5章 魔物素材の買い付けへ


 エミリーたちが街中を訪ねて来てくれたりと、楽しくも忙しい日々を過ごしていると、私が11歳になった水の月はあっという間に過ぎ去り、風の月に入った。

 家族皆は街中での生活に完全に慣れたようで、もう1人でも危なげなく出掛けられる。お父さんとお母さんの屋台はそこそこ繁盛しているし、お兄ちゃんも毎日楽しそうに職場へと向かっていて順調な毎日だ。もちろん私の仕事も大きな問題はなく、毎日こなせている。最近は店舗に出ることも増えたので少し忙しいけど、やりがいがあって楽しい日々だ。

 リューカ車で遠くの配達を任せられることもあり、街中の地理には前よりも詳しくなった。

「ダスティンさん、おはようございます」

 今日は10日に一度の休日で、ダスティンさんの工房にやってきている。他に予定がある時以外の休日はダスティンさんの工房に入り浸っているのは相変わらずで、ダスティンさんとはかなり仲良く……なれたと思う。

「鍵は開いている」

「分かりました。失礼しますね」

 玄関ドアを開けて中に入ると、ダスティンさんは既に工房にいるみたいだった。リビングを突っ切って工房に足を踏み入れると……そこには見慣れない素材がいくつも並べられていた。

「今日は洗浄の魔道具の開発じゃないんですか?」

 洗浄の魔道具は形になったけど、ダスティンさんはやっぱり全種類の魔石を組み込んだ形で完成させたいみたいで、最近は工房を何度もぐちゃぐちゃにしながら開発に励んでいたのだ。

「ああ、あれは現段階では不可能だと判断した。何か別のアプローチが必要だと推測される」

「確かに、成功しそうな気配すらなかったですもんね」

 私のその言葉にダスティンさんは少しだけ悔しそうな表情を浮かべたけど、すぐに切り替えてテーブルにたくさん並べられた素材と魔道具の設計図のようなものを指差した。

「今はまた別の魔道具開発を始めているところだ。実はこの魔道具はもう何年も考えているのだが、全く開発の糸口が摑めていない。しかし私も成長した。今回こそは成功させるつもりだ」

 何年も考えて開発の糸口すら摑めないなんて、ちょっと興味を惹かれる。

「設計図を見てもいいですか?」

「もちろんだ。何か意見があったら言ってくれ。レーナの発想力は稀有なものだからな」

「ありがとうございます」

 設計図に書かれていたのは、何かの円盤に1本の棒が立てられているものだった。絵だけでは全く魔道具の用途が分からず、隣に書かれた文字を読んでみると……そこには、飛行の魔道具とある。もしかして、飛行機とかヘリコプターとか、空を飛ぶものを作ろうとしてる?

「レーナは飛行魔法について知っているな?」

「はい。風の女神様の加護を持つ人が、稀に使いこなせる魔法ですよね」

「そうだ。しかし使いこなせるとは言ってもジャンプ力が高まり着地までの時間を延ばせるとか、走る時に少しの時間だけ浮くことができるとか、その程度のものだ。しかし中には、空を飛べるほどに使いこなせる者もいるのだ。国に数えられるほどしかいないのだが」

 飛行魔法で空は飛べないっていうのが常識だと思ってたけど、ごく一部の人は飛べるんだ。それは、ロマンがあるね。風の女神様から加護を得たいなと思うほどに胸が高鳴る情報だ。

「凄いですね。そんなことができたら楽しそうです」

「そうだろう? だから私は魔道具を使って、誰でも空を飛べるようにしたいと思っている」

 そう言ったダスティンさんの瞳は、キラキラと少年のような輝きを放っていた。

「とても素敵だと思います。私も頑張って考えますね!」

「ああ、ありがとう。今の段階で何か思うことはないか? なんでもいいから言ってくれ」

「分かりました。ではまず、なぜこの形なのですか? 別の形ではダメなのでしょうか?」

 円盤に棒が取り付けられたイラストを指差して首を傾げると、この形には一応意味があるのかダスティンさんはすぐに口を開いた。

「それは空を飛べる飛行魔法の使い手が使っていた物を参考にしている」

「え、会ったことがあるんですか!?

「昔な。……ただ遠くから見たことがある程度だ」

 ダスティンさんって本当に不思議だよね……思わぬ経験や人脈があって、それに驚くことが頻繁にある。よほど実家がお金持ちなんだろうな。経験を得るのにもお金って必要だから。

「その人は、この円盤に乗って飛んでいたんですか?」

「そうだ。円盤部分に足を乗せて、棒を持ってバランスを取っていた」

「そうなのですね……」

 実際に空を飛んでる人がこの形で飛べてるってことは、この世界ではこれが正解なのかな。でも私にはどうしても、これで空を飛べる想像ができない。

「この形で魔道具を試作してるんですよね?」

「ああ、何度もな」

「結果はどうだったのでしょうか?」

「……全く飛ばないか、制御不能になるかの二択だ」

 やっぱりそうなんだ。ということは、この世界でも空を飛べる原理は地球とあまり変わらないのかな。もしそうなら、この形が失敗の原因だよね。

「ダスティンさん、前に見たという飛行魔法の使い手の方が飛んでいる時、その人の下方には強風が吹き荒れていたでしょうか」

「ああ、飛び立つ場所の周囲は立ち入り禁止になっていたな」

 ということは、この世界でも風を上手く使って空を飛ぶってことだ。それだとこの円盤型は非効率というか、適した形じゃないよね……。

 根拠のない私の予想だけど、その飛行魔法の使い手はかなり精霊魔法が得意で風を緻密に操れて、円盤がなくても生身の体だけで飛べるんじゃないのかな。円盤はただバランスが取りやすくなるから使ってるだけとか、そういう可能性もありそう。

 そうなるとやっぱりこの形は完全に忘れて、空を飛ぶということに適した形にするべきだと思う。私が思い浮かぶのは飛行機とかヘリコプター、パラグライダー、その辺の形だ。

 詳細な作りなんて全く分からないけど、どういう形が飛びやすいのかは伝えられるかな。

「ダスティンさん、まずはその方が使っていたというこの形を全て忘れるべきだと思います。そして物理的に飛びやすい形を追求しましょう。例えばですが、ちょっと紙をもらいますね」

 私は適当な端紙を手に取って記憶を頼りに折っていき、ヨットを作った。そして2枚目の紙で紙飛行機を作る。

「少し形は違いますが、こちらが飛行魔法の使い手の方が使っていた円盤です。そしてこちらは、私が空を飛ぶのに適していると思う形です。どちらも飛ばしてみますね」

 工房の端に向かって順番に同じフォームで飛ばすと、ヨットの方は目の前に落下して、紙飛行機は部屋の奥まで飛んでいった。

「一目瞭然だと思いますが、これほど飛距離が変わります。なので飛行の魔道具を開発する際には、そちらに飛んでいった形を元にした方がいいのではないかと思うのですが」

 そこまで説明すると、ダスティンさんはふらっと立ち上がって私の下に怖いぐらい真剣な表情で歩いてきて、ガシッと私の肩を摑んだ。

「レーナ……お前はやはり天才だ!!

 お、おお、凄い勢いだ。とりあえず、喜んでもらえたならよかったけど。

「まず、これはどうやって作ったのだ? 紙をよく分からない向きに折っていると思ったら、すぐに出来上がっていた。それにあの飛んでいった形、あんなのどうやって思いついたんだ? 私は今まで見たことがない」

「えっと……紙を折るのは葉っぱなどで暇つぶしにやっていて、あの形はたまたま思いついたと言いますか。あの……鳥っているじゃないですか。鳥が羽を広げた形に似せた方が、空を飛べるんじゃないかなーと」

 私がなんとか理由を捻り出すと、ダスティンさんは興奮していて私の不自然な態度には気づかなかったのか、素直に賞賛してくれた。

「本当に凄いぞ! レーナはなぜそのように素晴らしい発想を次から次へと生み出せるのだ。やはりスラム育ちというのが大きいのか? 私もスラムに引っ越しを考えるべきか……」

「い、いえ! それは違うと思います!」

 ダスティンさんの斜め上の考えを慌てて止めたけど、まだ悩んでいる様子だ。

「あの、スラムにはこの工房のものなんて何一つ持っていけないので、魔道具開発ができなくなります。鍵がしっかりと閉まる防犯性の高い場所は皆無なのでお金もたくさん持っていけば盗まれますし、食べるものに困って豊かな発想を育むどころじゃなくなります。私は……スラム街で培ったというよりも、生まれ持った性質もあると思うので」

 私のせいでダスティンさんが馬鹿な行動を起こさないようにとスラムに行くデメリットを並べると、やっと納得してくれたのかダスティンさんは神妙に頷いた。

「確かにそうだな。ただそんな環境でここまでの発想力を持つレーナが、本当に凄い」

「ありがとうございます。……私は自分で言うのも微妙ですが、ちょっと普通じゃないので」

「……自分で分かっているのか?」

 ダスティンさんは瞳を見開き私を凝視する。その言葉が返ってくるってことは、ダスティンさんも私のことを普通じゃないと思ってたってことだよね。その通りだから反論はないけど。

「さすがに少しは分かります。周りと全然違いますから」

「そうだな。……まあレーナの場合は、いい方向に突き抜けているから気にする必要はない」

 私が気にしていると思ったのか、いつもより優しい声音で気遣わしげにそう言ってくれたダスティンさんに、自然と頰が緩んだ。

「ありがとうございます。今まで通り気にせずいきます」

「それがいい。ではレーナ、さっそく先ほどの紙を折ったものを参考にして設計図を書くぞ」

「はい!」

 それからのダスティンさんは、ものすごい集中力だった。私が折った紙飛行機を見ながら設計図を描き、紙飛行機の折り方を少しずつ変えてどんな形が一番飛ぶのかを検証し、それを設計図に反映していく。

 そうして数時間が経過し……やっとペンを置いたダスティンさんは、眼鏡をくいっと上げると眉間に皺を寄せた。

「レーナ、全く素材が足りない。これは買い付けに行かなければダメだな」

「素材って魔物素材ですか? この街で売ってるところがあるのでしょうか」

「たまに流れてきた魔物素材が売られていることもあるが、基本的にはないな。魔物素材は出現したゲートの近くで、討伐された端から売りに出されるんだ」

 ダスティンさんはそこまでを口にするとニヤッと笑みを浮かべて、机の上に置かれていた1通の手紙を手に取った。

「実はな、ちょうど昨日の夜にゲートが開かれる前兆の光が空に上ったと連絡が来た。この光が目撃された約2日後にゲートは開くんだ。要するに明日だな。場所はこの街からリューカ車で1日ほど。今から行けば十分に間に合う」

 凄くタイミングいいね……というか、ゲートが開く前って前兆があるんだ。本当に不思議な現象だよね。魔物が出現するゲートが定期的に、それも決まった場所じゃなくてそこかしこに開くなんて。どういう原理なのか凄く気になる。

「そんな連絡が来るんですね」

「魔道具師にはな。今回は見送ろうかと思っていたんだが、やはり買い付けに行こうと思う」

「──その買い付けって、危なかったりしますか?」

「危険は……ないとは言わないが、魔物に相対するわけじゃないからそれほどでもない」

 なんでそんなことを聞くんだと不思議そうなダスティンさんの言葉を聞き、私は顔を輝かせて口を開いた。

「その買い付け、私も一緒に行っていいですか!」

 ゲートの存在はずっと聞いてるけど実際には見たことがないから気になるし、魔物素材の臨時市場なんて凄く楽しそうだ。それに街から離れたところに行ってみたい。

「別に構わないが、レーナには仕事があるだろう? リューカ車で1日とは言っても向こうに数日は滞在するし、1週ほどはこの街に戻って来られないぞ」

 1週か……長いけど行きたい。問題は仕事の休みがもらえるかどうかだよね。急だし長期間だから難しいとは思うけど、筆算の研究発表の褒美をまだもらってないから、その褒美の代わりに休みをもらえないかな。ギャスパー様に交渉する余地はあるかもしれない。

「これからロペス商会に行って、休みがもらえたら同行してもいいでしょうか」

「それならば構わんが、休みがもらえる可能性があるのか?」

「はい。保留にしている褒美があるので、もしかしたら」

「分かった。では休みがもらえたら出発準備を済ませてここに戻ってきてくれ。早ければ1刻後にはここを出るが、それまでに戻ってこなかったら置いていくからな」

 その言葉に大きく頷いた私は、さっそくロペス商会に向かうため工房をあとにした。


 商会の休憩室に入ると、ちょうどジャックさんがいたので声をかける。

「ジャックさん、おはよう。ギャスパー様っていらっしゃる?」

「おっ、レーナか。休みの日にどうしたんだ?」

「明日からの仕事について相談があって」

「そうか。確かギャスパー様は、午前中は商会にいらっしゃるはずだぞ」

 よかった。ギャスパー様がいない時点で諦めないとだったから、かなりラッキーだ。

「ありがとう。ちょっと上に行ってくるね」

 商会長室に向かい、来客中の札が出ていないことを確認してからドアをノックした。

「レーナです。少しお話があるのですが、よろしいでしょうか?」

「入っていいよ」

「ありがとうございます」

 中に入るとギャスパー様は書類仕事中で、ペンを置いて私に視線を向けてくれた。

「休みの日にどうしたんだい?」

「明日からの仕事に関してのお話なのですが……もし許可していただけるならば、1週ほどお休みをいただきたいです。本当に急でご迷惑な話ですが、ご検討いただけないでしょうか」

 私のその言葉を聞いたギャスパー様は、端から否定するのではなく理由を尋ねてくれた。

「随分と急だね。何かあるのかい?」

「はい。ダスティンさんが本日から魔物素材の買い付けに向かうらしく、私もそれに同行したいと考えています」

「ほう、魔物素材の買い付けか。ということは、近くにゲートが出現したんだね」

「リューカ車で1日の距離だそうです」

「それは近いね……うん、分かった。休んでもいいよ。怪我などしないように気をつけて、貴重な経験をしてくるといい。レーナの仕事については皆に割り振っておくよ」

「……え、いいのですか!?

 予想以上にすんなりと認められて、驚いて大きな声を上げてしまった。するとギャスパー様は笑みを浮かべて頷いてくれる。

「魔物素材の買い付けに同行できる機会なんて少ないからね、逃さない方がいい。ただその代わりに、帰ってきたらしっかりと働いてもらうよ?」

「……はい! ありがとうございます!」

 ロペス商会、本当にいい職場すぎて感動する。ギャスパー様と出会えたことが、私のレーナとしての人生で最大の幸運かもしれない。

 それから次の1週で私がやるはずだった仕事についていくつか話を聞かれ、私はギャスパー様に気持ちよく送り出してもらえた。結局は褒美の話も出さずに休みがもらえちゃったね……自分が言い出したんだけど、いいのかなって少し心配になる。でもせっかくもらえた休みなんだから、心配なんてしてる暇はないか。ありがたく経験を積ませてもらおう。

 休憩室に戻るとまだジャックさんがいて、ジャックさんにしばらく休むことを伝えながら、他の商会員に仕事を任せてしまうことへのお詫びとお願いを紙に書き、私は商会をあとにした。

 そして家に戻って必要なものを鞄に詰め込んだら、お母さんとお父さんの屋台に向かう。

「あら、レーナじゃない。ダスティンさんのところに行くんじゃなかったの?」

 お父さんはお客さんと話をしていて、手が空いていたお母さんが声をかけてくれた。

「ダスティンさんのところに行ってたんだけど、色々あってこれから街の外に行くことになって、お母さんとお父さんに伝えようと思って来たの」

「街の外って、スラム街に行くってこと?」

「ううん、もっと遠くに。リューカ車で1日ぐらいの距離だって。だから1週は帰ってこないけど、皆だけでも大丈夫だよね?」

 私が1週は帰らないと告げた瞬間、お客さんと話をしていたお父さんの体がピクッと動いた。やっぱりお父さんには反対されるかな……それでも絶対に行くけど。この機会は逃せない。

「私たちは大丈夫だけど、レーナは大丈夫なの?」

「うん。仕事は休みをもらえたし、ダスティンさんと一緒に行くから危険なこともないよ」

「そうなの。それならいいわ。いってら……」

「ちょっと待て!」

 お母さんが笑顔で送り出そうとしてくれたのを、怖い表情のお父さんが止めた。

「本当に危険はないのか!? それにダスティンと2人きりじゃないだろうな!」

「危険はそんなにないって言ってたよ。人数は……どうなんだろう。たぶん2人だと思うけど」

「そんなのダメだ! 絶対にダメだ!」

「アクセル。レーナはもう立派に働いてるんだから、好きにさせてあげなさい」

 私の肩を摑んで逃さないとでも言うようなお父さんの態度に、お母さんはあきれた表情だ。

「で、でも……レーナが危ない目に遭ったら」

「そんなことを言ってたら、レーナは何もできなくなっちゃうわよ。1人で行くわけでもないんだし、ダスティンさんはいい人だったじゃない」

「そ、そうだけどな……」

 お母さんの勢いにお父さんはタジタジだ。落ち込んだ様子でシュンと小さくなっている。

「お父さん、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。必ず無事に帰ってくるし、お土産も買えたら買ってくるね」

 安心してもらえるように笑みを浮かべながら伝えると、お父さんは眉間に皺を寄せながらしばらく黙り込み、しかし数十秒後にはぎこちなく頷いてくれた。

「分かっ……た。絶対に、無事で帰ってくるんだぞ」

「もちろん! お兄ちゃんにも行ってくるねって伝えておいてくれる?」

「分かったわ。気をつけてね」

「うん! いってきます!」

 私は晴れやかな笑顔で2人に手を振り、ダスティンさんの工房に向かった。

 急いで戻ると工房の玄関前には立派なリューカ車が停まっていて、明らかに個人の持ち物に見えるリューカ車を呆然と見上げていると、ダスティンさんが両手に荷物を抱えて顔を出す。

「レーナ、戻ってきたのか。その荷物を持ってるってことは行けるんだな」

「……は、はい。仕事の休みをもらって、家族にも伝えてきました。あの……これって定期便じゃないですよね? レンタルのリューカ車ですか?」

 一般的なデザインとは異なるその外観から違うんだろうなと思いつつ聞いてみると、ダスティンさんは案の定、首を横に振った。

「そうじゃない。これは私の持ち物だ。普段はリューカの世話も込みで手入れは専門家に任せているんだが、さっき連絡して準備を頼んだ」

 やっぱりそうなんだ……自前のリューカ車を持ってるのなんて、商会単位でしかあり得ないと思っていた。それもかなり稼いでる商会だけだ。

「魔道具師の方々って、リューカ車を持ってるのが普通なんですか……?」

「どうだろうな、あまり聞いたことはない。レンタル業者で手配するという話は聞くが」

「……ダスティンさんはなんで持ってるんですか?」

「私はちょっとしたでな。数年前にもらったんだ」

 こんな立派なリューカ車をもらえる伝手。どう考えても、ちょっとした伝手じゃないよね。

「凄いですね……」

「そうだな……ただ管理維持費がかなり掛かるから、毎回レンタルするよりも高くつくぞ。まあ慣れた車だと移動の負担が減るところはいいが」

 車部分に荷物を載せながらそう言ったダスティンさんは、中を覗き込む形になっていた上半身を外に引き戻し、身軽になったところで私と視線を合わせた。

「1つだけゆううつな報告があるんだが、同行者が1人増えた」

「え、そうなんですか?」

 ダスティンさんが誰かと親しくしているところをあまり見たことがなかったから意外に思っていると、ダスティンさんは眉間に皺を刻んで重そうに口を開く。

「ああ、最悪のタイミングであいつが訪ねて来てな……」

 そんなに嫌そうな顔をする相手って誰なんだろう。そう思ってどんな人なのか聞こうとしたその瞬間、前に一度だけ会ったことがある顔が、リューカ車の向こう側から現れた。

「そのように邪険にしないでください」

「はぁ……クレール、本当に一緒に来るのか?」

 あの時に会った人だ。ダスティンさんに内覧の付き添いを頼みに工房に寄った時、私のことを探るような瞳で見てきた人。

「もちろんです。街から出る時には必ず連絡してくださいと、いつも言っていますよ」

「私はもう子供じゃないんだ。1人でも問題ない」

「そのような問題ではありません」

 クレールさんは嫌そうな顔をするダスティンさんに有無を言わせぬ態度だ。

「レーナ、こいつはな……前に一度だけ会ったと思うが、昔からの知り合いだ。どうしても一緒に行くと聞かないものだから連れて行くことにした。鬱陶しいかもしれないが耐えてくれ」

「レーナさん、よろしくお願いいたします」

「あっ、よ、よろしくお願いいたします。クレールさん」

 にっこりと笑みを浮かべて挨拶をしてくれたクレールさんからは、敵意のようなものは感じない。とりあえず仲良くする気はある……のかな。それならいいんだけど。

「ダスティンさ……ん、こちらはどこへ置けばよろしいでしょうか?」

「それは一番奥でいい。お前、付いてくるからには働いてもらうからな」

「もちろんでございます。ではご命令を」

「とりあえず、工房のテーブルに積んである荷物は全て車に運んでおけ。金の管理は私がやるから触らなくていい。それから御者は頼んだ。道中の食事も任せるぞ」

 え、そんなに頼んじゃっていいの? さすがに嫌がらせの域なんじゃ……そう思ってそっとクレールさんの様子を窺うと、クレールさんは今までで一番嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「かしこまりました。お任せください」

 こんなパシリみたいに使われて、嬉しそうにしちゃうんだ……昔からの知り合いって言ってたし、クレールさんはストーカーになりかけるほどにダスティンさんが大好きで、ダスティンさんはそんなクレールさんが鬱陶しい、みたいな関係性?

 さらにダスティンさんはクレールさんに命令することに慣れてそうだし、クレールさんは命令されるのが嬉しそうだし……やっぱりダスティンさんは名のある商会の子息とかで、実家で色々あって今はここで一人暮らしをしてるのかな。それでクレールさんは、実家の商会でダスティンさんに付けられていた従者的な存在の人とか。

「レーナ、荷物はそれだけか?」

「……は、はい!」

 2人の関係性に思考を巡らせていた私を、ダスティンさんの声が引き戻してくれた。

「重いだろう? 車に載せた方がいい」

「ありがとうございます。私も何か準備を手伝えることがあるでしょうか?」

「いや、それは全部クレールに任せておけばいい。私たちはもう車に乗ろう」

 私はダスティンさんのその言葉に素直に頷いて、車に乗り込んだ。私が進行方向を向くことができる席で、ダスティンさんが私の向かいだ。他の席は全て荷物で埋まっている。

「クレールさんは御者ですか?」

「ああ、中には乗れないからな。私が御者をするつもりだったが、窮屈になってすまない」

「いえ、一緒に乗っていた方が話ができて楽しそうです」

「それならよかった」

 それから席の座り心地を確かめたり、たくさんの荷物を何気なく眺めたりしていると、御者席と続く小窓が開いてクレールさんの声が聞こえてきた。

「では出発します」

「あまり急がなくてもいいから安全にな」

「かしこまりました」

 リューカ車はゆっくりと動き出し、大通りに出て外門へ向かった。これから街の外に、それも街から離れた場所に行くんだよね……凄く楽しみだ。


 街を出て街道を進み始めたところで、窓の外に流れる景色を眺めていたダスティンさんが私に視線を向けた。

「レーナ、これから行く場所について話をしておきたい」

「分かりました。リューカ車で1日という話でしたけど、まだこの国の中なんですよね?」

 身を乗り出して聞いたその質問に、ダスティンさんは面食らったような表情で固まる。

「……そうか、国の大きさも知ることがなければ分からないんだな」

「はい。ロペス商会ではこの街のことは教えていただいて、別の街からの輸入品を扱う時にはその街の特性なども教えてもらいましたが、街同士の位置関係がよく分かってないんです」

 詳細な世界地図を渡してもらえたら頑張って覚えるんだけど、そういうのはないみたいなんだよね。少なくともロペス商会で手に入るものではないらしいというのが私の結論だ。

「私は大まかな位置関係ならば把握しているので教えよう」

「本当ですか! ありがとうございます。やっぱり魔道具師の方々は色んな場所に行くので把握しているのでしょうか」

「──そうだな。自ら大まかな地図を作る者もいる」

「凄いですね」

 自分で地図を作るってことは、地図がない状態で遠征してるってことだ。いくら街道が整備されてるとはいえ、それって勇気がいるよね。

「とりあえずこれから向かう場所だが、まだアレンドール王国内だ。それも王都アレルとその周辺に広がる、王領の中だな。王領から出ると貴族が持つ領地があり、この国の端まではリューカ車で1週はかかる」

 リューカ車で1週……この国ってそんなに広かったんだ。

「今回のゲートが開いたのは広大な草原の中らしく、ゲートから近くにある街まではリューカ車で半刻ほど。魔物素材の市場はその街に開かれる予定なので、我々が向かうのはそこだ」

「ゲートがある場所には行かないんですか?」

「もちろんだ。危ないからゲート周辺は立ち入り禁止の決まりとなっている」

 まあそうか。魔物が絶え間なく出現するゲートなんて、一般人を近づけたら危なすぎる。

「ゲートからの魔物放出は短ければ数時間、長ければ数日に及ぶ。市場が活発になるのは魔物の放出が終わりゲートが閉じたあとだから、まだ時間的には余裕があるな」

 長ければ数日! そんなに魔物が出てきて大丈夫なのかな……対処に当たる騎士とか兵士? の人たちは強いだろうから大丈夫なんだと思うけど、未知のものはやっぱり怖い。

 私に戦う力があればよかったのに。ない物ねだりをしても仕方がないけど、こういう世界では特に強さを求めてしまう。私は1人で獣に襲われただけで命が危ないから。

「これから向かう街は大きな街なんですか?」

「いや、長閑のどかな田舎街だな。気候的に染料がよく育つため、染め物で有名らしい」

「へぇ~そうなのですね。おしゃれな布や服があるのでしょうか」

「私も行くのは今回が初めてだが、そう聞いている」

「それは楽しみです」

 魔物素材が市場に並ぶまでに時間がありそうだし、少しは観光できるかな。お金も持ってきてるし、皆へのお土産も買いたい。ロペス商会にも買いたいから……手軽な日持ちする食べ物とかあったらいいな。

「そういえば飛行の魔道具だが、どんな素材を狙うのかは事前に決めておきたい。レーナは風を受ける部分はどんな素材がいいと思う?」

 ダスティンさんは紙飛行機を取り出して、その翼部分を指差した。

「そうですね……やはり軽くて頑丈な素材がいいと思います。そしていくつかの素材をくっつけてしまうとそこから壊れやすいと思うので、できれば1つの大きな素材がいいかと」

「そうだな。狙い目は……大きな魔物の皮、空を飛ぶ魔物の翼部分、それからフロッグ系魔物の皮もいいかもしれんな。スネーク系の皮もありか?」

 おおっ、なんだか異世界って感じだ。候補を聞くだけでちょっとテンションが上がる。

「空を飛ぶ魔物もいるんですね」

「もちろんいる。これが一番厄介で、包囲網から逃げられやすいんだ」

「確かにそうですよね……逃げられたらどうするんでしょうか」

「飛行魔法で空を飛べる騎士が追いかけて地面に落としたり、精霊魔法が得意な者が地上から追いかけて魔法で落としたりだな。落としたら下で他の騎士も応戦して倒すらしい」

 騎士の仕事って、命懸けで大変だ。平和な生活を守ってくれてるんだから、感謝しないと。

 それからもダスティンさんと楽しく話をしながらリューカ車に揺られ、辺りが暗くなってきたところでクレールさんは車を止めた。

「ちょうど野営場所がありますので、本日はここで泊まることにしましょう」

 リューカ車から外を見てみると、街道の脇に整備された平らな土地があるみたいだ。石で作られた調理場のようなものも端に設置されている。

「こんな場所があるんですね」

「ああ、街道には一定の距離ごとに設置されている。他にも宿泊者がいることは多いんだが、今回は私たちだけのようだな」

 ダスティンさんに続いてリューカ車から降りると、クレールさんがすぐ地面に分厚い布を敷いてくれて、光花で光源を確保してくれた。夜は肌寒い季節なので、膝掛けも手渡してくれる。

「こちらで休まれていてください。私は夕食の準備をして参ります」

「頼んだ。お前も無理せず休めよ」

「お心遣いありがとうございます」

 クレールさんは嬉々としてリューカ車に戻ると、たくさんの荷物を抱えて降りてきた。本当にダスティンさんの世話を焼くのが楽しそうだよね……逆に手伝ったら嫌がられそうだ。

 クレールさんの無駄のない動きをぼーっと見ていると、すぐに夕食は完成したのか私たちが休んでいる場所まで器を持ってきてくれた。中に入っているのは具沢山のスープだ。

「美味しそうです」

「ありがとうございます。もう1品作りますので、先にスープで体を温めていてください」

「分かった」

 ダスティンさんはそれが当たり前というように器とスプーンを受け取り、さっそく口に運んでいる。私も渡されて思わず受け取ったけど、クレールさんが働いてるのにいいのかな。

 でもせっかく作ってくれたスープを食べずに冷ますのも勿体ないし……早く食べて手伝おう。

 そう結論づけた私は、スプーンでたくさんの具材を同時にすくって大きく口を開けた。頰が膨らむほどの量に少し入れ過ぎたと後悔しつつ咀嚼していると、スープの美味しさに驚いて、思わずクレールさんを見つめてしまう。

「……凄く美味しいです」

 飲み込んでからそう呟くと、ダスティンさんは上品にスープを口に運びながら頷いた。

「クレールは料理が上手いんだ。味付けのセンスがある」

「本当ですね……それに野菜の下処理が凄く丁寧です」

 最近はお兄ちゃんがよく家で練習してるから、ここまで綺麗に処理をするのがどれほど難しいかは分かる。さっきの短時間で作ったとは思えないスープだ。

「あいつに言ったら喜ぶぞ」

「……そうでしょうか。ダスティンさんに褒められた方が喜ぶと思いますが」

「いや、あいつは意外とレーナのことを気に入っている。そうでなければレーナの膝掛けはないし、夕食も自分で作れと言われるはずだからな」

 そうなんだ……確かにダスティンさんのついでとしても優しいなと思ってたけど、気に入られてたのか。クレールさん……凄く、凄く分かりづらいです。

「クレールさんって、ツンデレですか?」

 思わずそう呟いてしまうと、ダスティンさんが珍しく声をあげて笑った。

「ははっ、あいつのことをそんなふうに評価したのはレーナが初めてだな」

 私たちの会話が聞こえたのか、クレールさんからの視線を感じる。

「ダスティンさん、にらまれてる気がするんですけど。やっぱり嫌われてるんじゃ……」

「大丈夫だ。あの表情は睨んでるというよりも羨ましがっている」

「……分かりづらいです。ダスティンさん、よく分かりますね」

「あいつとの付き合いは長いからな。家族よりも一緒にいた時間は長い」

 そうなんだ。確かにお付きの人って、ずっと一緒にいるイメージはある。クレールさんがそういう存在っていうのは私の予想だけど。

 それからは私がスープを飲み切る前に2品目が完成し、何か手伝おうと声をかけたら、ダスティンさんの世話は譲らないときっぱり断られてしまい、私はダスティンさんと共にクレールさんにおもてなしされただけで夕食は終わった。

 とにかく分かったのは……、クレールさんがダスティンさん第一ってことだ。クレールさんがいる場所でダスティンさんへのマイナス評価は、絶対にダメ。私はそう心に刻み込んだ。


 昨夜は2人が見張りを交代でしてくれるということになったので、私はありがたく眠らせてもらって、朝日が昇る頃に気持ちよく目が覚めた。

 むくりと起き上がって大きく伸びをすると、ダスティンさんとクレールさんが起きているのが視界に入る。クレールさんは調理場で、ダスティンさんは本を読んでいるみたいだ。

「おはようございます」

「起きたのか、おはよう」

「お2人とも早いですね……まだ日が昇る頃なのに」

 私はスラムで朝日と共に目覚める生活に体が慣れているから自然と目が覚めるけど、街中の人たちはもう少し朝が遅いはずだ。

「私は後半の見張りだったから起きているんだ。あいつは俺の見張りが信じられないのかと詰め寄ってなんとか寝かせたが、1刻後に起きてきてそのままずっと作業をしている」

 クレールさんが徹夜で見張りをするって言ってダスティンさんとめてたけど、結局そんな感じになったんだ。クレールさん、あまりにもダスティンさん優先が徹底していて、感心すら覚えるレベルだ。ここまで突き抜けると、ヤバい人だとかって思う段階じゃなくなるかも。

「レーナさん、起きたのですね。そちらの水で顔を洗ってください」

「分かりました。ありがとうございます」

 顔を洗って髪の毛を梳かしていると、調理場からいい匂いが漂ってきた。クレールさんとの旅が快適すぎて、これに慣れたら大変だよね。本当なら全部自分でしなくちゃいけないのに。

「朝ご飯は手軽に食べられるものということで、ラスート包みにいたしました」

「ありがとうございます」

 ラスート包みは丁寧に食べやすく下処理された野菜と、抜群の焼き加減でふっくら柔らかく仕上がったハルーツの胸肉、そして絶品のソースが入っていた。

「ん、凄く美味しいです!」

「よかったです」

「お前は本当に料理が上手いな。屋台を開いたら繁盛するぞ」

 確かにこの味が売ってたら私は常連になるよ。いつも買ってる屋台のラスート包みも美味しいんだけど、これは一段階レベルが違う。日本だったら、ファミレスと専門店ぐらいの差だ。

「ありがとうございます。しかしこちらは高級な材料も使っておりますので、屋台で売るには向かないのです」

「そうなのか?」

「はい。特に高いのは、サウですね」

「サウ!? サウって言いましたか!?

 クレールさんが発した名前があまりにも衝撃で、思わずその場に立ち上がってしまった。

 サウは手のひらに載るサイズの真っ黒な枝みたいなやつで、それ1本で金貨が飛ぶのだ。ロペス商会でもあまり取り扱ってないけど、一度だけ見たことがある。

「はい。サウは高いですが、少し削って入れるだけで旨みと香りが増すのです」

「……そんなに高級なもの、私も食べていいのでしょうか」

「気にするな。食材は食べなければ、いずれダメになるのだからな。それにサウはうちに3本ぐらいあったはずだ」

 3本も……なんかもう、ダスティンさんは異次元だね。いや、分かってはいたんだけど改めて実感した。金銭感覚があまりにも違いすぎる。それは私にポンと大金を渡せるよ。

 そしてクレールさんにも驚きだ。今回の食材は全てダスティンさんの家から持ってきたものなのに、そんな高級食材を当たり前のように使えるなんて。日頃からサウを手にできる環境にいるってことだよね……。

「残すのも勿体ないのでいただきます」

「そうしてくれ。美味しいものは皆で食べた方がいいからな」

 それからは開き直ってラスート包みを美味しくいただき、少し食休みをしたところでリューカ車に戻った。


 またリューカ車に揺られてしばらく。ついに目的の街へと到着した。外門を通ってリューカ車のまま街中に入ると、王都とはかなり違う光景が広がっている。

 まず何よりも違うのは、建物の密集具合だ。街中なのに畑や空き地があり、公園や広場じゃない緑を見ることができる。さらに背が高い建物も少なく、長閑な田舎街という感じだ。

「なんだか落ち着きますね。あっ、もしかしてあれが染め物ですか? とても綺麗です」

 広い庭に、鮮やかな色に染まった布がたくさん干されている。染色工房なのかな。

「ほう、確かに綺麗だな。いくつか布を買って帰るのもいいかもしれない」

「ですね。私も家族に買って帰ります。それから商会にもお土産を買いたいのですが……何か特産品の食べ物とかはあるのでしょうか」

「あるとすれば、染料となる植物を育てるにあたって、一緒に育てている作物だろう。確か畑の質を保つために、染料が育たない時期に作物を植えると聞いたことがある」

「そうなのですね。ちょうど今の時期に手に入るといいのですが」

 畑を見る限りだと……どこにもパッと見て分かる植物はなさそうだ。

「そういえば、街は特に緊張感が漂っているということもなく、穏やかですね」

「外壁があるからな。それにこの場所は王都に近く、騎士団が間に合わないということもないから安心しているのだろう。魔道具師が来るからと、商売人は喜んでるかもしれないな」

たくましいですね」

 それほどにゲートという存在は、この世界で一般的なものなのだろう。

 それからもリューカ車に揺られていると、立派な4階建ての建物の前で車が止まった。

「こちらの宿に部屋が空いているかを聞いて参ります」

 クレールさんがダスティンさんにそう声をかけてから建物の中に入っていき、すぐに戻ってきた。隣には宿の従業員なのだろう男性を伴っている。

「ダスティンさん、こちらの宿で3部屋確保できましたので、よろしいでしょうか」

「ああ、リューカ車の置き場もあるか?」

「はい。こちらの方がリューカ車を預かってくださいます。荷物はあとで私が運びますので、そのまま降りてくださって構いません」

「分かった」

 ダスティンさんに続いて私もリューカ車を降り、3人で宿の中に入った。宿はかなり綺麗でオシャレで、いい宿なんだろうなと一目で分かる。

「いらっしゃいませ」

 中に入ると別の従業員が出迎えてくれた。にこやかな壮年の男性だ。

「数日世話になる」

「かしこまりました。料金は前払いとなりますがよろしいでしょうか? 宿泊日数が確定しない場合は1泊分だけお支払いいただき、延長していくことも可能です」

 そんなことができるんだ。それって便利な制度だね。日本だと別の部屋に取り直しとか、空いてなかったら別のホテルを探すことも多いのに。

「分かった。そうだな……3泊分は今支払おう。それ以降は延長とする」

「かしこまりました。お支払いはお分けいたしますか?」

「いや、まとめてでいい」

 ダスティンさんの返答を聞くと、男性はすぐに料金表を見ながら合計金額を計算し始めた。

「ダスティンさん、私の分は支払いを分けた方が楽じゃないですか?」

 その方がお釣りをもらえるのにと思って首を傾げると、ダスティンさんは眉間に皺を寄せながら口を開いた。

「レーナに払わせるわけがないだろう?」

「……え!? 払ってくれるんですか?」

「もちろんだ。私は子供に金を出させるほど困ってはいない」

「いや、それは分かってますけど……」

 無理を言って付いてきたのに、お金も払わせるとか申し訳なさすぎる。でもダスティンさんの感じからして、私にお金を出させてくれそうな感じはない。ダスティンさんには、いつも奢ってもらってる気がするな……いつか恩返しができたらいいんだけど。

「ありがとうございます。今度お礼をさせてください」

 素直にお礼を伝えると、ダスティンさんは眉間の皺をふっと消して頰を緩めた。

「私の方こそレーナに礼をしなければならないと思っているのだがな」

「……そうなのですか? 私ってダスティンさんに何かしましたっけ?」

 休日の度に工房にお邪魔してお昼ご飯をご馳走してもらったり、実験で服が汚れたからと新しい服や髪飾りをプレゼントしてもらったり、家族へのお土産に果物や持ち帰れる食事を作ってもらったり、私がしてもらったことはたくさん思い浮かぶけど……その逆は思いつかない。

 今までの行動を思い出していると、ダスティンさんが呆れたような表情でため息をついた。

「レーナはもう少し自分の発想力の希少性を認識するべきだ。レーナがぽろっと溢す様々な意見は、いくら礼をしても足りないほどに価値があるのだぞ。今回の宿泊費なんて安いものだ」

「そうなの……ですね」

 いいアイデアにはかなりの報酬をもらっていたから、ダスティンさんが損をしてるんじゃないかって心配してたのに。

「アイデア料は渡しているが、レーナは明確なアイデアという形じゃなく雑談で面白い意見をくれるからな」

「とりあえず……お役に立てているのならよかったです。ただ私じゃ活用できない発想ばかりですし、そんなに気にしないでください。あっ、でもそういうことなら、今回の宿泊費はありがたく奢ってもらいますね」

 奢ってもらう理由ができて笑顔でそう伝えると、ダスティンさんは微妙な表情で頷いた。

 それからは支払いを済ませ部屋の使い方の説明を受けて、一度それぞれの部屋に向かった。鍵を開けて中に入ると……その部屋の広さにかなり驚く。

 入り口の近くにはソファーセットが置かれていて、左奥にベッドがあるみたいだ。ベッド脇にも小さなテーブルと椅子が設置されている。下手したらうちよりも広いんじゃ……いや、さすがにそれはないと思いたい。でもスラムの小屋より広いのは確実だ。

「レーナ、夕食まで時間があるから街を散策するぞ」

 部屋の中を見回っていたらダスティンさんが呼びに来てくれたので、慌ててドアを開ける。するとそこにはクレールさんもいた。

「分かりました。部屋、凄く広くて豪華ですね」

「……そうか?」

 ダスティンさんは本心で豪華だとは思えないようで、困惑している様子で首を傾げた。ダスティンさんって、どんなお金持ちの実家があるんだろう。この部屋が豪華じゃないなんて。

「確かに狭くはないな」

 私はダスティンさんに共感を求めることは諦めて、その言葉に頷いて部屋から出た。

「街に行きましょう。散策するの楽しみです」

「とりあえず、魔物素材の臨時市場を見に行こうと思う。それが終わったら観光もだな」

「え、もう市場があるんですか?」

「素材があるかは分からないが、市場自体は作られているはずだ」

「そうなのですね。では早く行きましょう」

 私はうきうきと心躍る気持ちをそのままに、大きく一歩を踏み出した。

 そこまで広い街ではないということで、徒歩で移動することになる。

「市場はどこにあるのですか? リューカ車からはそれらしき場所が見えませんでしたが」

「場所は外門の近くにある広場のようです。この街には外門が2つあり、私たちが入ってきた門とは別の方ですね。ここからだと徒歩で10分程度で着くと思います」

「結構近いのですね」

 別の外門から入って街中をリューカ車で進んだ時間はそこまで長くなかったことを考えると、この街は予想以上にこぢんまりとしているらしい。

「そこの畑がある場所を右に曲がります」

「分かりました」

 しばらくクレールさんの案内通りに進んでいると、人がたくさん集まる場所が見えてきた。

「あそこでしょうか」

 思わず声をあげると、クレールさんが頷き肯定してくれる。

「あんなに人が集まるんですね。素材を売っているのは騎士ですか?」

「いや、市場を設営したり店番をするのは、基本的に今回限りで雇われた街の者だな。数人だけ下っ端の騎士がいるぐらいだろう」

「そうなのですね」

 市場に近づくとガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。売る側の人間もたくさんいるけど、街の人たちも見学に集まっているみたいだ。

「少しは魔物素材があるということは、ゲートは開いているようだが……まだ早かったな」

「本当はもっとたくさんの素材が並ぶのですか?」

「ああ、テーブルに乗り切らず地面に布を敷いて並べられたり、木箱に詰められたままの素材がたくさんあるのが一般的だ。今の時間でこの感じだと、買い付けは明日だな」

 そんなに素材って集まるんだ。今だって見て回るのが楽しそうなほどには置かれてるのに。

「明日は早く起きた方がよさそうですね」

 クレールさんのその言葉にダスティンさんが頷き、全体をざっと確認してから広場を出た。

「今日は観光にするか。レーナは行きたいところがあるか?」

「私の希望でいいのですか?」

「ああ、私はこだわりがないからな」

「ではお土産を見に行きましょう。観光客向けの市場などはあるのでしょうか?」

 その疑問に答えてくれたのはクレールさんだ。ここから徒歩で行けるところに、染色工房が密集している場所があるらしい。その近くに布を売るお店もあるそうだ。

「クレールさん、情報量が凄いですね。いつの間に調べたんですか?」

「宿で時間がありましたので。このぐらいは当然のことです」

 クレールさんは表情を変えずにそう言うと、私たちを案内するために一歩前に出てくれた。そんなクレールさんにダスティンさんは当然のように付いていく。

 この2人はほぼ確実に主従関係だよね……そんなことを考えながら、私も2人に続いた。

 しばらく雑談をしながら歩いていると、クレールさんが少し先にある大きな建物を示した。

「あちらの店舗が一番品揃えがいいと、宿の従業員が勧めておりました」

「かなり大きな建物ですね」

 外観を見回してからクレールさんに続いて中に入ると、たくさんのカラフルな布に迎えられる。大きな一枚布が綺麗に折り畳まれ、所狭しと並べられているようだ。

「いらっしゃいませ。魔道具師の方ですか?」

 声をかけてくれたのは、優しげな笑みが印象的な店員の女性だ。

「ああ、よく分かったな」

「現在は臨時市場が開かれていますから。お探しのものがありましたら、こちらで探しますよ」

「ありがとう。私は魔道具研究用にいくつか布が欲しい。レーナは土産用だ」

 ダスティンさんのその言葉に、女性は笑顔で頷くとさっそく店内を案内してくれた。

 ここで買う布も魔道具研究用なんて、ダスティンさんって本当に魔道具が好きだよね。

「魔道具研究に使うならば、こちらの布が強度が高くおすすめです。またこちらに積み上げられた端布はお安いですので、研究には適しているかと」

「ふむ、分かった」

 ダスティンさんが真剣な表情で悩み始めたところで、私はまた別の場所に案内してもらい、家族と自分へのお土産を選んだ。大きい布を買って、皆でお揃いの服を仕立ててもらったら楽しいよね。それから実用品として、ハンカチとして使えそうな素材の布もいいかも。

 それから女性の助けも借りてお土産の布を選び、適当な大きさに裁断してもらった。テーブルの上には、カラフルな布が積み上がっていく。

「レーナ、決まったのか?」

 裁断待ちをしていると、ダスティンさんがいくつかの布を抱えて私の下に来た。

「はい。ダスティンさんはその抱えている布だけですか?」

「そうだ」

「ではそれはここに置いてください。私が合わせてお会計をするので。日頃のお礼です」

 そう言って笑みを向けると、ダスティンさんは渋々ながらも頷いてくれた。

「……ありがとう」

「いえ、気にしないでください!」

 レーナになって久しぶりに奢るという行為ができて、思わず頰が緩んでしまう。やっぱり奢られてばっかりっていうのはしょうに合わないのだ。凄くありがたいことは確かなんだけど。

「たくさんのお買い上げありがとうございます。ついでにこちらの果物もいかがでしょうか? この時期しか売っていない希少な果物です」

 店員の女性がカウンターの近くに置かれていた果物を示して、私は初めてそれが置かれていたことに気づいた。もしかして、求めてた特産品の果物?

「これってなんて名前の果物ですか?」

 ロペス商会でも見たことがないと考えつつ問いかけると、女性は笑顔で1つを手に取ってカウンターの上に載せてくれた。黄色一色のその果物は、両手で抱えるほどの大きさだ。女性が持ち上げた感じからして、重量感もあるように見える。

「メイカという名前の果物です。この街で栽培されている染料となる植物は、土の月に収穫され風の月の中頃に種をきます。その間となる水の月にメイカを育てるのが、この街の伝統なんです。果実はこうして収穫し皆で食べて、余った分は売りに出し、メイカの蔦や葉、根などは乾燥させて畑の土に混ぜると翌年の染料となる植物がよく育ちます」

 ダスティンさんが言ってた通り、そういうサイクルがあるんだね。

「この果物は王都に輸送していないのか?」

「はい。あくまでも果実は副産物なので、街の皆で食べてこうして少し売りに出すと、すぐに終わってしまいます。なのでこの時期にこの街へ来られた方だけが食べられる、珍しい果物だと思いますよ」

 私はそこまでの説明を聞いて、この果物を買うことに決めた。味見はできないらしいけど、珍しい果物というだけでロペス商会へのお土産にぴったりだろう。

「どのぐらい日持ちしますか?」

「直射日光が当たらない場所でしたら、2週程度は美味しく召し上がっていただけます。こちらはまだ収穫して3日ですので、しばらくは大丈夫です」

 それならお土産として問題はない。ギャスパー様に1つと皆で切り分けて食べる分が2つぐらい、あとはうちで食べる分も1つ欲しいかな。

「4つ……いや、5つ買ってもいいでしょうか。ダスティンさん、持ち帰れますか?」

 ダスティンさんとも一緒に食べようと思って、最後に1つ追加した。

「これが5つぐらいは問題ない」

「よかったです。では5つお願いします」

「かしこまりました。準備いたしますのでお待ちください」

 それからメイカ5個分の支払いも済ませ、持ち帰るには多くなりすぎた購入品を宿まで運んでもらえるようにお願いして、私たちはお店をあとにした。


 次の日の朝。ついに今日は魔物素材の買い付けをする日だ。朝早くに起きた私たちは宿で朝食を食べ、さっそく臨時市場にやってきた。

「うわぁ、凄いですね」

 昨日とは比べ物にならない魔物素材の山だ。並べられているというよりも、盛られているという表現の方が適切かもしれない。それに人の数もかなり多い。

「これは選び甲斐があるな」

 ダスティンさんは目の前の光景にニヤリと口端を上げると、狙いの素材を見つけたのか市場の奥に迷いなく足を進めた。私はそんなダスティンさんを小走りで追いかける。

「何かあったのですか?」

「あそこに魔物の飛膜がある。あれは使えるぞ」

 飛膜……ってあれか。あのコウモリとかの羽の部分。確かに私たちが求めてる素材だね。

「ちょっといいか?」

「はい! なんでしょう?」

「この飛膜はなんの魔物だ?」

「えっとですね……それはビッグバットです。皮膜をお探しですか?」

「そうだ」

「それなら、いいのがありますよ! さっき運ばれてきたんですけど……これです!」

 店主をしている男性は興奮気味に声を大きくすると、丸められてるのに両手で抱えるのが大変な大きさの何かを後ろから持ってきた。これも飛膜ってことだよね……こんな大きさの飛膜を持つって、魔物はどれほど大きいのだろうか。

「もしかして、ワイバーンか?」

「そうです! 魔道具師の方ですか? さすが知識をお持ちですね」

「それを言うなら君の方が凄いと思うが。この街の住人じゃないのか?」

「私は魔道具師の見習いでして、今回は売る方を手伝ってるんです」

「そういうことか。それなら納得だな」

 ダスティンさんは相手が知識を持つ人だと分かったからか、口角を上げて一歩前に出た。2人は価格についてや今回のゲートから出現している魔物の傾向など、難しい話を始める。

「あの、クレールさん。ちょっとだけ質問してもいいですか?」

 あまりにも話の内容が分からなかったので、隣で静かにダスティンさんのことを見守っていたクレールさんの袖を引くと、クレールさんは少しだけ悩みながらも頷いてくれた。

「私に答えられることならば」

「ありがとうございます。魔物に関しての質問なんですけど、ビッグバットとワイバーンってどういう魔物なんでしょうか。さっきの話からしてワイバーンは珍しい魔物かなと思ったのですが、どちらも聞いたことがなくて……」

 魔物の種類に関しては工房でたまに教えてもらっていたけど、もっと覚えないといけない優先順位が高いことが山のようにあって、学ぶのを後回しにしていたのだ。

「どちらも飛膜があることから分かるように、飛行型の魔物です。ビッグバットは体長が成人男性の片手の長さぐらいと言われています。飛行速度は遅いですし、あまり強い魔物ではないですね。ワイバーンは人が4、5人縦に並んだぐらいの大きさでしょうか。あの飛膜からも分かるように大きな翼を持ち、風の刃による攻撃はかなり厄介で強い魔物です。何体も現れたら被害を出さずに討伐するのは困難でしょう」

 クレールさんは魔物に関して詳しいようで、私が知りたい情報を的確に教えてくれた。

「ワイバーンがゲートから出てくることは少ないのですか?」

「そうですね。あまり出現頻度が高い魔物ではないです。ゲートには種類が完全にバラバラな時と、一定の似たような種類の魔物がたくさん排出される時があります。今回はざっと素材を見るに前者のようですので、こうした珍しい魔物が紛れることもあるのでしょう。後者の場合は基本的に珍しくない、そこまでの強さがない魔物が群れで現れることがほとんどですので」

「そうなんですね」

 ゲートにも一応の規則性みたいなのはあるんだね。本当に不思議な現象だ。確か魔界と繫がる門とかって言われてるんだよね……本当に魔界なんてあるのかな。

「ワイバーンが風の刃を放つって仰ってましたが、それって精霊魔法とは違うのですか?」

「はい。精霊は空気中に漂う魔力を使いますが、魔物は体内に魔力を有していると言われております。それを個々で現象に変換させられるらしいです」

「それって強いですね……」

 話を聞くほど魔物ってこの世界の脅威だ。もしワイバーンのような魔物が大量に溢れてくるゲートが発生したら、どうなるんだろう。私は怖い想像で寒さを感じ、無意識に腕を擦った。

「クレール、この2つを買ったから荷車に載せてくれ」

 クレールさんに色々と教えてもらっているとダスティンさんの話も終わったようで、結局ビッグバットとワイバーンの飛膜を1つずつ買ったらしい。

「かしこまりました」

 この市場では大きな素材を扱うことから荷車が貸し出されていて、その1つにクレールさんが購入した飛膜を積み込む。そして盗難防止のためか、上から分厚い布のカバーを被せた。

「他に狙い目の魔物を教えてもらったから次に行くぞ」

「分かりました。確かスネーク系やフロッグ系の皮が欲しいって言ってましたよね」

 リューカ車で聞いた話を思い返すと、ダスティンさんは楽しそうに頷いた。

「ああ、今回はスネーク系の魔物が比較的多いらしい。いいものがたくさん買えるだろう」

 それから私たちはスネーク系魔物の皮を10数枚、フロッグ系の魔物の皮を数枚、さらにベア系やボア系の魔物の毛皮や爪。他にも多種多様な魔物の素材を購入し、荷車がいっぱいになったところで、やっと臨時市場の全てを回り終えた。

「いい買い物ができたな」

 ダスティンさんは今まで見たことがないほどに口角を上げ、機嫌がよさそうだ。

「私も楽しかったです。クレールさん、色々と教えてくださってありがとうございました」

 最初に質問してからは、聞かなくても魔物についてその都度教えてくれた。

「お役に立てたのでしたらよかったです。ダスティンさんの側にいるのならば、魔物に関する知識は必要です」

「そうですよね。頑張って覚えます」

 しっかりと頷くと、クレールさんは微笑みを浮かべてくれた……気がする。

「ダスティンさん、明日からはどうするのですか?」

「まだ予定の滞在日は何日かあるが、欲しいものは全て買えたし早めに研究をしたいな。明日の朝早くに帰るのはどうだ? それならば、明日の夕方には王都に着くだろう」

「私としては、早く帰ることができれば、それだけ早く仕事に出られるのでありがたいです」

「私も問題ありません」

 私とクレールさんがダスティンさんの提案に頷き、帰還日は明日に決まった。

「では今夜は早めに休もう」

 それからは足早に宿へと戻り、購入した荷物をリューカ車に全て詰め込んでから、宿の夕食を堪能して眠りについた。


 次の日の朝。私たちはこの宿で最後の食事となる朝食を食べ、早い時間にリューカ車へ乗り込んだ。車の中は買ったものがたくさん詰められていて、行きよりもかなり窮屈だ。

「これ、乗れますか?」

「いや、さすがに厳しいだろう。レーナが1人だけなら何とかいけるかもしれないが……魔物素材に囲まれて1日過ごすのは嫌だろう?」

「はい」

 私はダスティンさんの問いかけに即答した。魔物素材は完全に乾いていないものもあって、なんとも言えない臭いを発しているのだ。

「素直だな。ではレーナは御者席に座るといい。2人ぐらいなら余裕なはずだ。私は後ろにある足場に立って乗ろう」

「え、立って乗るって危なくないんですか?」

「摑まるところもあるから問題はない」

 ダスティンさんがリューカ車の後ろに向かおうとして……それをクレールさんが止めた。

「ダスティンさん。帰りは御者をお任せしてもよろしいでしょうか? 私が後ろに乗ります」

「……お前は本当に過保護だな」

 クレールさんの主張にダスティンさんは呆れた表情を浮かべ、しかしここで揉めても時間の無駄だと思ったのか、クレールさんの提案に頷く。

「では私が御者をしよう」

「よろしくお願いいたします」

 3人でそれぞれの場所に収まると、ダスティンさんはさっそくリューカ車を動かした。

「あんなにたくさん荷物が乗っていて、リューカは大丈夫なのですか?」

 思わず心配になって尋ねると、ダスティンさんはすぐに頷いてくれる。

「リューカは重いものを引くのは得意なんだ。このサイズの車に荷物がたくさん詰まっているぐらい、全く問題はない。もっと大人数用の車も引けるのだからな」

「そうなのですね」

 リューカって見た目よりもパワフルなんだね。馬に姿形は似てるんだけど、馬よりも確実に力持ちだ。ただその代わり、スピードはそこまで上がらないけど。

「帰ったらまずは何から研究をしますか?」

「そうだな……ワイバーンの飛膜からと言いたいところだが、さすがに貴重だから後回しだ。スネーク系の魔物の皮が無難だろう」

「たくさん買いましたもんね」

「あとは魔物素材を使わずに、布と木材でも模型を作ってみよう」

 これからの研究について説明してくれているダスティンさんの声音がとても楽しそうで、思わず横を向くと──ダスティンさんの僅かな微笑みの先に、気になるものが映った。

 なんだろうあれ。草原を駆ける獣? その大きさから近くにいるようにも一瞬見えたけど、背景から考えるとまだ距離がある。ということは……あいつが凄く大きいってことだよね?

「ダ、ダスティンさん」

 とにかく知らせなきゃと思って発した言葉は、自分が思っている以上に震えていた。

「どうしたんだ?」

「あ、あれ……なんですか?」

 私が指差した方向にチラッと視線を向けたダスティンさんは、駆け寄る獣を視界に入れたその瞬間、リューカ車を強引に止めた。

「うわっ」

「レーナ! そこから絶対に動くな!」

 ダスティンさんはそう叫ぶと、ひらりと身をひるがえして御者席から飛び降り、そうしている間に直近まで迫ってきていた巨大な何かに向けて、どこからか取り出したナイフを振るう。

 ナイフは巨大な獣の角にぶつかり、なんとか突進の方向を変えることに成功したらしい。

「なぜブラックボアがここにいるんだ!?

 聞こえてきたダスティンさんの叫び声で、この黒い獣の正体が分かった。ブラックボア、買い付けの時にクレールさんが教えてくれた魔物だ。確か土魔法と似た攻撃をしてくるって。

 私がそう考えた瞬間に、ブラックボアの額付近にいくつかの石礫いしつぶてが生成されるのが見えた。それがだんだんと大きくなり、ダスティンさんが表情に焦りをにじませる。

 ど、どうしよう。助けないと! でもどうすれば……混乱して私が動けないでいると、クレールさんが必死の形相で飛び込んできた。

「殿下っ!!

 クレールさんはダスティンさんとブラックボアの間に入り、両手に持ったナイフで石礫を弾いていく。凄い、凄いけど……殿下って、言った?

「クレール、時間を稼げ! 私が魔法で倒す!」

「かしこまりました!」

 ダスティンさんの声に頷いたクレールさんは、どこから出てくるのか細長い針みたいな武器をブラックボアに飛ばし、その針は的確に目や首元などの急所を突いた。さらにナイフも着実にブラックボアを傷付けていく。

 もう何がなんだか分からず、とにかく混乱して、2人の戦いを見つめているしかできない。