七話 冷えた紅茶と入道雲



 二年三組。

 まだ登校二日目で判断するには尚早かもしれないが、このクラスの雰囲気は悪くない。

 クラスの中心人物たちが明確に存在しているのが遠因しているのか、悪ふざけなどで目立とうとするやからは皆無だ。

 クラスの雰囲気は目立つグループたちから大いに影響されるらしいが、それにかんがみるにありがわゆめさきの存在はんなにとってプラスに働いているに違いない。

 四時間目の授業をそっちのけに思案していると、前方から声が飛んできた。

「有栖川さん、このさいとうどうさんが統治した国の名前は?」

ののくにです。カッコいい名前ですよねぇ」

「余計なことはしやべらない」

 先生のツッコミに、クラスに小さい笑いが起こる。

 日本史の先生も口角を上げており、い雰囲気だ。

 ありがわは長々としやべることもなく、適度に雰囲気を和ませる。

 チラリと横目に見ると、当の有栖川はノートにイラストを描き始めている。

 目を凝らしてみると、先生らしきイラストが授業の内容を喋っている構図のようだ。

 肝心の内容が書いていないので、ノートとしては全く意味を成さない。

 こうした理解の難しい行動も、有栖川の魅力の一つ──かもしれない。

 一人で苦笑いしそうになった時、廊下から隣のクラスがドッと沸く声が聞こえた。

 何人かのクラスメイトが興味をそそられたように、黒板から廊下へ視線をらす。

「盛り上がってるねぇ」

 有栖川はそうつぶやいて、こちらに向けてニコリと口角を上げた。

「交ざりたい?」

「いやいや、絶対浮くだけだろ。何せ友達ゼロ男だ」

「ふふ。さんもいるし、意外と楽しいかもよ」

 俺はペン回しをやめて、有栖川に目をやった。

 たかゆめさきに声が届きかねない状況で交わす言葉じゃない。

 結果、俺の口から出たのは四文字だけだった。

「へいへい」

「こらキミ、この私を流すでないっ」

 そこまで小声でやり取りしたところで、先生がジロリと視線を向けてくる。

 俺は慌ててノートに視線を落とし、黙々と授業を受けるフリをした。

 隣の有栖川は、何食わぬ顔でお絵描きを再開している。

 また廊下から笑い声が聞こえてきた。

 ……二組の中心人物は、やっぱり明日香なんだろうな。

 明日香にはちょっと荒っぽいところがあるが、心根の優しさが伝わってくる。

 頼みの綱に明日香がいることは、俺にとってとても心強い。

 キーンコーン──

 チャイムが鳴り響き、俺は思考から離脱する。

 待ちに待った昼休みの始まり。真っ先に声を上げたのは、前の席に座る高尾だった。

「疲れたー! マジ疲れた腹減った!」

 はつらつとした大きな声に、彼の隣に座る夢咲がビクリと肩を震わせる。

「なー、今日どうする? せっかく昨日さな復帰したし、席近いこの四人で飯でも行っちゃう?」

 高尾は軽い口調で夢咲に話し掛けた。

 俺にとってはひとえにうれしい提案だったが、女子二人はどうだろう。夢咲は肩まで掛かる赤髪を手でいて、不満げに口を開いた。

「アンタうっさいのよ、もーちょい静かにしやべってくれない? 耳キンキンすんだけど!」

「あれ、怒ってる? ごめんて、静かに喋るから……」

 たかの陽気な顔がシュンとしぼむ。

 その光景に、ゆめさきはバツが悪そうな表情を浮かべる。

「あー、いや……イイんだけど。でもゴメン、私今日生徒会に呼び出されてるんだよね。だから今日は不参加で」

 夢咲が言うと、高尾はガッカリしたように返事をした。

「まじかー。さな復帰の直後だってのにぃ。復帰は一回しかないんだぜ?」

「そうだったらいいんだけどな……」

 俺がげんなりとつぶやいた。

 記憶が戻って頭が割れそうだ!なんて現象が起きたら、また学校から離れてもおかしくない。

 夢咲は俺の返事に何を思ったのか、「ごめんね」と謝ってくれた。……意外と優しい。

 しかしその謝罪に返答したのは高尾だった。

「俺が許さないぜ!」

「アンタは黙れ。仕方ないでしょ、アンタと違って忙しいの」

「俺だって忙しいですー! 忙しい合間を縫って昼休みを過ごそうとしてるんですー!」

 高尾の抗議に、夢咲はウンザリしたように肩をすくめて、「はいはい、そういうことにしとくわ」と流した。

 やっぱり何だかんだでこの二人の仲は良さそうだ。

「じゃ、私も今日はパスで。丁度約束あるし」

 ありがわもニコリと口角を上げて、腰を上げる。

 高尾は有栖川に対して抗議する勇気はないようで、「え~」と残念そうな声を出すだけだった。

 ……てっきり今日も二人で食べるのかと思っていた。

 俺も有栖川の返事に少し戸惑ったが、この場で引き止める訳にもいかない。

 有栖川は俺の視線に何食わぬ顔で見つめ返した後、おもむろに立ち去ってしまった。

 夢咲は教室から出る有栖川の背中を見送ってから、「じゃー私も、そーゆーことで」と言葉を残し、あっさり去っていく。

 廊下には取り巻きのような生徒たちが待機していて、その光景を見ていた高尾は「まあ……人気者たちだもんなあ」とガッカリしたように呟いた。

 でも、俺にとってはただガッカリするだけじゃない。

 恐らくこの後俺は高尾の男子グループに取り込まれるだろうし、そうなったら友達の少ない俺にとってはうれしい時間になってくれる。

「なー、さな

 たかは申し訳なさそうに俺を見て、頭をガシガシいた。

「俺も今日ちょっと、元々先に抜けなきゃいけない予定だったんだよな。さっきはとりあえずゆめさきを交ぜるために提案したんだけど……いやもちろん復帰を祝うつもりもありつつな?」

 高尾は苦笑いを浮かべる。

 言いたいことを察した俺は、口元に笑みを浮かべた。

「おう、それなら仕方ないな。俺もちょっと考えるわ」

「悪いな。明日菓子パンおごるわ!」

 高尾は両手を合わせて、三組の教室から出て行った。

 俺はそれを見送りながら、ニッコリ笑顔でおもいをせる。


 ブッチャケ今、張った。


 クラス内にアテのない俺にとって、本当は力ずくでも引き止めたい状況だったのに。

 誰だって一人で昼ご飯は食べたくない。

 一人になった途端、三組の教室がやたらと大きく感じてしまう。

 昼休みが始まって数分しかっていないのに、教室に残るのは女子グループが二つだけになっており、んな弁当箱の蓋を開けている。

 ……やばい、すっかり出遅れた。

 一人の俺を気遣わしげに見てくれる人もいるが、声を掛けられるのも緊張してしまう。何よりクラスメイトといえど、単身で女子グループにお邪魔するのははばかられる。

「あ、あいつらに合流しようかな~」

 俺はわざとらしく言い残し、教室を出た。

 一人で昼食を取ることに、なんで恥ずかしく思わなくちゃいけないんだ。

 そんな疑問もありながら、この羞恥心は正常に戻ったあかしな気がして悪い気はしない。

 でもやっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 誰も独り言に反応しなかったのが、俺の羞恥心を更に加速させた。


 ◇◆


 勇気を出してのいる二組に顔を出したが、運悪く席を外していた。

 泣く泣く一人で食べる覚悟を決めた俺は、結局食堂に赴いている。

 混雑した空間に身を置けば、一人で食べていても目立たないと考えたからだ。

 中央付近の席に座れば注目を浴びかねないが、端っこの席なら大丈夫のはず。

 そもそも知り合いでもない限り、人は他人に興味がない。

 元々友達のいなかった俺に、注目する生徒自体が少ないのだ。

 実に悲しい理由だけれど、その事実は今の俺に都合が良かった。

 そう思案しながら、券売機への列に並ぶ。

 列には一年生から三年生までがバラバラに並んでおり、券売機が二つしかないのはミスに思えてならない。

 四つもあればこの混雑はマシになりそうなものだが、昼休みのためだけに増設するほどの予算は出ないのだろう。

 教室にエアコンがついていないあたり、この推測は当たっている気がする。

 それから長蛇の列に五分ほど並んで、ようやく券売機前に辿たどく。

 メニューの候補はコロッケ定食、焼肉定食、ラーメンにてんしんはん

 本当はじっくり悩みたいところだけれど、後ろの列を考慮して手早く塩ラーメンのスイッチを押した。

 特に思慮なく押し込んだボタンだが、どこかみのある感覚だった。

 人の流れに乗ってカウンターへの列に並び、食券をおばちゃんに渡す。

 脇で二分ほど待機していると、湯気の立ち上る塩ラーメンがカウンターに現れた。

「あーい塩ラーメン!」

「ありがとうございます……」

「元気ないねー、しいもん食べて元気出しな!」

「うあーい」

 長蛇の列をさばくことに必死なおばちゃんは大変そうだったが、同時に人の温かみを感じる。

 人と交流することで得られる感情は、交流する相手によって千差万別らしい。

 ホッと一息つけるような安心感だったり、次に何が起こるのか分からないことへの高揚感だったり、もっと仲良くなりたいと思わせる興味だったり。

 俺自身が誰かと交流する際は、相手にどんなおもいを抱かせるのだろう。

 少なくとも今しがた視線の合った生徒には、プラスの感情を抱かれていそうだ。

 遅刻している最中に言葉を交わした後輩カノジョ──ふえひな。

 彼女の眼前に置かれたうどんの容器は小さい身体からだのどこに入るんだと問いたいくらいの大きさだ。ひなは俺を見つけるや否や立ち上がり、ブンブン両手を振った。

「先輩! 先輩!」

「あれ、ひな」

 気恥ずかしさから、思わずスカした返事が出てしまう。

 少しわざとらしかったかな。

 しかしひなは全く気にした様子もなく、「どーぞ!」と正面の椅子を押す。

 俺が座るスペースを空けてくれたのだ。

「さんきゅー」

 スカすな、俺。

 心の中で自分にツッコミを入れながら、ひなの正面に座る。

 二人用のテーブル席なので、結構距離感が近く、お陰でひなの顔がよく見える。

 パッチリお目目は俺の倍はありそうで、これが同じ人間だと思うと相当不思議だ。

 丸みを帯びた鼻は小動物をほう彿ふつとさせ、茶髪のボブも相まって愛くるしい。

 しかしそんなことは言葉にできず、俺は両手を合わせてから塩ラーメンに箸をつけた。

 スープを飲み、メンマを食べ、そして待ちに待った麺の出番だ。

「もぐ……っ!

 目測を誤ったようで、大量の麺で口内が一杯になった。

 ……これはそしやくにかなりの時間が掛かりそうだ。

「先輩のあっさりな反応、いいですねぇ……」

「……」

「ふふ、最初はスープ、そしてメンマでしたかぁ。分かります分かります、まずはその辺りから攻めたいですよね」

「……」

「あ、そういえば前は麺と同じペースでもやしは沢山食べてましたよね。でも一つだけしかないナルトを終盤に残すのは先輩らしいなあ。今日も絶対残しますよね?」

「……」

「食堂の麺って太めですけど、それがまたしいですよねぇ。先輩って普段硬めの細麺が好きだと思うんですけど、食堂でもラーメンを注文する頻度が高いのは美味しいからですもんね」

 ゴクン。

「なんで一人でしやべれるの!? 食いづらい通り越して怖いんだけど!?

 ようやくえんした俺が、箸を置いて声を上げる。

 するとひなは目をパチクリさせた。

 なんで俺が変なこと言い始めたみたいな反応なんだよ。

「え、そのまま食べてていいですよ? 私、見てるだけなんで」

「それがとっても怖いんですけどね……?」

 俺が一旦箸を置くと、ひなはちょっと申し訳なさそうに笑った。

「だってー、さっきまで一人で食べるの寂しかったんですよ。先輩で供給しなきゃ、ウサギちゃんになっちゃいそうです。あ、先輩がいなきゃ死にそうって意味なんですけど。あ~神様、私先輩の出てくるガチャが引きたぁい」

「ひなって友達いないのか?」

「いませんよ?」

「いないんかい!」

 思わずツッコんでしまった。

 あまりにもサラッと言葉を返されたこともあり、全く重苦しさを感じない。

「じゃあ今日遅刻してたのもそれが理由か」

「それは違いますよ、先輩に会いたかったからです! もー、何度も言わせないでくださいよっえへへへ」

「……」

「引かれるのは悲しいですぅ……」

「情緒についていけないです……」

 俺はげっそりして、塩ラーメンのスープをれんすくう。

 口に流し込むと、疲労を一瞬で溶かしてくれた。

「なあ、待ってる時間苦痛じゃなかったのか。ラインで言ってくれたら時間合わせたのに」

「先輩遅刻してたじゃないですか」

「それはまあ、うん。……ごめんなさい」

 急な返し刀に身体からだを刺され、口から謝罪が漏れる。

 ひなはクスクス笑ってから、言葉を紡いだ。

「先輩に会えない時間はいつも苦痛ですよ、私」

「じゃあそれ以外で」

「ぷー」

 ひなは不満そうに口をとがらせてから、思案するような仕草を見せた。

「うーん……川の匂い好きなんで、先輩に会えないことを除けば大丈夫でしたかね? のんびりするのも好きなので」

 ひなはそう言って、ようやくうどんをすする。

 俺が合流してから、ひなは一度もうどんに手をつけてなかったのだ。

 長いまつに、ほんの僅かに下がった目尻。

 こんな後輩をたぶらかした前の俺、本当に天罰が下るべきだ。

 いやだから一応下ったんだって。

 俺は自分一人でつっこみながら、ひなに一旦同意した。

「分かるよ。俺も、あの川の音聞いてて和んだことあるから」

「えへへ、そうなんですね! 共通点1アップ、仲の良さ8アップ!」

「だからそれどういう計算なんだよ!」

「私の頭エクセルなんですよね……」

めんな天下のエクセルを!」

 ひながからのコップに水をぎ、俺に渡してくれる。

 それから無言で食事に戻るあたり、特に俺の発言は気に留めていないようだ。

「ありがとう」

「ふふ、ありがとうって言ってくれてありがとうございます」

「なんだそれ、素敵な返事だな」

「ふわぁ……せ、先輩が私のこと素敵って──」

 ひながそう返そうとしたところで、「うおお!」「うえあ!」と辺りがざわついた。

 動物園か。

 俺はそう思いながら振り返る。

 今しがたの声は、ひなと同じ一年生たちのものみたいだ。

 制服の着こなし方にういういしさを感じさせる男子たちが、「二年の先輩たちだ」「えぐ可愛かわいいな!」という言葉を興奮気味に交わしている。

 彼らの視線を辿たどっていくと、見覚えのある二人が食堂へ入ってくるところだった。

 それは華やかで、鮮やかな二人。

「うえあ……」

 俺の口から、一年生たちと同じ声が出た。

 その二人、三大派閥の筆頭。ありがわである。

 改めて遠目に眺めると、彼女たちの容姿は一層際立っていた。

 彼女たちが並んで歩けば、ただの通路も装飾の施されたランウェイのように華やかな雰囲気へと変貌を遂げる。

 芸能科が廃止されたらしいゆうざき高校だが、あの二人は確実にその雰囲気をまとっている。

 二、三年生はさすがに慣れているのかチラリと横目に見る程度だが、入学して間もない一年生たちの視線がくぎけになるのも理解できる光景だった。

 ……それにしても、明日香と有栖川が二人きりで食堂に来るのは不安しかない。

 ただでさえ教室では一触即発の雰囲気だったのに。

 明日香はちょっと反省した様子だったから、変なイザコザが起こらないと信じたいけれど。

 明日香と有栖川は俺に気付くことはなく、まぎやくの箇所にある席へ歩を進めて腰を下ろす。

 二十メートルほど離れた席なので、彼女たちがこちらに気付く可能性は低い。

「先輩……行かなくていいんですか?」

 ひなはいつになく気まずそうな表情でいてきた。

「え? うん、まあ」

 有栖川は約束があると言っていたけど、それが明日香との昼食なんだろう。

 明日香が二組の教室にいなかったのも、有栖川と行動したからだと合点がいった。

 明日香も俺に声を掛けなかったあたり二人で過ごしたいのだろうし、俺が行けばむしろ何かこじれそうだ。いやもう絶対に拗れる。

「行かなくていいや」

「……そうなんですね。えへへ、ありがとうございます」

 ひながうれしそうに笑みをこぼす。

 いやを感じさせない、純度の高い笑顔。

 こんなに純粋そうな女の子が──彼女だなんて。

 ズキンと、胸が痛んだ。

「ごめんな。……こんな彼氏で」

「ふぇ?」

 ひなは目をまばたかせる。

 ゴッキュンと喉を鳴らした後、ブンブンとかぶりを振った。

「ぜぜっ全然です! 私、一番の新参者ですし、むしろ私はお邪魔なんですから! だから先輩のそばにいられるだけで幸せっていうのはうそじゃないですよっ本来いちゃいけない存在ですもん!」

 ひなはまくてるように言葉を並べて、「だから」と言葉を続ける。

「先輩たちの仲に入り込めただけで、私にはぎようこうなんですよ」

 俺はコップをテーブルに戻し、口を開いた。

「……そんなこと言うなよ」

「え?」

 今の俺に励ます資格なんてあるはずない。

 記憶を失ったといえど、治療のためといえど、こうして今も三股という環境を受け入れている存在だ。

 平たくいえば自分を優先する自己中心的な男。

 だけど、それでも。

 ──〝いちゃいけない〟という言葉だけは許容できなかった。

 いちゃいけない人間なんて、には一人だっていないはずだ。

「ひな、俺がいなくなると悲しいか?」

「はい、死にますね」

「それはちょっとどうかと思うけど。でもまあ、要はそれだ。俺がいなくなると悲しいってことだろ? 同じように、俺もひながいなくなると悲しい。きっとんな、そういう存在がいるんだって」

 俺が言葉を紡ぎ出すと、ひなは大きな瞳をキラキラさせた。

 瞳から星々があふれてきそうな勢いだ。

「せ、せんぱぁぁぁい……カッコよすぎます、推しからの供給が尊いですぅ!」

「な、なんだそれ! 俺結構に言ったんだぞ!」

「分かってます分かってます、だからうれしくてっえへへ。でも先輩、〝いちゃいけない〟ってあくまで恋人としてとかそういう意味でしたよ」

「た──確かにそうか。ちょっと話が飛躍しすぎたな……ごめん」

「全然全然、嬉しいです!」

 どうも一部の言葉に過敏に反応してしまうようだ。

 俺は頭をいて、ラーメンに意識を戻す。

 薄くスライスされたチャーシューを口に含むと、肉汁とスープが絡み合って幸せな気持ちにさせてくれた。

「そういやダメ元でくんだけどさ、ひなって前の俺について何か知らない?」

 ひなの動きがピタリと止まる。

 そして、おもむろに小首をかしげた。

「何かってどういう? 性格とかです?」

「いや、どちらかというと周りからの評判とかかな。他人についての評判はまず自分で確かめたいんだけど、自分についての評判は知っておいた方がいいかなって思ってさ」

「なるほど!」

「まあ学年も違うし知らないとは思うんだけど」

「知ってますよ?」

「知ってるの!?

 しやべりながら別の話題に切り替えようと思っていた俺は、箸を取り落としそうになった。

 ひなはうどんをチュルチュルすすった後、コクリとうなずく。

「だって、先輩も有名でしたよ。さんとかありがわ先輩と仲良しですし、やっぱり目立ってました」

「ゆ、有名? 俺たちの仲、一年生に知られるほどなの?」

 有栖川や明日香が有名人だからか。

 認識が甘かった、学年の一部にとどまっていると思っていた。

 俺がき返すと、ひなは小さく頷く。

「向かいの中学に通ってた人なら結構知ってるんじゃないですかね。有栖川先輩は明日香さんに憧れてゆうこうを目指す人もいましたし。私は先輩に憧れた口ですし」

 ひなはそう言って、うどんをツルツル口に流し込む。

 やがて俺の続きを促す無言の視線に、ドギマギしたようにえんした。

「……先輩の顔面、最&高……」

「いいから続き」

「はいっすみません!」

 ひなはハッとしたように目を見開いて、丁寧に教えてくれた。

「このゆうざき高校は、ご存じの通り三年前まで芸能科が存在してました。廃止された今でも卒業生たちの力で、特に女子の倍率は鬼高い学校です。だから顔面偏差値は近辺の高校の中では抜きん出ている訳ですが……」

 ラーメンを啜りながら聞いても、あまり味はしない。

 どうやら俺は、思ったよりこの情報に興味をそそられてるみたいだ。

「中でも現二年生は別格。芸能科があった時よりも逸材が集まってる!とOGがインスタでつぶやいて以来、学内では黄金世代みたいに言われてます」

「なんかそれ……男子の立つ瀬がないな」

「とっても可愛かわいい人が多いですし、女子に権力を握られるのも男子たちは喜んでるみたいですね。気持ち分かりますとも……」

 なんでひなが分かるんだよ。いや俺もちょっとだけ分かるけど。

「その黄金世代の中でも、抜きん出た三人が出現!と一部のうわさ好きたちの間でささやかれ始め、広まったのが三大派閥の名称という訳です!」

「はぁ……」

 色々察した俺が目を細めると、ひながほおを膨らませる。

「先輩っ反応薄い! こんなおとゲー……じゃない、ギャルゲーみたいな設定中々お目にかかれないですよ!」

 ひなはおごそかに作られた声色で言葉を連ねた。

 どうやら説明してる間に興が乗ったみたいだ。

「一人目! この学校では知らない人無し! 人気モデルのありがわ先輩! いきなりの異色、唯一どのグループにも属さない人。その身単体で集めた人気で、そのまま派閥って言われちゃったみたいです」

 つまり、有栖川単体で派閥ってことか。最初に考えた人は派閥の意味を調べた方がいいな。しかしそれが広まるということは、有栖川が単体でも他二人のグループに対抗できるほどの存在感ということだ。

「二人目! その有栖川先輩がしつこくモデルに勧誘してまない、生徒会のさん! この二人がこの高校の美貌を担う双璧だって一部の男子たちからの評判です」

 当然だと言わんばかりの口調。

 明日香と有栖川からは互いを良く思っていない雰囲気も感じていたけど、ひなはそうではないらしい。

「三人目! ゆめさき先輩。そうですね……とにかく一番派手で、大きいグループです。唯一ほんとの派閥みたいになってますし、私はあのグループ怖いですね」

 先ほど廊下にいた、夢咲の取り巻きたちが脳裏をよぎる。

 確かに、明らかに取り巻きみたいな人がいたのは夢咲だけだ。

「そして私の推しのさな先輩! 有名人の有栖川先輩と、唯一仲の良い男子。そして明日香さんのおさななじみ! 顔も私はタイプですし、こう独特な雰囲気が他者を寄せ付けない! でも逆に気になる、みたいな!」

「なんで俺が入ってんだよ!? ほんとの異色俺じゃねーか!」

「冗談です!」

 ひなってたまにぶっ飛んでる。

 俺は一口、二口とラーメンを食べつつ、自身への評価について思考を巡らせた。

 顔がイケてるというのはひなの主観によるところが大きいだろうけど、他の評判はあながち外れていないのかもしれないと思ったのだ。

 教室の俺に対する目線は、言われてみれば〝気になるけど話しかけづらい〟に近い気が──しなくもない。

 でも、その理由にはある程度納得できた。

「やっぱりありがわってとんでもないんだな。俺の知名度って、全部あの二人関連ってことだろ」

 しかも、ゆめさきようとも席が近いときた。

「それは──そうですね。初めに気になったのは、あの二人が目立ちすぎたゆえかもです」

 ひなもそこは素直に認める。そしてこう付言した。

「これ以上推す人が増えたら困るので、先輩はもう目立たないでくださいね!」

 ひなはほおを緩めると、うどんをぱくぱく食べた。

 その姿は小動物をほう彿ふつとさせて可愛かわいい。

 でも、俺の胸中はちょっとだけ灰色だった。

「友達もいなかったってのに、ちょっと情けない話だなぁ」

 そう言って、俺は笑みをこぼす。

「先輩?」

 まあ、こんなに可愛い彼女を前にしての感想でもない。

 目覚めた直後からある環境だから慣れてしまっているが、ある意味能力よりも貴重な人たちが周りにいてくれる。

「対等に打ち解けてるように見えるからこそ有名だったんですよ? 先輩は一目置かれていたと思います」

「そっか。まあ……そうだったらいいな」

 ひなのフォローに感謝して、俺はラーメンに視線を落とす。

 スープをぐるぐる、ぐるぐるかき混ぜる。

 食べようと箸に手を付けた瞬間、横を人影が通った。

 その人影の歩く速度が緩まった気がして、俺は横に視線を流す。

 人影は身長160センチほどの女子。

 長いまつの中からすみれいろの瞳がこちらをのぞいている。

 そして何より目をくのは、燃えるようなワインレッドの髪。

 見覚えあるどころか、我らが二年三組のリーダー。

 三大派閥が一角の主、夢咲陽子だった。

「あれ、さな。なんでアンタ食堂いんの?」

「うお……」

 夢咲陽子と、その取り巻きが二人ほど。

 ザ・強い女グループの面々といった雰囲気だ。

 夢咲の他には茶髪ロングのギャル、黒髪短髪のキツめ顔。

 三大派閥みたいな名称を聞いたばかりだからかもしれないが、入院中に読んだ漫画の中にも描かれていたカースト上位グループが、そのまま現実に飛び出してきたみたいだと思った。

 ゆめさきほとんど立ち止まって俺たち二人を眺めた後、こちらに歩み寄ってくる。

「つか、よりによってふえと一緒だし」

「夢咲……先輩」

 夢咲はひなの返事に反応しない。

 どうやら二人は知り合いのようだが、仲が良好ではないようだ。

 夢咲は俺に視線を向けたまま、ひなに問いを投げた。

「ひなさ、最近仕事は?」

 何かのバイトの話だろうか。

 上級生の中でもトップクラスのカースト、三大派閥の夢咲からの質問に、ひなはおどおどといった様子で口を開く。

 人見知りを発動しているのか、単に夢咲ようという存在に圧倒されているのか、それとも。

「……し、しっかりお休みしてますよ」

「そう。それはそのまま休みは続けられそうなの? 他に仕事は入ってこないようになってんの?」

「ちょ、調子が悪いって言ってるので……」

「へえ……そう。まあ、早く辞めなよ」

 心配しているにしては、夢咲の声色は教室で聞いたことのないような冷たいものだった。

 たかにだってここまで冷ややかな表情を浮かべている姿は覚えがない。

 うん、この二人の相性も悪そうだ。

「ねー、もしかしてこの二人って付き合ってる? もう? マジヤバくね」

 取り巻きの一人、黒髪短髪が疑問を投げた。

 そして別の一人、茶髪ロングも言葉を連ねる。

「つーかうち今日遅刻したんだけど、この人ら二人で登校してたワ」

 夢咲はピクリと反応して、ひなに近付いた。

 どこか嫌な雰囲気を感じる。

 こんな嫌な空気が流れているのは、この食堂の中ではきっとだけに違いない。

「前にも言ったけどさぁ。アンタ、分かってんの?」

「はい。肝に銘じてます」

 ひなは唇をキュッと結んで、うつむいた。

 明らかに萎縮している様子だ。これはもう詰められていると言っていい。

 見ていられなくなった俺は、思わず夢咲に口を挟んだ。

「なあ、ゆめさき……なんか、らしくないぞ?」

 夢咲が俺に視線を向ける。

 すみれいろの瞳は、教室で見せたどの瞳よりも冷えていた。

らしくない? そんなの言われるほど、私ら付き合い長くないんだよね」

「それは……その通りなんですが」

 夢咲とは昨日初めて言葉を交わしたばかり。

 知り合ってたったの二日目だというのに、俺は何を口走っているんだ。

「……ふん、もういいわ」

 夢咲は思い直したらしく、俺に近付いて視線を落とした。

 ラーメンは容器にまだ半分以上残っている。

さなはメンマ苦手なのね」

「え? まあ、なんか箸が進まなくて」

「貸してみ」

 夢咲は新しい箸を取り出すと、メンマを食べてくれた。

 前の席でひなが「あっ」と小さな声を上げたが、夢咲は気が付かなかったようだ。

 俺はどう返事しようか迷った末、場を収めるためにお礼を言った。

「サ……サンキュー」

「んーん。変な空気にしちゃったび」

 夢咲は軽く笑ってから、俺を上から見据えた。

 そして少し離れると手招きして、俺を近くに呼び付ける。

 俺は断るのも不自然かと思い、呼び付けに応じて腰を上げた。

 歩を進めると、後ろから黒髪短髪が「あれれ、い感じじゃーん」とはやててきた。

 真田ゆう──三大派閥グループからの評判も良さげとは。

 でも考えてみれば、そのうちの筆頭二人と仲が良い時点で何ら不思議もない。

 そのまま数メートル歩を進めたところで、夢咲は振り向き様に言った。

「真田さ。昼ごはん食べる相手とか、もうチョイ考えなよ」

「え?」

「周りに見る目ないって思われんのイヤでしょ? 真田には忠告しておいてあげる。もつたいないわよアンタ」

 ……なんだそれ。

 正直少し不快になったが、大っぴらに態度には出せない。

「……意味がよく分かんないけど。なんでひなと一緒にいるのが見る目ないんだよ」

 俺の問いに、後ろの取り巻きが甲高い声で答えた。

「あの子、人をたぶらかすことで有名だから~。周りからも避けられてるの知らないノ?」

 ゆめさきは小さくうなずいて、息を吐いた。

「そういうこと。なんで知らないのよ、ったく」

「いや……確かに知らなかったけど。でも、たぶらかすとかちょっと言い過ぎじゃ……」

「実際一緒に登校してたジャン」

 茶髪ロングの取り巻きが笑った。

 夢咲は少しいらったように息を吐き、背を向ける。

 そしてこう言い残した。

「今日であいつと絡むの最後にしておきなよ。……で。アンタら、ほんとに今日一緒に来たの?」

「……うん。それは事実」

「……そ」

 明らかに不機嫌そうな表情を俺の目に焼き付けて、夢咲は遠ざかっていく。

 その背中を見て思う。

 ──夢咲、気性が荒いな。

 リーダーしつであることには間違いないだろうけど、どちらかというとプライドの高さの方が顕著に感じる。

 にも時折気の強さを感じるが、明らかに別種の荒さだ。

 明日香やありがわは夢咲について何も明言していなかったが、その理由が分かった気がした。


 ◇◆


 食堂を後にした俺は、自販機でオレンジジュースを買う。

 そして、後ろにたたずむひなに目をやった。

「ひなは何がほしい?」

「わ、私ですか?」

「他に誰がいるんだよ」

 俺が笑うと、ひなはうれしそうにほおを緩めて、ポケットから財布を取り出した。

 そして、百二十円を手渡ししてくる。

「これで、小さめの紅茶をお願いします」

「いや、おごるよ」

「大丈夫です、私先輩の負担にはなりたくないので。でも先輩に買ってもらったっていう推しイベントはほしいので、私のお金を使ってください!」

「そ……そうか」

 俺は戸惑いながらもお金を受け取り、紅茶のボタンを押した。

 ガランと、無機質な音が鳴る。

 てのひらに転がした紅茶のペットボトルは、やけに冷えていた。

「さっき、ゆめさき先輩と何話してたんですか?」

「え? ……なんでもないよ」

 とつすと、ひなはクスリと笑った。

「やっぱり優しいですね、先輩」

「な、なんでだよ」

「だって……あの人から陰口がなかったなんてうそですよね。私、夢咲先輩に目つけられてる自覚ありますから」

 ひなは俺から紅茶を受け取ると、「えいっ」と一息に蓋を回した。

 パチパチと蓋の取れる音。

 ゴグゴクと喉を鳴らした後、ひなは口を開いた。

「愚痴られてましたよね、私。すみません、復帰早々気遣わせちゃって」

「いや、なんでひなが謝るんだよ」

 俺はけんしわを寄せて、オレンジジュースのペットボトルをポケットに入れる。

 買っておいてなんだが、甘いものを飲む気分ではなくなってしまった。

「あの絡み方、理不尽とは思わないのか?」

 そうくと、ひなは目をパチクリさせる。

「理不尽……なんですかね? 人の相性ってあると思いますし……」

「でも、あれは理不尽だぞ。少なくとも俺はそう思った」

「あれ、先輩怒ってます?」

「怒って……るかは分からないけど。夢咲の態度に不快にはなったな」

「……そんなこと言っちゃダメですよぉ、私が気にしてないんですから。逆らうのも良くないです」

 ひなは苦笑いしてから、紅茶に口をつける。

 すると先程の一件を全く感じさせない、純粋な笑顔が飛び出してきた。

「ふへへへ、やっぱりしい」

「な、なんで笑ってんだよ」

「あ、すみません。先輩からもらった紅茶サイコーでしたので」

 ひなは紅茶を半分残して、いそいそと蓋を閉める。

 昼休みの終了を知らせる鐘は、後数分で鳴る。

「……先輩に気遣ってもらえるの、素直にうれしいです。こういうイベントが偶発的に起きるから、学校っていいですよねぇ」

「イベント?」

「ですです」

 ひなはコクコクうなずいた。

おとゲーって、こういうイベントがあった方がより入り込めるんですよね。この先の期待感も膨れますし」

 この先とは何を指すんだろう。

 そう疑問に思ったが、キラキラした表情から思うに恋愛関連か。

 つまり、俺か。

「だから先輩。私は大丈夫ですよ? ゆめさき先輩との関係性なんて、今に始まったことじゃないですから。まあ今日みたいなのは初めてでしたけど……これでも結構楽しんでますしっ」

「……お前がそう言っても──」

「ふふふー。週末とかも会えたらいいですね、またラインしますから……てか先輩、そろそろ戻らないとやばいですよ!」

 駆け出すひなに、タイミングを逃した俺は無言でついていく。

 別校舎へ別れたひなの背中を眺めながら、俺は思考を巡らせた。

 茶髪ボブの毛先がひょこんと跳ねて、夢咲との遭遇を経ても後ろ姿はいつも通りに見える。言動だって、本当に気にしていなさそうだ。

 ──いや、そんな訳ない。

 きっと、慣れただけだ。

 ……それほど夢咲とひなのあのやり取りは常態化してるってことか?

 だけど、遠回しに介入を断わられた。

 その上で今の俺が首を突っ込んでいいことなのだろうか。

 俺にその資格があるのだろうか。

 後ろ髪がゆらゆら揺れる。

「……人間関係って難しすぎだろ」

 以前の俺は、一人を好んでいたらしい。

 こうした難易度の高い出来事にへきえきして、一人を好んだのだろうか。

 俺は小さくためいきいて、窓越しの空へ視線を向ける。

 昨日は雲ひとつ無かった晴天に、灰色の入道雲が湧き上がっている。

 しゆううの予感に、俺は唇をキュッと結んだ。