二話 三人のカノジョ



 さなゆうという自分を自覚した、その翌週。

 ──記憶喪失とは恐ろしい。

 そんな漠然とした認識が、前の自分にはあったような気がする。

 しかしいざ記憶を失ってみると、中々どうして爽快だ。

 過去がないので、悩みもない。

 何色にも染まる心だって、きっとそうやすやすと手に入るものではない。

 真田勇紀という人間の根底は比較的プラス思考なのか、記憶喪失という災難を憂う気持ちより新鮮味を感じる気持ちが心の大部分を占めていた。

 嘆いても仕方ないと無意識のうちに割り切っただけかもしれないが、医者いわく「良い兆候」とのことなのでこの心持ちを保ちたいところだ。

 治療の目的もあり、この一週間は自由時間のほとんどを人間観察や読書に費やした。

 人間観察では廊下を行き交う患者や看護師、医者やその他大勢をじっくり観察した。

 人間関係に関しての記憶がスッポリ抜け落ちた俺から見れば、人が行き交う病院の通路は興味深い情報に満ちている。

 そして三桁を超える人間を観察した俺は、一つの結論を出した。

 すなわち、目の前にいる女子は他の生き物から見ても際立った存在だと。

「今日も異常なかったら、すぐに退院できるみたいね」

「うん、思ってたより早く高校に通えそうだ」

 お見舞いに来てくれた恋人、みなとに笑いかける。

 彼女のライトゴールドの長髪が陽光に照らされ、さんぜんきらめく。

 湊明日香は可愛かわいい。

 ギャルの中に清廉潔白さが入った、相反する二者を両立させた容姿。

 客観的に見ても、抜群に可愛いといって差し支えない。

 モデル雑誌に出てもおかしくないくらいの容姿の彼女と病室で二人きりというのは、色々マズい気がする。

 しかし明日香は俺のよこしまな思考など露ほども察していないようで、コクリとうなずき口元を緩めた。

「記憶が戻ってないこと以外は、健康そのものだもんね。勇紀が学校に復帰したら、喜ぶ人も何人かいるんじゃないかしら」

「何人かしかいないのか? 俺って人望ありそうな気がするんだけど」

「どんな自信よ。まあ、羨ましがられる人っていうのは間違いないけどね」

「おお、だよな! ……でも好かれてるかどうかは不安だなぁ」

 俺がゲンナリして見せると、は俺のほおをちょっとつねった。

「……私がいるからいいじゃない。ご不満?」

 ……やっぱりめっちゃ可愛かわいいな。

 あお色の瞳はクリンと大きく、上目遣いは同年代の異性を知らない俺にとって相当の破壊力を持っている。

 好きがどういうものか感覚的に覚えているものの、この感覚が〝好き〟というものなのかはまだ分からない。

 それでも、明日香が大切な存在だという認識は既に芽生えている。

「やっぱり学校生活は不安かしら」

「そりゃ、不安じゃないって言ったらうそになるけど。なるようになるとも思ってるかな」

「……そうね。なんとかなるように私も努力する」

 明日香は目尻を下げて、俺の頬を優しくでた。

 記憶喪失でも怖くない。

 そう思える要因は、目の前にいる明日香のお陰だ。

 自分の理解者、味方が一人いると分かっただけで、気の持ちようは全く異なる。

 いつも良くしてくれる看護師さんは学校に着いてきてくれる訳ではない。こうした同年代のつながりは何物にも代えがたいものだ。

 でもやっぱり、違和感は胸にくすぶっている。

 人間関係以外の記憶を残す俺には、自分の身を置く状況がに異質なのかがわかるから。

 友達の一人さえも。

 そして何より、家族一人さえも。

 ──この一週間、お見舞いに来た人間は明日香を除いてただの一人もいなかった。

 だだっ広い病室にたった一人で生活せざるを得ない俺は、明日香という存在が無ければあっという間に孤独感に苦しんだに違いない。

 正直、何となく沢山の人がお見舞いに来てくれると思っていたので意外だった。

「……ありがとうな」

 お礼を言うと、明日香はかぶりを振った。

「ううん。当然のことよ」

 こちらの真意を察しているのだろうか。

 彼女が柔和な微笑ほほえみをたたえて、言葉を続けようとした瞬間だった。

 ガラリ。

 突然扉が開くと、通路にはいつもお世話をしてくれる看護師が立っていた。

 ナース服に包まれる大人おとなの体に目がかれてしまうが、思春期においては正常な劣情を抱く自分にあんを覚える。

 は腰を上げて、看護師に言葉を掛けた。

「あれ、どうしたんですか?」

 看護師が愚問だという表情を浮かべた後、ためいきいた。

「どうしたんですか、じゃない! 面会許可の時間まではまだあと三十分。つまり今、ゆう君は一人でいるべきなんだけど!」

「え、固いこと言わないでくださいよ。昨日は許してくれたじゃないですか」

「昨日もこの時間に来てたの!? ……いえ、今のは聞かなかったことにするわ。早く出なさい、三十分後にまた呼んであげるから!」

 看護師は目を丸くした後、瞬時に面倒ごとへ発展しないように切り替えた。それでいいのか看護師さん。

 渋々退室する明日香は「なんでバレたんだろう」と不思議がったが、看護師の「入館時に受付の声を振り切る人なんてに来て当然ですよ」という返答が全てを物語っている。

 ──みなと明日香。

 彼女の内面について、この一週間でわかってきた。

 面倒見がよく、声のトーンに粗雑な時があるものの、根底にある優しさは一級品。こうして腹の中で性格を分析する俺よりも、余程明け透けな性格。

 ちよとつもうしんな節があるのがたまきずだが、それは明日香の良さでもあるに違いない。

 加えてあの容姿だ。高校の教室がどんな雰囲気だったかまるで記憶がないものの、周囲からの扱いは容易に想像できた。

 湊明日香が一緒にいてくれるなら、学校生活に不安はない。

 最初の味方が明日香だということは、俺にとってとんでもない幸運だ。

「ねえ、勇紀君」

 明日香が退出した直後、看護師がこちらに振り返った。

 心なしか表情が硬い。

 具体的には俺が記憶喪失だと診断された時よりも硬い気がする。

 この直感が間違っていなければ、相当つらい。

 明日香とのやり取りで温かくなった胸から、スッと温度が失われた。

 数秒つ間に、てのひらに汗がにじむ。

「俺、何か異常見つかったんですか」

 恐る恐るいた俺に、看護師は一瞬のしゆんじゆんの後に口を開く。

「異常、といえば異常だけど。身体からだに関しての異常ではないわ」

「な、なんだ……それなら良かった。それ以外ならドンと来いですよ」

 胸をろした。

 命や脳に別状があることが今何よりも恐れることだったから。

 しかし看護師の表情は変わらず暗く、げんに思う。

 身体からだ以外のことで異常事態など、そうそう起こり得るものだろうか。

ゆう君の彼女さんって、さんよね?」

「え? そうですよ。あはは、今でも信じられないですけどね。あの人が支えてくれるなら、今後の学校生活にも不安はないっていうか」

「彼女さんがお見えよ」

「へ? 明日香ですか?」

 看護師が視線をこちらにす。

 それは患者に向ける視線というには冷たすぎた。

「いいえ? 別の人が、あなたの彼女を名乗ってる」

 ……前言撤回。

 これから始まる高校生活、不安しかない。


 ◇◆


 だだっ広い病室に、大きく開け放たれた窓。

 最上階の角部屋に位置するは、春の微風がここよい。

 この時間帯の風は穏やかな気持ちにさせてくれる。

 ここまではいつも通りだった。

 いつもといえる日々を積み重ねているかは別として、相対的にいつも通り。

 決定的に異なるのは、看護師に連れて来られた存在だった。

 それは医者ではなく、別の看護師さんでもない。

 看護師の隣にいたのは、明日香と同年代くらいの女子。

 つまり、俺と同じ高校生。

 その女子はとにかく鮮烈な存在だった。

 存在そのものが重力を帯びているように、視線がきつけられてしまう。

 身長は明日香より少し高いくらいか?

 明日香も女子の平均よりは高いらしいので、スタイルが歳相応じゃないといっても過言ではない。

 身体のラインが強調されるキャミソールの下からは豊満な胸が盛り上がっており、短パンからは弾力のありそうな白い太ももが顔をのぞかせる。

 おさげの髪はつやのあるアッシュブラックで、電灯を反射し黒にもグレーにも捉えられる光を放つ。

 目に掛かるくらいの前髪は右に流し、緩く巻かれた毛先は、大人おとなの雰囲気をアップさせていた。

 そしてあらわになった左耳にはゴールドのイヤリング。

 イヤリングは耳たぶが垂れてきそうな大きさなのに、ファッションとして成り立っているあたりから彼女の異常さが分かる。

 どこまでも際立つ容姿を持つ彼女が、ジッと俺を見つめる。

 ……こんな人に心配される俺、前世でどんな徳を積んだんだ。

 違う。

 ……こんな人たちに心配されるなんて、記憶を失う前にどんな悪行を重ねたんだ。

 しかしひとまず今は、彼女の心配を取り除くことが優先される。

 それがお見舞いに来てくれた彼女への最低限の礼儀だ。

 そして、彼女が口を開いた。

「ふふ、うける。ほんとに入院してるんだ」

 わ──笑った。

 てっきり心配の言葉が出てくると思って返事を用意していた俺は、ベッドからずり落ちそうになった。

 しかし本当にベッドから落ちそうになったのはここからだった。

「私入院したことないんだけどさ、毎日の生活どうだった? やっぱり退屈? それとも意外と面白い? あ、そういえば記憶ないってほんと?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 記憶喪失ってそんなに軽く扱われるものだったっけ!? 俺の記憶じゃ──」

「ぷ、記憶ないのに〝俺の記憶じゃ〟だって。君は記憶がなくなってもおもしろいね」

 アッシュブラック美人はそうごうを崩して、クスクス笑った。

 俺はぼうぜんとしたが、後ろで動向を見守る看護師も同様だ。

 病室の空間が一瞬で彼女に支配されたような錯覚。

 その支配者が常識の範囲から逸脱していそうな言動をするのでタチが悪い。

 看護師によるとこのトンデモ美人は俺の恋人らしいが、初対面の印象から〝自称恋人〟という線が色濃い気がした。

 同級生か昔の知人が、記憶喪失の俺をからかっている。

 この推測が正しいことを願いながら、俺はアッシュブラック美人にいた。

おつしやる通り、俺には知人の記憶がサッパリない。だから名前を教えてもらえると助かる」

「え?」

 美人はキョトンとした後、スラッと長い人差し指を自身の顎にくっつけた。

 気の抜けたような表情とは裏腹に、一連の動作は優雅で育ちの良さを感じる。

「んー。当ててみてよ」

「いや無理っすよ、世の中どれだけ名前があると思ってるんですか。……せめてヒントとか」

「ヒントかぁ」

 美人はウーンとうなった後、「そうだ」と両手を打ち鳴らした。

 何だか嫌な予感がした。

 俺が反応を示す前に、ムンズと腕をつかまれる。

 きやしやな手から伝わる、ひんやり冷たい感覚。

 女子特有であろうスベスベした肌触りに、俺は身体からだを硬直させる。

「じゃ、ヒント出してあげる」

「えっ」

 せつ

 あろうことか、美人は俺の手を自らの胸に押し当てた。

 弾力の中にある柔らかさ。

 沈み続けるようなふくよかさではないものの、男にはない絶対的な感触。服越しでこれなら、本来の柔らかさはほどか。

 そんな思考が瞬時に脳内を駆け巡り、口から出たのは結局意味をなさない悲鳴だった。

「なぁぁあ!?

「あん、エッチ」

 わざとらしくほおを赤らめてみせる彼女から思い切り上体を離し、ベッドの端まであと退ずさりする。

 彼女の後ろで看護師が目を点にしている。

 こんなった表情、記憶喪失の診断が下された時の数十倍深刻そうだ。

「あんたっ頭おかしいのか!?

「え? おかしいのは君じゃん。私の記憶をすっ飛ばすんだから、絶対そうだよ」

「そういうのを記憶喪失っていうんだよ! 看護師さん助けてこの人不審者です!」

「で、でもさっき入館証確認したし……」

「今の状況見てたらそんなの問題じゃないのは分かるでしょ!?

 混乱状態の看護師に反論すると、横から美人が頬に手を添えてきた。

 そしてグイッと力ずくで方向転換させられる。

 バキバキ!

 首から嫌な音が鳴る。

 視界が看護師から美人に切り替わるや否や、彼女は目尻を下げた。

「どう、思い出した?」

「今死にかけた気がします」

「ふふ、やっぱりおもしろい」

 頬に両手が当てられている。

 目と鼻の先に、おうとつ一つない滑らかで純白な肌。太陽の光はここから放たれているのではと錯覚するくらいまぶしい瞳。

 長いまつは上向きにカールされており、瞳の大きさを強調している。

 目の前にいるのに、画面越しにているような精巧さ。

 思わずれてしまった俺に、美人はニコリと口角を上げた。

「……名前教えてあげる。次忘れたらタコ殴りね」

「脅しが荒々しいな!」

 頬を挟まれながらくぐもった声で答えると、黒髪美人は目をパチクリさせた後、俺から離れた。

 そしてニコリと口角を上げ、胸を張る。

 スタイルが強調されて視線が顔の下に落ちそうになったが、気力でこらえた。

「私、ありがわ。忙しい中、君のために来てあげたよ」

 沈黙が下りた。

 何か続きがあると思ったが、ありがわは小首をかしげてこちらをうかがってくる。

 どうやら今しがたの自己紹介に続きは存在せず、俺のターンに移行したらしい。

 後半のくだりは冗談なのかおおなのか。

 今までのこの子の言動から後者な気がすると思いながら、俺は返事を絞り出す。

「……よ、よろしく。有栖川……さん?」

 有栖川は片手を上げて応えた。

「うん、よろしく。あと私彼女だから、さんはなくていいよ」

「……ほ、ほんとに彼女なのか?」

 ついでのように付言されたので、聞き逃すところだった。

 あまりにの応対と異なることから、本人の口から聞いてもにわかには信じがたい。

「うん。こんな可愛かわいい人が彼女って、かなりうれしいでしょ?」

「ぶっちゃけ全部冗談だったりしない?」

「えっ」

 話をぶった切るような質問に、有栖川紗季は目を丸くした。

 吸い込まれそうな大きな瞳。

 その瞳がみるみるうちに潤んでいき、有栖川は目を覆った。

「ひどい……」

「え、ちょっと待ってごめんなさい。うそ嘘、全部冗談!」

 予想外の展開にしどろもどろになる。

 必死になって看護師に視線で助けを求めると、あっさりらされた。

「最低ですね」

「これ今の俺のせいなんですか!?

 そう抗議はしてみたものの、看護師から見た俺は二股をかけて、あまつさえ泣かしてしまう女の敵。

 に関係性が構築されてしまった今、かばわれないのは仕方のない話だ。

 以前の俺は相当なクソ人間だった可能性が高い。

 医者いわく、この俺の記憶は戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。

 しかし戻った場合、彼女たちは再びもてあそばれることになるのだろうか。

 ……それは我慢ならない。

 こうして一度関わった人たちに、そんな未来は送らせたくない。

 たとえ相手が過去の自分であっても、今の俺にとっては敵だ。

 過去の自分が二股をかけた極悪人であることを伝えるのが、一人の人間としてのケジメというものだろう。

 ありがわの心配を取り除くという当初の優先事項は図らずもクリアしたし、これで憂いなく宣言できる。

「ごめん。君が彼女っていうのが本当なら、以前の俺はクソ人間だ」

「え? なんで?」

 有栖川はさっと手をどけて、キョトンとした顔をした。

 泣いていたにしては、目元はさっきと全く変わらない。

 本当に泣いていたんだろうかという疑問を頭の隅に追いやりながら、俺は口を開いた。

「有栖川さんの前に、自分が彼女っていう人が来てくれたんだ。どうも、その人は俺のおさなじみらしくて。彼女と有栖川さんがどちらも本当のことを言ってるなら、俺は二股かけてたことになる。だから──」

「ふうん。私とキスしたら許すよ」

「へ?」

「キスしたら許す」

 繰り返されたもんごんを聞いて、俺は喉から出掛かった言葉を飲み込んだ。

 キス。

 ポンコツになった頭でも、その単語が表す意味はハッキリ分かる。

「し、しないって! 分かってるのか、俺うわ男だぞ!? 浮気っていうか、もっとひどい二股! 彼女二人作った男だぞ!」

 予期していなかった有栖川の言葉に、まくてるように返答する。

 しかし有栖川はこともなげに口元に弧を描いた。

「うん。それだけ君に魅力があるってことでしょ? 私の彼氏なんだったら、それくらいの気概はなきゃね。偉いぞっ」

「どういう──」

「許してるってこと。その子と別れてなんて言わないから、安心して」

 どうやら目の前にいる女子は、世間も驚きびっくりの価値観を持っているらしい。

 というかさっきの泣く仕草はなんだったんだ、こんな人からあっさり涙が出るとは思えない。そんな俺の疑問に応えるように、有栖川はニコリと口角を上げる。

 ……うん、絶対うそ泣きだ。

 だけど、それとこれとは話が別である。

「なあ、有栖川さんはこんな暴挙許していいのかよ。二股が許されるなんて聞いたことないぞ? 普通恋人は一人だろ」

「あはは、記憶喪失なんだからそりゃ聞いたことないでしょ」

「デリカシーってもんがないのかアンタは!」

 以前の自分を棚に上げて、思わずそう突っ込んだ。

 ありがわは肩を揺らして笑う。

 キャミソールから白い肌が、こちらを挑発するかのようにチラチラ顔をのぞかせる。

「だからいいって。相手はさんでしょ? 君のうわは私公認だよ。万歳、両手に花の大天国だね」

「……待ってくれ。有栖川と明日香知り合いだったのかよ、てことは同じ高校!? 俺の頭に残ってる常識と違いすぎて怖い!」

 人間関係以外の記憶があるとはいえ、目覚めて早々これでは一体何が常識だったか分からなくなってしまう。

「つーかなんで相手が明日香だって知って──」

「ふふ、どうして知ってるのかな。そうだ、明日香さんにいてみよっか」

「や、やめろ!」

 スマホを取り出してみせる有栖川を慌てて制止する。

 こんな事実、露見させても誰も幸せにならない。

 俺に不幸が降りかかるのは、記憶を失ったとはいえ身から出たさびなのかもしれない。だけど明日香には罪もないのだ。

 二股をする彼氏なんて普通なら嫌に違いないのに、あっけらかんと話してくるあたり有栖川はどこまでもつかみどころがない。

 だからといって、この状況をそのままにしておくのはマズい。

 有栖川が明日香に事実を伝える危険があるし、に記憶が戻ったらこの関係がズルズル続きかねない。

 俺は意を決して、言葉を紡ぎ出した。

「なあ、別れないか?」

「え。私が同意してるんだし良くない?」

「明日香はこの関係に同意してないんだろ。だったら別れるべきだ」

 有栖川の掴みどころのない性格と違い、明日香にはぐな印象を受けた。とてもじゃないが、二股を許容しながら関係を続ける人には見えない。

「それって私だけ振るってこと?」

「そんな訳ない。明日香とも別れるよ」

 有栖川はまた俺の心を見透かすかのように、目を細めた。

「へえ。どうして?」

「もしバレたら色々言われることになる。周りから、色んな人から。記憶のない俺のせいで言われたら、あんたにも明日香にも迷惑がかかる」

「かからないよ」

「かかるだろ。それに、俺も──」

 ドン、と上体を押し倒された。

 ガシャンと大きな音を立てて、俺はベッドに倒れ込む。

 何をするんだと抗議しようとしたところ、口を片手で塞がれる。

 上体を起こそうにも、胸と顔に体重を掛けられ身動きが取れない。

 数センチ先にはありがわ

 先程よりも更に至近距離の彼女が近づいてくる。


 そして、今度は止まらなかった。


 あっさりと。

 あまりにもあっさりと、唇を塞がれる。

 頭の中がはじける感覚。

 とろけるような、せんじようてきな感覚。

 たった数秒のせつぷんによって伝えられた膨大な感覚を処理しきれずにいると、有栖川紗季は「ぷは」とつやのある声とともに離れた。

 そして、唇を拭いながら言葉を紡ぐ。

 先程とは決定的に異なる声色で。

「──君を悪く言う人がいたなら、私が殺してあげる」

 窓から、春にしては冷えた風が俺たちの間を吹き抜ける。

「……死んだ人はいないのと同じだよ」

 冷ややかな瞳が俺の身体からだを貫いた。

 有栖川から放たれるてつくような視線はとんでもない迫力だ。

 以前にもこの感覚におちいった気がする。

 を目の前にした時と同じように、以前の自分が何かを覚えているような。

 医者が言うにはそんな現象はないらしいが──

 返事に窮して口を閉じると、有栖川は目をパチパチさせて吹き出した。

「ふふ、ジョークだよ。そんなに本気にしないで」

 俺は目をまばたかせる。

「……ジョークって直前で止めるから成り立つんじゃなかったっけ?」

「そうなの? ありがと、勉強になった」

 有栖川は小さく笑って、唇に手を当てた。

 桜色の唇。

 見た目は薄いが、確かな弾力を擁していることをたった今知ってしまった。

「ねえ。君が人間関係だけを忘れた理由、私には分かる気がするよ」

 俺はありがわの顔を凝視した。

「てことは、あんた何か知ってんのか」

「うん、何かは知ってるよ」

 有栖川は含みのある笑みを浮かべて、自身の唇に人差し指を当てた。

「色々教えてほしかったら、この関係は継続させてよ。どうせ後で分かることもあるし」

「……どうしてそこまで付き合おうとするんだ」

「好きだからに決まってるじゃん?」

 至って平板な声色で、有栖川はそう告げた。

 ……さっきのうそ泣きといい、やっぱり怪しさ満点な気がする。

 以前の俺が二股をしていた可能性と、有栖川が虚言をいている可能性。

 しかし有栖川が本当に、記憶喪失の原因となり得るものを知っていたとしたら。

「にしても、記憶戻らないなー。キスしたら記憶戻るみたいな、白雪姫的な展開になるかと思ったんだけど」

「そんなロマンチックな展開が起こる状況じゃなかっただろ」

「ふふ、確かに。じゃあ次は、もうちょっと雰囲気作りも大切にしよう」

「あんたからキスしたんですけどね?」

 有栖川は俺の返答をガン無視して、身体からだをグッと伸ばした。

 温かな春風が窓から吹き抜けて、ようやく病室に静寂が戻る。

 混乱した脳内も次第に落ち着きを取り戻し、俺は深く息を吐いた。

「そういえば、退院の立ったんだよね? 差し入れに本置いておいたから、暇がありそうだったら読んでね」

 視線を落とすと、ベッドの脇に本の二冊入ったレジ袋が置かれている。

「おお、これは……後で読んどく」

 今日初めて受けるまともな言葉に、静かに応える。

 有栖川は一度うなずき、背を向ける。

 さつそうとした仕草に、彼女の用は済み、から立ち去ろうとしていることが分かった。

 有栖川に関して、まだ色々と疑問が残っている。

 だけどそれに対する追及はまたの機会になりそうだ。

 見送ろうと彼女の背中から視線を外さずにいると、有栖川はおもむろに振り返った。

「そうだ。学校で会ったら、ちゃんと君は助けてあげる。私、一応三大派閥の女王様なの。だから頼りにしてね」

「なんだその変な名前……」

「えー、カッコいいじゃん」

 自己肯定感が青天井だな、という感想は飲み込んだ。

 彼女の性格は今の自分にとってはいささか刺激が強く、恐らく異常。

 しかししたたかに生きる上では必要なものも備わってると、そう思わされた。

「その代わりに、君を守ったらこの関係も延長すること」

「よく分からないけど。……まあいよ。今の俺に止める権利はないみたいだしな」

「ふふ、約束。げん取ったからね。……じゃ、また」

「ああ……また」

 ありがわ

 唯我独尊の四文字に相応ふさわしい内面は、恐らくは絶大な自信の表れ。

 彼女がこれからの生活において頼りになることは間違いない。

 本来有栖川紗季が学校生活で味方になってくれるなら、これ以上心強いことはないのだろう。

 二人目の彼女を名乗られるという、れつな状況が無かったらの話。

 俺と有栖川、そしての三人が同じ学校という状況じゃなかったらの話だ。

 そう思考を巡らせていると、閉まりかけの扉から有栖川の顔がこちらをのぞいた。


「あ、そうだ。もう一人呼んでくるから、そこで待っててね」


「……もう一人?」

 その意味を測りかねて、俺は思わずおうむ返しをしてしまう。

 しかし有栖川の姿はすぐに見えなくなり、足音が遠ざかる。

 俺は数秒間硬直した後、ベッドから飛び出して室内を駆け、勢いよく扉を開けた。

 いつの間にか廊下に退出していた看護師が、ビクッと肩を震わせる。

 どうやら有栖川が退室するまでそばで待機していたようだ。

 しかしそれははや重要な問題ではない。

 俺は看護師にいた。

「……もう一人って、どういう意味だと思います?」

「……さあ。そういう意味だと思いますけど」

 ドン引きしたような看護師が、先程よりも冷たい声色で答えてくれた。


 ◇◆


 有栖川が退室してから数分後、小さなノックの音が部屋に響いた。

 恐る恐る目をやったが、ドアは開かない。

 沈黙が下りて数秒。さいドアが軽くノックされる。

 そこでやっと、返事をしなければドアが開かないことに気が付いた。

 ノックは入室前にするのが当然のマナーだが、は気付けば部屋にいるし、ありがわに至ってはいきなりドーンと開け放って看護師を驚かせていた。

 自分の彼女と名乗る人間は皆んなそちらのたぐいだと高をくくっていたので予想外だが、本来これがあるべき姿なのだ。

「どうぞ」と答えると、控えめに扉が開いた。

 二十センチほどの隙間から、廊下が視認できる。

 次の瞬間、ヒョコッと茶髪の女の子が顔をのぞかせた。

 ボブの毛先がぴょこんと跳ねて、それまでの彼女たちといささか異なる第一印象。

「先輩っ」

 カラカラと扉が開いて、茶髪ボブの女の子がスッと入室する。

「……ど、どうも」

 どうやら俺は緊張しているようだ。

 先程とは違い、いきなりまともな対応をされているので些かギャップがあるのだろう。

 有栖川によると、この女の子も俺が彼女持ちということを認識しているらしい。どんなれつな人間が来るのかと思いきや、どの彼女よりも可愛かわいらしい容姿。

 二人がれい系とするなら、この女の子は純度百パーセントの可愛い系である。

 ここまで出会った女子は全員れい可愛かわいいので、もしかしたら周りの同年代の女子はんな可愛いか綺麗に二分されるのではないかとさえ思えてくる。

 女の子がトコトコこちらへ歩いてきて、目を泳がせた。

「あ、あの。へんぱい」

「え?」

「コホン。先輩」

 言い直した。

 今言い直したけど、揺れる瞳が追及しないでほしいと訴えてくるようだ。

 俺は何も気付いていないフリをして、無言で続きを促した。

「げ、元気ですか」

「……元気に見える?」

「そ!? そうですよねすみません! ごめんなさい失礼します!」

「ちょ!? ごめんキツく見えたら謝る待って!」

 回れ右をして退散しようとした彼女を、俺は慌てて制止する。

 ここで帰られては何も分からない。何しろまだ名前さえ聞けていないのだ。

「俺はさなゆう! 君の名前を教えてくれ!」

 ドアノブに掛かった彼女の手が、ピタリと止まる。

 振り返った彼女は、フルフルと震えていた。

「せ、先輩ぃ……やっぱり私のこと忘れちゃったんですかぁ……」

「ご……ごめんなさい」

 思わず謝罪した。

 こんなにも直情的に悲しまれると、それ以外の言葉が出てこない。

 記憶を飛ばすというのが、彼女に対してとても悪いことをしたというのは間違いない。

 しかしここまで自然に謝罪が出たのは初めてだった。

「ごめんなさいじゃないですよぉ! 先輩がいなくなったら私どうすればいいんですかぁ!」

「いや、一応まだ生きてるだろ?」

「私の中の先輩は死にましたぁ!」

「めっちゃひどいこと言うな!? それ天然なの!?

 とんでもない攻撃で致命傷を負った俺は、を吐きながら返事をする。

 彼女は我に返って、何とか言葉を続ける。

「ごめんなさい、つい本音が……」

「何も弁解できてないし更に傷付いたんだけど」

 ありがわと全く異なるタイプだという第一印象には相違ない。

 しかし異なるタイプというだけで、この子もかなり変わっている。

 三股を許容するのだから、変わっていて当然かもしれないが。

「ていうか、そんなに俺に依存してたのか?」

 はたから聞くとめちゃめちゃ痛い質問だが、今の俺は全て言葉にしなければ疑問を解決できない立場だ。

 病室に放たれた自らの言葉に顔をしかめて、俺は彼女の返事を待った。

「い、依存はしてないです……ちょっとラインをしてたくらいです」

「一日何件くらい?」

「二百」

「にひゃく?」

 分かった、この子が一番ぶっ飛んでる。

 まさか有栖川よりもぶっ飛んでる人が出てくるとは思わなかった。

 茶髪ボブの女子はブンブンかぶりを振って、言葉を続ける。

「だ、大丈夫です最高記録の話です! しかもその時は通知をオフしておくように事前に言ってましたから。そしたらしばらくの間先輩から一通も返事がこなかったです」

「俺も結構ひどいな……」

 我ながら、さすが三人の彼女を抱える人間だ。

 何だか自分の中にある常識と自分の行動、周りの行動がかけ離れすぎていて、記憶を取り戻したくないレベル。

 今のまともな精神状態で記憶が戻っても、周りについて行ける気がしない。

 ついて行けてなかったから返信しなかったのかもしれないけれど。

「ていうか、名前教えてくれよ。俺まだ君のこと、何も分からないんだ」

 俺の発言に、彼女は少したじろいでから答えた。

「ふ……ふえひなっていいます。ひなって呼んでください」

「そっか。分かったよ、ひな」

 一瞬の静寂。

 みるみるうちに、笛乃ひなの顔が赤くなる。

「なっ、なっ、なんで名前で呼んでるんですか!」

「言われたからですけど!?

 おかしい、反応がウブすぎる。

 記憶喪失の俺ですら、名前を呼ばれただけじゃこうはならない。

 は最初から名前呼びだったし、ありがわに至ってはキスまでしてきたのだ。

「……ひなって、俺と付き合ってるんだよな?」

「そ、そんなそんな……!」

「あ、なんだ違うのか」

「付き合ってます!」

「反応紛らわしいな!」

 ありがわが俺をからかっているだけという線はないようだ。

 有栖川の存在を認知してから短時間のうちに二度も疑ってしまった。

 から複数人の彼女という言葉を聞いていない以上、有栖川の主張だけをみにはできなかっただけ。

 だけどひなの反応を見るに、有栖川はうそいていなかった。

 俺は心の中で有栖川に謝って、ひなに向けて言葉を連ねる。

「緊張しなくていいよ。記憶はなくても、きっと俺のままだから」

「す、すみません。単に私コミュ症なだけなんですよ……初対面って思われてると思うだけで緊張しちゃって……」

「あー、人見知りなのか」

 ひなの主張は、何だかストンとに落ちた。

 それだと先程までの言動も大方納得できるし、可愛かわいらしくも思えてくる。

「まあ、緊張しないでよ」

「でも……その、緊張しないでって言われて緊張ほぐれたら苦労はいらないっていうか」

「俺はこの先、ひなとの時間も積み上げていきたい。この気持ちはきっと、以前からあったはずだから」

 形はどうあれ、以前の俺と仲良くしてくれていた。

 そんな存在からいつまでも他人行儀にされるのは、記憶がなくても少し寂しい。

「せ、先輩……」

「緊張とれてきた?」

「キザな言葉似合わないですね」

「帰れ!」

 病室の出口をビシッと指差す。

 ひなはクスクス笑いをこぼして、おもむろにお辞儀をした。

「ありがとうございます、おかげさまでちょっと慣れてきました。記憶が無くなってても……こうして話してみると、確かに初対面って感じしないかもです」

「……納得したくないきっかけだけど、そう思ってくれたのならまあいいや」

 明日香も同様だが、以前の俺を大切に思ってくれていたことは伝わった。

 ひとまずこれでお見舞いに来てもらった義理は果たせたかな。

「はい。これで先輩推しを継続できそうです」

「え?」

 ニコニコ笑顔になったひなは、口を開く。

「私、三次元で一番推してるの先輩なんですよね。そばにいられるだけで、私結構幸せです」

「へ、推し?」

「オタクは推しからの供給で日常をたのしく生きてるんです。二次元大好きな私ですが、三次元からの供給もしっかり欲しい系オタクです。最近先輩からの供給が無くて毎日色の薄れた生活を送ってました」

 一気にじようぜつになってまくててくるひなに、俺は口元を緩める。

「ひなはオタクなんだな」

 身振り手振りで話していたひなの動きが止まった。

 そして恐る恐るといった様子で上目遣いをしてくる。

「そ……その、やっぱりオタク引きますか?」

「なんでだよ。二次元好きな人なんてめっちゃいるってことは覚えてるぞ。そんなんで引く理由になるかっての」

 そう言うと、ひなは目をまばたかせる。

「……同じこと言われました」

「……それは、前の俺に?」

 前の俺は三股をするとんでもない人格。そんな自分ではあるものの、共通点をいだされることに悪い気はしなかった。

 俺からは十六年という月日が消えせている。

 しかし周囲の人間が今の俺を通じて以前を想起してくれるなら、今の俺の言動も過去の積み重ねがあってこそだと自覚できる。

 ペラペラに思える今の時間にも、きっと意味を見出せる。

「今日は先輩の顔見れただけで、生きててよかったポイント上がりました。先輩、今からお散歩しませんか? 皆さんが来ないうちに──」

 ブブッと、ひなのポケットが震えた。

 ひなはスマホを取り出して画面に視線を落とした後、ガッカリしたように嘆息する。

「……今から、他の彼女さんたちが来るそうです。もうちょっとしやべりたかったなぁ」

 いびつな言葉が、可愛かわいい口からいとも簡単に紡がれる。

 そして恐ろしいことに、俺もこの状況を受け入れ始めている。

 記憶喪失という特殊な環境に慣れたからか、複数人の彼女という環境への順応も早いようだ。

「いつでも喋れるんだろ、俺ら」

 落ち込むひなにそう告げてみると、ひなはうれしそうに口角を上げた。

「私、先輩に──」

 唐突にドアが開く。

 ひなの時とは違い、一気に全開という開け方だ。

 ノックの瞬間開けられたドアからは、アッシュブラックの頭とライトゴールドの頭が一つずつ。ありがわを先頭に、が後ろから彼女の肩をつかんでいる。

「やっほー、さっきぶり」

 のんに手を振ってくる有栖川に、明日香が不機嫌丸出しな声色で言う。

「一気に会わないようにするって話したわよね? ゆうのことしっかり考えてよ」

「じゃあ明日香さんは廊下で待ってて?」

「ふざけないで、あんたが廊下で立ってなさいよ!」

「私がいないと勇紀君寂しがっちゃうもん」

 有栖川はこともなげに言い放つ。そして「そんな訳ないでしょ!」と荒々しく反論する明日香を無視して、こちらに視線をした。

 そんな状況で見るな、まずは整理してくれと言いたい。

「勇紀君、私たちが君の彼女だよ。両手に花どころか、全身に花だね?」

 ひなは有栖川の横暴に縮こまり、明日香は有栖川を真っ向からにらみつける。

 それぞれ有栖川に対して思うところはありそうなものの、発言自体に反論する人はいない。

 三人そろった光景に、もう認めざるを得なかった。

「ほんとにコレ、全員の公認なんだな……」

 先行きが怪しすぎる状況に、俺は盛大に息を吐く。

 知り合いを誰も覚えていない状態から学校に赴くよりははるかにい。

 だがその分大きなリスクをはらんでいることは、今の俺にも理解できる。

「これ周りにバレたらどうするつもりなんだよ」

「え? それはさっき教えてあげたじゃん」

 有栖川は唇に手を当てて、小首をかしげた。

 ひなや明日香はそれをただの仕草として特に気にしていない様子だが、俺には伝わる。

 有栖川は俺にだけ伝わる方法で、要らない発言はするなとけんせいしたのだ。

「……こんな調子で、どれくらい付き合ってるんだ?」

「うーん。私は一年くらいかな」

 有栖川が我先にといった様子で発言する。

「私は二年ね」

 次に明日香が返答する。

 やはりおさななじみということもあり、長い付き合いのようだ。

 高校生で一年、二年の交際期間というのはクラスにそう何人もいないだろう。

 明日香の答えを聞いて。ありがわは唇をとがらせた。

「あー、ズルい。先に付き合ってるなんて」

「余計なこと言わないで」

 は有栖川をいつしゆうした後、ひなに向けて柔和な笑みを浮かべた。

「ひなちゃんは? ごめんね、この人がいたらしやべりづらいでしょ」

「い、いえとんでもないです……わた、私は半年くらいです」

 ひなは若干つっかえながら答えた。

 人見知りを発動しているのか、二人の華やかな雰囲気にただ緊張しているのかは定かではない。

 緊張だとしたら、その主なげんきようであろう有栖川は一切気に留めていない様子でニコニコ笑った。

「うんうん、それでこそひなちゃんだ」

「は、はい……ありがとうございます」

 心の中でひなを応援する自分がいたが、俺が逆の立場でも有栖川には反論できたかは怪しいところである。

 有栖川には、妙に人を寄せ付けないオーラがあった。

「とにかく、退院後は私たちがあんたをサポートしてあげるから。安心して学校に戻ってきなさいね」

 明日香は髪をいて、耳に掛ける。

 華やかに。

 鮮やかに。

 しとやかに。

 圧倒されるような光景の中、有栖川が言葉を紡ぐ。

ゆう君。私たち三人が君の彼女だよ」

 これだけ印象深い情景を前にしても、記憶の戻る気配はない。

 記憶探しの手掛かりの中で、最も大きいのがこの状況だろうに。

「……よろしくお願いします」

 この言葉は、現状を受け入れるという合図。

 三人の彼女はそれぞれ異なる笑みを浮かべ、応えてくれた。

 ガラリと扉が開く。

 特殊な環境、特殊な状況。

 新生活が始まった。