俺は誉れ高き魔王城の料理長だ。

この地位に辿り着くまでに、血のにじむような努力をしてきたし、それはもう長い年月を費やした。

だが、無駄に長い寿命のおかげで、もう料理長になるまでより料理長になってからの方が長くなってしまった。

俺達魔族の寿命は人間に比べて遥かに長い。だが、魔王様や原種に近い方々は、俺達普通の魔族では比較にならないほどの寿命をお持ちだ。

そんな魔王様達の長い生が退屈しないよう、少しのいろどりを添えるために俺達は食事に工夫を凝らす。

だが、あまり代わり映えのしない俺達の長い日々に、ある日、とんでもない彩りが添えられることになる。彩りというか、色のついた鳥だが。

しょんぼりとした黄色い毛玉は、突然厨房に入ってきた。

「ぴぃ……」

本当なら部外者は摘まみ出すところだが、しょぼくれたひよこにそんなことができる者は、この場に一人もいなかった。

皆、食材となる屈強な動物を相手にする機会は多いが、完全に愛玩用の小動物の相手には慣れていないのだ。

可食部なんてなさそうなひよこは、小さな足を動かしてピヨピヨと調理場に入ってきたかと思えば、驚くべき跳躍力でぴょこんと台の上に飛び乗った。

そのまま、なんとなくひよこの動向を見守る俺達。料理をする手も完全に止まってしまっているが、許してほしい。

調理台に乗ったひよこは、小さい頭をしきりに動かしてキョロキョロと辺りを見回す。

なにを探してるんだ? 小腹でも空いてるんだろうか……。

というか、ひよこは何を食べるのだろうか……と俺が思考を巡らせ始めた時、ひよこの視線がある一点に固定された。

「ぴ」

見つけた、と言わんばかりに一鳴きすると、ひよこはテコテコと歩いていく──卵のケースのある方へ。

俺の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。

長く生きているせいで、最近は物事に疑問を覚えることも少なかったから、久々の感覚だ。

俺達が固唾かたずを呑んで見守る中、ひよこは卵ケースの中に足を踏み入れ──開いていた箇所にクルンと収まった。ピッタリフィットだ。

……な、何がしたいんだこの毛玉は……。

子どもはなかなか奇抜な行動をするが、ひよこも同じようなものなのだろうか……。

とりあえず、部下に視線で合図を送って魔王様に伝令に行かせた。

そして、残った俺達はそのままひよこの様子を観察していた。

……ピクリとも動かないんだが大丈夫か? ちゃんと息してるか?

卵とほぼ同じサイズのヒヨコは、小さくてまだ毛がポサポサしているから、ちゃんと呼吸をしているかも遠くからでは確認できない。

あ、今瞬きした。

よかった、ちゃんと生きてるみたいだ。にしても、動かないと本当に人形みたいだな。いや、大きさ的にはストラップか。


卵ケースに収まったひよこをしばらく観察していると、陛下がひよこを迎えに来た。

大分急いできたらしい。いつも泰然自若としている陛下には珍しく、慌てた様子で息を乱していた。

そして、普段は本心を覗かせない瞳がひよこを目にした途端、ホッとしたように温かみを帯びる。

「──ヒヨコ」

陛下が自分の手のひらよりも小さいひよこを卵ケースから摘まみ取る。

「ぴ……」

黄色い毛玉を摘まみ上げた陛下は、自分の手のひらの上にひよこを座らせた。足を伸ばして幼児のように座るひよこは大変可愛らしい。厨房の中の何人かが悶えたのが分かった。

ひよこのつぶらな瞳が陛下に向けられる。

「落ち込んでいるな」

「ぴ……」

陛下の言葉に、ひよこはしょんぼりとした様子で俯く。

まるで赤子が悲しんでいるようで、俺の心は痛んだ。

すると、陛下はひよこの名前を呼んで再び自分の方に視線を向けさせる。

「ヒヨコ」

「ぴ?」

「ヒヨコ、なにもやつらはお前のことを無視したわけではない。ただ単に言葉が分からなかっただけだ」

「ぴ?」

「我はお前の言っていることがなんとなく分かる。だが、他の者にはただのひよこの鳴き声にしか聞こえてない。我も失念していた」

話の内容から察するに、ひよこは自分の言葉が普通に通じると思っていたが、実際には陛下以外にはただの鳴き声にしか聞こえず、無視をされたと思って落ち込んでいた、と。

……可哀想だが、なんてかわいいんだ。

あまりの愛らしさに胸がギューッと締め付けられる。随分と久々の感情だ。

しょんぼりとした空気をどこかへ放り投げたひよこは、どうやら陛下と一緒に戻るようだ。

「ぴ!」

陛下の手の中からこちらを見て元気よく鳴くひよこ。

あのちっちぇ~翼が動いているのは、もしかして手を振っているつもりなのだろうか。

俺の人差し指の第一関節程しかない翼を、一生懸命振っている。

……なんだか、無性に『生命』ってやつを感じる光景だった。

なんとなく、俺達も手を振り返してやると、ひよこはパァッと表情を輝かせてさらに翼を大きく振った。

鳥があんだけ翼をはためかせたら飛んで行っちまいそうなもんだが、ひよこは微塵も浮き上がらなかった。その小さくて丸い尻は陛下の手に乗ったままだ。

……大きくなれるように、うまいメシを食わせてやらないとだな。

久々に幼い生物を目にした俺達の心は一つだった。

◇◆◇

ひよこが元聖女だったと知っても、俺のヒヨコに対する気持ちは変わらなかった。調理場を任されているだけあり、直接聖女と相対する機会なんてなかったしな。

それに、聖女が魔族を殺さなかったことも知っていたし。

人間になど負けるはずがないと思っていた奴らは、聖女によって手も足もでないくらいボコされたことでトラウマになり、過剰に恐れているが、俺としてはそこまで悪い奴ではないと思っていた。

そんな聖女がヒヨコとして陛下の眷属となった今、健やかに育ってくれとしか思わない。どうやら聖女時代はたくさん辛い思いをしたようだから、こちらで思う存分羽を休めるといい。

度々調理場に遊びに来るようになったヒヨコを、俺は勝手に孫のようにかわいがっていた。ヒヨコ専用の卵パックも用意してしまうくらいだ。

長年のお勤めで貯まった貯金を、まさか特注の卵パックに使うことになるなど思ってもみなかった。そして、それは俺の馴染みの細工師も同じだったらしい。

「居心地のいい卵パックを作ってくれ」

「…………は?」

俺の注文に、そいつは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。

「おめぇ、料理のことを考えすぎてついに気でも触れたか? 卵の気持ちまで味わってみたくなっちまったのか?」

「お前は俺をなんだと思ってやがんだ」

「料理狂い」

「お前も性質は変わらないだろう。この細工狂いが」

「はっはっは、ちげぇねぇ」

豪快に笑ったそいつは、近くの棚から紙とペンを取り出した。

「んで? その居心地のいい卵パックには、お前じゃなけりゃ何が入んだ?」

「ひよこだ」

「ん?」

「ひよこだ」

「……おめぇ、言葉が足りなすぎんぞ。一旦詳しく説明しやがれ」

昔馴染みの男は呆れ半分、怒り半分の表情で視線を手元の紙から俺に移した。

それから、陛下の眷属になったヒヨコが調理場に来るようになったことや、どうやら卵パックが気に入ったようなので、どうせならヒヨコの居心地のいい卵パックを作ってしまえと思ったことを説明した。

「……それを最初っから言えや。だが、おもしろそうな注文だ。いいぜ、作ってやるよ」

どうやら俺の注文は昔馴染みの興味を引いたらしく、翌日にはヒヨコ専用の卵パックが出来上がっていた。相変わらず仕事の早いやつだ。

木製のそれは、形は完全に卵パックだが、一つ一つの窪みの傾斜がなだらかだったり、底が平らになっていたりと、細部に工夫がなされている。

そして、卵のくぼみのそれぞれには、色とりどりのクッションが敷き詰められている。もちろん、ひよこ用の超ミニクッションだ。

ヒヨコ専用卵パックを手に入れるや否や、俺は早速それを厨房に設置した。

すると、卵パックを置いたその日にヒヨコが厨房に遊びに来た。

「ぴ、ぴ」

ご機嫌に鳴きながら机の上に飛び乗ったヒヨコが、俺の設置した卵パックに気付いて固まる。そして、「ぴぃ?」と首を傾げる。

卵パックをジッと見つめたヒヨコは、その周りをぴよぴよと歩きながら観察し始めた。

キョトン顔で卵パックを観察して回るヒヨコを、俺達は固唾を呑んで見守る。

ぐるっと一周見て回り、それが危険なものではないと判断したのだろう、ヒヨコは俺の置いた卵パックに足を踏み入れた。

おお……!

俺は手に汗握ってヒヨコの動向を見守る。

よいしょっと卵パックに乗り上げたヒヨコは、クッションが敷き詰められたくぼみの一つに自ら収まる。居心地はよかったらしく、ヒヨコはくぼみの中に収まると、そのまま出てくる気配はなかった。

「どうだ? お気に召したか?」

「ぴ」

小さい頭をコクリと縦に振るヒヨコ。

うん、かわいい。

かわいい奴には美味いものを食わせてやらねぇとってことで、俺は特製アイスクリームをスプーンに取り、ヒヨコの口元まで運んでやった。

「ほら、アイスだ。食うか?」

「ぴ?」

首を傾げつつもちっちぇえ嘴でアイスクリームを一口つつくヒヨコ。

その口にアイスクリームが入った瞬間、ヒヨコの瞳がパァッと輝いた。

「ぴゅい!? ぴ! ぴぴ!!

言葉は分からんが、これだけ全身で表現をしてくれれば「おいしい!」と言っているのは分かる。

作り手としては嬉しい限りだ。珍しい鳴き声も出たしな。

ヒヨコはくつろぎ体勢を崩さないまま、スプーンの上のアイスクリームを食べていく。少しものぐさなんだよな、このひよこ。

アイスクリームが口に合ったのか、すごい勢いで最後にスプーンに少し残った分まで舐めとろうとしている。その嘴では無理があるんじゃないかと思うが、ヒヨコは真剣だ。

もうこれ以上は舐めとれないと悟ると、ヒヨコは俺の顔を見上げてきた。

「ぴ」

ジッと俺の目を見ておかわりを所望するヒヨコ。

「……いや、これ以上はお腹が冷えるから止めておけ。また明日な」

危ない危ない、ヒヨコのかわいさに、思わず乞われるままにアイスを与えてしまうところだった。ヒヨコのお腹が痛くなると困るから、この辺にしておかないとな。

「ぴぃ……」

あからさまにしょんぼりするヒヨコ。

うっ、心が痛む。いや、だがここで折れてはいけない。これでヒヨコが腹を下したりしたら保護者である陛下に苦言を呈されるのが目に見えている。

そこで、かわいいヒヨコを横目に調理をしていた部下が、ヒヨコに声をかけた。

「ヒヨコ、甘いもんじゃないけどステーキの切れ端ならあるぞ。食べるか?」

「ぴぴ!!

元気な鳴き声を上げるヒヨコ。これは肯定の返事以外のなにものでもないだろう。

「あはは、じゃあ今食べやすいように切ってやるな」

「ぴ!」

ヒヨコの小さい口だと、食べづらいものはたくさんある。だから、こちらで食べやすいように色々工夫してやる必要があるのだ。

いや、たとえ俺らがやらなくても、本物の親のようにヒヨコを庇護している陛下が食べやすいように切り分けたりするのだろうが、陛下の手を煩わせるわけにはいかない。

あのお方は魔族の憧れで、畏怖の対象なのだ。このヒヨコは呑気に陛下の襟の中で寝て涎を垂らしたりしているが。

まあ、ヒヨコは陛下の眷属だし、陛下もこのヒヨコのことは大層かわいがっているから問題ない。

俺はおいしそうにステーキを頬張っているヒヨコを見てそう思う。

「ぴ! ぴゅぃ!」

ステーキの切れ端は、どんどんヒヨコの胃に吸い込まれていく。

……切れ端といってもヒヨコとそう変わらない大きさなんだが、一体、この小さい体のどこに入っていってるのだろうか。

謎だ。

だが、ステーキを食べるとさすがに満腹になったらしい。ヒヨコは少し膨れた腹を上にして卵パックの中にまった。

それから、眠くなったのかヒヨコがうとうとし始める。

そうだよな、腹がいっぱいになったら眠くなるもんだ。

腹を冷やさないように何か布でもかけてやろうかと考えていると、厨房の扉が開かれた。

「失礼するぞ。ここにヒヨコは来ているか?」

「陛下!」

「ああ、いい。皆楽にしてくれ」

現れたのは陛下だった。陛下は、礼をした俺達に声をかけ、頭を上げさせる。

多分、というかほぼ確実にヒヨコを迎えに来たのだろう。

「ヒヨコはこちらに」

「ああ、ありがとう。……」

陛下は、卵パックにスッポリと収まって寝ているヒヨコを見て少し固まった。この短い間にヒヨコはすっかり夢の世界に旅立ってしまったらしい。

「……ヒヨコは随分愛らしい寝床をもらったものだな」

陛下の眼差しが緩められる。

「そろそろ昼寝の時間だから迎えに来たのだが……気持ちよさそうに寝ているヒヨコを起こすのも忍びない。起きるまでここで面倒を見てもらってもよいか?」

「もちろんでっせ」

「感謝する」

そう、俺の目を見て言った陛下は、すっかり父親の顔をしていた。


──ああ、やっぱり長生きはするもんだな。こんな表情の陛下を見られる日がくるなんて。


ヒヨコが厨房に遊びにくるようになったことで、陛下と言葉を交わす機会も増えた。

そこで料理の感想ももらえるようになった俺達は、さらに料理の腕を上げることになる。

今度は、ヒヨコにパフェでも作ってやるかな。

パフェを見た時のヒヨコの反応が、俺は今から楽しみで仕方がなかった。