八章 二人の思い出 その3



 それから数日経った土曜日。

 まだ実家には帰れずにいた。生理が来てほっとしたのもあるが、痛みで朝から寝込んでいた。

 三日ほど避妊もせずに中に出されまくって、どうなることかと思った。

「まゆちゃん、生理重いもんね。かわいそうに」

 ドラッグストアで買ったきたらしい湯タンポのようなものをお腹に当ててくれた。

 涼が来ると、反射的にびくりとしてしまった。あれから何度も欲を放たれた恐怖と、それを超える快楽を感じてしまったことへの戸惑いが消えない。

「心配しなくても、寝込んでるのに手出したりしないから。今日は休んで」

「ありがとう……」

 ベッドの横に座り優しく腰をさすられ、こんな異常な関係になる前の穏やかな涼を思い出す。

「少しは楽になる?」

「うん」

 生理前後はメンタルも落ち込む。手を握られて、そっと握り返す。

 まゆの大好きな大きな手だった。

 ベッドに横たわったまま、そっと見上げると頭を撫でられた。

「抱っこしていい?」

「うん」

 ベッドに入ってきた涼に背中から抱きしめられて、安心する。幼い頃、雷などの時によくこうしてくれた。

 熱を出せば、友達との約束を破ってもそばにいてくれた。今思えば、それ自体特殊なことだ。

 誰よりも優しくて、誰よりも頼りになる。そんな人だった。

 だからこそ、女として見てもらえない苦しさから忘れようとした。

 涼が一人暮らしを始めた時は、寂しさもあったが、これで思いを断ち切れるとも思った。

 ──それなのに。撫でられると気持ちいい。それに安心する。涼くんが好き。

 毎夜強制的に与えられる快楽とは別の優しい気持ちよさだ。

「どうしてあんなことするの」

「あんなことって?」

「む、無理やりしたこと」

「んー、前からしようと思ってたけど予定が早まっただけだよ。もともとあの家から連れ出すつもりだったしね」

 思わぬ答えに驚く。

「なんで?」

 体の向きを変えて、向き合うと目が合う。

 唇が触れるだけの優しいキスが落ちてくる。

「わからないの?」

「うん」

「好きだからだよ」

「本当? 他に女の人はいないの?」

「まゆちゃんさえいたら、他の女なんてどうでもいい」

 言いながらぎゅっと抱きしめられると、胸がきゅんとする。

 大きな背に手を回す。

 逞しい胸に顔を埋めると、幸せな気持ちになる。

「まゆちゃんは、自分に自信がないからすぐに流されて、好きだって言われたら、なびいちゃうんだよ。だから好きでもない男でも押されれば付き合うんだ」

 せっかく優しい気持ちになったのに、ぐさりと胸に刺さる。

 和也と付き合ったのも、好きだと言われて流されただけなのだろうか。

「そんなことない」

「ふふ、もういいよ。まゆちゃんは、僕からもう離れられなくなるから。もう離さない」

 まゆの頬をいとおしそうに撫でると、おでこにキスをする。

 腑に落ちないこともあるが、抱きしめられたまま、だるくてうとうと眠りについてしまった。


 目が覚めると、涼はまだそばにいてくれた。

 ベッドの中で一年前、涼が出て行った日のことを思い出す。

「涼くん、出ていくの……?」

「うん。元気でね」

 荷物をまとめ、そっけない涼の様子に落胆した。

 性格的にもいつまでも実家にいるタイプではないし、激務だったから都心の駅が近いマンションに移るのは自然なことだ。

 だが、幼少期からなにかと頼ってきた涼が、家からいなくなってしまうのは、寂しい。

 それに思い上がりかもしれないが、心のどこかでまゆのために実家暮らしをしてくれていると思っていた。

 ──彼女でもできたんだろうな。

 年も離れているし、所詮妹の立場だ。涼がどう生きようと干渉する権利はない。

 けれど、いつか自分以外の人と結婚して家族になるのだろうと思うと、たまらない気持ちになる。

 少なくとも一緒にいる時はまゆを大切にしてくれた。そんな人は涼だけだ。失うなんて耐えられない。

「なにかあったら連絡するんだよ」

「うん。仕事頑張って」

 そうは言われたが、もういい加減精神的に依存するのは、やめにしようと思う。

 こんなに苦しいのは、涼だけのことを考えているからだ。

 他の男の子のことでも考えたら、きっと楽になれる。

「少しの間、頑張るんだよ」

 それがどういう意味なのか、わからなかった。

 淡々としている涼の前で泣いたりはできなかったが、いなくなったあとは一人部屋で泣いた。

 その夜は、使っていた枕を抱いて眠った。

 最近、友達を介して知り合った和也と付き合いだした。寂しかったからだが、人並みにデートなんかして楽しかった。

 苦い初恋の思い出もいつか笑える日が来るだろう。

 そう思っていた。

 涼に犯されるまでは。