サイドストーリー エドワルドの戦い


 クレアド軍を待ち伏せる北北西街道のポイントに向けて進軍を開始してから二十日。

 野営のために張ったテントの中で、エドワルドとラッセル老はひざを突き合わせていた。

「予定のポイントに火をつけるのは今から三日後ですじゃ……本当に、できるのですよな?」

「ああ」

 ラッセル老によれば明日、明後日ごろに雨が降りそうだという。下手をしたら三日後にもその雨の影響が続くかもしれないというが、問題ない。何せ火付け役はイフリートだ。生半可な火力ではない。

 前線でクレアド軍を押さえているブロリア軍には、すでにブレンダン将軍が通達をしているだろう。

 準備は整った。

「俺は絶対に負けない。じじいを英雄にしてやるよ。帰ったら凱旋パレードだな」

 エドワルドはすでに、ラッセル老を英雄だと思っていた。圧倒的に不利だったこの戦況を覆せるだけの作戦は、ラッセル老以外には思いつかなかっただろう。

「老体をこれ以上いじめないでほしいものですな」

 ラッセル老はふっと小さく口元を緩めて、それから表情を引き締めた。

「殿下。わかっておると思いますが、これは戦争です。作戦がうまくいき、こちらに有利に転んだとしても、犠牲者を一人も出さずに終わることはできませぬ。総指揮者として、殿下はその命を一生背負わなければなりませんことを、きちんと理解しておりますか?」

 エドワルドはきゅっと口を引き結んだ。

 戦死者を一人も出さなくて済むとは思っていない。戦死者だけではなく、あとあと後遺症が残るような大怪我をするものも出るだろう。彼らの背後にはそれぞれ家族がいて、必ずどうこくの声は上がる。

 彼らの家族に、恨まれ、憎まれ、そして犠牲になる者たちの輝かしい未来を摘んでしまうことへの重責に耐えられるのかと、ラッセル老は訊いている。

 エドワルドは一度目を閉じて、それから真っ直ぐにラッセル老を見た。

「覚悟している」

 この戦争のことを、エドワルドは生涯忘れないだろう。勝てればいいというものではないことを、エドワルドはきちんと理解している。……理解したうえで、アルベールを助けると決めた。

「ならばよろしい」

 ラッセル老人は一つ頷いた。

「この作戦の鍵は、早めに総大将の首を討ち取ることです。大将が落ちれば、戦意は自然と消えゆくもの。いいですな」

「そちらも問題ない。俺はアルベール殿下を信じているからな」

 アルベールならばうまくやるはずだ。

(王になればいいのに)

 ふと、エドワルドはそんなことを思った。

 塔の中へ閉じ込められてなお、国のために考え、動くことができる王子。迷うことなく、自ら総大将の首を狙いに行くと宣言したアルベール。

 自身可愛さに戦うこともせずブロリア国の緑の塔の中に避難した、第二王子ドナルドや第四王子ミッチェルとは格が違う。

 第一王子グレゴリーが戦死した今、ブロリア国の王子はアルベールを含めて三人。王になる器は、アルベール以外いないと思うのに。

 アルベールが第二妃の子であるということくらいしか知らないエドワルドだが、正妃が母でないからなんだという。優秀なものが上に立って何が悪い。

 もし、アルベールが本気で玉座を狙いに行くのならば、エドワルドはいくらでも力を貸すつもりでいるというのに。

「じじい、明日も早い。早く寝ろよ」

 エドワルドは立ち上がると、昨日も夜遅くまで地図と睨めっこを続けていたラッセル老に釘を刺してテントを出る。

 空を見上げれば、薄雲が覆っているようで、星はあまり見えなかった。

 自分のテントに向けて歩き出すと、見張りのために火のそばに座っているヘンドリック・ビル・レンバードを見つけて目を丸くする。

「将軍自ら見張りか?」

 声をかけると、ヘンドリックは顔をあげて、小さく笑った。左目の下にある傷は、数年前にアデルをかばって負った傷だという。たぶん一生消えない傷だろうが、二十六歳の若き将軍は、その傷をまるで勲章のように大切にしているという話を聞いたことがあった。

(レンバード将軍は姉上が好きなんだよな)

 ヘンドリックがアデルを見つめるとき、青紫色の瞳に熱が宿ることをエドワルドは知っている。

 緑の塔の秘密を外部に漏らすわけにはいかないから、実はアデルがローゼリアの塔に移動したことを教えることはできない。だから彼は、いまだにアデルはブロリア国の塔の中にいると信じているはずだ。

 だから──、ブロリア国が落ちれば塔の中のアデルにまで被害が及ぶ。そう思っているから、ヘンドリックは、クレアド軍の進軍の知らせを聞いてからすぐに援軍に向かいたいと言い出した。

 たとえ部下がついて来なくても、単身で向かいたいとすら言ったヘンドリックだったが、そのような我儘が許されるはずもなく、ずっと待たせてしまっていた。

 ようやく援軍を向かわせると決めたときに、何が何でも自分が行くと言ったヘンドリックを止めることは、誰もできなかったと聞く。

 エドワルドは少し間を開けてヘンドリックの隣に座る。冬の夜は冷えるから、火の側は暖かくていい。

「殿下こそ、お休みになった方がよろしいですよ」

「俺はいいんだ。見張り当番をしていないから、お前たちほど疲れていないしな」

「我々は鍛えております」

「俺が鍛えていないみたいに言うなよ」

 エドワルドがムッとすると、ヘンドリックがぷっと吹き出す。

 どうしたのかと思えば、エドワルドのその顔が、アデルが拗ねたときの顔にそっくりだと彼は言った。

 アデルが拗ねたところなど一度も見たことがないエドワルドは驚き、それから自然と合点した。

(なんだ、姉上もか)

 どうやらヘンドリックとアデルは両想いらしい。色恋沙汰には全く興味が無さそうに見えた姉だが、人並みに異性を好きになることがあるようだ。

 アデルは自分の感情──特に、怒りや悲しみと言った負の感情を殺すことが得意だから、できれば気を張らなくてもすむ相手がそばにいてほしいと思っていた。その点、ヘンドリックなら安心できる。

「ヘンドリックは姉上と結婚するのか?」

 アデルはブロリア国の第二王子ドナルドに求婚されたが、彼がわが身可愛さに緑の塔に逃げた時点で、その話は流れたと考えてよかった。

 ローゼリア国王が、国を見捨てて自分だけ助かろうとするような王子に、アデルを嫁がせるはずがないからだ。

 ヘンドリックは子爵家の出身で、数年前に武勲とともに準男爵を賜った。王女と結婚するには身分が低すぎるけれど、この戦争に勝利した暁には褒章が与えられるだろう。その時に爵位が上がってもおかしくない。エドワルドがうまく口利きすれば、何かと理由をつけて伯爵まで上げることができるかもしれないし、無理でもこの男は放っておけばどんどん昇進していくだろう。そのついでに爵位が上がることは充分に考えられる。

 だからアデルと結婚することも将来的には充分可能。だから訊ねたのに、ヘンドリックは驚いたように目を丸くした後で、悲しそうに眉尻を下げた。

「それは……どうでしょう。俺はすでにアデル様にフラれていますからね」

「は!?

 エドワルドは啞然とした。

(何を考えているんだ姉上は!?

 ヘンドリック以上に、アデルにあう男はいないだろう。

 ヘンドリックは左目の下の傷を撫でつつ、火の中に薪を投げる。小さな火の粉が舞った。

「アデル様は無事でしょうか」

 炎を見つめて、独り言のようにつぶやくヘンドリックに、アデルが無事だと伝えられて安心させてやることができたら、どんなにかいいだろう。もしアデルが、生涯の伴侶に彼を選んでいたら、塔の秘密についても話すことができるのに。

「殿下、そろそろお休みください。総指揮者に倒れられては困ります」

「……そうだな」

 エドワルドは立ち上がった。

 明日も早い。エドワルドが寝不足でふらふらしていたら軍の士気にも関わる。

 テントに戻ったエドワルドは、布を敷いただけの固い地面に寝転ぶ。

「……覚悟、か」

 この軍にいるすべての兵の命をエドワルドが背負っている。ラッセル老に言った通り、その覚悟はしているし、無血で勝利を収められるとは思っていないけれど、できることなら一人の犠牲者も出さずに終わらせたいと思う自分がいた。

 ラッセル老が聞いたら、甘いと怒るだろう。わかっている。──わかっているが、エドワルドはそう思わずにはいられなかった。

「総員、ここで待機せよ」

 ヘンドリックの指示により、兵の足が止まる。

 止まった場所は、ちょうど北北西街道の中腹あたりだった。

 北北西街道は緩やかにカーブしている細い道なので、この位置からは、北西街道と北北西街道の分かれ道は確認できない。それは逆も然りで、火攻めに遭い逃げてきたクレアド軍は、北北西街道で敵が待ち伏せしているとは気づかないだろう。

 エドワルドは懐中時計を確認する。作戦決行まであと一時間。イフリートにはすでに指示を出している。イフリートによると、ノームはすでに北西街道の中腹を封鎖済みとのことだった。ノームだからこそできる、一つの巨大な岩で塞いだので、どうやってもクレアド軍はその先へ進むことはできない。

 アルベールもすでに崖の上に待機している。準備は整った。

「殿下、そろそろ時間のようですぞ」

「大丈夫だ、指示を出している」

 アルベールが奇襲隊として突撃するのだ、エドワルドだって先陣のあたりに向かいたかったが、それはラッセル老とヘンドリックの二人の許可が下りなかった。エドワルドは後方に待機し、ヘンドリックが先陣に向かい指揮を執っている。

 エドワルドが自信たっぷりに頷いた時だった。

 前方の空に灰色の煙が上がり、ラッセル老が息を吞んだ。

(よし、はじまった。作戦通りだな!)

 煙はもくもくと広がり、このあたりまで焦げた匂いを運んでくる。クレアド軍の叫び声が響いてきて、それは間違いなく彼らが逃げまどっていることを伝えていた。

「殿下……いったいどんな手品を使われたんですかの」

「手品か……いや、これはもっとすごいぞ。教えないけどな」

 何せ、エドワルドが知る限りこの世でたった一人しか使えない特別な魔法だ。シャーリーがいなかったら、そして、彼女がエドワルドの希望通りイフリートを呼び出すことができなかったら、この作戦は実行できなかったのだから。

 ただ、誰かが火をつけただけでは、火の勢いが増すまで時間がかかる。しかしイフリートの火力であたり一帯を燃やし尽くしたら、その勢いは計り知れない。クレアド軍はどうあっても南に逃げることはできなくなる。

 シャーリーの指パッチン魔法は、たとえ国王相手でも言えない秘密だ。だからこの作戦が成功しても、功労者としてシャーリーの名前が上がることはないだろう。それがどうしようもなく悔しいけれど、きっとシャーリーは褒章もなにも望まずにただエドワルドの望みをかなえてくれたのだと思うとおかしくなった。

(あいつは本当に無欲だ)

 ただ料理ができればそれでいいという。シャーリーのおかげで、イリスも、アルベールも、そしてアデルも救われた。そして今日、シャーリーはこの戦場に出て何千人もの兵士をも救うのだ。

 それを無頓着に、何の見返りも求めずに、仕方がないですねと笑いながらやってのけるシャーリーは、アルベールではないが女神イクシュナーゼの遣いだと──いや、女神そのものではないのかとエドワルドは思っている。

 最初はただ、美味しくて珍しい料理を作るシャーリーが気になってほしくなっただけだった。だが断言できる。たとえ料理がなくても、あの不可思議な魔法がなくても、エドワルドはシャーリーがほしい。あんなに優しい女を、エドワルドはほかに知らない。

 勢いで求婚して、シャーリーを困らせたのがわかったから、彼女が有耶無耶にしようとしているのをわかったうえで黙っていた。けれど、もう無理だ。本気でほしい。本気で取りに行きたい。

(恋敵がアルベール殿下だからな、相当手ごわいだろうが)

 シャーリーももしかしたら、アルベールのことが好きなのかもしれない。しかしエドワルドは諦めるつもりはない。可能性がゼロになるまで、絶対に諦めない。

(だから必ず勝って帰る。お帰りと笑うお前の顔が見たいからな)

 地響きのような足音が聞こえてくる。

 クレアド軍が北西街道へ逃れているのだろう。途中が封鎖されていると気づき、こちらに迂回してくるまでもうすぐだ。

「そろそろ開戦になる。旗を高く掲げろ! 全員で迎え撃つぞ! 俺たちの力を存分に思い知らせてやれ!!

 この軍には、前線でクレアド軍の進軍を押さえていたブロリア国の軍二千人も加わっている。だから、旗は二つ。ローゼリア国とブロリア国の旗。

 エドワルドは腰にいていた剣を抜き、空に向かって高く突き上げた。