第三話 アぜンダ辺境伯領からの来訪者と、身の振り方と
何事もなかったかのように、穏やかな数日が過ぎた。
書棚の鍵は次の日にはそっと閉じられており、静かに普段の様子を取り戻した。
ロサとの時間は贈り物の製作に充てる。丁寧にお世話はしてくれるが、多分彼女と自分では根本的な考えが理解し合えないと思う。だが、侍女の仕事をきちんとしてくれれば充分なのであって、それ以上を望むのはナンセンスだろう。
いきなり小さい子どもになってしまい、知らず知らず身近な人間に依存心が出ていたのだ。大人なら……かつてのマグノリアなら、友人でも身内でもない他人にそこまで望まなかった筈だ。
積極的な敵にならないのなら問題ない。こちらの世界の一般的な常識や考え方も、マグノリアは未だ良く解っていないのだから、案外この世界では彼女のやり方が正解なのかもしれないのだ。
仮にお互い間違っていたとしても、個人のアイデンティティやポリシーは曲げられないし、曲げる必要もない。ある程度互いに努力して、相容れないのなら仕方がない。
ただ長い時間過ごさなければならない関係なら、出来る限り摩擦を少なく過ごす方がいい。話すことは最小限に、丁寧には丁寧で。誠実には誠実で返す。
お世話になってる間はある程度彼女の納得出来る事をしつつ、替わりにこちらの要望もある程度出す。勿論差しさわりのない範囲で。
一応、ギルモア側のバックボーンは解った。
バートン家の方は、多分、母の様子から今後逢うこともなければ詳しい資料も家にないことから、これ以上調べようがないだろう。母親であるウィステリアもあの様子だとマグノリアが関わることは望んでいない筈。無理に近づいて傷つけ合う必要もない。ただ一人の子どもならまだしも、彼女にはちゃんとブライアンが居るのだ。
ましてや今後、弟や妹が出来る可能性も充分にありうる。
両親にとってマグノリアが大した存在じゃないのは解ったのだから、そろそろ次の行動に移る為に切り替えて行こうと思う。
丁寧に細かく、真っ直ぐに。気をつけて針と糸を動かす。
ライラにはライラックの花を。デイジーには雛菊を。
それぞれの名前の由来である花をフリルを縫いつけた布に刺す。その布で小さな巾着を作り、名前を刺繍したハンカチを入れるつもりだ。
アスカルド王国が『花の国』と言われる由縁は、建国の時、アスカルド王と花の女神の婚姻によって始まったと言われている。
それに因んで、この国に女の子が産まれると花の名前をつける。その子の一生を、名付けた花の女神が守ってくれるのだと言う。
マグノリアは木蓮。綺麗だが、なかなか渋い花だ。
(人間と女神の異類婚ねぇ)
ラノベか。マグノリアは遠い目をする。いや、神話か。
地球にも至るところに神と人との似たような神話はあったから、人間はどの世界、どの歴史でも意外に同じような反応なんだな、と思う。
(まぁ、異世界から潜り込んで来ちゃったっぽい存在がいるくらいだからねぇ。異類婚も案外本当なのかもしれないよなぁ)
マグノリアの存在そのものがラノベみたいなものなのだ。
非常識な自分の存在に想いを馳せると、ふっ、とシニカルに笑った。
いつでも渡せるように、作る。いつでも飛び立てるように、機会を窺う。
人生が掛かってるやもしれないなら、尚更だ。準備は万端に。
******
「おや、お嬢ちゃん。こんにちは?」
庭園にもオランジェリーにも居ないので、作業小屋まで庭師のお爺ちゃんに会いに来たら知らないお爺さん――オジサンがいた。老人と言う程年は取っていないが、結構年季の入った壮年であることは間違いない。
マグノリアの顔を見て一瞬目を見張ったが、すぐに表情を戻した。
恰好は庭師か下働きのように見えるが、何処か雰囲気がおかしい。大人にしては小柄だが肩幅や胸板が厚く、力が強そうだ。
茶色い髪に茶色い瞳。細目に細い鼻で一見地味だが、瞳がなんとも……
(……ヤバイ系の人? 尋常じゃない威圧感が漏れ出してるんだけど)
「……庭師のお爺しゃんは?」
低い声で目の前の男に問う。デイジーにお茶の用意を頼む為、離したのは失敗だったか。
真昼間の屋敷の中に人攫いとか泥棒とか、紛れ込むこともあったりするのだろうかと男の顔をみつめる。だったら物騒過ぎる。
年老いた庭師のお爺ちゃんは、昔ギルモアの騎士だったそうだ。怪我をして引退をしてからずっと、庭師として仕事をして来たらしい。一見ぶっきらぼうだがとても優しいので、庭に出ると必ず話し相手になって貰っている。更に庭師だからか植物についてかなり博識なので、最近は専ら毒薬と解毒について根掘り葉掘り聞いては苦笑いされているのだ。
そのお爺さんが居ない。警戒心を強めながら、部屋を見渡す。誰かが縛り上げられている様子はなく、庭仕事をする為の道具と簡単な水場、小さなテーブルと椅子。
……いつもの小さな部屋だ。
同時に何か武器になりそうなものを視線で探す。
(出来れば長いものがいい。そして動かなくさせるために躊躇なく叩きこむ!)
マグノリアは、むふん! と気合を入れて鼻から大きく息を吐いた。
男は細い目をちょっと開いたと思うと、ニヤニヤと笑いをかみ殺している。
暴漢や泥棒などに遭遇してしまったら、抵抗せず逆らわず、まずは逃げることが鉄則だ。
しかし相対せざるを得ないときは、手加減したり躊躇して相手に怪我をさせては逆上され、かえって命が危ない。
ヤるなら思いっきり、そして確実に。
(どう考えても、走っても逃げ切れない)
部屋の隅の小箱に、作業用の鎌と小さなフォークが。その片隅には高所にあるものを叩き落とす棒が見える。
ぎゅわんっと決心したように、いつもは下がり気味な眉毛をつり上げ。ぐっとマグノリアが腰を落としていつでも動けるよう構えたときに、目の前のおっさんはプルプルしながら苦笑いして両手を上げた。
「スマンスマン。顔が悪人顔だから怖がらせてしまったな? 俺はガイ。庭師の爺さんとは古い知り合いなんだ」
「…………」
「信用出来ないか。まあこの見てくれだ、仕方ないな。しかし勇敢なお嬢ちゃんだな」
ガイと名乗った男は可笑しそうにククク、と喉の奥で笑う。
「アゼンダ辺境伯領っていうところから、用事で王都に来たんだが。ついでに久々に爺さんに会いに来たら、腰を痛めちまったって言うからちょっと仕事を代わってやってたのさ」
「…………」
アゼンダ辺境伯領。筋肉もりもりの祖父がいる場所だ。
知人を装って攫おうとする手口は常套句だ。アゼンダとギルモアの関係性を知っている人は貴族も平民もかなりの人数だろうから、本当にアゼンダ出身だという確証はない。
……更に言えば知ってる出身・人だからと言って危害を加えられないという決まりも全くない。名前も偽名の可能性もある。
わざわざアゼンダを出す意味は? 初見の人ならこの格好から見て使用人の子どもと考えてもおかしくない。身代金など大して見込めないだろう。
……髪と瞳。
リリーがアスカルド王国ではギルモア家にしかいない色だと言ってた。
(正体を知られてる?)
きゅっと小さな唇を引き結ぶと、そんなマグノリアを見て困ったように男は頭を掻いた。
「何をやっていなさるんだ?」
嗄れた聞き覚えのある声がすると、部屋の中で対峙していた(?)ふたりが振り向いた。開いた扉には弟子である青年に抱えられ、腰をさする庭師のお爺さんが立っていた。