9 地下の男
ローゼリア国の緑の塔には、シャーリーとウンディーネのほかに、アデルとエドワルド、そしてノーム、シルフ、イフリートが揃っていた。
『水鏡』越しにはアルベールとフェンリルの姿もある。
政務で忙しいはずなのに、シャーリーが心配だからと言って、アルベールはわざわざ時間を作ってくれたのだ。
「よし、最終確認だ。姉上とウンディーネがダイニングで待機、シャーリーと俺とイフリート、ノーム、シルフが地下二階の扉を破壊してその先へ進む。これでいいな?」
(うーん、エドワルド様は残った方がいいと思うけど……)
シャーリーは困った顔でアデルを見た。
エドワルドはリアムが見つからない場合次期国王だ。
そんな彼を、どんな危険があるかわからない場所へ向かわせていいものだろうか。
そう思うのだが、エドワルドは行くと言って聞かず、アルベールも止めなかった。
ほかにエドワルドを止められそうなのはアデルだけだが、彼女も肩をすくめて見せただけだった。
「行くと言ったら聞かないよ、この子は。イフリートたちもいるし大丈夫だろう。それにシャーリー一人で向かわせる方が心配だからね。エドワルドが行かないのならわたしが行く」
アデルもエドワルドを止めるつもりがないようなので、シャーリーは諦めた。
地下二階の扉の先にどれほどの空間が広がっているのかはわからないので、念のためバスケットにお弁当と水筒を詰めている。
アデルとアルベールのためにもお弁当を用意しておいた。
シルフは瞬間移動が使えるので、定期的にダイニングに戻り、シャーリーたちの状況を報告する役を担っている。
『シャーリー、気を付けて。何かあればすぐに戻って来るんだよ』
心配そうな顔をしているアルベールに手を振って、シャーリーはエドワルドたちとともに、魔法陣のある地下二階の部屋へ向かう。
「ちょっと離れてて!」
ノームが言って、シャーリーとエドワルドは壁際まで下がった。
扉の隣の岩を確かめたあとで、ノームが「ロックブレイク!」と叫ぶ。
ドゴンッと大きな音がして、扉を含めた壁一面に大穴があいた。
「すげー……」
エドワルドが子供のように琥珀色の瞳をキラキラさせて破壊された壁を見ている。
確かに、すごい威力だ。さすが精霊王。分厚い岩の壁もなんのそのである。
ノームはシャーリーの肩の上まで飛んでくると「どんなもんよ」とドヤ顔だ。
「僕は疲れたから休むよ」
全然疲れていない顔でノームはそんなことを言う。
「よし、先頭は俺が行こう!」
「じゃあ、しんがりはあたしでいいよ。ほら行くよー!」
イフリートが先頭、最後尾はシルフだ。シャーリーたちは壊された扉の奥へ足を踏み入れた。
扉の奥は階段になっていて、緩やかにカーブしながら下へと伸びている。
「どこまで行っても階段しかないな。どこまで続くんだ?」
「さあ……?」
エドワルドの言う通り、どれだけ進んでも階段しか見えない。
途中に部屋もなければ、踊り場もなかった。
岩肌がむき出しになっている壁には蠟燭のようなものが埋め込まれていて、進むたびにポゥっと灯りが灯るのは他と一緒だった。
三十分ほど歩いても終わりが見えないことに、シャーリーはだんだん不安を覚えてきた。
上を見上げると、降りてきた場所は闇に包まれていて見えない。
(帰れなくなったらどうしよう……)
進む先に蠟燭の炎は灯るが、通り過ぎると消えていくのだ。
「少し休憩するか?」
「そうですね」
まだ三十分しか経っていないが、終わりが見えないところを進んでいると疲れを覚える。
エドワルドが持ってくれているバスケットを受け取って、シャーリーは水筒からお茶を準備した。お弁当のほかにもお菓子を詰めてきたから、それをつまむことにする。
「地下だからか、上より少しひんやりして来たな」
「温かいお茶にして正解でしたね」
緑の塔の中は適温に保たれているのに、地下は勝手が違うようだ。少し肌寒い。温かいお茶が体に染み渡る。
「あ、イフリートもノームも、いつもの勢いで食べないでね。あまり持ってきてないんだから」
大食漢のイフリートとノームに注意をすると、二人は残念そうな顔で、ちまちまとクッキーをつまむ。シルフがお茶を飲み終えて、まだまだ下に伸びていそうな階段の奥に目を凝らした。
「あたしが行って様子を見てこようか?」
「いいの?」
「うん。このまま歩いても埒が明かないだろうし。終わりまで行って来てあげるよ! 座標が特定できればテレポートでみんなを飛ばせるからねー」
シルフは自分自身を瞬間移動させる以外にも、他人を特定の場所まで飛ばすことができるらしい。なんて便利な精霊王だろう。
(って、それができるならはじめからシルフに行ってもらえばよかったわ)
まさか延々と階段が続いていると思わなかったから頑張って歩いたが、テレポートできるなら断然そちらの方が楽だった。
「じゃあ、ちょちょいっと行ってくるねー!」
シルフが手を振って、それからすごい速さで飛んでいく。
あっと思ったときには、シルフの放つ金色の光すらどこにも見えなくなっていた。
そして十分後、突如として目の前にシルフが瞬間移動で戻って来る。
「おかえりシルフ、終わりの場所はわかったの?」
口の周りをクッキーかすだらけにしたノームの問いかけに、シルフは大きく頷いた。
「わかったけど、歩かなくて正解だったね。何百日も歩いてもたどり着かないくらい下まで続いていたよ!」
「そんなに深いのか?」
エドワルドが目を丸くする。
「距離的に、世界の中心部かな? そのくらいの場所まで続いてるねー」
「世界の中心……? それって、人が行っても大丈夫そうな場所なの?」
世界の中心と聞くと、シャーリーはどうしてもマグマを思い浮かべてしまう。マントルとかマグマとか、中学だか高校だかの授業で習った気がした。もしかしたら小学校だったかも。
とにかく、世界の中心にはとんでもない高温によって溶けた溶岩があるのだが──この世界は違うのだろうか。
「空気もあったし、大丈夫だと思うよ」
シルフの口ぶりでは、灼熱のマグマがあるわけではなさそうだ。
ここに来ても、前世の常識とは異なる。まあ、魔力なんてものが存在する世界だ、前世の世界の常識と同一視するのは無理な話だろう。
「準備ができたらテレポートで飛ばすから、教えてくれる?」
「わかったわ、ちょっと待ってね!」
暢気にお菓子を食べている場合ではない。
イフリートとノームが残念そうな顔をしたが、シャーリーは強制的に二人からお菓子を取り上げた。エドワルドが素早くクッキーを三枚ほど口の中に押し込む。
コップに残ったお茶を飲み干して、エドワルドがバスケットの中に水筒を詰めると立ち上がった。
「よし、腹ごなしもできたし、向かうか」
エドワルドの合図で、シルフがテレポートを使った。
一瞬目の前が白い光に包まれて、次の瞬間、シャーリーたちは開けた場所にいた。
洞窟のような場所で、岸壁からは水晶のような六角柱の形をした青白い光を放つ鉱石が無数に突き出している。上から伸びている鍾乳石から、ピチャンピチャンと水がしたたり落ちていた。
(これが、本当に世界の中心部……?)
ただの洞窟にしか見えなかった。ひんやりと肌寒いくらいで、暑さはまったく感じない。
洞窟は奥へと伸びていた。
「行ってみるか」
「そうですね」
シルフも、この先までは確かめていないと言う。
イフリートが先導して、シャーリーとエドワルドは慎重に先へと進んでいく。
五分ほど歩くと、開けた場所に到着した。
円形のだだっ広い場所だった。
その中心に、巨大な水晶のような鉱石の塊が、地面から突き出すように伸びている。
ゆっくりとそれに近づいて行ったシャーリーは、鉱石の中に誰かが埋まっていることに気がついてぎくりと足を止めた。
「兄上!?」
シャーリーよりも早く、エドワルドが悲鳴のような声をあげる。
水晶の中にいたのは、金色の髪をした、二十歳をいくつかすぎたくらいの年齢の青年だった。
髪が長いことを除けば、驚くほどリアムに似ている。同一人物と言っても過言ではないほどに。
「リアム、様……?」
エドワルドが駆け出し、鉱石の肌に両手をついた。
「兄上! 兄上!!」
シャーリーもハッとし、転がるようにして鉱石に駆け寄る。
両手をつくと、鉱石はひんやりと冷たかった。
「兄上!!」
エドワルドが拳で鉱石を叩いた。
しかし巨大な鉱石はびくともせず、中の男も目を開けない。
「シャーリー、エドワルド、下がって。壊してみる」
「ノーム、兄上には……」
「わかってる。傷をつけないようにするよ」
「それならいい」
エドワルドとシャーリーが下がると、ノームが「ロックブレイク!!」と鉱石に対して魔法を放つ。
しかし、爆発音のような大きな音はしたものの、鉱石にはヒビ一つ入らなかった。
「噓でしょ!?」
ノームが愕然とした。
「ノームの力でも無理なら……燃やすか?」
イフリートの手にボッと炎が宿ったのを見て、シャーリーは慌てた。
「そんなことをしたら、熱でリアム様が死んじゃう!」
「むぅ」
イフリートが残念そうな顔で炎を消す。
「エアーカッター!」
シルフも水晶を切り刻もうと魔法を発動したが、やはり傷一つつかなかった。
「いったいどうなってるの、これ。頑丈すぎでしょ。ダイヤモンドでも切断できるあたしのエアカッターで切れないなんてありえないよ!」
よほど悔しかったのか、シルフがキッと鉱石を睨む。──その時だった。
鉱石の中に埋まっていた男が、ゆっくりと目を開けた。
「あにう──」
言いかけたエドワルドの声が、途中でとまる。
目を開けた男の瞳の色が、綺麗な緑色をしていたからだ。
リアムの瞳の色は、エドワルドと同じ琥珀色だ。緑じゃない。
「兄上じゃ、ない……」
ホッとしたような、がっかりしたような複雑な声で、エドワルドがつぶやいた。
鉱石の中の男は、億劫そうに目を瞬き、そして僅かに首をひねった。
「そなたたちは……」
声も、リアムとは少し違った。
気だるげに、それでいて驚いたように何度か目をしばたたいた男は、どこか懐かしそうに笑う。
「ああ、人を見たのは久しぶりだな……」
「兄上は……、兄上はどこだ!?」
ハッと我に返ったエドワルドが、ダンッと鉱石を殴った。
男が不思議そうな顔をする。
「兄上、とは?」
「ふざけるな! それだけ似ているんだ、何か知っているはずだろう!? 兄上はどこだ! 返してくれ!」
確かに、違いは瞳の色と髪の長さだけで、瓜二つと言っていいほどよく似た顔をしているのだ。彼が何か知っていると、もしくはリアムの失踪に関係していると考えてしまうのは無理もない。
鉱石を殴り続けるエドワルドの手が心配になって、彼の腕をつかむことで止めたシャーリーは、鉱石の中の男に向きなおった。
「あなたは誰ですか。リアム様を知っているんですか? 知っていたら教えてください」
「名を問うているのならばゼレンシウスと答えておこう。この名を最後に呼ばれたのは、もう何百年も前のことになるがな……」
(何百年も前……?)
シャーリーは目を見開いた。するとつまり、この男は何百年も前から存在していたということになる。何の冗談だろう。人は長く生きても、百年かそこらが寿命だ。何百年も前なんて……それも、二十歳前後の外見で、何を言っているのだろう。
「それよりも、そのリアムと言うのは、私と似ていると言わなかったか?」
シャーリーがこくりと頷くと、男──ゼレンシウスはゆっくりと目を閉じて、それからはあ、と息を吐きだした。
「それは少々厄介かもしれないな」
「厄介って、なにが……」
「私と似た男が誕生したのだ、イクシュナーゼが動き出す」
「イクシュナーゼ?」
どこかで聞いたことがある名前だった。どこだっただろう。
シャーリーが考え込んでいると、エドワルドが怪訝そうな顔をする。
「何故そこで女神の名前が出て来る」
そうだった。イクシュナーゼは女神の名前だった。
この世界を創ったとする創世の女神だ。
「それは──」
ゼレンシウスが何か言いかけたときだった。
「シャーリー!! ウンディーネから救援要請が入った!! 上で何か起こったみたいだよ!!」
シルフが突如として大声で叫んだ。
「上には姉上がいるぞ!」
「っ! 戻りましょう!」
ゼレンシウスのことは気になるが、ウンディーネから救援要請が入ったとなるとただ事ではないはずだ。
シルフがこの場所の座標を覚えているので、テレポートでまた訪れることができるはずである。
「また来ます!」
「いや……」
シルフがテレポートを発動する間際、シャーリーはゼレンシウスを振り返って言ったが、彼はゆっくりと首を横に振った。
「イクシュナーゼに気づかれる。もうここには来るな。私が長く起きていると無駄に魔力を使う」
「え……?」
女神に気づかれるとはどういうことだろう。
シャーリーは重ねて問おうとしたが、その前にシルフがテレポートを発動する。
視界が白く塗りつぶされる直前、ゼレンシウスがどこか淋しそうな顔で目を閉じるのが見えた。
テレポートでダイニングに戻った瞬間、シルフが「ウインドバリア!!」と叫んでシャーリーとエドワルドの周囲に結界を張った。
直後、キンッと金属の弦を弾いたような音がする。
いったい何が起こったのかと確かめようとしたシャーリーは、薄膜のような空気の結界越しに見える人物に息を吞んだ。
「リアム……様……?」
結界のすぐ外。レイピアのような細い剣を油断なく構えて、こちらに氷のような冷ややかな琥珀色の瞳を向けているのは、リアムその人にしか見えなかった。
「兄上……?」
エドワルドが疑いを捨てきれないような茫然とした声をあげる。
リアムそっくりのゼレンシウスに会ったばかりで、今度もよく似た他人なのではなかろうかと疑いたくなる気持ちはよくわかった。というより、シャーリーも他人だと思いたい。
(だって、リアム様はこんなに冷たい表情をしないもの。こんな顔で、わたしたちに剣を向けたりしないわ……)
見れば、リアムから少し離れたところにアデルの姿があった。
アデルをかばうようにウンディーネが立ちはだかっている。
アデルの周囲にもウンディーネの水の結界が張り巡らされていた。
「シャーリー! 兄上の様子がおかしいんだ!」
ウンディーネに守られながら、アデルが叫ぶ。
アデルはエドワルドと違い、目の前の彼を「リアム」だと確信しているようだった。
『水鏡』越しに、アルベールが説明する。
『ここでシャーリーたちを待っていると、リアム殿下がダイニングに入って来たんだ。そして驚く間もなく唐突にアデル王女に襲い掛かった。ウンディーネが気づいて結界を張ったからアデル王女には怪我はないんだが……こちらが何を話しかけても、リアム殿下は反応しない』
アルベールの説明からも、目の前のリアムの様子からも、彼に異変が起こっているのは間違いなさそうだった。
「シルフ、リアム様を取り囲むように結界を張れる?」
前回リアムを見たときは逃げられてしまったのだ。今回も同じように逃がすわけにはいかない。
ゼレンシウスからリアムについて手掛かりらしいものを得られなかったのだ。目の前の彼がリアム本人であろうとなかろうと、現状で一番の手掛かりは目の前の男に違いない。取り逃がすわけにはいかないのである。
「任せて!」
シルフがリアムを丸い円の中に取り囲むように結界を張った。
それなのにリアムの顔に動揺はなく、ただ真っ直ぐシャーリーを見つめている。
「ねえ、シャーリー。もしかしてだけど、あれ、操られてるんじゃない?
肩の上でノームが言った。
「それは本当か!?」
飛びつくようにエドワルドが反応すると、ノームがびっくりしたように目を丸くして、「うん」と頷く。
「ねえフェンリル、そんな感じがするよね?」
傀儡魔法とは少し違うが、フェンリルは幻覚魔法が使える。この中で一番詳しいのはフェンリルのようで、ノームの問いかけに『水鏡』の向こうにいるフェンリルが頷いた。
『意思が封じられているのは間違いないだろう』
『それは解けるのか?』
アルベールの問いにフェンリルは悩むように低く唸る。
『どういう状況でこうなっているのかがわからない。少なくとも、我らが知っている傀儡魔法とは違うものだ』
つまり、フェンリルにも解けないと言うことだろう。
「では……ひとまず、兄上はこのままにしておくしかないと言うことか」
アデルが沈痛な面持ちで言う。
結界の外に出すと逃げられるし、操られている可能性のあるリアムを正常に戻す方法もわからない。このままこの結界内に閉じ込めておくしかないのだ。
『だが、このままにしておくとなると、シャーリーが危ないんじゃないのか? 万が一結界の外に出られでもしたら……』
アルベールが心配するが、シャーリーが緑の塔から出るわけにもいかない。
「ウンディーネたちがいるから大丈夫ですよ」
シャーリーがそう言っても、この場にいる誰も納得はしてくれなかった。
「……俺がここに残れるように父上に確認してくる」
しばらく悩んだ末、エドワルドがそんなことを言う。
「シャーリーを一人にするのは確かに心配だ。だが、父上に頼んだところで、まだここから出すわけにはいかないと言われるのが落ちだろう。ならば、兄上を正常に戻す方法がわかるまで、俺もここで生活すればいい」
「エドワルド、それならわたしが──」
「将軍──義兄上にどう説明するんですか? 父上の許可を得て義兄上に事情を説明したとしても、危険だと反対されるのはわかっているでしょう? 姉上には無理です」
エドワルドの言う通り、ヘンドリックがアデルを危険な場所で生活させるはずがない。それに、新婚早々別居生活をしていたら、あらぬ噂が立つだろう。
アデルがここへ移るのはやめておいた方がいいと思う。
「俺が移ればイフリートもいる。イフリート、ウンディーネ、シルフの三人がいれば何かが起こっても対処しやすいだろう」
ノームはアルベールの元へ返すが、シルフをイリスから借り受けておけば、ここには三人の精霊王が揃うことになる。うん、すごく心強い。
「でも、急にエドワルド様の姿が見えなくなったら、大騒ぎになりますよ」
「そのあたりは父上がうまくするだろう」
(丸投げですか……)
面倒ごとはまるっと人に押し付けるあたり、エドワルドらしいと言うかなんというか。
最終的にこれ以上の名案は思い浮かばず、エドワルドがここで生活すると言うことで意見がまとまった。
シャーリーはシルフの結界内に閉じ込められたまま、彫像のように動かないリアムを見て、ぎゅっと眉を寄せる。
(いったい誰が、リアム様にひどいことをしたの……?)
リアムが生きて目の前にいるのには安堵するが、これでは喜べない。
(絶対犯人を突き止めて、とっちめてやるんだから……!)

エドワルドがローゼリア国王の許可を得て緑の塔で生活するようになって二日がすぎた。
ダイニングにいたリアムは、シルフのテレポートで塔の中の空き部屋に移ってもらっている。
さすがにずっと直立不動のままだとつらいだろうし、シャーリーが落ち着かないからだ。
シルフには部屋の外へ出られないように結界を張ってもらって、部屋の中ではリアムが自由に動けるようにしてもらったが、様子を見に行く限り、リアムはただ座ってぼーっとしていた。
まるで人形のようだ。
エドワルドもリアムを気にして、日に何度も結界越しに話しかけているが、今のところ無反応である。
ただ、どんなに無反応でも生存本能はあるようで、シャーリーが運ぶ食事には口をつけてくれていた。
(ひとまず、食べてくれるのはよかったわ)
このまま飲まず食わずで餓死されたらどうしようと心配していたのだ。楽観視はできないが、一安心といったところか。
「今日のお昼は、オムライスかな? エドワルド様が食べたいって言ってたし」
エドワルドは手の込んだ料理よりも、オムライスとかカレーとかハンバーグとかの王道料理の方を好む傾向にある。もちろん味噌汁もいまだに大好物だ。
シャーリーが手早くケチャップライスを作っていると、何やら焦げ臭いにおいがしてきた。
思わずキッチンの中を確かめてみたが、シャーリーは何も焦がしていない。
「……嫌な予感」
シャーリーは作り途中のケチャップライスを仕上げてしまうと、慌ててキッチンから飛び出した。
階段を駆け上がってエドワルドの部屋に向かったシャーリーは、あんぐりと口を開ける。
「何をしているんですかエドワルド様!!」
子供を叱りつけるように怒鳴ってしまったのは仕方がないだろう。
何故なら部屋の中央には、めらめらと燃える炎の剣を握りしめたエドワルドがいて、カーテンやベッドが焦げていたのだ。焦げ臭かった匂いはこれである。
「あ、いや……これは……」
エドワルドの目が泳いでいる。
彼の近くにいるイフリートも、精霊のくせにだらだらと冷や汗をかいていた。
「なんですかこれは! 何で焦げてるんですか! 火事になったらどうするんです!?」
「か、火事にはならないぞ。イフリートがちゃんと消してくれたからな!」
つまり、焦げているカーテンやベッドにはしっかり火を燃え移らせた後だったらしい。
じろりと睨んで説明を求めると、なんでも、イフリートの力で具現化した炎の剣を使う特訓をしていたという。
ゲームの中でもイフリートの炎を剣にまとわせる必殺技があって、それが格好良くて使ってみたくて仕方がなかったらしい。
だが、緑の塔の外で炎の剣など出せば大騒ぎになる。
ゆえにエドワルドはこれまでじっと我慢して来たらしいのだが──
(緑の塔に入ったから、これ幸いと試してみたわけね)
頭が痛いったらない。
「というか、その剣、持っていて熱くないんですか?」
「ん? ああ。そのあたりはイフリートが俺自身に炎の熱を受け付けない結界を纏わせてくれているんだ。だから熱くないし、火傷もしない」
子供が新しいおもちゃを手に入れたかのように瞳をキラキラさせて喜んでいるが、手に持っているのは恐ろしく物騒な代物だ。あんなものを振り回されてあちこちでボヤ騒ぎを起こされてはたまらない。
「せめてそれを振り回すならお風呂場にしてくださいよ。あそこなら燃えそうなものはありませんから」
「さすがだシャーリー! 風呂場があったな!!」
エドワルドが炎の剣を手に持ったまま意気揚々と駆け出して行く。
シャーリーは悲鳴を上げた。
「だからそれを持ったまま移動されると炎が……!!」
言った端から絨毯や階段の手すりが焦げていく。
シャーリーは頭を抱えた。
(誰が掃除すると思ってるの!?)
階段の手すりや絨毯は、指パッチン魔法で元に戻るだろうか。
(誰よイフリートなんて呼び出したのは! ってわたしだし!!)
過去の自分の行動を嘆くシャーリーの肩を、シルフが小さな手でポンポンと慰めるように叩いた。
「ってことがあったんですよ。ひどいと思いませんか?」
夜。
シャーリーはウンディーネに自室に『水鏡』を出してもらって、ブロリア国のアルベールと通信していた。
昼間のエドワルドが引き起こした炎の剣騒動を語って聞かせると、アルベールは微苦笑を浮かべて「大変だったな」と労ってくれる。
最終的にお風呂場以外で炎の剣を出すのは禁止ということでエドワルドの合意を得たので、今後ボヤ騒ぎを起こすことはないと信じたい。
イフリートが炎が燃え広がらないように調整してくれていたので火事にはならなかったが、焦げたところを掃除して回るのは大変だったのだ。
(指パッチン魔法で何とか元通りになったからいいものの……)
炎が他に移らないように調整できるのなら、周囲のものを焦がさないようにもしてほしかった。イフリートは気が利かない。
思い出してぷんぷん怒っていると、アルベールがそんなシャーリーを眩しそうに見やる。
『楽しそうだな、シャーリー』
「楽しんでませんよ、大変なんです」
遊んでいるみたいに言わないでくださいと拗ねて見せたが、シャーリーもアルベールの言わんとすることはわかっていた。
アルベールがブロリア国に戻って、結婚のためアデルが緑の塔から出て──、『水鏡』でアルベールと話はできるし、アデルもエドワルドも会いに来てくれるけれど、それでもやっぱり以前とは違う。
一人でいる時間は長くなって、ウンディーネとたまに話はしていたけれど、昔のような賑やかさは全然なくて。
考えないようにしていたけれど、やっぱりシャーリーは淋しかったのだ。
みんなの声がしない。
気配がしない。
料理をしている間、アルベールがソファに座ってゲームをしていたその姿が懐かしくて、何気なくゲームを立ち上げてみたりしたけれど虚しくなるだけだった。
アルベールは、よくこんなところにたった一人きりで二年もいられたものだと思った。
アルベールがここで一人きりで生活していたときよりずっと環境はいいし、誰にも会えないわけでもないのに、淋しいのだ。
心の隅で、いつまでここにいればいいのだろうかと思う自分がいた。
だから、エドワルドがここで生活すると決めて、久しぶりに賑やかになって、シャーリーは楽しいのだ。今日のように問題を起こされても、楽しい。賑やかなのが、嬉しい。
これでアルベールがすぐ隣にいてくれたら、もうそれ以上はいらないくらいに幸せなのに。
『すぐ目の前にシャーリーがいるように見えるのに、私にはそなたを抱きしめることもできない。……少しエドワルド殿下に嫉妬するよ』
アルベールが『水鏡』に向かって手を伸ばす。
シャーリーも手を伸ばしたが、ひやりとした水の感触だけしか伝わってこなかった。
『会いたいな』
ぽつりとアルベールが言う。
(会いたい……わたしも、会いたい)
『水鏡』越しに話すだけでは足りない。
会いたい。直接触れることができる距離に近づきたい。
アルベールに会えなくなると思ったときは、『水鏡』で話ができると知って安堵したのに、それだけでは足りないのだ。
いつの間に、シャーリーはこんなに欲張りになってしまったのだろう。
シャーリーが『水鏡』に触れていた手を、力なくおろした時だった。
「会いたいなら会わせてあげられるけど?」
ウンディーネとともに部屋の隅にいたシルフが、話に割り込んできた。
シャーリーは驚いて振り返った。
「え?」
「だから、会わせてあげられるよ? テレポートでアルベールをこっちに飛ばせばいいだけでしょ? そんなのちょちょいのちょいだよ!」
「…………え?」
シャーリーはパチパチと目をしばたたく。
(テレポートで、アルベール様をこっちに飛ばす?)
思いもよらなかった方法に、シャーリーは言葉もない。
アルベールも『水鏡』の向こう側で絶句していた。
(……そっか、シルフはテレポートで人を別の場所に移動させることができるから……)
どうして気づかなかったのだろう。
驚いて頭の中が真っ白になっていたシャーリーは、冷静さを取り戻すとともに期待で胸が高鳴ってきた。
つまり、一年ぶりに、アルベールに会えるのだ。『水鏡』に映った映像ではなく、本物のアルベールに。
『水鏡』に映るアルベールの顔も、笑顔になっている。
「シルフ、お願い」
「オッケー!」
気安い感じでシルフが請け負ってくれて、一瞬後、シャーリーの目の前からシルフが消えた。
そのさらに数秒後、シルフとともにアルベールがシャーリーの部屋に姿を現す。
「アルベール様!」
シャーリーが反射的に駆け寄ると、アルベールは両腕を広げて抱きしめてくれた。
「シャーリー、会いたかった」
「わたしも、わたしも会いたかったです……!」
ウンディーネとシルフが気を利かせて部屋の外へ出ていく。
一年ぶりに感じるアルベールの温かさに、シャーリーはちょっぴり泣きそうになりながら、うっとりと目を閉じた。