「アデル様はなにをしているんですか?」
少し離れたところで二人を見守っていたアルベールに訊ねると、彼は苦笑して「乗り心地の確認だそうだ」と言った。
アルベールがフェンリルに乗ってほぼ垂直の崖を駆け下りたと聞いたアデルが、フェンリルの背中に乗りたがったらしい。フェンリルがアデルを背中に乗せることを許せば、今度はエドワルドが騒ぎ出したと言うわけだ。
(まあ、全部作り終えるのにもう少しかかるから、時間を潰してくれているのは嬉しいけど……、酢の物とサラダがなくならないといいわね)
シャーリーがダイニングテーブルの上に並べていくのを、ノームがよだれを垂らしながら見ている。イフリートも当然のように椅子に座っていた。早くしないと、胃袋が底なし沼のこの二人の精霊にすべて食べられる気がする。
シャーリーがキッチンへ戻ると、ややして、エドワルドの「全部食べるな!」という悲鳴が聞こえてきたから、やはりイフリートたちが遠慮なく食事を平らげているに違いない。
(ノームはまだしも、マッチョで巨体なイフリートが太ったらどうなるのかしら?……あまり、想像したくないわね)
茶碗蒸しの火加減を見ながら、シャーリーはやれやれと息を吐いた。
「クレアド国の残党は全員捕縛した。もっとも、クレアド国を潰したわけではないから安心もしていられないだろうが、クレアド国王の長子はまだ赤子だったはずだからな。さすがにそれを王に立てて、再び攻め入って来るとは考えられないし、クレアド国内に残る戦力を考えると、次に攻め入られたとしても充分に太刀打ちできるはずだ」
食後のデザートのリンゴを満足そうな顔をして食べながら、エドワルドが言った。
腹が膨れたからか、ノームはテレビの前のローテーブルの上、イフリートはソファの上、フェンリルは床に寝そべって熟睡している。
皿洗いを終えて、人数分のお茶を入れながら、シャーリーはエドワルドに訊ねた。
「それじゃあ、ブロリア国は大丈夫なんですね?」
エドワルドはちらりとアルベールに視線を向けて、「まあ、一応はな」と答える。
一応、という単語が気になったが、勝利を収めて凱旋帰国した二人に余計な口をはさむべきではないだろう。それよりも、どのようにして勝利を収めたのかを聞きたい。ラッセル老の作戦についてはエドワルドから教えられて聞いていたけれど、作戦通りにことが進んだのかも気になった。
アデルも二人の武勇伝が聞きたいようで、穏やかな笑顔でエドワルドに戦場のことを訊ねる。
「ラッセル老の作戦のおかげで、こちらの被害はほとんど出なかったんだろう?」
「そうですね。じゃあ……」
エドワルドは食べかけていたリンゴを口の中に放り込むと、言葉を探すように顎を撫でながら話しはじめた。
「予定通り、俺とアルベール殿下は軍を二つに分け、俺は北西街道の出口へ向かいました。途中、クレアド軍と戦っていたブロリア軍と合流し、北西街道の出口に陣を張り、クレアド軍を迎え撃つべく待ち構えていました」
もともとクレアド軍と戦っていたブロリア軍は疲弊していたので後方支援を、前線指揮者にはヘンドリックが立ったそうだ。エドワルドは総大将なので前線へ出る許可は出ず、後方で指揮を執っていたという。
ヘンドリックの名前が出ると、アデルがきゅっと唇を引き結んだ。戦争が終わり、ヘンドリックが無事だとわかっているのに、琥珀色の瞳が不安そうに揺れている。
「作戦通り、ノームが北西街道を封鎖し、イフリートが森に火をつけました。南からは脱出できないほど、圧倒的な火力をもって森を燃やしてくれたおかげで、クレアド軍はすべて北西街道から迂回し北北西街道へ集まってきました。そして、クレアド軍がアルベール殿下が待機している崖のあたりを通過したとき、ヘンドリックたちは街道から、アルベール殿下たちは崖の上からクレアド軍に攻めかかりました」
ノームの投擲でクレアド軍を分断し、中央にクレアド国王イーサンと一部の兵を閉じ込める。
アルベールはフェンリルに乗って、ほぼ垂直の崖を駆け下り、イーサンと剣を交えたと言う。
エドワルドがちらりとアルベールに視線を向けると、ゆっくりとお茶を飲んでいた彼が小さく笑った。
「手こずったけど、ノームとフェンリルがいたおかげで、私はなんとかイーサンの首を落とした。イーサンの首を取ったことを宣言すると、クレアド軍が動揺し、結束が崩れ、その隙を突いてブレンダン将軍率いる軍が畳みかけた」
「しかしそれほど経たないうちに、イーサン国王の弟がクレアド軍を鼓舞して形勢を立て直そうとしてきました。その時には俺とラッセル老も戦況確認のために比較的前の方に出ていて、ラッセル老がこのままではまずいと言い出した。イーサンの弟まで出てきているのは誤算だったらしい。クレアド軍は多い。軍を立て直す時間くらい、いくらでも稼げるだろう。ラッセル老は、急いで王弟の首を落とせと言った。それを聞いたレンバード将軍が、隙を見て単騎で突っ込んでいきました」
「単騎で!?」
アデルが悲鳴のような声を上げる。気持ちはわかる。巨大な軍勢に、いくら将軍でも一人で立ち向かえるはずがない。
「クレアド軍の人数が多すぎて、王弟の首を狙うには単身の方が動きやすかったとは言え、さすがに俺も焦りました。俺は急いでイフリートを呼び戻して、姿を消したままレンバード将軍の援護に回るように頼みました。と言っても、イフリートはほぼ出番がなかったようです。レンバード将軍は大勢の中から王弟を見つけると、あっという間にその首を取って見せました。一瞬でしたよ。レンバード将軍が戦っているのをはじめてみましたが、驚くほど強かったです」
イーサン国王に続いて王弟まで討たれたクレアド軍が崩壊するのは、早かったそうだ。
そのころには、アルベールやブレンダン将軍たちの手によって、クレアド国の将軍クラスの人間はかなり討ち取られていたらしい。
いくら軍事力が上でも、指揮者が誰もいなくなれば瓦解は早い。人数が多ければ多いほど統率できなくなってしまう。
「逃げようとして燃えている森の中に向かった者たちもいましたね。イフリートに確認させましたが、誰も生きてクレアド国には戻れなかったようです。投降してきたものたちは全員捕縛、抗った者たちは全員討ち取られました。捕縛や後処理に数日かかり、ほぼ終わりが見えてきたころに、軍を率いてブロリア国王がやってきました」
「ブロリア国王が?」
シャーリーが驚いてアルベールを見ると、彼は肩をすくめて見せた。
「グレゴリーが討ち取られて、その敵討ちがしたかったんだと思う」
「それだけではないですよ。アルベール殿下が前線に立つと聞いて、加勢しに来てくれたんです」
「……そう、かもしれないけど」
アルベールの声に戸惑いがにじむ。
気弱で王妃の尻に敷かれて、王妃や異母兄弟たちに理不尽な目にあわされるアルベールに救いの手を差し伸べることもできなかった国王が、まさか自分の援護のために奮起するとは思わなかったのだろう。
しかし、国王が前線へ向かうことを、よく王妃が許したものだと思えば、アルベールによると、なんと、王妃は死んだらしい。
「ブロリア国王が合流し、捕縛したクレアド軍を王都へ移送することになりました。礼もしたいとおっしゃられて、俺たちもブロリア国の王都へ向かいました。そうそう、ブロリア国王陛下が姉上とシャーリーの塔の登録を解除したので、もう外へ出られますよ。ただ、二人とも出ると無人になるので、父上の判断が必要かとは思いますが」
シャーリーは目を丸くした。
「解除してよかったんですか?」
「ああ。父上には、ドナルドとミッチェルがブロリアの緑の塔へ逃げ込んだことを伝えたんだ。そして、説明が難しかったため、地下二階の部屋のことも説明した。アデル王女やシャーリーがローゼリア国の緑の塔にいることも知っている。父上は、グレゴリーが討ち死にし、国が制圧されそうになっている状況で、自身の保身に走った二人にひどく落胆して、そんなに塔の中がいいなら、一生塔の中で生活すればいいだろうと言って、シャーリーたちの代わりにドナルドとミッチェルを緑の塔に登録したんだ」
なんと、そんなことになっていたとは。気弱だと聞いていたが、さすがは国王と言うべきか、決断するときはするようだ。
「クレアド国をどうするかは、八か国会議で話し合うそうです。今なら攻め入れば国を奪うこともできると思いますが、緑の塔が枯れ始めているのなら、砂漠化するのを待つだけの土地です。奪ったところで無意味ですから、国境付近に監視を置いて、亡びるまで放置するかもしれませんね」
自分勝手な理由で他国に攻め入ったクレアド国に残る人々に、手を差し伸べる国はないだろうとエドワルドは言った。
つまり、国に残っている国民は、砂漠化していく国に取り残されて、死を待つのみということだろうか。さすがにそれはひどすぎるのではないだろうかとシャーリーは青くなったが、政治的な問題にシャーリーが口を挟んでいいはずがない。
どこか納得できないまま口をつぐんでいると、アデルが顔を上げた。
「サリタ王女はどうなる?」
「それは……」
エドワルドが困ったように眉を寄せる。
「クレアド国の動きを報告してくれたこともありますし、彼女が今回の戦に関わっていないのは明白ですが……王女ですからね」
「だが……サリタ王女を国に戻せば、待っているのは処刑になるかもしれないよ」
「処刑? アデル様、どういうことですか?」
シャーリーがギョッと目を見開くと、アデルが悲しそうに目を伏せる。
「サリタ王女はこちら側にとってはクレアド国の状況を教えてくれた恩人だ。だが、クレアド国にとっては、国を裏切った裏切り者だということだよ。サリタ王女のせいで戦争に負けたと、そう考える人間も少なくはないだろうと言うことだ」
「そんな……! エドワルド様、それはさすがにひどすぎます!」
「わかってる。だが、こればかりは父上に判断をゆだねるしかない。クレアド国は戦を起こし、ブロリア国を陥れた国だ。戦に出たローゼリア軍も、死者こそいなかったが、怪我をしたものも多い。戦を起こしたクレアド国の王女がこの国に残ったところで、周囲の目は厳しいだろう。下手にかばえば、父上に反発するものが出ないとも限らない」
難しい問題なんだ、とエドワルドが唇をかむ。
「それにサリタ王女も、わかってのことだと思う」
覚悟してローゼリア国に来たはずだと、エドワルドは言う。だが、そんなの納得がいかない。
「父上に口添えはする。だが、あまり期待はしないでくれ」
「アデル様!」
「シャーリー……こればかりは父上にしか決められないんだ。わたしもエドワルドも、父上の決定には逆らえない。……ローゼリア国においてやれなくても、秘密裏に逃がしてやることはできるかもしれない。だけど、ずっと王宮の中で生活してきて外の世界を知らない王女が、一人で生きていけるだろうか? ならば修道院に押し込める? それは幸せなのか?」
そうかもしれない。でも……。
シャーリーが俯くと、アルベールがシャーリーの肩を叩いた。
「もしサリタ王女が魔力を失っていなければ、緑の塔の中に匿うこともできただろうけど……魔力を失ってしまったというのだから、それもできない」
アルベールの言葉に、シャーリーは顔を上げた。
「その魔力ですけど、サリタ王女はどうして失ってしまったんですか? 失った魔力は元には戻らないんですか?」
「前例がないことだから……私もわからない」
「そう、ですよね……」
シャーリーが再び俯くと、エドワルドが気を取り直したように言った。
「そう落ち込むな。サリタ王女も、さすがに今すぐに追い出すようなことにはならないだろう。戦の事後処理でばたばたしているから、サリタ王女の問題は先送りされる可能性が高い。しばらくは城にいるはずだ」
ならば、サリタ王女が城にいる間に彼女の魔力を取り戻す方法を思いつけば、塔の中に避難させてあげられるだろうか。
もしそれでクレアド国の塔の中に入ることが可能になれば、クレアド国も滅びない。
ブロリア国とローゼリア国以外も、地下の魔法陣でつながっているかどうか調べることもできるようになるかもしれない。
クレアド国の塔の中を、シャーリーがローゼリア国の塔のように快適に改造すれば、塔での生活もそれほど苦ではなくなるだろう。処刑されるよりよほどいいはずだ。
シャーリーがぐっと拳を握りしめていると、エドワルドが大きな欠伸をした。
「話はこのくらいにして、そろそろ休んでもいいですか?」
そうだった。エドワルドもアルベールも帰って来たばかりで疲れているのだ。二人は今日は塔の中で休むらしい。城よりも塔の中の方が落ち着くのだそうだ。
「ああ、それから」
おやすみと言いながらダイニングを出ようとしたエドワルドが、思い出したように振り返った。
「姉上。父上に話を通しておきますから、レンバード将軍に会いに行ってください。レンバード将軍はブロリア国の緑の塔の中に姉上がいると思っていて、無事を確認させろと言って大変だったんです。入れ違いでローゼリア国に戻ったことにしておいたんで、姉上が会いに行かなければ、緑の塔の周囲を徘徊しはじめそうです。帰って来て城の中を探しはじめたんで、塔の中にいることにしてあるんですよ」
何故ローゼリア国に戻って来たのに塔の中にいるんだとか、いろいろ問い詰めてくるので面倒くさかったとエドワルドが顔をしかめた。
アデルは目を丸くして、それから困ったように微笑んだ。
エドワルドとアルベールがそれぞれ部屋に上がって、シャーリーも自分の部屋で就寝の準備をしていると、コンコンと控えめに扉が叩かれる音がした。
アデルだろうかと扉を開けると、そこにはアルベールが立っていた。
「少し話せるか?」
所在無げに視線を彷徨わせながら、アルベールが訊ねる。
どうぞ、と部屋の中に招き入れたが、アルベールは立ち尽くしたまま動かない。座る場所に困っているようなので、シャーリーは指パッチン魔法で二人掛けのソファを出した。
ソファにちょこんと座ったアルベールの表情は、どこか浮かない。
(そう言えば……ちょっと元気がなかったような……)
アルベールはもともと口数が多い方ではないが、先ほどのダイニングでの報告時、ほとんどの説明をエドワルドに任せていた。
アルベールが大活躍したことは間違いないし、クレアド軍の脅威から国を守った彼は、もっと話に混ざってもよかったはずだ。
「何かあったんですか?」
もしかして、ブロリア国にいた彼の親しい人が大怪我をしたり命を落としたりしたのだろうか。心配になっていると、アルベールは無理に笑顔を作って、それから俯いた。
「実は……私は近く、ブロリア国に戻ることになるんだ」
「え!?」
シャーリーが目を見開くと、アルベールが「仕方がないことなんだが」と前置きして、ぽつりぽつりと話し出す。
「シャーリーも知っている通り、グレゴリーは死んだ。ドナルドとミッチェルのことも、国を見捨てたと父上が怒って切り捨てた。そして王妃も死んだ。……王妃は、国を捨てて逃げようとしていたらしい。戦で物資が回収され、国民たちの生活が圧迫されている中で贅沢三昧を続けていた王妃はただでさえ強い反感を買っていた。父上は母上の言いなりだったが、大臣たちはあれでも、王妃に行動を改めるように進言していたらしい。だが王妃は自分のことしか考えておらず、グレゴリーが死んだと知った王妃は次は我が身と狼狽えて逃げる準備をはじめたらしい。しかも、自分の身を守るために、戦場に行かなければならない大勢の兵たちに自分の護衛につくように命じて、多くの金品や食料まで持ち出そうとした。結果──王妃は逃げ出した際に、護衛としてついていた兵の一人に殺害された」
そこでアルベールは一度口を閉ざした。抑揚のない声で淡々と語っているが、不安そうに揺れている空色の瞳が、彼の動揺を物語っているようだった。
シャーリーは指を鳴らして、ペットボトルの水を二本取り出した。アルベールに一本渡すと、彼は無言でキャップを開けて、三分の一ほどの量を一度に飲み干した。
「王妃が死んだことで、結果的に、父上は自分の行動を制限する人間がいなくなったため戦場に立った。王妃の言いなりだった父上は臣下からの信頼も、国民からの支持率もあまり高くなかったんだが、国を守ろうと動いたことでいくらか支持者が増えたようだ。だが、世継ぎ一人を失い、二人を断罪した以上、父上の子は私しか残らなくなった。別に私が継がなくても、従兄弟たちが継げばいいんだが……私は、今回下手に功績を立ててしまったから……。父上も、私があとを継ぐことを望んでいると言った。おかしいだろう? 不要だからと緑の塔に押し込められたのに、今度は必要だから帰って来いと言われるんだ」
「アルベール様……」
「わかっている。別に父上を恨んでいるわけじゃない。あの人は私や母上を守ってはくれなかったけれど、私たちを疎んでいたわけではないし。王妃に隠れて、会いに来てくれたことだってあるし……、我が父親ながら情けないなと思ったことはあったけど、父親なのは変わりないから……」
ペットボトルのキャップを意味なく開け閉めしながら、アルベールが息をつく。
「戦争が終わって、王都に帰って、父上と話をしたんだ。たくさん。あんなに父上と話をしたのは……はじめてかもしれない。父上は、今度のことがあったから、引退を考えていると言った。これ以上自分が玉座に居座るのは、国のためにはならないと言った」
アルベールは一度目を閉じると、ゆっくりと開く。
真っ直ぐにシャーリーを見つめて、そして、どこか泣きそうな顔で言った。
「だから私は帰ることにした。私はこれでも、王子だから。父上のあとを継いで、ブロリア国王になる。シャーリーとは……お別れだ」
シャーリーは息を吞んで、手の中のペットボトルをぎゅっと握った。
ぺこんと、ちっぽけな音を立てて、ペットボトルが少し潰れた。