◆聖女side◆


 聖女ヒサリーヌは、大聖教会に所属する聖女の一人である。

 国内全教会に所属している数万人のシスターから推薦された数千人の聖女候補をさらなる選抜の上に五百人残し、聖女見習いとして三~六年の修行に耐えた百人が正式な聖女として認定される。

 そこからさらに十三人の上級聖女が絞られ、その中からたった一人の大聖女が選ばれて大聖教会の代表を務めることになる。

 ヒサリーヌは現在上級聖女の地位にある。

 物心ついた時から頂点を目指して、他人を蹴落とすこともいとわず進んできた。

 ライバルとなりそうな聖女候補を陥れ、利用できそうな相手はとことんまで利用して、ボロボロになったら切り捨ててきた。

 その甲斐かいあって上級聖女における競争も優位に進めて、次期大聖女の座にも王手がかかっている。

 何しろ勇者のお付き聖女となることができたのだ。

 勇者の上げた功績はそのままお付き聖女の功績となり、次期大聖女が選考される際の大きな判断材料になる。

 それでなくともパートナー同士となった勇者と聖女は将来結婚するケースが多い。

 当代の勇者は王子でもある。

 王子に輿こしれすればいずれの立場は王妃ということで、どう転んでもヒサリーヌは安泰ということだった。

「……どうせなら大聖女兼王妃というのも面白いかもしれないわね」

 歴史をひもくにそんな肩書きを持った女性はいまだかつていないはず。

『史上初』という言葉に胸がときめくヒサリーヌであった。

 しかし今はまだ安寧とするわけにはいかない。

 勇者の名声は、在任中に上げた功績の質と量によって決まる。

 もちろんこの勇者と結婚するとしても……いずれ王になる男であるとしても、功績ゼロの勇者を夫にするなどプライドが許さなかった。

 既に彼女のパートナーとなるタングセンクス王子は、北の山の大邪竜を討伐した功績があり、さらには西の蛮族平定……悪魔デメテールの抹殺を成し遂げれば、勇者一生の功績としてはまずまずとなる。

 誰よりも高みにあり、誰をも見下すことのできる人生のために、この聖務を何としてもやり遂げねばならないと誓うヒサリーヌだった。


     ◆


 大聖教会、第四遠征隊。

 野営地。

 テント暮らしのすこぶる不快な環境のもとで、ヒサリーヌは朗報をひたすら待つ状況にあった。

「なあ聖女殿……? 本当に、本当にく行くのだろうか?」

 同室の勇者がもう何度目かわからない確認をしてくる。

『気の小さい男……』と内心あきれるも、表情には微笑ほほえみを乗せて答える。

「大丈夫ですよ勇者様。大聖神が下されし助けは異教徒を適切に苦しめ、みずからの行いを悔い改めるチャンスとしてくださるでしょう。そう遠くないうちに彼らは自分たちの過ちに気づき、おのずから許しを請いにやってくることでしょう」

「そうか……、そうだな! さすがは神、正義なる我々をお守りくださる!」

 と声を励ましつつも、そわそわとテント内を歩き回る。きっとすぐにまた不安に駆られ、まったく同じ質問をヒサリーヌにしてくるのだろう。

 しかしヒサリーヌに動揺はない。

 彼女は今回の遠征、必成を期して二重三重の策を巡らせてきたのだから。

 第一の策は、つい最近新たに就任したS級冒険者を利用する手。

 こちらは現職の大聖女から授かった策だが、新しいS級冒険者には付け入る隙があり、それを活用すれば思い通りに操れるとのこと。

 しかしこの作戦は失敗した。

 愚かなS級冒険者は、主人の命令をまったく正確に遂行せず、よりにもよって最重要の神器を消失させてしまった。

 何という大失態。

 奪ってきた神器をしっかり大教会に納めなければ聖務を達成したことにはならないのに。

 せめてもう一つ。

 聖獣だけは手に入れて大教会に献上しなければ。

 そのための第二の策。

 古くからひいにしている裏薬師に作らせた浸透毒で、化外の蛮族をじわじわ殺していくのだ。

 上級薬師でなければ作成できないという特別な毒は、上流の水源にさえ流し込めば地中越しに広い範囲へ広がっていき、井戸水や土から生える作物に混ざって人々の口に入る。

 すると自然の病気に似た症状で健康をむしばんでいき、多くの人々を緩やかに殺していくという。

 しかもその過程は速やかで、毒を放てば数日中に死者を出し、並大抵の薬師では解毒どころか作用に気づくことすらできないという。

 ヒサリーヌは、それこそ聖女見習いの時代から裏薬師を利用し、多くのライバルを陥れたり、上役の弱みを握っていいように動く手駒に仕立ててきた。

 今回の聖務はその集大成。

 成功の暁には、もはやこれ以上後ろ暗い綱渡りをする必要はない。

 今度は自分の弱みとなりかねない裏薬師は速やかに口封じしてしまうのがいいだろう。

「それもこれも……、蛮族どもが泣いて許しを請うてからね……」

 自分をここまで手こずらせたのだから、もっといじめて憂さ晴らしをしなければ。

 誇りだのなんだのとうるさくわめく戦士どもに額をこすりつけて土下座させるのもいい。

 プライドの高いヤツほどへし折るのは楽しいものだ。

 あるいは妻と子ども、どちらを助けてどちらを見殺しにするか選ばせるとか。

 まあもっとも、浸透毒の解毒手段は聞いてきていないので、冒された者は誰も彼も死ぬしかないのだけれど。

「愚かな異教徒どもが苦しんで死んでいくのは本当におかしいわね……」

「聖女様! 勇者様!!

 二人の休むテントへ、聖兵が一人入ってきた。

 報告だろうが、まるで飛び込んでくるような性急さで、表情にも余裕がない。

「何事です? 私たちのテントへ断わりもなく入ってくるとは無礼ですよ?」

「急報! 急報です! 異教徒どもがやってきました!!

 その報告は予想通りのもので、むしろ聖女としては拍子抜けだった。

 化外の異教徒どもが、毒害に耐えきれずに降伏を申し入れに来たのだろう。何事も計画通り。

「……もっと辛抱すると思ったのに。思ったより音を上げるのが早いのね。つまらないから一度は突っぱねて追い返そうかしら?」

「恐れながら! 恐れながら違います……!」

「なんですって?」

「敵襲です! 異教徒どもは軍勢を率いて我々を攻撃しに来ました!」

「何ですってッ!?

 慌ててテントから飛び出す聖女ヒサリーヌ。

 既に外は修羅場と化している。

「ぎゃああああッッ!? 逃げろ! 殺されるうううううッ!」

「待て待て逃げるな! 体勢を立て直せ! 聖女様と勇者様をお守りするのだッ!!

「ふざけるな! 自分の命の方が大事だろうが!」

「聖女と勇者こそ聖なる力でオレたちを守れよぉおおおおッ!!

 上空から雨のように複数の矢が降ってくる。

 しかも火矢で、テントの生地に突き刺されば燃え広がって、聖軍保有の荷物一式容赦なく焼いていく。

「おわあああああッッ!? 一体何事だ!?

 遅れてテントから顔を出す勇者も、すぐ至近で燃え盛る炎に恐れおののく。

 しかも火矢の攻撃はけんせいに過ぎず、炎の熱さにひるんだところで戦士たちの本隊が騎馬で突撃してきたのだ。

 その勢いは弓矢にも迫り、直撃を受けた聖兵たちはたやすく打ち砕かれ、散り散りになりながら逃げ惑う。

 それはもう戦闘とは言えない、一方的なじゅうりんだった。

 相手側に抵抗の意志がない以上ひたすら殺されていくしかない。

「愚か者! 今すぐ剣をとって戦いなさい! 異教徒どもに神の真理を見せつけるのが聖兵の役目でしょう!!

 声を張り上げるが、それが味方を奮い立たせるのに何の役にも立たないのはすぐ悟れた。

 しかし一瞬だけでいい。

 ヒサリーヌ自身が身を隠し、逃げおおせる間だけ耐えしのぐことができれば。

 どうせ異教徒たちのこの奇襲は、最後の悪あがきに過ぎない。

 ジワジワと毒で弱っていくのを実感するから、力が失われる前に一矢報いようという破滅的行動だろう。

 だからこそ逃げて時間を稼げば敵もどんどん弱っていき、形勢逆転することだろう。

「その時は、この借りを万倍にして返してやるわ。私を脅かした償いを……! キャアッ!?

 一瞬。

 ヒサリーヌの右側をまばゆせんこうが駆け抜けていった。

 その光の眩さに逃げようとした足が止まる。

 それほどの衝撃。

「何よ!? あれは秘宝アダマンサイズが放つ閃光!? 失われたのじゃなかったの!?

 もし本当にアレがアダマンサイズから放たれていたなら、ただの光でなく破滅の攻撃力を持った光。

 もし直撃していたなら、跡形も残らず消滅していただろう。

 その恐怖が実感に変わるより前に、さらにもう一光。今度は左側を駆け抜けていった。

 右へ逃げようとすれば右側を閃光が駆け抜け左へ逃げようとすれば左側を閃光が駆け抜けていく。

 これではどちらへも逃げようがない。

「何なのよ一体!? 何故なぜ私がこんな逃げ惑わなくちゃいけないの!? 私は聖女なのよ! 誰もが私を敬うのに、こんな仕打ちひどすぎるわッ!!

 左右への逃亡を封じられたのなら後方へぐ逃げるしかない。

 しかしそれすら許されなかった。

 真後ろへ真っ直ぐ駆けていったその先に、深い崖があったからだ。

「ああぁ……ッ!?

 まさに断崖絶壁。

 足を滑らせて落ちようものなら確実に助からないだろうと、すぐさまわかる深さだった。

「なんで……!? なんでこんなところに崖が……!?

 この辺りは平野部が広く、切り立った谷も山もなかったはず。

 ヒサリーヌたちの逃亡を阻止せんとばかりに切り込まれた崖は何なのか。

「僕が『消滅』スキルで掘った」

 その崖の向こう側に立つ、一人の少年。

 彼女がここまで来る途中に巻き込んだ、S級冒険者の少年だった。

「アンタたちが逃げることは許さない。自分たちの仕出かした罪を、その身で受け止めろ」