第四話 嵐の誕生日
ガイ自身もジェラルドがそう遠くなく、マグノリアを修道院に移動させるつもりであるのを裏付ける情報しか入手することが出来なかった。かと言って、そう差し迫ったものではなく今しばらくは余裕があるだろう。
しかしそれより先に、マグノリアの方が飛び出して行きかねない。全くもって油断ならないお嬢様なのだから、一刻も早い対応が必要だろう。
王都から三日掛かる道のりを無理を承知で短縮し、二日程でセルヴェスとクロードの待つアゼンダ辺境伯領へと急いだ。
ガイからの報告を聞いたセルヴェスは奥歯をギリギリと噛み締め、クロードは非常に困惑した表情を浮かべていた。
「……本当に、兄上の子で間違いないのか?」
「はい、裏は取れておりやす。それに、アゼリア様にそっくりでいらっしゃいやしたから」
「お祖母様に……」
クロードは考えをなぞるように呟くと、青紫色の瞳を伏せて考えを纏めているようだった。
それよりも、奥歯を噛み締めたままのセルヴェスが心配だ。奥歯が砕けるんじゃないかと思ってガイは自らの主人である辺境伯を仰ぎ見る。
……。…………。
……鬼だ。鬼がいる。
鬼が低く唸りながら問うた。
「名は……名は何と言った」
「『マグノリア』様。マグノリア・ギルモア様です」
「…………」
「ミドルネームはないのか? ……侯爵家の令嬢であるのに」
「はい。ゆくゆくは地方の口の堅い低位貴族にお輿入れ予定とかで。周囲に身元を邪推されないようにお付けにならなかったのではないかと推測してやしたねぇ」
「――――」
聞いたままで黙り込んだ父の代わりにクロードが確認したものの、返って来た答えに父と同じように唇を引き結び、両手を握りしめた。
アスカルド王国では、侯爵以上の家柄に生まれた子どもにミドルネームをつける風習がある。名を見ただけ、聞いただけで高貴な生まれとわかる仕組みだ。なので高位貴族でありながら、数がそれなりに多い伯爵家には適用されない。
ミドルネームが無いということは侯爵家の認めた子ではないと、親が明確に意思表示したようなものだ。養子でありながらミドルネームを与えられたクロードからすれば、まだ見ぬ小さな義姪が不憫でならなかった。
食事こそ与えられているものの、家族に顧みられず、粗末な服を纏い……あろうことか自由を奪われ、部屋に留め置かれているなど。あるべき名を与えられず、披露目もされず。本人に瑕疵が無いにもかかわらず、修道院に押し込まれようとしている。
侯爵令嬢でありながら周りに身分を隠し、無駄に瑕疵をつけて低位貴族へ嫁がされる予定だろうという。
(兄上……)
「そのマグノリア様のお誕生日が、週末っす」
「誕生日!?」
「週末って、明後日じゃないか!」
セルヴェスは開いた口を唸りながら閉じると、一度瞳を閉じ、ゆっくりと開く。
すると今迄溢れていた怒りは霧散し、沸々とした覇気が漲っていた。
これは。戦場に立つ主のようではないかとガイは思う。
冷静沈着なクロードが、静かな声で諫める。
「父上……くれぐれも穏便にですよ」
「解っておる。出る」
短く言うと、外套を鷲掴み大きく音を立てて羽織り、颯爽と大股で部屋を出て行った。
齢六十になるとは思えない身のこなしは、流石悪魔将軍。
出陣だ。
「して、マグノリア……は今どのように?」
「金を貯めて、身体を鍛えて……近々出奔するおつもりっす」
「……出奔?」
思ってもみない言葉が飛び出してきて常識人のクロードは閉口する。そして戸惑いながらクロードも外套を引っ掴み、足早に父の後を追う。
早足で近寄る心得た家令に、歩きながら留守の指示をして外套を纏った。
******
黒い大きな青毛の馬が先頭を切って走り抜ける。その後ろを鹿毛二頭が列をなして走っている。
紅葉が交じる樹々と抜けるような青空は本来目を楽しませるものであろうに、理不尽なことにただただ舞い上がる砂塵と共に流れ去って行く。馬を休ませる以外は不眠不休で二日間駆け抜けてきた道を、再び戻ることになったガイを時折気に掛けるように振り返るクロードを、本人は苦笑いで見遣った。
クロードは、事の決着をどのようにつけるべきか思案していた。
父と兄が和解して子どもの待遇が改善すれば良いが、果たして改善したからといって全て解決かと言えばそう単純なものでもない。
姪がもう少し大きくなって色々な判断がつくようになれば、自分がどれだけの事をされたのか思い知ることになるだろう。父と兄以上に関係の断絶になることは想像に容易い。
一般的にアスカルドでは親に子の処遇を決める権利があるとはいえ、義姉や義甥の様子も聞くにあたり、そのまま一緒に暮らし続けても誰が幸せになるのか疑問であった。
(低位貴族に養子に出すことを進言すべきか……)
勿論、意見を求められればだが。信頼する貴族の家に養女として貰い、体調が戻ったとしてお披露目をすると言うのが一番穏便なパターンだろう。
低位貴族の子女であるなら早々王家と関わることも少ない筈。
(しかし、お祖母様によく似ているということはギルモアの血だということを隠しようがない……色々と手詰まりだな……)
綺麗な顔が、苦虫を噛み潰したようになる。それに、父の分が悪いとは言え、それを理由に関係のない子どもまで意図的に不幸にするのはやり過ぎだ。
(しかし、何故?)
兄らしくない報告の数々に、妙な引っ掛かりがある。
まあ、今更言ったところでどうにもならないのだが……
――もしくは、自分の代わりにアゼンダを継いでもらうかとの考えが頭をよぎる。
元々、父の持ちうる全てを継承するのは本来兄であるべきこと。自分は元の『男爵家の嫡男』に戻ればいいだけだ。父がごねるであろうことは避け難いが……どうしても反対されれば、自分が分家を作れば良いと思う。
彼女は正統なギルモアの嫡出子。
名前の問題もあるが……女子本人が家督を継ぐなら、そのようなものは吹き飛ばすくらいの功績を持てる人間になるであろうし、極々普通の人間だったなら、家を継ぐだろう結婚相手にその辺の事情も汲めるような人間を選んでもらえば済むことだ。
どちらにしろ、ギルモア侯爵家の中だけで済みそうならこちらが必要以上に出張る必要もないし、収拾がつかなそうなら提案の一つとして挙げれば良いだろうと結論づける。
山道と街道が分かれる少し手前、セルヴェスの馬が速度を落とした。
もう少しで地方都市であるサンタナの街がある。
――走り通しで、流石に宿を取るつもりなのか。クロードとガイも不思議に思いながら速度を落とす。
俯くセルヴェス。
ぷるぷる震えるセルヴェス。
(ご自分のやらかしが齎した結果に、慄いていらっしゃるのか……?)
訝し気にクロードが声を掛けようとすると、セルヴェスは凄まじい勢いでふたりを振り返った。
ぐりんっっ!! ……風が見えた気がした。ふたりはちょっと仰け反って、セルヴェスの焦った顔を見る。
「どうしよう……っ!!」
「……どうかされましたか?」
ぐぐいーーーっと顔をクロードに近づけると、切羽詰まったようにがなり立てた。
「誕生日なのに! プレゼントを用意するのを忘れた!!」
「「……は?」」
「贈り物じゃ、贈り物! ……マグノリアは、四歳の女の子は何が欲しいものなんだ!? 周りが男ばかりで見当もつかん!」
「…………」
ガイは、何やら面白い様子に陥っている主をみてニヤニヤしているが。
クロードは黙ったまま冷たい視線を、頭を掻きむしるセルヴェスに浴びせていた。整い過ぎた顔が冷気を纏うと、物凄く冷酷に見えるものだ。
「……知らぬ。どうでもよい」
冷え冷えとする低い声が響く。同時により低い声が唾を飛ばす勢いで反論する。
「どうでもよくないぞ! だからお前はモテないんだぞ!!」
「いやいや、クロード坊ちゃまはモテるでしょうに」
ガイがセルヴェスの言葉を否定する。確かに家柄良し、器量良し、能力良し、財産良し。
現在十九歳のクロードは、今も昔も未婚女子の垂涎の的である。輿入れを狙う相手として不足なし! と常日頃ギラギラした目でみつめられ、げんなり気味なくらいである……
「坊ちゃま言うな。それもどうでもよい」
「贈り物は保存の利く干し肉とか、万一の解毒薬とかが喜ぶんじゃねぇですかねぇ?」
「干し肉は解るが、解毒……毒っ!? 毒でも盛られているのかっっ!?」
「往来で大声はお止め下さい。……ガイ、そうなのか?」
「いや、目端の利くお嬢ですからねぇ。万一に備えて調べてたみたいっすねぇ」
何とも言えない回答にホッとしていいのか眉をひそめればいいのか。
「あと、四歳児は男女とも干し肉も普通は要らないですよ、父上」
「旨いがなぁ」
「ずっとだと飽きやすがねぇ」
壮年の大男と小男、青年の大男が三人寄れば意外にかしましい。
……して、ここは往来。
「ちょっと、端っこ歩きなさいよ!」
後ろから来た、手押し車を引いた鬼バb……ご婦人に勢いよく叱られた。
めっちゃコワい顔だった。反射的に三人の背筋がピッ! と伸びる。
「「「スマン! ……デス。」」」
男たちは小さくなって、小さな声で詫び、すごすごと端っこに寄った。
王都まで、後半分。
******
凄まじい勢いで走る複数の早駆の蹄音と、断続的に低い地響きがする。
こんな邸宅街に珍しいこともあるものだ。馬にはスピード違反はないものなのだろうか。
屋敷の主人が殆どは城に居る為、伝令の早馬が来ることは滅多にない。
……いつもは静かなギルモア侯爵邸がにわかに騒がしくなり、程なくして廊下を走る足音があちこちで響くようになる。
「…………?」
いつものように刺繍に精を出すマグノリアは、不思議そうに首を傾げた。
最近はダフニー夫人の授業にも碌に出させてもらえないので、近隣国の言葉での挨拶や簡単な会話を頭の中で練習しながら針を動かす。
……挨拶と簡単な会話なのは、難しい内容は独学では厳しいからだ。出来ないなら出来ることを完璧に。必要なものを学ぶのだ。
ちょっとイラッとしないわけでもないが、将来設計と言う計画ないし妄想をして過ごす。
大きくなって孤児院を出、ある程度移動が可能になったならば、大国に紛れて暮らす方が安全なのか。それともアスカルド王国との国交が稀な小国でひっそり暮らした方が良いものなのか迷いどころだ。
……この厄介なピンク色がある程度居る国の方がよいだろう。元々北の方の国の色だという。北方面の国に紛れれば目立たないだろうか?
そんなこんなを妄想していると、何やら下の方で怒鳴り声が聞こえ始める。
流石におかしいと思い窓の外を覗くと、使いの者が屋敷から転がり出て行くのが見えた。
(何だろ? まさか敵襲? ……今って平和な世の中なんだよね??)
不安そうに扉をみつめるロサを見て、腰に括りつけた鎚鉾を撫でる。
(……まさか修道院に入れるにあたり、人に攫われたテイにするの? そんなことよりこっそりナイショで連れ出した方が簡単なんじゃない!?)
病気療養とか養子に出したとか。使用人達への言い訳なんて幾らでもある。
それに攫うテイにするにしても、何も人目の多い真っ昼間に騒ぎを起こすよりも夜中にこっそりしたらいいだろうに。
それとも、ウィステリアがついに本気で排除に動いて、ガチの人攫いを送り込んで来たとか……そんな物騒なことを考えてもみる。
もつれるような足音。激しい衣擦れ。焦る声音。
「……様! 先ぶれは如何な……いました!」
「先ぶれな……出し……ところで締め出される……オチ! そもそも戦場で相……に先ぶれなど出さ……わ! 奇襲あるのみ!!」
「ち……うえ、穏便……、お……にですよ!」
奇襲……。マグノリアは微妙な表情で扉をみつめた。
家令と執事長の声がする。それと聞いたことのないがなり声。もう一方は冷静で低いバリトンボイス。
小さな足音と重そうな足音。何か重いものを引きずる音。それらが段々と絡まりながらマグノリアの部屋に近づいて来ている。
ロサは青い顔で固まっていた。
(……ロサは知らされていないのか……)
と、いうことは茶番じゃないのかと視線を巡らす。
それともリアリティー重視の味方にも教えていないってやつなのだろうか。そう小さく独り言ちて針を針山に刺し、スカートの糸くずを払うとロサを庇うようにやや前側に立つ。
本来立場が逆な気もするが……まあそこはそれ。人攫いの茶番なら酷く傷つけられはしないだろう。本当だった場合は……どうだろう。あまり考えたくない。
強盗なら強盗で、今の主人は文官だとは言え、ギルモア家に喧嘩を売る奴なんているのだろうか。
ズバアァァァンッッッ!!!!!
アホのように重い筈の扉が、凄い勢いで開け放たれた。
(ちょっ! ……ドア、壁にめり込んでないよね!? ぶっ壊れてない!?)
思わず煙が上がりそうな勢いと音に呆気に取られて、マグノリアは壁と扉を交互に見る。
そして。
開け放たれた扉の前には、右肩に家令、左腕に執事長。腰に守衛と護衛騎士をぶら下げた、赤毛が波打つ筋骨隆々の大男が立ち塞がっていた。
(…………。グリズリーみたい……デカい)
悪魔将軍。
先代のギルモア侯爵ことセルヴェス・ジーン・ギルモア――アゼンダ辺境伯だ。
(……肖像画は実に写実的だったと証明されたよ)
そしてその後ろには、相変わらずニヤニヤした顔のガイと。
頭が痛そうにげんなりした顔をした、への字口の、黒髪のやや癖のある髪を肩に流したとても麗しい青年が立っていた。
マグノリアの目の前には、二メートルを超すであろう筋肉の塊がぷるぷると震えていた。
少年漫画真っ青なマッチョを超越した堅牢な筋肉に慄くが、こげ茶色の瞳は優しく、普段は厳つい顔つきなんだろうに。それが切なげに歪められていた。
(……ああ、この人はちゃんと愛情を持った人なんだな……)
人間は、上手く取り繕っていたとしても意外に本心が透けて見えるものだ。それが良きにつけ悪しきにつけ、その感情が強ければ強いほど隠しきれない。
少なくとも自分に対して敵意はない。マグノリアは無意識に握りしめていた鎚鉾から手を離す。そして、詰めていた息を小さく吐きだした。
観念したらしい家令達は静かにセルヴェスから離れると、数歩後ろへ下がった。
セルヴェスはゆっくり小さな孫娘の前に膝をつく。
「……マグノリア……?」
かすれた声。大きな自分が小さな子どもからどう思われるか解っているのだろう。少しばかり逡巡すると、恐る恐る太く大きな右腕をゆっくり伸ばしてきた。
「……おじいしゃま、でしゅか?」
一歩前へ進み出て、屈んでも自分の目線より上にある祖父の顔を真っ直ぐみつめる。
何度も何度も、無言でセルヴェスは頷く。言葉を出せないのだろう。彼は奥歯を噛み締めて頷く。
しばらくして、やっとセルヴェスは小さな声を発した。
「ああ。おじいさまだ」