「それで、父上はなんと?」

 アデルが訊ねると、エドワルドは一つ頷いて、ブロリア国のブレンダン将軍が率いてきた軍とローゼリア国の軍の連合軍の出撃準備を整えていると答えた。指揮を執るのはアルベールとエドワルドだという。

 こうなることは予想していたけれど、実際に聞かされると目の前が真っ黒に塗りつぶされるような気がした。

 クレアド国の軍は強大だ。勝算だって低いと言っていたし、ろくな作戦だって思いついていないのに、本当に大丈夫なのだろうか。

 シャーリーが心配のあまり視線を落とすと、ガチャンと大きな音がした。隣を見れば、アデルが青い顔をしてナイフを取り落としていた。

「ヘンドリックが……出陣するのか?」

 ヘンドリックとは誰だろう。

 エドワルドが頷いた。

「レンバード将軍自ら志願したとのことですよ。レンバード将軍は姉上の元護衛官ですからね、ブロリア国の塔にいる姉上のことを心配したのではないでしょうか?」

「……そう、か」

 アデルは取り落としたナイフを拾って、小さく首を横に振った。そして大きく息を吐きだすと、エドワルドに続きを促す。

「それで、勝算はあるのか」

「ラッセル老が作戦を考えていますが、名案が思い付かなくてイライラしています。……そこで」

 エドワルドはニヤリと笑った。

 緑の塔に帰って来たときと同じ、悪戯を思いついた子供の顔。

 エドワルドの視線がシャーリーに向いた瞬間、シャーリーは警戒した。

(何を考えているのかしら……)

 シャーリーはアルベールを見たが、彼は何も聞かされていないようで、首を横に振った。いよいよ怪しい。

「シャーリー、頼みたいことがあるんだ」

 シャーリーは身構えた。

 エドワルドはにこやかに言った。

「俺は、イフリートがほしい!」



 マルゲリータが焼き上がる時間になったので、シャーリーはわけがわからないままいったん話を中断してキッチンへ向かった。

 オーブンを開けると、焼き立てのピザの香りが漂ってくる。

(イフリートって言ったわよね?……そんな食べ物は知らないから、もしかしなくても、アレのことを言っているのよね?)

 ピザを持ってダイニングに戻ると、エドワルドとアルベールが何やら盛り上がっていた。

 一方アデルは困惑した顔をして、盛り上がる二人を遠巻きに見ている。

「ピザが焼き上がりましたよ」

 エドワルドのみならず、どうしてアルベールまでキラキラと瞳を輝かせているのだろう。

 アデルを見れば、「何を言っているのか理解できない」と言って首を横に振っていた。

 あまり続きを聞きたくないような気がしたけれど、話したくてうずうずしているエドワルドの口を封じる手段はないだろう。

 アルベールまでそわそわとシャーリーを見ているから、これはどうしようもない。

…………それで、イフリートってなんですか?」

 まさかと思いつつ訊ねてみると、エドワルドが大きく胸を張った。

「『げーむ』の火の大精霊だ」

 予感的中。やはりろくでもないことを言い出した。

「なにをわけのわからないことを言っているんですか?」

 確かにアルベールがはまっていて、たまにエドワルドも遊んでいるシャーリーが呼び出したロールプレイングゲームには、イフリートという火の大精霊が登場する。

 アルベールが可愛くないと言って仲間にしなかったあれだが、エドワルドはあの筋肉の塊をものすごく気に入っていた。

 可愛いもの好きで、見た目が可愛らしい精霊ばかり仲間にするアルベールと違って、エドワルドはいかにも強そうな見た目の精霊を好んで仲間にしているのだ。

 だが、それが何だというのだろう。

「イフリートがほしいって、人形でもほしいんですか?」

 前世の友人にフィギュア好きがいたなと思い出しながら訊ねれば、エドワルドが不満そうに口を尖らせた。

「違う!」

「じゃあ、何がほしいんですか」

「だからイフリートだ! シャーリーの変な力でイフリートを呼び出してくれ!」

「はい!?

 シャーリーは素っ頓狂な声を上げた。

 エドワルドはマルゲリータに舌鼓を打ちながら続ける。

「次々変なものが呼び出せるんだ。イフリートだって呼び出せるだろう?」

 いやいや待て待て。エドワルドは知らないだろうが、シャーリーが呼び出しているものは一応、シャーリーが前世で知っているもの──実在しているものばかりだ。エドワルドにとっては見たこともないものだから、ゲーム世界のイフリートと同列に見えてしまうのかもしれないけれど、いくら何でも無理がある。

 だというのに、アルベールまで期待のまなざしでこちらを見ていた。

(いやいや、現実世界にゲームのキャラクターとか無理だから! あれは映像だけのものだから! 実在していないからね!)

 二人とも何を考えているのだろう。しかし、シャーリーが転生者だと知っているアルベールはともかくとして、エドワルドとアデルにはさすがにその説明はできない。

「む、無理ですよ」

「やってみないとわからないじゃないか」

 いやいや。リアムを呼び出せるか試した時点で無理だったのだから、基本的に生き物は呼び出すことはできないはず。──いや?

(ゲームの登場キャラクターってそもそも生き物なのかしら?)

 ふと気になったけれど、それを考えはじめるときりがない気がする。とにかく無理。そう突っぱねようと思ったのだが、エドワルドのみならず、アルベールまで真剣な顔でこちらを見ている。

「頼むシャーリー! クレアド国との戦争に勝てるかどうかは、シャーリーにかかっているんだ!」

「わたしがイフリートを呼び出せなかったら戦争に負けるような言い方しないでくださいぃ!」

 すごいプレッシャーをかけてくる。

 まさか、ゲームのように精霊を使って軍隊を各個撃破するつもりではあるまいか。

(いくらなんでも無理があるわ! そんなことをすれば大パニックよ!!

 けれど、期待に満ちた二人に向かって、頭ごなしに否定するようなことは言いにくい。

 アデルまでびっくりして、すがるようにシャーリーに視線を向けてきた。

 ここで断ったら完全にシャーリーが悪者だ。

(どうしろって言うのよー!)

 シャーリーが頭を抱えていると、ピザを口にくわえたエドワルドが、席を立ってゲームをつけた。まったく、王子様だというのに行儀が悪い。

 ゲームをつけると、キャラクター一覧画面を開く。

 その中のイフリートを選択したエドワルドは、テレビ画面いっぱいに映し出された上半身裸のマッチョなイフリートを指さした。

「これだ! これがほしい!」

…………

 シャーリーは諦めた。エドワルドは言い出したら聞かないのだ。

「できなくても知りませんからね!」

 これでイフリートが呼び出せなかったから戦争に負けたとか言われてはたまらない。念押しすると、エドワルドが「わかっている」と頷いたが、その表情はできると確信しているようだった。

(なんなのかしら、あの自信……)

 プレゼントを心待ちにしている子供のような顔をされると、できるだけのことをしてあげないと悪い気がしてくる。

 シャーリーはダイニングチェアから立ち上がると、ソファに移動して、じーっとテレビ画面のイフリートに見入った。

 このゲームは前世でやりこんでいるから、ある程度のことは頭に入っているけれど、さすがに細部までは覚えていない。

 シャーリーはコントローラーを使ってイフリートのステータスを確認する。

 シャーリーが前世のものを呼び出すときはほしいものを思い浮かべながら呼び出すから、できる限りイメージを膨らませなくてはならない。

 テレビ画面に映し出されているイフリートは、赤い肌をしていて鬼のようにつり上がった目をしている。アルベールではないが、ちっとも可愛くない。性格は少しお調子者で、暴走気質。ウンディーネが好きだが、彼女にアプローチしてはいつも邪険にされている。

 精霊の中では一番攻撃力が高いが、防御を考えず突っ込んでいく猪突猛進型。得意技は口から火を吐くファイアブレス。それ以外にもファイアボールにはじまって、いろいろ炎系の魔法が使えるが、どちらかと言えば魔法よりも拳で殴る方が攻撃力が高い。

 シャーリーのうしろにはエドワルドとアルベールの二人が立って、手に汗を握りしめている。

(……どこの世界でも、男の人って、ねえ……)

 気が散るから後ろに張り付いて期待のまなざしを向けないでいただきたい。

 最大HPは三千、MPは千五百。このゲームの精霊にはレベルという概念はないからステータスは最初からマックス。

 身長二メートル、体重九十八キロ。……ダメだ、イメージつかない。

「エドワルド様、身長って何センチですか?」

「百八十五だ」

 シャーリーはパチンと指を鳴らした。期待のまなざしを向けていただいたところ申し訳ないが、呼び出したのはイフリートではなく十五センチの定規である。

 シャーリーはダイニングチェアを抱えて持ってくると、エドワルドの隣において、その上によじ登った。

 エドワルドの頭のてっぺんに定規を当てる。

「シャーリー、何をしているんだ?」

 アルベールが不思議そうな顔をした。

「イフリートの大きさをはかっているんです」

 エドワルドは、イフリートが呼び出せればこの戦争に勝てると確信しているようだ。正直呼び出せる気はしないが、できるだけ頑張るしかない。だからしっかりとイメージを膨らませるのだ。

 アデルも不安そうにしている。

(ええい、ままよ!)

 シャーリーができないと諦めていてはできるものもできなくなってしまう。女は度胸。できると信じてやるしかない。

 シャーリーは椅子から降りると、大きく息を吸い込んで、パチンと指を鳴らした。──直後。

「「おおおおおおおおお──────!!」」

 エドワルドとアルベールの興奮した叫び声が、ダイニングいっぱいに響き渡った。



(信じられない。本当にできちゃったわ……)

 宙をぷかぷか浮いている二メートルの巨体。赤い肌に鬼のようないかつい顔立ちの、マッチョなイフリートが、太い腕を組んで偉そうにふんぞり返っている。

「我を呼んだのはお前たちか」

(うわー、ないわー)

 セリフまでゲームの登場シーンと一緒だった。

 ドン引きしているシャーリーをよそに、エドワルドが興奮して飛び上がった。

 アルベールは最初こそ感動していたが、しばらくすると嫌そうな表情を浮かべて首を横に振る。

「……可愛くない」

 ぼそりとつぶやいたアルベールには大いに同意したいところだが、本人を目の前にして言わないでほしかった。イフリートが赤い顔をさらに真っ赤にして怒りだしてしまったからだ。

「なんだと! 我のどこが可愛くないというのだ!」

「そうですよアルベール様! こんなにかっこいいじゃないですか!」

「む? 話がわかるな。名前は?」

「エドワルドだ!」

(やばい、エドワルド様とイフリートは一緒にしてはいけないやつだった……)

 この二人を一緒にさせると、ろくでもないことをしでかしそうで怖い。何もしなくても存在自体が暑苦しい。

 アデルがぽかんと口を開いて、細い指でイフリートを指さした。

「シャーリー…………あれはなんだ?」

「あれがエドワルド様がほしがっていたイフリートです……」

「は!?

 アデルは声をひっくり返して固まってしまった。

(そうですよねー。まさかテレビ画面に映っているイフリートが現実世界に出てくるとは思いませんもんね。わたしも思いませんでした)

 アデルはきっと、シャーリーがいつぞやリアムを呼び出そうとしてリアムのフィギュアを呼び出してしまったように、同じようなものが出てくると思っていたに違いない。

 それでどうしてクレアド国の戦争に勝てるのかは甚だ疑問だが、そこはきっと何か秘策があるのだと、好意的に解釈していたに違いない。……まさか「コレ」が出てくるとは、想像だにしていなかったはず。

 アデルの脳の処理能力が限界に来てしまったようで、彼女は完全にフリーズしてしまった。

 シャーリーも、自分で呼び出しておいてなんだが、さてこれはどう収拾をつけるべきかと、すっかり意気投合しているイフリートとエドワルドを見てため息を吐く。

「……って、アルベール様、何をしているんですか?」

 途方に暮れていたシャーリーの隣で、アルベールがゲームのコントローラーを操作しはじめた。

 自分のゲームデータを呼び出して、なぜか、コロンと丸いゆるキャラ風のノームのステータスを出している。

「シャーリー、私はこれがいい。あとフェンリルもほしい」

 アルベールが期待に満ち溢れた顔でシャーリーを見る。そんなに純粋な目を向けないでほしい。エドワルドが出してもらえたなら自分ももらえるはずだと、ハロウィンのキャンディーを待つような子供の顔をしないで。ペットショップで子犬がほしいと訴える子供の顔をしないで!

(これ、ダメって言えないやつ……)

 エドワルドだけイフリートを出してあげて、アルベールのほしいキャラクターを出さなかったら、きっとものすごくがっかりさせてしまうだろう。しょんぼりと空色の瞳を陰らせて、「そうか、仕方ないな」とものすごく悲しい声でつぶやくのだ。

…………………………わ、わかりました」

 シャーリーは諦めた。これはもう、諦めるしかないからだ。

 シャーリーは再びテレビ画面と睨めっこをはじめて、かなり時間をかけて、アルベールが望んだノームとフェンリルを呼び出す。

 アルベールはぱあっと顔を輝かせて、もふもふのフェンリルに飛びついて、それからノームを抱きしめた。

「ありがとう、シャーリ!!

 今までで一番感謝されたかもしれない。

(ああ……どうしよう。塔の中にペットが増えた……)

 しかしこれで、どうやってクレアド国の戦争に勝てるというのだろうか。

 シャーリーがフェンリルを呼び出したころには、アデルもようやく落ち着いて来たらしく、複雑そうな顔をしてイフリートに視線を向けている。

 クレアド国との戦時中だというのに、エドワルドは緊張感の欠片もない様子で、イフリートの太い二の腕を触って「おおっ」と歓声を上げている。

 アデルがどうしていいのかわからない顔をしている以上、ここはシャーリーが頑張るしかあるまい。

 シャーリーは腰に手を当てて、エドワルドを睨みつけた。

「エドワルド様。これでどうやってクレアド国に勝てると?」

 さあ説明しろと迫れば、エドワルドはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

「それについてはもちろん説明する。その前に試したいことがあるんだがかまわないか?」

「それはかまいませんけど……」

 いったい何をするつもりなのかと思えば、エドワルドは至極真面目な顔でイフリートを見上げた。

「ここにいる四人以外の前では姿を消すことはできるか?」

 なんか無茶苦茶なことを言い出した。

 ゲーム世界では、イフリートたち精霊は人前では姿を消している。しかしいくら何でも──

「我にできないことはない」

(……まじですか)

 シャーリーは自分の想像力が恐ろしくなってきた。イフリートやノーム、フェンリルを呼び出したときに、細かい設定までしっかりと想像したけれど、現実世界でそれができると言われるとなんというか、ひどく脱力してしまう。

「よし! これでうまくいく!」

 エドワルドは嬉々としてダイニングテーブルにブロリア国の地図を広げた。

「じじいが言っていたんだ。ここを封鎖して、この谷底にクレアド国の軍隊を誘導できれば、戦況は覆せるって!」

 じじいとはラッセル老のことだ。仮にも自分の教師を「じじい」呼ばわりするのはどうかと思うが、そこは突っ込むまい。

「これがじじいが思いつく限り最高の作戦だって言うんだけど、残念ながら兵力がたりずに断念せざるを得ないらしい。それに、クレアド軍の軍勢がこの地域一帯を抜けるまでに叩かなければならないから時間が足りないと言っていた。だがその点、イフリートならば高速で移動できるうえに、ここの森とここの村、そしてここの山に一斉に火をつけることで自然と軍を谷底まで誘導できるはずだ。火攻めにしたときに多少戦力も減少するだろうから一石二鳥だろう? さらにシャーリーがノームとフェンリルを呼び出してくれたから、道の封鎖も簡単にできそうだ! どうだ! 素晴らしい作戦だろう!!

(クレアド国との戦争に勝てるかどうかはわたしにかかってるって、こういうことだったのね……)

 よくもまあそのような突拍子もないことを思いついたものだ。

 アルベールも感心して頷いている。

「イフリート、今言ったことはできそうか?」

「造作もない」

 自信家イフリートが大きく頷いた。

「よし! じゃあ俺はこれから、じじいにこの谷底作戦について詳しく聞いてみる!」

「ま、待ちなさいエドワルド。ラッセル老にシャーリーの力について言うのは……」

「大丈夫ですよ姉上。それは言いません。ただ単に作戦を聞くだけです。後学のために教えてくれと言ったら、じじいは教えてくれるはずですからね! そして作戦を聞いた後で、イフリートとノーム、フェンリルを使ってその作戦をどう展開していくか考えるんですよ!」

 エドワルドはそう言って緑の塔から飛び出して行った。

 イフリートの姿が見えなくなったので、どうやら姿を消してエドワルドにくっついていったようだ。短い時間にずいぶんと仲良くなったらしい。

(まあいっか、暑苦しいのがいなくなったから……)

 アルベールではないが、イフリートにいつまでも居座られたら面倒くさくて仕方がない。

 アデルは地図を覗き込んで頷いた。

「もしラッセル老の作戦が本当にうまくいくなら、これでかなりの軍勢を減らせるはずだ。ラッセル老が最高の作戦だというほどの作戦だからね。形勢が逆転できるかもしれない」

「ああ。エドワルド殿下の話を聞いた時は驚いたが、私には到底思いつかないいい作戦だ!」

 それはそうだろう。ゲームのキャラクターを現実世界に呼び出して使おうなんて、普通は思いつかない。きっとエドワルド以外では閃かない作戦だ。

「混乱に乗じて軍を動かせば、減少したクレアド軍を包囲することもたやすい! ノーム、フェンリル、協力してくれるか?」

 アルベールが肩に乗っているノームと足元で寝そべっているフェンリルにそれぞれ話しかける。

「どうしてもって言うなら聞いてあげなくもないよ」

「まあいいだろう」

 ノームがツンデレに言って、フェンリルが頷く。

(なんかちょっとズルをしている気がしないでもないけど……勝てば官軍って言うもんね?)

 考え方によっては、シャーリーが指パッチン魔法でダイナマイトを呼び出すのと同じだろう。

 負け戦などこりごりだ。それでアルベールが処刑されるくらいならば、ズルだってなんだってかまわない。もとはと言えばあちらが一方的に攻めてきたのだから。

 すでにローゼリアの緑の塔の登録を解除されているアルベールはローゼリア城に一室用意されたそうで、また明日ここに来ると言って帰って行った。

 ちゃっかりノームとフェンリルも連れて帰ったけれど、姿を消すそうなので問題はない。

(それにしても……なんか急にRPGっぽくなっちゃったと思うのはわたしだけかしら……)

 シャーリーは食べた食器を片づけながら、やれやれと息を吐きだした。



 その夜。

 風呂から上がったシャーリーは、ダイニングの灯りがまだついていることに気が付いた。

 ダイニングにはアデルがいて、ソファに座ってぼんやりしている。

 アデルはいつも、お風呂から上がったらすぐに寝てしまうのに、今日は湿った銀髪をタオルでくるんだままぼーっとしていた。

「アデル様、きちんと髪を乾かさないと風邪ひいちゃいますよ」

「あ、ああ……そうだね」

 アデルはハッとして、それから微苦笑を浮かべたけれど、やはりまだぼんやりしている。

 シャーリーは一度バスルームに戻って、指パッチン魔法で出していたドライヤーを持ってくると、アデルの背後に回った。

 アデルの艶やかな銀髪をタオルで拭いてドライヤーをかけると、アデルはされるがままになって、またぼんやりしはじめた。

(どうしたのかしら?)

 思えば、エドワルドとアルベールが帰ってからおかしかった気がする。

 口数が減った気がするし、ふとした時に思い悩むような表情を浮かべて俯いて、時折重たいため息をついていた。

 ドライヤーの温風でアデルの髪を乾かしながら、シャーリーは思い切って訊ねてみることにした。

「アデル様、どうかしたんですか? 元気がないみたいですけど」

「ん?……そうかな?」

「はい。あ、もちろん言いたくなければ話さなくて大丈夫ですよ」

 誰しも悩みの一つや二つはあるものだ。それを人に打ち明けるのか、心の中に秘めておくのかは人それぞれで、なんとなく、アデルは後者な気がした。シャーリーが知る限り、アデルはいつも前向きで、めそめそしたところは見たことがない。

 アデルはしばらく黙っていたけれど、ちらりと肩越しに振り返って、ぽつりと言った。

「シャーリーは、アルベール殿下のことが好きなんだよね?」

「へ!?

 危うく、ドライヤーを取り落とすところだった。

 慌ててドライヤーを持ち直すと、シャーリーはあわあわしながら答える。

「な、何を言っているんですかアデル様! わたしとアルベール様は、そんな関係では──」

「ああ、勘違いしないで。恋人同士だとかそう言うことを言っているのではなくて……ああ、なるほど。シャーリーは無自覚だったんだね」

「はい!?

 シャーリーは声を裏返した。

(わたしってアルベール様が好きだったの!?

 確かにアルベールのことは大切だし、今まで可哀そうな思いをたくさんしてきたのだからと、ついつい甘くなってしまうのは自覚していたけれど──

「わたしが言うのもなんだけど、多分間違いないと思うよ」

 なぜ自分の感情をアデルに教えられているのだろうか?

(いやいや、いくらなんでも、好きならちゃんと自覚できるわよ。わたし、そこまで鈍くな……、あれ……?)

 シャーリーはふとアルベールの顔を思い浮かべて、ボッと顔を赤く染めた。

 アデルが変なことを言うから、動悸がしはじめた。心臓がドクドクいっている。

(あれ? あれ?)

 いやいや、冷静になって考えてみよう。シャーリーは今世ではまだ十五歳だけど、前世の佐和子の享年は三十二歳。アルベールは二十歳。十二歳差。今世の年齢をたすと二十七歳差。ない。ないはずだ。きっとない。……ああ。

 シャーリーはドライヤーを置いて顔を覆った。

 絶対違うと否定したいのに、否定できないかもしれない。アルベールの側はホッとするし、顔が見えないと不安になるし、毎晩テレビ電話で話をする時間がとても楽しかった。

(……そう言えばわたし、前世でも色恋沙汰が苦手だったわ)

 誰かのことが好きだと気づくまでに時間がかかって、気が付いた時には人のものになっていたパターンがものすごく多かった気がする。

 明日からいったいどんな顔をしてアルベールに会えばいいのだろうか。

 シャーリーが赤い顔のまま、再びアデルの髪にドライヤーをあてはじめると、アデルが目を閉じてぽつりと言った。

「シャーリー、わたしにも好きな男がいるんだ」

「はい!?

 あまりの驚きに、シャーリーは再び声を裏返した。今日のアデルは爆弾発言が多すぎる。

(アデル様に好きな人!?

 ローゼリア城にいるときも、アデルにそんなそぶりはなかった。というか、女性人気の高いアデルに恋人なんていたら、それこそ国中の噂になっていてもおかしくない。

「ああ、違うよ、その男とは恋人関係じゃない」

 シャーリーの思考を読んだようにアデルが言って、自嘲するように笑う。

「というか……好意を伝えられたけれど、わたしから断ってしまったからね」

「どういうことですか?」

 ドライヤーの風を温風から冷風に切り替えて、乾いた髪に当てていく。最後に冷風を当てることで髪に艶が生まれるのだと教えてくれたのは前世の行きつけの美容師だった。

 アデルの銀髪が艶々になると、シャーリーはドライヤーを切ってアデルの隣に座った。

 アデルが突然色恋話をはじめたので不思議に思ってはいたけれど、どうやらアデルが思い悩むような顔をしていたのは、その好きな男のせいだろう。

 ここまで話したならきっと教えてくれるはずだと、さあ話してください、と続きを促せば、アデルは困ったような顔をする。

「聞いても面白い話じゃないと思うけど……少しだけ聞いてくれる?」

 むしろアデルの恋バナなんて超レアだ。率先して聞きたい。

「もちろんです。あっ、ちょっと待ってください」

 シャーリーは急いで立ち上がると、冷蔵庫を開けてアルベールのお菓子ストックの中からチョコレートと、ジュースを二本持って来た。恋バナと言えばお菓子だ。

「さあどうぞ」

 いつでもカモンと両手を広げると、アデルはくすくすと笑った。

 シャーリーが差し出したオレンジジュースを開けて一口飲んでから口を開く。

「その男はね……わたしの護衛官だったんだ。ちょっぴり堅物で、心配症で、真っ直ぐな男だよ。わたしは気が付いた時にはその男のことが好きになっていて……その男もわたしのことを好きになってくれたけれど、わたしは緑の塔に入ることが決まっていたから、だから待っていてくれなんて言えなくて……断ってしまったけれど…………今頃になってそれを後悔しているなんて、どうかしているよね」

「……護衛官って」

 シャーリーはふと、今日の昼にエドワルドが言ったことを思い出した。確かブロリア国に進軍する連合軍のうち、ローゼリアの軍は──

(レンバード将軍)

 あまり記憶には残っていないが、レンバード将軍なら何度か見かけたことがある。いつもアデルと親しそうに話していた。

 黒髪で、背が高かった。覚えているのはその程度だけれど、アデルとレンバード将軍が並んでいるところを見たとき、妙に絵になる二人だなと思った。あれは、互いに想いあっていたからだったのかもしれない。

「彼には……ヘンドリックには幸せになってほしい。わたしのような面倒くさい女じゃなくて、普通の、優しくて可愛らしい女性と一緒になって、幸せでいてほしいんだ。それは本心のはずなのに、塔の中に入ったら諦めがつくと思っていたのに、なんだろうね……絶対に会えないんだって思うせいなのか、いっそうヘンドリックのことを考えてしまう」

「アデル様……」

 アデルは泣いているわけではない。口元には薄い笑みを貼り付けている。けれどもどうしてか、アデルが泣きそうに見えて、シャーリーはそっとアデルの手を握りしめた。

「ねえ、シャーリー。……クレアド国には勝てるだろうか」

 アデルは進軍するレンバード将軍のことを心配しているのだ。だからずっと思いつめたような顔をしていたのだ。

 エドワルドの秘策──ゲームの精霊を呼び出すというびっくり箱のような作戦を用いても、戦争なのだ、勝てる保証はどこにもない。ましてや死人が一人も出ない保証なんてどこにもなかった。

「わたしも一緒に行ければいいのに。訓練を受けた兵に比べたらわたしなんて足手まといだろうけど……、でも」

 アデルは塔の中から出ることはできない。アデルが緑の塔から出るには、ブロリア国の緑の塔の登録を解除しなければならないからだ。

「大丈夫ですよ」

 シャーリーだって、本音を言えば怖い。

 アルベールもエドワルドも連合軍を率いて進軍するという。アルベールもエドワルドも王子だから前線には立たないだろうが、それでも命の危険があることには変わりない。

 シャーリーができることがあれば何だってするつもりだけれど、シャーリーだってアデル同様、彼らとともにブロリア国へ向かうことはできない。アルベールたちが戦っているとき、塔の中で祈ることしかできないのだ。

 だから、大丈夫だと、そう信じることしかできない。

「いざとなれば戦車だって呼び出して見せますから! イフリートが出せたんですから、きっとがんばればなんとかなるはずです!」

「戦車って何?」

「すっごい強い秘密兵器です」

「ふふ、それはいいね」

 アデルは笑うと、チョコレートをひとかけら口に入れて立ち上がる。

「そうだね。シャーリーのすごい力もあるから、きっと大丈夫だね」

「はい。クレアド国を追い出したっていい知らせを持って帰ってくれるはずです」

「うん。……ありがとう。話したら少し落ち着いたよ。もう寝るね」

「はい、おやすみなさい。……あ、歯磨きしないと虫歯になりますよ!」

 チョコレートとジュースを飲んだからと言えば、アデルは笑って、歯を磨いて上がるよとダイニングを出ていく。

 シャーリーはジュースとチョコレートを片づけながら、ふと、いつもの癖でテレビに視線を向けてしまった。

 いつもなら、夜はアルベールとテレビ電話をしていた。

(アルベール様……この戦争が終わったら、どうするのかしら)

 アルベールはもう、ローゼリア国の緑の塔に登録されていない。いつでも好きにどこへでも行くことができる。

 ブロリア国に帰ることも、ローゼリア国に逃れてきた母の第二妃を連れてどこか遠くへ行くことも。

 もしかしたら、もう二度と、このソファに並んで座って、ゲームをしながら笑いあうことはないのかもしれない。

 そう思うと、ずきりと胸の奥が痛くなった気がして、シャーリーはそっと胸を押さえた。