フォルブレイズ領最西部、じょうさい都市マテリア。

 魔族領と隣接するように造られたこの都市は、城塞都市ガリアと同じくけんろうな城壁で守られており、魔物たちの侵攻を抑えている。

 魔物の軍勢が西の地にて戦力を集めているという情報を得たエリザベートは、ここを決戦の地と定めて領中の騎士、冒険者、ようへいを集合させた。

 同時に戦えない一般人をガリアや各地域へと逃がし、城塞都市マテリア内はかつての魔王戦役のときのように鬼気迫る雰囲気が漂う状況となっている。

 そして今、城塞都市マテリアに向かって魔王ヘルとその軍勢が襲撃を繰り返していた。

「来たぞー! 総員、弓構えぇぇ!」

「「「おぉぉぉぉぉ!!」」」

 兵士たちの怒号とともに城壁から飛び交う弓や石。それをくぐり抜けてやってくる魔物には、剣ややりを突き刺していく。

 侵略が開始されてから二週間。

 王宮の予想を裏切り圧倒的な戦力差の中、フォルブレイズ軍はいまだにその城壁を突破させることなく防衛を続けていた。

 その立役者となっているのは、総大将ホムラ・フォルブレイズだ。

 ただ籠城するだけでは時間を稼げないと判断した彼は、あえて一部の兵士を引き連れて魔王軍に突撃していった。

 戦場のど真ん中で魔物たちを討ち滅ぼす彼の存在なくては、これだけの戦力差を抑えることはできなかっただろう。

「おっらぁぁぁぁ!」

「グワァァァァ!?

 今もまた、巨大な黒いオーガがホムラの炎によって燃やされた。

 致命傷ではないが動きを止めたその魔物に、他の兵士たちが一斉に槍を突き出しとどめを刺す。

 その間にホムラが周囲に向けて炎を走らせ、固まっていた魔物たちを分断していく。

 炎におびえない生物はおらず、それは魔物とて同じこと。

 動揺する敵軍は本来の力を発揮できず、ホムラの活躍に鼓舞された兵士や冒険者たちによって掃討されていった。

「おっしゃ、次だ!」

「おいホムラ! 前線に出すぎだぞ!」

「ロザリー! 悪いが今日はお前の小言を聞いてる暇はねぇ!」

 ホムラは次々と魔物を燃やし、斬り倒し、突き進む。

 その姿は敵から見れば悪鬼羅刹。味方から見れば、英雄グレンの再来だろう。

 戦場のど真ん中でさえおくすることなく突き進む姿は、兵士たちの心から恐れを消して、士気は高まる一方だ。

「燃えろ燃えろ燃えろー! 派手に燃えやがれー!」

 ホムラは戦場の中でも強大な力を持った魔物を、必要以上に激しい炎で燃やしていった。

 こうすることで魔物たちは自分以上に強い存在が滅ぼされることに恐怖を覚え、また動きが鈍る。

 しかし当然、このようなことをすれば敵にも自分の居場所を知らせることとなり──。

「へ、大軍のお出ましだな」

 先ほど倒した魔物の名はブラックオーガ。

 過去にシズルの鍛錬場として使われていた魔の森に現れるブラッディオーガ。その上位種であるそれらは、一般兵や冒険者では歯が立たない存在だ。

 だがそんな魔物でさえ、今のホムラにはかなわない。

 彼の存在を危険と認めたのか、本来単独で動くブラックオーガが群れを作って襲いかかってきた。

「危険なやつらは、まとめて俺がぶっ倒してやるよ! なあスザク!」

 ホムラの叫びとともに振り下ろされた大剣から深紅の炎をまとった鳥が現れる。

 まるで幻想世界にいるような、美しいいろの炎を纏ったスザクは周囲の魔物たちをらい、そのままブラックオーガの群れをも滅ぼした。

 炎鳥はそこでとどまらず、その翼からあふれる炎で辺り一帯の魔物たちをどんどんと燃やし尽くしていく。

「クッソが! なんでお前らフォルブレイズのアホどもは毎回毎回一番危険な場所で戦おうとするんだよ! 頭おかしいんじゃねぇのか!?

「ハッ! 戦場の最前線で戦うのが俺たちだからだよ!」

 炎鳥スザクは不満の声を上げながらも、魔物を燃やすだけ燃やし尽くしたあとはホムラの身体の中へと戻ってきた。

 その光景は、一つの伝説を思い出させるもの。

おおおおお! 勝てる、勝てるぞ!」

「ホムラ様に続けー!」

 すでに周囲には魔物の姿がなく、兵士たちの歓声が戦場に響き渡る。

 だがホムラ、そしてスザクも現状が薄氷を踏むがごとしの状態だということはわかっていた。

『……言っとくが、いつまでも俺様に頼れると思うなよ』

「わかってるから、黙ってろ!」

『ちっ! このアホが!』

 お互いに悪態をつき合いながら、ホムラは次の獲物を見つけて飛び込んでいく。

 最初の一週間で、魔物たちの中にもリーダーと呼べる者が存在していることには気づいていた。

 他の兵士たちの手に負えない魔物と、リーダー格の魔物をつぶすこと。

 グレンとシズルがいない今、フォルブレイズ軍における最大戦力である自分だけができる役割だと、これだけに力を注ぎ続けていた。

 だがそれでも、半日以上戦場に立ち続ければ、いかにきょうじんな精神力を持つホムラであっても戦い続けるのは厳しい。

 すでに体力は限界を超えて、いつ倒れてもおかしくない状況の中──。

「ちっ……」

 次から次へと迫りくるブラックオーガたち。

 ホムラの身体など一撃で粉砕してしまうほど強烈な攻撃をけ続けるには、体力を失いすぎた。

「やっべ──!?

「ホムラ!?

 一瞬の出来事だった。

 ホムラに迫った黒い腕は宙を舞い、すぐ近くにいたブラックオーガはその胸にあかい槍が突き刺さって絶命する。

「ハァァァァ!」

 金糸の髪が柔らかく揺れ、一陣の風のように魔物の群れに飛び込んだローザリンデは、次々と串刺しにしていく。

 そうして周囲から魔物がいなくなったことを確認したローザリンデは怒りの表情を見せる。

「この馬鹿! いつまで前線に居つくつもりだ!」

「や、俺がやらねぇと……」

「お前はこの軍の総大将だぞ! たしかに作戦上ホムラが強い魔物とたいすることは重要だ! だからといってお前が倒れたら作戦そのものが崩壊するんだ! そのことの自覚はあるのか!?

「だけどよ……っ!?

 思わず背筋が伸び、まっすぐ彼女の瞳を見て、わずかだが潤んでいることに気づく。

「……今日はもう下がれ」

「なっ!? 俺はまだやれ──」

「残りは私がやる! お前たち、連れていけ!」

「「ハッ!」」

 ホムラの親衛隊とも呼べる精鋭たちは、軽く暴れようとするあるじを無理やり連れていこうとする。

「て、テメェら離せ!」

「体力の残っているホムラ様なら簡単に振りほどけるでしょう……それができない今、下がっていただく他ありません!」

「その通りだホムラ! 大人しく今日は休んで、また明日から死に物狂いで働け!」

 フォルセティア大森林からやってきたローザリンデは今、ホムラの親衛隊長を務めている。

 ただホムラにとって彼女がその肩書以上の存在であることは、誰の目から見ても明らか。

 親衛隊員たちもそれがわかっているため、ときにはホムラより彼女の言葉を優先することがあった。

「ち、わかったよ……おいお前ら、俺は自分で戻る。その代わり……ロザリーを守れ」

「「……ハッ!」」

 ホムラの命令に従い、親衛隊員たちはローザリンデの指揮下に入ると、先ほどまでホムラがやっていたようにリーダー格の魔物を狩りに行った。

 それを見送ったホムラは、わずかに残った護衛の兵士たちとともに後方のマテリアまで歩いていく。

 ふと、自身の弟であるシズルがいたら、こんな惨状にはならなかっただろうと思ってしまった。

「クソ……情けねぇ」

『いいから一度休みやがれ馬鹿ホムラ! お前の力はまだまだ必要なんだよ!』

「スザク……ち、わかってるって」

 ホムラがマテリアに戻ってからしばらく激しい戦場の音が響き続けていたが、日が沈むと魔物たちは一斉に引いていく。

 まるで人間の軍隊のようで、魔物とは思えない統率された動きと、静かな夜が不気味で仕方がなかった。


      


 それから数日、魔物たちは朝を迎えると、同じように城塞都市マテリアに向かって侵略を開始する。

 周辺諸侯からの多少の援軍があるとはいえ、一般的な兵士にとって異形の魔物たちを相手に戦い続けるというのは精神的に厳しい状況だ。

 ホムラたちもわかっていたことだが、このままではそう長くはもちこたえられない。

「……さて、今日が踏ん張りどころだな」

 城壁の上から魔物たちの群れを見渡す。

 昨日までの戦いで大型の魔物はだいたい駆逐した。

 敵戦力がどの程度かは見通しがつかないが、少なくとも今日襲いかかってくる敵の中に危険と思える魔物はほとんどいないはずだ。

 それなら、ホムラがいなくとも戦場は抑えられる。

「ロザリー、今日はもう止めてくれるなよ」

「わかっているさ。この日のために、お前はずっと死に物狂いで戦ってきたのだから」

 城壁の上からホムラとローザリンデが見下ろす視線の先には、魔物のものとは思えない異質な空間があった。

 まるで人間の陣地のように柵が作られ、その周囲を魔物たちがぐるりと囲む。

 あれがわなでなければ、敵の大将がいる場所だろう。

「統率された軍とはいえ、しょせんは知能の低い魔物たち。敵のトップさえ倒しちまえば、あとは普段の狩りと変わらねぇ」

「いけるのか?」

「はっ、俺を誰だと思ってやがる」

 ホムラは自信をもって笑うと、城壁から飛び降りる。それについていくようにローザリンデも飛び降りた。

 そして炎を纏いながら、怒号と悲鳴が飛び交う戦場を一気に駆け抜けていく。

 ときおり魔物たちが邪魔をしようと前に飛び出すが、両手に持った大剣が魔物たちを斬り飛ばし、ホムラはとどまることなく目的地へと戦場を突き進んだ。

「オラァァァ!! 行ってこいスザク!」

 大剣に纏っていたスザクの炎が空を駆けた。

 魔物たちを喰らいながら止まることのない炎の鳥はそのまま天幕に向かい──。

「相変わらずいまいましい炎ですね」

 鈴の音のような高い声が戦場に響く。

 同時に生み出された黒影の壁によって、炎は遮られることになった。

「……お出ましか」

「油断するなよホムラ」

「おう……」

 ホムラたちの視線の先、そこには影を纏ったような髪に褐色の肌をした少女が、冷たい瞳でこちらを見ている。

 情報通りであるならば、彼女こそこの軍勢の長にして、新たに魔王を名乗る者──。

「こいつが……魔王ヘルか」

「初めまして英雄グレンの息子。私は前魔王の娘ヘル……貴方あなたたちアストライア王国の者たちを滅ぼす者よ」

 薄黒いドレスの裾をつまんで深々とおじきをする姿は一見、深窓の令嬢という雰囲気だ。

 しかしその身に宿るくらい魔力からは、ただそこにたたずむだけで他の魔物たちとは一線を画す強敵だということがわかる。

「テメェにはそれはできねぇな」

「あら、どうしてでしょう?」

「ここで、俺が燃やし尽くすからだよ!」

 それ以上の言葉はいらないと、ホムラは魔王ヘルに向かって飛び出す。

 深紅の炎を身に纏い、すさまじい勢いで地面を燃やしながら大剣を振り下ろすが、まるで影を斬ったように手ごたえがない。

「ふふふ……貴方はあの男にそっくりですね」

「ちっ」

 いつの間にか少し離れたところで笑うヘルを見て、思わず舌打ちをしてしまう。

 周囲を囲う魔物の群れは、最初にスザクの炎で吹き飛ばしたとはいえ未だに数が多かった。

 単独でここまで突破してきた以上、このすべてを抑えながらヘルを倒さねばならないのは正直分が悪い。

「ホムラ、周りは私に任せろ」

「悪いなロザリー」

「元よりそういう話だろう?」

 そうしてホムラに近づく魔物の群れをローザリンデはにらみつける。

 槍からは小さな竜巻が生まれており、一匹たりとも近づけないという気迫を見せた。

「さぁて……それじゃあその首、もらうぜ」

「残念ですが、貴方のお相手は私じゃありませんよ。お互いの親同士に因縁があるので遊ぶのも悪くはないのですけど……どうやら私よりも戦いたい人がいるようで」

「あん?」

 魔王ヘルの意味深な言葉にホムラが疑問の声を上げると同時に、天幕の奥から一人の男が歩いてくる。

 その腰には一本のロングソードを携え、魔物の群れの中をただまっすぐ歩く姿はそれだけで一つの英雄たんとしてたたえられることだろう。

 ただし、それが魔王軍側からやってくるものでなければ、だが──。

「やあホムラ君。初めましてだね」

「……」

「その睨み方、グレンにそっくりだ」

 戦場のど真ん中だというのに、目の前の男は旧友の息子と会えたことがうれしいと言わんばかりに柔和な笑みを浮かべている。

 ただそれでも、その立ち居振る舞いにすきと呼べるものは皆無だった。

「アンタのことは親父からずっと聞いてきた」

「うん。実は僕も君のことをずっと聞いていたよ。手紙のやり取りでだけどね」

「世界で唯一、背中を任せられる男だって言ってたぜ」

「うん、僕も同じおもいだ」

 すでに王宮での出来事の詳細は聞いていた。

 突如として現れた悪魔の群れ。それを打ち破るために戦った父グレン。

 そして、その背後から斬りかかった勇者クレス。

「だったら──」

 ホムラは一歩踏み出す。

 同時に周囲にほとばしる火柱が、辺りの魔物たちを飲み込みながらも駆け巡った。

「なんで親父を斬りやがったァァァ!?

 その炎を纏いながら斬りかかるホムラの剣をグレンが受け止める。

 空気すら燃やす熱風が戦場の風に乗って辺り一帯を燃やし尽くそうと暴れるが、それすらそよ風にしか感じないようにクレスは微笑ほほえみを絶やさない。

「いいねこの熱。昔のグレンを思い出すよ」

「親父を裏切ったテメェが、親父を語るんじゃねえ!」

 ホムラが放つ強烈な炎の連撃は、一撃一撃がとてつもなく重い。

 並の魔物どころか、大魔獣と呼ばれるレベルの魔物でさえ滅ぼすだけの力を秘めていた。

「ああ、本当に懐かしい」

 しかし、それすらクレスには届かない。

 かつて魔王を倒し、最強の名をほしいままにした男の光剣は、炎を纏う英雄のへんりんを見せる青年の剣を受け止め続ける。

 全力を出し続けるホムラに対して、クレスは余裕を持ったまま。

 誰の目にも明らかな実力差は、まるで鍛錬をつけているようにも見えた。

めてんじゃ、ねぇぞぉぉぉぉ!」

 大剣から一気に燃え上がる炎鳥の翼。それが巨大な炎の剣となってクレスを飲み込もうとする。

「力強く、想いの乗った良い攻撃だ」

 突如、クレスの光剣が強く輝いた。

 それがホムラの振り下ろした炎剣とぶつかり、周囲一帯を吹き飛ばすほどの衝撃が走る。

「く、ぐぐぐっ!? くそ……がぁ!」

「だけど……今の僕には届かないかな」

 そうしてクレスの振り切った剣によって炎は霧散し、せんこうがホムラを飲み込んだ。

「ホムラ!?

 凄まじい勢いで吹き飛ばされ地面に転がるホムラのそばに近寄ったローザリンデは、彼を守るようにクレスの前に立ちふさがる。

「次は君が相手をするのかな?」

「……この男を守ると決めたからな。貴様が引かないのであれば私は刺し違えてでも──」

「おいロザリー……そういうことは、俺が死んでから言えよな」

 そうして槍を構えたところで、背後で倒れていたホムラが立ち上がる。

 すでにクレスの一撃でまんしんそうとなっているが、それでも強い炎のような意志は折れることはないらしい。

「っ──お前……その身体では」

「身体? は、んなもんは動けるならなんとでもなるっての!」

 ローザリンデの言葉に対して声を上げると、そのまま前に出る。

 それがやせ我慢であることは誰の目にも明らかであるが、今の彼を止められる者は誰もいないだろう。

「実力差は十分わかったと思うけど、まだやるつもりかな?」

「じゃあテメェの目は節穴だな。大した実力差なんてなかったし、なんなら俺はちょうど身体が温まってきたところだぜ」

「そういうところは、本当にグレンそっくりだなぁ」

 これまで見せていた作り物の笑みとは違う、少しだけ懐かしそうな笑いにホムラは一瞬だけ目を丸くする。

 しかしすぐに敵の言うことだと思い、瞳を鋭くさせて大剣を構え直した。

「おいホムラ。これ以上は私も見てはいられん」

「……ふん。ま、しゃーねぇな」

 すでに周囲には魔物の群れはいない。

 ローザリンデが駆逐していたのもあるが、先ほどのぶつかり合いの余波でほとんどが吹き飛んだからだ。

 背後で戦うフォルブレイズ軍の形勢も悪くはない。

 このままクレスたちさえ抑えきれば勝機がある。そう思ったホムラたちだが──。

「あら、そういえばいつの間にか魔物たちもいなくなってしまいましたね。これは困りました」

 そうつぶやくのは、魔王を名乗る少女。

 場違いな声に一瞬だけ空気が凍ったように止まると、彼女はニィと不吉な笑みを浮かべ始める。

「それでは、ちょっと補充しましょうか」

「「っ──!?」」

 魔王ヘルの足元から黒の魔法陣が浮かび上がると、まるで地獄から生み出されてくるかのように黒い悪魔の群れが現れる。

 それは一体一体が強力な個体であり、この悪魔たちが戦場に解き放たれてしまえばせっかく逆転した形勢を一気にひっくり返されてしまうだろう。

「やべぇな。このままじゃ……」

「くっ……」

 ホムラとローザリンデは焦りを隠せず、しかしクレスからも目を離せない。

 そうして強大な力を持った悪魔たちが戦場に向かって暴れだそうとした、その瞬間──。

『これ以上はやらせない! 魔を打ち砕く精霊の風エリアル・サイクロン!』

「グ、グウォォォォォ!?

 はるか上空から大気を通して愛らしい声が響く。

 それとともに生まれ出た巨大な竜巻が、悪魔たちを飲み込んでいき、止まる気配がないまま突き進んでいった。

「な、なんですかこれは!?

「これは……大精霊の力?」

 天変地異にも等しい神のわざとも思えるその力に、魔王ヘルとクレスが声を上げる。

 そんな彼らをさえ驚かせた力の主を、ホムラとローザリンデは知っていた。

『ロザリー、ホムラ、助けに来たよ』

「お前、どうしてここに! 危険だからガリアで待っていろと言っただろう!」

『だって、すごく嫌な予感がしたから……だけど来てよかった』

 肩まで伸びた柔らかい銀髪を風になびかせ、以前の幼い少女から成長したイリス。

 風の大精霊ディアドラの力を引き継いだ少女は、圧倒的な魔力をもって悪魔たちをぎ払う。

「くっ! このままではせっかく召喚した悪魔たちが!」

『私がみんなを守る!』

 空に浮かぶイリスは新たに生まれようとしている悪魔たちを見下ろすと、竜巻をさらに大きくして敵を飲み込んでいく。

 まるで災害の跡地のように大地はえぐれ、大量に召喚されていた悪魔たちは一体たりともその場に残れずに消えていった。

 その竜巻はそのまま魔王ヘルとクレスをも巻き込もうとして──。

「この……大精霊め!」

 イリスを睨むヘルの魔力が高まると同時に、黒い蛇が無数に生み出され、それらが集まって影法師のような巨人の影となった。

 その影は薄っぺらい腕を振り上げると、迫りくる竜巻をはじこうと振り下ろす。

 ぶつかり合う影と竜巻。ブリキの人形がこすれ合うような鈍い音が辺り一帯に響き渡る。

『く、ううう!』

「ち、ぃぃぃぃ!」

『ま、負けない!』

「お前たちはいつも、いつもいつもいつもぉぉぉ!」

 つい先ほどの冷静さなど忘れたかのように、魔王ヘルは怒りの形相でイリスを睨みながら叫んだ。

 だがしかし、魔力の大きさはイリスの方に軍配が上がるらしく、影の巨人は少しずつ竜巻に削られていく。

「っ──! この、邪魔を、するな! く、ぅぅ!?

 そうして力の差から一歩、二歩と後退を始めた。

 時間をおかずに竜巻は魔王ヘルをも巻き込むだろう。

 その場の誰もがそう確信したところで、クレスが彼女の前に出た。

「ここまでにしよう。ヘル、君にはまだやるべきことがあるだろう?」

「クレス……くっ、仕方が、ありませんね」

 その言葉と同時に、ヘルは影を展開していた魔力をすべて霧散させる。そうすれば当然巨人も消滅し、竜巻は二人に向かって迫っていく。

 だが──。

「悪いねホムラ君。君はきっと僕を許さないだろうけど、これも未来のためだ」

 クレスの剣が強く光り輝く。

 それは、まごうことない光の大精霊の力そのもの。

「悪いけど、ただの大精霊の力じゃもうどうしようもないところまで事態は進んでいる。だからこそ僕は──」

 一閃──。

 クレスの剣は流星のようにきらめき、音を置き去りにしたその剣技はイリスの魔力が込められた竜巻を一瞬で切り裂いた。

うそ!? そんなっ──?』

 イリスは驚き、目を見開いてしまう。

 今の彼女の力は契約者のいる大精霊に匹敵する。それだけの威力を持つ魔術を一撃で消すなど明らかに人知を超えていた。

 それに対してクレスは当然のことだと言わんばかりに、笑顔のままだ。

「さて、これで君たちの攻撃は終わりかな? なら、次は僕の番だけど……」

『っ──! まだ、これから!』

 イリスは空中から一度地面に降りると、新緑色の魔法陣を展開する。

 それは風に乗って流れるように広がっていき、薄く光を発し始めた。

「これは……?」

『お願い、私の声に応えて……ゲオルグ!』

 瞬間、先ほど魔王ヘルが行ったことと同じように、魔法陣から一人の戦士が生み出される。

「風の大精霊……いや、イリス様」

『うん』

「あれが、倒すべき敵で間違いありませんね」

 オークの戦士は、イリスの前に立つと一切の迷いもなくクレスたちを睨みつけた。

 手に持つ巨大なおのを肩に担ぎ、一切の無駄をそぎ落とされた立ち居振る舞い。

「なんですか、この至高の戦士が集まる場に場違いなあのオークは?」

「ヘル……」

「なんですかクレス?」

「下がって」

「ウオォォォォォォ!」

 ヘルがその言葉を理解するより早く、ゲオルグがたけびとともに動き出す。

 その動きは見た目の鈍重さからは考えられないほど速く、鋭く、そして力強い。

「っ──!?

 一瞬、虚をつかれて動きを止めたヘル目がけて振り下ろされたおのは、しかし間に入ったクレスによって受け止められる。

 大地が割れてしまいそうなほど凄まじいごうおん

 その衝撃でふんじんが舞う中で、二人は睨み合う。

「いきなり女性を狙うのは、マナー違反じゃないかな?」

「貴様こそ、我らが守るべきイリス様に剣を向けただろう?」

 暗に、お互い様だと言うゲオルグに、クレスは一瞬あっに取られたあとに笑う。

「そうだったね」

「っ──!?

 鍛え上げてきた力に自信を持っていたゲオルグだが、下から押し上げてくるクレスに驚いてしまう。

「すごい力だけど……しょせんは生身だ」

「グ、ヌヌヌ……貴様、本当に人間か?」

「さあ? もしかしたらもう違うかもねっ」

 そうしてゲオルグの斧を弾き返したクレスは、空いた胴体を斬り裂こうとする。が、その動きを止めると一気にその場から飛び退いた。

 同時に彼がいた場所には深紅の槍が空を切る。

「くっ! 今のをかわすか!」

「まったく、不意打ちなんてずいぶんな扱いだ……ねえ、ホムラ君!」

 ローザリンデを見ていたクレスは、背後から迫る炎の大剣を振り向かずに受け止めた。

「ちぃ! だが、さすがにその態勢じゃ他のやつの攻撃は受けきれねえだろ! やれロザリー! ゲオルグ!」

 ホムラの怒号とともに二人が左右に飛び出した。

 ローザリンデの槍とゲオルグの斧が同時にクレスへと迫る。彼は今、ホムラの大剣を抑えることで身動きが取れない。

 ──った!

 そう二人が思った瞬間、クレスが突然ホムラの剣を弾き返すと、迫ってくる二人に対して一気に反撃に出た。

 ローザリンデの槍を受け流し、その腹部を蹴り飛ばす。ほぼ同時にゲオルグの斧を躱して顔面をつかむと、大地にたたきつけた。

「ぐふっ──!?

「グオォ!?

「ロザリー! ゲオルグ!」

「ホムラ君、よそ見は厳禁だよ?」

「っ──て、テメェ……」

 一瞬で間合いを詰めてきたクレスが剣を突き出した。

 ギリギリのところで躱すが、しかしいつの間にか生み出されていた光の短刀がホムラの腹部を抉る。

「ガァァ!?

「まるで熱で焼かれているような痛みだろう? 自分の魔術とはいえ、これは僕も結構エグイと思うんだ」

「ホムラァ!?

 止めを刺そうとするクレスに対してローザリンデが再び槍を突き出す。

 しかしクレスは当然のようにその槍を避けて、光の短刀を投げた。

「くっ! あぁぁ!」

 身体をひねるが、わずかにかすってしまう。その瞬間に焼けるような激痛が走るが、ローザリンデはそれを無理やり抑えつけてホムラのもとに走る。

 そして地面にうずくまる彼の前に立つと、クレスを睨みつけた。

 ローザリンデの額には大量の汗が流れている。

 掠っただけでも激痛の走る魔術だ。直撃を受けたホムラなど、立ち上がることすらできていない。

「……すごい精神力だな」

 クレスはそんなローザリンデを見て、思わず一人の戦士として感嘆の声を上げてしまう。

「ふぅ……ふぅ……」

 これだけの実力差を見せつけてもローザリンデは引く気はなさそうだ。

 ホムラも地面で苦しみながらも、相変わらず鋭い瞳でクレスを睨みつけていた。

 イリスを守るように立つゲオルグも、顔面を血だらけにしながらも闘志は衰えず、クレスに対して勝つ気でいるらしい。

「なるほど、僕は君たちのことをちょっと甘く見ていたかもしれないな」

 しょせん、戦争を経験したことのない相手、とクレスはホムラたちのことを見ていた。

 だが現実はこれだけの力の差を見せつけても、ホムラたちの戦意が折れる様子はない。

「なら、もっと圧倒的な力の差を見せつけるしかないか……」

「「くっ──!?」」

 クレスの圧力が一気に増し、その力に一瞬されたホムラとローザリンデ。

 だが、その中で迷いなく飛び出した存在がいた。

「たとえ貴様がどれだけ強くとも──!」

 オーク族の英雄ゲオルグは、思い切り斧を振り下ろす。その一撃は決してクレスを狙ったものではなく彼の目の前の大地。

「む……」

 まるで大地震が発生したかのような揺れに一瞬クレスの身体が宙を浮く。

「たとえどれほどのであろうとも、地面に足がついていなければ耐えられんだろう!」

 そうしてさらに一歩踏み込んだゲオルグは、返す刀で大地からクレス目がけて斧を切り上げる。

「普通ならね」

「なんだとっ──!?

 足場のない空中のはずだ。大地のエネルギーなしに、まともな攻撃などできるはずがない。

 そう考えていたゲオルグの予想を上回り、クレスは剣でその斧を受け止めた。

 それどころか、まるで凄まじい重力場に押し潰されるような圧力とともに斧を地面に落とさせられる。

「さて、これで隙だらけだね」

「っ──!?

 柔らかく地面に降り立ったクレスは、とても自然な動作でゲオルグを斬る。

 軽い一撃。そう見えたそれは、鍛え上げられたオーク族の肉体をはるか後方にいるイリスのもとまで斬り飛ばす。

「ヌ、ウゥゥゥゥ──!?

『ゲオルグ!?

「さて、風の大精霊の力を持つ君は、ちょっと邪魔だから先に退場してもらおうか」

『ぁっ──!?

 いつの間にか傍に来ていたクレスに対し、イリスはとっに両手を前に出して吹き飛ばそうとする。

 強烈な風の一撃は元勇者であるクレスを直撃した──はずだった。

『あ……なん、で……?』

「悪いね、これくらいならもうダメージは入らないんだ」

 強力な魔物も吹き飛ばすイリスの風を受けたクレスは、無傷のまま微笑む。

 そしてその笑顔のまま、手に持った剣を斬り下ろし──。

「イリス様!? グオオオオオオオオ!」

 突然、巨大な影がイリスの身体を抱きしめる。

 暗くなった視界と響き渡る断末魔のような声。そして凄まじい勢いで地面を転がる感触。

『ゲ、ゲオルグ……?』

「申し訳、ございません、イリス様……」

『ゲオルグ!?

 途切れ途切れの声。

 いわおのような、強く、それでいてどこか安心感を覚えさせるそれは今、とても弱々しい。

 抱きしめられているイリスには、今の彼がどういう状況なのかが見えなかった。だがそれでも……。

「ゲオルグ、お前その傷!?

「っ──クソが!」

 少し離れたところで、姉のような存在であるローザリンデと、そして満身創痍な状態のホムラ。

 二人の焦ったような声からゲオルグの状態を把握したイリスは、ゆっくりと自分を守るために抱きしめて倒れるゲオルグから抜け出す。

 そして、ピチャッ、という音に、足元がれていることに気づいた。

『あ……』

 紅いまり。それが誰から溢れ出しているのかなど、見なくともわかる。

「お逃げ、ください。貴方はこんなところで、倒れていいお方では、ないのですから……」

 その傷の深さは、このまま治療をしなければすぐに死んでしまうものだろう。

 それでも彼は緩慢な動作で立ち上がると、その背にイリスをかばいクレスと対峙する。

『だ、駄目だよ……ゲオルグこそ逃げないと』

「私には、あの男を止める役割が……ありますから」

 すでにホムラは満身創痍。ローザリンデも先の一撃で十全の動きはできないだろう。

 たとえイリスのサポートがあったとしても、この男を止めることはできないとゲオルグは理解していた。

 だからこそ、誰かが足止めをしなければならない。そして、その役割に最もふさわしいのが自分だということも。

「すごいな……これだけの威圧を感じたのは、ルージュと対峙したとき以来かもしれない……」

 初めて、クレスが笑みをやめて驚いた顔をする。

 それほどまでに今のゲオルグの覚悟は重く、そして深いものだった。

 だからこそ──。

「できればこんな戦場ではなく、別の場所で出会えたら……」

 ゲオルグはもう止まらないだろう。たとえその命のともしびが尽きようと、刺し違えてでもクレスを止める覚悟を持っている。

 そして、そういう戦士は強いことを、クレスは誰よりも知っていた。

「貴方に敬意を……」

 両手で剣を持ったクレスは、その身に宿る強大な光の力を解き放つ。

 それはかつてフォルセティア大森林でシズルが見せたそれすらはるかに上回り、とても人の身で扱えるものには思えなかった。

『そんな……』

「ぐっ……」

 だがそれをクレスは当然のように解き放つ。

 イリスも、ゲオルグも、そしてホムラやローザリンデすらその力の前に一瞬、諦めが脳裏をよぎる。

「これで終わりにしようか。世界の秩序を守る閃光の一撃──裁きの閃光ジャッジメント!」

 そうして振り下ろされた光は──。

「やらせない! 怒れる神々のらいていよ! 魔に身をとしたその光を打ち砕け! 疾風迅雷……雷霆神の一撃グングニル!」

 空から落ちる巨大な雷の槍がその圧倒的な魔力を解き放ちながら、打ち砕く。

『あ……』

「……ごめんねイリス。遅くなった」

『あぁぁ……』

 もう何年も会えていなかったが、それでもイリスはその優しい声の主が誰なのかすぐに気づいた。

 黄金の雷に愛された少年は成長して大人となり、今こうして自分たちの前に立ってくれる。

 自分を守るように存在する背中の大きさに、これまでずっと感じていた不安は一気に吹き飛んだ。

 その青年こそ、かつてフォルセティア大森林を襲った大魔獣を滅ぼし森のすべてを救ってくれた、イリスにとって誰よりも偉大な英雄。

『シズルぅ……』

「うん。あとは俺が何とかするから」

 そうして彼は圧倒的な力を見せつけたクレスに向かって、ゆっくりと歩き出した。