レトムさんは奥の部屋に引っ込んだ。一人でお客の対応をするらしく、ちょっとだけ心細くなった。ダメダメ、こんなところで気弱になっちゃ。両頬をパチンと軽く叩いて気合を入れる。

改めて籠の中のパンを見る。直径十五センチくらいの丸く茶色いパンだ。焼きたてなのか近づくだけで熱気を感じられる。香ばしい匂いにお腹が減っていないのにもかかわらずお腹が鳴りそうだった。

静かな朝の時間。外からパタパタと走る足音が聞こえて来て、その音は段々と大きくなってくる。きっとパンを買いに来たお客だ。

トングを手に持って、初めてのお客を待つ準備をした。

「おっちゃん、おはよう! パン二十四個頂戴……って誰だ?」

十代前半の男の子が走って現れた。店の中に入ってくるなり、私の姿を見て不思議そうに首を傾げた。

「はじめまして、今日から働き始めましたリルっていいます。よろしくお願いします」

「そうなんだ、よろしく! 俺は宿屋の息子だ」

「パンが二十四個ですね。背負っている籠をもらってもいいですか?」

「あぁ、よろしく頼む」

挨拶を交わすと、すぐに仕事に移る。少年から背負い籠を受け取ると、パンを次々と入れていく。落とさないように、でも素早く。あっという間に籠の中はパンで一杯になった。次はお会計だ。

「全部で二千四百ルタになります」

「おう。えーっと、これで」

男の子からお金を受け取る。手の中には銀貨が二枚と小銀貨が四枚あった、ピッタリだ。

「丁度お預かりします。お買い上げありがとうございました」

「うん、これからよろしくな。じゃ、急ぐからいくわ」

「いってらっしゃい」

少年は背負い籠を背負って手を上げて走り去っていく。初めてのお客はせわしなかったが、問題なく終わることができた。ちょっとだけ緊張でドキドキしたが、失敗しなくて良かったと思う。

一息ついていると、また走る足音が聞こえてきた。今度は二人いるみたいだ。

「いぇーい、俺が一番!」

「くそっ、負けた!」

元気のいい十才前後の少年が二人現れた。どうやら二人で競走しながらここまでやってきたようだ。二人で軽くどつき合いながら店の中へと入ってくる。と、こちらを見て驚いた表情をした。

「……知らない人がいる!」

「本当だ! 誰だ、誰だ!?

「今日から働きにきました、リルっていいます。よろしくお願いします」

「「へー」」

自己紹介をすると少年二人は生返事をした。だが、すぐにハッと思い出し籠を差し出す。

「俺、パン三つくれ」

「俺はパン四つちょうだい」

「はい、お待ちください」

そう言ってトングでパンを取ろうとした時、また慌ただしく入ってくる足音が聞こえた。

「お腹減ったー、パン四つくれー」

また少年が入って来た。早く対応しないと。

「おっちゃーーん、パン三つ頂戴」

またまた少年が入って来た。止まらない来客は朝の戦争の合図になった。

朝のパン売りは本当に戦争になった。

「こっちにパン四つくださーい」

「私にはパン二つ」

「ぼ、僕は……」

次々にやってくる子供たち。初めは私の姿を見て驚くが、すぐに注文を口にした。何人もの子供が同時にパンの数を言うから、誰が何個必要なのか覚えるのが大変だ。

「えーっと、四つに……二つに……君は?」

「えと、あの……三つ」

「はい、みっつね」

「すいませーん、パンを……あれ初めての人がいる」

「おはよう、パン三つくれー」

対応している間に次の子供たちがやってきた。私は急いでパンを皿や籠にのせて、会計を間違いのないように済ませて、次に対応する。

「今日から働くことになったリルです。よろしくお願いします。パンはいくつですか?」

「よろしくー。パンは四つ」

「ぼくは三つね」

「はい、四つで四百ルタ。三つで三百ルタですね」

急いでパンをのせて、片手でお金を受け取って数える。お金を木箱の中にいれ、またお金を受け取って数える。

「ありがとうございました」

「リル、新しいパンが焼けたぞ。籠の中に入れておくな」

「はい、分かりました」

「おはよう、パン三つちょうだーい」

休むことなく色んな声がかかってくる。パンはレトムさんに任せて、私はお客の対応をする。

「三つで三百ルタです」

「あれ、初めてみる人だ」

「はい、今日から働くことになりましたリルです。よろしくお願いします」

「よろしくー」

「おっちゃーん」

「パン三つちょうだーい」

「あ、俺が先なのにー!」

とにかく、どんどんくる。順番とか関係なく声をかけてくるから、把握するのが難しい。しっかりとさばくためには、こっちが負けないように積極的に声をかけていくしかない。

「君はパンいくつですか?」

「俺は四つ。あれ、初めて見る人だ」

「今日から働くことになりました、リルです。よろしくお願いします」

「はやくー、パン三つー」

「すいません。えっと、パンが……三つっと。三百ルタです。四つの人は四百ルタです」

「ほいっと。じゃーねー」

「んと、丁度ですーありがとうございましたー」

少年はポイっと小銀貨を投げ渡すと、さっさと行ってしまった。慌てて硬貨の枚数を確認すると間違いはない。お金から顔を上げた時にはその少年はいなかった、色んな人がいるんだなぁ。

その後もどんどんやって来ては、慌ただしく店を出て行く子供たち。パンはなくなるギリギリ直前で店頭に出されているけど、いつなくなるのかヒヤヒヤだった。

最後のパンが焼き上がった時には一気に五人来た。注文が聞き取れなくて聞き返してしまったほどに騒々しかったが、それも一瞬で引いてしまう。そこからは少しずつ余裕がある間隔でお客が見えたりした。

そして、残りのパンが四つになるとピタリと客足は途絶えてしまう。先ほどまでの騒々しさが嘘のようだ。そこに奥からのっそりとレトムさんが現れた。

「どれ、落ち着いたか。パンはいくつ余った?」

「四つです」

「なら、四つを壁際の棚に移して並べてくれ」

言われた通りに棚の端からパンを並べて置いておく。レトムさんは籠を奥の部屋に入れて片づけをする。ふぅ、ようやく息が吐けるみたい。

「どうだ、大変だっただろ」

「そうですね。お子さんたちが元気だから、負けないようにこっちも声を大きくしました」

「うん、聞いた感じだと大丈夫そうだ。水差しをカウンター奥に置いておくから好きな時に飲んでくれ」

「ありがとうございます。喉がカラカラでした」

水差しとコップを手渡されると、私はすぐにコップに水を注いで飲み干した。あー、生き返るー。

「カウンターの奥にイスを置いておくから、何もない時はここに座って休んでいてくれ」

「はい、分かりました。今はやることありますか?」

「中央の台を綺麗に拭いておいてくれ。あとは床の掃除、玄関先の掃除もだ」

レトムさんは奥に引っ込むとバケツと雑巾、ホウキとチリトリを持ってきてくれた。よし、もう少し頑張ってからお休みさせてもらおう。

「俺は昼のパンの準備を進めておく。昼のパンについては焼き上がったら説明をするから、待っていてくれ」

「分かりました」

そこでレトムさんはお店の奥に引っ込んだ。さて、残された私は店の中の仕事をしよう。

まず、乾いた状態の雑巾で中央の台に散らばったパンくずを集める。集めたら台の端にチリトリをくっつけて、そこにパンくずを落として入れる。

次に雑巾をバケツの水で湿らせて絞る。それから中央の台を端から端まで綺麗に拭いていく。ついでにカウンターも拭いておいた。

そしたら今度はホウキでお店の掃除だ。埃をあまり立たせないように、端からゆっくりと掃いていく。お客は来ないのでスムーズに店内を掃き終えることができた。最後にチリトリでゴミを回収すれば、店内の掃除は終わり。

最後は玄関先の掃除。ここも埃をたたせないようにゆっくりと丁寧に掃いていく。それほどゴミはないのですぐに終わってしまった。

ふと、周りを見てみると通りに人が大勢歩いていた。中には馬車も動いていて、町独特の活気を前にしてちょっとだけ浮かれてしまう。

言われた仕事も終わったし、少し休憩しようかな。そう思って店内に戻っていくと、丁度レトムさんが鉄板を持って奥から出てきた。

「昼のパンが一つ焼き上がったところだ。これを棚に並べておいてくれ」

「はい。わぁ、すごく香ばしい匂いですね。何が入っているんですか?」

「これには硬い木の実が入っているんだ。木の実パンっていったところだ」

レトムさんは鉄板を中央の台にのせ、私はそのパンを覗き込んだ。パンの形は丸い形をしていて、朝の丸パンと変わらない大きさだ。でも表面を見てみれば、小さくなった硬い木の実が散りばめられているのが見える。

「木の実パンは百四十ルタで売ってくれ」

「分かりました。並べ方にやり方とかありますか?」

「それはリルに任せる。空いている棚に簡単に並べるだけでいい。じゃ、次のパンを焼いてくる」

お仕事の話をすると、レトムさんはすぐにお店の奥に移動した。あと何種類焼くんだろうな、うーん楽しみだ。

トングを手にすると、落とさないように木の実パンを掴んで棚に並べていく。朝はあの調子だったから並べなくても済んだけど、昼は違うみたい。あ、お客がパンを取ってくるのかな、私が取ってあげるのかなどっちだろう。

気になったので聞いてみることにする。店の奥に足を踏み込むと、レトムさんがパンを成形しているところだった。

「すいません、聞きたいことがあるんですが」

「なんだ」

「昼のお客さんのパンって私が取ってあげるほうがいいんですか?」

「ああ、そうだ。カウンターに希望するパンを言ってくるはずだから、そのパンを板にのせてお客の前に出すんだ」

なるほど、口頭で買いたいパンを言ってきて、それを私が取ってあげるんだね。

「そうそう、冒険者も時々パンを買いに来るんだった。あいつら、パンを入れる物を持ってこないことが多いから、一緒に袋を販売している。袋は一つ二百ルタだ。カウンター裏の引き出しに入っているから」

へー、冒険者もくるんだ。住民だと皿とか籠とか持ってくるからいいけど、冒険者はそういうの持ってないものね。だんだん店の事が分かってきたのがちょっと嬉しい。まだまだ覚えないといけないことがあるから、しっかりと復習しておかなきゃ。

店の奥から店内に戻ると、パンを並べ始めた。昼のお仕事まであともうちょっとだ。

イスに座って休憩して、棚に並んだパンを眺める。朝に残った丸パンと木の実パンの他にベリーパンという新しいパンが並ぶ。丸パンと同じ形で一個百六十ルタで販売するという。甘酸っぱいいい匂いがしてお腹がなりそうだ。

あと少しでもう一つのパンが出来上がるみたいだけど、まだかな。ボーっとしながら待っていると、店の奥から甘い匂いが漂ってきた。今度は甘いパンなのかな。

幸せになる甘い匂いに包まれながら待っていると、店の奥からレトムさんが鉄板を持ってこちらに近づいてきた。

「待たせたな、最後のパンで蜜パンという」

レトムさんが中央の台に鉄板を置く。鉄板の上を覗き込むと丸パンよりも小さな丸いパンが二つくっついた蜜パンがあった。二つ重なった丸パンにはたっぷりと薄黄色い蜜が塗られている。

「すごい甘い匂いですね。お腹が鳴りそうです」

「結構人気があると思う。一個百八十ルタで売ってくれ」

「分かりました」

一番高いパンだ、やっぱり甘味って高いんだね。

「じゃ、俺は早めの昼休憩に入ってくる。二時間くらいたったら、今度はリルが休憩だからな」

「はい、いってらっしゃいませ」

レトムさんはそう言って店の奥にある扉を開けて階段を上って行った。きっと二階が住居スペースなんだろうな。

一人で残された店内、任された責任が少し重く心に伸し掛かる。でも、こんなところでめげてちゃいけないよね。レトムさんが安心して休憩できるように、私が頑張らないといけないんだ。

早速蜜パンを丁寧に並べると、お客さんを待った。しばらくイスに座って待っていると、開けっ放しの扉の向こうからこちらに近づく足音が聞こえてくる。私はスッと立ち上がってお客を迎える準備をした。

すると、扉の向こうから片手に籠を持った女性が現れる。

「あら?」

こちらを見て不思議そうな顔をしてこちらをジロジロと見た。

「いらっしゃいませ。今日から働くことになりました、リルといいます。よろしくお願いします」

「あー、そうなのね。よろしくね」

「どのパンをご希望ですか?」

挨拶もそこそこにして、手に板とトングを持って注文を聞く。

「木の実とベリーと蜜を一つずつ頂戴」

「分かりました。少々お待ちください」

注文を聞くと棚からパンを取っていき、板の上に並べる。全部取り終えるとカウンターの上にのせて確認してもらう。

「全部で四百八十ルタです」

「じゃ、これで」

女性から小銀貨五枚を受け取った。箱の中に入れて中から銅貨を二枚取り出して、女性に手渡す。

「二十ルタのお返しです。ありがとうございました」

「……小さいから大丈夫かしらって思っちゃったんだけど、杞憂だったわ。ごめんなさいね、ジロジロ見ちゃって」

「いえ、大丈夫です。籠を貸してもらってもいいですか?」

「はいはい」

そうだよね、子供がカウンターにいたらそうなっちゃうよね。仕方がないけど、悔しいな。だから、そんな不安を感じさせないためにしっかりと仕事をしないとね。

女性から籠を受け取ると、トングで一つずつパンを移動させていく。うん、綺麗に移動できたと思う。それから籠を両手で持って女性に差し出す。

「どうぞ、お持ちください」

「ふふ、ご丁寧にありがとう」

「ありがとうございました」

女性が籠を受け取って店を出て行くと、私は深々とお辞儀をしつつ言葉をかけた。ふぅ、午前中とは違う緊張感があったな。昼からは早い対応よりもしっかりと丁寧な対応に切り替えた方がいいかも。

そんなことを考えていると、またお客がやってきた。そのお客も私の姿を見ると不思議そうな顔をしたので、同じような挨拶をして早速注文を聞く。

「今日は丸パン残ってる?」

「はい、四つ残ってます」

「なら丸パン四つと木の実パン六つ頂戴」

大量買いのお客だ。その女性からは食べ物の匂いがしたので、もしかしたらどこかの食堂で働いている人かもしれない。丁寧に板の上にパンを並べて、板をカウンターの上にのせて確認してもらう。

「全部で千二百四十ルタです」

「あら、計算早いのね助かるわ、小さいのに偉いわね。はい、お金は丁度渡すわ」

お金を受け取ると銀貨一枚、小銀貨二枚、銅貨四枚があった、丁度だ助かるなぁ。

「はい、丁度お預かりします。籠を貸してもらってもいいですか?」

「えぇ、はい」

大き目の籠を受け取ると、その中にパンを詰めていく。沢山あるから置き方が難しい。

「お待たせしました」

「またよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします。ありがとうございました」

丁寧なやり取りをして、綺麗にお辞儀をする。きっとこの人はお得意様だろうから、気をつけて対応してみた。まぁ、来る人みんなお得意様なのだろうから、気を付けないとね。

「こんにちはー」

休む暇もなくお客がどんどんくる。一人ずつ丁寧にやり取りして失礼の無いようにする。朝のような忙しさはないが、昼は違った意味で大変だった。

お客が重なってくることもあって、その時の対応が大変だったかな。しっかりと声掛けをして待ってもらい、先に対応する人も遅くなく早すぎることもなく接客をする。

お客はみんな初めは不安そうな視線を向けてくるが、しっかりと声を出して対応しているとその不安も最後にはなくなってくれる。こういった小さな積み重ねが私の立場を確固たるものにしてくれるだろう。

何事も初めが肝心だから、気を抜くことなく接客をしていった。時間が経つのを感じる暇もないまま、パンを売っていく。そして、客足が遠のいた時店の奥から扉が開く音がした。レトムさんだ。

レトムさんは奥の部屋の隅にある小さなテーブルに何かを置いてから、こっちに近づいてくる。

「待たせたな。あそこのテーブルに昼食を持ってきたから適当に休んでいてくれ」

「ありがとうございます」

「時間は一時間だな。あそこに時計があるから長い針が一周してきたら、休みは終わりだ。その間は俺が受付をやってる」

「分かりました」

ようやく休憩できる。ホッと一安心すると体に疲れがドッと押し寄せてきた。レトムさんと受付を代わり、部屋の隅にあるテーブルに向かってイスに座る。

テーブルの上にあったおぼんにはパン、白いスープ、ソーセージ三本がのせてあった。とても美味しそうだ。

まず、初めての白いスープを飲むと旨味とコクが合わさったような複雑で美味しい味がした。この白いのって牛乳なのかな、とっても美味しく感じられた。

次にソーセージを食べる。プリプリに茹でられていて、白い湯気が立っていた。ふーふー、と息を吹きかけて少し冷ますと、歯で噛みちぎる。パリッと音がしてジュワッと肉汁が零れだした、美味しい! ほっぺたが落ちそうだ。

最後にパン。手で裂こうとすると、ちょっと硬く感じる。二つに裂いて、また小さく裂くと中から木の実が出てきた、木の実パンだ。一口大に千切って口の中に放り込む。噛めば小麦粉の甘みと木の実の香ばしさが合わさって、絶妙な味加減だった。

「んふふ、美味しい」

思わず笑みが零れる。うん、手作り感が満載で人の温もりを感じることのできる料理はとても美味しい。少しの休憩時間で一杯の幸せを感じることができる。午前の疲れも、食べる度に抜けていくようだった。

テーブルに肘をついてうつらうつら。ほどよい疲れと満腹が合わさって眠気が襲ってきた。深く寝入らないように気を付けながら、うつらうつらとする。

心地よさにしばらく身を委ねて、休憩を続ける。どれだけ休憩したか分からないが、なんとなくそろそろ終わりそうな気がしてきた。ふと目を開けて時計を見ると、残り五分だ。起きるには丁度いい。

「んーー、ゆっくり休んだー」

イスに座ったまま腕を伸ばして背伸びをする。伸びてから体を緩めると息を吐く。うん、午後も頑張ろう。

立ち上がって受付にいくと、レトムさんはカウンターに肘をついてボーっとしていた。

「レトムさん、休憩ありがとうございました」

「ん、もういいのか」

「はい、十分休ませていただきました」

「そうか。なら、俺は奥でパンを作っている。残りは夕方の販売だけだからな」

「夕方のパンの種類はなんですか?」

「丸パン、木の実パン、チーズパンだ。チーズパンは二百ルタで売ってくれ」

「分かりました」

チーズパンか、夜ご飯のお供にはいい感じだね。今度はチーズのいい匂いでお腹が鳴りそうだな。

レトムさんと入れ替わり、受付に戻ってきた。棚を見てみるとパンは数えるほどしか残っておらず、寂しい状況になっている。

私はトングを持ってパンの整理を始めた。木の実パンが残り四個。ベリーパンは残り五個。蜜パンは残り八個。あれ、人気の蜜パンが一番残っているのはなぜだろう?

今日の売れ行きは良くなかったのかな。それとも、これから売れるのかな。

イスに座って待っていると、その謎を解くお客が来た。

「こんちはー、蜜パンちょーだい」

「私も蜜パンー」

四人の子供たちがわらわらと集まってきた。私はトングで蜜パンを持って板に移し替えると、お会計を始める。

「一つ百八十ルタになります」

「えっと、銅貨が一、二、三……」

「俺、小銀貨な」

「私も小銀貨」

「私もー」

一人が銅貨を数え始め、他の三人は小銀貨を出した。そうか、二人で一つのパンを食べるんだ。あ、だから蜜パンの形は分けられるように二つの丸いパンが重なった形をしていたんだね。

小銀貨の子供にはおつりの銅貨を手渡し、銅貨の子供からは九枚の銅貨を貰った。

「はい、半分こね」

「どっちがいい?」

子供たちはパンを千切ってもう一人の子供に手渡す。それから店を出ながら甘い蜜パンを頬張り始めた。このパンはおやつとして人気があるパンなんだね。

その子供たちが去った後も、すぐに違う子供たちがやってきては蜜パンを欲しがった。残り八個だった蜜パンはどんどんと数を減らして、あっという間に店頭から姿を消した。

そして、店頭から姿を消した後も蜜パンを欲しがる子供たちが来る。

「うわー、今日蜜パンないんだってー」

「どうする、違うパンにする?」

「今日買うのやめようぜ」

「明日はもっと早く来ようぜ」

蜜パンが無いと知るとガックリと肩を落として店を後にした。レトムさんがいう通りに蜜パンは人気があるパンだった。昼の時間に買っていった人たちはおやつとして買っていったのかもしれない。庶民の楽しみ、羨ましいっとちょっと思ってしまった。

「リル、丸パンと木の実パンが焼けたぞ」

日が傾き始めた頃、レトムさんが新しいパンを持ってきてくれた。中央の台で鉄板を受け取り、私は棚に並べ始める。そのパンの匂いに釣られてか、お客が姿を見せ始めた。

「ベリーパンは残っているかしら」

「はい、五個残ってますよ」

「なら丸パン四つ、ベリーパン二つちょうだい」

夕方の注文数はちょっと多かった。多分だけど、夕食用と明日の朝食用に買っていくのだろう。私はお金を間違わないように慎重に取り扱って、丁寧に接客をした。

「チーズパン焼けたぞ」

とうとうチーズパンが来た。形は丸パンと同じだが、とてもいい匂いだった。店の外にも流れていく香ばしいチーズの匂い。それに釣られてか、客足が多くなる。

「チーズパンを三つください」

「はい、お待ちください」

「チーズパン四つ頂戴な」

「はい、分かりました」

チーズパンが出るとお客はこぞってチーズパンを求めた。夕食の量はどれくらい食べるか分からないけど、チーズパンだけでも夕食は間に合いそうだ。それだけチーズパンはずっしりと重たかった。

「最後の丸パンと木の実パンが焼けたぞ。よろしくな」

お客の接客をしていてあっという間に最後のパンが焼けた。私は急いでパンを棚に並べて、鉄板を店の奥へと片づける。

よし、最後の仕事頑張ろう。気合を入れていると、すぐにお客が入ってくる。

「いらっしゃいませ、どのパンを希望しますか?」

あれからお客は入れ代わり立ち代わりに来てパンを買っていった。沢山並んでいたパンが次々となくなっていく中、一番高いチーズパンがすぐになくなってしまう。

チーズパンが無くなってからも、チーズパンを買いたいお客は沢山きた。その度に丁寧に謝り、残ったパンをオススメしていく。みんなガッカリした顔をしたけど、特に騒がれることはなく代わりのパンを買って店を出て行った。

扉の向こう側が夕日に染まる頃、残りのパンも片手で数えるほどまで減ってしまっていた。その頃になると客足もパッタリとなくなり、暇になってイスに座ってボーっとする。

「リル、今日はここまでだな」

背後からレトムさんが現れて終業の言葉を言った。

「残ったパンを板の上に置いてくれ。その後は棚を綺麗に拭いてほしい。棚を拭くのに、この専用の布巾を使ってくれ。それが終わったら、店の奥にいる俺に話しかけろ」

「分かりました」

私は言われた通りにトングを使って残りのパンを板の上に置いた。それをカウンターの上に置いておくと、用意されていたバケツで布巾を濡らして絞る。手にチリトリを持って、棚に零れ落ちていたパンくずを布巾で集め、チリトリの中に落とす。

全部の棚を拭き、布巾を洗い、チリトリのゴミをゴミ箱に入れる。うん、これで完了した。

「レトムさん、終わりました」

「あぁ、ありがとう」

店の奥に声をかけると、同じく掃除をしていたレトムさんがいた。

「どうだった?」

「忙しかったですけど、大丈夫そうです。落ち着いて接客をすれば、間違うことはなかったです」

「うん。聞いて、見ている限りは大丈夫そうだった。接客も会計も危なげなく出来ていたと思う。これからもよろしくな」

「はい、こちらこそお願いします」

どうやら合格点だったみたい。ほう、頑張って良かった。

するとレトムさんは受付にいき、カウンター裏の棚から持ち帰り用の袋を取り出す。その中に丸パンと木の実パンを入れると、私に差し出してきた。

「クエストの内容にも書いたけど、余ったパンの持ち帰りだ」

「ありがとうございます。クエストで見ていた時から気になっていました」

「そうか、これで明日も頑張ってくれ。暗くなる前に帰るんだぞ」

「はい。今日はありがとうございました」

エプロンを脱いで渡して、私は深々とお辞儀をした。この仕事ができて本当に良かったよ、晩御飯ゲットだね。

店から出ると辺りは真っ赤に染まっていた、暗くなるのも時間の問題だ。私は小走りで通りを進んでいった。

明日からも頑張るぞ!

パン屋の売り子の仕事は問題なく続いていった。

大変な混雑がある朝を体力と気力を削って乗り越え、丁寧な接客を要求される昼を気張って過ごし、間にくる蜜パンを求める子供たちを丁寧に捌き、疲れの溜まった夕食前の混雑は失敗しないように気を付けながら接客する。

そんな日々を一週間、二週間と過ごしていくと少しずつ慣れ始めてきて。三週間、四週間ともなると心に余裕ができ始めてきた。余裕が出来てからが危ないので、気を引き締めて仕事をする。

そして、ひと月が経つ頃、ようやく給料日がやってきた。

その日の仕事が終わると、レトムさんに店の奥まで呼ばれた。

「ひと月お疲れさん。二十三日働いたから、全部で十六万千ルタだ」

そう言って手渡された硬貨。その中に初めての小金貨が入っていた。キラキラ光っていてずっしりと重い小金貨が十六枚、と銀貨が一枚。こんなに大金を受け取ったのは初めてで、手が震えた。

「こ、こんなに貰ってもいいんですか」

「働いたから当たり前だろう。というか、貰ってくれないとこちらが困る」

「あ、ありがとうございます! また明日も頑張ります!」

ズボンのポケットに入れておいた硬貨袋の中に急いでしまい込む。売れ残りのパンを受け取り一日の最後の挨拶をすると、駆け足で夕日で染まる通りを進んでいく。向かう先はもちろん冒険者ギルドだ。

こんな大金を持ち歩いているのは落ち着かない。早くギルドに預けてしまいたい、と強く思った。

通りを抜け、大通りを進むと冒険者ギルドが見えてくる。急いで中に入ると、冒険者は少ないもののまだギルドはやっていた。列に並んで順番を待つ。

「次の方、どうぞ」

「すいません、お金の預かりをお願いします」

「では、冒険者証の提出とお預けになるお金を出してください」

言われた通りに冒険者証を出し、預ける小金貨を続けて出した。受付嬢はそれを預かると、背を向けて後ろで作業をし始める。しばらく待っていると、振り向いて冒険者証を手渡してきた。

「お待たせしました、入金が終わりました。現在の入金金額はこちらになります」

そう言ってカウンターの上にのせていた鑑定の水晶に冒険者証を照らすと、数字が浮かび上がってくる。その金額は四十四万ルタだった。

「はい、確認しました」

「では、またのお越しをお待ちしております」

お辞儀をしてその場を離れ、冒険者ギルドを出て行く。ここで一つ深呼吸をした。

「んふふ、四十四万ルタ」

我慢できずにニヤケてしまう。だって嬉しいんだもん、仕方ないよね。あ、ちょっと待って、市民権が買える四十万になっちゃったんじゃない!?

あっという間に市民権分のお金を貯めてしまったことに驚いた。最初はこんなにあっさり稼げるとは思ってもなかったから、信じられない。

「そっか、頑張ればすぐに目標が達成できたんだね」

一人でうじうじしていた時間が勿体なく感じてしまう。もっと早く気づいて行動していたら、違った未来が見えたはずだろう。今更言っても仕方ないか。

歩きながら考える、今後どうするべきか。

市民権が買えたとしても、町に住むにはもっとお金がかかる。家賃、食費、光熱費、水道はきっと井戸だからお金がかからないよね。他にも細々としたものを買わないといけないだろう。

まだ小さい自分には家を借りることはできない、家を借りるのはもっと大きくなってからだ。お金を貯めても家を借りれないというならば、今は市民権を買わない方がいい。

ひょっとして、家を借りれる年齢になる頃には冒険者ランクがBになっているかもしれない。そしたら自動的に市民権を手に入れられるはずだから、市民権分のお金を支払わなくても良くなる。

だったら私は冒険者ランクBを目指してみたらどうだろうか。家が買えるのは大人になってからだし、買えるまでは冒険者としてやっていけばいい。うん、決めた冒険者ランクBを目指そう。

外で活動する冒険者になるためには装備を調えないといけない。装備を調えるためにはお金が必要だ。あと五か月の仕事で手に入るお金はおよそ八十万ルタを超えるから、最終的な貯蓄の合計はおよそ百二十万ルタ。

その百二十万ルタで外で仕事を請け負うのに必要な装備品を買わないといけないだろう。装備品だけでなく、道具だっているはずだ。今は冒険者に必要なものを買うためのお金集めにしよう。

冒険にいくために魔法も覚えたいんだけど、今は仕事で忙しいし、休みの日は集落のお手伝いもしないといけない。学ぶ時間が全くなかった。これは仕事が終わってから本格的に学ぶことにしよう。

色々考えると忙しくなってきちゃった。でも、目標があるからやる気も出る。よし、このまま仕事を頑張って、お金を稼いで、外の冒険者になろう!

妙なやる気に溢れた私は夕日で染まる大通りを駆け足で進んでいった。

それから数日後の朝。子供のラッシュが終わった頃に冒険者がやって来た。どうやら冒険に行くために必要な食料のパンを買いに来たみたいだ。

その冒険者は私に近い年齢の少年で、装備しているものは真新しい。町に住んでいる子供が冒険者をやっている、そんな雰囲気だった。

私はその人たちの装備を観察した。革の帽子、革の鎧、革のグローブ、革のすね当て。腰にはショートソードに革の盾がぶら下がっていた。ザ・新人冒険者の出で立ちに見えて仕方がない。

いくらぐらいかかったのか、すごい気になる。私は注文された丸パンをトングでとりながら質問してみた。

「もしかして、新人の冒険者ですか?」

「はい、やっぱり分かっちゃう?」

「装備品がみんな綺麗だから、そうかなって思ったんです」

気さくに話しかけると、その少年はちょっと照れくさそうに話してくれた。

「私も冒険者には興味があるんですよ」

「へー、そうなんだ」

「ちなみに装備品はいくらくらいかかったんですか? 参考までに聞かせてもらってもいいですか?」

遠慮なく尋ねてみると、少年は思い出すような仕草をしつつ話してくれる。

「ショートソードと革の鎧が十万ルタくらいで、他の革防具は五万から八万ルタくらいだね。結構高いけど、これが新人冒険者のセットなんだって」

「なるほど、それくらいなんですね。お待たせしました、合計で四百ルタです」

一通り話を聞いて、注文していた丸パンを袋に詰めて手渡した。少年はそれを受け取ってお代を払うと、片手を上げて店を出て行く。私はそれを見送り、先ほどの話を思い出していく。

あの装備が全部で四十万ルタくらい。最終的な貯蓄額が百二十万の私には、ちょっと安く思えてしまった。でも、これで不足なく新人冒険者セットは買えることが分かってホッとする。

もしかして、もうちょっといい装備品があればそっちも買えるんじゃないかな、と思ってしまった。うーん、大人しく新人冒険者セットを買うか、少しいい装備を買うか、今から悩んでしまう。

冒険者ランクBという大きな目標ができた私はやる気を出して売り子を続けていった。二か月も経つと売り子の仕事が板についてきて、お客と会話を楽しめるほどにまでなる。三か月経つと迷っているお客にすかさずパンを売り込む度量までついた。

難民だとオドオドしていた私はいなくなり、普通の人として接するくらいにはなっていたと思う。周りからすれば小さな進歩かもしれないけれど、私にとっては大きな進歩。自信がついたお陰だね。

この仕事に出会えた事に感謝。この世界に馴染めない部分があったけど、少しずつこの世界の人たちに接することで馴染めてきた。前世を思い出してから一年も経ってないもんね、大きな前進だよ。

パン屋の主人レトムさんは私の仕事ぶりを褒めてくれた。まぁ、中身が大人だからちょっとズルをしているのは気が引けるんだけど、ありがたいよね。

子供の私を雇ってくれただけじゃなくて、気をつけて面倒を見てくれたみたい。積極的に話す方ではないけれど、要所を押さえて指示を飛ばしてくれたし、仕事についてのあれこれと丁寧に説明してくれた。

お陰で心に余裕ができて、焦ることなく仕事ができたと思う。レトムさんが雇い主で良かったなぁ。

今日も一日頑張ろう。

「チーズパン、出来たぞ。後は頼む」

「分かりました」

夕方に売るパンが出来たみたい。中央の台に置かれると、チーズの匂いが店内に強く広がった。この匂いを嗅ぐと一日の最後が近づいているっていう気持ちにさせてくれる。うん、最後まで気を抜かないで頑張ろう。

いつものようにトングを使って、丁寧に棚に並べ始める。万が一にも落とさないようにパンの下に手を添えて移し替えていく。

今日も綺麗に並べ終えることができた、達成感が心地いいな。カウンターで待とう、と思っていると店に近づく足音が聞こえてきた。今日は早いな、そう思って出入口の向こう側を見てみると──。

「こんにちはー」

「いらっ……あっ」

「いた、リル!」

カルーがいた。カルーは嬉しそうな顔をしてカウンターの傍に駆け寄ってくる。

「ど、どうしたんですか?」

「ふふふ、驚いてる。ちょっとねリルに会いたくなっちゃったの」

「そうですか……久しぶりに会えて嬉しいです」

「私もよ」

カルーがここにくるのがすごく驚いた。働いている場所は教えてはあったけど、まさか来てくれるなんて思ってもみなかった。久々に見るカルーは変わりなく見えて安心する。

「その服もエプロンも似合っているわ。あのリルがこんなに可愛く化けるなんてねー、ビックリだわ」

「もうっ」

「ふふ、ごめんなさいね。嬉しくてつい意地悪を言っちゃったわ」

褒められているのかいじられているのか、どっちなんだろう。でも久しぶりのやり取りはやっぱり嬉しいな。

「そうだ、カルーは何か用事があって来たんですか?」

「そうなの! 私ね今度店の受付ができるようになったの!」

「えぇ、そうなんですか!? おめでとうございます」

なんと、カルーの働き口が見つかったみたいだ。ずっとお店で働きたいと言っていたが、それが実現して本当に嬉しい、やったぁ。

「お仕事が終わったら、帰り道で色々話さない?」

「ぜひ!」

「じゃ、おもてで待っているわ」

嬉しい申し出に飛びついた。カルーが店を出ると、すぐにお客がやってくる。よし、いつものように接客して残りの仕事を完璧にこなしていこう。

「ありがとうございました」

あれから夕方前の混雑が来て、忙しく接客をした。相変わらずチーズパンは人気で一番に売り切れて、売り切れた後でもチーズパンを求めるお客が後を絶たなかった。そのお客さんには丁寧にお断りして、他のパンを薦める。

そうやって店内にあるパンをどんどん売っていき、あっという間に残り五つになる。これくらい残ると閉店だ。

「レトムさん、パンの残りが五つになりました」

「おう、なら閉店だな」

「分かりました」

確認を取ってから閉店の準備をする。パンを板の上に移し替えて、中央の台と棚を綺麗に拭く。ついでにカウンターを拭くと終わりだ。最後にパンを二つ、好きなものを貰って帰る準備が完了。

「お疲れさまでした」

「あぁ、お疲れ様」

挨拶をして店を出て行くと、すぐ近くでカルーが待っていてくれた。

「お待たせしました、カルー」

「ううん、全然大丈夫よ。じゃ、帰り道を歩きながら話しましょ」

「はい」

夕日で染まる通りを二人で並んで歩いていく。初めは取り留めのない話をしたりして、久しぶりの会話を楽しんだ。あぁ、懐かしいなぁ。ゴミ回収の時は沢山お話ししたっけ。

「それで、お店の受付の仕事が受けられたって言ってましたけど」

「そうなのよ。道具屋のお店でね、主人の奥さんが店番してたらしいんだけど亡くなられてしまったんだって。そこで冒険者ギルドに店員補充の依頼を出してくれたらしいの」

カルーの仕事は道具屋の受付らしい。夫婦であれば子供がいて、子供に店番を任せることが多そうだが違うのだろうか?

「夫婦にはお子さんがいなかったんですか?」

「話を聞く限りじゃ、子供は町の役人になってしまったんですって。だから、店番を任せる人がいなかったらしいわ」

お子さんが違う職についていたら店番はできない。なるほど、と頷いているとカルーが話を続ける。

「この依頼を受ける前にね、リルが勧めてくれた勉強に力を入れたの」

「文字とか計算ですか?」

「えぇ、仕事をしていない間は孤児院でずっと勉強していたの。シスターも驚いていたわ、私が急に勉強をしたいって言い出したからね」

どうやらカルーは私を真似て本当に勉強を頑張ったらしい。シスターが驚いていたって言ってたけど、カルーがどれだけ勉強から逃げていたのか想像して可笑しくなった。お姉さんぶるけど、そこは年相応なんだなぁ。

「勉強は本当に大変だったわ。でもリルは何も知らない所から一人で勉強してたって言ってたから、少し勉強していた私が負けるわけにはいかないじゃない」

「ふふ、カルーらしいです」

「もう、笑わないでよね」

二人で顔を合わせて笑い合う。そっか、カルーは私に倣って頑張ったんだなぁ……嬉しい。

「文字の読み書きと計算が一通り出来たら、すぐに冒険者ギルドに言ったわ。私の時もテストされたけど、お陰で普通の技能ありって冒険者証に書かれたの」

「良かったですね。私の経験が生かされたみたいで嬉しいです」

「本当にリルのお陰よ!」

そういったカルーは私に抱きついた。ちょっと恥ずかしいな。

「しかもね、私が孤児院の子だと知ったら住み込みで働いてもいいっていうことになったの。この仕事も私がやめない限りずっと続けてもいいんだって」

「えっ、じゃあカルーは孤児院を出るんですか?」

「孤児院は出るけどお世話になったし、これから少しずつ恩返しをしていくつもりよ」

カルーはすごいな、もうそこまで考えて行動していたんだ。私はまだ集落を出て行くことができない。出て行くためのお金が足りないどころか、仕事が安定していないからだ。私はどうすればいいんだろう。

「今度リルが外の冒険者になったら私が働いている道具屋にきてね」

「……うん、必ず行くよ」

「約束よ」

そうだ、私は外の冒険もしてみたいんだ。カルーはカルーのやり方で目標を達成できたんだ、私は私のやり方で目標を達成しよう。

夕日が差し込む大通りで二人でゆびきりを交わす。そのゆびきりは私のわずかに残った不安を拭い去り、前を見る目に変えてくれた。

パン屋の売り子の仕事も残りひと月となる。毎日を忙しなく過ごしているうちにあっという間に時間が経ってしまった。

この頃になって少し変わったことがある。ある日、お昼の休憩を取ろうと店の奥へ行くと、見知らぬ女性が立っていた。

「こんにちは」

「えっと、こんにちは……」

「初めまして、レトムの妻です」

初めてレトムさんの奥さんと出会った。見た目は華奢な感じがして、子供を産んだようには見えない。だからこそ、子供を産んで体調を崩してしまったのだろうか。

「ご飯できたからここに置いておくわ」

「ありがとうございます。体調は大丈夫ですか?」

「えぇ、リルちゃんが代わりに働いてくれたお陰で大分良くなったわ」

にっこりと笑う表情は自然でいて無理をしているようには見えなかった。そっか、自分が働いているお陰で奥さんは体を休めることが出来たんだ。働くことで誰かが助かっているとは考えなかったので、誰かのためになっていることが知れて嬉しい。

「あの……残りのひと月頑張ります。なので、それまで体を十分に休ませてください」

「ふふ、リルちゃんも優しいのね。ありがとう、お言葉に甘えて休ませてもらうわ」

奥さんには十分に休んでもらって、万全の体調で仕事に戻って来てほしい。きっとレトムさんも同じことを考えているはずだ。

挨拶が終わると奥さんは階段を上がって住居スペースに戻っていった。それを見送った私は用意された昼食を食べ始める。

うん、今日も美味しい。私もしっかりと休んで午後の仕事頑張ろう。

それからひと月の間は奥さんがお昼ご飯を持ってきてくれた。持ってくると少しお話をして戻っていく毎日だ。日が進むにつれて少しずつ話が長くなっているような気がする。

話を聞くと体調が悪くて部屋に閉じこもってばかりだったんだって。だから、レトムさん以外に喋る人がいなくて寂しかったのかな? 私もお話出来て楽しかったから良い時間だった。

そして、私の最後の日、奥さんが赤ちゃんを背負ってカウンターに立った。

「久しぶりだから、色々と教えてねリルちゃん」

主人の奥さんに教えるなんて恐縮してしまう。失礼のないようにやり方を丁寧に教えていった。教えている時、背後からの視線が強くなったのはきっと気のせいじゃないはずだ。

お客が来た時には接客のやり方を見せた。色んな話し方をして接客のバリエーションを教えたり、しっかりとお辞儀をしてお見送りの仕方を見せたりした。

「あらー、リルちゃんの接客は丁寧ね。見習うことが沢山あるわー」

奥さんは「明日から真似するわね」と笑顔で言っていた、なんだか恥ずかしい。

お客がいない時は色んな話をした。私が難民ってことやどんな生活しているか、ということ。奥さんは真剣に聞いてくれたり感心したり、表情がコロコロ変わって話していて楽しかった。

こんな穏やかな日が今日で終わりだなんて、寂しい。ようやく、この世界の住人になれた気がしたのにまた突き放された感じがした。

ううん、こんな考え方をしていたからダメなんだ。ここまで気にする必要はなかったし、今までだって大丈夫だったじゃない。パン屋で働いた日常を思い出せ、私はもう大丈夫だ。

そして、とうとう夕方になり残りのパンも四つになった──閉店だ。

いつものようにパンを移し替えて、棚を拭いた。ついに最後の仕事が終わる。

肩の力を抜き、大きく息を吐いた。六か月頑張った重責から解き放たれると同時に寂しさが胸の中を一杯にする。

「リルちゃん」

呼ばれて振り向くと、レトムさんと奥さんが並んでこちらを見ていた。

「リルちゃんが来てくれて本当に助かったわ。六か月間も本当にありがとう」

「お陰で妻の体調も良くなって店に立てるほどになった、働いてくれてありがとう」

「そ、そんな大げさな。こちらこそ依頼を受けさせていただいて感謝しているくらいです」

「ふふ、それでもよ。何事もなく六か月間を過ごせたのは、リルちゃんのお陰なのよ」

二人の優しい言葉が胸を打つ。こっちのほうが感謝をしているのに、感謝されるなんて思ってもみなかったよ。

「今月分の給与だ、受け取ってくれ」

「それと最後のパンなんだけど、このためにチーズパンを二つ残しておいたわ。最後はぜひ私たちの人気のパンを食べてね」

最後の給与を受け取り、最後のパンを受け取った。いつも売り切れるチーズパンをわざわざ残してくれていたらしい。一度は食べてみたかったから、すごく嬉しい。