6 残された猶予
──だから私は帰ることにした。私はこれでも、王子だから。父上のあとを継いで、ブロリア国王になる。シャーリーとは……お別れだ。
昨日の夜のアルベールの言葉が頭の中にこびりついて離れない。
今朝起きると、エドワルドはアデルとともに、ローゼリア国王のもとへ向かった。アデルはそのまま、ヘンドリックに会ってくるそうだ。あわせて、アデルの身を案じているシェネルたちの顔も見に行くと言っていた。
シャーリーも、家族に会う許可をもらったので、アデルが戻ってきたら家族の顔を見に行ってこようと思う。
(二週間……か)
アルベールがローゼリア国にいられるのは、あと二週間だそうだ。シャーリーはたった二週間だと思ってしまったけれど、これでもブロリア国王が可能な限りの猶予を与えてくれた結果らしい。
アルベールはブロリア国に戻ったあと王太子の称号を得ることになる。そしてブロリア国王の補佐をしながら、国を治める勉強を積むのだそうだ。
アルベールの母は一足先にブロリア国へ戻るそうで、明日にでもブレンダン将軍たちと帰国するらしい。アルベールに許された二週間、彼はこの塔の中で生活することを選んだと言う。
「シャーリー、落ち込んでる?」
キッチン台の上に寝そべって、ごろごろしながらつまみ食いをしているノームが、口の周りをトマトソースだらけにしながら訊ねてきた。
シャーリーが作っている昼食用のトマトソースが半分になっている。
「ちょっとノーム、これ以上食べたら足りなくなっちゃう! 朝焼いたクッキーがあるからそっち食べて」
「クッキー!」
ノームはぱっと顔を上げて、小さな手でパシパシとキッチン台の上を叩く。
クッキーを棚から取り出してノームの前に置くと、ノームは前足で口の周りのトマトソースを拭い、両手でクッキーを抱え持った。
「んぐんぐ、で、シャーリー、元気ない?」
「ちょっと考えることがあっただけよ」
「ふぅん? もやもやしてるなら、ノーム様が聞いてあげなくもないよ?」
小さなモグラが何を偉そうに、と思わなくもなかったが、もやもやしているのは本当なので、シャーリーは短い葛藤の末口を開いた。
「アルベール様がね、国に帰っちゃうの」
「うん、知ってる。で?」
「で、って……。だから、いろいろ考えてるの」
「なにを?」
「だって、もう会えなくなっちゃうのよ?」
「なんで?」
「なんでって、当たり前じゃない。国が違うの。遠く離れてるのよ?」
「ふぅん」
「わかってくれた?」
「うん。シャーリーって意外と馬鹿なんだなって、わかった」
「は!?」
何をどうしたらそう言う結論に至るのだろうか。
シャーリーがムッと口を尖らせるのと、ダイニングからアルベールの呼ぶ声がするのはほぼ同時だった。
シャーリーが手を洗ってダイニングへ向かうと、アルベールがゲームのコントローラーを握ったままこちらを振り返る。フェンリルは彼の足元に寝そべっていた。
アルベールは驚くほどいつも通りだ。いや、無理をしていつも通りを演じてくれているのだとわかる。現にいつもより口数が少ないし、表情も暗い。
「シャーリー、道に迷ったんだ」
「あー、迷いの森ですか?」
シャーリーがアルベールの隣に腰を下ろすと、クッキーを両手で握りしめてノームもやってきた。そしてやおらテレビ画面を見やると、「ウンディーネも呼び出せ」と言い出す。
「ウンディーネ? 迷いの森にウンディーネは関係ないでしょ?」
「そうじゃない。僕たちのようにウンディーネも現実世界に呼び出してって言ってるんだよ」
「はあ?」
シャーリーが啞然としていると、アルベールの足元に寝そべっていたフェンリルがむくりと起き上がる。
「お前が助言なんて珍しいな」
「別にシャーリーとアルベールのためじゃない。僕のためだし」
ノームがツンと丸い顎を突き出して威張る。
(いや、何が何だかわからないんですけど? というか、ノームたち三人だけでもうるさいのにこれ以上精霊とかいらないし。……って、なんでアルベール様、ちょっとわくわくしてるの?)
ノームが余計なことを言ったせいで、アルベールまで期待している。
抵抗しようと思ったのに、アルベールともうすぐ会えなくなると思うと、彼の望みは何でもかなえてあげたいような気になって、シャーリーは大きくため息をついた。
アルベールからコントローラーを借りて、ウンディーネのステータスを確認する。
水の精霊王はとてつもないステータスで、もちろん最初からHPとMPはマックス状態。攻撃魔法、防御結界、治癒魔法などなんでもできるオールラウンダー型精霊である。
(ええっと、身長百七十センチ。体重は──)
テレビ画面に映し出されたステータスをじーっと見つめてイメージを固めて、シャーリーは指をぱちりと鳴らす。
その直後、テレビ画面に映っているのとまったく同じ姿の、水の大精霊ウンディーネが出現した。
水色の髪に青い瞳。真っ白な肌。天女のような羽衣を身にまとっている二十歳前後の外見の美女である。
ウンディーネは目をパチパチとしばたたいて、それからニコリと微笑んだ。
「あらノーム、フェンリルも、ごきげんよう」
「で? ノーム、これでいいの?」
「うん。これで『水鏡』が使えるからね」
水鏡なら知っている。ウンディーネとフェンリルの二人が使える水系魔法だ。宙に水で鏡を作り、相手と通信したり物資を運んだりできるスキルで──
(あ……、だからウンディーネなんだ!)
シャーリーが目を見開くと、ノームが勝ち誇ったようにフスフスと鼻を鳴らした。
「馬鹿なシャーリーが思いつかなかったから僕が特別に教えてあげるよ。ウンディーネとフェンリルがいたら、国が違おうが距離が離れていようが、アルベールと通信できるし、物のやり取りもできるでしょ。アルベールが国に帰っても僕もいつでもクッキーが食べられるもんね。僕って賢い!」
一人で悦に入っているノームに、シャーリーもアルベールも目をぱちくりとしばたたく。
アルベールともう二度と会えないと思っていたのに、その問題があっという間に解決してしまった。悩んでいた自分はいったい何だったのだろうか。
「えっと……」
恥ずかしくなりながらシャーリーがちらりとアルベールを見やれば、彼もバツの悪そうな顔をして頰を搔く。
フェンリルは再びアルベールの足元に寝そべって、ノームは我が物顔でウンディーネにクッキーを勧めていた。
「あー……ええっと……迷いの森でしたよね!」
「あ、そうだ、迷いの森だ!」
気を取り直してシャーリーが言うと、アルベールも思い出したように手を打つ。
改めてシャーリーはアルベールの隣に腰を下ろして、迷いの森の攻略の仕方について説明をはじめる。
(ああ、なんかすっごく恥ずかしいんだけど!)
ノームもはじめから結論を教えてくれればこれほど恥ずかしい思いをしなかったかもしれないのに、意地悪だ。
(でもこれで、アルベール様が国に帰ってからもまた会えるのよね?)
水鏡越しになるが、顔も見られるし話もできる。
(よかった……)
アルベールが緑の塔の中からいなくなっても、アルベールとつながっていられる。
アルベールに迷いの森の攻略法を伝授しながら、シャーリーは小さく微笑んだ。
昼食を終えると、シャーリーは植木鉢で栽培している緑の蔦を見に行った。
ブロリア国の緑の塔に行けなくなってしまったので、アルベールたちが戦争に旅立つ前に栽培をはじめていたものだ。
成長が早いので、今ではそれぞれの鉢植えの蔦が五十センチくらいまで伸びている。
アルベールはシャーリーの作ったジムに汗を流しに行っていて、退屈したノームがシャーリーの肩の上にいた。ウンディーネも一緒だ。フェンリルはダイニングでお昼寝中である。
エドワルドに渡した蔦の鉢植えは、エドワルドが留守にしていた間に枯れはじめてしまったらしい。ただ、完全には枯れていないので元に戻るかもしれないとも言っていた。
(この蔦の鉢植え……クレアド国で栽培することはできないのかしら?)
クレアド国の緑の塔は枯れはじめていて、かの国の魔力持ちは確認できている限り赤子しか残っていない。赤子をたった一人で塔の中に入れることはできないし、かといって、他国の魔力持ちに助力を乞うことは、クレアド国の立場からすればできないだろうことは容易に想像できる。
ならば、その赤子の側にこの鉢植えをおいておけば、魔力が供給できるかもしれないし、こちらとしても鉢植えの蔦で大地に魔力供給が行えるかの実験ができていいと思う。
(と言っても……クレアド国の扱いがどうなるかわからない限り難しいんでしょうけど)
シャーリーには政治のことはわからないが、すべてが博愛精神で片づく問題ではないと言うことはわかる。
だが、このままだと、クレアド国のサリタ王女は国に返されて、売国者として処刑されるかもしれない。サリタ王女には会ったことはないけれど、さすがにそれは嫌だった。
シャーリーが鉢植えに視線を落としてむむっと眉を寄せて考え込んでいると、突然、シャーリーの背後にいたウンディーネが「ウォーターバリア!」と叫んだ。「ウォーターバリア」はゲームの中でウンディーネが使う防御結界で、シャーリーは何事かとギョッとして振り返る。
「どうしたの!?」
「シャーリー、動かないで。何か来る。フェンリルもアルベールのところへ行ったよ」
肩の上のノームがぐっと声を低くしてささやく。
ウンディーネがシャーリーを守るように立ちはだかった。
ウンディーネの水の防御結界で、シャーリーの周りにはまるで薄いラップで覆ったような不思議な膜ができている。
「何か来るって……」
アデルやエドワルドが戻ってきたのなら、ノームたちが警戒するはずはない。つまり、彼らとは違う何かがこの塔の中にいると言うことだ。
(待って、塔の中って魔力持ちしか入れないんでしょ? 知らない魔力保有者が入って来たってこと?)
だがその場合、ノームたちは警戒するよりも、見つからないように姿を消すはずだ。
表現しようのない不安がシャーリーを襲う。
自然と息をひそめてウンディーネの視線を追うと、彼女は部屋の入口を睨んでいた。
ややして、かちゃり、とドアノブをひねる音がする。
ゆっくりと扉が開く。
そして、現れたのは──
シャーリーは思わず息を吞んだ。
「リ──」
「動かないで!」
駆け寄ろうとしたシャーリーの腕をつかんで、ウンディーネが硬質な声を上げる。
(どうして? だって……だって、リアム様なのに!)
扉をあけて部屋に入ってきたのは、リアムだった。ブロリア国の緑の塔の中から姿を消して、ずっと消息不明だったリアムだ。シャーリーの胸の中に安堵が広がるのに、ウンディーネとノームが警戒しているからだろうか、先ほどから感じている不安が消えない。
銀に近い金色の髪、琥珀色の瞳。穏やかな──……違う。
ひた、とシャーリーを見据える瞳は、信じられないほど冷たい光を放っている。