エピローグ


 三年後──


 各国で緑の塔の閉鎖が進み、どの国の王族も緑の塔の中に閉じ込められなくなって久しい。

 シャーリーが強引な予測を立てた世界の重力問題だが、イクシュナーゼが調整と改変を行った結果、どうやらうまく作用しているようだ。

 世界に必要なくなった魔力は、少しずつ年月をかけてゼレンシウスに取り込まれ、いずれこの世界から魔力そのものが消えてしまうだろう。

 そうなったときには、きっと呼び出した精霊たちともお別れすることになるはずで、それを想像すると淋しくなるが、魔力がすべて世界から消えるまでは何十年もかかるそうなので、もしかしたらシャーリーが生きている間にお別れすることはないのかもしれない。

(はあ、お米の開発は急ぐべきね。麴も必要だわ。……味噌、醬油が恋しい)

 ブロリア国の王城の専用キッチンで、王妃となったシャーリーは腕を組んで唸っていた。

 精霊たちは姿を消せるのでそのままだが、さすがに緑の塔の中にシャーリーが呼び出した便利グッズや食材を運び出すわけにも、また、ここに新たに呼び出すわけにもいかなくて、このキッチンには冷蔵庫も電子レンジも美味しいお菓子も、そして前世の食材たちもなにもない。

 最初は仕方がないと諦めたシャーリーだったが、やはり慣れ親しんだ味は恋しい。ましてや、指パッチン一つでそれらが簡単に手に入ることを知っているからこそ、力を使うのを我慢するのが大変だった。

(……せめて種だけでも…………アルベール様に相談しようかしら)

 何とかブロリア国で稲作をはじめて、米や味噌や醬油を手に入れられないだろうか。

 王妃の専用キッチンを作った時でも、王妃が料理などともめにもめたが、アルベールは反対を押し切って作ってくれた。お願いしたら米も考えてくれるかもしれない。なぜならアルベール本人が食べたがっているから。

「って、急がないとお昼に間に合わないわ」

 キッチンに備え付けてある時計を確認して、シャーリーはパンの成型を急いだ。

 シャーリーが作った天然酵母を利用したふわふわのパンは、今やブロリア国で一大ブームになっている。

 経済効果もかなりあるとかで、最初は王妃専用キッチンに猛反対していた宰相も、シャーリーがキッチンにこもることに嫌な顔をしなくなった。

 パンの成型を終えてオーブンに入れると、アルベールからのリクエストの唐揚げづくりに取りかかる。

 シャーリーがアルベールの食事をすべて準備してしまうと城の料理人の立つ瀬がなくなるとかで、シャーリーに許されているのは昼食だけだ。

「シャーリー。今いい?」

 唐揚げに下味をつけていると、キッチンにアルベールが入ってきた。書類の束を手にしている。

「大丈夫ですよ。どうしたんですか?」

「うん。冷蔵庫の件なんだけどさ」

「作れそうですか!?

 前世と同じとはいかなくても、冷蔵庫に近いものを作ることはできないだろうかとアルベールに相談していたのだ。

 シャーリーが電気や機械に詳しければもっと話は早かっただろうが、残念ながらそのあたりのことはさっぱりなので、こちらの世界の技術者に頼るしかなかったのだが、どうなったのだろう。

 わくわくしながら待っていると、アルベールが眉尻を下げた。

「結果を言えば、ちょっと難しいかな。冷凍庫が特にね。冷蔵庫だけなら、こんな風に大きな氷を利用して貯蔵するものを作れなくもないみたいなんだけど……氷が希少だからね、購入者も限られるから量産には向かないって」

「そうですか……そう簡単には行かないですよね」

 シャーリーはしょんぼりと肩を落とした。

「あ、でも、研究は続けてくれるそうだよ? 研究者も、冷凍庫というのは作ることができれば世界が変わると乗り気だったからね! あと、氷を使った冷蔵庫なら、シャーリー専用に試作はしてくれるらしいよ」

「本当ですか!」

「うん。……大きな声では言えないけど、フェンリルかウンディーネに頼んで氷を作ってもらえば、シャーリーが使う分には問題ないと思う」

「アルベール様!!

 シャーリーは思わずアルベールに抱き着いた。

 くすくす笑いながらアルベールが抱きしめ返してくれる。

「それからもう一つ。部屋の外で宰相が待っているよ。シャーリーの作るパンの料理本の件だってさ」

「そういえば販売するって言っていた気が……って、外で待っていなくても、入ってくればいいのに」

 すると、アルベールが苦笑して肩をすくめた。

「料理中のシャーリーの邪魔をすると怖いからだって。……前に『そんなものには興味がないから出て行ってください』って言って追い出したんだって?」

…………そんなことを、言ったような、言わなかったような気がします」

 シャーリーは「あっ」と視線をそらした。

 新しい料理を考えているときに横でごちゃごちゃ言われて、つい頭にきて、宰相をキッチンからたたき出した気がする。

「おかげで、料理中の王妃殿下に近づくなって城中でささやかれているよ」

「そ、そんなに強く怒ってないですよ!……邪険にはしましたけど」

「ふふ、そういうことだから、切りがいいところで宰相の相手をしてくれないかな」

「わかりました。お肉の下味をつけているので、今なら少しお話しできます」

「唐揚げ?」

「唐揚げです」

 アルベールは嬉しそうに空色の瞳を細めて、ちゅっとシャーリーの額に口づける。

「昼までにあともう少し仕事があるんだけど、おかげで頑張れそうだ」

「それはよかったです!」

 シャーリーは笑って、お返しにアルベールの頰にちゅっとキスをする。

 行こう、と手を差し出されて、手をつないでキッチンを出れば、待ち構えていた宰相が駆け寄ってきた。

 アルベールと一緒に宰相の話を聞いて、キッチンに戻ろうとしたときに、宰相から思い出したように一通の手紙を差し出された。

「ローゼリア国のイリス王女殿下からです」

「ありがとうございます!」

 シャーリーはぱあっと笑って、キッチンに戻るなり封を切った。

 そこにはイリスの流麗な字で近況報告が書いてある。

(ええ!? お兄様との婚約話が正式にまとまりそう、ですって?)

 以前ちらりと聞いたイリスと、シャーリーの兄ルシアンとの婚約が進みそうだとあって、シャーリーは仰天した。

(えっと、何々……ルシアンはイケメンだし、まあ前世を合わせるとわたしの方が年上だから年の差なんて気にしないわ……って、イリス様らしいと言えばらしいけど)

 くすくすと笑っていると、結びに「シャーリーは今幸せかしら?」という一言を見つけて、シャーリーはぎゅっと手紙を胸に抱いた。

 アルベールがそばにいて、気ままに料理ができて、王妃という立場はそれなりに大変だけど、でも──

(幸せですよ)

 こんなに幸せで、いいのかと思うくらいに。

「ふふ、お返事を送るときに、何か日持ちのするお菓子でもつけて送ろうかしら」

 シャーリーは手紙を丁寧に封筒に戻すと、料理の続きに取り掛かる。

 返事に、何をかこうかしらと考えながら。