「ハイノとフィルも、ちゃんとした格好をすると本当に見違えるね」
後ろから2人を眺めてしみじみと呟くと、ハイノが苦笑を浮かべつつ振り返る。
「さっきから何回も言ってるな。そんなに変わったか?」
「うん、やっぱり全然違うよ。ちょっと大人っぽく見える気がする」
「おっ、それは嬉しいな」
大人っぽいという言葉にフィルがピクッと反応し、分かりやすく胸を張って大股で歩き始めた。こういう部分はまだ子供だけどね。そう思いつつ、それを口に出すことはしない。
「あ、見えてきたぞ。あれが街中の市場だ。母さんと父さんの屋台は奥にある」
「おおっ、こんな建物に挟まれたところにあるんだな!」
「なんか、見たことないものばっかりだ」
「人がたくさんいるね。それに屋台がスラムとは違うみたい」
市場に足を踏み入れたところで、皆はキョロキョロと辺りを見回して静かになった。気になるものがありすぎて、逆にどれを見ればいいのか分からなくなっているらしい。
「レーナ、あの大きいやつは何? 丸いやつ」
「あれはハルーツって動物の卵だよ。色んな料理に使える美味しい食材なの」
「そうなんだ……不思議なものがたくさんあるね。さっきのご飯の時も思ったけど、野菜も知らないものばっかりみたい」
スラムには本当に限られたものしかないからね……スラムの人たちも街中に自由に出入りできるとか、もう少し広い世界を知る機会があったらいいのに。
神々の祈りの儀式でさえ、スラムの人たちはその日限定でスラムに作られる簡易の祭壇で行うから、本当に一生で一度も街中に入らない人が大半なのだ。
「あっ、おばさんとおじさんじゃないか?」
フィルが遠くを指差した先には、お母さんとお父さんが広げている屋台があった。地面に頑丈な布を敷いて、半分ではお父さんが火種を売っていて、その隣ではお母さんが簡易の調理場で焼きポーツの肉巻きを作っている。
「本当だ! 凄く久しぶりな気がするね」
「早く行こうぜ」
知らないものが溢れていて少し困惑気味だった皆は、お父さんとお母さんを見つけたことで緊張が解けたのか、2人の下に駆け寄った。屋台はちょうどいたお客さんが帰るところだったようで、2人一緒に笑顔でお客さんを送ってから、こっちに視線を向けてくれる。
「皆、久しぶりね」
「元気だったか?」
「おうっ、ちゃんとやってるぜ!」
「おじさんが木を切り倒してた場所は俺が引き継いだんだ」
「ちょっと寂しいけど元気だよ!」
皆の今まで通りの様子にお母さんは優しい笑みを浮かべ、お父さんは満足げに頷く。
「これからも頑張れよ」
「それにしても、服装が変わると見違えるわね。エミリーはとても可愛いわ」
「へへっ、本当?」
エミリーはお母さんに褒められてニコニコと満面の笑みだ。
「レーナがやってくれたの。お母さんにも見せたいなぁ」
「それなら今度はサビーヌも連れてくるといいわ。私も会いたいもの」
「いいの!? じゃあお母さんに伝えておくね!」
そこで話が一段落ついたところで、お母さんは焼きポーツの肉巻きをじっと見つめるフィルに視線を向けた。
「1つ食べるかしら」
「いいのか?」
「もちろんよ。皆ならお金もいらないわ」
お母さんは串に刺さっている焼きポーツの肉巻きを、温めるためなのか火に当ててからフィルに手渡す。そしてフィルの次はエミリー、ハイノだ。皆は嬉しそうに串を1本受け取ると、少し匂いを嗅いでから口に運び……食べた瞬間に、瞳を見開いて固まった。
そして10秒近く焼きポーツの肉巻きをじっと見つめてから、輝く瞳をお母さんに向ける。
「おばさん、これマジで美味いな!」
「本当? よかったわ」
「すっごく美味しいよ! 焼きポーツがこんなに美味しいなんて!」
「これ、スラムでも食べたいな」
食べ慣れている焼きポーツだからか、皆には美味しさが分かりやすいみたいだ。
「ルビナの料理は美味いだろう?」
「なんでおじさんが自慢してんだよ。でも本当に美味いな」
隣でドヤ顔のお父さんには皆が苦笑いだ。本当にお父さんってお母さんが好きだよね。
「この味付けがとにかく美味いよな」
「もっとたくさん食べたくなるね」
「それならもう1本食べてもいいわよ。あっ、でも同じものよりも色々と食べた方が楽しいかしら。これと似た味付けの屋台飯が向こうに売ってるわ」
お母さんの言葉に皆が瞳を輝かせたので、私たちは場所を移動することにした。
そしてそれからも市場を楽しく見て回り、高価なものはスラムに持ち帰れないけど安いものならということで、布で作られたブレスレットをお揃いで購入し、最後にロペス商会の本店にやってきた。
本店を見てみたいというのは、エミリーのリクエストだ。ジャックさんが街中で働いてる姿を見たいってことだったんだけど……あっ、いた。
「あそこ、左側にいるよ」
本店の表側からお店を覗き込む形でジャックさんのことを示すと、3人は三者三様の反応を示した。エミリーはとにかく私と同じようにかっこよさに
「あの服装と髪飾りが似合いすぎてる……!」
「そうなんだよ。推しになるでしょ?」
「なる!」
私の影響でエミリーは推しという概念を理解しているので、私の言葉にすぐさま頷いた。そして瞳を輝かせて頰を赤く染め、恋する乙女のような表情でジャックさんを見つめる。
「凄いな……こんなに大きな店で働けるなんて、羨ましいよ」
「確かに凄いけど、俺はこんな店で働ける気がしない。レーナはここで働いてるんだよな?」
「そうだよ」
「……凄いんだな」
フィルの純粋な尊敬の眼差しに、どう反応すればいいのか分からなくなる。確かに凄い……のかもしれないけど、もう慣れちゃったからあまり実感がない。
「フィルとハイノだって、勉強すれば働けるよ。大事なのは敬語と読み書き、計算かな」
「レーナはスラムで覚えたんだよな?」
「うん、ジャックさんが教えてくれたんだ。皆も勉強したいなら市場に行くといいよ。全員ではないと思うけど、あそこには敬語が使えて読み書き計算ができる人がいると思うから。少しは文字が読めるようになれば、私が教材を送ることもできるし」
その提案に3人は真剣な表情になり、まず頷いたのはフィルだった。そしてエミリー、ハイノと続く。
「頑張ってみる」
「教材を頼めるように、まずは読みを頑張らないとだな」
「でもスラムには文字がほとんどないよね……」
エミリーのその呟きを聞いて、私は突然閃くものがあって口を開いた。
「あのさ、スラムに伝わる物語が何個かあるよね? 精霊たちのお話とか」
「子供の頃に何度も聞いたやつか?」
「そう。それを私が文字にしようか? それなら皆も内容を分かってるから、勉強しやすいんじゃないかな」
私のその言葉に皆が顔を明るくして頷いたのを見て、いい方法を思い付いてよかったと頰が緩む。皆はかなりやる気になってるみたいだし、将来がいい方向に進んで欲しいな。
「じゃあ、今日はそろそろ帰るか。時間も遅くなってきたしな」
話が途切れたところで空を見上げながらハイノが発した言葉に、エミリーとフィルも
「服も着替えないとだし、一度うちに戻ろうか」
それから3人が街中の風景を目に焼き付けるようにしながらゆっくりと家に戻り、服を着替えてもらったら皆で外門に向かって歩みを進めた。
朝とは打って変わって寂しげな皆の様子に、私まで寂しい気持ちになってしまう。でもこれでもう会えないわけじゃないんだからと無理矢理にでも寂しい気持ちを振り払い、皆にさっき用意した紙を手渡した。
「これ、さっき言ってた精霊のお話。一番短いやつを書いたから勉強に使ってね」
折り畳んであった紙を恐る恐る開いた皆は、そこに書かれている文字を見て瞳に力を宿す。
「ありがとう、レーナ。頑張るね」
「うん。応援してる」
「レーナ、これってあの歌にもなってる話か?」
「そう。それなら内容は誰でも分かると思って。疑問点とかあったら、いつでも連絡してね」
3人は私のその言葉に頷いて、紙を大事そうに服の中に仕舞って抱えた。
そうこうしている間にもう外門だ。私とお兄ちゃんも皆と一緒に外に出て、3人が脱いだ上着を受け取る。これで皆は完全にスラムの子供たちに元通りだ。
「気をつけて帰ってね」
「おう、俺がいるから大丈夫だぜ」
「2人も気をつけてな」
「もちろん。エミリー、また会おうね」
「うん! 今日はすっごく楽しかったよ!」
「3人ともまたな」
私たちは今日の楽しかった思い出を胸に、寂しさは端に押しやって笑顔で手を振り合った。そして3人がスラム街の中に消えていくのを見送ってから、お兄ちゃんと一緒に街中へ戻った。