食卓は良い。

 何も並んでいなくても、お腹を満たしてくれる光景を想像したら、どこか温かい気持ちになってくる。

 記憶喪失の俺がそう感じるのだから、差異はあれどきっと皆んなも同じようなことを思うはずだ。

 しかし、何事にも例外はあるらしい。

 目の前に広がる惨状、鼻に侵入してくるあり得ないくらい焦げた臭いが、食卓から如実に危険を伝えてきた。

「私の……オムライス……」

 食卓の前で、愕然とした表情を浮かべながら膝を折ったのは、幼馴染兼恋人の湊明日香。

 遊崎高校へ復帰を控えた今日、俺に手料理を作ろうとしてくれたのだ。

 しかし、結果はこのザマだ。

 キッチンの床には立ち昇る煙からオムライスを救おうとする際に落とした調理器具が散らばっていて、ようやく片付けを終えたところ。

 リビングにある食卓に移動すると異物と化したオムライスはもう冷めてきていて、明日香は改めて見るその姿にショックを受けているみたいだ。

 オムライスが辛うじて食べ物だと分かるのは、それがフライパンに乗っているからに過ぎない。

「まあ……なんだ。ドンマイ」

 椅子に座りながら声を掛けると、明日香はキッとこちらを睨み上げた。なんでだよ、家散らかされたの俺だぞ。

「こんなはずじゃないんだから! 私料理できるんだから!」

「いや……まあタイマーしてなかったからな、仕方ないだろ。そういうことにしておくよ」

「そういうことにしておく?」

 明日香は眉をピクリと動かして、俺の言葉を繰り返した。

 どうやら俺の口から出た言葉は、明日香のプライドを大いに損ねてしまったようだ。

「ははーん、よーく分かったわ。よし、あんたこのオムライス食べなさい」

「は!? なんでそうなるんだよ!?

「見た目がダメなだけで、味が良いこと証明してやるのよ!」

「じゃあ自分で食えよ、俺を実験台にするな!」

「実験台!? あんた今実験台って言った!?

 今度こそキレた明日香が、俺に向かってガーッと喚く。

 目覚めて以来、こんな明日香を見るのは初めてかもしれない。

「ていうか私が食べて自分で美味しいなんて言っても、何の証拠にもならないでしょうが」

「そうでもないぞ……」

 とりあえず、即効性の毒ではないことは証明される。

 だがこの剣幕の明日香にそれを伝える勇気はなく、俺は口を閉じた。

 明日香は黒く爛れたオムライスをこちらに寄せる。

 俺は数秒そのオムライスもどきに視線を落とし、何とかバレないように捨てる道はないかを模索する。

 ふと、明日香が目を伏せた。

「……焦げてないところは絶対美味しいはずなんだから」

 それは静かな声だった。

 ちょっと不安そうな明日香に、俺は心の中で息を吐いた。

 こんな見た目で、よく味に自信が持てるものだ。

 焦げてないところなんて何処にも──

 ……いや、マシなところがあるな。

 仕方ない。

「もぐっもぐぐ!」

 真っ黒のたまごの中にある、マシな部分を勢いよく掻き込む。

 だけどスプーンで大きく掻き出してしまったせいで、やたら分厚い焦げが口内に混じってしまった。というより、表面以外は全部焦げだ。

 思わず吐き出しそうになるが、明日香の顔を見て思い留まる。

 ……この一口だけ、この一口だけ我慢すればいい。

 そう自分に言い聞かせながら咀嚼、咀嚼。

 鬼のような苦味が体内から汗を噴出させて、身の危険を感じたところで無理やり飲み込んだ。

「あ、ありがと。……どうだった?」

 恐る恐るといった様子の明日香に、俺は少し微笑ましい気持ちになった。

 家を回っている間に頑張って料理してくれたことを思えば、喜んでもらえる言葉を伝える方がいいかもな。

「うまずかった」

「本音漏れてるんですけど!?

 ごめん、お世辞を言えないくらい不味かった。

 俺は額から滲み出るくらいの汗を拭って、食卓にうつ伏せになる。

 今度は明日香のライトゴールドの髪と同じくらい──キラキラした色のオムライスが食べたいな。

 とりあえず、明日のお弁当は自分で作ろう。

 明日香の抗議の声を聞きながら、俺はそう決意した。