7 新たな問題
ピチャン──
鍾乳石を伝って不規則に落ちていく水の音が、青白い光に包まれた洞窟の中に響いている。
鍾乳石の乱立する洞窟の奥には、巨大な、水晶のような透明な鉱石が地面から突き出すように伸びていた。
その鉱石の中には、金色の髪をした一人の青年が閉じ込められている。
飾り気のない白いドレスを着た銀髪の女は、ひやりと冷たい鉱石に触れて、歌うように言った。
「あなたがいないなら、こんな世界なんて、いらない──」

季節は巡って、再び冬がやって来た。
つい一週間前にアデルはヘンドリックと結婚し、そして今日、アルベールの戴冠式がブロリア国で執り行われる。
『どうかな、変なところはないかな?』
ウンディーネが作った『水鏡』越しに、詰襟の豪奢な服に身を包んだアルベールが映っていた。
アルベールはこの一年で精悍さが増したように思える。
シャーリーも一つ年を取って十六歳になったけれど、鏡に映る自分を見る限りそれほどの変化は見られなかった。しいて言えば、一センチくらい身長が伸びたことだろうか。
緑の塔の中にいるシャーリーは、アルベールの戴冠式に出席することはできないが、こうして式の前に様子を見せてくれるアルベールの優しさが嬉しかった。
「素敵ですよ。お祝いのケーキを焼いたので、あとで『水鏡』で送りますね!」
『本当か? 楽しみにしている!』
『ちょっとシャーリー、僕のは?』
アルベールの顔を小さな手で押しのけて、にゅっとノームが顔を見せた。
「大きいのを焼くから、ノームの分もフェンリルの分もあるわよ」
『それならいいよ』
満足そうに頷くノームに、シャーリーはやれやれと肩をすくめる。
ノームとフェンリルがアルベールの側にいてくれると安心できるのだが、フェンリルはともかくノームは我儘なので、アルベールに迷惑をかけていないだろうか。
(まあ、アルベール様は可愛いって言っているけど)
可愛いもの好きのアルベールは、ノームのこともフェンリルのこともペットか何かだと勘違いしている節がある。
よしよしとノームの頭を撫でるアルベールに、思わず笑みがこぼれた。
(できることなら、そばで見たかったな……)
『水鏡』越しでは、アルベールがすごく近くに感じるのに、遠い。
アルベールがブロリア国へ戻って、彼が一人きりになれるときには、こうして『水鏡』で連絡が来るようになったけれど、彼に触れることも、そばで寄り添うこともできない。
たった一枚の薄い水の膜だけを隔てているように見えるのに、手を伸ばしてもそのぬくもりを感じることはできないのだ。
「今日から、アルベール陛下ですね」
『そうだね。……まだ不思議な感じがするよ』
当初は、アルベールの戴冠式はまだ先の予定だった。
けれど、ブロリア国王──アルベールの父が、病に臥せったのだ。死に向かうような病気ではなく、治療すれば快癒するものだったけれど、クレアド国の侵略を受けてからずっと無理をして動き続けてきた無理がたたったようだった。
できるだけアルベールに重圧を背負わせないようにと頑張っていた父の背中を見て、アルベールの方が即位を決断したのだ。アルベールはクレアド国の侵略から国を守った英雄として国民人気が高まっていると言うから、それもあり、即位の相談をするととんとん拍子で進んだらしい。
「ふふ、すでに英雄王と呼ばれているんですよね? アデル様から聞きました」
『その呼び方は恥ずかしいな。それに、私一人で成し遂げたことではないし、むしろシャーリーの力がなければ勝てなかったのに、本当のことを言えないのは悔しいし』
本当はシャーリーこそたたえられるべきだろうと言われて、慌てて冗談ではないと首を振る。
「それこそ恥ずかしいですよ! やめてください!」
『ふふっ。さて、そろそろ時間かな。緊張するけど行ってくるよ。今日は、エドワルド殿下がいらしているみたいだから、少し話をする時間が取れるといいんだけど』
アデルは新婚なので、アルベールの戴冠式には国の代表としてエドワルドが参加することになっている。
リアムが依然として行方不明の今、次期国王の座につくのはエドワルドの線が濃厚になって来た。
エドワルドもアデルも、ローゼリア国王もリアムのことを諦めてはいないけれど、いつまでも国民に黙っていることもできない。
折を見て、エドワルドに王太子の地位を与えるとともに、リアムの件についても説明できる範囲内で国民への通達がなされるだろう。
(リアム様……)
昨年、シャーリーが見たリアムらしき人物──あれは、リアムだったのだろうか。それとも、似た誰かだったのだろうか。
いずれにしても、他に何の手掛かりもないなか、去年のリアムの姿をした彼が、唯一リアムにつながる手がかりを持っているのは確かだった。
もう一度彼に会うことはできないだろうかと、地下二階にある扉を確かめてはいるが、やはり鍵がかかっていてどんなに引っ張っても押しても開かなかった。
『水鏡』の通信が切られて、キッチンへ向かおうとすると、ウンディーネもついてくる。
「アルベールと話したあとなのに、浮かない顔をしているわね」
スポンジケーキを焼くために卵を割っていると、ウンディーネが気遣うような表情を見せた。
アデルもエドワルドも忙しいので、さすがに毎日のように緑の塔には訪れることができない中で、ウンディーネはシャーリーのよき話し相手だ。
「リアム様のことを思い出したの。……もう一年以上も経ったのに、どこにいるのかしらって」
「シャーリーのいうリアムというのが誰かは妾にはわからないけれど、去年見たあの男のことを指しているのなら、関わらない方がいいと思うわ。あれは異質よ」
「リアム様は、優しくて素敵な方よ。去年のあの人は、顔はリアム様だったけど、リアム様とは違うと思うわ。……ただ、あの人がリアム様につながる唯一の手掛かりであるのは間違いはないんだけど」
ウンディーネは関わらない方がいいと言うが、貴重なリアムの手掛かりだ。もし会うことができるなら会いたいし、少し強引な手を使ってでも拘束して知っている情報を吐かせたい。
ウンディーネが肩をすくめた。
「どうしてもというのなら、あの扉を壊すことはできるけど……、その先に行って、何が起こるかはわからないわよ」
「壊せるの!?」
目からうろこの発言だった。鍵がかかっているから、勝手にその先へは進めないと判断していたのに──そうか、破壊するという手立てがあったのか。思いつかなかったなんて愚かすぎる。
「どうしてもっと早くに教えてくれなかったの?」
「言えばシャーリーは行きたがると思ったの。それに、あそこを壊すならノームの方がいいのよ。妾が無茶をして部屋自体を壊したら大変だから。その点ノームなら、天井や壁が崩れないように調整しながら壊せるでしょうし」
なるほど。ノームはアルベールの側にいて、彼の護衛役だ。何もないとは思うけれど、他国の侵略を受けて疲弊しているブロリア国に、不穏因子の存在がないとは言い切れない。
もっと言えば、死んだ王妃や第一王子、そして閉じ込められている第二王子と第四王子を支持する一派も依然として国内には残っているのだ。
そんな危険人物からアルベールを守ってくれる強い味方の一人を借り受けるのは躊躇われた。
この一年でだいぶ国内が落ち着きを取り戻して来たと言うから、今であればノームを借りることもできるかもしれないが、少なくとも一年前は何があるかわからなすぎて警戒を怠れなかったため、土台無理な話だった。
(実際、アルベール様がブロリア国に戻って二回ほど命を狙われたみたいだし)
一度は深夜だったらしい。その時はノームとフェンリルが侵入者を撃退したと聞いた。
侵入者は目に見えない何かに攻撃されて、捕らえられた後でパニックになりながらアルベールには何か過去の英霊が憑いているのではないかと騒ぎ立てたそうだ。ちなみにこの一件で、アルベールの英雄伝説に拍車がかかったらしい。
そして二度目は毒が盛られた。食事に盛られた毒は充分致死に至る量だったそうだが、アルベールが吐血した直後にフェンリルがこっそり解毒魔法を使って事なきを得た。
アルベールの毒殺を狙ったのは王妃の親類で、これにより、王妃の実家とその親類たちは不穏因子として全員捕縛され幽閉されたと言う。
けれどその二件以降、アルベールの地盤を固めるべくブロリア国王や彼を支持する将軍たちが尽力したため、彼を取り巻く環境はかなり落ち着いている。
ノームを借り受けるのならば、即位が終わって、少し落ち着いたころがいいだろう。
(よし! リアム様の捜索が前進しそう!)
シャーリーが独断で進めるわけにもいかないから、アルベールやエドワルド、そしてアデルにも報告がいるだろうが、反対はされないはずだ。
小さな希望が見えて上機嫌になったシャーリーは、ルンルンと鼻歌を歌いながら卵を泡立てる。
──まさかそれがきっかけで、とんでもない騒動に巻き込まれることになるとは、露とも気づかずに。

その、信じられなくも恐ろしい情報がもたらされたのは、アルベールの即位後、三日ほど経ってからのことだった。
「え!? どういうことですか!?」
新婚のアデルが血相を変えて緑の塔にやって来て、挨拶もそこそこに言うには、ガリア内海を挟んで南にある大陸の国が、次々と亡びを迎えようとしているということだった。
「今朝、父上のところに情報が入って来たんだ。南の大陸の国は同盟に不参加なのもあって、あまり情報が入ってこないから、この情報がいつのころのことなのかはわからないけれど、あちこちで緑の塔が枯れはじめているらしい」
「どうしてそんな……」
「聞いた話によると、塔に入った魔力持ちの魔力が、次々と失われているっていうけど……」
「クレアド国のときと同じ、でしょうか」
「かもしれない。南の大陸が荒れると、避難民がこちらの大陸にまで押し寄せる可能性があるから、父上が慌てているよ。八か国同盟の会議を緊急開催することになった。エドワルドはまだブロリア国だから、わたしが代表として行くことになったんだ」
八か国会議に参加するため国を空けることになると、しばらく緑の塔に顔を見せられなくなるから、その報告もあって来たと言う。
(アデル様、新婚なのに律儀すぎ……)
シャーリー一人を緑の塔に閉じ込めておくのがよほど心苦しいのか、アデルはどれだけ忙しくても、最低でも一週間に一度は顔を見せてくれている。
クレアド国の緑の蔦実験が今のところうまくいっているので、緑の塔は封鎖する方向で進んでいるが、そうだとしても万が一があってはいけないから数年はここから出られない。
緑の塔が封鎖される方向で動いているから、王族の美味しくない食事事情も改善傾向にあってシャーリーが作る食事がなければつらいという状況でもなくなりつつあるようなので、そこまで律儀に通う必要もないはずなのに、アデルはこういうところが真面目で優しいと思う。
イリスも、シャーリーがローゼリア国の塔にいることを知っているので、三日にあげず手紙を送って来るし、下手をすればエドワルドが緑の塔に来るときにくっついて来て、シャーリーと話がしたいからと言ってエドワルドと交換で一時的にシャーリーを塔の外に出したりするのだ。
人目につくと問題なのであまり外に出ない方がいいと言ったのだが、緑の塔周辺の森には滅多に人が来ないので見つかる心配はないと言われてしまった。
(みんな、優しすぎ)
シャーリーが一人で淋しい思いをしていないだろうかと、アデルもエドワルドもイリスもすごく気にかけてくれている。ちなみに、イリスがふらふらと会いに来るようになって、ウンディーネの存在がイリスにばれたのはご愛敬だ。
どうやらイリスも前世で同じゲームをプレイしていたことがあるようで、こんなに面白い話があったのならもっと早く教えてくれればよかったのにと拗ねられた。
エドワルドにイフリートがいるなら自分にも何かほしいとねだられたが、さすがにこれ以上増やすのもどうかと思ったので我慢してもらっている。
「緑の蔦の鉢植え、提供した方がいいんでしょうか?」
アデルに今朝焼いたばかりのクッキーとお茶を出しながら言えば、アデルが難しい顔で唸った。
「魔力持ちが残っていれば効果があるだろうが、状況が見えないからね。それに、同盟国でもなくつながりも薄い国々だ、あちらから要請があれば動きやすいが、頼まれてもいないのに動くことはできないね」
「せめてこちらから状況が見えるといいんですけど……」
この世界にはテレビも電話もない。そして、前世のときのように世界中のほとんどの国とつながりがある、もしくはつながりが持てるような環境でもないのだ。
八か国同盟のように、同盟国であればお互いの近況を報告し合ったり協力し合ったりできるが、そうでない国のことなど、知らぬ存ぜぬと放置する傾向にある。
さすがにあちこちで緑の塔が枯れはじめているとなると無視はできないが、こちらに影響が出ることを警戒するだけで、こちら側から救いの手を差し伸べることはない。
ゆえに、状況を調べるために特使を派遣するようなことはもちろんしない。
(前世の世界がどれだけ情報が豊かだったか思い知らされるわ)
インターネットの普及で、知りたいことはすぐに調べられるようになった。その気になれば世界中のどこにいてもだいたいがつながることができたし、行こうと思えば飛行機を使っていつでも行けた。
しかし、この世界ではそうはいかない。
「シャーリーは、南の大陸の状況を調べたいの?」
シャーリーの隣に腰を下ろして、ウンディーネが口を挟んだ。
口数の少ないウンディーネは、シャーリー以外の誰かがこの塔にいるときは必要以上に口を開かない。そのウンディーネが話に入ってきたことに驚いていると、アデルが頷きながら言った。
「調べる方法があるの?」
「風系の精霊なら瞬間移動が使えるから、シルフあたりがいれば情報収集もすぐにできると思うわよ」
それはつまり、もう一匹精霊を増やせとそう言っているのだろうか。
これ以上はさすがに、とシャーリーが躊躇っていると、アデルが期待に満ちた目を向けてきた。
「それができるならすごくありがたいのだが……」
やばい、アデルが乗り気だ。
「わたしはさすがに精霊たちと一緒にすごせないが、イリスがほしがっていたみたいだし、シャーリーが迷惑ならイリスに預けてもらえると、こちらとしても情報が仕入れやすくなっていいと思うんだけど、どうかな」
確かにイリスは精霊をほしがっていた。シルフを指パッチンで呼び出して預ければすごく喜ぶだろう。
(いや、でもねえ……)
そんな反則技を連発していいものだろうか。いや、前世の記憶を頼りにここにないものを次々指パッチンで出している時点で今更だが、生き物(?)となるとさすがに抵抗を覚える。
むむむ、とシャーリーは悩んだが、アデルの期待のまなざしには勝てなかった。
仕方がないなと立ち上がり、ゲームの電源を入れてシルフのステータスを確認する。
(風の精霊王シルフ……、見た目は妖精っぽくて可愛いけど、ステータスはさすがにえげつないわね)
オールラウンダーのウンディーネと違って、シルフは防御特化型だ。その分物理攻撃は弱い方なのだが、魔法攻撃は充分えげつない威力を持っている。
しっかりステータスを確認してイメージを固めたところで、シャーリーはぱちりと指を弾いた。
その途端、金色の光を纏った、身長三十センチくらいの小人がふわりと宙に現れる。
金色の髪に緑色の瞳、そして薄く透ける羽を持った、風の精霊王シルフが、くるりとその場で一回転して軽快にポーズを決めた。
「あたしを呼び出したのはあんた? なかなかいい趣味してんじゃーん! ほめてあげるよ!」
(そうだった……シルフって、うるさい精霊だったわ)
おしゃべりでお調子者で騒々しいことこの上なく、そして淋しがり屋な精霊、それがシルフだ。
「シルフ、少し頼みがあるのよ」
思わず固まったシャーリーに代わり、ウンディーネが微笑んだ。
「あ、ウンディーネ。あんたもいたの?」
「ええ。それでねシルフ……」
シルフに話の主導権を持っていかれるとなかなか話が進まないのだが、そのあたりはさすが精霊仲間のウンディーネだ。彼女の性格を熟知しているようで、余計な口を挟まれる前にさっさと本題を切り出した。
「ふんふん、つまり偵察に行って来いってことね」
「ええ。姿を消してね。できる?」
「当然よ! あたしは天才シルフ様よ!」
「そう、よかった。心強いわ」
シルフをあっさり納得させて話をまとめたウンディーネの手腕に拍手を送りたい。
アデルがシルフをイリスに預けてくると言って緑の塔を出ていくと、シャーリーは緑の蔦の鉢植えを見に行くことにした。
クレアド国とブロリア国、そしてローゼリア国はすでに鉢植えを城に置いているが、他の国はまだだ。クレアド国は緑の蔦の鉢植えのおかげで、塔が枯れても亡びることなく存続している。新芽も芽吹き、砂漠化も進んでいないので、効果があるのは間違いない。そろそろほかの国からも鉢植えの提供を求められるだろうから、もう少し量産しておいた方がいいだろう。もしかしたら、南の大陸にも配ることになるかもしれないし。
(でも、南の大陸でいったい何が起こっているのかしら……)
シャーリーは階段をのぼりながら、例えようのない胸騒ぎを覚えたのだった。