大陸の位置づけとして、アストライア王国の最西部にあるのがフォルブレイズ領であり、かつて魔王が治めていた魔族領はそのさらに西に存在する。

 魔王戦役と呼ばれる長い戦争は、この魔族領とアストライア王国における血の歴史。

 それに終止符を打ったのが、光の大精霊と契約した勇者クレスだった。

 ──これ以上の争いはもう終わらせたい。

 魔王を倒し王国を勝利に導いたクレスは、アストライア王国側による侵略行為を許さなかった。

 同時に魔族領側のふくしゅうも許さず、魔族領に単独で残ることで双方の争いを抑止したのだ。

 長く続いた魔王戦役は、こうして勇者クレスの名のもとに終結したのである。


 クレス・アストライアの反乱から一夜明け、シズルはルキナを連れてグレンのいる病室へと足を運んでいた。

「……父上」

「グレン様……」

 昨日の出来事で深く斬られたグレンは意識不明の重体だ。

 他にも人は多数出ているが、今の彼ほど危険な状態の者はいない。

「大丈夫ですよシズル様。グレン様はとても強い方なので、またいつものように笑ってくれるはずです」

「うん……ありがとうルキナ」

 病室は医者たちが走り回っていて慌ただしい状態だ。

 先日の襲撃で多数の人間が傷つき、あちこちで怪我人が出ていた。

 特に中心となって戦った貴族たちの怪我はかなり重い。

 グレンの容態は悪いとはいえ、彼だけに時間を取ることもできないのだろう。

「いったい、クレスの目的はなんだったんだろう」

 もはや勇者という肩書も敬称もなく、ただ敵の目的を知るためにシズルはつぶやく。

 王位を狙っての行動ではないのは間違いないと思う。

 クレスという人物は王族であり、なによりこの国で最も人気のある人間と言ってもいい。

 正面から主張の正当性を訴えることも、周囲から根回しすることも十分可能だった。

 ましてや友人であるグレンを斬る必要などなかったはずだ。

 今回の強襲は、明らかな悪意によって己の武力を誇示するものだった。

 それをしたということは……。

「王国を、滅ぼすつもり?」

「そんなっ! いったいなんのために!?

「わからない。けど、そうじゃないと父上を不意打ちしてまで攻撃する理由がないと思うんだ」

 父であるグレン・フォルブレイズは王国の英雄だ。

 彼とともに戦えるだけで命を懸けられる者はいくらでもいるし、そこに立つだけで勝利が約束されたような気にもなる。

 戦場におけるリーダーには単純な強さだけでなく、その者のために戦おうと思わせるカリスマ性が必要となり、グレンという男はその部分が特に秀でていた。

 戦争において、これほど怖い存在はいないだろう。

「それに、父上は英雄だから……」

 長年グレンと友人だったクレスならば、彼のことはよく知っているだろう。

 真っ先に狙われたのは、緻密に計画した内容を盤外から一気にひっくり返される怖さがあるから。

「たしかに、グレン様がいればどんな逆境でも跳ね返せそうな雰囲気になりますね」

「うん……クレスは父上のそういうところを警戒したんだと思う。なんにせよ、今回の襲撃の目的は多分、父上だ」

 だからこそ父が倒れた今、クレスがどのような行動を取るのかが怖かった。

 召喚された悪魔たちの件もあり、勇者と呼ばれた男が普通でなくなっているのは間違いないのだ。

「……」

 シズルはもう一度、父を見る。

 呼吸は荒く、身体には熱を持っている状態らしい。

 今は王宮の医師たちが一生懸命ケアをしているが、このままでは危険だとも言われていた。

「……父上、クレスの目的がなんにせよ、俺が好きにはさせないよ」

 シズルはこの父の強さを知っていた。

 すでに現役を退いてなお、自分も兄もまだグレンには勝てたためしがない。

 そんなグレンが一方的に斬られたのは、友であるクレスを心の底から信じていたからだ。

 父の信頼を裏切り、不意を打って斬りかかったあの男を、シズルはやはり許せない。

「シズル様……」

「ルキナ?」

 そっと手を握る彼女は、先日と同様少し悲しそうな顔をしていた。

 それを見て、また自分はやらかしたのだと気づく。

「そういう風に、思いつめちゃ駄目です」

「あ……」

 先日もそうだが、どうにもクレスの行動を思い出すと冷静さを失ってしまう。

 シズルは基本的に自分のことではあまり怒らない。だがしかし、家族やルキナのことに関しては完全に別である。

 この世界に転生して、明らかに異質な自分を受け入れてくれた人々の存在は、他の人が思っている以上にシズルの心の支えとなっているのだから。

「シズル様がグレン様を大切におもわれているのはわかります。だけどその感情のまま進んではきっと、戻れなくなります」

 戻れない、という言葉が重い。

 シズル自身、自分の力の大きさは理解している。

 世界で唯一の雷魔術の使い手。大精霊の契約者。

 シズルが本当の意味で本気になれば、この城の人間が総出でかかってきても勝つことができるし、王都そのものを吹き飛ばすことだって可能だった。

 だからこそ怒りにまれて行動してはならない。

 与えられた力は決して誰かを傷つけるためにあるわけではないのだ。

 それを忘れてしまえば、いずれ大切な者まで傷つけてしまうかもしれないのだから。

「ごめん……うん、もう大丈夫だから」

「本当ですか?」

「だって、昔みたいにルキナに怪我をさせたくないからね」

 それはかつてルキナに己の過去を語ったときの話。

「怪我なんてしてないですよ?」

 微笑ほほえむルキナに、そんなわけがないとシズルは思う。

 あのとき自分はまだまだ未熟で、母を苦しめた自分を許せず感情に負けて魔術の制御を失敗した。

 辺り一帯を吹き飛ばしかねない力。制御を失った雷が全身を襲い、あのままでは自分は死んでいたかもしれない。

 そんなシズルを恐れずに抱きしめてくれたのが、当時まだ七歳のルキナだった。

 痛かったはずだ。あのときの雷は完全にシズルの制御からは外れていたし、普通に大怪我だってしかねない威力を秘めていた。

 それでも優しく、慈しみをもって抱きしめてくれたから、シズルは己の感情を制御することができた。

「そっか……あれからもう、十年以上つんだね」

 くびきに縛られた状態だった自分を彼女は救ってくれた。

 思えばあのときから、自分はルキナを誰よりも大切な少女だと想うようになったのだと思う。

 そして今、彼女は一人の女性として隣に立ち支えてくれている。自分が暴走しそうになっても、こうして優しく守ってくれているのだ。

「ルキナにはいつも守られっぱなしだ」

「そんなことありませんよ。むしろ私が、シズル様に守られてきたんです」

 お互い同じことを言って、それがおかしく二人で笑い合う。

 父は傷つき倒れ、王国のメンツは丸つぶれ。

 状況は決して良くはないが、それでも今、シズルの心には不安はなくなっていた。

 それはこうしてそばで寄り添ってくれているいとしい女性がいるから。

 ルキナに対する想いは出会ってから十年で、どんどんと強くなる。

 今すぐにでも彼女のすべてが欲しいと、そんな欲求すら湧いてきた。

「父上の怪我が治って、状況が落ち着いたら……」

 そのときは正式にルキナを迎え入れようと、そう決意するのであった。


 その夜、王宮で部屋を与えられたシズルのもとに一人の少女が訪れていた。

 闇よりも深い漆黒の髪をした少女──闇の大精霊ルージュが月明かりに照らされた窓際で外を見る。

「……で、話ってなによ。わざわざルキナから私を引き離して」

「ごめんねルージュ。ただ、君に聞いておきたいことがあってさ」

 ふん、と鼻を鳴らして不機嫌そうな態度を取る彼女だが、それでも出ていこうとしないのは話の見当がついているからだろう。

「あの勇者のことでしょ」

「うん……過去に実際に戦ったことのあるルージュに聞きたいんだ」

 ──今の俺と勇者クレス。本気で戦ったらどっちが勝つ?

 昨日の戦いのとき、シズルはまだ本気を出していない。だがそれはクレスも同様だ。

 雷の大精霊であるヴリトラと契約して、ずっと修行を重ねてきた自分なら戦えるのではないかと、そんな希望もなくはない。

 逆に勝てるビジョンがあるかと言われると、シズルには元勇者と呼ばれる男の底が見えなかった。

「はっきり言って、今のアンタじゃあの勇者には勝てないでしょうね」

 シズルとクレスの両方と直接戦闘をしたルージュは、二人の実力を知っている。

 だからこそ比べられると思ったが、その答えは残念ながら望んだものではなかった。

「言いたくはないけど、それくらいアイツの実力は飛び抜けてる」

「ルージュがそこまで言うくらいかぁ……」

 彼女自身、満月の夜であれば自身が最強であると言うだろう。

 だがそんなルージュでも、勇者クレスは特別な存在なのだと言いきった。

「そっかぁ……俺もだいぶ強くなったと思ったんだけどなぁ」

「今のままじゃ絶対に無理ね」

「ルージュでも?」

「満月の夜ならたたつぶしてやるわよ」

 そうは言うが、彼女も内心でそれが簡単にできるとは本気では思っていないだろう。

 ルキナと契約したことで十全に力を発揮できるとはいえ、ルージュの本気に耐えられるだけの力が今のルキナにはまだないのだから。

「まあどっちにしても、正面から一人じゃ難しいってことか」

「そもそもなんでアンタが出張ることになってるのよ。ルキナに諭されたんじゃないの?」

「今の俺より強い人が、王国にはいないから」

 ホムラやローザリンデも強いが、それでも本気を出したシズルを止めることはできない。

 そして先日見た近衛兵やクライトス大将軍よりも自分の方が強いだろう。

 だからこそ、もし今後クレスが出てきたら戦うのは自分の役目だとそう思っていたが、どうやらルージュの考えは違うらしい。

「はぁ……そんなんだからルキナが心配するんじゃない。アンタって本当に馬鹿だわ」

 あきれたようにため息をつくルージュに、シズルは首をかしげる。

「一人で勝てないなら、人数集めなさいよ」

「え?」

「は? なにその顔」

「いやだって、それはきょうじゃない?」

「卑怯? どこが?」

 シズルの言葉に対してルージュは不思議そうな顔をする。

「そもそも、アイツだって昔私と殺し合いをしたとき人数集めてきたんだから、卑怯なわけないじゃない」

「あ……」

 そういえば、とシズルは思い出す。

 ルージュが魔王を裏で操って戦争をしていたとき、勇者クレスはグレンや他のパーティーメンバーと一緒に彼女と戦って勝利を得た。

 それは一人では闇の大精霊であるルージュに勝てないと判断したからだろう。

「命がけの戦いに卑怯もなにもない。結局、勝ったやつだけが正当性を訴えられるのよ」

「……そっか」

 正直言って、一人で勝つことばかりを考えていた。しかしたしかにこれはけんではないのだ。

 ならば、戦い方は決して正面からだけである必要もないのだろう。

「うん、少しすっきりしたよ。ありがとうルージュ」

「……」

「ルージュ?」

「一つだけ気になることがある……」

 ルージュは真剣なまなしで、まっすぐこちらをいてくる。

「あいつは昔戦ったときとは違う気がする。光の大精霊のやつも結局出てこなかったし……」

「あ……そういえば」

 たしかにあの戦闘のとき大精霊の気配はしたが、しかし大精霊本人が出てくることはなかった。

 まるで、その力だけを使っていたような──。

「そもそもあいつ、昔はもっと甘ちゃんだったわ……」

 たとえ敵でも救える相手は救いたい。そんなことを平気で言うような男だったらしい。

 それはシズルが昔グレンから聞いた話や、実際に王国で聞いてきた評価とも一致する。

 だからこそ、なぜあんなことをし始めたのかが気になった。

「ルージュから見たクレスって、どんな人だったの?」

「正義感の強いおひとしで、あと馬鹿ね。昔戦って負けたとき、多分アイツはわざと私を逃がしたんだと思う」

「……」

 そんな彼が今は容赦の欠片かけらもなく友人に手をかけ、そして多くの人間を傷つけた。

「次に戦うときはもっと気をつけなさい。今の勇者は昔とは違うわ。手加減してもらえるなんて、思わないことね」

「……うん」

 それだけ言うと、ルージュは影の中に消えていった。ルキナのもとへと帰っていったのだろう。

「……普通じゃない、か」

 あのとき一瞬だけ感じた魔の気配。

 それはこれまで見てきたどんな敵よりもまがまがしく、恐ろしいものだった。

 それと同時にクレスからは強い光の気配も感じ、相反する力の混ざり合いが彼の存在をブレさせている状態。

 あれを普通とは、到底言えないだろう。

「……大変な戦いになりそうだ」

 ルージュという闇の大精霊と戦い、はくろうフェンリルという神殺しの魔獣とも戦ってきた。

 しかし今回はそれ以上に激しい戦いになるだろう。

 シズルは窓の外を見上げながら、曇り始めた空を見て、少し不安に思うのであった。


 クレスの襲撃から二週間が経過したが、いまだに王都はクレス反乱の件で騒がしい。

 王宮での出来事とはいえ人の口に戸を立てられるはずもなく、いつの間にか人々の間でもうわさばなしは広がっていた。

 噂は尾ひれ背びれがついていき、クレスではなく王国側になにか非があったのではないかなどという話まで出回って、中には彼を擁護するような声すらある。

 そんな中、シズルはユースティアやミディールといった学生時代の友人と王都のカフェにいた。

「平民たちはのんきに好き勝手言うねぇ」

「ミディール、仕方あるまい。それだけクレス様の人気が高かったということだ」

「まあ、わかるよ。僕だってクレス様には憧れてたんだからさ……ところでシズル」

 勇者クレスの英雄たんは、アストライア王国民なら子どもでも知っている。

 それこそ寝る前に子守歌として聞かせるようなレベルで、大きくなったら勇者になるんだという子どもも多いくらいだ。

 どの英雄譚を聞いても、勇者クレスといえば善性の塊ような人間であり、憧れの存在だった。

「シズル? おい、僕が呼んでるんだから返事くらいしろよ」

 だからこそわからない。なぜ彼があのような蛮行に出たのか。

 もし王国のなにかを正したいのであれば正面からくればいい。

 彼は王族であり、王国で最も人気のある男であり、そして最も強い男なのだから。

「おいシズルってば!」

「っと、なにミディール?」

「なにじゃないよ! さっきから呼んでるのに無視するんじゃないよ!」

 深く考え事をしていたせいか、ミディールの言葉が聞こえていなかったらしい。

 顔を真っ赤にして、無視されたことに少しだけ涙目になりながら怒ってきた。

 そういえば昔からミディールは無視するとこうして半泣きになったなぁと思い返す。

「お前が暗い顔してるから今日は誘ってやったのに、なんだよその微笑ましいみたいな顔は!」

「いやいや、ちょっと学園で初めて出会ったときのことを思い出しててさ。ミディールって、最初はいかにも嫌な貴族の子どもって感じだったもんね」

「人の黒歴史をいきなりぶっこんでくるんじゃないよ! い、嫌な貴族とかじゃなかったから!」

 学園の入学式のとき、ミディールはシズルに対して田舎貴族と馬鹿にしてきた。

 入学前から世界で唯一『雷魔術』の使い手にして、『神童』と王国中で有名だったシズルが気にわなかったらしい。

 その結果、授業で何度も絡んできてはシズルによってボコボコにされてきた、ちょっとかわいそうな男でもある。

「なんだよその目は……おいやめろ、あれは僕だってもう反省したんだから……」

「まあ、反省してなかったらこうして一緒にいることはなかっただろうね」

 最初は面倒な貴族の子どもだと思っていたが、意外なことにこのミディールという男、プライドは高いくせに地べたにいくらいつくばらせても起き上がるのだ。

 そのせいで学園時代の一年目は、彼を叩きのめすのが日常の一コマとなっていた。

「うん、今思えばあれもいい思い出だね」

「僕にとっては最悪の思い出だけどな!」

「私からすれば、よく今でも友人でいられるなと感心するぞ」

 男二人を見ながら呆れた様子なのは、もう一人の友人であるユースティアだ。

 自分たち二人の日常を傍で見守っていてくれた彼女は、少しだけ顔をしかめながら過去を思い出している。

「やはり、どう考えてもシズルはやりすぎだったと思うぞ」

「え? そんなことはないと思うけど……」

「ほう、学園の壁を吹き飛ばしたのは誰だったか?」

「ミディールだよね?」

「おいシズル! 僕にそんなたらなことできると思うなよ!」

「息をするようにうそをつくなこの馬鹿!」

 二人から同時に突っ込みを入れられて、つい視線をらしてしまう。

 だいたい学園時代はこんな風にミディールが絡んできて、シズルがやり返し、ユースティアが最後にシズルをしかるという流れがよくあったものだ。

「ふふふ、なんだか学園時代に戻ったみたいですね」

「ルキナ……」

 シズルの横では、ルキナが楽しそうに笑う。

 彼女の言う通り、学園の卒業パーティーから今日まで、ずいぶんと暗い話題が多かった。

 勇者クレスが反乱を起こし、英雄グレンが倒れ、王国はその後始末に奔走する日々。

 シズルたち大貴族の子弟もかつには身動きが取れず、王都から自領に戻ることすら許されていないのが現状だ。

 そんな中でこうして以前と変わらぬ関係を築いてくれるユースティアとミディールの二人は、大切な友人だと思う。

 今日こうして出かける提案をしてくれたのもユースティアたちだ。

 どうやら父の件で落ち込んでいる自分を励ますために企画してくれたらしい。

 そう思うと、自分は得がたい友人を得たなと思ってつい笑ってしまう。

「ふん、別に僕はお前の心配なんてしてないんだからな」

「「「……」」」

「な、なんだよお前たち三人そろって変な目で見て。言いたいことがあるならはっきり言えよ!」

「男のそういうのは、求めてないんだよねぇ」

 まあ別に女子に求めているかと言われると、そもそもルキナ以外の女子には興味がないので求めていないのだが。

「ミディール、お前はそのひねくれた性格を早く直さないと、エリーに嫌われ……殴られるぞ?」

「おいユースティア、今なんで言い直した!?

「まあエリーはお前に対する愛が深いから嫌われることはないが、あいつはなかなか……」

「あはは……エリー様はミディール様が大好きですからね」

 エリーというのはシズルたちと同級生である、ミディールの婚約者の名前だ。

 シズル自身はあまり関わることはなかったが、どうやらルキナとは仲良しだったらしく思い出しながら苦笑している。

「そういえば、たまに廊下とかでミディールが浮気したときとか馬乗りになって殴ってたね」

「待て、浮気なんてしてないぞ僕は」

「え? でも……この間だって」

 ミディールには学園で何度も行動を誤魔化すように頼まれていた。

 なんのためだろうと思っていたら、別の女子とのデートのためだったのはよく覚えている。

 そう思い出しているとミディールは慌てて近づいてきて、耳元で小さく話しかけてきた。

「……言うなよ。こいつらエリーと仲良いから、絶対チクられるし」

「だったらしなきゃいいのに」

可愛かわいい女の子に誘われて、行かない方が失礼だろ?」

 そんなことないと思うが、彼にとってはそうなのだろう。

 ただ呆れた様子のユースティアと困った顔のルキナを見る限り、ミディールがなにを言っているのか気づいているらしい。

「とりあえず! クレス様がなんであんなことをしたのかだ!」

「話題の逸らし方が下手だが……たしかにそれは気になるな」

 シズルやルキナに比べて王族に近しい位置にいる二人は、クレス・アストライアという人物のことをよく知っていた。

 誰の目から見ても高潔な彼が起こした、あり得ない蛮行。

 召喚された悪魔たちは一体なんだったのか?

 彼は戦火を広げないために王位を返上してまで、魔族領に残ったのではないか?

 勇者クレスの行動は、彼のことを直接知っている二人でさえ信じられないものだった。

「……なんにせよ、僕のおじい様が今クレス様について調査しているから、それ待ちかな」

「我がラピスラズリ公爵家もだな」

 今回の出来事は、公爵家にとってもごとではなかった。

 それゆえに迅速に動き、王国に至ってはすでに勇者クレスは王国転覆を企てる重罪人として指名手配をするつもりだ。

「とりあえず、今僕たちにできることはないってことだ」

 そうしてミディールは立ち上がると、そのまま会計に向かう。

 こういうとき、さっと動けるところがモテる男なのかもしれない。

「シズル……ミディールの言う通りだ。お前が強いことは私たちもよく知っているが、個の力などたかが知れている。だから、その……」

「大丈夫だよ」

 ユースティアの言いたいことはわかる。

 今日こうして学生時代の友人同士で集まろうと計画を立てたのも、自分が短気を起こさないか心配だったからだろう。

「ルキナにも言われてるし、心配かけるようなことはしないよ」

 いい友人を持てた、とシズルは思う。

 六年前、貴族の子弟が集まる学園なんてどんな面倒なところだろうかと不安だった。

 だがこうして卒業した今となっては、こうして自分の心配をしてくれる友人たちと出会うことができ、かけがえのない場所だったと思う。

「ローレライ、こいつのこと頼んだぞ。放っておいたら暴走するに決まっているからな」

「はい、ラピスラズリ様」

「……俺、大丈夫って言ったのに」

 まったく信用してくれていない二人に少しだけ悲しくなるシズルであった。


 クレスが起こした反乱から一ヵ月以上が経過したが、グレンの容態は良くなる気配がないまま時間だけが過ぎていく。

 本来なら実家からイリーナやエリザベートたちも見舞いに来たいはず。

 だが領主であるグレンがフォルブレイズ領から離れた今、そこを守るのは二人の役目だった。

 それゆえにこうしてグレンの傍には未だにシズル以外にはいない。


 元々、王国の卒業パーティーに集まっていた貴族の面々は長居をする予定ではなかった。

 これだけの時間を拘束されていたのも、勇者クレスが反乱を起こしたということで騒がしかったことと、彼に対する協力者がいないかを調査していたためだ。

 とはいえ、王都に集まったのは国の中枢とも言える大貴族たち。

 いつまでも拘束を許すはずもなく、なにより自身の領地だって心配だ。

 それゆえに、ある程度の調査を終えた者たちはそれぞれが自領へと戻っていく。

 その中には学園時代の友人だったミディールたちの姿もあり、こうして見送りのために王都の入口まで来ていた。

「……それではシズル、私たちは行く」

「まあなんだ、お前には散々叩きのめされたけど……それでも悪い思い出じゃなかったぞ」

 そう言って去っていくユースティアとミディール。

 同じ大貴族として、今後も関わることはあるだろう。

 とはいえ、それぞれの領地は遠く、きっと次に会うのはもっと大人になってからだ。

 六年という月日は、この世界に転生してから約三分の一。

 そんな時間を共に過ごしてきた彼らとの別れというのは少し感傷的になってしまう。

「でもまあ、俺たちはこうして出会いと別れを繰り返していくんだろうね」

「そうですね。でも私は、シズル様とずっと一緒にいますよ」

「うん」

 そっと手を握ってくれる少女を一生かけて守るのだと心に決めながら、シズルは明るい旅路にふさわしい青い空と太陽を見上げるのであった。


 実家であるフォルブレイズ領から手紙が来たのは、それから三日後のことだった。

「……勇者クレスが、フォルブレイズ領に侵攻を始めた?」

 王宮に与えられた一室でルキナと共に過ごしていたシズルは、思わず声を上げてしまう。

 手紙にはクレスと魔王を名乗る女性の二人が旗印となり、西の地から新生魔王軍を名乗って侵攻を始めたということが記載されていた。

「そんな! 今フォルブレイズ領にはグレン様もシズル様もいないのに!」

「……」

 現在エリザベートが領主代行として手腕を振るい、領内の騎士や冒険者たちをまとめ上げているという。

 元々、フォルブレイズ領にいる英雄グレンに憧れて集まった者が多く、さらにダンジョンなども多いためこと戦闘にはめっぽう強い。

 それゆえに国境を任されており、当然ながら西への防衛機能も優れたものだ。

「うん、うえたちなら大丈夫だよ」

「シズル様……」

「あっちには兄上もいる。ローザリンデも、それにイリスもいるからさ」

 兄であるホムラは正式にフォルブレイズ次期侯爵となるべく、さらなるけんさんを積んでいた。

 彼の専属騎士になったローザリンデも強く、なにより風の大精霊の力を受け継いだイリスがいる。

 この六年で成長した彼らがいる限り、フォルブレイズ領は任せられると、そう信じていた。

「そう、ですよね」

 それでもルキナが不安を隠せないのは、クレスの強さを見たからだろう。

 シズルとて、ルージュと二人がかりで倒すどころか満足にダメージすら与えられなかった男の強さは、あまりにも驚異的だと思う。

 そんなとき、扉がノックされる。

「邪魔をするぞフォルブレイズ」

「お邪魔しまーす」

 そう言って入ってきたのは、この国の第二王子であるジークハルトと、その護衛のエステルだ。

 学園時代からお互いの立場から話すことはあったが、しかしユースティアたちに比べると親交は薄い。

 そんな彼らがわざわざシズルのもとへとやってきたのは──。

「王宮が騒がしい。お前はなにか知っているか?」

「……とりあえず、座ってください」

 そうしてテーブルについた彼は、エステルに目配せをする。

 ジークハルトの言いたいことを理解した彼女は、手慣れた様子でカップなどを用意し始めた。

「あの子って、俺の部屋入ったことあったっけ?」

「王宮が貸し出している部屋だ。どこも同じような配置だとも」

「もう慣れちゃいましたよー」

 まるで我が家のようにテキパキと食器などを取り出していくエステルは、どこか楽しそうだ。

 先日の襲撃の際に見せた彼女の動きはとても一学生レべルではなかった。

 若くしてジークハルトの護衛を務めるだけのことはあって、その実力は相当なものだろう。

 準備が整うと、エステルはそのままジークハルトの背後に立ってニコニコと笑うだけ。

 学園時代からどうにもつかみどころのない少女だったが、この状況下でもこのような態度を取れるのだから、相当肝が据わっていると思う。

「さて、それでは教えてもらおうか。今王宮でなにが起きている?」

 王族特有のカリスマとでも言うべきか、ただ座っているだけでもとても絵になる青年だ。

「……クレスが魔族たちを引き連れて、王国に侵略を開始したらしいです」

「ほう……」

 それを聞いたジークハルトは、とても愉快そうな顔をする。

 この男は学園時代からなにか問題ごとが発生すると、常に最前線でそれを見てたのしむような人間だった。

 単純な戦闘力でいえばもちろんシズルが勝つが、それでも得体の知れない怖さが彼にはある。

 なんにせよ、あまり敵対したくない相手だ。

「そうか……もうそこまで動き出しているのか」

「ジークハルト様は、クレスのことでなにか知ってるんですか?」

「いや、なにせ私は王族とは名ばかりの庶子だからな。叔父上とは話したこともない」

「……」

 たしかに、ジークハルトは今でこそ第二王子として認められているが、元々は国王が戯れに手を出したメイドの子だった。

 それゆえに幼いころから王族としては認められず、他の王位継承者たちからは命を狙われ、厳しい子ども時代を過ごしてきたはずだ。

 こうして当たり前に王宮にいられるのも、王族としてその才覚を見せつけたから。

「叔父上がなにを思って行動しているのかはわからないが……まあ考えるだけ無駄だろう」

「え?」

「こういうのは、心当たりのある者たちに聞きに行けばいい」

 そうして立ち上がると、部屋から出ていこうとする。

「ちょっ、ジークハルト様!?

「ついてこいフォルブレイズ」

 そうしてエステルを連れてさっさと部屋から出ていく。部屋に残されたのはシズルとルキナだけ。

「どうしよう……」

「えと……」

 困惑するのは彼女も同じ。

 しかしこのままなにもせずに手をこまねいている状況というのも面白くはない。

「仕方ない……ちょっと行ってくるね」

「あ、私も……」

「ルキナはここにいて」

 立ち上がろうとするルキナを軽く抑えて、笑顔を見せる。

 おそらくここから先に踏み込むのは、かなり危険なことだろう。

 ルキナにはルージュが付いているし、彼女自身が公爵令嬢としての立場もあるから大抵の危険からは遠ざけることができるはず。

 しかし今回の敵はアストライア王国の王族だ。

 なにかを知ったことで身動きが取れなく場合もあるかもしれない。

 シズルは、そんな脅威からルキナのことを少しでも遠ざけたかった。

「大丈夫だから、ね」

「……はい」

 ルキナもシズルの言いたいことがわかり、素直にうなずく。

 そんな彼女の頭を昔みたいに軽くでてから、シズルは扉の外に出た。


 ジークハルトを追いかけた先は、王宮の会議室だ。

 扉の外には兵士たちが険しい顔で立っており、誰も通さないという雰囲気を醸し出している。

「通るぞ」

 そんな状況でもジークハルトは関係ないと言わんばかりに止まらない。

 焦った兵士たちが慌てて彼を止めようとするが、その横を歩いていたエステルが邪魔をさせまいと彼らの腕を軽くひねってしまう。

 そのすきに扉を開けて中に入るので、シズルもそれについていくと、そこでは多くの貴族たちが暗い表情で顔をつき合わせていた。

「っ──ジークハルト王子!?

 先日、クレスと激しい戦いを繰り広げていたクライトス大将軍が慌てたように立ち上がる。

「会議中、失礼するぞ」

「ジークハルト様! ここは子どもの遊び場ではありませんぞ!」

 そんな声を上げる宰相に軍の上位陣、それに国王まで揃っている。

 これまで政治の世界に関わることのなかったシズルでさえ知っている面々を見て、今行われていた会議が秘匿性の高い重要なものなのは簡単に理解できた。

 普通なら同席するだけでも恐れ多い大貴族の集まりだが、それでもジークハルトは気にした様子を見せずに奥へと進む。

 そして空席となっている椅子に座ると、当たり前のように口を開いた。

「元勇者の叔父上が魔王軍を引き連れて侵略を開始したらしいな」

「……フォルブレイズか」

 本来なら知るはずのない情報を持つジークハルトに、宰相はシズルを軽くにらむ。

「そう睨むな宰相。それに、フォルブレイズは当人なのだから、こうして情報を隠す必要はないだろう?」

「そもそもジークハルト様が知っていていい情報ではないという話です」

「ふ、気にするな。私はどうこうする気は今のところあまりない」

 今のところ、という言葉に周囲の人々は嫌そうな顔をする。

 どうやら学園だけでなく、彼の性格の悪さは王宮でも広まっているらしい。

 それでも無理やり追い出されないのは、彼の才覚が本物だからだろう。

「私はただ聞くだけだ。だが、さすがにフォルブレイズに対してまで黙り込ませるのは違うのではないか?」

「……」

 宰相は思案するようにシズルを見る。

 シズルという王国の宝を守るべきか、それとも先日クレスを追い返した実力を見込んで戦力とするべきかを悩んでいるようだ。

「宰相、悩む必要などない。なぜなら、この男はもうとっくに覚悟を決めているのだからな」

「……はぁ」

 不敵に笑うジークハルトに対して宰相は呆れたような、諦めたようなそんな表情をすると──。

「フォルブレイズ……そこに座れ」

 ジークハルトの隣を指さすのであった。


 そうして始まった会議では、すでに状況はシズルが聞いていた以上に悪化していることがわかる。

「元勇者にして反逆者クレス。彼はどうやら魔族領で魔王を名乗る者と結託して、過去の戦争を再開しようとしている状況です」

 進行役として宰相が進めていく会議で、過去の魔王戦役から敵の推定戦力が提示される。

 そして長く平和が続いていたアストライア王国では、敵戦力を上回ることが困難であることも。

「すでにフォルブレイズ家が防衛に当たっておりますが、敵との戦力差は大きい。なにより、精神的支柱であった英雄グレンが倒れたことが伝わっている現状、状況は非常に厳しいと言わざるを得ないでしょう」

 実家から届いた手紙では、敵戦力はそこまで多くないと書かれていた。

 しかし宰相から伝えられた内容は、魔王軍が攻めてきたという一点を除けば大きく異なっている。

「王国軍は戦場の最前線をフォルブレイズ領に定めるつもりだが、このままでは援軍が到着するよりも先に陥落してしまうかもしれない」

「っ──!?

 その言葉にシズルは思わず歯を食いしばる。

 たしかに今聞いた魔王軍の兵力は、フォルブレイズ家の持つ兵力を大きく上回っている。

 魔族領の総戦力に対して、こちらは一領主の戦力しかないのだから当然だろう。

 そしてこれは戦争だ。もし敗北すれば、人も物も、そのすべてを失ってしまう。

「……そうなった場合、王国はフォルブレイズ領を諦め、南のローレライ領と北のクライトス領を合わせた防衛戦線を敷くことになるだろう」

 宰相の言葉は、もはや確定事項だと言いたげだった。

 おそらくフォルブレイズ領は防衛に耐えられない、ということを前提に彼の中では戦力が計算されているのだ。

 だからこそ最悪の事態を避けるため、先に次善策を打ち出して行動しようとしている。

「……俺が行きます」

 聞きたいことは十分聞けた。そう判断したシズルは立ち上がると、そのまま会議室から出ていこうとする。

「待てシズル・フォルブレイズ! 今更貴様が向かったところで間に合わん! それよりも新しい作戦に──」

「家族が危険なときに、黙って待ってなんていられるか!」

「「っぅ!?」」

 止めようとする宰相に向かって、雷の魔力を解き放ちながら大きく叫ぶ。

 その力はすでに人の持てるはんちゅうを超えており、この場にいるほとんどの者が身動きできずに身体を硬直させてしまう。

「……もう、行ってもいいですね?」

「……」

 まるで雷の王のような存在感。

 誰もなにも言えない中、シズルはただ一人、黙って会議室を後にした。