サイドストーリー アデルと八か国会議
ローゼリア国王都を出発して二週間。
フレンツェ国との国境近くの町に到着したアデルは、今夜泊まる宿に荷物を置くと、新婚の夫ヘンドリックとともに散策を楽しむことにした。
こういう時、腕の立つ男が夫だと、ぞろぞろと大勢の護衛をつけなくていいから助かる。
「帰るころには冬も終わっていそうだな」
このあたりは雪も少なく、王都よりも少し暖かいので、一足早く春の花が咲いているところもある。
「そうですね。帰りは山から離れた道を選択しましょう。雪崩に巻き込まれたら大変ですからね」
ヘンドリックが真面目な顔でそういうのが、アデルは少し面白くない。
夫に敬語を使われるのは妙な感じがするのでやめてほしいとお願いしたところ、二人きりの時は普通に話してくれるようになったのだが、今は八か国会議へ向かう道中──つまり、仕事だ。
生真面目なヘンドリックは、アデルの護衛の一人として同行しているのだからと、護衛としての態度を崩さない。
(本当ならば新婚旅行中のはずなんだから、少しくらい融通を利かせればいいのに)
まあそれでも、宿は同じ部屋を使っているから、夜は多少甘い雰囲気にはなるのだが。
本当ならば、ヘンドリックとの結婚はあり得ないことだった。それを考えるとこのくらいのことは我慢すべきだろうか。
(シャーリーと出会ってから、なんだか不思議なことばかり起こるな)
半分諦めていたイリスが回復したことにはじまり、緑の塔での快適な生活。
本来ならば勝利を収めることは不可能だったクレアド国との戦。
その戦のおかげで奇跡的に叶った、ヘンドリックとの結婚。
リアムの問題や緑の塔の問題、そして新たに判明した南の大陸の問題など、まだ解決していないことは多くあるが、どうしてだろう、アデルはシャーリーがいれば何とかなるのではないかという、変な確信があった。
(エドワルドがシャーリーに惚れたのもわかるな。わたしもできればシャーリーを手放したくない)
だが、シャーリーはアルベールを選んだ。アルベールもそれを望んでいる以上、いずれシャーリーはブロリア国へ嫁ぐことになる。遠くない未来でシャーリーと離れることになるのだ。それが、今から憂鬱で仕方がない。
「アデル」
考えに耽って、アデルが黙ったままだったからだろうか、急にヘンドリックが二人きりの時のようにアデルを呼び捨てた。
仕事中は「アデル様」と言うのに珍しいなと思って顔をあげると、彼の青紫色の瞳が不安そうに揺れている。
「……何か、気に入らないことでもあったのか?」
「え?」
アデルはパチパチと目をしばたたいた。
口調が敬語ではなくなっているのにも驚いたが、不安そうなヘンドリックの表情にはもっと驚いた。
「新婚旅行が仕事になって、その……代わりの休みを取ることもできなかっただろう? だから……」
どうやら黙り込んでいたアデルを見て、機嫌が悪いと勘違いしたようだ。
結婚するまで、ヘンドリックがこんな風に不安そうな顔を見せることは少なかった。
アデルはちょっとおかしくなって、くすくすと笑う。
「違うよ。侍女のことを考えていたんだ」
「侍女と言うと、うちの侍女ではなく城の……イリス王女殿下に渡した侍女か?」
「うん、そう」
もともと城でアデルに仕えてくれていた侍女のうち、シェネルは彼女本人が希望したこともあり、アデルの新居に移ってもらっている。
ミレーユとレベッカは退職。二人とも近く結婚することになっていたのと、本人たちがアデル以外の主を希望しなかったため、そのまま実家に戻ってもらった。
そしてシャーリー。
シャーリーのことは、表向きイリスの侍女として渡したことにしている。
ブロリア国の緑の塔からアデルが出た以上、シャーリー一人が残されたことにするのは不可能だ。シャーリーの実家フォンティヌス家もそれでは納得しないだろう。
かといって真実を話してローゼリアの緑の塔の中にいるとも言えない。
ゆえに、表向きはシャーリーはイリスの侍女として仕事をしていると周囲には誤魔化していた。
緑の塔へ登録しているわけではないので、面会を求められた時は一時的に外に出ることも可能で、今のところ周囲に疑われてはいない。
イリスは塔のことを知っているし、イリスの乳母コーラル夫人も王家に連なる家系のため、緑の塔については知っているのだ。
「その侍女は、ブロリア国王に嫁ぐ予定なのだろう?」
「うん。……淋しくなるなって思ってね。まあ、まだ先のことなんだけど」
「アデルは本当にその侍女がお気に入りだな」
「だって、シャーリーにはたくさん助けてもらったから」
ヘンドリックにはシャーリーについて多くを語ることはできない。秘密にしておくのは心苦しいけれど、こればかりはどうしようもない問題だ。
(シャーリーがいなければ戦に負けていたし、ヘンドリックとも結婚できなかったと言ったところで、信じられるはずないもんね)
ヘンドリックはもちろん、戦に参加した兵士たちは、ラッセル老の奇策とアルベールの勇敢さが勝利の鍵だったと思っている。
まさかシャーリーが呼び出した「げーむ」とやらの精霊の力で勝ったとは誰が思うだろう。
説明したところで実際に目にしなければ信じられるものでもないし、実際に目にしたアデルでもまだ信じられないときがあるのだ。
(まるでシャーリーは、この世界にたくさんのものを創造したとされる女神イクシュナーゼみたいだ)
無から有を生み出す創造の女神。
シャーリーの力を見ていると、無性に彼女が女神なのではないかと思うときがある。
「ちらっと見かけたことはあるが、きちんと話をしたことはないな。俺もアデルのお気に入りとは一度話をしてみたいんだが……。届けられる食事の礼もあるし」
「ふふ、そのうちね」
緑の塔へ遊びに行くと、シャーリーはアデルにお弁当箱に詰めた食事を持たせてくれる。
ヘンドリックと結婚してからは二人分だ。
ヘンドリックがシャーリーの食事を気に入って、ぜひとも我が家の料理人に作り方を教えてあげてほしいと言うのだが、シャーリーが緑の塔から出られなければ無理な話だ。さすがに料理の仕方を教えるためにエドワルドとしばらく代わってくれとは言えない。
「シャーリーにね、食事は美味しいものだって教えてもらったんだ。ほかにもたくさん、びっくりするくらいたくさんのものをシャーリーにもらったんだよ。目に見えるものだけじゃなくて、目に見えないものまでね」
シャーリーは温かい。その存在自体が温かいのだ。優しくて温かくて、アデルは彼女にどれだけ救われただろう。
だから、淋しい。
シャーリーとアルベールの結婚はもちろん慶事だ。
でも、シャーリーが近くからいなくなるその日を思うだけで、悲しくて淋しいのだ。
ヘンドリックが、アデルの手を包み込むように握る。
「会えなくなるわけじゃない」
「……そうだね」
アデルがそっとヘンドリックに寄りかかると、仕事中だというのに抱きしめてくれた。
このぬくもりも、シャーリーがいなければ手に入らなかった。
(ああ……、わたしは、シャーリーにもらってばっかりだ……)
シャーリーが嫁ぐその日が来たら、きっと泣いてしまうかもしれない。
アデルはそんなことを思いながら、夫の腕の中で目を閉じた。

アデルがフレンツェ国の王都に到着したのは、ローゼリア国の王都を出発して三週間後のことだった。
急げば二週間ほどで到着する距離なのだが、新婚旅行気分で遠回りしながら向かったので三週間かかったのだ。
アデルが到着した翌日にアルベールが到着し、その二日後、予定通りに八か国会議がはじまった。
クレアド国は八か国同盟には入っていないので、サリタからは報告書だけを預かっている。
議題は南の大陸の問題と緑の蔦の鉢植えの扱いだが、緑の蔦の鉢植えについては特にもめることなく意見は一致した。緑の蔦の鉢を、どの国もが欲したのだ。
緑の塔の扱いについては、数年後に問題なさそうなら封鎖すると言う国と、しばらくは存続させておくと言う国と意見が割れたが、どの国も、緑の塔へ入らずして大地に魔力供給ができる緑の蔦の鉢植えは、城で大切に栽培するらしい。
問題は、南の大陸のことだった。
南の大陸で、緑の塔が枯れはじめている国があるらしいと伝えたあとの各国の意見は真っ二つに割れたのだ。
一つは、南の大陸のことなど気にする必要はないので静観すると言うもの。ただし、移民が流れ込んできた場合に備えて、軍事力の強化が必要だと主張する国が半数。つまり、南の大陸から助けを求めてやって来たものの受け入れ態勢は整えない、というものだ。
もう一つは、助けを求めてこられた場合、緑の蔦の鉢植えの情報を出してもいいのではないかというもの。アデルとアルベールもこちらの意見だ。
「大勢の移民を受け入れるのは、どの国も厳しい。ゆえに、助けを求めてこられた場合、緑の蔦の鉢植えを提供し、こちらでも出来得る限りの支援を行うのがいいだろう。強固な姿勢で対応し、クレアド国のように侵略されてこられてはこちらとしても困るだろう」
アルベールの意見に、半数の国が頷き、半数の国が思案顔で黙りこむ。
緑の蔦の鉢を渡すのは、その国に魔力持ちが残っていることが前提となる。子供でもいい、誰か一人でも残っていれば最悪の事態は免れるのだ。
魔力持ちが残っていない場合はどこかの国から魔力持ちを移動させる必要が出てくるだろうが、こちらは南の大陸内で協議させればいい。
南の大陸でも、同盟を締結している国々はあるだろう。
どこの国も魔力持ちを出したくないだろうが、塔に閉じ込めるのでないならば、ある程度は柔軟に対応可能なのではないだろうか。
「同盟国でもない、同じ大陸でもない国々にそこまで心を砕いてやる必要があるのか?」
ジークサドラス国の国王が、じろりとアルベールを睨んだ。国王になったばかりの青二才が偉そうに、と言いたそうな顔をしている。
これに対して、フレンツェ国の初老の国王が、好々爺然とした顔で口を挟んだ。
「明日は我が身と言うからのぅ。貸しを作っておけば、何かあったときに助力を乞いやすいじゃろうて。鉢植えを提供するにあたって条約の制定などの必要はあるじゃろうが、わしは悪い意見じゃないと思うぞ」
これを皮切りに、各国の国王が次々に自己主張をはじめた。
「条約ならこちらに有利な内容で進めるべきだろう」
「まずは助力を乞われた時にどのような条件を出すか決めておくべきだな」
「不可侵条約は最低限として、他に何が搾り取れるか……」
好き勝手なことを言いはじめた各国の国王に、アデルは辟易としてきた。
そもそも緑の蔦の鉢植えは、元はリアムが思い付き、シャーリーが作ったものだ。
その鉢植えをどう扱おうと、はっきり言って、ローゼリア国とブロリア国以外の国が口を出す問題ではない。
が、そう主張してこちらが勝手に動いた場合、何か問題が起こったときの責任は全部なすりつけられる。
それはそれで困るので、同盟国の中で意見を一致させる必要があるのだが、自分たちの利益ばかり追求しようとする浅ましさにはうんざりだ。
(こんなやつらにシャーリーの能力が知られたら大変なことになりそうだな)
リアムやアルベールが警戒していた理由が、今ならアデルにもよくわかる。
アデルは単純にシャーリーの力を見れば周囲が驚くだろうと思っていただけだが、もしもほかに漏れたら、シャーリーは各国にいいように利用されるだろう。
利用されるだけならまだいい。異端扱いされれば、同盟国の圧力でシャーリーを処刑と言うことになりかねない。
結局、八か国会議の日程の三日間すべてを、南の大陸が助力を求めてきたときに応じる条件決めに時間を使い、最終的に、移民は拒否の方向で軍事力を強化、助力を求められた時には条件に応じるのであれば緑の蔦の鉢植えは提供していいという方向で意見がまとまり、うんざりするような会議は幕を閉じたのだった。