祖父。

 彼は優しい瞳で笑うと、マグノリアの誕生を祝った。

 ポカンとしていたマグノリアは、おくれて、それが自分の為に用意された贈り物であり、今ようやく、初めてこの世界の身内に誕生をことがれたのだという事実を理解した。

 じんわりと、心に言葉と感情とがみ込んで行く。

「あいがとうごじゃいましゅ」

 丁寧にカーテシーをする。そしてずっしりとした包みを見て何度もまばたきをする。

「……開けてもいいでしゅか?」

もちろん

 ガイはニコニコとしており、何故なぜだかクロードは苦虫を噛み潰したような顔をして断言する。

「開けておどろくぞ」

「?」

 包みを開けると。何やら無数の黒い塊が。

(これ何? ……こうしんりようにおい?)

 くんくんと鼻を動かしているマグノリアに、クロードはため息とともに短く伝えた。

「干し肉だ」

「良かったっすね、おじよう。『ぼうけん』には食料と水、大事っすよ!」

 ガイはいい笑顔えがおでサムズアップする。


 というわけで。

 ピロリ~ン! マグノリアは食料(干し肉)を手に入れた!


 ――誕生日に干し肉って……そう思いながら干し肉の塊を見る。

 いや。あったな、前世でも。確か……今では名前が思い出せないかつての友人に、高い酒とビーフジャーキーを貰った筈だ。

(つーか、幼女にジャーキーの塊って……)

 マグノリアは心の中でしようした。

「……あいがとうごじゃいましゅ!」

 家出するときに、ガイの言う通り保存食として持って行こう。そうしよう。

 きっとおなかも心も満たされる筈だ。


******


 そんな頃、城の廊下を伝令を受けたジェラルドが走っていた。

(この前家に入り込んでいた『ネズミ』はもしやガイか……周辺国を調べていると聞いたが。それにしても随分動きが早いな。今、父上は領地に居る筈……王都に来ていたのか?)

 まさか六十を超え、二日間ほぼぶっ通しで馬を走らせて来たとは思うまい。

 ――体力的に不可能ではないのは充分知っているが。よもや顔も知らぬ孫娘の為にそこまでするとは思ってもいない。

 今日はギルモア家では普通の一日の筈だった。

 ジェラルドは城に。ウィステリアは友人宅のお茶会へ。ブライアンは最近出入りが許可された王宮だんの練習場に。

 しようそう感をねじ伏せながら馬舎へ行き、馬を借りる。

 慣れた様子でひらり飛び乗ると、軽快にわき腹をって屋敷へと走り出した。


******


 お茶の用意がサロンに運ばれ、祖父と叔父と幼女がおだやかに会話をしている。

 内容はあまりなごやかではないが。

 花の国の名前通り一年中花であふれるこの国では、庭がよく見えるように部屋を作ることが多い。ギルモア家のサロンからもごろの秋バラを始め、パンジーやビオラ、オキザリス、ケイトウ、なでしこ、プリムラにスイートアリッサム……と、色とりどりの花が緑の中に溢れていた。

「マグノリアは普段何をしているのだ?」

「しょうでしゅね……、なんきんしゃれていりゅので大体部屋で刺繍をちてましゅ」

「「軟禁……」」

 平然とつむがれた言葉を大人ふたりがり返す。

「確かにお嬢の部屋の扉だけ、べらぼうに重いっすもんねぇ」

「多分、一人で自由に出りぇないようにでしゅよ。事実確認はちてないけど、他の部屋は開けりぇましゅもん。わざわざ手間とお金が込んでましゅ」

「…………」

 セルヴェスとクロードの後ろにひかえるガイだが、ちょいちょいけ合いまんざいのようなマグノリアとの会話を聞く度、クロードは内容に苦い顔をする。

「……刺繍、好きなのか?」

「いえ、じぇんじぇん。先々にょ為の訓練(収入源)でしゅね~」

「それはえらいな! ちゃんと先を考えているのだなぁ」

 セルヴェスは見た目はともかくこうこうと化している。

「後、ライラ……じよしゃんに教わって、鍛錬を始めまちた」

「その、鎚鉾っ、すよね……? ぐふぅ……」

 腰に括られた鎚鉾を指さすと、ちゆう変な音がれるガイに、マグノリアは小さく頬をふくらます。

「ライラ……?」

 何か引っかかったのかクロードが確認すると、こっくり頷き壁際に控えるライラを見遣る。アゼンダの三人組も視線を辿たどる。部屋には数人の使用人がきゆうやら様々な仕事のためかべぎわに控えているが。

 視線の先にはくりの、良家の子女らしい侍女がたたずんでいた。

「……ああ。やはり『切りきライラ』か……何故ここに?」

 クロードの発したぶつそうな二つ名に、あやうくマグノリアはお茶をき出しそうになった。

『切り裂きライラ』

(何それ、コワい呼び名なんですけど!!

 セルヴェスは思い出したように呟く。

「バーナードしやくむすめか。……確かとうろうこうのところで騎士になるんじゃなかったか?」

 ライラは自分の名が挙がり、一歩前へ出て礼を取る。

「……侍女の身故、ご挨拶が遅れ失礼いたしました。バーナード子爵が娘、ライラでございます。マグノリア様のお世話のお手伝いをさせていただいております。以後お見知りおきを」

「ライラはこんいんが決まって、春にけつこんしゅるのでしゅ」

「はい。学院時代はペルヴォンシュ侯爵様の下へ参ずる予定でおりましたが、父がえんだんまとめまして……」

「そうか。せつかくの人材を東狼侯も残念じゃな。しかし、婚姻が纏まり、おめでとう」

「ありがとうございます」

 ライラは穏やかに笑うと、頭を下げ再び壁に控えた。ガイが小声で教えてくれる。

「ライラさんは学院時代に街で悪人をつかまえて。お役人に引き渡したら犯人がていこうしたんで、持ってる武器で服をズタズタに切り裂いたから『切り裂きライラ』って呼ばれてるんすよ」

(ズタズタ……)

 ……しゆくじよ以外の何ものでもないふんなのに。人とはわからないものである。

 服で良かったというべきなのか。

 軍部で有名人なんすよ、と付け加えられ、役人の前で引き裂けば、そりゃそうでしょうねとしか思えなかった。


 ……そんな雑念をち切るかのように、遠くから急ぐひづめの音が聞こえてくる。

「……帰って来おったな」

 セルヴェスの声に、クロードとガイが小さく頷き返す。

(さっき人が出て行ったのは親父さんに知らせる為か……)

 何だろう。これはもしかしなくてもごとの予感だろうかと首を傾げる。

(……私か?)

 自分のきようぐうをガイに聞いたふたりが、己の処遇改善の為に乗り込んで来たのかと思い至る。

 なんだかムズムズする気持ちにふたをして、どう対応するのがよいものか高速で頭を回転させた。

 目の前の彼等の人間性も目的も、解らないことだらけだ。仮にガイに聞いたとして、何故なぜ顔も知らない子どもの為、わざわざここに来ることにしたのか。

 それに、実際面と向かってジェラルドにないがしろにする理由を聞いたわけでもない。

(……考えたって解んないよねぇ。そんなときは出たとこ勝負っしょ!)

 臨機応変に、女は度胸だと気合を入れる。

 冷めたお茶をぐいーーっと一気に飲み干すと、むん!と鼻息を吐いた。


 ジェラルドが屋敷のアプローチをげんかんまえに降り立つと、顔色を悪くした家令が待っていた。

「父上はどちらに?」

「サロンに……クロード様とガイ、マグノリア様とごいつしよでいらっしゃいます」

 頷くと家令へぶくろを渡し、おおまたでサロンへ向かう。

(さて、どう出るのか)

 ……出来れば知られる前に全てを片づけておきたかったが、仕方ないと切りえる。

 ジェラルドがサロンの扉を開くと、意外にも和やかな雰囲気で小さなお茶会が開かれていた。その様子に、ほっと息を吐く。

 久々に見るマグノリアの腕には、何故か干し肉がたんまりと載せられていたが。

「よう、ジェラルド。ひさりだな」

 大きなセルヴェスが小さく見えるカップでお茶を飲む姿は、ちんみようにも感じるがだれも気にしていないらしい。

「お久し振りです、父上。……いらっしゃるならさきれを出して頂けるとありがたいのですが。辺境はくをおむかえするのに家の者のたくもありますし、予定があります故」

 言いながら弟であるクロードを観察する。この場は口出しする気はないらしく、いつものように静かに成り行きを見守るにてつしている様子だった。

「いや、何」

 言ったと思いきや。

 いつしゆんのうちに、大きな身体がどうしたらそんなに速く動くのか解らない動きでジェラルドに寄ると、高い金属音が部屋に響いた。

「……ほう。腕はにぶってないみたいだな?」

「……お人が悪いですね。通常、ていないばつけんは禁止ですよ?」

 ニヤリと笑うセルヴェスがおおいかぶさるようにけんし付け、ジェラルドは何処どこかに隠していたらしいづえでその重い剣を受け止めていた。

(……何、この親子? じい様もたいがいだけど、親父さんも存外すげぇな……)

 全くふたりの動きが見えなかったマグノリアは、心の中、すっかり前世の口調で独り言ちた。

 ジェラルドがとうだというのはちようではないらしい。

 若い使用人は息を詰めて固まっている。そりゃあそうだろう。偉い人ともっと偉い人がいきなりのにんじようを、部屋の中、自分の目の前で始められたら引く。ドン引きだ。

 張り詰めた空気の中、セルヴェスは剣をさやに収めると、ポン、とジェラルドの肩に手をのせた。

「……本気で話し合いを……謝罪をしなければと思ってな」

つう、話し合いや謝罪の前に切りかかったらけつれつしますよ?」

「いやぁ、普通、死んじゃいやすよね!」

 ガイが空気を読まずに割って入ると、ジェラルドとクロードが渋い顔で奴を見る。

 そして全員が……あいつは少しおこられた方がよいと思った。

 セルヴェスは何てことない様子でさっきまでマグノリアが座っていた場所に座ると、孫娘を手招きする。マグノリアはなおに祖父のとなりに座っておく。寄らば大樹のかげだ。


「……謝罪とは?」

 セルヴェスの正面の席に着くと、ため息交じりに父に問うた。

(おおぅ。個人の部屋でなく、ここで始めるのですね?)

あとと移領の件だ」

いまさらですか? もう十年前で……」

「今更でもだ」

 かぶせるように発せられた言葉に、ジェラルドは視線で先をうながす。

「お前にギルモアをがせたのは、お前が名乗るにふさわしいと思ったからだ。他意はない。わしが上手く伝えられなかった故、お前を深く傷つけたこと、心よりあやまる。本当に申し訳なかった」

 深く頭を下げる。ここまで素直に、そして頭を垂れる父の姿に内心ぎょっとしつつ、ジェラルドは誰にも気づかれないように小さく息をんだ。

「言葉が足りなかったのは儂のおごりだ。小さい時分から家族の、家門の、領民のためによくくしてくれた。今更だが礼を言う。本当にありがとう。……そして不安な、さびしい、迷う気持ちを解ってやれず済まなかった」

「……謝れば許されると?」

 ジェラルドの言葉に壁に控えている使用人全員が驚いて目を見開いた。

 当然のように受け入れると思ったのだろうが――声を誰も漏らさなかったのは流石さすがというべきか。

 この世界で家長の言葉は重い。

 今は同じ領主同士ではあるものの、彼らは親子である。何処か当然のように、セルヴェスが頭を下げたなら許されるべしと思っていたのだろうことがうかがえる。

 しかし、この程度で受け入れるくらいならここまで事態は深刻化していなかっただろうと、セルヴェスだけでなく、クロードもマグノリアも、そしてガイも思う。

 それに、人の気持ちというのは謝られたからといって、それが正しいと思ったとして、はいそうですかとみ込めるようには出来ていない。

「いいや。許してもらう為に謝るのではない。悪いことをしたから謝る。謝らねばならぬから謝るのだ」

「…………」

 真意を測りかねるように、ジェラルドは注意深く自分の父をみつめた。セルヴェスは、息子むすこの長年にわたる気持ちのわだかまりを軽くするには……彼の中の満たされない小さな子どもに、どう言えば伝わるのかを考える。

 親としてしてやれることはそう多くない。ましてやもう大人、しっかり者の息子に手を貸すようなことも殆ど無いであろう。

 かと言って何か小細工をするつもりはない。きちんと全てを広げ見せる必要がある。

「領地を統合しなかったのは、アゼンダをアゼンダのままに返したかったからだ」

「返す?」

 セルヴェスはどう説明すれば理解されやすいかを考える。いや、理解されなかったとしても、理由をきちんと伝えなければ。……かしこい息子であれば、自分のつたない説明でも意をんでくれるではあろうが、万が一にも再び違って受け取られてしまうことはけたいと思っていた。

「……確かにこうしやくとなるのを避けたかったのも本心だが、それよりもアゼンダを変えたくなかったのだ」

 ジェラルドはげんそうな表情で小さく頷く。

「アゼンダ公国の歴史は知っての通り、昔より周辺国のかんしようこくとなって来た。二十年ほど前にばくの国といくつかの小国の連合軍にめ入られ、せんきよされてしまったが」

「国境を接するくにかいにゆうしてだつかんしたのですね?」

 歴史書をなぞるようにジェラルドがあいづちを打つ。

「うむ。ひどい有様だった。しかしそれまでも時の権力者や時勢に左右されながら、アゼンダの民は長い時を、いかなるときもまんづよく生きて来たのだ。儂はその姿に敬意を持っている。儂が……いや、ギルモアが一時的に守護したとしても、いつか民のもとにそのまま返せればよいと思っている」

「――おえらがたが当時検討していた領地の引き直しは、後々へんかんするときに新たな問題やこんを残しかねないから避けたかった、と?」

「そうだ」

 ジェラルドはかみよりややい色合いのまつせて何やら考えている。

 新しい領地に線引きを変えてしまえば、元にもどすのは色々と困難になる。人も移動すれば、様々なものが変化するのがせつだからだ。

「……なぜ当時それをおつしやらなかったのです?」

「……言ってもそんなこと、普通は理解されまい? それに当時周囲から不要なせんさくを避ける為、力を分散する形にもしたかった」

「詮索……?」

 セルヴェスは当時を思い出すかのように遠くを見る。

「アゼンダを得、しようしやくされるとなると、当家が必要以上に力を付けることを良しとしない人間がありもしないうわさを声高々に主張していたのだ。……もう一つ、公国大公家の人間が生きており、その勢力と組んで何か事を起こそうとしているとす人間も少なからずいたのだ」

 ジェラルドは当時を振り返る。陞爵を言い出したのは先王であり、ほうしようの内容も場所の指定も王家が行ったはず。……まあ、そう思わない人間も居るということだろう。人間は見たいように物事を見る生き物だ。

「……大公家の方々はみなくなったのですよね? それとも本当はご存命なのですか?」

「人間、大きな力はこわいものなのだよ。あってもなくても、目に見えなければ余計にな。時代も時代だ。皆、しんあんだった」

「…………」


 マグノリアは、なつとくしきれない顔の父親と、かなしい瞳で誠実に対応しようとする祖父がたいしているのをひとみに映しながら考える。

 ジェラルドについては理由が不当であれ正統であれ、かたまった気持ちはすぐに納得できるというものではないだろう。正式に謝罪され、今後どうするのかはかれが決めることだ。

 ――いつぱんてきには丸く収まるのがよいのだろうが、心は自由だ。許せないなら無理に許さないでもよいのだ。


 セルヴェスがジェラルドをギルモア家の当主に指名したのは、能力も資質も問題ないからがひとつ。力不足どころか、彼こそが当主と決めていたようだ。

 公爵家に陞爵されたくない為、領地を分けたのがひとつ。

 小国とはいえ一国と、広大なギルモア領と同じ規模の領地ががつぺいした場合、それは広大な領土となる。王のしんらいも厚い。まして独自の戦力も持っている家門だ。

 国の中でギルモア家の権力集中をねんした人たちや、独立ないしクーデター的なものを画策していると想像していた人たちが居た為、領地をはなして分散しているように見せたかったということ。そんなんで見せかけられるのかは不明だが。焼け石に水とは言え、他に方法もなかったのであろう。

 もうひとつはアゼンダ領をいつか元の公国に戻したいが為。

 長い間しのんだかの国の人々を思い、将来的に元の国に戻せるようにしておきたいから、そのままの形でしたかったという真相だ。ただ、普通そんな考えは理解されない。

 領地や家門を盛り立てることを考えるのが領主の仕事だ。

 元に戻したいからと説明しても理解されないばかりか、ヘタをするとふたごころをいだいているようにとらえられかねないので上手うまく説明出来なかったといったところか。

 それ以外に言えないことがあるのか、全てなのかは解らないけど。セルヴェスなりにせいいつぱいの説明なのはしんな対応から解った。


「儂がしてしまったこと、足りなかったことについてはこれからも謝るつもりだ。だが」

 続く言葉に、ジェラルドはけんのんな瞳を向ける。

「マグノリアにお前がしていることは許容出来ん」

「結局お説教ですか?」

 ジェラルドは鼻で笑うように言い捨てる。

「そうではない。お前なりに何か理由があり考えて行ったことなのだろうが、理解のはんちゆうえている」

「子のしよぐうを決めるのは親の筈ですが」

「そうだが、子に何をしてもよいというわけではない。その子を守り、幸せになるような道筋を整えるのが親の役目ではないのか?」

「マグノリアが不幸だと?」

はたにはそう見えるだろう。じゃあお前は、あるべき名をあたえられず、もされず、食事すら一緒に取ることもない。家族の誰ともれ合わずに、められて暮らす生活が幸せだと?」

 静かに応戦は続く。

「勝手にをつけられ修道院に入れ、その後どうするつもりなのだ? それがマグノリアの幸せになると?」

「王家に使い捨てられるよりいいでしょう。それどころか……」

 何かを言いかけて、ジェラルドは口をつぐんだ。

 セルヴェスは問いかけるようにジェラルドを見たが、にぎりしめられた息子のこぶしをみつめ話すつもりがないのを察すると、再び口を開いた。

「……お前が王家に何を思おうと構わん。だが、如何いかなる理由があろうとも、マグノリアへの対応はちがっている」

「言えた義理なのですか?」

 ふたりの視線は厳しいものだ。声をあらげていないのに、部屋の空気の密度が濃くなったように息苦しさを感じる。

「間違えたからこそだ。そして家族が間違ったせんたくをするのなら、たしなめるのもまた家族故」

 セルヴェスは小さく息をく。

「お前は、こうかいしてもしきれなくなるぞ。『ギルモアの中のギルモア』であるジェラルドよ……だが娘へのまもりはギルモアにあらず! ギルモアとは、常に自らが守護する者のたてになる者のことだろう」

 きんぱくした空気が一気に部屋の中に広がる。

 色も匂いもしない筈の張り詰めたそれは、重々しくピリピリと部屋の全員をだまらせた。

(おおぅ……。今度は私のことでおっ始める気か……詰め込み過ぎなんじゃないのよ?)

 なんするかもしれないジェラルドの態度も、がっつり元に戻ってしまいそうだなと思う。

 ……良いのだろうか。

(……それにしても、ふたりとも、めっちゃぶっちゃけてるね?)

 かべぎわにはしつ長、マグノリア付きのロサ、客室付きのライラともう一人、しき付きのデイジーが在室のままだ。事情をよく知っている人間が多いとはいえ、ついに修道院に入れるつもりなことからじやつかんの王家批判までぶっちゃけ出した。

(うーむ、おやさんの部屋でするなりひとばらいするなりせんでもよいものなんだろうか?)

 ちらりとクロードをると、静かな表情ではあるが心配そうな瞳でこちらを見ている。

 整い過ぎている為に一見冷たそうに見えるが、こころやさしい青年らしい。

 そんな様子を見て内心ひとりひそかにほっこりしていると、何やらとびらの外で話し声がするのが聞こえた。じやつかんめているらしい雰囲気。もしかして……


 ここはていたく街。馬車の音は日常的なのでBGMとして聞きらしていたが、もしかしなくても帰宅していない方々が帰っていらっしゃったのか。

 思ったしゆんかん、大きく扉が開け放たれた。全員の意識がそちらへ集中し、セルヴェスとジェラルドの話も中断する。


「おじい様! 叔父おじ上!」

 ブライアンがさけびながら、ほおを紅潮させ入室して来た。あこがれのふたりを目の前にうれしそうに駆け寄るが、マグノリアが隣にいるのを見るとまゆひそめた。

「マグノリア、そこを退け!」

 入室の許可を取るでもなくあいさつをするでもなく。いきなり小さな妹をりつける様子に、全員が苦い顔をする。

「ブライアン、まず挨拶をしなさい」

 父に注意を受けると、何故か兄はマグノリアをにらみつけた。

(うっわ、じん! 私じゃなく言ったの親父さんじゃん!!

 そして、ドレスのきぬれの音と共にウィステリアも登場した。

 今日も決まってますね! と言わんばかりなキメキメだ。貴婦人は大変である。

 白いはだに深みのあるピーコックグリーンのを使ったドレスがよくえる。銀糸と金糸を使ってほどこされる細やかなしゆうはとてもみつ

 昼のよそおいらしく肌のしゆつは少ないが、替わりに豪華なレースがかざる。そしてデコルテを覆うようなごうしやな金地に細かなダイヤがめられたネックレスと、頭を飾るはねかざりがロココ感まんさいだ。

 何故かセルヴェスとマグノリアの後ろで、ガイがプルプルふるえているが。

 ……どうせロクでもないことを考えているにちがいない、そうマグノリアは思う。

御義父おとう様、クロード様。ごげんうるわしゅう。いきなりのご来訪、如何いかがなさいまして?」

 愛らしい声で、やんわりとげのある言葉を吐き出した。

 秋晴れのうららかな午後。れいな花々がき乱れるお庭の見えるてきサロンで。

 苦い顔のだんせいじん。睨む男児。皮肉な微笑ほほえみをかべるけんらんごうな貴婦人。固まる使用人一同。

 そしてプルプル震えるオッサンと干し肉の山を持つ幼女。

 何これ。

 遠い目をしてマグノリアがほうけていると、ウィステリアがちらりと娘の姿を目のはしへ入れると、不快とばかりにりゆうを顰めた。

 シュバッ!! 音をたて総レースの黒いおうぎを広げ、あかい口元をかくす。

「何故お前がいるの? そのような格好で、みっともない。部屋に戻りなさい!」

 堂々とした、人に命令をしなれた人間の声だった。

 ――しんと静まり返るサロン。

(……おおぅ。誕生日なんだったら、とんだバースデーだね? 一生のおもい出に残りそうだよ)

 マグノリアは小首をかしげて父を見る。合わない視線はどう収集するか考えているのだろう。

(それよりも貴方あなたおくさん、義親とていの前だけど。窘めなくていいの?)

 兄を見る。

いまだ睨んでいる……コイツは意外にねんちやくしつなんだな。ガタイの割にちっちぇやつ

 母を見る。

(義親の前でも通常運転か。なかなか強心臓だなぁ)

 そして隣のおじい

 ……なんか、ヤバいオーラがにじみ出てる気配を感じる。

 ちらり、見上げると。

 ……おにだ。鬼がいた……!!


 ――――――――――――。

 せつしゆんじゆん

 よし。今だ。チャンスとうらいだ。

 パチン、と小さな手のひらを合わせて立ち上がる。


りようかいいたちまちた。しゆうしゆうがちゅかなくなりゅ前に、話をまとめまちょう」

 言いながら干し肉をガイにわたす。

「持っててくりぇりゅ?」

「はい」

 ガイは素直にうなずく。

 マグノリアの表情を見遣って安心すると、たんニヤニヤし出した。思わず眉を顰める。

(コイツは。高みの見物かましていやがるな……)

「まじゅ、お父しゃまとおじいしゃまの件はご自分たちでどうじょ。丁度いいので話題に上がっていた、わたくちの処遇にちゅいてのお話をちたいと思いましゅ」

 これを見てくだしゃい、と言いながら数枚の紙をテーブルに広げる。

 さい内容を見て、ジェラルドが一瞬目を見張った。

「これは……?」

 ジェラルドが帰宅して以降、ようやく何処かえんりよがちだったクロードが口を開いた。

「ギルモア家の家政費用の一部をばつすいちた、十年分でしゅ」

 家政費用。マグノリアの言葉を聞いて、執事長が青ざめる。

 自室からサロンへ来るときに、万一に備えて持って来た例の写しである。

「原本は図書室にありましゅ。必要でちたら後ほど数字に誤りがないかお確かめくだちゃい。……執事長しゃん、しよういんめつちたりちたりちないようお願い致ちましゅ」

 いたいけな幼女のけがれなきまなこ(※当社比)でお送りしておく。……執事長の顔が青から白に変わった。

「これは……酷いな」

ふくが毎年マグノリアに対して、ブライアンが十~五十倍。ウィステリアに至っては千倍以上……」

 クロードとセルヴェスが記載された金額にがくぜんとしている。

「……この、『プリマヴェーラ』というのは誰だ?」

ねこでしゅ」

「猫?」

 怪訝そうにクロードが繰り返す。

「お母しゃまの猫ちゃんでしゅ」

「「…………」」

 アゼンダのふたりは閉口して、まじまじと写しをみつめた。

「自分の産んだ娘が、猫の十分の一なのか……」

 セルヴェスの声が哀しひびく。

 そう、猫も大切な家族だ。飼い主にとっては。

 そして飼い主にとってはそこまで外れた感覚ではないだろう。ゆうふくであればなおさらだ。

(でもまあ、猫ちゃんと面識ないお爺さんからしたらそう思うよねぇ)

「アチュカルド王国では女児はあといという面で大ちて役に立ちましぇんち、こりぇを見るにあいがん対象とちても役目は果たしぇないかと思いまちゅ。また、今までの生活かんきようかんがみても命の危険性こそありましぇんが、家族とちて遇ちていりゅとは言いにくく、軟禁ちている状態は明白。今後修道院にしゆうかんち、都合がよい家門へ押ちちゅける計画を立てていたことから見ても、家族が持て余ちていると言えるでちょう。……まあ変質者へ売りちゅけて、ばくだいにゃ利益を得りゅ場合はちょっと違って来ましゅが」

「愛玩……変質者……」

 写しを見ながら、クロードが低い声でつぶやく。壁に控える侍女たちがおののく。

「要ちゅるに、不要にゃ者。しょういう場合、どうしゅるか。一般的に売りゅか捨てるかでしゅ」


 ――――不要な者は、売るか捨てるか――――


 話している内容と子どものたどたどしい口調とがちぐはぐ過ぎて、口が回る筈のジェラルドまで呆気に取られている。

(……よしよし)

 ぼうぜんとしている内に先制パンチだ。相手が正気を取り戻す前に一気にたたみ掛ける。考えさせてはいけない。混乱に乗じてしようげきてきな言葉を並べ、難しい言い回しでけむに巻く。

りゃない子どもとして捨てりゅ場合、普通はいんに行きましゅ。逆に孤児院の幼児を『買い取りゅ』場合、一般的に小銀貨二、三枚とのことでしゅ」

 部屋にいた全員が息を呑む。

「申し訳ないのでしゅが、小銀貨を三枚貸ちていただけましゅか? お金が出来だい、必ず返ちましゅ」

 クロードに穢れなきまなこビームでお願いすると、ちゆうちよせず渡してくれた。

(恩にきます、とっても若い叔父さん)

 そのままジェラルドの前へ進み出ると、大きな手を取り、銀貨を載せる。

 シャリン、と。れて小さく音をたてた。

「あい。こりぇが『あなたの子どもだった者』の価値でしゅ」

「…………」

 食い入るように三枚の銀貨をみつめるジェラルドを、しばし静かにマグノリアもみつめた。

「これで、わたくちは買われ、居なくなりまちた。もうこうしやくちゃまが忙ちい中、手数をかけりゅ必要もありましぇんち、侯爵夫人とご令息ちゃまが気分を害しゅることもあいましぇん」


 わなわなと震えるウィステリアはきっ! とマグノリアを睨みつける。

「何て生意気な子どもなんでしょう! ずるがしこくて、いやな子!」

 ドレスをひるがえし足早に部屋を出て行こうとする。

(あーあ。謝まるどころかキレて、にする気? ……義親や使用人の手前、ずかしいし引っ込みつかないんだねぇ。でも普通、ここは周囲の手前良い顔しといて、後でイジめんのがセオリーじゃないの?)

 痛い目みなきゃ解らんなら、おばちゃんがゲンコツかましたるまでよ。

 マグノリアはにっこり微笑む。後ろ姿の母へ。

「侯爵夫人」

 呼びかけられ、反射的に足を止めた。しかし振り返らない。

 マグノリアは姿勢を正し、まつなスカートを広げゆうこしを落とす。ひまに任せて何度も練習した淑女の礼。

「産んでいただき、大変お疲りぇ様でございまちた。次のごかいにんとも男児でありましゅこと、心よりおいのり申ち上げましゅ」

 黙ったまま、ウィステリアは手に持った扇を勢いよくゆかたたきつけると、振り返らずに部屋を出て行った。

(くれぐれも、次の子どもに同じことしてくれてんじゃねーぞ!!

「しゃようなら『お母しゃま』」


 セルヴェスは貴婦人さながらに美しい礼を取る小さなまごむすめの背中をみつめながら、おもしろいと思った。本来小さな子どもが置かれる境遇として有り得ないじようきようを面白がるのは人としても祖父としてもきんしんだしだろうと思うが、泣くでもかんしやくを起こすでもない様子に、きようがくかんたんと、少しのれんびんさを覚えていた。

(何というたんりよく

 彼のふたりの息子はどちらも大変ゆうしゆうであったが、それとはまた違った優秀さだ。可愛かわいらしい見た目にだまされると間違いなくこちらがわれる。

(身内に、それも孫娘に喰われるならそれもほんもうだが。今しばらく自分の役目を果たさねばな)

 見事自身で自由をもぎ取ったとはいえ、まだ幼い。

 あく将軍と呼ばれた男は、厳しくも温かい指揮者の瞳をしていた。


 クロードは自分をさげすむ母親に対し、美しい微笑みを向ける小さなめいを見て深いせきりよう感を覚えていた。

 本当の両親を幼くしてくした彼は、血のつながりに深い憧れがある。

 義理の家族はとても良くしてくれ、自分は養子だなんてくつに思うようなことは無かったけれど。子どものころ、友人たちの親が子をおもる姿を見る度、あまやかな感情が心の奥をき乱した。

(なのに実の親に見捨てられて、さらに子がその親を捨て返すのか……?)

 四さいの女の子の不自然な老成さ。

 ふくふくとした頬が目立つ愛らしい顔には、未練はじんも感じられなかった。

(何故なんだ?)

 ……目の前の子どもは、自分が知る子どもとは全く違う得体の知れない存在に思えた。

 親は子にしようの愛を持つというのはうそだったのか。目の前で見たの姿も、愛情にあふれる母親の姿では決してなかった。クロードは何者でもない何かへと問う。

 それならば、血とは? 家族とは? 連綿と今へ至る筈の繋がりとは何であるのかと。


 ジェラルドは変わってしまったむすめをみつめながら、誤りをさとった。

何処どこで変わった? いつ?)

 決して過去の見立てが見誤りだとは思わない。――が、何故か事態は知らぬ間に急激に変化していたのだ。このところ感じていたかんの数々を思う。

 別人になった娘は、自分で自分をその小さな手に取り戻した。

 ……若干反則めいた手であり実際穴もあるが、そこをてきするのは止めておくことにする。

 もうおびえることもなければ、甘えてジェラルドに手をばすこともないだろう。代わりに大きくつばさを伸ばし、自由に遠くへ羽ばたいて行くことだろう。

 だがそれでかえって良かったと思えた。未来は変わる筈だ。

 ……たとえ無責任とののしられようと、幸せになってくれるのだったら。その可能性が広がるのなら、その方がいいのだから。

(さようなら。かつての『小さなマグノリア』)

 手のひらの銀貨は軽くて重い。

 銀貨に移った子どもの高い体温と、えない筈の『何か』をえて、ジェラルドはあわく微笑んだ。


 ガイはギルモア一族をみつめながら、過去と未来を思う。

 新しい明日は、果たしてかがやくのか。おぼろげに、あいまいに、めいりように。未来は常に形を変える。

 ――形が定まらないなら、好きに作ればいいと。


 マグノリアは思案する。

 あとくされないように。そしてめいわくは最小限に。感傷にひたっている暇はない。

 必要な結果を最上級に取りに行く。じゆんをつかれないうちに。相手が全体をあくしないうちに。きゆうてきすみやかに。

「おじいしゃま、お願いがありゅのでしゅ」

「なんだ?」

じよしゃんのことでちゅ」

「侍女?」

 壁際に立つ侍女たちも息を詰めるように立ち尽くしていたが、自分達のことが口にのぼり姿勢を正す。

「あい。今回にょことや書類にょことで、侍女しゃんは何も関わっておりましぇん。ぐうはつてきに入手ちたのでしゅ。でしゅが、かんが疑われかたせまい思いをちたり、最悪、クビになったりしゅる可能性がありゅでちょう? 幸い、わたくちに付いてくりぇる三人のうちふたりは数か月以内に退職が決まっておりまちゅ。問題なければ早期退職とそのてんを。そうでにゃい者は本人の希望もかくにんの上、新ちい職場のあつせんをお願いちたいのでしゅ」

「マグノリア様……」

「私たちはだいじようでございます。ご心配頂かずとも、必要とあれば自ら対応させていただきます故」

「…………」

 デイジーはなみだを浮かべて言葉が続かず。ライラはくちびるめながらマグノリアへ頷く。

 ロサは空をみつめたまま動かない。

あい、解った」

 セルヴェスは頷く。孫娘の今回の願いは、可能な限りすべてかなえるつもりだ。

「それと、ギルモア侯爵。今迄のわたくちの生活費をどうしゅるかお話ち致ちましょう」

「そのようなものまで……必要なかろう? だれだって小さい子どもは育てられるものだろう?」

 ジェラルドではなく、クロードが力なくマグノリアに言う。

「しょうではないのでしゅ。……一般的にはしょうであっても、場合によって対応は変わりゅのでしゅ。きちんと話し合っておくことはおたがいの為に大切なのでしゅよ」

 家政費用の写しの一枚を裏返すと、なにやら計算したものが書かれている。

 まるで、こうなるのをしていたかのように。

「食費。食事の量はブライアンちゃまより小しゃいのでたくさん食べりぇないのでしゅが、一応同じで計算ちてありましゅ。雑費をどう計上しゅるかは難ちい問題でしゅが、一応目に見えりゅふくしよくはこちら、教育費は無ち、交際費も無ちです。しょれと、出産に必要だったりようの計上も必要でありぇば医師に確認の必要があるかもちれません」

 ジェラルドはゆっくりと写しから瞳を外すと、マグノリアに向き合う。

「……それらの受け取りのほうは可能かい?」

「…………。お金で解決出来りゅものは、利用ちた方が明確で後腐りぇにゃいと思いまちゅが」

「……放棄は可能かい?」

 マグノリアは小さくため息をつく。

「人間は、何か不都合なことがあったとき、思いも寄らにゃい行動を取りゅことがあいまちゅ。今はしょんなこと、と思うでしょうが。この先何かしらがあって、わたくちを引き戻しょうとなしゃる事態におちいったとき、しょこを有耶無耶にしゅると争点にないまちゅ」

 幼女が領主の仕事を熟す父親に、言いふくめるように金銭での後腐れない解決を再しする。

 自分が戻ることは全くかんじように入れていない様子に、決意の深さを感じた。

 しかし静かな瞳でみつめるジェラルドに、彼も引く気がないことを悟ると、マグノリアは再び小さく息を吐いた。

「では、互いが納得出来りゅけいやくしよを?」

 契約書。

 クロードはどう口をはさんでよいものか、黙ったまま成り行きを見守っているが、目の前の馬鹿げている話し合いが夢でないことが不思議で仕方なかった。

 確かにたんした親子関係ではあるが……姪が生家を後にするにしても、もっと子どもの気持ちにはいりよするような、大人同士での話し合いを提言するつもりでいた。

 そしていつかお互いのわだかまりが無くなったら、元の形に戻れるように……

 ところが子ども――それも幼児がたんたんとこの場を仕切り、大人顔負けの内容で自らも周りも切り離して行く様は、酷く現実味がない。

 いつもは感情豊かなセルヴェスが、自分と同じように静かに見守る様子も違和感を覚える。

 父は人との繋がりを大切にする人間だ。

 命のはかなさと強さを知るからこそ、余計にそこにこだわるようにすら思えたのに。

「承知した」

 兄も、本来ならもっと上手くかいするなり遣り込めるなりするだろうに。

 クロードは酷く痛む心のまま、小さな姪っ子をみつめてはきつく拳を握った。


「……お前、本当、生意気だ!!

 うなるような子どもの声が、マグノリアにぶつけられる。

 忘れ去られたかのように所在なく立ち尽くしていたブライアンだ。

「ブライアンしゃま。短い間ではごじゃいまちたが、お相手いただきあいがとうごじゃいまちた」

 悪びれる様子もなくマグノリアは礼を取る。

「お前なんか出ていけ!」

 今迄の話の内容がいまいちみ込めていないのだろう。ブライアンは妹を傷つけようと捨てゼリフを吐く。

「はい、出て参りましゅ。げんよう、どうじょお元気で?」

 両手をぐっと握り締め唇を噛むと、もう一度マグノリアを睨み、勢いよくけ出し部屋を後にした。大きく叩きつけるように扉が閉められる。

 ブライアンを黙って見送ると、セルヴェスが満を持して口を開く。

「マグノリア。この後、一体どうするつもりなんだ?」

「しょうでしゅね。基本的には孤児院に入りゅ予定でちゅが?」

「「「…………」」」

「国内の孤児院が色々……まあ、難ちいようでしたりゃ、誰か外国の孤児院にはないでちゅか?」

 本当は、家を出るなり輸送中に行方ゆくえ不明になるなり、しばしせんぷくしての振りをして、何処どこか遠くの孤児院にもぐり込むつもりでいたのだが……今のこの状況では、それも難しいだろう。

 せっかく国内有力貴族がそろっているのだ。なおに広い顔を貸して頂こうというもの。

 うーん、とセルヴェスがにごす。マグノリアは愛らしい垂れ目をパチパチとまばたいた。

「……孤児院は難しいと思うぞ」

けんていとかきようの問題でしゅか?」

「いや、違う。その色だ」

「いりょ?」

 小首を傾げる。

(またこのファンシーピンクか……イラっとするな、本当)

「北の国特有の色なんでしゅよね? 目立たないように、北の国があった周辺の孤児院は駄目でしゅか?」

 同じ色味が沢山いますよね? きっと。そう心の声が聞こえた。

 あ~……、と言わんばかりに、セルヴェス・ジェラルド・クロード・ガイが残念な者を見る目でマグノリアを見遣る。

「……いや、それな。北の国の『王族』特有の色だぞ。我々は亡き国の王家の血が入っておる。小国とはいえちょっと変わった国だったから、孤児なんぞになったらあっという間に多分どっかの国に取り込まれて、めんどうなことにしかならんぞ」

「ええぇぇぇ~~~……」

(そんなん、聞いてないよぉぉ……!)

 面倒とは……一難去ってまた一難とは、このこと……?


 やっと子どもらしくガックリと頭垂れる姿を見て、クロードはうすく笑ってひざをついた。

 うつむくマグノリアの顔を下からのぞき込むと、ニヤッと意地悪く笑う。

「借金を返すまで館に来ればいい。……たおされるとかなわんからな?」

「……しょれは反則になりゅので嫌にゃのでしゅけど。しょれに、お金が出来たりゃ返すと約束ちまちたのに!」