サイドストーリー アルベールの戦い


「殿下、塔の中でお過ごしになられた割には、それほど体はなまっていないようですな」

 野営に張ったテントの脇で、ブレンダン将軍に頼んで剣の稽古をつけてもらっていたアルベールは、肩で息をしながら苦笑した。

「馬鹿いえ。前ならこのくらいで息が上がったりしなかった、よ!」

 上段から打ち下ろし、あっさり受け止められて舌打ちする。

 シャーリーが塔の中に体を鍛えることができる部屋を作ってくれたおかげで、トレーニングはしていたけれど、やはり塔に入る前に比べると幾分も劣っている。

(フェンリルの補助がなかったら、たぶん、崖を降りた途端に打ち取られるレベルだな)

 ブレンダン将軍にも止められることがわかっているので、崖を下り降りて敵総大将クレアド国王イーサンの首を取りに行くことは秘密にしてある。下手に打ち明けると、戦場にすら連れていってもらえなくなるような気がしたからだ。

 進軍中だ。あまり体力を消耗しない方がいいのはわかっているけれど、多少でも昔の勘は取り戻しておきたい。

 小一時間ほどブレンダン将軍相手に剣を振るい、終わったあとは思わずその場に座り込んだ。

 剣を握っていた手が少ししびれている。ぜーぜーと肩で息をしているとブレンダンが水の入った革の水筒を渡してくれたので、遠慮なくいただくことにした。

 少し息が追い付いてきたので、ポケットからビスケットの入った小袋を取り出すと、隣に座ったブレンダン将軍が不思議そうな顔をする。

「そう言えば殿下、よくそのビスケットを召し上がっていますね」

「ああ。大切な人にもらったんだ」

 ビスケットを一つ口に入れて、アルベールはふにゃりと頰を緩ませる。

 保存のきくビスケットは、軍の荷物にも入っているが、これは一味違う。なにせシャーリーのお手製だからだ。保存がきくように考えられているけれど、シャーリーは味も妥協しない。だからほかの保存ビスケットよりも何倍も美味い。

 ブレンダン将軍が興味津々な顔をしていたので、アルベールはビスケットを一枚差し出した。

「食べるか?」

「よろしいのですか?」

「ああ。たくさんあるんだ」

 アルベールのテントに置いてある荷物の中に、ビスケットがたくさん詰まっている。そのほかにも、外で簡単にミソスープが飲めるミソ玉というものも作ってくれた。シャーリーは短い時間で最大限の準備を整えてくれたのだ。

 ちなみにブレンダン将軍が数日前に、ミソ玉を溶いて作ったミソスープを物珍しそうに見ていたから、一度渡してみたところ、何やら大興奮された。美味くて簡単で塩分が取れて画期的だとかなんとか言って、作り方をしつこく訊かれたけれど、アルベールが知らないと言えば残念そうに肩をすくませていた。

 ブレンダン将軍はアルベールが差し出したビスケットを口に入れて、目を丸くした。

「美味い、ですな」

「だろう? 硬いのはほかの保存用のビスケットと同じなんだが、これは美味いんだ。味も、バターとチョコレートの二種類がある」

「ほほう」

「だが、保存を考えて作ったこのビスケットよりも、いつも作ってくれるクッキーの方が美味いんだ。ほかにもいろいろな菓子があって、菓子以外にも彼女が作るものは全部美味いんだが、その中でも私は──」

 饒舌に語りはじめたアルベールだが、ブレンダン将軍が微苦笑を浮かべたので、ハッとして口をつぐんだ。

「興奮してすまない。その……忘れてくれ」

 食べ物について熱く語るなど、ブロリア国にいたころのアルベールには考えられないことだった。王族の食事がまずいのはブロリア国も同じだったから、食に対してさほど興味がなかったのだ。

「いえ、忘れませんよ。……塔に入れられることになって、どれほど苦痛だろうかと思っておりましたが、殿下はいい方々と出会われたようですね」

「……ああ」

 アルベールは頷きながら、それもこれもすべてシャーリーに出会うことができたあの奇跡のおかげだと思った。

 あの日、シャーリーに出会うことができなければ、シャーリーがいなければ起こり得なかった奇跡。

 シャーリーに出会わなければ、アルベールは今もローゼリア国の緑の塔の中に一人ぼっちで、クレアド国が戦争を起こしたことも知らなければ、こうして国を守るために立ち上がることもなかっただろう。

 あの奇跡の日から、アルベールの世界は一変したのだ。

「これを作ってくれた彼女のためにも、私は必ず勝って帰る」

「そこは国民のためと言っていただきたいところですな」

「もちろん、国民のために戦っている。だが、私は勝って、一番に彼女の顔が見たい」

 ローゼリア国の塔の中で勝利を祈ってくれているシャーリーを安心させてやりたいのだ。

 ビスケットを食べてアルベールが立ち上がると、同じように立ち上がったブレンダン将軍が、剣を片づけながら、ふと真面目な顔で訊ねてきた。

「殿下。……この戦争が終わったら、殿下はどうされるおつもりですか?」

 アルベールは虚を突かれたような顔をして、それから言った。

「そうだな……、希望としては、ローゼリア国の塔に戻りたいな」

「は?」

「ああ、でも、母上が心配するか。……ならばできれば、母上とともにローゼリアに住みたいな」

「殿下」

 ブレンダン将軍が、突然アルベールの腕をつかんだ。

「ブロリア国に戻られないのですか? 今のあの国にはグレゴリー殿下はおられません。殿下が戻られなければ──」

「国王も王妃もいる。ドナルドやミッチェルだって、戦争が終われば塔から出てくるだろう。私が出る幕はどこにもないよ」

…………

 沈黙したブレンダン将軍に、アルベールは小さく笑った。

 正妃の子だったグレゴリーとアルベールはそれほど接点はなかった。グレゴリーはアルベールに興味がなかったし、アルベールももちろんそうだったからだ。だが、正義感が強く、どこか人をひきつける魅力があったグレゴリーは、王に向いていたのかもしれないと、今では思う。そのグレゴリーが戦死した以上、父王のあとを継ぐのはおそらくドナルドになるだろう。ブレンダン将軍には悪いが、ドナルドを王にいただいた国に戻りたいとはこれっぽっちも思わない。

 もちろんそれは、アルベールの一存ではどうしようもないだろう。

 だがこの戦争で、もし父王がアルベールに褒章を与える気になったなら、アルベールはローゼリア国への移住を申し出たい。正妃だって、目障りなアルベールが消えてせいせいするはずだ。

 ブレンダン将軍の手が緩んだので、アルベールは汗を拭いてくると言ってテントへ向かう。

 ブレンダン将軍が、アルベールの後ろ姿が見えなくなるまで見つめ続けていたことには、気が付かなかった。

 北北西街道の崖の上に到着したアルベールたち一行は、崖下から見えない位置にテントを張ると、そこで待機することにした。

 作戦決行まであと一日ある。エドワルドが率いるローゼリア軍はこちらへ向かってきていることだろう。

 前線でクレアド軍の進軍を押さえていたブロリア軍には、ブレンダン将軍が機を見て今日中に撤退するように連絡を入れていた。彼らはそののち、ローゼリア軍と合流し、北北西街道で敵を迎え撃つことになる。

 目立たないところにテントを張り、小雨が降っていることもあって、アルベールたちは開戦までそこで休むことにした。

 ノームにはすでに北西街道の封鎖を頼んでいる。できるだけ音を立てないようにお願いしてみたところ、そんなことはお安い御用だと彼(?)は言った。頼りになるモグラ様だ。

 作戦決行日が近くなればなるほど、緊張のせいか眠りが浅くなっていたアルベールは、まだ昼間だけれど、テントの中で横になって、少しでも体を休めようとした。

 しかし一向に眠れそうもなく、一時間ほどごろごろしていたアルベールのもとに、ブレンダン将軍がやってきた。

 招き入れると、ブレンダン将軍は強張った顔をしていた。小さな文を握りしめている。

 もしかして、想定外の何かが起きたのだろうか。アルベールは不安になったが、テントに入ってきた彼が言うには、鷹文でブロリア国王からの知らせが入ったとのことだった。

「父上から?」

 ローゼリア国軍とともにクレアド軍を討ちに行くことは、ブロリア国王にも知らせてあった。父王はアルベールが母とともに逃げなかったことを責めなかった。鷹文で短く、命を無駄にするなとだけ書かれた手紙が届けられた。

 アルベールとしては戦意を喪失するようなことを言わないでほしかったけれど、父なりに心配してくれていることだけは伝わった。長子であるグレゴリーの死が相当応えている父王は、勝機があると伝えたのに、この戦をすでに諦めてしまっているのかもしれない。

 弱気な父らしいといえばらしいが、少しくらい息子を信じて激励の言葉をくれたっていいだろうに。

 そんな父からの手紙だという。作戦決行日を前に、いったい何の用だろうか。もしかしなくてもまた逃げろと言い出すのではないかと眉を寄せて、アルベールはブレンダン将軍から文を受け取った。

 そこには短く、こうあった。

 ──王妃が死んだ。私も進軍する。

「……は?」

 アルベールの目が点になった。

 いやいやちょっと待ってほしい。鷹文だ。もちろん長い手紙は送れないが、これはあんまりではなかろうか。まったく内容が理解できない。

「ブレンダン将軍。王妃が死んだというのは本当か?」

「わかりませんが、陛下が噓をおっしゃるとも思えませんし、陛下の進軍は王妃様が止められていましたので、進軍なさるということは真実ではないでしょうか」

「……ばかな」

 殺しても死なないような図太い女だ。にわかには信じがたい。

 だがブレンダン将軍が言うには、戦場に向かわず自分を守れと、王妃は自身の周りを多くの兵で固め、グレゴリーが死んで息子の敵を討とうと死ぬ気で立ち上がろうとした国王を止めていたらしい。王妃は国を捨てて逃げる準備も進めていたそうだ。

「しかし今から進軍したところで……」

 王都からここまではどんなに急いでも十日ほどかかる。

(……あの人は本当に間が悪いな)

 正直、突然ブロリア国王が現れたら、エドワルドが困惑するだろう。逆に戦場を混乱させるだけだ。弱気な父が、それでも国を守ろうと奮起したのは評価するけれど、ちょっと迷惑である。

(まあ、父上が到着するころには、あらかた片づいているだろうがな)

 アルベールは文を持ってブレンダン将軍とともに外へ出ると、焚火の中に文を入れた。国王の進軍はともかくとして、王妃の死は今この場では兵に知られてはならない。士気にかかわるからだ。

 ブレンダン将軍に、鷹文でブロリア国王が軍を率いて向かっていると、エドワルドに伝えてもらうように頼み、すっかり眠気の覚めたアルベールは、火の側の、雨よけに布を張っている下に座った。

 火を焚くついでに湯が沸かしてあるので、シャーリーが持たせてくれたミソ玉を木製のカップで溶いて即席ミソスープを作る。

 それをちびりちびり飲んでいると、エドワルドに連絡を取り終えたブレンダン将軍が隣に座った。

 無言でブレンダン将軍にミソ玉を一つ手渡すと、彼もアルベールと同じようにカップにミソ玉を溶いた。

「緊張していらっしゃいますか、殿下」

「まあ、それなりにな」

 アルベールにとって、戦場ははじめての経験だ。覚悟を決めているとはいえ、この手で人の命を刈り取ったことは一度もないアルベールには、自分がうまく役割を全うできるかという不安が付きまとう。

 クレアド国王の首を討ち取ることは、この作戦の鍵だ。躊躇ってはいけない。

「大丈夫です、殿下。敵はこの崖を登ってくることはできませんから」

「ああ……そうだな」

 まさかアルベールが崖を降りてクレアド国王イーサンの首を取りに行くつもりだとは知らないブレンダン将軍が、アルベールの肩を励ますように叩いた。

「将軍は緊張しないのか?」

 アルベールが訊ねると、彼は目尻に皺を寄せて笑った。

「私ですか? 私はむしろ嬉しくて仕方がありませんね。あ、勘違いなさらないでください。戦が嬉しいと言っているのではないのです。嬉しいのは殿下、あなたが国のために立ち上がってくださったことです。……本当のところ、殿下は陛下の書状にあった通り、第二妃様を連れてお逃げになるのではないかと思っていました」

 アルベールはミソスープを飲むことで、ブレンダン将軍の言葉には何も返さなかった。

 もし、アルベールがシャーリーと出会っておらず、一人きりで塔の中に閉じ込められたままだったら、父王に言われた通り国を捨てて母とともに逃げていたかもしれないと思ったからだ。

 シャーリーに出会うまで、アルベールは緑の塔の中で、母のことだけを心残りに生きていた。父王や王妃、異母兄弟たちのことなどどうでもよかったし、不条理な扱いを受けてなお、王子としての責務を全うしようなどと考えなかったかもしれない。

 そう思うと、ブレンダン将軍に称賛される価値などどこにもないような気がして、何も言うことができなかった。

 シャーリーに出会って、アルベールは変わったのだろう。生きることを、楽しいと思えるようになったのだから。

「ブレンダン将軍……いつだったか、将軍が言ったことは本当だったよ」

 アルベールはぐっとミソスープを飲み干して、きょとんとするブレンダン将軍に微笑みかけると、テントに戻ると告げて立ち上がる。

 ──殿下。あなたが思っている以上に、あなたは多くの人に愛されているんですよ。

 それを言われた十三の時。アルベールは何を馬鹿なことを言っているのかと嗤った。

 アルベールを愛してくれるのは母だけ──母以外の人間は全員敵だと、今よりも尖っていたアルベールはそう言って一笑にふした。

 でも、今ならばわかる。

 国を守りたいと言ったアルベールに力を貸してくれたエドワルド。

 アルベールが逃げずに嬉しいと笑うブレンダン将軍。

 そして──

(シャーリー、勝って帰るよ)

 大切に思われることの心地よさを、シャーリーが教えてくれた。

(君が帰りを待ってくれていると思えば、どんなことだって頑張れる気がするよ、シャーリー)

「はじまったな」

 まだ薄暗い早朝の空にもくもくと灰色の煙が上がりはじめたのを確認して、アルベールは独り言ちた。

 クレアド軍の叫び声や怒号が地響きのように聞こえてくる。

「全員、クレアド軍がローゼリア軍と衝突するまで持ち場で待機! 弓の準備を怠るなよ!」

 ブレンダン将軍の号令を聞きながら、アルベールはそっと自分の右肩を見た。一瞬だけ、ころんと可愛らしいノームが姿を現し、すぐに消える。ノームも準備万全のようだ。ノームは可愛らしい見た目に反して好戦的なので、自分の出番を今か今かとうずうずしながら待っている。

 ブレンダン将軍の提案で、矢には毒を塗ることにしたらしい。万が一、流れ矢が味方にあたっては危険なので、毒は手足がしびれる程度の、即死には至らないもので、解毒剤が手に入りやすいものにしているそうだ。

「殿下は後方で──」

「いや、ここにいる」

 アルベールは崖を確認しながら、一番下りやすそうなポイントを見つけて、その近くに待機することにした。

「ブレンダン将軍、この先何があろうとも──たとえ、私に何があろうとも、作戦の遂行が第一だ。何があっても取り乱さないでくれ」

 ブレンダン将軍は苦笑した。

「何を言うかと思えば。私が何年将軍職にいると思っているのですか。当然のことですが……しかし縁起でもないことをおっしゃってはいけませんよ」

「別に死ぬと言っているわけじゃない。……それなら安心した」

 ブレンダン将軍は冷静だ。アルベールの行動に慌てるかもしれないが、取り乱して指揮を放り投げたりはしない。

 しばらくすると、クレアド軍が慌ただしく移動をはじめるのが見えた。

 慌てている彼らは上など見ないだろうが、アルベールたちは念のため腰を落として、彼らの視界に入らないようにする。

 先頭の軍が、北西街道が封鎖されていることに気づいてこちらへ引き返してくるまで、どんなに早くても数時間はかかる。

(ノーム、頼むな)

 投擲機は用意していない。何もないところから石や岩が降れば、敵も味方も驚くだろうが、こればっかりは、知らぬ存ぜぬで押し通すしかない。

(しかし高いな。フェンリルがいなかったら、ここから飛び降りるなんてよほどの手練れでないと無理だぞ)

 ラッセル老も乱暴な作戦を思いつくものだ。彼も、机上の空論だと思っていたはずのこの作戦を、まさか実行することになるなど思いもよらなかっただろう。できないからこそ誰も考えない。クレアド軍もまさか、切り立った崖の上からアルベールが降りて来るとは思うまい。

 空を見上げれば、灰色だった煙がほとんど黒に近い色に変わっていた。まるで雨雲がかかったみたいに、煙が空を覆いつくしている。

 イフリートは派手にやったようだ。このあたり一帯を焼け野原にされると、ブロリア国としても多大な痛手だが致し方ない。これだけ火が回っていたら、クレアド軍が南側に逃げることは不可能。どうあっても、北北西街道へやってくる。

 アルベールは両手をこすり合わせた。手のひらに汗をかいていたからだ。

 どのくらい、待っただろうか。

 緊張で時間の感覚がなくなっていて、何時間そうしていたのかはわからない。

 だが、まだ正午にもならないあたりで、北西街道に回ったクレアド軍が引き返していると、偵察に行っていたノームが姿を消したままこっそり教えてくれた。

 あと二時間もしないうちに、クレアド軍とローゼリア軍が衝突することになるだろう。

 微かな焦りが生まれてくる。しかし、焦ってはいけない。引き付けて、クレアド軍とローゼリア軍が衝突するのを待って、敵総大将が先頭から中ほどに引き返してくるまで待たなくては。

 地鳴りのような足音と叫び声とともに、クレアド軍がやってくる。

(いた)

 北北西街道は道幅が狭いので、大人数のクレアド軍の歩みは自然と遅くなる。その中に、一人だけ赤いマントを羽織った男を見つけ、アルベールはぐっと拳を握りしめた。褐色の肌に、赤銅色の髪。間違いない、彼がクレアド国王イーサン・ジェフ・クレアドだ。

 早朝、寝ていたところに火の手が回り、慌てて逃げてきた彼らは、きちんと鎧を着こんでいない。これだけでもクレアド軍の戦力は大分削がれているだろう。これも読んでいたのだと思うと、早朝を狙えと言ったラッセル老には舌を巻く。

 ブレンダン将軍が「まだだ」と言うように兵たちを手で制しているのが見える。

 そう、まだだ。まだ──

「敵兵だ!!

 クレアド軍の先頭から声が上がった。待ち構えているローゼリア軍に気が付いたのだろう。「かかれ!」という号令とともに、ローゼリア軍がクレアド軍に向かって攻撃を仕掛けた。

「いまだ! 撃て!!

 クレアド軍とローゼリア軍がぶつかったのを確認し、ブレンダン将軍が号令をかけた。

「まだだ、ノーム」

 アルベールは、赤いマントのイーサンを目で追いながら、小声でノームを制す。

「あの赤いのを中心に左右を岩で覆う。あいつが私のすぐ下に来たときを狙え。囲い込めたらあとは好きなだけ岩で攻撃していい」

「真ん中の兵たちをある程度潰したら、後ろの兵たちを狙ってもいい?」

「ああ。好きにしろ。派手に暴れてかまわない。ただし、姿は見せるなよ」

「もちろんだよ!」

 アルベールは頷いた。あとはノームがうまくやるだろう。ノームが落とした岩は、フェンリルの防御でアルベールには当たらない。

(早く、早く来い!)

 戦場の熱気にあてられてか、アルベールは自分が興奮しているのがわかった。ドクドクと血が逆流しているかのように熱い。

 兵の間を縫って、イーサンがアルベールのすぐ下まで移動してくる。その直後。

 ──空から、大量の岩が降り注いだ。

────!?

 下のクレアド軍の兵たちから絶叫が響き、崖上にいるブレンダン将軍も息を吞む。

「い……いったい、なにが……」

「ブレンダン将軍、気を逸らすな!」

 アルベールの声に、ブレンダン将軍がハッと我に返った。空から降ってくる岩の雨は気になるが、こちらに被害がないと判断すると、すぐに兵たちの指揮に戻る。

 ブレンダン将軍の意識が弓兵の指揮に向かったところで、アルベールは剣の柄に手をかけて、崖から勢いよく飛び降りた。

「殿下!?

 ブレンダン将軍の悲鳴のような叫び声が聞こえたけれど、聞こえないふりをする。

 事前に言った通り、何があってもブレンダン将軍は軍の指揮を全うしてくれるはず。そう信じているからだ。

 何も見えないけれど、空中で、アルベールは自分の体が何かの上に乗ったのがわかった。フェンリルだろう。

 アルベールはフェンリルの背に乗ったまま、勢いよく崖下に飛び降りて、剣を抜いた。

 空から降ってくる岩に慌てふためいている兵士の間を縫いながら、イーサンを目指す。

 途中、岩をものともせずに切りつけてくる敵兵の剣を受け止め、跳ね返しながら、こんな無謀なこと、それこそフェンリルの防御がなければできなかったなと自嘲した。

 ノームもアルベールの近くの敵を集中的に狙って補助してくれている。

 敵兵を一人、二人と切り伏せて進むアルベールは、視界に赤が舞ったのが見えてハッとした。

 ガキッ!

 咄嗟に剣を上に構えると、上から振り下ろされたそれを受け止める。

 切りつけてきたのは、イーサン・ジェフ・クレアド国王だった。

 黒い瞳をギラギラした怒りに染めて、彼はアルベールを睨んでいる。

「卑怯な真似を!」

「どちらが!!

 剣をはじき返し、アルベールは叫ぶ。

「突然戦を仕掛けておいて、どの口で卑怯と言うんだ!!

 アルベールが斜めに切りつけるが、イーサンはそれを難なく受け止める。

 軍事大国だけあって、国王イーサンも相当な手練れのようだ。

 剣戟が響き、アルベールは舌打ちする。打ち込んでも打ち込んでもすべて受け止められる。甲冑も何も身に着けていない分、イーサンは身軽だった。

「殿下!!

「来るな!!

 崖上からブレンダン将軍の怒号が聞こえて、アルベールも負けじと怒鳴り返した。

「絶対に来るな! これは私の仕事だ!! 信じて待ってろ!!

 アルベールがイーサンの首を取るまで、ノームの投擲は続くだろう。アルベールはフェンリルの防御があるからいいが、ブレンダン将軍たちにはそれがない。崖から飛び降りてきたときに運よく敵の攻撃を退けられたとしても、いつ岩に当たるかわからないのだ。

「なるほど、ブロリア国の王子か」

「だったらなんだ」

 イーサンはニヤリと笑って、剣を構えなおした。頭上からは岩が降り注いでくるというのに、随分と余裕である。

 イーサンはぺろりと唇を舐めて、先ほどとは比べ物にならない速さで斬りつけてきた。

「っ!」

 間一髪、何とか剣を受け止めたが、すぐに次が来る。

(くそっ!)

 先ほどまで攻撃するのはアルベールの方だったのに、完全に防戦一方だった。

「お前を仕留めれば、士気もいくらか下がろう!」

 そう言って、イーサンが一際重たい攻撃を落としてくる。

 アルベールはそれを受け止め跳ね返して、後ろに飛びすさった。

 このままでは時間がかかるだけで、いつまでたってもイーサンの首が狙えない。

(仕方ない……)

 フェンリルの防御を信じよう。

 アルベールは両手で剣を構えなおした。

 イーサンの攻撃は捨てる。正直恐ろしいには恐ろしいが、この身に攻撃を受けても、フェンリルの防御が阻むはずだ。

 アルベールは大きく息を吸った。

 イーサンが剣を打ち下ろしてくる。

 その瞬間、アルベールは地を蹴った。

 イーサンの降り下ろした剣がアルベールの肩を斬りつけるが、それにかまわず下から上へ切り上げる。

「っ!」

 咄嗟にイーサンが背後に飛んで致命傷を避けたが、その隙を逃さず、アルベールは渾身の力で剣を横に薙ぎ払った。

 イーサンが、大きく目を見開く。

 アルベールの剣は、イーサンの首に深く入って、中ほどで止まった。

 剣を引き抜けば、吹き出した鮮血で視界が赤く染まる。

 どさり、とイーサンの体が地に倒れ、アルベールは赤く染まった剣を地面に突き立てて肩で息をくり返した。

 周囲を見れば、ノームの投擲でほとんどの兵が地にふしている。

「殿下!!

 ブレンダン将軍が、ほぼ垂直の崖をものともせずに駆け下りてきた。

(……あの人は本当にすごいな)

 フェンリルの補助なしで余裕で駆け下りて来るとは、どうなっているのだろう。

「剣を置いてはなりません!」

 ブレンダン将軍の声に、アルベールは頷いて地面から剣を抜いた。

 フェンリルの防御があるとはいえ、戦場で気を抜いてしまった。

 アルベールは駆けつけてきたブレンダン将軍と背中を合わせて、剣を構え、そして叫ぶ。

「総大将の首は討ち取った!! 降伏せよ!!

 アルベールの声が、高らかに響き渡った。