「もちろんです。お腹空いちゃいました」

「ではこっちだ。行くぞ」

 ダスティンさんに連れられて次に向かったのは、ロペス商会よりも平民街の第一区に近い場所にあるカフェだった。ふわふわとした可愛い感じの女性店員さんに席へと案内され、すぐにメニューが渡される。

「決まったらお呼びください」

「分かった。レーナ、好きなものを選んでいいぞ。ここは私がおごろう」

「……私もお金を持ってきてますよ?」

「いや、子供に金を出させる趣味はない」

 私はその言葉に少しムッとしたけど、確かに私は10歳で、瀬名風花の時に10歳の子供と食事をしたら絶対に奢るだろうと思ったので、文句は言わなかった。

「ありがとうございます」

「……なんだ、嬉しそうじゃないな?」

「いや、ありがたいんですけど、私も大人なのに! って思っちゃうんです」

「……お前は子供だろう?」

「そうなんですけどね。でも働いてますし、大人って感じしませんか?」

 そう問いかけると、ダスティンさんはふっと楽しそうな笑みを浮かべた。魔道具に向き合ってない時の笑顔、初めて見たかも。

「お前ぐらいの歳で働いてる子供は、皆がそう言うんだ。素直に奢られておけばいい」

「はーい」

 私はそれ以上反論する理由もなかったので、ありがたく奢られることにした。でも今度、何か土産みやげとかを持っていこうと決意する。私だって前世では大人だったのだ。

「それで、何を頼む?」

「それが……まだこういうメニューは読めなくて。ダスティンさんのおすすめでお願いします」

「そうなのか? 分かった。ではこのカッチェとラスタにしよう。それから……甘いものも頼むか。甘いものは食べたことがあるか?」

「ラスートのクッキーならあります」

「ではそれ以外にしよう。……ミルカのメーリクだな」

 ダスティンさんは私にとって呪文のような料理名を次々と口にして、注文をしてくれた。どんなものか聞くのもいいけど、運ばれてくる時の楽しみにしようと思って、内容は聞かずに期待して待つ。

 それから頼んだもの以外のメニューについて話をしながら待っていると、店員の女性がとても美味しそうな香りを放つ料理を運んできてくれた。

「うわぁ、美味しそうです!」

 運ばれてきた料理は、私の記憶にあるものに置き換えるとトマト煮込みと白米だった。まだ熱々なのだろう、湯気が立っている様子も空腹を刺激する。

「ナルはお掛けしますか?」

 そう言って店員さんが私たちに見せてくれたのは、白くて細長い……くき? みたいなやつだった。それを細かく削って掛けてくれるのだそうだ。

「私はたっぷりと。レーナは……掛けてみるか? 少し癖のある味だが、とてもカッチェと合う。私は掛けた方が美味しいと思っている」

「では、半分だけ掛けてもらえますか?」

「かしこまりました。それでは失礼いたします」

 そう言った店員さんは、カッチェの上でザッザッとナルと呼ばれた何かを削っていく。そしてカッチェの見た目がかなり白くなったところで手を止めた。

「ごゆっくりとお召し上がりください」

 店員さんが下がっていったので、これで完成らしい。私は目の前にある美味しそうなカッチェに頰を緩め、カトラリーを手に取った。

「このお肉ってなんでしょうか?」

「ハルーツの胸肉だな。ミリテを元にして作ったソースでハルーツの胸肉を煮込み、最後に削ったナルを好みでかけて食べるのがカッチェという料理だ」

 ダスティンさんのその説明を聞いたところでちょうどお肉が綺麗に切れたので、一口分をフォークで刺して、ソースが垂れないよう口に運ぶ。

 ゆっくりと味わうと……お肉の柔らかさと、何よりもソースの濃厚さに驚いた。

「これ、凄く美味しいです!」

「そうだろう? 私もカッチェは好物だ」

 ハルーツの胸肉は鶏肉みたいな味と食感なんだけど、そんなお肉にミリテの旨みが染み込んでいて、嚙めば嚙むほどにうまみがあふれ出てくる。ソースはミリテを元に作ってるだけあって、トマトソースに似ている。でもそれよりも、もっと濃厚で水分が少ないソースだ。

 そして最後にかけてもらったナル。これ、パルメザンチーズに似てる!

「ナルも気に入りました」

「ほう、その歳でこれが好きだとは見込みがある」

 ダスティンさんは私の言葉を聞いて、楽しそうにそう言った。子供はあんまり好まない味なのかな……確かに日本にあった子供も好きな粉チーズと比べると、ちょっと癖が強いもんね。

「ラスタと一緒に食べても美味いぞ」

「やってみます」

 小さめにお肉を切ってラスタに載せ、一緒に口に運ぶと……うん、最高に合う。やっぱりラスタって、こうしてかれてるとお米に似てるね。この国にラスタがあって本当によかった。

「最高に美味しいです。素敵なカフェを紹介してくれて、ありがとうございます」

「別に構わない。……美味いものは共有した方がいいからな」

 いつも通りの声音でそう言って、ナイフとフォークを変わらず優雅に動かしているダスティンさんだけど……耳が僅かに赤くなっている気がして、私は思わず凝視してしまった。

 もしかして、照れてる?

「ダスティンさんって、意外と分かりやすいですよね。最初は取っ付きにくい人かと」

 素直な感想がポロッと溢れると、ダスティンさんは僅かに困惑した様子で私に視線を向け、また料理に視線を落とした。

「……私のことをそんなふうに言う人は少ない。レーナが特殊なんじゃないか?」

「そうじゃないと思いますけど……」

 でも確かに最初に仲良くなるハードルを越えないと、神経質そうで近寄りがたいなで終わっちゃうのかもしれない。私はその最初の壁は、時計を見てやらかしたことで半強制的に乗り越えたから。

 それからカッチェを食べ切って一息ついていると、店員さんによってお皿が下げられ、食後のデザートと飲み物が運ばれてきた。飲み物はお馴染みのハク茶のようで、それと一緒に運ばれてきたのが……私が聞いたことのなかった名前の、甘いものみたいだ。

「こちらはミルカのメーリクでございます」

 そうそう、そんな名前だった。見た目は薄いピンク色のスポンジケーキ? みたいなやつにオレンジ色のクリームが載っている。

「ダスティンさん、これってどういうものですか?」

「これはメーリクという花の花びらだ」

「え、花びらなんですか!?

 予想外の答えに思わず叫んでしまい、慌てて口を手で押さえた。

「すみません……びっくりして」

「気にするな。確かにスラムでは手に入らないだろうからな」

「はい。森にもないと思うのですが」

「これは、王都よりもう少し暖かい地域でないと育たないのだ。それに品種改良した結果できたものだから、人の手がなければ絶えてしまう」

「ひんしゅかいりょう、とはなんですか?」

「……植物の成り立ちをいじるというか、人の手によって人工的に植物を掛け合わせたり、そういう行いを品種改良と言う」

 ああ、品種改良ね! この国でも行われてるんだ。

 確かに植物魔法とかあるし、日本より活発に行われていてもおかしくはない。

「王都周辺の森にはないということが分かりました」

「ああ、少なくともそこにはないな。ちなみにオレンジ色のクリームは、ミルカという果物で味付けがされている。クリームとはミルクを泡立てたものだな。まあとりあえず、食べてみるといい。美味いぞ」

 私はその言葉に頷いて、深く考えず食べてみることにした。

 オレンジ色の綺麗なクリームと薄ピンク色のメーリクという花びら。そこにフォークを差し込むと、メーリクはスポンジケーキとほぼ同じ感触だった。まずは香りをと思って手で仰いでみると、はちみつみたいな甘い香りと、さっぱりとしたかんきつ系の香りがくうをくすぐる。

 期待と緊張が入り混じった状態で口に運ぶと……まずは滑らかなクリームと、爽やかな柑橘系の美味しさを感じ取ることができた。そしてすぐにメーリクから濃厚な甘味が溢れ出し、しっとりとした食感のスポンジケーキに濃い甘みを感じる。

 爽やかな甘みからの濃厚なまったりとした甘み、そのバランスが絶妙だ。メーリクは日本にあったものに例えると蜂蜜のケーキ、ミルカのクリームは蜜柑のクリームって感じかな。

「凄く美味しいです。美味しすぎます」

「そうだろう? メーリクはミルカのクリームとよく合うんだ」

「ダスティンさんは甘いものもお好きなんですね」

「……まあ、嫌いではない」

 一瞬だけ逡巡してから何気ないように頷いたダスティンさんに、私は口角を上げてしまう。

 これは相当好きだよね。ダスティンさんに手土産を持っていく時には、甘いものにしよう。

 それからメーリクを堪能してハク茶で口の中をさっぱりとさせて、幸せな気分でカフェをあとにした。

「ダスティンさん、とても美味しかったです。奢ってくださってありがとうございました」

「気にするな。じゃあ工房に戻るぞ」

「はい!」

 工房に戻った私はダスティンさんに部屋を借りて、新しい服を汚さないようにとすぐスラムのワンピースに着替えた。この工房のひどい惨状を何度も見てる私としては、あの服を着てここにいるのは集中できないのだ。

「レーナはまだここにいるか?」

「そうですね……もう少しだけいてもいいですか? あと1刻ぐらいで帰ります」

「分かった。ではそれまでの間に、染色の魔道具について意見を聞かせて欲しい。洗浄の方は私が試作をしてみなければ、改良はできないからな」

「分かりました。もちろんです」

 染色の魔道具はとりあえず成功してるし、改良するのも上手くいく可能性が高いのかな。染色からデザインって連想していくと、色々とアイデアが浮かんでくる。

 例えば可愛い絵柄を服にプリントできるようなものを作れたら、凄く楽しそうだよね。布を売ってるお店や服を仕立てる人たちに売れそうだ。

 そういえば……この国って印刷技術はどうなってるんだろう。ロペス商会には書類の他にも本が置かれてたけど。

「あの、本ってありますよね? あれって全部手書きなんでしょうか?」

「……突然だな。本は手書きのものもあるが、今は印刷されたものが多いはずだ。それがどうかしたか?」

「その印刷ってやつは、同じものをいくつも……作れる? 技術ですか?」

「まあ、そういう技術だな。正確には決められた文言を印字し、全く同じ文言が書かれた紙を量産できるものだ」

 もんごん? いんじ? と分からない単語ばかりで、どこから聞けばいいのかと混乱していたら、ダスティンさんが紙にイラストを描いて詳しく説明してくれた。

 ダスティンさん……本当にいい人すぎる。今の私にとって面倒くさがらず詳しく説明してくれる人は、本当にありがたい存在だ。

「ありがとうございます。印刷をするには魔道具を使いますか? それ以外のものですか?」

「もちろん魔道具だ。比較的最近に開発されたものだな」

 やっぱり魔道具なんだ。魔道具って凄いね……開発は大変だろうけど、一度良いものが作れたら一気に生活が豊かになる。この国は私が思ってる以上に、魔道具で発展してるよね。

「ではその印刷の技術を、染色の魔道具に応用できないでしょうか? 例えば綺麗なお花のイラストを布に印字するとか」

「──ほう。確かに一考の余地はあるな。さすがレーナだ」

 ダスティンさんは私の意見を聞いて楽しそうに瞳の奥を光らせると、真っ白な紙にペンを持って向き直った。思いついた事柄をメモしておくらしい。

「印刷機のように決められた模様に染める魔道具か……問題は模様に染めるとなれば、様々な色が必要になることだな。印刷機は色を極力減らすことで実現可能になっている。だからといって単色に染めるだけでは、そこまでの利便性はない。染色工房もあるからな……」

 真剣な表情で紙にメモしながら呟いている内容を聞いていると、とても勉強になる。この国の印刷の魔道具は単色はできるけど、カラフルにはできないみたいだ。

 一色に染めるのだと、魔道具じゃなくて人の手で染めた方がいいってなるよね……魔道具は高いものだから、簡単に人の手で代替えできるようなものはあまり売れないだろう。

 ──ん? なんか今、いいことを思いついた気がする。

 私の腕にある市民権って、魔道具だって話だったよね。しかも半年で自然と消えるのだ。

 この魔道具の技術を応用すれば、1日だけ色が染められる魔道具とか作れないのかな。それが作れたら貴族にかなり売れる気がする。

 その日の気分によって服の色を変えられたら、考えるだけで心が浮き立つよね!

「ダスティンさん! いいことを思いつきました!」

 早くこの考えを話したいと思って前のめりで宣言すると、ダスティンさんはペンを動かす手を止めて、こちらに視線を向けてくれた。

 私はそんなダスティンさんの目の前に、ワンピースの袖を捲って腕をずいっと突き出す。

「これ! この市民権を印字する技術って応用できませんか? これで1日だけ服の色が変えられるような魔道具を作るんです。それなら単色でも十分だと思います!」

 一息にそう告げると、ダスティンさんは私の言葉を聞いて何度か瞳を瞬かせ、それからニヤッと笑みを浮かべた。

「レーナ、それは素晴らしい考えだ。それなら貴族は確実に食いつく。さすがだな」

 ダスティンさんは珍しく満面の笑みを浮かべて、私の頭をぐしゃぐしゃっと撫でてくれた。

「ちょっ、ちょっと、髪型が崩れます!」

「レーナ、どういう魔法と魔石を使えば実現できるのか考えるぞ」

 ダスティンさんに私の文句は届いていないようで、さっそく瞳を子供のように輝かせ、魔石を棚から引っ張り出す。

「分かりました。ただ私に技術的なアドバイスはできないですからね」

「それで構わん。それを差し引いても、レーナのアイデアは素晴らしいからな」

 それから私は暗くなり始める頃まで、ダスティンさんの魔道具開発を横で見ていた。かなり難しかったけど、凄く楽しい時間だった。

「ダスティンさん、そろそろ帰ります」

 楽しくてもう少しここにいたいと思いつつ、さすがに帰らないとお父さんを待たせてしまうと、ダスティンさんに声をかけた。お父さんとは暗くなる前には街を出るって約束したのだ。

「もうそんな時間か。……それならちょっとそこで待っていろ」

 ダスティンさんは時計を見ると席を立ち、工房の端にある鍵付きの戸棚に向かった。

 そしてその中から……お金を取り出したみたいだ。

「アイデア料だ。とりあえずはこれだけでいいか? 魔道具が売れたらまた還元する」

「え、こ、こんなにもらえません!」

 私の手に載せられたのは、金貨が3枚だ。

「さっきは金貨1枚って話をしたのでは……。それにお洋服を買ってもらったので、それも差し引くはずです」

「いや、確かに昼の時点ではそうだった。だが先ほどのアイデアはより有用なものだ。これでも安すぎるぐらいだと思うぞ」

 これでも安すぎるなんて、私と金銭感覚が違いすぎる。有用なアイデアってこんなにお金がもらえるの? 普通が分からないから、素直に受け取ってもいいのか判断できない。

 でもダスティンさんは、何か悪いことを考えたりしないだろうし……というか、子供がぽろっとこぼしたアイデアにお金を払ってくれるんだから、悪い人どころか人が良すぎるよね。

「……本当にこんなに、いいのですか?」

「もちろんだ」

 私はダスティンさんがすぐに頷いてくれたのを確認して、恐る恐る金貨3枚を握りしめた。

「ありがとうございます。本当に、本当に助かります」

 これで家族皆で街中に引っ越す未来が、かなり近づいた。皆は喜んでくれるかな。でも勉強を急ピッチで進めないといけなくなったね。

「なくさないように気をつけろよ」

「はい、絶対になくしません。ロペス商会に寄って、ロッカーにお金を入れてから帰ります」

「それがいいな。じゃああとは、これも持っていくといい。これぐらいならスラムに持ち帰っても問題ないだろう?」

 そう言って渡してくれたのは、1粒が大きくて立派なカミュだった。これ、ロペス商会で扱ってる美味しそうなやつだ!

「もらっていいのですか!?

「……こっちは食いつきがいいな。もちろん構わない。家族で楽しむといい」

「ありがとうございます」

 夜に勉強会をする時のお供にしよう。私は家族皆が喜んでくれる様子を思い浮かべ、自然と笑顔になった。

「じゃあまた、休みの日にでも自由に来てくれ。洗浄と染色の魔道具の試作をしておこう」

「分かりました。よろしくお願いします。他に予定がなければ、次の休みの日に来ますね」

 ダスティンさんに挨拶をしてから右のポッケに金貨3枚を入れ、左のポッケにはカミュを何粒も詰め込んで、充実した気分で工房をあとにした。

 ロペス商会に寄ってお金をロッカーにしっかりと仕舞い、完全に暗くなる前にと大通りを全力で駆け抜ける。その頑張りのおかげで、まだ明るさが残っている時間に外門を通り、外に出ることができた。

 しかしそこで待ってくれていたお父さんは、腕を組んで厳しい表情だ。怒られそうだなと思いつつそっと近づいていくと、私に気づいたお父さんは、ぐわっと瞳を見開いて口を開いた。

「レーナ! 遅いじゃないか!」

「ご、ごめんなさい……」

 やっぱり遅かったよね……次からは暗くなり始める前に、時計を見て工房を出ないと。

 心配をかけたことが申し訳なくてうつむいてしまうと、お父さんは私の前にしゃがみ込んだ。

「別に怒ってるわけじゃないが、心配だからもう少し早く帰ってきてくれ。もうすぐ完全に暗くなるぞ?」

「……うん、ごめんなさい。次からはもう少し早く帰ってくるね」

 自分にも言い聞かせるようにそう答えると、お父さんはニッと安心する笑みを浮かべてくれた。私はその顔を見てホッと体の力を抜いて、お父さんの手を握る。

「早く帰ろ?」

「そうだな。ルビナとラルスも心配してるぞ」

 それからお父さんと一緒に家に帰った私は、もうほとんど作り終えていた夕食作りを最後だけ手伝って、皆でいつもの焼きポーツを食べた。

 そして全員で家の中に入ると、家の端に大切に置いておいたカミュを2粒ずつ配る。カミュを受け取った皆は、驚きの表情だ。

「これ、今日私が行った魔道具工房のダスティンさんが、家族にってくれたんだ」

 皆には、ダスティンさんのことは話してある。

「凄くいい人なのね。これって、カミュよね? 森で採れるものとは大きさが全然違うけど」

「こんなに大きくて、美味いのか?」

 皆はあまりにもいつも食べているカミュと違いすぎて、食べるのを躊躇ちゅうちょしているらしい。

「それは私が勤めてる商会でも扱ってるようなカミュだから、心配いらないよ。凄く美味しいと思う。でも私もまだ食べたことはないから、一緒に食べてみよう?」

 そう伝えると、最初にお父さんが頷いてくれた。

「そうだな。じゃあ食べるぞ?」

 お父さんのその言葉に従って、全員でカミュを口にすると……そのあまりの美味しさに、感動で涙が浮かんできそうになった。

 森のカミュは渋みが強いのに、これは渋みなんて全くなくて、みずみずしい甘さだけが口の中に広がる。こんなに美味しいものを、このスラムのボロ小屋で食べられてるのが奇跡だ。

「な、なんだこれ。美味すぎるぞ! レーナ、街中のものはこんなに美味いのか!?

 お兄ちゃんがこれでもかと瞳を見開き、驚きをあらわにした。

「美味しいものはたくさん溢れてるよ。私もまだ一部しか食べたことないけど、どれもこのカミュと同じかそれ以上に美味しかったかな」

 私のその言葉を聞いたお兄ちゃんは、一気に瞳を輝かせた。お兄ちゃんは成長期でいくらでも食べられるって感じだし、やっぱり食べ物にはかれるよね。

「街中は凄いのねぇ」

「早く引っ越したいな。父さんは凄く楽しみだ」

「そうだ。引っ越しのことで皆に話があるんだけど……」

 ダスティンさんがくれた金貨3枚のことを思い出してそう話を切り出すと、皆はごくりとつばを飲み込んで顔を強張らせた。もしかして、悪い話だと思ってる? そう気づいた私が早く説明しようと口を開きかけたその時、先にお兄ちゃんが肩を落としながら呟いた。

「もしかして……やっぱり、引っ越せないのか?」

 その落ち込み方がこの世の終わりみたいにズーンと重くて、私はすぐに否定する。

「いやいや、全然違うよ。その逆。もうすぐにでも引っ越せるんだけど、どうするか皆に相談しようと思って」

「……どういうことなの? まだお金が足りないでしょう?」

「それがね、ダスティンさんが私に金貨3枚をくれたの」

 金貨3枚という言葉がかなり衝撃だったのか、皆は私の言葉が上手く飲み込めないようで言葉を発さない。沈黙がしばらく場を支配して……最初に口を開いたのはお父さんだ。

「な、なんで、そんな大金を……?」

「ダスティンさんは、魔道具工房を開いてる魔道具師だって話はしたよね?」

「ええ、聞いたわ。魔道具は確か、魔法で起こせる現象を再現できるものなのよね?」

「そう! お母さん凄いね。ダスティンさんはその魔道具の研究もしててね。私がちょっとしたアイデアを話したら、それが研究に役立ったんだって。それでアイデア料だってことでお金をくれて、これからもその魔道具が売れたらお金をくれるって」

 この話は少し難しかったみたいで、皆は不思議そうに首を傾げている。アイデアにお金が支払われるなんて、馴染みがないもんね……。

「とにかく、私が役に立ってダスティンさんから報酬がもらえたってことだよ。だから予定よりも早くお金が貯まるんだけど、引っ越しの日ってどうする?」

 市民権は金貨1枚で買えるから、もう3人の市民権は購入できるのだ。あと必要なのは、部屋を借りるお金と当分の生活費。それも給料を何回かもらえば十分に貯まるだろうから……あと数週で引っ越しの準備が整えられる。

「それはもちろん、早く引っ越ししようぜ!」

「お兄ちゃん、嬉しそうだね」

「だって楽しみが早く来るんだぞ? それは嬉しいだろ」

「そうね。引っ越せるなら遅くする理由もないし、早めましょうか」

「そうするか。レーナ、ありがとな!」

 お父さんはニカッと満面の笑みを浮かべて、私の頭をガシガシと撫でた。そして私の顔を真剣な表情で覗き込む。

「引っ越したら父さんは頑張って働いて稼いで、レーナに恩返しするからな」

「俺もだ。街中に行けるのはレーナのおかげだからな」

「そうね。お母さんもレーナには本当に感謝してるの。街中に行ったら、私も家族のために頑張るわ」

「皆……」

 恩返ししてもらいたいなんて思ったことはなかったけど、そう言ってもらえると嬉しい。本当に家族には恵まれてるよね……お父さんもお母さんもお兄ちゃんも大好きだ。

「ありがとう。一緒に頑張ろうね」

「ええ、まずは勉強からね。今日も頑張るわよ!」

「そうだな。美味しいカミュを食べて、やる気は十分だ」

「レーナ、また教えてくれるか?」

「もちろん!」

 それから私たちは、引っ越しの予定が早まったことによって皆のやる気がいつも以上にみなぎっていたので、長めに勉強を行なった。そして3人とも敬語を使う能力が少し上昇したところで、今日の勉強は終わりとし、ベッドに入る。

 準備は順調だし、引っ越す日が楽しみだな。

 そんなことを考えながら、わくわくとした気分で眠りについた。