16 シャーリーの戦い


「わたしたちも行きましょう。シルフ、ノーム、お願いね!」

 みんなを見送った後で、シャーリーはシルフとノームを振り返った。

 イクシュナーゼを足止めに言ったみんなのことは心配だが、心配ばかりもしていられない。なぜならこの作戦は、シャーリーにかかっているのだ。

 シャーリーは一度緑の塔の中に入ると、ダイニングに広げっぱなしの手書きの地図を確認する。これは、事前にシルフが調べてくれた、地下にどれだけの空洞があるかを示したものだ。

 これによると、ゼレンシウスがいた中央の空洞が一番大きいが、全体的にアリの巣のようにあちこち穴が開いている。

 緑の塔を建てた影響でこうなったのか、それとも元からこのような形状だったのかはシャーリーにはわからない。シャーリーは天文学者でも地層学者でもないからだ。

(とにかくこの穴を鉄とニッケルで埋めていけばいいのよ)

 普通は、内核に向かうにつれて圧力と温度が高まるものだが、この星がどうなっているのかはわからない。

 空洞だらけだから圧力がないのか、ほかに理由があるのかは知らないが、細かいことを考えたところでわからないのだから、シャーリーはただ空洞を埋めることだけを考えればいい。

 料理だって、同じ材料で同じ作り方をすれば同じ味になる。

 この星の中を地球と同じような環境に整えることができれば、同じように生命が生きるのに必要なだけの重力が生まれるはずなのだ。

 これはあくまで仮説なので、うまくいく保証はない。正直、うまくいかなかったらどうしようと、怖い気持ちもある。でも、何もしないままに滅ぼされるくらいなら、この仮説にかけたほうがいい。

「準備はいい? シャーリー?」

 シルフの問いに、シャーリーが頷き返そうとした時だった。

「シャーリー」

 部屋にいたはずのゼレンシウスがダイニングに顔を出した。

「あ、ゼレンシウス。ご飯なら冷蔵庫に入れてありますから」

「そうじゃない。……シャーリー、一つ覚えておけ。人が持つ魔力は無限じゃない。シャーリーは魔力が多い方で、これまで魔力切れを起こしたことはないようだが、今回も同じとは言い切れない。少しでもおかしいと思ったら中断して戻ってこい。いいな」

 ゼレンシウスは珍しく心配そうな顔をしていた。

 シャーリーはきょとんとして、それから笑って頷く。

「わかりました」

 魔力切れというのが何なのかはわからないが、魔力がなくなれば指パッチン魔法が使えなくなると思うので、どちらにせよ戻るしかない。

「それじゃあ行ってきます、ゼレンシウス」

「……ああ」

 シャーリーはゼレンシウスに手を振って、シルフに一つ目の空洞に飛ばしてもらった。

 ゼレンシウスがいた中央の空洞は最後だ。あの空洞は巨大なので、一番影響が出やすそうだからである。もし圧力や温度が上昇しても、シャーリーに影響が出ないようにノームとシルフがうまく調整をしてくれるが、影響が大きそうなところは後回しにするに越したことはない。

「真っ暗ね」

 ゼレンシウスがいた中央は、鉱石が光っていて明るかったが、ここは真っ暗で右も左もわからない。

 シャーリーは指パッチンで懐中電灯を呼び出した。

 明かりをつけてぐるりと見渡せば、大きな空洞になっているのがわかる。

 シャーリーは自分自身が埋まらないだけのスペースを確保して、パチンと指を鳴らした。

 空洞の中を、巨大な鉄の塊が埋め尽くす。

「よし、次!」

 思ったより簡単そうだ。

 ほしいものを指パッチンで生み出すときと何ら変わらない。これならすぐに作業も終わるだろう。

 けれど──、シルフにテレポートしてもらい、空洞を埋める作業を、三十回ほど繰り返したときのことだった。

 くらりと眩暈を覚えて、シャーリーは土の壁に手をついた。

(……なに?)

 目の前がぐるぐると回る。

「シャーリー?」

「どうしたの?」

 シルフとノームが心配そうに顔を覗き込んできた。

 シャーリーはゆっくり頭を振って、薄く微笑む。

「ちょっと立ち眩み? かな。シルフ、あといくつある?」

「あと二つと、中央を埋めれば終わりかな」

「わかったわ」

 合計あと三つ。少し体に違和感があるが、あと三つなら何とかなるだろう。というか、みんながイクシュナーゼの足止めに向かっているのだ。シャーリーもここで止めるわけにはいかない。

 シャーリーは大きく息を吸って、シルフに「次お願い」とテレポートを頼む。

 そして、二つの空洞を埋め、最後の巨大な中央の空洞に到着した時だった。

「シャーリー!」

 シルフのテレポートで中央の空洞に着いた途端、シャーリーの体がぐらりと傾いだ。

 あっと思う間もなく倒れこむ。

 ぐるぐると目が回っていた。立とうとしても、起き上がることすらままならない。

「シャーリー、一度帰ろう」

 ノームが、シャーリーの顔を覗き込んで言った。

(帰る……でも……)

 シャーリーが帰ったら、アルベールたちはどうなるのだろうか。

 作戦を一度中断してもう一度なんて──、きっと無理だ。

 シルフに頼んでみんなをテレポートさせても、イクシュナーゼがそのまま見逃すとは思えない。そんな気がする。

(あと、ここだけで終わるの……)

 シャーリーは倒れこんだまま、震える手を動かす。

「……シルフ、あとはお願いね」

「シャ……」

(ゼレンシウス、忠告を無視してごめんなさい……)

 シャーリーはゆっくりと、指をはじく。そして意識は、闇に飲まれた──

 ゼレンシウスはイクシュナーゼと話があると言うので、アルベールたちは彼をおいて急いでローゼリア国の緑の塔に戻ってきた。

 シャーリーは部屋に寝かされていると言うので階段を駆け上がり、部屋に飛び込んだアルベールが見たものは、青白い顔で横たわるシャーリーの姿だった。

「シャーリー!」

 叫んで、駆け寄って、触れたシャーリーの頰は、びっくりするくらい冷たくて、アルベールは反射的に首に手を伸ばして脈を探る。

 小さいながらも脈が感じられたことに泣きそうなほど安堵して、アルベールはもう一度シャーリーの頰に触れた。

「ノーム、何があったんだ」

 シャーリーの枕元にノームの姿を見つけて問えば、いつになく悄然とした様子の彼が、ぽつりぽつりと、シャーリーの様子を語る。

「ゼレンシウスは魔力切れを起こしたんだろうって言ってた。リアムが人から魔力を奪ったときとは状況が違うんだって。リアムは人から魔力の源そのものを消し去るけど、シャーリーの場合は、魔力の入る器は残されていて、そこが空っぽになったから、魔力が回復するまで目覚めないだろうって。でも……シャーリーの魔力は、とっても多いんだって。女神の力が行使できるほどに、多いから……目覚めるほど魔力が回復するまで、いったいどのくらい時間が必要かわからないって……。もしかしたら、人の一生分……死ぬまで、シャーリーは目覚めないかもしれないって」

「そんな……!」

 アルベールの背後で悲鳴が上がった。

 振り返ると、アルベールを追いかけてきたアデルが蒼白な顔で両手で口を覆っていた。

「最後、危険なのは自分でもわかってたんだと思う。あとはお願いってシルフに頼んで、シャーリーは最後の空洞を埋めて意識を失ったんだ」

「……シャーリー…………

 何故、という言葉が口から出かかって、アルベールは寸前で飲み込んだ。

 何故なんて、そんなことわかっている。

 シャーリーのことだから、みんなのために無茶をしたのだ。シャーリーはずっと、無自覚に人のために自分を犠牲にしてきた。アルベールに出会ったときからそうだ。誰かのために動き回り、誰かのために無理をして、それでも微笑むのがシャーリーなのだ。

(でも、こんなことは予想していなかった……)

 魔力を「使う」ことを知らないアルベールは、魔力が何であるのかを正しく理解していなかったのだろう。

 それが有限な力だと、わかっていなかった。

 いつも無尽蔵に力を行使していたシャーリーの力に、限界があるなんて思っていなかったのだ。

 そっとシャーリーの手を握ると、こちらも氷のように冷たかった。

「シャーリー……」

 冷たくて、ピクリとも動かない指先に、アルベールの目から涙がこぼれる。

「シャーリー……シャーリー……」

 何度呼び掛けても、シャーリーからの返事はない。

 シャーリーの手を額につけて、アルベールは嗚咽を殺す。

「……すまないが、少しだけ二人きりにしてくれ」

 絞り出すような声で頼めば、みんな黙って部屋から出て行ってくれた。

「シャーリー……。結婚しようって、約束しただろう……?」

 すべて、終わったのだ。

 シャーリーはすべてをやり切った。

 あとは、シャーリーが予想した通りの結果になるかどうかだけだが、悪い結果になるなんて、アルベールは一つも疑っていない。今日が終われば、シャーリーと結婚できると、信じていた。

 平和な世界で、ずっとずっと一緒にいられるのだと、信じていたのだ。

「シャーリー…………、頼むから、目を開けて……」

 一人にしないで──

 熱を出して、シャーリーにすがったあの夜のように、アルベールはかすれる声でつぶやく。

 けれど、シャーリーからの返事はなくて。

 アルベールは息を殺して泣いた。

「ふんふんふーん……うん、美味しい!」

 小日向佐和子は鼻歌を歌いながら出来上がったばかりのカーリカーリュレートを味見して、満足そうに頷いた。

 カーリカーリュレートとはフィンランドのロールキャベツだ。

 ひき肉と玉ねぎとスパイス、そしてご飯を混ぜ合わせたタネをボイルしたキャベツで丁寧にくるみ、その後、煮込むのではなくオーブンで焼く。黒糖シロップをかけて焼き、ジャムを添えて食べる甘いロールキャベツである。

 朝の情報番組の料理コーナーの、フィンランド料理特集を担当することになった佐和子は、自宅のマンションのキッチンで、予行練習をしていたのだ。

(お母さんはそろそろ結婚しなさいなんていうけど、この生活は捨てられないわ)

 好きな料理を仕事にできて、自由に料理研究ができる毎日。三十二歳女性の独身者なんて世の中にはごまんといるのだから、焦ることはないと思う。

「次はロソッリと、ロヒ・ピーラッカは簡単で美味しいから外せないわよね」

 焼きあがったカーリカーリュレートを皿に盛ってキッチンの端によけておいて、佐和子はロヒ・ピーラッカで使うサーモンの下処理に入る。

 サーモンは刺身用のトラウトサーモンを使うと楽でいいが、普通の塩鮭を使うなら皮と骨を丁寧に取り外す必要がある。今日は冷凍庫に残っていた塩鮭を使うので、佐和子は丁寧に皮と骨を外して、表面に胡椒を振った。塩は、今日は塩鮭を使うので振らずにおく。

 熱したフライパンでサーモンを焼きながら、佐和子はふと考えた。

(カーリカーリュレートとロソッリとロヒ・ピーラッカだけだと、ちょっと少ないかしら? エドワルド様はすっごくよく食べるし、アルベール様のお弁当にするには彩が足りな……)

 ふんふんと鼻歌を歌いながらサーモンを焼いていた佐和子の手がぴたりと止まる。

「……今、わたし、何を考えたの?」

 じゅーっと音を立てるフライパンを見つめて、佐和子はゆっくりと目をしばたたいた。

 今、自然と、知らないはずの人の名前が、顔が、脳裏をよぎった。

 その知らない人たちは、佐和子の頭の中に現れてはシャボン玉のように消えて、また現れては消えるを繰り返している。

(……わたし…………

 フライパンから焦げ臭い臭いがしてきても、佐和子は動けなかった。

 ぱちぱちと瞬きをするたびに、シャボン玉のように頭の中に浮かぶ人たちがどんどん増えていく。

 その顔の、どれも知らないはずなのに、頭にその人たちの顔が浮かぶたびに懐かしさで胸が締め付けられそうになるのだ。

 ──シャーリー。

 ふと、知らない声が背後から聞こえた気がして、佐和子は振り返った。

 振り返った先には、壁と同化して見える作りの収納スペースと、それから冷蔵庫があるだけ。

 何もないはずなのに、収納スペースの白い扉に、知らない誰かが映って見えた。

 金色の髪に、空色の瞳の、優しい顔をした誰か。

 佐和子の手から、菜箸が転がり落ちる。

 優しい誰かは、微笑んでいるのに泣きそうにも見えて、佐和子の心をどうしようもなくかき乱す。

 ──シャーリー。

 聞こえないはずの声が、佐和子の耳を打つ。

「わたし…………約束したのに」

 ぽたり、と佐和子の目から涙がこぼれた。

 約束したのに。──絶対に、一人にしないって。

 ゆっくりと、白い扉に映った人に手を伸ばす。

…………アルベール様」

 その瞬間、佐和子の意識は真っ白に塗りつぶされた。

 シャーリーが目を覚まさなくなって三日がすぎた。

 その間にゼレンシウスが戻ってきて、イクシュナーゼが世界を創りかえるのを諦めたと教えてくれた。

 シャーリーが行った処置だけでは完全ではなかったそうだが、ゼレンシウスの説明を受けて、イクシュナーゼ自ら微調整をかけるらしい。

 その後、各国の神殿を通じて、世界への魔力供給が不要になったことを通知するそうだ。「神の信託」というやつだそうだが、そのあたりのことはアルベールはわからない。ただ、それはゼレンシウスの方で問題なく進めてくれるそうなので、アルベールが関知する問題ではないだろう。

 世界が魔力なしで崩壊しないことを確認してから、ゼレンシウスは少しずつ世界の魔力を自身に吸収していくそうだ。最初は様子を見ながら少しずつ行うが、数十年もすれば、世界から魔力は消え失せるだろう。

 じきに、シャーリーが望んだとおりの結果になる。

 もう、緑の塔に閉じ込められる魔力持ちの王族はいなくなる。

 世界の存続のために誰も犠牲にならなくていい世界。そんな夢のような世界がたった一人の少女の力で成し遂げられたのだ。

「シャーリー、全部うまくいったよ。イクシュナーゼは、あの氷の城でゼレンシウスと暮らすそうだ。もう世界には手出ししない。……だから」

 眠るシャーリーの頭を撫でながら、アルベールは目覚めない恋人にささやき続ける。

「……頼むから、目を覚まして…………

 息はある。心臓も動いている。

 でも、シャーリーはどれだけ呼びかけようとも目覚めない。

「シャーリー……」

 アルベールも王だ。永遠にここにいるわけにはいかない。婚約者が臥せっていると言って、父に無理を言ってローゼリア国に滞在させてもらっているが、それもあと数日が限度だろう。

 アルベールはシャーリーをブロリア国に連れ帰りたかったが、それはローゼリア国王が許さなかった。シャーリーはアルベールの婚約者であるとともに、この世界を救った女神なのだ。一握りの人しかその事実を知らなくても、アデルたちから説明を受けたローゼリア国王はそれを知っている。そんな英雄のシャーリーは、目を覚ますまで城で面倒を見る、それがローゼリア国王の判断だった。

 アルベールも、結婚前の婚約者を強引に国に連れ帰れないことはわかっている。

 シャーリーには家族だっているのだ。アルベールが勝手をすることはできない。

 アルベールが滞在する間は緑の塔にシャーリーを置いておいていいと言われたけれど、アルベールが国に帰るときに、ローゼリア城の一室に移されるそうだ。

 そして、緑の塔は封鎖される。魔力がなくなれば、やがて塔は枯れていくだろう。

「シャーリー……」

 シャーリーの手を握り締め、アルベールは呻く。

 そのときだった。

 ぴくり、とシャーリーの指先がかすかに──ほんのわずかにだが、動いた気がした。

「シャーリー?」

 ハッと顔を上げ、シャーリーの顔を覗き込む。

 声をかければ、今度は形のいい彼女の眉が揺れて、長いまつげが震えた。

「シャーリー!」

 思わず、アルベールは声を上げる。

 それに呼応するように、シャーリーの瞼がゆっくりと持ち上がった。

 アルベールは息を吞み、持ち上がった瞼の下から、彼女の綺麗なエメラルド色の瞳が現れるのを見つめる。

 ぱちぱち、と二、三度瞬いて、ぼんやりしていたシャーリーの目が、アルベールの方を向いた。

…………アルベール、さま?」

 三日も眠り通しだったからだろう。シャーリーの声はかすれていた。

 だが、シャーリーの声だ。

 シャーリーの……。

「っ」

 アルベールの目から、ポロリと涙が零れ落ちる。

 ベッドに横になったままのシャーリーを、覆いかぶさるようにして抱きしめれば、シャーリーがふっと吐息をこぼすような笑みをこぼした。

「……夢を、見ていたんです」

 囁くように小さな声で、シャーリーがつぶやく。