『水をつかさどる精霊よ、我らが命を奪おうとするブラックボアの眉間に向け、ファルバンフィルの種が飛ぶように、ルノスの実を囲う堅氷がごとく硬い氷針を飛ばし給え』

 ダスティンさんによる早口の呪文が聞こえてくると、氷の小さな槍が生成された。

 それはブラックボア目がけてかなりの速度で飛んでいき──ブラックボアの眉間に、寸分の違いなく突き刺さる。ブラックボアは断末魔の叫び声をあげながら、その場に倒れ込んだ。

「さすが、素晴らしい腕前です」

「はぁ、少し焦ったな。クレール、援護助かった」

「いえ、遅れてしまって申し訳ございませんでした」

 2人は勝利を喜び合うように穏やかに会話をしてるけど……ちょっと待って! まだ私は全く事態が飲み込めてないんだけど!? 私は2人の会話に割って入るように、御者席から飛び降りた。少し足がジンジンとしびれたけど、そんなことを気にしている場合じゃない。

「お2人ともなんでそんなに強いんですか!? ダスティンさんは凄い反応速度とナイフさばきで、クレールさんはいくつもの武器を使いこなして、さらにダスティンさんの魔法の威力と精度は信じられないほどに高くて。そ、それに──殿下って、呼んでませんでしたか?」

 緊張しつつ勢いのままにその質問をすると、ダスティンさんが「はぁ……」と大きく息を吐き出して、クレールさんを睨んだ。

「確かに呼んでいたな。クレール、どうしてくれる?」

「いや、あの……大変申し訳ございませんでした。焦ったら昔の呼び方が出てしまって……」

 クレールさんはかなり反省しているのか、珍しく顔を俯かせた。昔の呼び方って……。

「ダスティンさんは、その……王子様、なんですか?」

「……その呼ばれ方は嫌だな。ただまあ、その通りだ。私の父は現国王だからな」

 私はダスティンさんが肯定したのを見て、何を言えばいいのか見当もつかなかった。口をはくはくと動かすけど、声にならない。なんであそこで工房をやってるのか、他の人たちは知ってるのか、魔道具師っていうのは噓なのか、色々と聞きたいことはあるけど……何よりも。

「申し訳ありませんでした!」

 とにかく頭を下げた。だって王子様だなんて知らなかったんだ。今まで私がダスティンさんにしてきた所業の数々が思い浮かぶ。かなり不敬……だよね。

「なぜ謝る?」

「王子様であるダスティンさんに、色々とわがままを言ったり、ご迷惑をかけたりしたので」

 そう伝えると、ダスティンさんはため息をついてから私の頭を少し乱暴に撫でた。

「気にしなくていい。私に対しては今まで通りに接してくれ。今の私はただのダスティンだ」

「……いいのですか?」

「ああ、構わない」

 私はダスティンさんの表情を見て、これは本心から言ってるなと判断して頷いた。

「分かりました。ありがとうございます。……では遠慮なく聞きたいのですが、ダスティンさんは、なぜ魔道具師をやっているのでしょうか?」

「直球だな。……レーナ、この事実は絶対に秘密にして欲しい。守れるか?」

「……もちろんです」

 ダスティンさんに真剣な表情で問いかけられ、私はしっかりと頷いて見せた。

 こんな重大事項、絶対に誰にも言えないよね。下手に誰かに話して私のせいでダスティンさんに不利益があったら嫌だし、何よりも私の身の安全を保障できなさそうだ。

「分かった。では話そう」

「ダスティン様、よろしいのですか?」

「いい。レーナのことは信頼している」

 私はダスティンさんのその言葉を聞いて、絶対にこの信頼を裏切らないと決意した。

「……かしこまりました。ダスティン様が決められたのでしたら、従います」

「クレール、ありがとう。レーナ、まず私は王子と言っても第二王子だ。それも正妃ではなく側妃の子なんだ。正妃と側妃という言葉は分かるか?」

「はい。ロペス商会で教えていただきました。国王陛下には側妃が2人いらっしゃるとか」

 確か正妃に子供は2人いて、側妃にそれぞれ1人と3人、子供がいるんだったはずだ。

「合っている。私の母は第二妃でな、正妃に男児が産まれてから私は産まれた。正妃の子が第一王子で私は側妃の子で第二王子。どちらが王位を継ぐかは明白で、私が12歳になる頃まで問題はなかった。しかしレーナも知っていると思うが、私には魔法の才があったんだ。兄上はとても優秀な方なんだが、魔法の才にだけは恵まれなかった。そこで正妃は、私が王位の座を奪っていくかもしれないと思ったのだろう。私に対して当たりが強くなり、いつしか暗殺者まで送ってくるようになった」

 本当にそういうことって、あるんだ。物語の世界の話を聞いてるみたいだ。王宮って怖い。

「最初こそ正妃に対して、私は王位を継ぐ意思はないと理解してもらうための努力を尽くしたのだが、あの人は少し感情の揺れが激しいところがあってな、受け入れてもらえなかった。そこで王宮にいるのが嫌になった私は、離宮に引きこもっている魔道具にしか興味がない第二王子になったんだ。ただ引きこもり生活は半年が限界で、たびたび隠れてせいに降りるようになり、今では何年も王宮には帰っていない」

 ダスティンさんはそこで言葉を切ると、「まあよくある話だ」と締め括った。

「大変ですね……あの、聞いていいのか分かりませんが、陛下は何をしているのでしょうか」

 どうしてもその部分が気になって思わず聞いてしまうと、ダスティンさんは虚を突かれた表情をしてから、微苦笑を浮かべて口を開く。

「そこを聞いてくるのはさすがだな」

「すみません。さすがに不敬でしょうか……?」

「ここには私たちしかいないから問題はない。ただ王家への批判は口にしない方が賢明だ」

「分かりました」

 私がすぐに頷くと、ダスティンさんは少しだけ口端を上げた。そして顎に手を当てて考え込むような仕草をしてから、ゆっくりと口を開く。

「父上は……しっかりとした人なんだ。ただ非情になりきれない部分があって、特に身内にはな。だから正妃を注意はしても、離宮に閉じ込めたり罰したりはできなかった。父上の口癖は『俺は王に向いていない』だったからな」

 陛下ってそんな人だったんだ。今まで持っていた漠然としたイメージがガラッと変わった。俺についてこい! 的な人かと思ってたんだけど、もう少し弱気な……優しい国王なんだね。

「なぜそんな陛下が王位を継がれたのですか?」

「本当は父上の兄にあたる人物が継ぐ予定だったらしい。しかし父上が10代後半の頃に致死率の高い病がったんだ。それで候補が父上しか残らなかったと聞いたことがある」

 そんなことってあるんだ……やっぱりどんな世界でも病気は怖いね。家族皆がかかったらと思うと、想像だけで指先が冷たくなる。

「父上はかなり抵抗したらしいんだが、結局は貴族たちに頼まれて断りきれなかったそうだ。だから兄上が仕事を覚えたら……たぶんあと数年で王位継承が行われるだろう」

「ということは、そうなればダスティンさんは王宮に戻れるのでしょうか? あっ、でも第一王子殿下がダスティンさんをうとましく思っていれば、結局はダメですよね」

「いや、兄上とは仲がいい。暴走しているのは正妃だけなんだ。兄上は王になったら正妃には父上と共に別荘地へ行ってもらうと言っていたし、私が戻っても問題はなくなる」

「そうなのですね……」

 ──それはいいこと、だよね。でもそうなれば、ダスティンさんがあの工房にいなくなってしまう。それはちょっと寂しいな。本当なら雲の上の人と知り合えただけでもラッキーだと思うべきなのかもしれないけど、これからもずっとあの工房で休日を過ごしたかった。

「難しい顔をしてどうしたんだ?」

「いえ、あの……ダスティンさんがあそこにいなくなったら、寂しいなと思いまして。あっ、きゅ、休日に行くところがなくなりますし」

 途中で凄く恥ずかしいことを言ってるんじゃないかと気づいて慌てて付け足すと、ダスティンさんとクレールさんに生暖かい視線を向けられた。

「その時にならないと分からないが、王宮に戻ったとしても工房は続けたいと思っている。市井に降りてみて気づいたんだが、私には王宮の生活よりも今の生活の方が合っているからな。兄上には政務の補佐をして欲しいと言われているから、今みたいにずっと工房にいるわけにはいかないだろうが」

 ──そっか、ダスティンさんはいなくならないんだ。

 私はその事実に対して予想以上に喜んでいる自分自身に、凄く驚いた。

「それならよかったです。これからもよろしくお願いします」

 自然に浮かんだ笑顔のまま伝えると、ダスティンさんは珍しく優しい笑みを浮かべる。

「こちらこそよろしく頼む。ではそろそろ話は終わりにしよう。クレール、騎士は来ないようだし、ブラックボアを解体してくれ」

「かしこまりました。このことは王宮にて報告しておきます」

「そうだな。魔物の討ち漏らしは市民を危険にさらす。極力減らさなければならない」

 クレールさんがナイフを取り出し迷わずブラックボアの解体を始めたのを見て、私はそういえばと気になっていることを質問してみた。

「クレールさんはダスティンさんのことを、なんて呼んでいるのですか? ダスティン様と殿下って呼んでいたと思うのですが」

「しばらくは殿下とお呼びしておりました。しかしダスティン様が王位を継がれないことを示したいから名前で呼ぶようにと仰られて、それからはお名前で。さらに市井に降りている時は様も付けないようにということで、さん付けで呼ばせていただいております」

「そういうことだったんですね。クレールさんはダスティンさんの側近? ですか?」

侍従じじゅうです。ダスティン様が8歳の時に侍従見習い、そして数年で正式な侍従となりました」

 身の回りの世話をする人は侍従っていうんだ。覚えておこう。それにしても既に10年以上の付き合いってなると、それは仲良いし信頼感も生まれるよね。

 そういえば最初にクレールさんと会った時、私のことを睨んでたけど、あれは警戒してたからだったんだ。確かにダスティンさんが王子様だと思えば、あの反応にも納得できる。今回の遠征に付いてきたのも、王子様がよく分からない平民の子供と街の外に行こうとしてたら、心配するのは当然だ。

「クレール、肉は埋めておけ。毛皮などは持ち帰る」

「かしこまりました」

「レーナ、御者席に戻るぞ」

 クレールさんのことを少し手伝えないかと思ったけど、あまりにも手際が良くて無駄のない動きを見て、手を出すだけ邪魔になるなと判断して素直に御者席へと戻った。しばらくクレールさんの技術に圧倒されていると、大きなブラックボアは綺麗に素材へと分けられる。

「ダスティンさん、お肉って食べられないのですか?」

「いや、普通に動物と同じように食べられる。ただ魔物の肉は基本的に硬くてあまり美味くないんだ。食べることはほとんどないな」

「そうなのですね」

 綺麗で新鮮なお肉が埋められていく光景には、スラム時代の食事を思い出して勿体ないという気持ちが湧き上がる。でもリューカ車の中はいっぱいだし、持ち帰りたいとは言えない。

「完了いたしました」

「ありがとう。では急いで戻るぞ」

 それからは大きな問題もなく街道を進んでいき、私たちは暗くなり始めた頃に王都に着いた。外門から街中に入ると、数日しか離れていなかった街の風景を懐かしく感じる。

「このままレーナの家に向かうのでいいか?」

「送ってくださるのですか?」

「もう暗いし、そこまで遠回りにはならないからな」

「ありがとうございます。ではよろしくお願いします」

「分かった」

 明日はさすがに1日休んで、帰還の報告とお土産だけを渡しにロペス商会へ行こうかな。そして明後日からは仕事に復帰しよう。

「ダスティンさん、私の荷物はどうすればいいでしょうか?」

「そうだな……全て工房に下ろしておくので、あとで取りに来るといい」

「ありがとうございます。では明日のお昼過ぎにでも、受け取りに行きます」

「分かった。レーナが買った土産は布とメイカだな。その2つだけ別で置いておこう」

「よろしくお願いします」

 そうして話をしていると、すぐ自宅の前にリューカ車が止まった。私は暗い中で慎重に御者席から降りて、辛うじて見えるダスティンさんとクレールさんに視線を向ける。

「数日間、本当にありがとうございました。とても楽しくていい経験になりました。ダスティンさん、これからもよろしくお願いします。クレールさんも、またお会いできたら嬉しいです」

 その言葉に2人からの短いけど優しい返答が来て、私はとても満ち足りた気分で自宅に戻った。体は疲れているけど、足取りはとても軽かった。

 自宅に戻るとお父さんに泣いて喜ばれ、お母さんとお兄ちゃんにはお土産話をせがまれ、楽しくも忙しい夜を過ごした。


 次の日の昼頃。私は疲れが溜まっていたのか遅い時間に目覚め、リビングに向かった。するとそこには家族が準備してくれた朝食があり、その優しさに癒されながらテーブルにつく。

 家庭の味が疲れた体に染み渡り、まだぼーっとしていた頭がかくせいした。

「美味しいなぁ」

 朝食兼昼食を食べ終えて1杯の水を飲んでから、しっかりと戸締りをしてうちを出た。まずはダスティンさんのところに行って、次はロペス商会だ。

「ダスティンさん、こんにちは」

 工房のドアを叩いて声をかけると、少ししてからドアが開かれた。中から出てきたダスティンさんは……酷い顔だ。

「……もしかして、寝てないのですか?」

「ああ、買ってきた素材を見ていたら研究をしたくなってな。ただそろそろ寝る」

「絶対に寝た方がいいですよ。クレールさんはもう帰ったんですか?」

「昨日すぐに帰した。あまり長く私の側にいるのはよくないんだ」

 確かにそうだよね。クレールさんが頻繁に出入りしてたら、ダスティンさんがここにいるとバレる危険性が高まるだろう。だから今までほとんど会わなかったんだね。

「屋台で食事とか買ってきましょうか? 何も食べてないですよね?」

「……頼んでもいいだろうか」

「もちろんです。ちょっと待っててください」

 私は工房に入らず回れ右をして、近くの市場に向かった。そして消化に良さそうな料理をいくつか買い込んで、両腕で抱えて工房に戻る。

「ダスティンさん、開けてもらえますか?」

 今度はすぐにドアが開き、ダスティンさんは着替えたのかラフな室内着になっていた。部屋の中に入って、リビングのテーブルに買ってきたものを置く。

「これ、色々と買ってきました」

「ありがとう。これで足りるか?」

 ダスティンさんは料理に視線を向けてから、寝ぼけた表情で私の手に金貨を1枚置いた。

「ちょっ、ダスティンさん! 多すぎます! 全部で小銀貨2枚ぐらいですよ」

 慌てて金貨を返そうとすると、ダスティンさんは面倒そうな表情で首を横に振った。

「……気にしなくていい。買いに行ってくれた礼も込みだ」

 そう言ったダスティンさんは、椅子に座って食事を始めてしまう。私はそんなダスティンさんの様子に金貨を返すのは諦めて、しっかりとお財布に仕舞った。

「ありがとうございます。このお金で、お土産でも買ってきますね」

 そこでお金に関する話は終わり、私はリビングをぐるりと見回した。すると端にある台の上にメイカが載せられているのが目に入る。

「私の荷物、置いておいてくださってありがとうございます。ロペス商会にメイカを3つ運ぶんですけど……大きな鞄とかってあるでしょうか?」

「工房にいくつかあるから使うといい。布は工房のテーブルの上に置いてある」

「ありがとうございます。布は帰りに持っていきますね。そっちは自宅に運ぶので」

「分かった」

「あと1つのメイカはダスティンさんと一緒に食べようと思っていたので、もう少し置いておいてください」

 そう伝えるとダスティンさんは僅かに瞳を見開き、嬉しそうに口元を緩めた。

「楽しみにしている」

 その言葉に私も頰を緩めながら、ロペス商会に運ぶメイカを準備した。

 肩にかけた鞄を両腕で抱えて工房をあとにし、ロペス商会の裏口から中に入る。するとちょうどジャックさんとニナさんが休憩時間だったようで、テーブルでお昼ご飯を食べていた。

「お久しぶりです」

 そんな2人に声をかけると、2人ともすぐに食事を中断して私の近くまで来てくれた。

「レーナちゃん、帰ってきたのね」

「早かったな」

「昨日の夜に帰ってきました。買い付けがスムーズに終わって、予定を前倒ししたんです。ジャックさん、ちょっとこれ持ってもらってもいい? 凄く重くて……」

 予想以上に重かったメイカ3つに腕が痺れていたので助けを求めると、ジャックさんは軽く鞄を持ち上げてくれた。

「おおっ、結構重いな」

「ありがとう。助かったよ」

 解放された両腕を軽く振ると、一気に血が巡るような感覚がある。

「何が入ってるんだ?」

「皆へのお土産だよ。メイカって果物なんだけど……知ってますか?」

 ニナさんとジャックさん、2人に問いかけるようにすると、2人とも首を横に振った。

「メイカ……聞いたことないわね」

「俺もだな」

 ジャックさんが鞄を置いてメイカを1つ取り出すと、ニナさんが興味深げに顔を近づけた。

「本当に見たこともないわ。質感は……ツルツルしていて気持ちいいわね」

「匂いはあんまりしないな」

 本当に王都には流通してないんだね。これはいいお土産になったかも。

「2つは皆さんで分けて食べてもらおうと思っていて、1つはギャスパー様に持っていきます」

 メイカを楽しげに眺めているジャックさんとニナさんに声をかけると、珍しい果物を食べられるということで2人の表情が明るくなった。

「ありがとう。食べるのが楽しみだわ」

「レーナは食べてみたのか?」

「ううん。試食はなくて、まだ食べられてないんだ」

「そうなのか。じゃあギャスパー様のところに持っていく前に試食するか? せっかくだから、ギャスパー様にもすぐ食べられるようにして持っていけば喜ばれると思うぞ」

 確かに……その方がいいかも。私は早くメイカを食べてみたいという気持ちもあり、ジャックさんの言葉に乗った。ニナさんが休憩室に置かれているナイフを準備してくれて、ジャックさんがメイカを大きめの木の板に載せる。

「どうやって切るんだ?」

「皮ごと食べやすいサイズに切り分けて、中身だけを食べるんだって」

 食べ方を軽く聞いた限りでは、スイカやメロンのような果物なのかなという印象だ。ただ皮の見た目はレモンみたいな黄色で、味の想像は全くつかない。

「まずは半分に切ってみるか」

「気をつけてね」

 ジャックさんはメイカにナイフを少しだけ刺し入れ、両手で上から力を入れた。すると思いのほか綺麗にメイカは半分に切られ……中から顔を出したのは、真っ赤な果肉だった。

「鮮やかな色だな」

「カミュみたいだわ」

 ニナさんはブドウに似た味がするカミュのような味を想像したみたいだけど、私の頭の中に思い浮かんだのはスイカだ。タネはないからちょっと違うかもしれないけど、瑞々しい感じとか果肉の少しざらざらしてそうな感じ。その辺が私の記憶にあるスイカと一致する。

「とりあえず、適当に切ってくぞ」

 ジャックさんが大きなメイカを数十に分けてくれて、私たちは小さなメイカを手にした。

「では食べてみましょうか」

 ニナさんのその言葉をきっかけにメイカを口に運び……私はその味に、その香りに、その食感に、思わず涙がこぼれそうになった。

 これ、本当にスイカだ。スイカとそっくりだ。日本の夏を思い出すな……凄く懐かしい。この世界にも日本にあったものと、ここまで似ているものがあるなんて。

「美味しいわね」

「これはいいな。俺はかなり好きだぞ」

「……私もとても好きな味です。瑞々しくて甘くて美味しいです」

「ギャスパー様は確実に喜ばれるわ」

 メイカを食べるためだけにあの街に行きたいぐらいだ。王都でも手に入ったらいいのに。

「ギャスパー様に渡してきますね。他の方にもぜひ食べてくださいと伝えてもらえますか?」

「ええ、もちろんよ」

 私はお皿に載せたいくつかのメイカと丸々1つのメイカを抱え、休憩室を出て商会長室に向かった。ドアに来客中などの札が掛かってないことを確認してから、ノックをする。

「失礼いたします。レーナです。ただいま戻りました」

 部屋の中に入って挨拶をすると、ギャスパー様はにこやかに迎え入れてくれて、わざわざ執務机から立ち上がってメイカを受け取ってくれた。

「ありがとうございます」

「いいんだよ。これは果物かい?」

「はい。お土産として買ってきました。よろしければ受け取っていただけますか?」

「もちろんだよ。ありがとう。知らない果物だなんて嬉しいな」

 ギャスパー様は表情を楽しげなものに変えて、メイカを観察しながらソファーに腰掛ける。

「レーナも座るといい」

「ありがとうございます」

「この果物はなんて名前なのかな?」

「メイカという名前らしいです。染料を育てている畑で空いている期間に育てるのが伝統らしく、果実は食用に、乾燥させた根や葉は畑に混ぜ込むそうです」

 私の説明を聞いて、ギャスパー様は興味深げな表情で近くにあった端紙にメモをした。

「こちらが先ほどジャックさんが切り分けてくれたメイカです。皮は食べず、中の果肉だけをお召し上がりください」

 フォークも一緒に手渡すと、ギャスパー様はさっそく1つのメイカを口に運んだ。数回咀嚼してから、口元を綻ばせる。

「これはとても美味しいね。似たような果物があまりないし、王都でも十分人気になりそうだ」

「私もメイカには可能性があると思います。あの街以外で栽培はされていないのでしょうか」

「少なくとも私が知っている限りではないかな。栽培が難しかったりするのかい?」

「いえ、そのような様子はありませんでした。どちらかといえば、畑が空いている期間で気軽に育てているという感じで」

 ただ可能性があるとすれば、あの街で育てている染料となる植物と相性がいい場合だ。メイカの生育にその植物が大きく関わっている場合、別の畑でメイカを育てても簡単には育たないのかもしれない。

「ふむ、興味深いね。少し私の方でも調べてみるよ。商会で取り扱えそうなら、少量から試しに仕入れてみよう。レーナ、とても素敵な土産をありがとう」

「ギャスパー様が私を快く送り出してくださったからです。こちらこそ本当にありがとうございました。お陰様でとても貴重な経験を積むことができました」

 その言葉にギャスパー様は優しい笑みを浮かべ、魔物素材の臨時市場の様子について、詳しいことを教えて欲しいとペンを握った。

 それから私はダスティンさんの素性に関すること以外、今回の旅で得た知識を全てギャスパー様に伝え、話し疲れた頃にロペス商会をあとにした。

「このあとは……まだダスティンさんが起きてたら、一緒にメイカを楽しもうかな」

 商会を出たところでそう呟き、ダスティンさんの工房に向かう。私の心はなんだか楽しく弾んでいて、足取りはとても軽かった。