サイドストーリー エドワルドとラッセル老


 シャーリーにイフリートを出してもらった翌朝、エドワルドはラッセルの部屋の扉を叩いていた。

 ラッセルは普段は城で生活をしていないのだが、クレアド国との戦争が終結するまでは城に住むことにしたらしい。

「邪魔するぞ!」

 するとラッセル老はソファの前のローテーブルの上に広げていた地図から顔をあげて、あからさまに眉をひそめた。

「こんな朝っぱらからいったい何のようですかな」

「じじいが昨日言っていた最高の作戦とやらを教えろ!」

「何を言い出すかと思えば、それは無理だと言ったではございませんか」

 少し苛立ったような口調。見ればラッセル老の目の下にはくっきりと隈があった。年よりのくせに睡眠時間を削ってまでこの戦に勝てる策を考えていたのだろう。

 ブロリア国のために軍を動かすと決めた時点で、ローゼリア国はクレアド国の敵となる。

 もし戦争に負ければ、かなり苦しい立場に追いやられるだろう。自衛ばかりに必死の同盟国はあてにならない。自分の作戦で味方が死ぬかもしれない。

 エドワルドはラッセル老を軍師に据えたことを後悔していないけれど、老人の肩にかなりの重しを載せてしまったことは少しばかり悔やんだ。

 これは何が何でも勝たなければならない。もちろんエドワルドには負けるつもりは毛頭ないが、もしクレアド国に負けるようなことがあれば、ラッセル老は自分を責めるだろう。

「後学のために教えてくれ」

「後にしなされ。今はそのようなときではございません」

 学ぶ姿勢を見せればあっさり教えてくれるかと思ったのに、ばさりと断られてしまった。

 エドワルドはむーっと眉を寄せて、大きく息を吐きだした。

「……詳しくは言えない。だが、もしかしたら、その最善の作戦とやらを実行できるかもしれないんだ」

「何を寝ぼけたことを」

「本当だ。信じてくれ。俺にも考えがある」

 エドワルドはラッセルの対面に座って、地図を指さした。

「この谷間だろう? ここに追い込めばいいんだろう? 追い込んだ後は何をすればいい」

「これは遊びではございませんぞ」

「わかっている! 俺だって真剣なんだ!」

 遊びで戦争の総指揮など買って出るはずがない。

 エドワルドは確かに、生まれてからこの方、戦争を知らずに生きてきた。若造が調子に乗ってと思われているのかもしれないが、もし敗戦するようなことがあればどうなるかくらい想像はつく。

「そんなに隈ができるほどに考えてもあれ以上の作戦は思いつかないんだろう? だったら俺に賭けてくれ。俺には作戦は思いつかないけど、それを実行する手段を持っている」

 ラッセル老ははーっと息を吐きだすと、「まあいいでしょう」と頷いた。

「聞けば不可能だとわかるはずでしょうからな。よいですか、まず、昨日も言った通り、夜のうちにこの三カ所に火をつけて敵を混乱させます。この時期は北風が吹きますので、自然とブロリア国とクレアド国の国境に向かって火が回るでしょう。空気も乾燥しておりますから火は簡単に勢いを増すはずです。あれだけの軍です。逃げるには時間がかかりますので、火をつけた時点である程度クレアド軍の軍勢を削ることができるはずです。そして、クレアド国も馬鹿ではございませんから、火の手が回らない方──この谷底へ逃げていくでしょう。ここまではよろしいですか?」

「ああ」

「この谷を抜けようとすれば、北西街道と北北西街道に二つの道がございます。そのうち道が広いのが北西街道。大勢の軍を率いているクレアド軍なら北西街道を抜けようとするはずです。そのため、北西街道の途中……この、一番道幅が細くなっているところを岩や土、木でも何でもかまいませんので積み上げて通行止めにします。するとクレアド軍は混乱し引き返そうとするでしょう。自然とクレアド軍は道幅の細い北北西街道へやってきます。そこにわが軍を待ち伏せさせます。大勢の軍相手でも、細い道に誘い込めば、それほど不利な状況にはなりません。さらに崖の上には弓兵を待機させ、崖下のクレアド軍を狙い撃ちにします。北北西街道は左右を垂直に高い崖に覆われていて、崖を上ることは不可能に近い。背後には火が回っておりますから引き返すこともできますまい。もちろん、すべての軍勢を撃ち滅ぼすには時間がかかりますから、この作戦だけでは対象の首は狙えませんでしょうがな」

「その口ぶりだと、大将の首まで取る方法を知っているみたいに聞こえるぞ」

「……到底不可能な作戦です」

「いいから言え! どうせ、今言った方法も無理だって思っているんだろうから一緒だろう?」

 ラッセル老はやれやれと肩をすくめて、寝不足で目がかすむのか、目頭を押さえてから言った。

「火災により移動を余儀なくされた場合、総大将は──クレアド国王は、火から一番遠い軍の先頭にいると考えていいでしょう。北西街道から引き返す場合も同等です。しかし北北西街道に敵兵がいるとわかれば、おそらくそのまま軍の中央部に移動すると思われます。しんがりに回ればいつ火の手が迫るともわかりませんし、前方と崖上に敵兵がいたならば、もしかしたら後方にもと考えてしまうのは人間の心理です」

「それで?」

「クレアド軍は大軍です。先頭の軍を倒しながらクレアド国王のいる中央まで突っ切っていくことは不可能。ならばどうすればいいと思いますか?」

「まさかこの垂直の壁を下って降りろと?」

「半分正解です」

「半分?」

「先ほども申した通り、敵は大軍。崖を下って降りて奇襲をかけることができたとしても、大軍を蹴散らすことは不可能です」

「じゃあどうする」

「投擲します」

 ラッセル老は、作戦を練るのに使っていたのだろう。チェスの駒を二つ地図の上に置いた。

「ここから岩を落とし、軍を分割します」

「……分割?」

「一番理想的な形は、クレアド軍の軍隊の前方と後方それぞれに岩を落とし、総大将を中央に閉じ込めることです。落とした岩が総大将に当たればなおよし。当たらずともそれでかなりの人数を減らせるうえに、左右を落とした岩で囲ってしまうためにそう簡単に援軍が入って来られません。あとはさきほど殿下がおっしゃったように崖を下って降りてそのまま敵総大将の首を狙いに行きます」

…………

 ぞくりとした。よくこの短い時間でここまでの作戦を思いつくものだ。

「ラッセル老……お前、天才か?」

 時代が時代なら、名軍師として名をはせていたかもしれない。そんな気がする。

 ラッセルは首を左右に振った。

「いいえ。作戦は思いつけども、実行する術を思いつかないのは二流のすることです」

 ラッセル老によれば、この作戦を実行するための時間と装置が足りないのだそうだ。

 北北西街道に軍を配備することはぎりぎり間に合うかもしれないが、南側に回り火をつける部隊を回す時間も、北西街道を封鎖する時間も、投擲機を作成する時間もないという。

 急いだところで準備が整う前にクレアド軍が進軍してしまうだろうとのことだった。アルベールの水攻め作戦で、いくらか時間が稼げているとはいえ、それでも時間が足りないのだという。

「北北西街道に軍を回す時間はあるんだな。その場合、どのタイミングで火をつければいい?」

「わが軍がこのあたりに差しかかったころですな。……何度も言いますが、これは不可能ですぞ」

「できる」

「殿下」

「できるんだ。する方法がある。ラッセル老、俺に賭けてほしい。火攻めも、投擲も、北西街道の封鎖もすべて俺が何とかする」

「いったいどうやって……」

「頼む」

 エドワルドはがばりと頭を下げた。

「説明できないんだ。だが、方法はある。確実にできる。だからこの作戦で進めてくれ」

「この戦争には全国民の命がかかっております。殿下はその命を背負ってなお、できると言い切れますか」

「できる」

 エドワルドは顔をあげて、真剣な顔でラッセル老を見つめた。

 ラッセル老は睨むようにエドワルドの琥珀色の瞳を見返し、やがて、長い息をついた。

「……よいでしょう。実を言うと、ほかにはろくな作戦を思いつきませんでしたからの。そこまで言うなら、わしも殿下に賭けて見ましょうかの」

「じじい!」

「だれがじじいですじゃ!」

「ふふん、寝不足で迫力がないぞ。……俺はアルベール殿下にこの作戦について話してくるから、じじいはその間、少しくらい横になってろ」

「馬鹿を言いなされ。この策で動くならば、より綿密に計画を練らねばなりませんからの、寝ている暇などありはせん。……本当に、任せていいのですな?」

「ああ。じじいは軍を動かし、行き場をなくして右往左往するクレアド軍を叩くことだけ考えていろ!」

 エドワルドは立ち上がると、「少しは寝ろよ!」とラッセル老に言って、部屋から飛び出すと、緑の塔へ向う。アルベールは一足先に緑の塔へ向かっているはずだ。

(シャーリー、お前は勝利の女神だ!!

 これで勝てる。

 エドワルドははやる気持ちそのままに、猛然と緑の塔へ向けて駆け出した。