数日前、シズルとヴリトラは初めて正面からぶつかり合った。

 十年以上ずっとそばにいた兄弟以上の存在。二人の戦いは城中を破壊しつくし、そして最後に立っていたのは──。

 ──シズルよ。よくぞ我を乗り越えた。

 ──ヴリトラ……。

 ──我が力のすべてを託す。この力をもって、貴様こそが最強であることを証明してみせよ!

 そうしてヴリトラは黄金色の粒子となり、シズルの身体に吸い込まれていく。

 キラキラと光る魔力と、それを祝福するような精霊たちの輝き。

 幻想的な光景。ヴリトラがシズルの中に姿を消すことは珍しいことではないが、これは今までとはまったく違うものだ。

 だからこそ、シズルはこれが意味することを理解し、静かに涙を流しながら立っていた。


 イリスを背にかばうように勇者クレスの正面に立ったシズルは、ゆっくりと周囲を見渡す。

 傷だらけとなって地面に膝をつくホムラ。

 骨が折れているのか、腹部を押さえて苦しそうに立つローザリンデ。

 地面に倒れ込むゲオルグに、ボロボロになったイリス。

 この場にやってきたのはつい先ほどだが、それでも辺り一帯の状況からすさまじい戦いが繰り広げられたのはよくわかる。

 きっと彼らは言葉通り、この地を守るために命を懸けて戦ったのだろう。

「……ねえクレスさん」

 感情を押し殺すような、淡々とした口調でクレスに呼びかけたシズルは、黄金に輝く雷剣を生み出した。

「なんだいシズル君?」

 対するクレスは相変わらず、戦場には似つかわしくない柔和な笑みを浮かべたまま。

 この世界を見ているようで、見ていない。

 どこか浮世離れした雰囲気を出し続けるこの男が勇者だという事実。それがどうしても受け入れられなかった。

貴方あなたの目的がなんなのかはわからないけどさ……」

 一歩、二歩と、シズルはしっかり大地を踏みしめながら、ゆっくり前に進む。

 相対するクレスも、まるで合わせ鏡のように前に出た。

「俺は、俺の家族と仲間に手を出した貴方を絶対に許さない」

 この六年でシズルは青年として成長した。

 長身のクレスには届かないが、それでも平均的な男性よりも背が高い。

 二人が示し合わせたかのように足を止めた場所は、お互いの武器が届く距離。

「……」

「……シッ!」

 しばらく黙り込みながら向かい合った二人だが、先に動いたのはシズルだった。

 一切の容赦もなく、ひらめく雷光。

 まるで天から落雷するように上段から斬りかかったその一撃は、並の戦士では動きを見ることすらできないほどに速い。

 だが──。

「恐ろしく速いけど、けられないほどじゃない」

 クレスはそれを軽い動作でかわす。そのせいでシズルの雷剣は地面に突き刺さり、体勢が崩れてしまう。

 そんなチャンスを勇者と呼ばれた男が逃すはずがない。

 光をまとった剣を持つ手に力を入れて、シズルを斬り裂こうと振りかぶる。

「力が入りすぎたね。すきだらけだ」

「そっちがね!」

「──っ!?

 シズルが顔を上げて笑った瞬間、クレスの手から剣が落ちる。

「身体が──!?

「とりあえず……」

 それが、地面を通してクレスの身体を感電させていたのだと知るのは、シズルのみ。

 地面に雷剣を突き刺したまま身体を起き上がらせたシズルは、大きく拳を振りかぶり──。

「一発殴らせろ!」

「ぐっ!?

 シズルの拳がクレスの顔面を捉えると、クレスはまるで竜巻にでも巻き込まれたかのような勢いで後方に吹き飛んでいく。

 雷身体強化ライトニング・フルブーストで強化されたシズルの拳は、きゃしゃな身体からは想像できないほど強い力を秘めていたのだ。

「まだまだぁ!」

 吹き飛んでいくクレスを追いかけるようにシズルは走り、体勢を整えきれていない状態の彼に追いつくと、上空に蹴り上げた。

 そしててのひらに雷の魔力をバチバチとほとばしらせると、それは黄金色に輝くらいそうとなる。

「我が敵をらい尽くせ! 『雷龍の槍ヴリトラァァァ!』」

『グオォォォォォォ!!

 解き放たれた雷のやりはその姿を雷龍へと変化させながら、空高くまで飛ばされたクレスを追いかける。

 凄まじい魔力の奔流を辺り一帯に放ちながら、雷龍はほうこうを上げてクレスを喰らい天に向かった。

 その勢いは衰えることを知らず、遠く離れた戦場をにらみながら向かっていき──。

「くっ、そっちは──!」

 黒髪の少女──魔王ヘルが焦ったような声を上げるがもう遅い。

 クレスを飲み込んだ雷龍はそのまま怒号と咆哮響く戦場へと向かい、ワイバーンなど空を舞う魔物たちの傍を飛び回った。

 強烈な魔力に当てられただけで、ワイバーンたちは気絶しながら次々と地面に落ちていく。

 仮に耐えた魔物がいたとしても、今度は空をかける雷が空気を伝い、そのまま餌食となる。

 魔物を喰らうたびにどんどん巨大になっていく『雷龍の槍ヴリトラ』は、空から大地に向かい、地上の魔物たちへと焦点を当てた。

「吹き飛べぇぇぇ!」

『グオォォォォォォ!!

 激しいせんこうを放った雷龍は地面に落ちた瞬間、無数の雷となり魔物から魔物へと伝わっていく。

 細く薄い雷なのは見た目だけ。そこには凄まじい力を内包しており、魔物たちを次々に感電させていった。

 そうしてしばらくすると、地上の魔物『だけ』が一掃されたあたりで雷龍が姿を消し──。

「いや、まいったね」

「……」

 じゅうりんされた魔物の死骸の中で、クレスはわずかばかりの傷を負った状態で歩いてきた。

 あの一撃は『今の』シズルにとって全力に近い攻撃。

 それでもあの程度のダメージしか与えられないというのだから、相変わらずのたらっぷりだと思う。

「まさか連れてきた魔物たちをこんな形で消されるとは思わなかったよ」

「俺も、あれだけの攻撃をして貴方にダメージがないとは思いませんでしたよ」

「いや、結構喰らったよ。うん。今の僕に対してこれだけできるなら大したもんだ」

 そうして最初にたいしたときのように笑うクレスを見て、シズルは少し悪寒を感じた。

 戦場を見渡せばわかる通り、シズルの放った攻撃は戦況すら一変させるほど強力なもの。

 それを受けて『笑顔』でい続けられるなど、ただ強いだけでなく、どこか人としての歯車が壊れているとしか思えない。

「……貴方は、本当に人間ですか?」

「シズル君。その言葉はね、僕たちには意味のないものだよ」

「僕たち?」

「ああ、大精霊の力を手にした者にとってはね」

 イエスとも、ノーとも違う言葉。

 その回答を聞いて、シズルはもうこの男を人間と見ることをやめる。

「さて、まだこの程度じゃないのだろう? 君の全力を見せてくれ、シズル君」

「……正直、この力はまだ制御もできません」

「ふっ、それは楽しみだ」

「……ヴリトラ、力を貸して」

 シズルの小さな呼びかけに、いつもならすぐ傍で『応!』と答えてくれる相棒。

 だが彼の姿はどこにもない。

 ただ、返事の代わりにはるか天より暗雲が呼び出され、そこから大地を喰らうほど巨大な雷がシズル目がけて落ちてきた。

 その力を、シズルはすべて受け入れる。

 世界の雷はすべてシズルのものだ。

 雷の神に愛され、雷の王によって認められた青年は、その世界を覆う力をべる。

「『雷龍化ヴリトラ・フォーム』」

 黄金色の魔力がバチバチと輝き、金髪と雷が混ざり合い、まるで龍の尻尾のように背中まで伸びる。

 迸る雷が身体を走るたびに、まるでうろこのような幻影がうっすらと浮かび上がった。

 空から無限にあふれる力を吸収したシズルは、黄金の龍ヴリトラを纏ったような姿となった。

 その力は、これまでとは比較にならないほど力強く、そして美しい。

「……素晴らしい。想像以上だ」

「これが、クレスの言っていた神の力ですか。なんと恐ろしく、そして……」

 クレスが歓喜の声を上げ、いつの間にかその隣に立っていた魔王ヘルはするようにシズルを見つめる。

 それはまるで、本物の神を前にしたかのような態度。

 二人がどんなおもいでこの場に立っているのか、シズルは知らない。

 ただ自分の大切なものをこれ以上壊させまいと、彼らの正面に立つだけだ。

「これ以上、貴方たちの好きにはさせません」

「ふふふ、いいや。ここからだよ。僕たちの計画はここから始まるんだ」

「……?」

 クレスの態度をいぶかしく思うシズルであったが、これ以上の問答は不要だろうと思い直す。

 そうして手にはこれまで以上にはっきりと具現化された『雷龍の槍ヴリトラ』。

 激しい雷を纏ったその槍が内包する力は、まるで物語に出てくる神殺しのせいそうのように力強く、そして神聖さがあった。

 いつもなら投げて攻撃する武器。そしてクレスにはそれが通用しないことは先ほどの攻防でわかっている。

 だが──。

「いくら貴方でも、これで直接貫かれたら……」

「うん、死ぬだろうね。まあでも、簡単にはやられてあげられない……かな!」

 その言葉とともに輝く光剣が、クレスの背後から飛んできた影の槍を斬り落とす。

「ちっ──」

 舌打ちをしながら現れたのは、闇の大精霊ルージュ。

 戦意が溢れた状態なのか、普段以上に強い闇の魔力が全身から溢れ出ていた。

「やあルージュ。不意打ちなんてのは、あんまり良くないと思うな」

「よく言うわ。アンタだって城で不意打ちしたじゃない」

「ああ……そういえば、そうだったね」

「……?」

 まるでごとのような、どこか遠くから見ているような視線。

 これまでとは打って変わり、まるで幻想のように存在そのものが希薄となる。

 その人間味がない仕草に一瞬ルージュが戸惑っていると──。

「闇の大精霊ィィィ!」

「っ──!?

 いきなり襲いかかってくる影のやいば

 それを躱したルージュの視線の先には、これまで大人しくしていた魔王ヘルが眼を血走らせながら睨んでくる姿があった。

 彼女はまるで親のかたきを見るような、ふくしゅうしんを携えた様子を見せる。

「ようやく、ようやくです!」

「……誰よアンタ」

「ふ、ふふふ、ふふふふふ……魔王ヘル。かつてお前の操り人形にされた、魔王の娘ですよ」

 最初はただ怒りだけだった。その次に見せるのは歓喜の笑み。

 だがそれはどんどんとくらいものへとちていき、やがて正気を失ったようなわらいへと変わっていく。

「ひ、ひひ……ええ、ようやくです。三十年以上、ずっとこの時を待っていました」

「そう……長い間ご苦労様。ただ残念ね、私の記憶にはアンタも、それに父親とかいう魔王も一切残ってないわ」

 明らかにルージュ以外が視界に入っていない魔王ヘルを、彼女は挑発する。

 言外に、お前など眼中にないのだとはっきり告げていた。

「あ、あああ……そうですか、そうですかそうですか! でしたら今後、一生忘れられないようにしてやりますとも! ええ、貴方の手足を引きちぎり、地面に転がりながらなにもできない状態で契約者をなぶり! そして目の前で苦しませて──」

「うるさいわね。死になさい」

 ヘルの言葉を最後まで聞かずに、ルージュは影から生み出した闇の槍を放つ。

 しかしそれは、同じく影から生み出された闇の鎌のような剣にすべて斬り裂かれた。

「ひ、ひひひ……ほら見なさい。貴方は今、私を見ています」

「城で感じたあの力は勘違いじゃなかったってことね……目障りだわ」

 本来、闇の女王であるルージュ以上に闇に愛された存在はいない。

 だが目の前の魔王ヘルの力は、今の自分に匹敵するとルージュは気づいていた。

 そしてその力の源がどこにあるのかも──。

「クレス……大精霊は私の獲物ですから、手出しは無用!」

「わかっているよ。元々、最初からそういう約束だからね」

 圧倒的な光の魔力を纏う勇者クレスと、真逆の力を持つ魔王ヘル。

 二人が持つは明らかに正反対なもののはずなのに、まるで、力の根源が同じであるかのようにどこか似ていた。

 そんな二人と対峙していたルージュは一瞬で影に消えると、シズルのすぐ傍にやってくる。

「アンタはあの男をやりなさい」

「いいの?」

 かつてルージュは勇者クレスに敗北した。

 プライドの高い彼女が負けっぱなしで汚名を返上せずに相手を譲るという発言に、シズルは少し疑問に思う。

「仕方ないでしょ。あっちはやる気満々みたいなんだから」

 昏い闇のオーラを纏った魔王ヘルの視線は、ルージュから一切離れない。

 もはやシズルなど目に入っていないようだ。

「その代わり、あんまり遅いと私が両方終わらせるわよ」

「はは、俺としては、そうなるならそれでいいんだけどね」

 そうしてシズルは雷の力をさらに強く輝かせる。隣のルージュもまた、闇の魔力を解き放った。

 シズルと勇者クレス。そして闇の大精霊ルージュと魔王ヘル。

 まるで合わせ鏡のような関係性。

 一人一人が世界最強を名乗ってもおかしくない、そんな人知を超えた者たちが睨み合い、そして誰が最初ということもなく、同時に動き出した。


 黄金の雷と白い閃光がぶつかり合い、闇と闇が互いの力を喰らい合う。

 余波だけで辺り一帯が吹き飛びそうになるほど強力な魔力の奔流。

 少し離れていたところで戦いを見守っていたホムラたちは、四人の戦いに近づくことさえできなかった。

「くっ……なんという! これが大精霊の契約者の、本来の力なのか!?

「ちっ、くしょう……」

 超高速で動き回る四人を前に、の大きいホムラたちは徐々に後退しつつ戦いを見守ることしかできない。

『……シズル』

 イリスが『風の祝福ディアドラ・ブレス』でゲオルグの怪我を治しながら、不安そうな声を上げる。

 彼女はこの戦いが始まったときから、ずっと疑問に思うことがあった。それは、どうして『光の大精霊アストライア』が出てこないのかということである。

 大精霊の力は強大だ。

 仮にクレスがその力を奪ったのだとしても、そのへんりんすら見せられなくなるなど、本来はあり得ない。

 そんなあり得ないことが起きているということは、大精霊とは違うなにか超常の力が働いているということ。

『もしかして、あの人の本当の目的は……』

 四人の戦いは激しさを増していく。

 このままでは怪我をして満足に立ち上がれないローザリンデたちも危険だ。

『……私が、守らなきゃ』

 せめて彼らが万全の状態で戦えるようここを守り通す。

 イリスは命を懸けて戦うシズルたちを見ながらそう決意して、新緑色の魔力を解き放った。


「ハァァァァ!」

「シッ!」

 雷光一閃。

 二人の魔力は光り輝き、暗くなり始めた黄昏たそがれどきの空すら明るく照らす。

 本来、人の手には負えない大自然すら飲み込むほどの大魔力のぶつかり合い。

 それによって周囲の空間はゆがみ、天変地異すら起こし始めていた。

「勇者とたたえられた貴方がどうして父を斬ったんですか!?

「その答えを、君が知る必要はない!」

 シズルの槍がクレスを貫こうとする。

 それをさばいたクレスが反撃にと剣を振るったとき、すでにその場にはシズルはいなかった。

「さっきよりもはるかに速いな!」

 かつてシズルの切り札であった『雷身体強化ライトニング・フルブースト』。

 通常の身体強化を超えるそれを使えば、目にも留まらない速度で動くことができた。

 だが、それでは目の前の男には通用しない。

「君も、大精霊の力をすべて奪い取ったか」

「違う」

 武器をぶつけ合いながら、シズルはクレスの言葉を否定する。

 光の大精霊アストライアの力を無理やり奪い取ったクレス。そこにどれほどの価値があるというのか。

 こんな力に、己にすべてを託してくれたヴリトラの力が負けるわけにはいかない。

「この力は、ヴリトラが俺に未来を守るために託してくれた力だ!」

「そうか──」

 雷龍化した今のシズルは、以前をはるかに上回る速度でクレスの周りを縦横無尽に動き回る。

 ただそこを走るだけで大気が歪むほど強烈な魔力。大精霊という、世界を構成する力のすべてをシズルは使いこなしていた。

 それでも、目の前の男の余裕を取り払うことはできない。

「実は、速度には僕も自信があるんだ」

 クレスの背後に回り込み槍を放った瞬間、クレスの身体が白く輝く。

「っ──!?

 そう思うと同時にクレスの姿が消えていて、かなり遠くでこちらを見ながら微笑ほほえんでいた。

「逃がさない!」

 シズルは再び雷を纏ってクレスに向けて駆け出した。

 クレスもまた、光となってシズルとぶつかり合う。

 二人の攻防は離れたところから見ている者には、雷と光の塊が高速で動き回っているようにしか見えないだろう。

 地面で、空中で、気づいたときにはありとあらゆる場所で剣と槍が交差する。

「いいねシズル君……僕の思っていた通り、君の力は僕たちとは違う!」

「なんの……話だ!」

 空中でクレスの剣を受け止めたシズルは、その一撃の重さに驚きを隠せない。

 身体強化の究極系──ヴリトラと雷の力を一身に受ける『雷龍化ヴリトラ・フォーム』を使った今のシズルは、そう言っていいほどのりょりょくとなっているはずだ。

 しかしクレスはそれすらも上回っていて、もはや人間の出せる力とは到底思えなかった。

「グレンを斬ってまで進んだがあったと、そういうことさ!」

「ふ……ザケルナァァ!」

 その物言いに、シズルの感情が一気に高ぶり、火事場の馬鹿力とばかりにクレスを押し返す。

 シズルの火力が一瞬とはいえ、クレスを押し返した。

 しかしそれで優位に立てたかというと、そうではなかった。

「ふざけてなんかいないさ! 僕には友を斬ってでも確かめる必要があった! 大精霊を超える、本物の神の力を!」

 つばぜり合いから一転して、二人は互いに連続して攻撃を繰り出す。

 シズルとクレスの両方が繰り出す超高速の連撃は、一撃一撃が重く、鋭く、激しさを増していき──。

「「っ──!?」」

 二人同時に距離を取るように飛ぶ。その間を黒い閃光が横切った。

「ちっ」

 シズルが見ると、不機嫌そうに舌打ちをする少女。

「ルージュ、今のは俺も危なかったんだけど!?

「それであいつを倒せるならいいでしょ?」

「そりゃそうかもしれないけど……さ!」

 シズルがルージュに向けて雷を飛ばす。その先にはルージュの首を狙う闇色の鎌。

 魔王ヘルは突然飛んできた雷に思わず防御体勢を取ったせいで、詰まっていたルージュとの距離が開いた。

「ああ、ご苦労様」

「ご苦労様って……ルージュ?」

 見ればルージュの服はかなりボロボロだ。どうやらあの魔王を名乗る少女は、彼女が苦戦するほど強いのだろう。

 とはいえ、ヘルの方はもはやまんしんそうで息も絶え絶えだ。どちらが優位に立っているかなど少し見ればすぐにわかる。

 たとえ今日が満月でなくとも、ルキナという契約者を得たルージュが世界最強クラスの実力者であることは変わらず、その実力を遺憾なく発揮していたらしい。

 そんな力の差を見せつけられてなお、ボロボロになった魔王ヘルはルージュを睨みつけている。

「はぁ、はぁ、はぁ……! 父を操り、魔族たちをあざわらったお前は絶対にここで殺してやります!」

「ふん、そんな無様な姿でよくえるものね」

「っ──!? 私たちを、魔族をめるなァァァァァ!」

 ヘルの持つ復讐心が力に変わっているのか、怒りによって闇の力は増していく。

 それは今のシズルですら油断できないほど強く、そして悲しい力だ。

 とはいえ、同情する気は一切ない。彼女はフォルブレイズ領を、そして家族を傷つけた敵なのだから。

「ルージュ。挑発するのは別にいいけど、こっちに意識持っていかれてやられないようにね」

「はっ、誰に物を言ってるのよ!」

 そうして再び彼女は闇のドレスを纏って飛んでいく。

 その力は先ほどよりも強く、美しかった。

「さて、と」

 シズルは油断せずに宙を浮くクレスを見上げる。

 彼は離れたところでルージュとヘルの戦いを見ながら、どこか微笑ましいような、優しげな顔をしている。

「なにを笑ってるんですか?」

「いやなに……ヘルとはもう三十年近い時を共に過ごしてるけど、あんな風に感情を表に出せてることがうれしいんだ。昔のあの子は、生きていながら死んでいるも同然だったからね」

「……」

 それがどういう意味なのか、なんとなく理解できた。

 おそらく彼女は己のすべてを奪われ、失い、そして生きる気力を失っていたのだ。

「僕は彼女がまだ幼い少女のときから傍にいるけど、今ほど生き生きとしている姿を見たことはない。だからより強く思うんだ。あのときした選択は、間違ってなかったってさ」

「間違ってなかった? 父上を裏切り、不意打ちで斬り倒したことが?」

「ああ……もしここにグレンがいたらきっと、こうはならなかっただろうから。きっと俺たちが考えた計画なんて、全部盤外からルール無視で壊しちゃうんだ」

 それは、英雄グレンに対する絶対的な崇敬。

 勇者クレスにとって、父はそれほど大きな存在だったのだと、なんとなく理解できた。

 そして、だからこそクレスにとって最大の障害が自分ではなく父であったこともまた、理解した。

「それにしても……シズル君の力は本当に素晴らしい」

「……」

「だけどまだ足りないな。せめて僕程度は倒せるくらいの力を見せてくれないと、安心できない」

 クレスの光がさらに強く輝く。先ほどまでですら人という枠組みを超えた強さを見せていたというのに、これではまるで──。

「大精霊……」

「アストライアの力は、まだまだこんなものじゃないよ」

 シズルの雷龍化ヴリトラ・フォームと同じように、クレスもまた魔力を纏った。

 ──その瞬間、世界がしんかんする。

 これまで以上に解き放たれた圧倒的な魔力は、ただ漠然と流れるだけだったときと異なり指向性を持ち始める。そしてクレスの背中から広がる白銀色の翼。

 その姿はまるで、戦をつかさどる天使のようで──。

「さあ、対決の続きといこう。君の力をもっと見せてくれ!」

 ほぼ光と化したクレスは、一気に迫ってくるのであった。