お茶は少し長めに蒸らした濃いめの紅茶だ。ちょっと渋いくらいが、甘いパンケーキによく合うのだ。

 キャベツとベーコンのあっさり塩味スープと、ミニトマトの塩昆布サラダも添えてある。

 シルフに頼んで朝食を載せたトレイを結界の中に入れてもらう。

 ふわふわと宙に浮いたトレイがテーブルの上に着地すると、ややして、ぼんやりとベッドに座っていたリアムが立ち上がってテーブルへ向かった。

 反応は薄いが、食事はきちんと食べてくれるのだ。

 いつもはリアムが食事に手を付けるのを見てシャーリーは階下へ降りるのだが、今日は何となく、結界越しに話しかけてみることにした。

「そのパンケーキですけどね、コツは卵白を別に泡立てることなんですよ。全卵を泡立てるより、卵白を別に泡立ててから混ぜ合わせた方が、さくっと軽い感じに仕上がるんです。そのクリームには少しクリームチーズがあわせてあって、メープルシロップじゃなくてベリーのジャムをあわせても美味しいんですけど、エドワルド様がバナナを載せてほしいっていうからメープルシロップにしてみました。あと、そっちの小鉢のミニトマトサラダは、家庭菜園のトマトなんですよ。美味しいでしょ?」

 話しかけたところで反応がないのはわかっているが、綺麗な所作で朝食を口に運ぶリアムを見ていると、以前のように「美味しい」と言ってくれないかなと思ってしまう自分がいた。

 食事を美味しそうに食べてくれていたリアムを思い出すと、ツン、と鼻の奥が痛くなる。

「リアム様。リアム様が元に戻るのを、みんな待ってますよ」

 人形のように冷ややかなリアムではなく、優しいリアムに戻ってほしい。

 こらえきれず、ぽろりとシャーリーのエメラルド色の瞳から涙が一筋零れ落ちたとき、リアムがふと手を止めて顔をあげた。

 目が合ったように思えて、シャーリーは短く息を吞む。

 どこか焦点の合っていなかったリアムの琥珀色の瞳が、確かにシャーリーを映したように見えた。

「リアム様?」

 震える唇で、シャーリーはリアムの名前を呼ぶ。

 リアムは何も言わず、しばらくシャーリーを見つめたあとで、再び食事を取りはじめる。

(今、リアム様、反応した?)

 シャーリーの勘違いかもしれない。でも、勘違いではないかもしれない。

 リアムの反応は不確かなものだったけれど、そこに小さな希望を見つけて、シャーリーは袖で目元の涙を拭った。

「リアム様、お昼ご飯は天丼ですよ。楽しみにしていてくださいね!」

 シャーリーは黙々と食事を続けるリアムに向かって微笑んだ。


「兄上が反応した?」

 シャーリーが階下へ降りると、エドワルドはすでに食事を終えていた。

 王子様なのに、食べた食器をキッチンの流しまで下げてくれて、食後だと言うのに、ペットボトルのコーヒーを片手にクッキーをつまんでいる。

 充分ボリュームがあったはずなのだが、エドワルドには少し物足りなかったようだ。

 シャーリーがリアムが先ほど見せた様子を告げると、エドワルドがきらきらと顔を輝かせた。

「するとつまり、元に戻る可能性はあるんだな!?

「それはわかりませんけど、反応があると言うことは多少の変化があったんじゃないかなって思います」

「そうだよな!? よし、俺も話しかけてこよう!」

「あ、でも、反応があったのはちょっとだけでしたよ」

「それでもかまわん。あ、アイスクリームがあったな。それを持って行ってくる!」

 エドワルドが冷凍庫からアイスクリームを二つとスプーンを持ってダイニングを飛び出して行く。

 二つ持って行くあたり、自分も食べるつもりなのだろう。リアムのためというより、エドワルドが食べたかった感が否めない。

 リアムの部屋には結界が張ってあるし、エドワルドとともにイフリートも向かったから、何か問題が起こることはないだろう。

(今日の午後からはアデル様が来るっていうし、それまでにもう少し確かな反応があれば……って、期待しすぎかしら?)

 期待しすぎると勘違いだった時のショックが大きいけれど、期待せずにはいられない。

「リアム様のことはエドワルド様に任せて……イリス様とアデル様のお弁当とお菓子を作っておかないとね」

 アデルが帰るときにイリスの夕食を届けてくれることになっているのだ。

 お弁当と言ってもシャーリーはできるだけたくさんのおかずを詰めるようにしているから準備だけでも時間がかかる。

 加えて、お菓子も作るとなると今から取りかかっておいた方がいいだろう。アデルが来たあとは、話し込んで料理どころではなくなるだろうから。

 アデルが来たあとでシルフにテレポートで南の大陸の様子を調べてもらうことにしているから、話すことはたくさん出てくるだろう。

 それに、地下の妙な部屋にいたゼレンシウスにも、近いうちに会いに行く予定なので、それをいつにするのかの話し合いも必要だ。

 ゼレンシウスは来るなと言ったけれど、このままではあまりに意味不明すぎる。

 せめて彼が何者で、リアムをどうにかする方法を知らないかどうかは確かめたい。

(イクシュナーゼって言うのも気になるし)

 ゼレンシウスはイクシュナーゼに気づかれると言った。

 イクシュナーゼが女神を指すなら、それはそれで聞き捨てならないセリフだ。

(イクシュナーゼが実在するなら、ただの創世神話が作り話じゃなくなるけど……にわかには信じがたいのよね)

 本当に、この世界を創った女神様が実在するのだろうか。

 実在するのであれば、ゼレンシウスと女神はどういった関係なのだろう。

 そもそもゼレンシウスは何なのか。

 水晶のような鉱石の中に閉じ込められているだけで普通ではないのだ。

(っていうか、あの人、人間なの?)

 人はあのような場所で生きられるものだろうか。考えれば考えるほど疑問は尽きない。

 リアムの件がなければそれでも頑張って無視できたかもしれないが、来るなと言われても、今の状況でゼレンシウスを無視することは不可能なのだ。

(ゼレンシウスに会いに行くときは、アルベール様がテレポートでこっちに来たいって言ってるけど……王様業が忙しくてなかなか暇が作れないみたいだし、夜はともかく昼間にアルベール様がいなくなったことに気づかれると大騒ぎになりそうだわ)

 とはいえ、アルベールはシャーリーを心配して言ってくれているのがわかるから、無下にはできない。

 シャーリーとエドワルドが地下に向かったときにリアムが現れてアデルに襲い掛かり、『水鏡』で見ていることしかできなかったアルベールは、シャーリーたちにも何かあったのではないかと不安で仕方がなかったらしいのだ。

 そんな思いはしたくないから一緒に行きたいと言う彼の気持ちは、シャーリーにも理解できる。

 アルベールとエドワルドが戦地へ赴いていたときも、シャーリーは同じ気持ちだった。二人に何かがあったらと、不安で仕方がなかったのだ。

(イリス様も心配していたし、リアム様がこのまま少しずつでも反応を見せてくれるようになればいいけど……)

 イリスには、定期的にシルフから情報を流している。

 前世の記憶を取り戻すと同時に今世の記憶を失ったイリスにとって、リアムは名前だけしか知らない兄だが、それでも心配でないはずはない。

 魔力のないイリスは緑の塔に入れず歯がゆい思いをしているようなので、気分が少しでも晴れるように美味しいお菓子を作っておこう。

「よし、ガトーショコラにしようかしら」

 シャーリーはぱちりと指を鳴らして、チョコレートを呼び出した。



 午後になって、予定通りアデルがやって来た。

「兄上が反応を見せた?」

「はい。ただ、シャーリーにだけみたいで……俺が話しかけても、こちらを向いてすらくれませんでした」

 エドワルドがしょんぼりと肩を落としながら報告する。

 何が決め手だったのかはわからないが、朝食に引き続き、昼食を運んだときも、リアムはシャーリーの声には多少の反応を見せたのだ。

 実の弟ではなくシャーリーの声に反応するリアムに、エドワルドは内心複雑なようである。

「でも、わたしが話しかけても、リアム様が反応してくれるのは食事中だけですよ」

「それなら、シャーリーが作る食事に反応しているんじゃない?」

 アデルが何気なく言った一言に、エドワルドがポンと手を叩いた。

「それだ! アイスクリームには反応しなかった! 渡しても食べなかったし」

(うん? するとアイスクリームは二個ともエドワルド様が食べたってこと?)

 エドワルドはカップアイスを二個持って行ったはずだ。戻って来たときは二個とも空になっていた。朝食のパンケーキを食べた後でクッキーを食べてアイスクリームも二個完食とは……。それだけ食べて、よく太らないものだ。

「よし、シャーリーが焼いた菓子を持って行こう。シャーリー、朝に何か作っていただろ?」

「ガトーショコラならありますけど……って、さっき昼食を取ったばかりですよ?」

 エドワルドと違って、リアムの胃は底なしではないだろう。さすがにもう少し時間を空けないと食べてくれない気がする。

 リアムの反応を引き出したいエドワルドが、むぅっと眉を寄せると、アデルが「まあまあ」と弟の肩を叩いた。

「反応があっただけでも朗報だよ。ティータイムのときにでも持って行ってみよう。先に南の大陸の話をはじめたいんだけど、いいかな? ところでアルベール陛下は?」

「アルベール様は、どうしても時間が取れないみたいで今は『水鏡』をつないでいないんです。その代わり、ノームを遣わせてくれました。ここでの話はあとでノームが伝えてくれるそうです」

「えっへん」

 ノームがテーブルの上に仁王立ちして胸を張る。

 精霊たちの存在は内緒なので、アルベールが『水鏡』を使えるのは彼が自室に一人きりのときだ。国王ともなれば、日中はたいてい誰かが側にいる。予定が立て込んでいないときは隙を見てひとりになっていたようだが、頻繁に時間が作れるわけではないのだ。

「即位したばかりだと、特に忙しいよね」

「そうみたいです。今は先王陛下──アルベール様のお父様の体調も少し落ち着いて来たみたいで、いろいろ補佐をしてくれて助かるとおっしゃってました」

 アルベールが即位するまでの準備期間は一年しかなかった。

 アルベールが優秀で、また国を救った英雄として国民から受け入れられているのは間違いないが、本来ならば何年も──場合によっては十年以上かけて少しずつ作っていく地盤と経験が、アルベールにはない。

 それは本人も自覚する所で、補佐ができるまで父親が回復してくれて助かったとこぼしていた。アルベールの母は男爵家出身で政治的な問題に疎く、母方の実家もまた然り。外戚を取り立てて地盤を固めつつ──というありがちな方法も、母方の実家では不可能だったのだ。

 つまりアルベールは今、信用できる人間を探しては身の回りを固めている最中なのである。

 武官の中には、ブレンダン将軍のようにアルベールが信頼する人もそこそこいるそうだが、文官でよく知る人物は少ないという。

 そのため、本来ならば臣下に任せっきりでもかまわない仕事も、自身が信用できる人間がまだ少ないという理由でアルベールが抱えているものもあるらしい。

(そんなことをしていたらいつか倒れたはずだもの。先王陛下が回復してくれて本当によかったわ)

 アルベールの父も、本当ならばすぐにアルベールを即位させるつもりはなかったらしい。

 まだ教育が足りていない部分があることはわかっているので、体調を見ながらできるところは仕事を引き受けてくれていると聞く。

「そうか。それじゃあノーム、お願いするよ」

「お願いされてあげるよ!」

「姉上、南に何か動きがあったんですか?」

「それなんだけどね……」

 シャーリーが入れた紅茶に口をつけつつ、アデルが言うことには、南の大陸の国の一部で、戦争が起こりそうな気配があるらしい。

 王都に入って来た旅商人からの情報で、武器商人の動きが活発化しているというのだ。

 この時点ではどこの国が戦争を起こそうとしているのか、それが一か国なのか複数なのかはわからないそうだが、戦争に巻き込まれたくない一部の商人たちが北の大陸に移動をはじめているという。

 このタイミングでの戦争となると、緑の塔が枯れはじめたのが理由だろう。

「こちらにも拠点を持っている商人たちが移動してくるのはさすがに止められないからね。ただ、この動きが一般人にまで広がって、移民が押し寄せてくると困る。だから、シルフに南の大陸に偵察に向かってほしいんだけど……」

「わかった。ちょっと行ってくるよ」

 ダイニングテーブルの上に胡坐をかいてクッキーを食べていたシルフが、羽をはためかせて宙に浮かぶと、ひらひらと手を振って消える。テレポートしたのだ。

「本当に戦争がはじまると困りますね」

「うん。八か国会議の決定だと、あちらから助けを求められない限りは放置と言うことになっているからね。助けを求められたら蔦の鉢植えを提供するのは問題ないんだが……」

「移民は受け入れないって決まったんでしたっけ」

「そうなんだ。受け入れ態勢がないのも本当なんだけど、移民が押し寄せてきた場合、南の大陸に近い国々で流れてきた移民が暴動を起こすかもしれないだろう? こちらに影響が出ないとも限らないから、できれば戦争は未然に防いでおきたいんだけど……、関わりが薄い大陸の国相手だと、こちら側から勝手に干渉できないからね」

 シャーリーにはいまいちわからない政治に関する難しい問題だ。

 今までなら難しい話はわからないから頭のいいアデルたちに任せておこうというスタンスだったシャーリーだが、不可能だと思われたアルベールとの結婚が可能になりそうな今、わからないままにしておくことはできなかった。

 小難しい政治問題も、少しずつ理解できるようにならなければ、将来アルベールを支えられない。

 むむっと真面目な顔で考え込んでいると、アデルが苦笑した。

「シャーリー、国とか大陸とかで考えるからわかりにくいのかもしれないけど、そうだね……例えば、シャーリーのフォンティヌス家を一つの国として考えよう。フォンティヌス家の親戚が大陸。フォンティヌス家の親戚筋でもない貴族たちが、いきなりフォンティヌス家や親戚の家に大勢押しかけてきて、今日からここで生活させてくれと言われたらどうする?」

「え、無理です!」

「まったく同じではないけど、それと似たようなことが起こると思ってくれていいよ。いきなり受け入れろと言われても困るだろう? 各国がそのような状況だ。そして、親戚筋でもない貴族の問題にシャーリーやフォンティヌス家が勝手に首を突っ込むこともできないだろう?」

「なるほど……」

 アデルの説明でシャーリーも理解できた。国なんだから移民くらい受け入れればいいのに、と考えてはいけないのだ。

 前世では先進国が移民を受け入れたりするのは比較的当たり前で(もちろん移民問題で国民の雇用状況が圧迫されるとかいろいろ難しい問題はあったみたいだが)、こちらも同じ物差しで考えていたけれど、同じで考えてはいけない異世界だった。

 そもそも先進国とか発展途上国とかという位置づけすらない。

 こちらの世界には、先進国なのだから他国を援助するのは当然だというようなボランティア精神も義務もないのだ。

 同盟も結んでいないほかの国のことなんて知らない、というのが基本のスタンスなのである。

 移民が流れて来ることを想定して事前に体制を整えることなんてしていないのだ。

(ここまではわかったけど、つまり要約すると、移民が流れたときの防波堤は考えておくべきだけど、手助けできることはないってことよね? あっち側が助けを求めてこない限り……)

 戦争は防ぎたいとアデルは言うが、こちら側から干渉して戦争を回避する方法はないに等しい。

 どうしたものかな、と困った顔をするアデルと一緒に唸っていると、お菓子が収納された棚からポテトチップスを持って来たエドワルドが口を開いた。

「精霊の力を使って、緑の蔦をこっそり植えて来たらどうですか? 別に鉢植えにこだわる必要はないでしょう。魔力持ちがいなければどうしようもないですけど、いれば大地が枯れるのは防げるでしょうし」

「「…………」」

 シャーリーとアデルは顔を見合わせて揃って沈黙した。

(勝手に植える? その発想はなかったわ……)

 目からうろこの発想だった。

 驚いていると、エドワルドがポテトチップスの袋を開けながら続けた。ちなみにコンソメ味だ。最近のエドワルドのお気に入りである。

「戦争問題は十中八九、緑の塔が枯れて国が滅びそうだから起こっているんでしょう? クレアド国の結果を見ても、緑の蔦の鉢植えによって、国の砂漠化が止まり、新芽が芽吹いたとのことですし、滅びが止まればわざわざ戦争を起こしたりしないんじゃないですか? 戦争の芽が完全に摘めるかどうかまではわかりませんけど、少なくとも開戦していなければ様子見になるんじゃないですか?」

 領土拡大を狙って野心的に他国を侵略するのではなく、住む場所を求めての戦争ならば、今までの場所に問題なく住めることがわかれば無理をして他国に攻め入るようなことはないはずだ。

 期待通りに物事が運ぶかどうかはわからないが、やってみる価値はありそうな案だった。

 もちろん、精霊という自由に動ける存在がいてこその案で、言ってしまえば国同士の関係を完全に無視した反則技だが、そんなことは気にしない。

「ただいまー!」

 エドワルドの案にシャーリーもアデルも乗り気になったところで、南の大陸を探りに行っていたシルフが戻って来た。

「どうだった?」

 シルフを労いつつアデルが訊ねると、シルフはダイニングテーブルの上に降り立って、広げられている地図を指さす。

「緑の塔の蔦の色が変色しはじめているのは、こことこことここの三カ所だったよ」

 シルフが指さした国は、隣り合う三つの国だった。ずっと前に滅んだと言う、今は砂漠化した旧ゼラニア大陸にほど近いところにある、南の大陸でも南西側に位置する三国だ。

「他にもあるかもしれないけど、目に見えて変化があったのはこの三国。それから、風でみんなの噂話を集めてみたところ、この三国は協力して他国を攻めるみたいだよ」

「戦争の噂は本当だったのか。しかも三国が協力態勢にあるなんて……開戦したら、下手をしたら大陸全土を巻き込むくらいの大戦争になりかねないよ」

 シルフが示した国には大国もある。必ずしも国土面積が軍事力と比例しているわけではないけれど、少なくともその広大な国土を守れるくらいの規模の軍は抱えているはずだ。

「急いだほうがよさそうだな」

 エドワルドも厳しい顔になっている。

「そうですね。蔦を植える場所は、王城の敷地内がいいですよね」

「ああ。緑の塔が目に見えて枯れはじめたってことは、すでに国内の土地にも影響が出ていると見ていい。蔦を植えて、崩壊が止まり、大地から新芽が芽吹けば、他国の侵略を思いとどまるかもしれない」

「あとは、その三国に魔力持ちが残っていることを祈るだけだな……」

 エドワルドの意見に、アデルも大きく頷いた。

「急ごう。すでに開戦準備をはじめているなら、一刻の猶予もないはずだ。シャーリー、蔦の鉢植えはどのくらいある? 数が多ければいいというものでもないかもしれないけど、あるだけすべて運んで植えてしまおう」

「今、十個あります!」

「わかった。一つはここに置いておくとして、各国三鉢ずつ使おう」

「また作っておきますね」

「そうだね。いつ必要になるかわからないから」

 シルフのテレポートで、人には見えないように姿を消した精霊たちが鉢植えを持って移動する。これで何かしらの変化が出て、戦争が回避されることを祈るばかりだ。

 精霊たちが戻ってくるのを待つ間、シャーリーたちはガトーショコラと紅茶を持ってリアムの様子を見に行くことにした。

 リアムは相変わらず、部屋でぼんやりしていた。

「兄上」

 アデルが結界の外から話しかけても、リアムは反応しない。

 ウンディーネたちは緑の蔦を植えに行ったが、シルフだけは残っていたので、シルフに頼んで部屋の中に紅茶とガトーショコラを運んでもらう。

「リアム様、今日のおやつはガトーショコラなんですよ」

 シャーリーが努めて明るい声を出すと、ぼんやりしていたリアムが顔をあげた。

「反応した……。あいすくりーむでは反応しなかったのに」

 エドワルドが目を見張る。

 リアムは緩慢な動作でガトーショコラが置かれたテーブルに移動すると、それを静かに口に運んだ。

 半分ほど食べて、リアムは手を止めると、じっとシャーリーの方を見つめる。朝よりも、はっきりと視線が絡んだ気がした。

(……何か、言いたそう?)

 どうしてだろう。シャーリーはリアムが何かを伝えたがっているように思えてならなかった。

「兄上、一体何があったんですか?」

 アデルが声をかけるが、リアムはただこちらを見つめるだけで何も言わない。だが、リアムの様子をじっと見つめていたシルフが、ぽつりと言った。

「最初は心が死んだのかと思っていたけど、まだ残っているみたいだねー」

「え……?」

「だから、彼。なんだろう……、はっきりとはわかんないけど、前も言った通り傀儡魔法にかけられた感じなんだと思う。あたしが知っている傀儡魔法って時間が経つと心が死んじゃうんだけどさ、見たところ、彼はまだ残ってるみたい」

「つまり、どういうこと?」

「何者かに操られているかもねってこと。反応があったってことは、その魔法に必死で抗っているのかもしれないよ」

 シルフの見立てに、シャーリーたちはそろって息を吞む。

「シルフ、リアム様が誰かに操られているとして、それって解ける?」

「残念ながらあたしが知ってる魔法じゃないから、あたしが解くことはできないよ。だから彼自身が頑張るしかないんだろうけど、彼自身が抵抗できてるってことは、解ける可能性はゼロじゃない」

「本当か、シルフ!」

 エドワルドがリアムと同じ琥珀色の瞳を輝かせた。アデルも身を乗り出してシルフを見る。

「たぶんね。ただ、シャーリーの料理が何かのトリガーになっているのかもしれないけど、反応を見るにちょっと弱いんだよねー。もう少し、彼にとって刺激が強そうなものはないかな? こう、ガツンときそうなやつ!」

「刺激……?」

「彼が好きなもの、驚くもの、興味を示すもの、なんでもいいよ。とにかく、彼の心が大きく揺さぶられる何かだよ」

「だったらシャーリーが指パッチンで出すもの以外ないだろう! シャーリー、シャーリーが出したもので兄上が好きそうなものはないのか?」

「きゅ、急に言われても……」

 シャーリーがリアムとすごした時間は短い。リアムが何に興味があって、何を好んでいるのか、それほど知っているわけではないのだ。

(リアム様が喜んだもの……。料理もテレビ電話もジムも喜んでくれたけどなんか違う気がするし……。緑の蔦の研究は楽しそうだったけど、これもちょっと……。あとは……)

 その時、ふと、過去に聞いたリアムの言葉が脳裏をよぎった。

 ──夜空が見たい。

 シャーリーがリアムになにかほしいものはないかと訊いた時、彼が言ったのだ。

「プラネタリウム!!

 シャーリーは叫ぶと同時にパチリと指を鳴らした。

 以前リアムのために出した家庭用のプラネタリウム投影機がシャーリーの目の前に出て来る。

「なんだそれ」

 エドワルドが不思議そうな顔をした。エドワルドはプラネタリウムの話をしたとき興味を示さなかったから、これを見せるのははじめてだ。

「シルフ、これを部屋の中に入れて、このスイッチを入れて。それから、部屋の灯りを全部消して、真っ暗にしてほしいの」

「オッケー!」

 シルフが気安い調子で引き受けて、球体の形をしたプラネタリウム投影機を部屋に運ぶ。

 そして、シャーリーが頼んだ通りスイッチを入れて部屋の中を真っ暗にすると、暗くなった部屋の壁や天井に、無数の星がきらめいた。

「なんだこれ……」

「すごいね……」

 エドワルドとアデルが驚いたように部屋の中に出現した夜空を見やる。

 リアムが顔をあげて、じっと食い入るように天井の星々を見つめた。

(お願い、何か反応して……!)

 祈るような気持ちで指を組んでいると、天井から何気なくシャーリーの方に視線を移したリアムが突如勢いよく立ち上がる。

 そして──

「逃げろ!!

 久しく聞いていなかったリアムの声が耳に届いたのと、シルフが「ウインドバリア!!」と叫ぶのはほぼ同時だった。


 リアムとシルフの叫び声を聞いた直後、キィンッと金属の弦を弾いたような甲高い音が響いた。

 振り返ると、シルフが張った透明な結界に無数の弓が突き刺さっていた。

「なに、これ……」

 茫然とつぶやいたシャーリーの前に、一人の女性が立っている。

 長い銀色の髪。透けるように白い肌。白いドレスを身にまとった、恐ろしいまでに綺麗な女性だった。彼女の周りに、シルフの結界に突き刺さっているのと同じ形状の弓が浮かんでいる。

 アデルが剣を探すように腰に手をやり、そこに何もないことに気づいて舌打ちした。アデルは普段から帯剣しているわけではないのだが、つい反射的に確かめてしまったようだ。

 アデル同様エドワルドも帯剣しておらず、悔しそうに唇をかむ。

「勘弁してよ、なんなのさあの女」

 苦しそうな声に振り返ると、シルフが眉を寄せていた。

 シャーリーのそばまで飛んでくると、シルフは肩に乗って休みながら、「あれと同じのはあと二回防ぐのが限度だよ」とシャーリーにだけ聞こえるような小さな声でつぶやく。

(限度って……シルフがそう言うくらいに、強いってこと?)

 ゲームの中のキャラクターとはいえ、シルフはステータスがカンストしている精霊王だ。

 しかも防御に特化した存在である。

 そのシルフをして、あと二回が限度なんて、どれだけ強い攻撃だったのだろう。

 女は、髪と同じ銀色の瞳に冷たい色を宿して、シャーリーたちをへいげいしている。

「妾の邪魔をして……」

 透明感のある美しい声だったが、そこには深い怒りが込められていた。

 女がすっと手をあげる。

 それは小さな動きだったが、女の動きに反応して、無数の弓が襲い掛かって来た。

 シルフが結界で防ぐも、「ぐっ」と小さな声でうめく。

(あと一回……)

 二回が限度と言うことは、あと一回あれと同じ攻撃を食らえばシルフの結界が消えてしまう。

 何が何だかわからないが、今が絶体絶命のピンチだと言うことだけはわかった。

(ほかに精霊王を呼び出そうにも、ステータスを確認しないと無理だし結構時間もかかるし……!)

 シャーリーはパニックになりそうな自分を叱咤して、何か打開策はないかと必死に頭を悩ませる。

 そのとき、ぽん、とシャーリーの肩に誰かの手が置かれた。

 振り返ると、そこにはリアムがいて、さっきまで人形みたいだったのが噓のようにはっきりした表情を浮かべていた。

「剣を出せるか? 私が時間を稼ぐ。あの女は、長時間あの姿を保っていられないんだ。あれは実体じゃないからな。あと、そうだな……五分。五分耐えればあれは消える」

「消える? 実体じゃないって……」

「兄上、どういう意味ですか? というか、大丈夫なんですか?」

 心配そうなアデルに、リアムは安心させるように微笑んで見せた。

「心配かけた。もう大丈夫だ。……エドワルド、いけるか?」

「もちろんです。シャーリー、俺にも剣を」

「だったら魔法剣にしなよシャーリー。炎でも氷でも何でもいいから、攻撃力が高いやつ」

 シルフが肩の上で指示を出す。

「魔法剣!?

 そんなことを言ったって、ゲームに登場する魔法剣の攻撃力なんて覚えてない。

 シャーリーが言い返すと、「そんなん無敵なやつを想像すればいいだけでしょ!」とシルフに返された。無茶を言ってくれるものだ。

(無敵なやつ? 無敵? もう、なるようになれ!!

 絶対負けないやつと念じて、シャーリーは指をパチリと鳴らす。

 すると、目の前に刀身が真紅のものと青銀色の二本の剣が現れた。

 リアムが真紅のものを、エドワルドが青銀色のものを手にして、結界の外に躍りでる。

「シルフ」

「任せといて! フェンリルみたいに絶対防御は使えないけど、二人に攻撃が当たらないように防いでみせるよ」

 シルフがシャーリーの肩の上で中腰になり、真剣な顔で二人の動きを追う。

 リアムとエドワルドはさすが兄弟と言うべきか、息がぴったりの動きで、左右から女に斬りかかった。しかし、女が手を振ればその周りに無数の盾が出現して二人の攻撃を阻む。が、シャーリーが「無敵」を想像したからか、いくつかの盾は二人の剣にはじけ飛んだ。

「シャーリー、お前は天才だ!!

 確かな手ごたえを感じたらしいエドワルドが、興奮したように叫ぶ。

「あの女性……。何もないところに何かを呼び出せるなんて、シャーリーみたいだ……」

 リアムとエドワルドの動き、そして銀髪の女の動きを目で追いながらアデルがつぶやいた。

 はらはらしながらリアムとエドワルドを見つめていたシャーリーは目を丸くする。

(確かに……)

 何もないところから出現した無数の盾。シャーリーのように指は鳴らさなかったが、彼女の意思に反応して現れたのは間違いない。いったい彼女は何者なのだろう。

 すごく気になるが、しかし、そんなことをのんびり考えている暇はなさそうだ。

 忌々しそうに舌打ちした彼女の周囲に、先ほどとは比べ物にならないくらいの数の弓が出現する。

「噓でしょ──」

 シルフがうめいた。

 あの数の弓を一斉に向けられたら、いくらシルフでも防ぎきれないかもしれない。

「リアム様、エドワルド様、下がってください!!

「兄上!! エドワルド!!

 あんなものが直撃したら、シルフが守っても二人も無事ではすまないだろう。

 けれども、シャーリーの声に二人が反応するより早く、女が放った弓が襲い掛かって来て──

「ウォーターバリア!!

「ファイアーナックル!!

「ストーンランス!!

 青ざめるシャーリーの耳に、三つの声が届いた。精霊たちが戻ってきたのだ。

 ウンディーネの水の結界がシルフの結界を補助し、炎を拳に宿したイフリートが女に殴りかかる。そしてノームの放った無数の岩の槍が女の頭上から降り注いだ。

「──っ」

 はじめて女の表情に焦りが現れて、イフリートとノームの攻撃をしのいだ彼女が悔しそうに踵を返す。

「あ、待て!! ウインド──」

 シルフが逃すまいと魔法を唱えようとしたが、それよりも早く、女は煙のようにその場から消え失せていた。