11 ゼレンシウス


「兄上!」

 銀髪の女が消えた途端、ぐらりとリアムの体が傾いだ。

 エドワルドが慌ててリアムを支えて、アデルとシャーリーも駆け寄る。

 一瞬、リアムがまた人形のようになってしまうのではと不安を覚えたシャーリーだったが、単純に体が本調子でなかったようだった。

「情けないところを見せたな」

 リアムは苦笑しつつ、エドワルドに支えられて部屋の中に入ると椅子に腰かける。

 シャーリーが呼び出した二つの剣は危ないので、部屋の隅に立てかけておいた。消そうとも考えたが、エドワルドが「また襲われるといけないから残しておいてくれ」と言ったためだ。

 本音は、気に入っただけのような気もするがまあいい。実際、再びあの女が襲って来たときに抵抗できる武器はあった方がいいのだから。

 銀髪の女のこと、リアムのことなど、気になる問題は多かったが、ひとまずリアムを休ませるほうが先決だろう。

 風呂にも入りたいと言うし、近づくと攻撃されるのでずっと着替えもしていない。

 体調が万全ではないのでもう少し待った方がいいのではないかと思ったが、本人が身だしなみをすごく気にしているので、ここで待ったをかけるのは可哀そうだった。

「お風呂準備してきますね。それまで休んでいてください」

 シャーリーはそう言って、あとをアデルとエドワルドに任せて階下へ降りた。銀髪の女のことがあったので、ウンディーネが警戒してシャーリーを追いかけて来る。

(あの女の人のことは気になるけど、ひとまずリアム様の快気祝いをしなきゃ!)

 リアムが元に戻ったことを喜びたいのに、銀髪の女に水を差されたようで腹が立つが、それとこれとはいったん切り離して考えよう。まずリアムの回復のお祝いだ。

 風呂にお湯をためて、念のためウンディーネに風呂場全体に結界を張ってもらっておく。

 入浴中に襲われたとしても結界が阻んでくれるはずだ。結界に反応があればウンディーネがすぐに気づくから駆けつけることもできる。

(リアム様の着替えはエドワルド様が城から運び込んでいたし……、のぼせないように水のペットボトルも持って来たし、ソープもシャンプーもあるし、入浴剤も入れたし、オッケーよね?)

 準備は万全だ。

 シャーリーがリアムを呼びに行くと、兄弟水入らずで楽しそうに談笑していた。

(エドワルド様もアデル様も本当に心配していたから、嬉しそうで本当によかったわ)

 シャーリーももちろん心配していたが、実の兄弟たちはその比ではなかっただろう。

「リアム様、お風呂の準備ができましたよ」

「ああ。ありがとう。それから、いろいろ迷惑をかけてすまなかったな」

「気にしないでください。リアム様が元に戻ったから、それでいいんです」

 心配はしたけれど、迷惑をかけられたとは思っていない。元に戻ってくれればそれでいいのだ。

 リアムはふわりと笑って、もう一度「ありがとう」と言うと、バスルームへ向かう。

 念には念をで、イフリートがついて行った。ノームは、シャーリーがバスルームの準備をしている間にアルベールのところへ戻ったそうだ。リアムと銀髪の女のことを報告するのだろう。

(イフリートがついて行ったら……バスルーム、暑苦しいことになりそう)

 イフリートは見た目も中身も暑苦しいのだ。大丈夫だろうか。

(いやでも、リアム様は大人だし、きっと大丈夫よね)

 シャーリーは強引に結論づけて、リアムが入浴している間に快気祝いの準備をすべくキッチンへ向かう。

 アデルはあまり長居をすると新婚の夫が心配するからと、シャーリーが事前に準備をしていた弁当を持って帰るようだ。シルフもいったんイリスの元に戻るようである。

 アデルはリアムともっと話がしたかったようだが、こればかりは仕方がない。

 名残惜しそうな顔をしつつ、また明日来ると言って去っていった。

 リアムがお風呂に入って、アデルが帰宅すると、エドワルドは暇だと言いながらゲームをするためにテレビの前に陣取る。

(リアム様が元に戻って安心した途端これだもの)

 シャーリーは思わず苦笑する。

 ここのところエドワルドがゲーム機に触れなかったのは、リアムのことが心配で暢気に遊んでいる気分ではなかったからだろう。

 ゲームのBGMを聞きながら、シャーリーは料理に取りかかった。

 快気祝いと言えばケーキがつきものだが、今からデコレーションケーキを作る時間はない。

 ショートケーキなどのデコレーションケーキを作る場合、スポンジケーキを焼いたあと冷ましたり、クリームを塗ったあとなじませたりする時間が必要で、丁寧に作ると非常に時間がかかるからだ。

 シャーリーは悩み、最終的に簡易版クロカンブッシュを作ることにした。

 小さなシュークリームを作ったあとで飴でタワー型にするには時間がかかるが、それをせずに、ただシュークリームを積み上げてイチゴやクリームなどで飾り付けすればそれほど時間はかからない。焼きあがったシュー生地も、他の料理を作っているうちに冷めるだろう。

 シャーリーはさっそくシュー生地作りに取りかかった。

 鍋に水、牛乳、バター、塩を入れて沸騰させ、バターが溶けたところで小麦粉を入れる。

 手早くかき混ぜていくと固まりはじめるから、さらに混ぜて、最終的に鍋の底にのり状の薄膜が張るようになるまでしっかりと火を通す。ここでしっかりと火を通しておくことがシュー生地を綺麗に膨らませるコツだ。ただし、焦がすのはダメ。

 その後生地をボウルに移し粗熱を取ったあとで溶き卵を加えて混ぜる。しっかり混ぜ合わせたら絞り袋に入れて鉄板に直系五センチくらいの円形に絞り出し、表面に艶出し用の卵の黄身を少量の水で溶いたものを塗る。

 あとはオーブンで焼くだけだが、最初は高温で、その後温度を少し落として焼くのがコツである。

 焼いている間にカスタードクリームを作って、バットに広げてラップをかけて冷ましておく。

 最終的に、シュー生地の中に詰めるときは、カスタードクリームに少量のホイップクリームを混ぜる予定だ。

 クロカンブッシュの下準備が終わったら、次に取りかかるのはメインディッシュである。

(やっぱり肉よね? エドワルド様はがっつり食べる派だし、リアム様も意外と食べる人だし)

 せっかくだから派手にドドンとおけるものがいい。

(七面鳥は三人で食べるには大きいし、作るのにも時間がかかるし……、巨大ハンバーグステーキにしようかな)

 ドン、と大皿に乗せて出して、みんなで取り分けて食べるのだ。迫力もあるし、満足感も高いはず。

(周りにグリルした野菜を飾れば華やかだし、ソースはステーキソースをアレンジして、牛肉の粗ミンチで、うん、これでいこう! ほかはスープと、メインが重たいから炭水化物はあっさり系のボンゴレパスタで。野菜類が少し足らない気もするから生春巻きを追加。……多いような気もするけど、エドワルド様とリアム様なら食べるでしょ)

 余ればアレンジして朝食に回せばいいだけの話だ。

 メニューを決めたシャーリーが巨大ハンバーグステーキの準備に取りかかったとき、リアムが入浴を終えてダイニングに顔を出したようだ。エドワルドとリアムの話し声が聞こえる。

「兄上、今日はご馳走みたいですよ」

 シャーリーが気合を入れてキッチンへ向かったのを見ていたエドワルドが、嬉しそうにリアムに報告していた。

 エドワルドにはすごく期待されているようだし、リアムが「楽しみだな」と笑う声も聞こえてきたので、頑張らなければなるまい。

 耳を傾けていても銀髪の女の話題は出てこないので、今はその話題には触れないつもりなのだろう。明日アデルが来て改めてするのかもしれないので、シャーリーも話題が出るまで聞かないでおくことにする。

「あ、そうだ! 兄上、あいすくりーむを食べませんか?」

 どうやらアイスクリームを持って行って食べてもらえなかったことを根に持っているのか、エドワルドにリアムがアイスクリームをすすめはじめた。

(って、エドワルド様すでに二個も食べてるくせに、食べすぎてお腹痛くなっても知らないわよ?)

 シャーリーはあきれつつも、仲良さげな兄弟の会話に、くすりと笑みをこぼした。


「ひとまず、リアム殿下が元に戻ってよかったな」

 快気祝いの晩餐を終え、シャーリーが就寝のために自室に戻って少しして、シルフのテレポートでアルベールがやって来た。

 アルベールが来ることはわかっていたので、二人分のお茶の用意はすませている。

 テレポートでこちらへ来られるようになってから、アルベールは就寝前には必ず顔を見せてくれるようになった。

「そうなんです。ただ、ノームに聞いていると思いますけど、リアム様が元に戻ったと思ったら、変な女の人に襲われて……、その話は、明日の午後、アデル様が来てからするみたいなんですけど」

「明日の午後か……。会議が入っていたな」

 アルベールは相変わらず忙しいようだ。

「戦場になった地域の復興具合はどうですか?」

「すぐにどうにかできる問題ではないが、少しずつ前に進んでいるよ。燃えてしまった森への植林も開始したしな」

 ブロリア国の南の森は、クレアド軍を追い詰めるためにイフリートが火を放って燃やし尽くしたのだ。すっかり丸焦げになった森を元に戻すには長い時間がかかるだろうが、こればかりはコツコツ進めていくしかない。

 クレアド国との戦争で犠牲になった兵士の家族への補償や、巻き込まれて生活に困っている人のための仮設住居建設、移動も大半が終わったらしい。

 おかげで国の財源の半分以上がからっぽになって、このあとどうやりくりするかで頭を悩ませていると言う。

 戦争で被害が出たのは土地や人、住居だけではなく、経済もなのだ。

 農村地の被害も出ていて、食料価格が高騰している。かといって、だったら急いで畑を耕せばいいだろうという簡単な問題でもない。農村で暮らしていた住人にも巻き込まれて命を落とした人々が大勢いるのだ。人手の問題、心のケアの問題など、課題は山積みなのである。

「ローゼリア国から支援物資があるのは助かっているよ」

 ローゼリア国からも、他の同盟国からもブロリア国へ支援物資が送られている。だが、それだけではまだ足りない。

「わたしが指パッチンで呼び出したものをお届けできればいいんですけど……」

 それが一番手っ取り早いのだが、そんなことをすればシャーリーの秘密がばれてしまう。そのため、シャーリーが力を使うことをアルベールが了承してくれないのだ。

「って、小難しい話はやめよう。今くらい頭を休ませたいよ」

 アルベールが甘えるようにシャーリーにすり寄って来た。

 抱き寄せられたので、彼の背中にそっと腕を回す。

 シャーリーの頭にすりっと頰を寄せて、アルベールが息を吐いた。

「はあ、こうしていると本当に落ち着く」

 アルベールは落ち着くらしいが、シャーリーはドキドキするからちょっと落ち着かない。

 アルベールは抱きしめる以上のことを求めてはこないが、やっぱり二人きりになると、妙にそわそわしてしまうものだ。

 ウンディーネたちは気を利かせて部屋から出ているので、本当の意味で二人きりなのである。

 シャーリーを抱きしめたまま、アルベールは快気祝いのときに作ったクロカンブッシュの残りを口に入れて満足そうな顔をする。

「そう言えば、三日後の午前中なら時間が取れそうなんだ。ええっと、ゼレンシウスだっけ? 彼に会いに行くならその日がいいんだけど……調整できそうかな?」

「エドワルド様もリアム様も当面こちらで生活しているので、いつでも大丈夫だと思いますけど……お城を抜けて大丈夫なんですか?」

「そのあたりはうまくするさ」

 国王陛下がいなくなったら城が騒然としそうだが、周囲に気づかれないようにする作戦がアルベールにはあるらしい。

(アルベール様がそう言うなら大丈夫かしら?)

 エドワルドのように勢いで突っ走るようなことはするまい。

「では三日後で、エドワルド様とリアム様に伝えておきますね。たぶん、リアム様もついて行くと言いそうなので」

「うん、頼むよ」

 ゼレンシウスに聞けば、もしかしたらあの銀髪の女のこともわかるだろうか。

(次から次へと訳がわからないことだらけで困っちゃうわ)

 問題が片づく前に次々と山積みにされていくと、いつか身動きが取れなくなりそうだ。早めに片づけられる問題から片付けてしまいたい。

 シャーリーはやれやれと息をついた。

 午後にアデルが緑の塔にやってくると、シャーリーたちはさっそくリアムの話を聞くことにした。

 ダイニングにはリアム、アデル、エドワルド、シャーリーのほかに、フェンリル以外の精霊も集まっている。本日もノームがアルベールのお使いでやってきたのだ。

 人数分の紅茶を用意し、朝に作っておいたウィークエンドシトロンも用意した。

 ウィークエンドシトロンは生地にレモンを加え、ケーキの表面をコーティングするグラスアローにもレモンの果汁を加えているため、レモンのさわやかな香りが紅茶によく合う。

 数日日持ちもするので、パウンド型で五本焼いておいた。アデルが帰宅するときに、アデルが持ち帰る分で一本、イリスに渡してもらう分で一本、今夜アルベールに出して残りは持ち帰ってもらう分で一本使うので、今は二本分を切って出す。

「いい匂いがするケーキだな!」

 エドワルドが期待に瞳を輝かせてフォークを握る。

 リアムの話を聞く予定なのに早くもケーキに夢中になったエドワルドにシャーリーは苦笑した。精霊たち──主にイフリートとノームがよく食べるので、最近食事は争奪戦なのだ。取られる前に食べようとするエドワルドはまるで子供のようである。

(二本切ったから量は充分だと思ったんだけど、この分じゃ足りなかったかな……)

 さわやかな香りのケーキなので、アデルもリアムも気に入ったのか、食べる速度が速い。

「これは美味しいね。わたしは好きだな」

「ああ、紅茶によく合う」

「軽いから何個でも食べれるな!」

 そう言いながら、エドワルドが二個目のケーキに手を伸ばす。

 バターもそれなりに使っているし、グラスアローで表面をコーティングしているからなかなか甘いので、決して軽くはないと思うのだが、エドワルドにはそうなのだろう。

「あの、それで……リアム様はブロリア国の緑の塔からいなくなったあと、どうされていたんですか? というか、どこにいたんですか?」

 いつになっても話がはじまりそうにないので問いかけると、ケーキをひと切れ食べ終えたリアムが紅茶で喉を潤して口を開いた。

「ああ、そうだったな」

 ケーキの魔力、恐るべし。今日の目的はそれなのに、今の今まで忘れていたような口ぶりだった。

「そうだな……何から話すか……」

 リアムは思案顔になって、記憶を探るように目を細める。

「あの日──、ブロリア国の緑の塔の地下の泉で、私は緑の蔦の観察をしていた。その時、何気なく緑の蔦に触れたとき、急に視界が真っ白になって、気がついた時には妙な洞窟にいたんだ」

「え……? 蔦に触れた瞬間に移動したんですか……?」

 シャーリーは鉢植えを作るときにいつも蔦に触れているが、そのような妙な現象にあったことはない。

(それに、妙な洞窟って……)

 妙な洞窟と言われる場所に、シャーリーは一つしか心当たりがない。

「洞窟って……もしかして、鍾乳石と、青く光る水晶がたくさんある場所ですか?」

「そうだが、どうしてシャーリーが知っているんだ?」

 驚いたように目を見張るリアムに、シャーリーは先日、エドワルドとともに地下を探索したことを伝えた。

 するとリアムがキラキラと目を輝かせて身を乗り出す。

「それはすごいな。ぜひ私も──」

「その件はあとにして、兄上、続きをお願いします」

 話が脱線しそうな気配を感じたのか、アデルがリアムの言葉を途中で遮って続きを促した。

 研究者気質のリアムが興味を示せば、いろいろな考察がはじまって絶対に話が長くなる。洞窟に興味を示すのは後にしてほしい。

「そうだな。ええっと、それでだな。そのあとの記憶は曖昧なんだが……、洞窟の奥に進むと、大きな水晶があって、そこに私が閉じ込められていたんだ」

 リアムはゼレンシウスを見たのだろう。びっくりするほどそっくりなのだ。自分自身と勘違いして驚愕してもおかしくない。

「驚いていると、不意に銀髪の女──昨日、襲い掛かってきた女が目の前に現れた。そのあとは、申し訳ないんだが、どうしていたかは記憶にないんだ。あの女が何かをしたのだろうとは思うんだが……」

「確かに、その女に会った直後から記憶がないなら、その女が怪しいですね」

 エドワルドが思案顔になる。

 リアムはつい昨日まで何者かに操られているように様子がおかしかった。エドワルドの言う通り、犯人は銀髪の女と考えるのが自然だろう。

(……なんてひどいことをするのかしら)

 つまり、リアムは一年以上、自分の意志を乗っ取られていたのだ。許せない。

 シャーリーは沸々とした怒りをぶつけるように、フォークをケーキに突き刺した。

(やっぱり、ゼレンシウスに聞くしかないみたいね)

 あの女が何なのか。どうしてリアムが行方不明になっていたのか。

 リアム自身にわからないのだから、ほかから情報を得るしかない。

 明後日、アルベールがこちらに来て、ゼレンシウスに会いに行くことになっている。

「それでシャーリー、君が洞窟に行ったときのことを教えてくれないか?」

 自分の話が終わると、リアムが先日の話を聞きたがった。

 シャーリーがゼレンシウスに会ったときのことを伝えると、リアムが眉を寄せて顎に手を当てる。

 そして、難しい顔で、ぽつんとつぶやいた。

「私にそっくりなゼレンシウスという男は、イクシュナーゼと言ったのだろう?……まさか、昨日の銀髪の女が、女神イクシュナーゼではないのか?」

 銀髪の女が女神イクシュナーゼではないのかというリアムが提示した仮説は、証明できないため保留にされた。

 そもそも女神イクシュナーゼは創世神話に登場する存在で、現実に彼女が存在していたとはどうしてもシャーリーには思えない。

 無神論者とまではいかないが、特別何かを信仰してこなかったシャーリーにとって、神様というものは想像の中だけの存在なのだ。

 ただ、ゼレンシウスという不思議な存在がいるのは確かだし、彼がイクシュナーゼという名前を口にしたのも本当だ。

 ゆえに頭ごなしに否定もできず、けれども推測で語るのも危険な気がして、情報が集まるまでは下手に結論付けない方がいいと言うことになったのだ。

 保留のまま二日が経って、ゼレンシウスに会いに行くためにアルベールがやって来た。

 ゼレンシウスのいたあの妙な洞窟まではシルフのテレポートで一瞬だが、何があってもいいように準備を整える。

 洞窟へ向かうのは、シャーリーとシルフのほかに、アルベール、エドワルド、リアムの三名だ。

 アデルもついて行きたがったがお留守番である。前回のように、シャーリーたちが地下に向かっているときに襲われると危険なので、『絶対防御』が使えるフェンリルがアデルの護衛として残ることとなった。

「フェンリル、もし何かあったときは頼んだぞ」

 アルベールがフェンリルの頭を撫でながら言う。

 フェンリルは気持ちよさそうに目を細めて「任せろ」と頷いた。ずっと一緒にいるからか、フェンリルもノームもアルベールにすっかり懐いている様子だ。

 エドワルドとリアムは、銀髪の女が来たときにシャーリーが出した剣を持っている。

 炎属性の真紅の剣をリアムが、氷属性の青銀色の剣をエドワルドが帯剣していた。ちなみにエドワルドは、イフリートの力を具現化した炎の剣も使えるので、氷属性の剣と炎属性の剣の二刀流である。ここ数日、必死に二本の剣を扱う練習をしていた。……お風呂場で。

 そんな二人をアデルが羨ましそうに見ていたので、もしかしたらアデルも魔法剣がほしいのかもしれないが、緑の塔の外に持ち出すことができないので諦めているようだった。こんな妙なものを持ち出したら大パニックになるからである。

「シャーリー、まるでピクニックに行くみたいだな」

 シャーリーがせっせと大きめのバスケットに飲み物やサンドイッチを詰めていると、アルベールが苦笑を浮かべた。

「念のためです」

 シルフのテレポートで一瞬で移動できるが、洞窟に長時間滞在する可能性もあるので軽食を持って行こうと思ったのだ。

「重そうだから、私が持つよ」

「ありがとうございます」

 アルベールがバスケットを持ってくれて、シャーリーの準備は整った。

 足りない分は指パッチン魔法を使えば呼び出せる。ただし、スナック菓子など販売されているものと違い、シャーリーの想像力の問題なのか、調理されたものを呼び出すなんて邪道だというシャーリーの意識的な問題のせいなのか、料理されたものは呼び出せないので、足りなくなって呼び出すのはお菓子の袋やペットボトル飲料、缶詰などに限定されてしまう。

「それじゃあアデル様、行ってきます」

「留守を頼むぞ、アデル」

「姉上、何かあればフェンリルの水鏡で連絡をください」

「フェンリル、留守を頼むな」

「それじゃあ、飛ばすよー!」

 シルフがそう言った直後、目の前が真っ白な光に包まれる。だがそれも一瞬のことで、一つ瞬きをした次の瞬間には、シャーリーたちは地下の洞窟の中にいた。

 乱立する鍾乳石に、岩肌から突き出している青白く発光する水晶のような鉱石。

 時折ピチャンと聞こえるのは、どこかから水がしたたり落ちている音だろうか。

 じめじめするとまでは言わないが、少し湿度が高い。

「あたしが先導するね! ついてきて!」

 防御に特化したシルフの先導で、シャーリーたちは洞窟を奥へと進んでいく。

 しばらく歩くと開けた場所に出て、中央に巨大な鉱石が柱のように立っていた。

 その鉱石の中には、リアムにそっくりなゼレンシウスの姿がある。目を閉じているところを見ると眠っているのだろうか。

「起きないなら殴ってみるか?」

 イフリートが乱暴な意見を口にして、ウンディーネに睨まれる。

「イフリートの馬鹿力で殴ったりしたら、あれが壊れるかもしれないでしょう?」

「て、手加減ぐらいはできるぞ……?」

 ウンディーネが大好きなイフリートがおろおろしはじめるが、ウンディーネはまったく相手にせずスルーである。

 いかにしてゼレンシウスを起こそうかと頭を悩ませているシャーリーたちをよそに、リアムだけが興味深そうにふらふらと鉱石に近づいて行った。

「これはいったい何なんだろうか。ガラスや水晶のようにも見えるが、違う気もする。あのときはよく見られなかったんだが、改めて見ると本当に不思議だな。光っているが、これはどうなっている? どうして光るんだ? 一部を持って帰って調べてみたい」

「リアム様、不用意に触れない方が……」

 言った端から、リアムが鉱石の肌に触れた。──その瞬間。

「え!?

「兄上、何をしたんですか!?

 青白い光を放っていた鉱石が、急にその光を失い、真っ黒に変色したのだ。

 触れたリアムもギョッとして、「な、何もしていない!」と慌てたように振り返る。その顔がいつになく動揺していた。

 おろおろしているうちに、パキッとガラスがひび割れるような嫌な音がした。

 まさか、と思って見てみると、黒く変色した鉱石にヒビが入っている。

「こ、壊しちゃった……?」

 あれが何かはわからないが、見るからに壊れている気がする。

「私は触れただけだ。どうしてこうなった? 一部を持ち帰りたかったのに……」

「リアム様、とりあえずその話はあとにして離れてください。割れて倒れてきたら大変です!」

「あ、ああ……」

 真っ黒く染まった鉱石は完全に不透明で、中にいたはずのゼレンシウスの姿すら見えない。

「ノーム、洞窟が崩れたときを想定しておいてくれ。大丈夫だとは思いたいが……」

「わかった! シルフもやばそうなら急いでテレポートさせてよね!」

「オッケー!」

 アルベールの指示に、ノームがいつも飄々としている顔を引き締める。

 シルフはどこか緊張感のない返事をして、けれども油断なく周囲に視線を這わせた。

 パキパキとガラスが割れるような音は続いている。鉱石から発せられた音だと思うけれど、妙に不安を誘う音だった。洞窟が崩れることはないと思いたいが、もしかしたらと思わせるほどに。

 やがて、ぺきっと嫌な音をさせて、鉱石の一部が剝がれ落ちるようにして崩れはじめた。

 前世にテレビで見た、南極の氷が割れるときのように、一つ、また一つと縦に綺麗に割れていき、崩れた欠片が積もっていく。

 半分以上が崩れたとき、真っ黒い鉱石の中からにゅっと腕がつきだした。

(ひ!)

 シャーリーはびくりとして、思わず後ろに一歩下がる。

「て、手が出てきたぞ……」

 エドワルドがごくりと息を吞んで、リアムが興味津々な顔で一歩前に出た。

 突き出した手は、周囲の鉱石を無理やり壊すように動いて、そして中からゼレンシウスが出て来る。

「まったく……やってくれたな……」

 あきれたような困ったような声で言いながら、ゼレンシウスがシャーリーたちを睨んだ。

「ここに来るなと言っただろう」

「ご、ごめんなさい!」

 シャーリーは反射的に謝った。まさか鉱石を破壊する結果になるとは思わなかったのだ。

 というか、どうして壊れたのか、シャーリーもいまだによくわからない。

 ゼレンシウスは真っ黒に染まった鉱石の残骸を見て眉を寄せた。

「まあいい。話はあとだ。イクシュナーゼに気づかれる前にここを出るぞ。さもないとそなたたちは全員イクシュナーゼの怒りを買って皆殺しだ」

「よくわからないがそれは困る! シルフ、テレポートだ!!

 皆殺しと言う単語に即座に反応して、エドワルドがシルフに指示を出した。

「エドワルド、待て、せめてあの欠片を──」

「兄上、そんな悠長なことは言っていられません!」

 まったくその通りである。

 皆殺しなどという恐ろしい単語を聞いてなお、あの妙な鉱石を調べたいと思えるリアムには感心するが、今はそれどころではないのだ。

 シルフも頷いて、すぐにテレポートでゼレンシウスを含めてこの場にいる全員を緑の塔のダイニングへ飛ばす。

 全員が戻ると、突然戻ってきたみんなと、それからゼレンシウスを見てアデルが目をしばたたいた。

「あ、兄上が、二人……?」

 アデルにはゼレンシウスのことを話してあるが、やはり実際目にすると、リアムと瓜二つのその容姿にはびっくりするのだろう。

 ゼレンシウスは、唯一リアムと違う緑色の瞳をぱちぱちとさせて、ぐるりとダイニングの中を見渡し、そして首をひねった。

「数千年のうちに、随分と妙なものが増えたんだな」

 その視線は、シャーリーが呼び出したテレビや冷蔵庫などに注がれている。

 だが、そんなことが気にならないくらいに、シャーリーは驚いた。

「数千年!?

 驚いたのはシャーリーだけではないようで、アルベールもリアムもアデルもエドワルドも瞠目してゼレンシウスを見ている。

 ごくりと唾を吞んだリアムが代表して口を開いた。

「ゼレンシウスと言ったな。そなたはいったい、何者なんだ……?」

 ゼレンシウスはリアムとそっくりな顔で、ニッと笑った。

「私はゼレンシウス。イクシュナーゼの伴侶にして、この世界を女神とともに創世したものだ」