サイドストーリー アルベールの決意
「これで全員か?」
クレアド軍の最後の兵士が移送馬車に押し込められると、アルベールは重たい鎧のせいで凝り固まった肩を回しながらブレンダン将軍に訊ねた。
アルベールがクレアド国王、次いでヘンドリックが王弟を討ち取ったあとも、統率が乱れたとはいえそれなりの抵抗が続いた。数日かけてどうにか片付けたが、戦地となった街道には鉄の錆びた匂いや腐臭が充満して気分のいいものではない。
これだけの戦死者をクレアド国へ送り返すこともできないので、彼らはこのあたりにまとめて葬ることになるだろう。さすがに遺体をこのままにはしておけない。
ブロリア国は土葬だが、クレアド国は火葬の文化だ。千人を超える人数を土葬にするのも大変なので、彼らはクレアド国の文化に則ったという建前で火葬されることになった。
「殿下はあちらでお休みください。お疲れでしょう?」
「そう言っても……」
戦地の街道から少し離れたところに幕が張ってある。
一部のブロリア国の兵士たちは、ブロリア国王が大半の兵士たちを率いてきてしまったがために国が手薄なので、将軍を数名つけて先に王都へ戻ってもらっていた。
ついでにブロリア国王も戻ってくれればよかったのに、到着したときには戦が終わっていた国王は、最後まで居残ると言って聞かなかった。よって父は今、天幕の中にいる。
戦場でバタバタしていたので、父とはろくに会話もしていない。
到着したと人づてに報告を受け、あいさつ程度はかわしたがそれだけだ。
(私がいつまでもここをうろうろしていたら、兵士たちも気が抜けないか……)
あらかたの指示は終わった。あとは戦死者の弔いをすれば、今この場ですべきことはすべて終わる。イフリートが焼き尽くした森は無残なことになっているが、それを考えるのはアルベールの仕事ではなく王である父の仕事だ。
天幕のある方へ向かうと、酒がふるまわれてかなり盛り上がっている。
戦が終われば、酒や食べ物で兵士たちをねぎらうのも、軍を率いるものの仕事だ。
クレアド軍に勝利したと言う知らせを聞いた近くの町や村から次々に酒や食べ物が運ばれてきて、開いた酒樽がたくさん転がっている。
戦場の街道で後始末をしているブレンダン将軍たちも、交代で宴会に参加していた。だがアルベールはどうにも父王と顔を合わせにくくて、天幕ヘは寝に帰っていただけだった。数日続いている宴会に参加するのはこれがはじめてだ。
アルベールが歩いていると、酔っぱらった兵士たちから次々と声をかけられる。ローゼリア国、ブロリア国問わず、兵士みんながアルベールをねぎらってくれるのが少しくすぐったい。
ブロリア国にいたとき、表にほとんど顔を出さなかった第三王子は今や、敵総大将を討ち取った英雄扱いだ。
真実はノームとフェンリルの力を使ってズルをしたようなものだが、彼らにとっては勇敢にも単身で崖を駆け下りて、刺し違える覚悟でクレアド国王の首を落とした猛者である。
本当のことを知ったら彼らはどう思うのか──後ろめたく思いつつ、アルベールはエドワルドの姿を探した。
奥へ進んでいくと、一番大きな天幕の前にエドワルドの姿がある。
エドワルドの側には圧倒的不利な戦況を逆転させた天才軍師ラッセル老とヘンドリック・ビル・レンバード将軍、そして父ブロリア国王がいた。
(数日前も思ったが……父上も年を取ったな)
三年会っていなければこんなものかもしれない。だが、いつも申し訳なさそうな表情を浮かべていた父の顔は、どこかすっきりしているようにも見えた。
アルベールが近づくと、ラッセル老とヘンドリックが立ち上がろうとしたので手を上げて止める。
「きちんとお礼を言うのが遅れました。お二人とも、この度は我が国の戦に加勢いただき、誠にありがとうございました」
アルベールが頭を下げると、ヘンドリックは困った顔を浮かべ、ラッセル老は「なんのなんの」と笑う。そして、エドワルド王子の方を向くと「殿下も謙虚さと言うものを学ぶべきですなあ」と軽口をたたいた。エドワルドが憮然とした顔つきになり、ヘンドリックが苦笑する。
(ああ、いいな、この雰囲気)
信頼し、信頼されている者たちだから出せる雰囲気だ。
エドワルドにどれだけ人望があるのかがわかる。
戦死した長兄グレゴリーもこうだった。兄はアルベールやその母に対して無関心だったし、アルベールもグレゴリーに興味はなかったが、愛国心が強く人望が厚かったことだけは知っている。
無言で父の方を向くと、父もまた無言でアルベールを見上げていた。
なんとなく、父の隣に腰を下ろす。
エドワルドが盃を渡してきたので受け取ると、父が無言で酒の入った瓶を持った。
驚いている間に盃に酒が注がれる。
(父上が私に酒を注ぐなんて……)
驚きのあまり言葉もないアルベールの盃に、父がこつんと自分のそれを当てた。
「……戻って来てくれて、感謝する。アルベール。よくやった」
ちょっぴり眉尻を下げて、困ったように、けれどもどこか誇らしげに父が言う。
(よくやった、なんて……この人、そんな言葉を知っていたんだな)
すまない。悪かった。申し訳ない。
思い返す限り、アルベールが父にかけてもらった言葉なんて、こんなものばかりだった。
ほとんど会話らしい会話をしたことがなく、口を開けばいつも謝ってばかりだった父王。
謝るくらいなら母を第二妃にしなければよかったのに、アルベールを産ませなければよかったのにと、何度思ったか知れない。
「お前が元気そうでよかった」
前線に立って敵総大将を討ち取り、戦地の後始末の指示を出していたアルベールははっきり言ってへとへとだ。今のアルベールの何を見て元気そうだなどと言えるのだとおかしくなる。
だがアルベールも、王都からここまで急いで駆けつけて疲労の色の濃い顔をしている父親に、なぜか同じ言葉を返していた。
「父上も、お元気そうでよかったです」
酒を飲み干し、今度はアルベールから父の盃に酒を注ぐ。
思うところはたくさんある。言いたいこともたくさんある。でもどうしてだろう、何の言葉も出てこない。
第二妃とともにアルベールを逃がそうとした父。
よくやったと、褒めてくれた父。
この人はどこまでも不器用で優しくて弱くて──でも最後の最後で、国のために戦場へ駆けつけようとした。
父に対する思いはすごく複雑なのに、こうして隣で酒を飲んでいる今の状況に、どうしてか満足している自分がいる。
ブロリア国で怨嗟に近い何かを抱えながら生きて、塔に入れられて絶望して──そんな自分が、遠い昔のことのようだ。
いつの間にかエドワルドたちは席を立って、この場にはアルベールと父の二人だけになっていた。
日が傾き、薄闇が落ちてくると、焚いている炎の赤が際立っていく。
酒が入っているからか、炎の近くにいるからか、冬なのにちっとも寒くない。
何杯目かの酒をあおり、目の前にある肉をつまむ。
シャーリーの作る料理の方が断然美味しいが、我儘は言っていられない。
そんなことを思っていたら、隣の父が、戦場の食事は美味しいなと言い出した。なるほど、普段から味気のない美味しくないものを食べているから、この食事でも美味しく感じられるのだ。
シャーリーの作るものを知らなかった頃のアルベールだったら、父と同じ感想を抱いただろう。
「長い間塔の中に閉じ込めて悪かったな」
悔恨を含んだ声で父が言う。罵られるのを覚悟しているのか、肩を落として小さくなっていた。
「いえ、ここ数か月は、なかなか快適でしたよ」
「馬鹿なことを言うな」
「本当ですよ。だって、塔の中には女神がいたんです」
父が目を丸くするが、アルベールもこれ以上を話す気はない。それよりも話さなくてはならないことがあるからだ。
「父上。緑の塔の件ですが」
「ドナルドとミッチェルのことだろう? エドワルド殿下から聞いている。緑の塔同士が行き来できるというのは信じ難いが、アデル王女がこちらの塔の中にいないと言うのは本当なのか?」
「はい。今ブロリア国の塔の中にはドナルドとミッチェルの二人しかいません。ですが、こんなことがあった以上、アデル王女たちを再びこちらの塔へ閉じ込めるのは……」
「わかっている。その件だが、ドナルドとミッチェルをこちらの塔へ登録することにした。正式なことはローゼリア国王と話し合って決めることになるが、緑の塔へ入れる王族の交換は、これを機に取りやめようと思う」
王子という立場でありながら、国を捨てて自分たちだけ助かろうとしたドナルドとミッチェルに対する、父の強い憤りを感じる。王妃が死んだ今、彼ら二人をかばうものは誰もいないだろう。
王都に帰り次第、アデルとシャーリーの二人の登録を解除すると言う父の言葉を聞いて、アルベールはホッとした。
「それで、そなたはどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
アルベールが首を傾げると、父が真剣な顔をした。
「グレゴリーはいない。ドナルドとミッチェルは国を見捨てて塔の中だ。言いたいことはわかるか?」
父が言いたいことはよくわかる。一人は死に、二人は国を見捨てた大罪人。
王位を継げるのは、父の子の中ではアルベールただ一人だ。
叔父やその息子を引っ張り出すことも可能だが、アルベールには今や「国を救った英雄」という称号がくっついている。アルベールを担ぎ上げようとする勢力は多いだろう。
アルベールがもしここで王位を望まないのならば、国内の混乱を避けるためにも、ブロリア国から出て行くのが好ましい。だが父は、それは嫌だと、そう言いたいのだ。
「そなたは今更だと思うだろう。だが、考えてほしい」
「考えて……断ったらどうなりますか?」
「……そなたの母とともに、国外で生活してもらうことになる」
予想していた通りの答えに、アルベールは口元をゆがめて嗤った。情けなくとも国王は国王。みすみす国が荒れるのを放置するはずがない。
アルベールは盃に映り込んだ月をぼんやりと見下ろす。
王になる決意をしてブロリア国へ戻れば、もうシャーリーとは会えなくなるだろう。
だが、国外で生活することになっても同じことだ。
運よくローゼリア国へ居場所が作れたとしても、緑の塔の中にいたときのように気楽にシャーリーに会うことはできない。
どちらに転んだところで、アルベールを取り巻く環境は大きく変わるのだ。
クレアド国が攻め込んでこなければ、今も緑の塔の中で生活できていたかもしれない。
どうしようもないことなのはわかっているけれど、突然訪れた終わりに、アルベールは信じられないほどの虚無感を感じた。
「すぐには決められないだろう。だが、できればローゼリア国へ帰国するまでに決めてくれ」
ローゼリア軍を借りた以上、アルベールはどうあってもローゼリア国へ戻ることになる。それまでに決めろと言われても、残された時間は短い。
父は盃の酒をぐいっと飲み干して、少しだけ淋しそうに笑った。
「そなたがどんな答えを出しても……私はそれを受け入れるよ」
それはまるで、迷っているアルベールの心を見透かしたような言葉だった。

それから数日かけて戦死者の弔いを終え、ブロリア国王の希望で、ローゼリア国へ帰る前に王都へ立ち寄ることになった。
アルベールの目には、王都の様子は数年前とさほど変わっていないように見えた。
クレアド軍に攻め入られたのは南のあたりで、彼らが王都まで攻め入る前に討ち取れたので、目に見える被害はないように思う。
だが、戦では多くの物資が必要になる。物資不足による値段の高騰、それによる貧民の増加──目に見えないところでの被害は大きい。救いは、戦が長期化する前に終結したことだろう。さすがにすぐに元通りとはいかないだろうが、徐々に平常に戻っていくはずだ。
クレアド軍を討ち取ったローゼリア国とブロリア国の連合軍は、すっかり英雄視されていて、大通りを城へ向けて進む彼らの両脇には大勢の国民の姿があった。
彼らはブロリア国とローゼリア国の旗を振り、大きな歓声を上げている。
「アルベール殿下!!」
馬にまたがり、周囲を護衛のための兵士に取り囲まれたアルベールが進むたびに、国民たちが呼びかけてくれた。
それは不思議な感覚だった。
ずっと表舞台に立たず生きてきたアルベールのことを、国民たちは知っていたらしい。
「殿下、手を振り返して差し上げたらどうです?」
同じく馬にまたがって隣を進んでいたブレンダン将軍が笑って言った。
アルベールがぎこちなく手を振り返すと、ちょうど近くにいた子供たちが嬉しそうにぶんぶんと手を大きく振る。
ここへ来るまでに聞かされたことには、王妃の亡骸は、戦時中と言うこともあって大きな葬儀は執り行わず、ひっそりと王家の墓地に埋葬されたらしい。
王妃に仕えていた人間たちは解雇され、戦場に行くと譲らなかったブロリア国王に代わって宰相が城の中のことを取り仕切っているそうだ。
城に到着すると、エドワルドたちに部屋が用意される。疲れを癒すようにと言われ、アルベールも、およそ三年ぶりになる自室に足を踏み入れた。
「殿下!」
扉を開けた途端、中から薄灰色の髪をした六十歳ほどの女性が飛び出してきた。
「驚いた。ばあや、ここにいたの?」
それはアルベールの乳母を務めたモリンだった。夫は元将軍で、今は国王の身辺護衛の指揮官をしているはずだ。戦地で姿を見なかったので、王の進軍には随行しなかったのだろう。
「お元気そうで何よりでございます。夫が受け取った伝令に、殿下が単身で敵総大将の首を討ち取りに行ったと書かれていたと聞いたときは気が気ではございませんでしたよ」
「心配をかけてすまない。だが、この通り怪我はしていないよ。ローゼリア国王やエドワルド殿下に味方いただけて、本当に助かった」
「そうですわねえ。でもそれは殿下を助けたいと皆様が思ってくださったからでございます。殿下の人望でございますよ。戦場で敵総大将を討ち取られたことと言い、ばあやは本当に鼻が高うございます。フィリス様もお聞きになればさぞ誇らしく思われることでしょう」
母フィリスの名を出されて、アルベールは苦笑した。
アルベールを思い、いつも悲嘆に暮れていた母だったのに、ローゼリア国で約三年ぶりに見た彼女はびっくりするほど強くなっていた。思うところはあったろうに、戦地へ送り出してくれた母の顔を思い出し、今の母ならば危険なことをするなと叱るよりも褒めてくれるかもしれないと思う。
アルベールがいなくなっても、部屋を整え続けてくれたのだろう、塵一つ見当たらない部屋を見まわして、モリンに勧められるままにソファに腰を下ろす。
「お疲れでございましょう? お茶をお入れいたしましょうね。浴室の準備もできております」
モリンがそう言って、手際よくお茶の準備をはじめる。
モリンの手つきをぼんやりと見るでもなく見ていると、コンコンと扉が叩かれる音がした。
「ああ、いい、私が開ける」
モリンが手を止めようとしたのを制して、アルベールが扉を開ける。
扉の外にいたのは、モリンの夫、グレンヴィルだった。
「グレンヴィル将軍……いや、今は元帥になるのか」
「将軍で結構ですよ。元帥なんて椅子に座っているだけの仕事、性にあわんのですわ。槍を持って戦地を駆け回る一兵卒の方がよほどいい」
グレンヴィルがカラカラと豪快に笑うと、それを聞いたモリンが顔をしかめる。「まったく、いくつになっても軍人馬鹿」とモリンがつぶやいたのが聞こえてきた。
「それで、何の御用ですか。殿下はお体を休めなくてはなりません。ろくでもない用事だったら叩き出しますよ」
「そう言うな。陛下がお呼びなのだ」
「父上が?」
父も長距離の移動で疲れているはずだ。それなのに帰って早々アルベールを呼びつけるとは、よほどのことがあったに違いない。
さすがに国王の呼び出しを無視するわけにもいかないので、モリンに断ってグレンヴィルとともに部屋を出た。
クレアド軍との戦争、王妃の近親者が城を追われたりと、城内は閑散としている。兵士の大半は戦に取られ、護衛兵士の数も足りないという理由で、グレンヴィルが王の部屋までの護衛としてついてきてくれることになった。
「殿下は、こちらにお戻りになるんですか?」
メイドたちも戦地から帰ったエドワルドやローゼリア軍の世話のために取られているので、廊下はびっくりするほど閑散としている。
人気の少ない廊下を歩きながらグレンヴィルに訊ねられて、アルベールは言葉に詰まった。
まだ、自分がどうしたいのか、答えが出せていない。
王子としての正解は、ブロリア国に戻り、ゆくゆくは父のあとを継いで王になることだろう。
だが、急激に立場が変わって──変わりすぎて、アルベールの心がついて行かなかった。
(シャーリーに……会えなくなる)
思えば、二十年生きてきた中で、僅か数か月の、シャーリーと出会ってからの緑の塔の中の生活が、アルベールには一番楽しくて幸せな時間だった。
できることならもっとずっとそうしていたかったし、今も、もしも選び取れるならそうしていたいと思う自分がいる。
アルベールが答えられないでいると、グレンヴィルが微かに笑った気配がした。
「殿下にこの国に戻って来ていただく……それは虫のいい話でしょうな。殿下がどんな立場でいらっしゃったのか、私もよくわかっております」
「将軍……」
「殿下。今から申すことは、ただの爺のたわごとだとお思いになってください。……殿下がローゼリア国に赴かれ、しばらくして、グレゴリー殿下とドナルド殿下の王位争いが本格化しました。貴族たちはグレゴリー殿下派とドナルド殿下派に分かれ、国としてのまとまりを徐々に失っていった。そんなさなか、グレゴリー殿下が戦死され、ドナルド殿下がミッチェル殿下とともに国を捨てて姿をくらました。王妃様は国を捨てて逃げようとし……兵に殺められた。アルベール殿下もご存知の通り、この国の勢力は大きく、王妃様の派閥、グレゴリー殿下の派閥、そしてドナルド殿下の派閥の三つがありました。陛下にお仕えしている臣下も多いですが、彼らのほとんどが、その三つの派閥のどこかに属していたと言ってもいいでしょう。その三つの派閥が、僅かの間にすべてなくなったのです。今はまだ、クレアド国という強敵を討ち取った直後で盛り上がっているからいいでしょう。しかしその盛り上がりが沈静化しはじめたとき、この国はどうなるでしょうか。陛下は穏やかな方です。戦地に出向かれたことで、臣下たちの間では陛下に対する評価も上がっております。しかし、長い間王妃様の言いなりになっていた過去は消えません。……この国には、国を導く新しい旗が必要です」
「その旗が、ずっと日陰の中で生きてきた、第三王子の私?」
「ご納得はいただけないかもしれません。でも、殿下もご存知の通り、今の殿下は国を救った英雄です。殿下が立てば、多くの臣下が……民が、殿下につきましょう」
「…………」
グレンヴィルの言いたいことはわかる。わかるからこそ、アルベールは是とも否とも答えられなかった。
「爺が偉そうなことを、大変失礼しました。こうは言いましたが、私は先ほども申した通り、殿下がどんなお立場でいらっしゃったのか、重々承知しております。殿下がどんなご選択をされても、私は何も申しません。殿下に無理強いしようものなら、家内に怒られますからな」
グレンヴィルはそう言って足を止めた。アルベールは気が付かなかったが、王の部屋の前に到着していたようだ。
グレンヴィルが扉を叩き、アルベールを連れてきたことを告げると、中から「入れ」と父の声がした。
部屋に入ると、ゆったりとした部屋着に着替えた父の姿があった。甲冑を脱いだだけのアルベールに、呼びつけるのが早かったかと申し訳なさそうな顔をする。
「今から塔の登録の書き換えに行こうと思ってな。そなたも一緒の方がいいだろうと思って……」
ドナルドたちが戦の終結に気づいて塔から出てくる前に登録してしまいたいらしい。
緑の塔への登録の方法は、代々王にしか知らされていない。アルベールもはじめてだ。
玉座の間に向かうと言うので、グレンヴィルを護衛に、アルベールは父のあとをついていく。
グレンヴィルを玉座の間の扉の前に待機させて、アルベールは父とともに室内へ入った。
玉座の間は使用する時以外は王しか入れないので、室内には当然誰もいない。
「こっちだ」
父は入口から玉座のある数段高い上座まで真っ直ぐに伸びている緋色の絨毯の上を進んでいく。
玉座の裏には絨毯と同じく緋色のカーテンがかけられていて、父がそのカーテンを開いた。
カーテンの奥の壁に、何やら不思議な模様が描かれていた。
(これ……地下二階にあった模様と似ているな)
見比べていないので定かではないが、まったく同じでもなさそうだ。だが、シャーリーがときどき「魔法陣」と呼ぶ模様に似ていた。
模様の中央には丸い石がはめ込まれていて、父が左手の中指にはまっている指輪の青い石を、模様の中央の石に押し当てる。
すると壁の模様が強く光り輝いて、視界がぐにゃりと歪んだ。
驚いていると、次の瞬間、アルベールたちが立っている場所がかわっていた。
青白い光に包まれた何もない空間に、青い球体の石が浮いている。
「……ここは?」
「塔に入る人間を登録する石だ」
父は壁の石にしたのと同じように、青い球体の石にも指輪を押し当てる。
「アデル・コンストンス・ローゼリア。シャーリー・リラ・フォンティヌス」
父が二人の名前を口にすると、石の色が赤く変わった。父によると、今、登録の解除を行ったらしい。登録者が一人もいなくなると、石は赤くなるのだそうだ。
続いて、父は一度ぐっと眉を寄せたあとで、再び口を開く。
「ドナルド・ポールウィン・ブロリア。ミッチェル・パット・ブロリア」
二人の名前を告げると、石は再び青色に戻った。これで登録完了らしい。
登録自体は難しくないが、この部屋へは王族の血を引いた人間しか入れないそうだ。入る鍵は、父が指にはめている、代々受け継がれてきた青い石の指輪だという。
父は青い球体の石から指輪を離し、口元をゆがめて自嘲した。
「何度やっても、あまり気分のいいものではないな」
父に魔力はない。だから、緑の塔の中がどのような場所か、親兄弟に聞かされた内容でしか知らない。父の中で、緑の塔は牢獄のような場所で、そんな場所に誰かを閉じ込めるのは、人の良い父にはさぞ心苦しいことだろう。
「……父上は……、父上にとって、玉座は重いですか?」
こんな時でないと聞く機会もないと思うと、自然とそんな問いかけをしていた。
父は訊ねられたことが不思議だったのか、目を丸くして、それから眉尻を下げる。
「重いか。そうだな、重いかもしれない。だがどちらかと言うと私には……苦しいと言う言葉の方がしっくり来る」
「苦しい?」
父は中指にはまった指輪を無造作にいじりながら続けた。
「そなたも知るように、私は魔力持ちではない。魔力を持って、塔に閉じ込められたのは、私ではなく弟だった。弟は七年塔の中にいたよ。私は……できることなら、弟に玉座についてほしかった。しかしそうなる前に……弟が塔の中にいる間に、父が病に倒れた。私は仕方なく王になった。そして弟が緑の塔から出てきたとき、私は弟に玉座を譲ろうとした。しかし弟は、七年も一人きりで耐えたのだから、残りの人生はゆっくりさせてくれと言った。弟の方が王の器なのに、私は器ではないのに、そんなことを思いながら今日まで玉座に座り続けた」
だから苦しい、と父はつぶやく。
「人は……臣下は、国民は、私を見てどう思うだろう。情けない国王だと思っているに違いない。王妃は私に威厳を求めた。臣下は私に賢さを、強さを求めた。しかしそのどれも、私は持っていないのだ。求められて、必死に取り繕おうとするうちに、だんだんと苦しくなった。だけど、玉座を放り出すわけにはいかなかった。玉座に座ると言うことは苦しいことだ。その重圧が息子たちに圧し掛かるのを、できる限り先延ばしにしてやりたい。ただそれだけの理由で、私は玉座に座っている。臣下や国民が聞いたら怒るだろうな。だから……」
ブロリア国王はアルベールを見た。それは、父が息子を見る目だった。
「無理強いをしようとは思っていない。そなたが選びたい道を、選んでほしいと思っている」
アルベールは何かを言おうとして、結局何も言えずに口を閉ざした。
ずっと情けない父親だと思っていた。
でも、本音を口にし、逃げたくても逃げずに玉座に座り続けた父を、どうしてか、情けないとは思えなかった。
二人で登録の部屋から出て、玉座の間をあとにする。
──そしてその夜、アルベールは答えを出した。