8 緑の塔の今
シルフをアデル経由でイリスに渡して一日。
早くも、シルフによる南の大陸の情報が届けられた。
緑の塔のダイニングには、シャーリーのほかにアデル、そしてウンディーネとシルフ、『水鏡』越しにアルベールの姿がある。
エドワルドは今朝ブロリア国を出立したため、現在は移動中で話し合いに参加できる状況ではなかった。
「それで、南の大陸の状況だけどね」
アデルがダイニングテーブルの上に地図を広げた。その地図にはすでに赤いしるしがつけられている。
「シルフの報告では、南の、もともと滅んでいた旧ゼラニア国を除く十三の国のうち、四つの国の緑の塔が枯れはじめているようだ。そうだよね、シルフ?」
「そうそう、そうなのさ! 枯れ始めたばかりの塔、半分以上葉っぱが黄色くなっている塔って進行の違いはあるけどね、枯れかけてるのは本当だよ!」
『四か国もか……』
『水鏡』に映るアルベールが険しい顔で顎に手を当てる。
「今のところ、こちらの大陸まで避難民が流れて来る様子はないみたいですが、南の大陸のまだ被害のない国にも混乱が生じているようです。アルベール陛下、ブロリア国では何か情報をつかんでいないですか?」
『正直、我が国は国内をまとめることで精一杯の状況で、国外に調査団を派遣するほどの余裕はないんだ。国境付近の守りに当たっている兵たちからは、変わったことがあったという報告は上がっていない』
「やはり、こちらの大陸まではあまり情報が入って来ていないみたいですね……」
今のところ、シルフを使う以外の方法で情報を集めることは無理そうだ。
おそらく、ブロリア国以外の各国も、ほとんど情報を得られていないだろう。
アデルによると、ローゼリア国がこの情報を得られたのは偶然が重なったからなのだそうだ。
ローゼリア国の、魔力について知っているが魔力保有者ではない王族の一人が南の大陸に旅行に出かけていた際に拾って来た情報なのだと言う。
魔力については王族と一部の貴族しか知らないことなので、一般人の旅人がどれだけ行き来しようとも集まる情報ではないのだ。
「正直言って、八か国会議でどこまでこの情報を出すか悩んでいるところなんです。シャーリーの力や呼び出した精霊のことを知られるわけにはいきませんからね。シルフが調べてきた情報は父上にも報告していません」
アデルは八か国会議に参加するため、明朝、国を発つと言う。
今回の開催国はローゼリア国の東、フレンツェ国だ。
即位したてのアルベールも、今夜フレンツェ国へ向けて出立するらしい。
即位したばかりで忙しいので、本当は名代を立てたかったようだが、さすがに今回の議題は無視できないと自ら出席することにしたと言う。
父親である先王が療養中のため、留守中は叔父に国を任せるらしい。
『ローゼリア国が最初に仕入れた情報だけでいいだろう。シルフが調べたことは伏せておいた方がいい。どちらにせよ、最初の情報だけあれば、各国が南の大陸について調べようとするはずだ。ほかの国が動きはじめてから、シルフが調べた情報を小出しにしていけば、怪しまれることもないはずだしな』
「そうですね。そうしましょう」
アデルが頷くと、アルベールがちょっと表情を緩める。
『それにしも、アデル王女も大変だな。新婚旅行がまさかの会議に取って代わるとは』
アルベールの言葉で、シャーリーはハッとした。
(そうだったわ! 本当なら、アデル様は今日から新婚旅行だったのに!)
アデルもだが、彼女の夫のヘンドリックも多忙なので、なかなかまとまった休みが取れない。結婚のためにまとめて休みをもぎ取ったと言うが、今回を逃せばいつゆっくりできるかわからないのだ。
アデルが苦笑して肩をすくめた。
「仕方ありませんね。のんびりしていられる状況ではなさそうですから。せっかくなので少し早めに出発して、ゆっくり各地を回ってみるつもりではありますけど」
移動時間を多めにとって、ゆっくりしつつフレンツェ国の王都へ向かうらしい。だが、それでも優雅な旅行気分とはいかないだろう。
(新婚なのに……)
一生に一度しかない貴重な時間なのだから、自分のために使ってほしいのに、王族とはままならないものだ。
どうしてこうも次々問題が起こるのだろうと、シャーリーはむーっと眉を寄せる。
アデルはそんなシャーリーにくすくすと笑って、結婚できただけで充分なんだよと言う。
「そうそう、今回の八か国会議で緑の蔦についての報告もするつもりだ。クレアド国のサリタ女王陛下からも報告書が上がっている。実験結果が出るまで静観していたほかの国も、そろそろ動き出すだろう。だから念のため鉢植えをいくつかもらって行きたいんだけど、いいかな?」
「大丈夫です。昨日、また少し鉢植えを増やしておいたので。昨日植え付けたものはまだ根付いていないでしょうけど、それ以外なら持って行って大丈夫です。ただ、結構伸びていて鬱陶しいので、運びやすいように切った方がいいと思います」
「わかった、そうしよう」
『これで各国が動き出せば、それぞれの国の緑の塔の閉鎖も早まるだろうか』
ブロリア国だけは、罪人の二人の王子を閉じ込めているためこのままにするそうだが、ローゼリア国は確かな結果が出れば、緑の塔を閉鎖──枯らしてしまうことにしている。
塔が閉鎖されれば、シャーリーも塔から出られるわけで──
(まだ、結婚をどうするかっていう話までは進んでないけど、アルベール様のところに行けるかもしれない……)
シャーリーとアルベールは、まだ正式に婚約はしていない。だが、アルベールが手を回して、ローゼリア国王には話をつけているという。
最初は渋ったローゼリア国王だが、アデルやエドワルドも口をそろえてシャーリーのこれまでの貢献を訴えると、最終的にはシャーリーの意思を尊重するという形で許可が下りた。
だが、シャーリーの両親や兄はシャーリーがブロリア国王アルベールと知己の関係であることを知らないため、何もない状態で急に発表すると混乱するだろう。
ゆえに、シャーリーが緑の塔を出たあとで、折を見てローゼリア国王からの貢献に対する褒賞という形で良縁を持って来たとするのが一番家族を納得させやすい。
だからシャーリーとアルベールの婚約は、まだ整えられていないのだ。
ちなみにブロリア前国王からはあっさり許可が下りたと言う。きっと彼にもいろいろあったのだろう、前国王は「好きな女性と結婚するのが一番だ」と笑って許したらしい。
「父上は、できるだけ早くシャーリーを緑の塔から解放したいと考えています。もちろん、一歩間違えれば国が滅んでしまいますから、慎重にならざるを得ない部分はありますが、このままうまく進めば、どれだけ待たせてもあと二、三年のうちにはシャーリーをここから出してあげられるはずです。それから、もしリアム兄上が見つかれば、エドワルドがシャーリーの代わりに入ると言っています。そうすればもっと早まるのですが……」
リアムの名前を聞いてシャーリーはハッとした。
地下二階の鍵のかかった扉を破壊する相談をしようと思っていたのだった。
その前に南の大陸の問題を聞いてしまったため、言うタイミングがなかったが、せっかくなので今ここで伝えておいた方がいいだろう。
「あの、リアム様のことなんですけど……」
シャーリーがノームの力を使って地下の扉を破壊することができること、そしてそこから先を調べてみたいことを告げると、アデルとアルベールが揃って難しい顔をした。
「確かにそれをすれば何らかの情報が手に入る可能性もあるけれど、シャーリーとアルベール陛下が見たと言う兄上に似た誰かは、ウンディーネたちが警戒していたくらい怪しい人物だったのだろう? 地下二階の扉を破壊してその先へ進むにしても、シャーリー一人で向かうのは心配だよ。せめて八か国会議が終わって、わたしと、そしてエドワルドが揃ってからにしよう」
『それがいい。私はそちらへ行けないが、エドワルド殿下が戻ればイフリートがいる。できるだけ大勢の戦力を連れていった方がいい』
アルベールの守りを考えれば、フェンリルは彼の側から動かせない。新たに加わった仲間シルフもいるが、やはり最大の攻撃力を誇るイフリートはそばに置いておきたいと言う。
また、シャーリー一人で向かうよりも、エドワルドが一緒のほうが安全だ。一人に何かが起こった際にも、もう一人が対処できるからである。
そして、シャーリーたちが地下へ向かった際に、アルベールと通信してもらうためにも一階に一人は残しておきたかった。
そう考えると、アデルとエドワルドが揃ったときが一番安全だ。
シャーリーもその意見には納得したし、ウンディーネとノームがいるとはいえ一人で向かうのは不安もあったので、異を唱えるつもりはない。
(ただ、八か国会議が終わるのを待っていたら、少し遅くなりそうね)
アルベールやアデルが会議を終えて戻って来るまで一か月半はかかるだろう。
リアムの手掛かりを得られる可能性が目の前にあるのに、ただじっと耐えているだけの一か月半は、思ったよりもしんどいものになりそうだ。

(はあ、料理していてこんなに気分が晴れないのははじめてかも……)
シャーリーは玉ねぎを切りながら、はーっと息を吐きだした。
エドワルドもアデルもいない。アルベールもフレンツェ国へ移動中のため『水鏡』で連絡できない。
ウンディーネと二人きりの緑の塔の中、することのないシャーリーはひたすら料理研究に没頭しようと思った。
それなのに、南の大陸のことや八か国会議のこと、それからリアムのこと──気になることが多すぎて全然集中できなかった。
アルベールの顔が見られなくて淋しいのもある。
ぼーっとしていると、ここでアルベールとエドワルドとすごしたときのことを思い出す。
シャーリーがはじめての休暇の際に緑の塔ですごそうとすると、エドワルドまでくっついて来たのだ。
(あのときは大変だったわ。アルベール様はお掃除ロボットに夢中になるし、エドワルド様は高圧洗浄機であちこちを水浸しにするし……ふふっ)
まだ一年と少ししか経っていないのに、なんだかずっと昔のことのようだ。
まだリアムがいて、緑の塔の最上階を調べたり、テレビ電話にみんなが驚いたり、本当にいろいろあった。
その後、リアムが行方不明になって、クレアド国がブロリア国を侵略してきて、アデルが結婚して、アルベールが王になって、エドワルドも王になる勉強に忙しくて──、同じように緑の塔ですごしたみんなは、少しずつ何かが変わっていっているのに、シャーリーだけが変わらない。
(わたしだけ、取り残されたみたい)
誰かが緑の塔の中にいなければならないし、現状でそれができるのはシャーリーだけなのもわかっている。ここにいるのも重要な役割だ。
でも、何かが起こっても報告を受けるだけで、シャーリーは何もできない。
それが時折、ひどくもどかしく感じてしまうのだ。
「はあ、やめやめ。さっさと作れるものに変更っと」
料理の気分でなくなったシャーリーは、ジャガイモと玉ねぎをオリーブオイルで炒めて、スペイン風オムレツ──トルティージャを作ることにした。これならすぐに作れるし、手間でもない。
トルティージャとバゲットの昼食をすませると、気分転換に家庭菜園を楽しんでいるベランダへ向かう。
外が冬でも、塔の中はぽかぽかと春のようなすごしやすい陽気なので、去年植えたミニトマトがまだ枯れずに存在していた。一本しか植えていないのに、木が大きくなったからだろうか、毎日すごい収穫量だ。
シャーリーがミニトマトを収穫していると、「おーい!」と賑やかな声がして、びゅーんと何かがすごい勢いで飛んできた。
振り返ると、シルフが宙をせわしなく飛び回りながら、「伝言を持って来たよー!」と賑やかに騒ぎ出す。
「イリスから伝言だよ! エドワルドがブロリア国から戻って来たんだって! 夕方にはこっちに来られるってさ!」
「エドワルド様が?」
アルベールの戴冠式に出席していたエドワルドだが、戻って来る予定より三日早い。もしかして、アデルが八か国会議に出発すると聞いて急いだのだろうか。
(でも、そっか……。じゃあ、エドワルド様が好きなものを作ってあげないと)
ちょっぴり沈みかけていた心が浮上する。
一人きりでここにいるのは、思っていた以上に応えていたらしい。
シャーリーは収穫したミニトマトを持って、再びキッチンへ舞い戻る。
「よし! エドワルド様の好きな味噌汁は鉄板として、あとは何を作ろうかしら?」
「イリスがカレーが食べたいって言ってたよ」
「カレー?」
味噌汁とカレーの組み合わせは微妙な気もするが、イリスが食べたいと言うなら作ってあげなければなるまい。
アデルもエドワルドもいなかったので、イリスへ料理のお届けができていなかったのだ。
(んー、カレーを作るにしても、エドワルド様はがっつりお肉も食べたいでしょうから……よし、とんかつも作ってカツカレーにしようかな)
ほかにもサラダやデザートなど、できる限りたくさんのものを作っておいてあげよう。
「シャーリーが明るい顔になってよかったわ」
忙しく動き回るシャーリーを見ながら、ウンディーネが優しく目を細めた。
報せ通り、夕方になってエドワルドがやって来た。
出会った頃のエドワルドはやんちゃ坊主をそのまま大きくしたような印象があったが、この一年でずいぶん大人びたような気がするのはシャーリーだけだろうか。
快活で朗らかな雰囲気はそのままに、どこか大人の余裕と言うか、落ち着きが出た気がする。
「シャーリー、腹が減った。ハンバーグが食べたい。あとミソスープ」
(いや、気のせいね)
塔に入るなり開口一番に腹を押さえてのそのセリフに、シャーリーはエドワルドが大人びた気がするのは気のせいだと結論付けた。
「お城でご飯食べなかったんですか?」
カレーは作り終えて、とんかつもあとは揚げればいいだけのところまで準備を終えているが、ハンバーグも追加しなければならないようだ。
「昼食を取る暇もなく会議だなんだと忙しかったんだ。父上から南の大陸について報告を受けたときに菓子はつまんだが、しっかりした食事はとってない」
「それは、大変でしたね」
帰って来て早々、エドワルドはまともに休む暇もなかったらしい。
リアムが見つからなければこのまま王太子の位を賜るエドワルドは、王になる自覚が芽生えてきたのかしっかりしてきて、周囲から頼られる存在になっている。
留守中のことについてあちこちから報告や相談が上がってきたのだろう。帰国したばかりで疲れているのに、それを後回しにせず対応するエドワルドは優しいと思う。
「すぐに食事の準備をしますね。それから、帰るときに保温ランチボックスにカレーを準備しておくので、イリス様にお届けしてもらってもいいですか?」
「わかった。あ、そうだ。ちなみにその保温らんちぼっくす? というのはこちらでは作れないのか?」
「え? どうでしょうか……。ステンレスではなくてガラス製のものならもしかしたら……あー、でも、真空状態を作れなきゃ無理だと思いますし、うーん……」
シャーリーは首をひねった。
この世界にもガラスはある。だが、ステンレスや、表面を覆うプラスチックがない。
鉄で代用するには錆びそうで怖いので、使うならガラスだが、こういうものは強化ガラスが使われるのではなかろうか? 強化ガラスが存在しているのかは謎だが、あったとしても今度は真空を作り出す技術の問題がある。
はっきり言って、シャーリーは技術面について質問されてもさっぱりわからない。
「温かさが長持ちするから、軍の遠征とかで役立ちそうだと思ったんだが……。再現できたら、我が国の特産になりそうだし」
「うーん……」
シャーリーは頭をひねりながら、ぱちんと指を鳴らした。出てきたのは、フラスコのような形をした二重構造のガラス瓶だ。
これは前世で、魔法瓶の資料館だか記念館だかを訪れたときに展示してあったものである。
「ラッセル様なら、これを見せればもしかしたら構造を解明して応用品を作れるかもしれないですね。ブロリア国へ移動中に見つけたとかなんとか適当なことを言って渡してみてください」
「これは何だ?」
「保温ランチボックスのずーっと最初の原型です」
「これが? 全然似ていないが……」
「原理はここからきているんですよ。二重構造になっているでしょ? この間の空気の層? が熱を逃がさず、冷めにくくしているんです」
「ふぅん……まあ、いいか。最近、じじいも退屈しているみたいだからな。これを渡して実験させよう。じじいなら何か閃くかもしれん」
「そうですね」
そしてぜひ、この世界の科学技術の発展に役立ててほしい。
シャーリーは緑の塔で好き勝手しているが、ここを出たらさすがに自由に前世のものを呼び出せなくなる。この力は人前で使わない方がいいと言うのは、以前から言われていたからだ。だが、便利なものはやっぱり使いたい。となると、この世界の技術者に頑張ってもらうしかないのだ。
(わたしが生きている間に電子レンジとかテレビは無理だとしても、冷蔵庫くらいは頑張ってほしいわ)
冷蔵庫の走りは、電気を使わず、氷を利用したものだった。電気の解明が無理でも、氷を利用したものくらいなら作れると思う。
シャーリーはエドワルドの食事を用意するためにキッチンへ向かう。
ハンバーグをこねていると、ウンディーネがやって来た。
「どうしたの?」
「エドワルドがゲームをはじめたの。……テレビの中にもう一人妾がいるのを見るのは、不思議な気がして落ち着かないから」
「確かに」
シャーリーは笑った。イフリートやノーム、フェンリルは気にしていないようだが、シャーリーがウンディーネの立場だったら妙な気分になるだろう。
(ゲームと言えば、アルベール様は残念そうにしていたなぁ)
緑の塔を出れば、当然テレビもゲームもない世界だ。しばらくの間は王になるための勉強で目を回していたアルベールだったが、慣れてくると気晴らしになるものを欲してしょんぼりしていた。
(ふふ、いつの間にか塔の中の方が外より娯楽に溢れた場所になっちゃってたから)
それも、緑の塔が封鎖されたら失われる。
シャーリーと会う前のアルベールのように、孤独に絶望しながら過ごす人がいなくなるのは嬉しいけれど、ちょっぴり淋しいと思ってしまうのはシャーリーにとってここが、意外と居心地がよく、また、楽しい思い出に溢れていた場所だからかもしれなかった。