プロローグ

──どうして。

好かれてないのは分かってた。

でも、殺したいほど憎まれてるなんて思わなかった。

背中が焼けるように熱くて痛い。

今、背中が痛いのは勇者に後ろから切りかかられたからだ。背中から血が噴き出すのが分かる。もう傷を治癒する力も残ってない。

……まさか、魔王じゃなくて仲間に殺されるなんて思ってもみなかったなぁ。

薄れゆく意識の中で、誰かの声が聞こえてくる。

『聖女、奴らが憎いか?』

ああ、いつもの声だ。きっと、惹かれてはいけない声。

『憎いか?』

──憎いよ。すっごく憎い。この世界の全部が憎い。叶うことなら復讐したい。

『だがお前はもう死ぬ』

──うん、わかってる。

『望みはないのか? 我の眷属になるなら、我がその願いを叶えてやろう。奴らへの復讐でもなんでも言うがよい』

……私の願い……。なんだろう……。意識が朦朧もうろうとして頭が働かない。

でも、もし、もし本当に願いが叶うなら、もっと早くこの声に耳を傾けていればよかったなぁ。今さら後悔してももう遅いけど。

──ほんとうはね、もっと自由に生きたかった。聖女の役目なんかに縛られないで、勇者達なんかの言うことなんか聞かずに生きる人生が欲しかった。だけど、もう遅いね。

──もう、限界みたい。

かすんでいた視界がゆっくりと闇に覆われる。

そして、聖女だった私はあっさりと息を引き取った。

『……その願い、確かに聞き届けた──』


「……ぴよ?」

◇◆◇

ついに、最大の敵である聖女を我が眷属にすることに成功した。聖女がいなくなれば勇者パーティーなど屁にもならない。

勇者達がアホだったおかげでそこまでは順調だったのだ。我は聖女に誘いを掛けることしかしていない。

そう、そこまでは順調だった。だが、聖女を眷属にする際、ほんの五十年前に死んでしまったペットのひよこが頭をよぎったのが悪かったのかもしれない。

気付けば、美しくもかっこいい女魔族にするはずだった聖女は──ひよこになっていた。

直前まで聖女がまとっていた衣服の中から黄色い毛玉が出てきた瞬間、我は自分の失敗を悟った。やばいミスった、と。

聖女は魔族をも凌駕りょうがする程の魔法の使い手だ。そんな聖女が闇堕ちをすれば強く美しい魔族が誕生すると誰もが思っていた。だが、実際に誕生したのはヒヨコだ。素体が聖女であるし、能力は変わっていないから強いのは間違いないのだが、いささか威厳に欠ける。

「ぴよ?」

我の手のひらの中で首を傾げるひよこは大変かわいらしい。

……うん、かわいいからいいか。我の影響を受けて配下達も愛らしいものは好きだからな。

そのうち聖女は我の手の上で毛繕いを始めた。ここで我は「ん……?」と引っかかりを覚える。

あまりにも行動がひよこ過ぎはしないだろうか。聖女は元々人間だ。いくら体がひよこになったからといって急にくちばしで毛繕いなどできるものなのだろうか……。

そこで、ある可能性に気付いて我の背中に冷や汗がにじんだ。

もしかして、中身までひよこになっているのか……?

だとすると先程から聖女が一言も話さない理由が説明できる。こんな失態今までしたことないぞ……!

我はとりあえず眷属作りが一番上手い部下の許へとかつて聖女であったひよこを持って走った。普段なら呼び寄せるのだが、混乱した我の頭にはそんな選択肢は浮かばなかったのだ。


「──魔王様がいらっしゃるのがあと数分遅ければ魔力を持ったただのひよこになっているところでしたよ」

「そうか……」

どうやら最悪の事態は防げたようだ。数百年振りに全力ダッシュをした甲斐があったな。

我はその説明をソファーに横になりながら聞いた。久々のダッシュは中々体にきたのだ。

我が頼ったのは、魔界の宰相をしているドラゴンのゼビスだ。見た目は白金色の髪を後ろで束ねている青年だが、ゼビスにはすでに孫もいる。ドラゴンらしく、そのこめかみの辺りからは黒い角が生えているが、年齢に相応しい立派な角をしている。

眷属化に一家言いっかげんあるこのゼビスが言うには、あと少し遅ければ聖女は体だけでなく心もひよこになっていたところだったらしい。我ながらとんでもない失態をやらかしたものだ。

「なんでこんなことをやらかしちゃったんです?」

「いや、予想以上に簡単に最大の脅威である聖女をこちら側に引き込めたことで気が抜けてな。ぼんやりピヨ吉のことを考えていたらこうなった」

「……魔王様ともあろうお方がなんという……」

頭痛を堪えるように片手で額を押さえるゼビス。我とて普段はこんな失敗はしない。今回は特別だ。

「……ぴ……?」

お、聖女が起きたようだ。

ゆっくりと開かれたその瞳には、先程とは違い理知的な光が宿っている。

「ぴ?」

ひよこになった聖女がこちらを見上げて首を傾げる。何も答えないでいると再び反対方向へ首を傾げる。どうやら何かを尋ねているようだ。

「おいどういうことだゼビス」

「何がですか?」

「まるっきりひよこの鳴き声じゃないか」

聖女はぴっぴぴっぴ鳴くだけで一向に言葉を話さなかった。

「腐っても魔王様の施した眷属化ですからね。私の力では聖女の自我を残すので精一杯です。これも貴方が大雑把だからこうなったんですよ?」

「ぐぬ……」

何も言い返せぬ。

ゼビスが言うには、これから徐々に術を施していくらしい。長期戦にはなるがそのうち人型にもなれるようになるとのことだ。うむ、とりあえず一安心だ。

「ただ一時は思考までひよこになった影響で今の聖女の情緒は子どもに戻っています。このままだと自分の思うままに行動するので戦力にするのは厳しいですね。精神年齢の操作は難しいので普通に情緒を育てるのが安パイだと思います」

「──つまり?」

こいつが何を言いたいのか分かってきた気がするが、一応問いかける。

「つまり、子育てがんばれ、でございます」

配下の目には自分のケツは自分で拭け、と書いてあった。

「……分かった」

「分かっていただけて良かったです。差し当たっては名前を付けたらどうです?」

そうだった、まだ眷属化の過程である『名付け』が終わっていなかった。人間から闇堕ちして誰かの眷属になるものはその主から新しい名前をもらって正式に眷属化が完了する。

我はとりあえず聖女を取り囲むように名付けの陣を出現させた。

ふむ、どうするかな……。

しばらくはひよこの姿のままらしいし、ひよこらしくかわいらしい名前がいいだろう。ひよこ……ひよこ……。

「ヒヨコ……」

「ぅえ?」

「え?」

ゼビスが聞いたことのないような声を出したので我は驚く。一体何があったんだ?

「魔王様……」

ゼビスの視線を追う。

「──あ」

やらかしていたのは我だった。ゼビスが変な声を出すのも無理はない。

魔法陣がスゥッと聖女の中に入っていく。

「ぴよ?」

名付けの魔法陣にはしっかり『ヒヨコ』と刻まれていた。

つまり、ひよこになった聖女の名前は、正式に『ヒヨコ』に決定してしまったのだ。