「シズル様!」

「……ルキナ?」

 部屋に戻ったシズルを見たルキナは、その表情から事態の悪さを理解した。

「……なにがあったのか、聞いてもいいですか?」

「うん……」

 そうして会議室で聞いた話をルキナに語る。

 すでにフォルブレイズ領は危機的状況であり、このままでは侵略されてしまうこと。

 王国はそれを踏まえて、救援は間に合わないから別の作戦を取ろうとするであろうこと。

「そんな……あ、今からお父様に連絡を取って、救援要請をすれば!」

「ローレライ公爵も多分動けないと思う。王国から出された次善策のかなめは、公爵家だから……」

 もしこの場に彼がいてくれれば、シズルも説得をしていただろう。

 しかしローレライ公爵は自領で問題が起こっていたため、すでに戻ったあとだ。

 今から手紙を出したとしても、王国からの連絡の方が先に着いてしまう。

「もしかしたらうえが先に手紙を出してるかもだけど、動けるかどうかはわからないよね」

「うぅっ……」

 それほどまでに今は緊急事態だった。

 もしこれがただの魔物の増加などであればローレライ公爵はきっと力を貸してくれただろう。

 だが今回は王国の存亡をかけた状況。

 いかに娘の婚約者の生家であっても、そう簡単には動けないはずだ。

「とにかく、俺はこれから王都をつ」

「え……? でもそれなら──」

「間に合わないかもしれない。だけど、なにもせずにここでじっとなんてしていられないから」

 そうして部屋の荷物をまとめようとしたところで、シズルは自分の足に黒い影が絡みついてきたことに気づく。

 が、その影の動きはあまりにも速く、シズルが逃げようとしたときには思い切り引っ張られ──。

「痛っ……」

「シズル様!?

 テーブルクロス引きの要領で地面に転がされたシズルは、顔面を強く打つ。

 絶妙な痛みに少しだけ涙目になっていると、慌ててルキナが近寄ってきた。

「ルージュ! なんでいきなりこんなことするの!」

「ふん……この馬鹿がなんにも考えずに出ていこうとするからでしょ」

 ルキナの影。そこからゆっくりと現れたルージュは、機嫌が悪そうに鼻を鳴らす。

「だからって、わざわざこんな風にしなくてもいいじゃない!」

「ルキナの言葉を最後まで聞こうとしなかった罰よ」

「……どういうこと?」

 ルージュの言葉はどこか意味深だ。

 答えを教えてくれないのは、シズルに協力をする気はないというアピールのようにも思えた。

 そんな彼女に代わって、ルキナがシズルのそばで答えてくれる。

「シズル様……フォルブレイズ領までどんなに急いでも一ヵ月はかかります」

「俺が魔術で強化して走れば、もっと早く着くよ」

「あ、う……それでも、もっと早く着く方法があります」

 そうしてルキナは部屋にあるカレンダーを見る。

 そこには月の満ち欠けが記載されており──。

「あ……」

 そこで初めてシズルは気づいた。

 ここいるのは闇の大精霊と、その契約者。

 夜に浮かぶ月に愛された少女たちだということに。

「あと一週間で満月……その日なら、私とルージュがシズル様をフォルブレイズ領まで月影転移ゲートで送り届けることができます」

「あー……」

 その言葉に、シズルは自分の視野がいかに狭くなっていたかを理解して天を仰ぐ。

「だから言ったでしょ。馬鹿がなにも考えずに出ていこうとしてるって」

「……ごめんルキナ、それにルージュもありがとう」

 あきれたようにため息をつくルージュに、シズルはただ謝ることしかできなかった。

「仕方がありませんよ。グレン様が倒れて、その上フォルブレイズ領まで襲われたとあれば、冷静でなんていられるはずがありません」

 ルキナの優しく落ち着いたその声を聞いていると、自分のざわめいていた心も少しずつ落ち着き始めていく。

 やっぱり彼女は自分にとって必要な人だ。彼女が傍にいてくれるだけで、自分の心が守られている実感が常にある。

 そんな風に思っていると、ルキナが軽く手を握ってきた。

「シズル様。どうか今しばらくだけは、心を落ち着けてください。その怒りとたける雷の力は、今後必要となってくるのですから……」

「うん」

 その手は小さくて、柔らかい。それでいて、シズルの心臓にまで届くようなぬくもりがある。

 まるで母にしてもらっているような、そんな優しい気持ちになっていると、ルキナの背後にある扉が開いた。

 やってきたのは、先ほど王宮の会議室に我が物顔で入っていったジークハルト第二王子とエステルの二人組。

「なんだフォルブレイズ、ローレライ。取り込み中だったか?」

「っ──!?

 ルキナが恥ずかしそうに手を放す。

 せっかくの温もりが離れていってしまい、シズルは思わずジークハルトをにらんでしまったが、仕方がないことだろう。

 気がつけばルージュもいない。どうやらジークハルトの気配を感じて、さっさと影に潜んでしまったらしい。

 いつもだったらいい雰囲気になったら攻撃してくるというのにおかしいなと思っていたシズルは、来客の存在にいち早く気づいていたからだと理解して納得した。

「まるで怒れる雷神のような顔をしていた男がどうしているかと思いやってきたのだが……」

「くふふー、ジーク様ったらただのお邪魔虫で、すっごく面白いんですけどー!」

「楽しそうだなエステル」

「珍しくちょっと困っているジーク様を見るのは楽しいですねー」

 そんな軽い空気を醸し出しながら、彼らは普通に部屋に入ってくる。

 本当に遠慮という言葉を知らない二人組だとシズルは思った。

「さて、これからのことをどうしようかと話しに来たのだが……その様子では解決策が見つかったらしいな」

「うん……どんな手段を使うかは言えないですけど」

「そうか、それは残念だ」

 そうしてジークハルトは懐から黒い球体を取り出す。

「それは?」

「闇のオーブといってな。かつて闇の大精霊が作ったとされるこれは、ほんの一部であるがその力を使うことができるらしい」

「王国の宝物庫から盗んで──借りてきたんですよー」

 思わずシズルはルキナの影──に潜むルージュを見る。

 もちろん、反応はない。

「闇の上級精霊と契約しているというローレライなら扱えるかと思ったが、必要なかったか」

 そうしてジークハルトは懐にオーブを戻すと、たのしそうな様子を見せる。

「なら手段は教えなくてもいい。ただ、お前たちが前線に行くときは私も連れていけ」

「え……それは……」

「せっかくこのような面白そうな事態が起きているというのに、王宮で報告を受けるだけなどつまらないからな」

 ──ただ面白いから。

 それだけで戦場の最前線に行きたいというジークハルトはどこかおかしいと思う。

 シズルとしても一瞬どうするか考えてしまうが、ジークハルトも、そして隣で愉快そうに笑うエステルも実力は本物だ。

 今は猫の手一つも借りたいレベルの危機的状況。

 それに彼らならいざというとき、自力でも逃げることができるだろう。

「……いいですけど、自分のことは自分でなんとかしてくださいね」

「無論だ。私が死んだとしてもフォルブレイズが気にする必要はない。そのときは護衛のエステルがすべて悪いのだからな」

「えぇー! ジーク様それは違いますよー。弱いジーク様が悪いんですー」

 そんな軽い様子の二人に少し戸惑ってしまうが、伝えることは伝えておかねばと思う。

「一週間後、次の満月の夜に向かいます」

「……そうか。楽しみだ」

「くふふー、そうですねー」

 戦場に向かうというのに二人はまるでピクニックに行くような気軽さのまま変わらない。

 これが王族というものなのだろうか? とも思うが、ジークハルトが特別なだけかと思い直す。

「さて、それでは色々と準備を進めるか」

「ねえねえジーク様、せっかくだから宝物庫からもっと色々盗──借りちゃいませんか?」

「エステル……悪くないな」

「でしょー。あ、それじゃあフォルブレイズ様、ローレライ様、私たちはこれでおいとましますねー」

「邪魔をしたな。では、一週間後を楽しみにしておく」

 楽しそうな様子でそのまま部屋から出ていく二人を、シズルとルキナはぼうぜんと見送ることしかできなかった。

「……なんというか、すごいお二人ですね」

「うん……なんか、ちょっと気が抜けちゃった」

 ずっと張りつめていた緊張感が薄れたのか、身体の力はずいぶんと抜けたと思う。

 そうして部屋のベッドにあおけになって寝ころび天幕を見上げていると、隣にルキナがそっと座ってきた。

 彼女はただ黙ってこちらの頭を優しくでる。

 それが心地よく、シズルはゆっくりと瞳を閉じるのであった。


      


 その夜、部屋に一人残ったシズルはヴリトラと対面していた。

「話ってなに?」

「うむ……先日の勇者のことだ」

「……」

 ヴリトラの普段とは異なる真剣な表情に、シズルの気も自然と引き締まる。

「あの勇者は光の大精霊の契約者。だが……やつの傍には大精霊の気配はほとんどなかった」

「え? でもあのときたしかに力を使ってたはずじゃ……」

「おそらく、あの男は光の大精霊アストライアの力をすべて奪い取っている」

 そう言うヴリトラの声にはほんの少しばかりの怒りと、そしてが混ざっていた。

 ルージュやフェンリルを前にしたときでさえ己の力が最強だと言いきったヴリトラ。

 そんな彼から見ても、クレスの力は異質だったということだろう。

「恐ろしい男だ。本来、大精霊の力といえば神の代行者にして世界最強のもの。それをただの人間が奪いきるなど、あってはならんことだというのに……」

 そう独りちるヴリトラに、シズルはその言葉の意味を考える。

 元々、シズルやルキナのような大精霊の契約者というのは、彼らの力を『借りる』ことで普通の魔術師以上の力を扱うことができる。

 ルージュ自身も契約することで本来の力を発揮することができるので、契約というのは本来対等なものだ。

 それに対してヴリトラの言う『奪う』というのは言葉の通り、大精霊から一方的に力を搾取するということだろう。

「そんなこと、できるの?」

「普通の人間ならできん。そもそも大精霊の契約者というのは別に強い者が選ばれるわけではないからな」

 大精霊というのは本来、この世で最も身勝手な存在だと以前教えられた。

 自分が面白いと思ったことにしか興味を示さず、そして好き勝手なことをする。

 だからこそ気に入った人間に対してはとことん寄り添うし、気に入らない存在に対しては全力をもって排除するように動くのだ。

 そんな中で、元々世界最強になれるだけの素質を持ち、光の大精霊に気に入られる要素もあった勇者クレスは間違いなく特別な存在だった。

「シズルの力も本来は、我が貸しているにすぎん」

「うん」

「だからこそ、我の持つ力のすべてに耐えきることはできんのだ」

 それはシズル自身、よくわかっていることだった。

 特に六年前、フォルセティア大森林でのフェンリルとの戦い。

 あのときヴリトラの力を全力で引き出したが、それでも彼の力の底は見えなかった。

 いずれすべてを使えるときが来る、とあのとき言ってくれたが、六年った今でもシズルはその力をすべて使いこなせているとは言えない状況だ。

「……俺は、勇者クレスには勝てない?」

「今のままではな」

 そう告げるヴリトラは、なにか覚悟を決めた様子でシズルを見る。

「シズルよ。お前には覚悟があるか?」

「覚悟? なんの?」

「お前自身のすべてを失ってでも、周りを守りきる覚悟だ」

 十年以上ずっと一緒に戦ってきたヴリトラの問いかけは、あまりにも重い。

 自分のすべてを失ってでも、と彼は言った。周りを守りきる覚悟があるかと彼は問うた。

 そんなものは──。

「とっくにできているよ」

 この世界に転生してから十八年。

 己の命を賭して守ってくれた母。

 シズルの普通でない在り方ですら強く見守ってくれた父。

 明らかに異質な存在でありながら、兄も義母上も、マールもシズルのことを愛してくれている。

 なにより、自分のことを心から愛してくれて、そして自分も愛している一人の少女のことをおもえば、命など簡単に懸けられる。

「……」

「……」

 しばらくの沈黙の後、不意にヴリトラが笑う。

「……クハ、クハハハハハ! そうだな、お前はそういう男だったな!」

 そうしてしばらく、二人っきりの部屋の中にヴリトラの高笑いだけが響き渡る。

 笑うだけ笑った彼は、その後うれしそうにシズルの傍に近づくと──。

「なら、お前の力と覚悟を我に見せてくれ」

「うん」

 シズルがうなずいた瞬間、シズルの視界は一気に変わるのであった。


「ここは……」

 先ほどまで部屋にいたはずのシズルは、いつの間にかまったく違う場所へと飛ばされていた。

 天井高く巨大なシャンデリアがるされ、足元にはあかじゅうたんがみっちりと敷かれている。

 大きな窓の外はくらく暗雲が漂っており、時折激しい落雷の音が窓を震わせていた。

 荘厳な雰囲気の城内は、かつて一度だけ訪れたことのある場所。

「ここ、ヴリトラと出会った場所だ」

 まだシズルが八歳のとき、魔の森で魔物を狩っているときに迷い込んだこの城は、十年前と変わらず神聖な雰囲気を醸し出していた。

「あ……」

 ふと、天井に描かれた神話をモチーフにしたであろう絵を見つける。

 巨大な龍やオオカミといった魔獣たちと、六人の大精霊が戦っているものだ。

 その六人の大精霊の中に、見覚えのある女性たちが存在している。

「そっか……あれは」

 あのとき目が離せなかった理由が、今になってようやくわかった。

 他の四人はわからないが、六人のうち二人は知っている存在──闇の大精霊ルージュと風の大精霊ディアドラだ。

「それにあの龍は黒龍ディグゼリア……はくろうフェンリル……」

 シズルが倒してきた災厄の大魔獣の存在と大精霊が描かれたその絵はおそらく、かつて本当にあった戦いなのだろう。

 この城がいつの時代から存在するのかはわからない。

 少なくともヴリトラは自分と同じタイミングで生まれたはずなので、もっと昔からあるはずだ。

「あの魔獣は……?」

 絵の中には多数の魔獣が描かれているが、その中で最もまがまがしい雰囲気を放っている存在。

「っ──!?

 それを見た瞬間、シズルの心臓が跳ねる。

 シズルの記憶では、黒龍ディグゼリアは相当大きな魔獣だ。

 だがそんな黒龍すら飲み込むほど巨大な存在がその背後にいた。

 それは──とても巨大な蛇。

 絵の中の世界をすべて覆うほどの巨大さは、そこにあるすべてを飲み込んでなお足りないほど恐ろしい姿をしていた。

「なんだ……あれ?」

 あの大魔獣を見ていると心がざわめく。

 ディグゼリアとも違う、フェンリルとも違う、他の魔獣とも違う。

 あれこそが己の敵だと、思わずシズルは鋭く睨んでしまう。

 その瞬間、すさまじいごうおんが外から響いた。どうやら巨大な雷が近くに落ちたらしい。

「……ふぅ。今はそんなことを考えてる場合じゃないか」

 正気に戻ったシズルはまっすぐ伸びた階段の方へと歩いていく。

 十年前と同じように、ただあのときよりも自分の身体も心も強くなった状態だ。

 そうしてその先にある巨大な扉を開いて中に入ると、濃厚な魔力で覆われた広い円形の空間が広がっている。

 白亜の宮殿のごとく白い柱に宿る雷光が辺り一帯を照らし、赤い絨毯が延びる階段の先にある玉座には、十年前と変わらず雷の王が存在した。

「来たか、シズル……」

 小さなつぶやき。だがそれは空気を伝ってはっきりとシズルの耳に入る。

 全身に黄金の雷をまとい、龍の角と尻尾を生やしたその男は、シズルにとって最も身近な半身。

 圧倒的な存在感を示しながら見下ろしてくるその存在こそ──。

「ヴリトラ……」

「この姿になるのも久しぶりだ」

「そうだね。俺と一緒にここから出ていってから、ヴリトラはずっと子龍の姿だったもんね」

「あの姿も悪くない。マールたちも親しみを持って接してくれるからな。だが……やはり雷神様に与えられたこの身体に戻ると高揚感を抑えられん」

 ただでさえ大きかったヴリトラの気配が一層大きくなる。

 それはかつて相対してきたどの存在よりも強大で、恐ろしいものだ。

「我がこれからなにをしようとしているか、わかるか?」

「……わかるよ」

 先日戦った勇者クレスの強さは圧倒的だった。

 契約状態のルージュと二人がかりでも勝機が見えないくらいの実力差があったのだ。

 そしてヴリトラの話。

 クレスは光の大精霊であるアストライアの力を『奪った』という。

 すなわち、自分のような『借り物の力』ではなく、彼自身が『大精霊の力』のすべてを十全に扱えるということ。

 その差はあまりにも大きく、このまま戦っても敗北するだけ。

 だからこそ、ヴリトラは先ほど問うたのだ。

 ──シズルよ。お前には覚悟があるか? お前自身のすべてを失ってでも、周りを守りきる覚悟だ。

 その問いに、シズルは改めて覚悟を決める。

「ヴリトラは、俺のために戦ってくれるんだよね?」

 シズルは己の魔力を一気にあふれさせた。

 圧倒的な存在感の前に自分の力など無力だと思う心を抑えつけて、ただこちらを見下ろしてくるかつての相棒を睨んだ。

「クハッ──」

 シズルの行動にヴリトラは笑う。

 わずかな疑問も挟まず、恐れすら抱かず、あるがままの状況を受け入れて戦う姿に歓喜したのだ。

「それでこそ我が契約者だ! ならば言葉は不要! さあ、お前のすべてを見せてみろ、シズル・フォルブレイズ! そして……我が力を従えてみせろ!」

「うん! 行くよ、ヴリトラ!」

 いつもならその言葉とともに、シズルとヴリトラは同じ方向を向いて戦っていた。

 しかし今は真逆。

 相対し、シズルは階段の上に立つヴリトラに向かって飛び出すのであった。