「主様、玄武が昨日から帰って来ないのですが」

一樹が蒼依から報告を受けたのは、七月に入った頃だった。

八咫烏達は卵から孵って一ヵ月ほど経ち、多少は飛べるようになってきた。

カラスの巣立ちは六月から八月で、既に巣立ちの準備も始めている。もっとも一樹の式神である五羽の八咫烏達は、本宅から相川家の納屋に移ろうとしているだけなのだが。

式神である八咫烏達は、使役者の一樹や、同じ式神の蒼依に呼ばれれば応じて働く。

そのほかは、近郊を飛び回って遊んでいる。食事は自分達でも獲ることが出来るようになってきて、一樹達が用意したものを食べたり、外で食べたりと、時々で異なってきた。

だが夜遊びして日を跨いだことは、これまでに無かった。

母親代わりの蒼依は心配していたが、一樹は太鼓判を押した。

「八咫烏達とは、気が繋がっている。弱っていたら分かるし、一羽がピンチなら、ほかの四羽も応援に駆け付ける。大丈夫だと思うぞ」


一樹が信頼するのは、八咫烏が神気を注いで育てた神鳥であり、式神として呪力も与えており、曲がりなりにも巣立ちの時期に入ったからだ。

すなわち種族的に強く、活動エネルギーの供給が十全で、繋がる気で帰還場所も分かっており、単体行動できるだけの成長もしている。

賢さは人間の二歳児くらいだが、二歳児はそれなりに賢い。二歳児向けに話した言葉は理解できるし、自分一人でも遊べて、多少は自分からも話し掛けられる。

八咫烏達も、一樹や蒼依の指示は理解するし、自分で遊び回り、食事などの要求も行える。

人間よりも成長が早いのは鳥類だからで、一樹や蒼依の指示を正確に理解できるのは、気が繋がっているので言語のみならず、イメージも送られるからだ。


家が何処かも理解しており、初めて見る妖怪には警戒し、各々の属性である五行の術も使える。

『過保護に囲い続けるのは、成長を阻害するのではないか』

山には危険もあるし、絶対に大丈夫だという保証は無い。

山姥が復讐に来れば、周辺に配している鳩の式神が自動で迎撃するが、そのほかの妖怪に関しては対策をしていない。そのため最悪の場合は、一羽から二羽が死んでしまうこともあるかもしれないが、そのために一樹は最初から複数を飼っている。

野生動物も大抵が多産で、一匹から二匹が生き残れば、子育ては成功なのだ。

手痛い経験は、生き残った八咫烏達の成長に繋がる。それに死んだ八咫烏も霊体として使役するので、失われるわけではない。

だが、そのような陰陽師としての考えは、八咫烏達の母親代わりである蒼依には共感できないのだろう。

蒼依は一樹に対して常になく、一羽の犠牲も認めないという断固たる眼差しを向けてきた。

「分かった。迎えに行こうか」

「はい。直ぐに行きましょう」

一樹が応じると、蒼依は一樹を促すように玄関の扉を開けた。


「さて、どこまで遊びに行っているのやら」

ナタを手にした一樹は、蒼依に連れられる形で、八咫烏が居る方向へと歩み出した。

蒼依の家が所有する山々は、妖怪の領域に属しており、昔から人間が辛うじて住んでいたと認識されている。

人間と妖怪の領域は、条約を結んで国境線が引かれているわけではない。

昔から人と妖怪のどちらも住んできて、互いに犠牲を出しながら、現状に至っている。

そのため妖怪の領域内にポツンと村や家があったり、逆に人間が領域としている地域に、妖怪が住んでいる場所が残っていたりする。

蒼依の家も、妖怪の領域内に人間が橋頭堡を築いている類いなのだと認識されてきた。

実際には山姥の領域だったのだが、蒼依の父親は人間で、そのような者達が一時的にでも所属するために、人間側も判別できなかった。

賀茂親子が居る現在では、名実ともに人間の領域となっているが。


川幅が狭くなっている場所から川を渡り、一樹は山奥へと進んでいく。

「そういえば相川の苗字って、この川から名付けられたのか」

「そうかもしれません。うちは昔から、この山に住んでいますし」

平安時代頃、日本人は庶民も苗字を持っていた。

だが一八〇一年、江戸幕府によって『苗字帯刀の禁令』が出され、苗字・帯刀は武士の特権とされてごく普通の庶民が公称することは出来なくなった。

それ以前から禁止されていたが、制度として禁じられたのである。

かくして取り上げられた苗字だが、一八七五年に明治政府によって『平民苗字必称義務令』が発せられて、平民は苗字を名乗ることが義務付けられた。

その際、苗字を持たなかった家や、かつての苗字を喪失した家は、住んでいる場所の特徴で名前を届け出ることもあり、あるいは命名されることもあった。

杉山に住んでいれば杉山。

山の上に住んでいれば山上。

そのような命名方法によらず名付けられた苗字もあるので、絶対だとは限らないが、苗字を聞けば先祖が何をしていたのか察することが出来る場合もある。

相川家は、山姥と牛鬼が川を挟んで相対していた川から名乗ったのか、それとも人里のほうで合流する川を以て名乗ったのかは不明瞭だが、苗字にある川の由来が相川家の近くを流れる川であろうことは想像できた。

その川を越えて、人間の領域から、妖怪の領域へと入っていく。

川を挟んだ相川家側は山姥の領域で、杉林で食料も豊かではないので、鬼や動物は近寄らない。だが反対側は、人間が踏み入らないので、鬼や野生動物の領域と化していた。


「この獣道って、獣じゃなくて小鬼の通り道じゃないか」

一樹と蒼依が進むのは、人間の子供サイズである小鬼が通り抜けられそうな細道だった。

中学三年生の一樹と蒼依が歩いて進むことは可能だが、時折は枝葉を払わなければならない。

「そうかもしれません。人間は来ませんので」

蒼依の家は、山姥の家だった。

人間は山に入る前に喰われていたであろうから、山に入れるはずもなかった。

「タケノコとか、取り放題だろうな」

「山にあるものは、色々と採れますよ。春にはワラビ、たらの芽、ゼンマイなどが採れて、買うよりも美味しいです。今はヤマモモも採れますし、どこで採れるのか場所も分かっています」

「それは便利だな」

山単位で土地があれば、一家で消費する程度の食材には困らないだろう。

一樹はふと思い付いて、蒼依に尋ねた。

「畑とかは、作っていなかったのか。ジャガイモを育てるのは簡単だと聞くし、ほかにも何でも育てられそうだけど」

山は広くて、相川家の土地だとされている。

色々なものを作れそうだと考えた一樹だったが、蒼依は否定した。

「畑を作ると、小鬼が餌にして増えてしまいます。荒らされて何も残りませんし、増えると川を挟んだうちのほうまで来てしまうので、畑は作れないんです」

「なるほど。あいつ等の餌になるだけか」


妖怪の世界において、小鬼の力は最下層に分類される。

知能が低いので大きな集団は維持できず、分裂して小集団で互いに争い、自然界から得られる餌の量の範囲内で総数を維持している。

増えられるだけ増えて、より強い妖怪の餌にされているのが小鬼だ。

小鬼の分布は世界全土に及び、西洋ではゴブリンと呼ばれて同様に繁栄している。

小鬼とゴブリンは、生物学的には近縁種であって、同一種ではない。

分類体系の属までは同一だが、途中で枝分かれしている。種族的な関係性を人類で表すならば、ヒト属で一〇〇万年ほど前に分化した原人達に相当する。近縁種なのは、中鬼とホブゴブリン、大鬼とオーガも同様だ。

弱い代わりに増えるのが得意な小鬼は、畑を作れば作物を食べ尽くしたうえで、総数を増やしてしまう。それでは畑など作れないと、一樹も納得せざるを得なかった。


妖怪の領域には、様々な妖怪が姿を見せていた。

小鬼などは姿を現さなかったが、それは山姥並の力を持つ蒼依が一緒に居て、小鬼側が勝てないと分かっていたからだろう。

それでも蒼依の手が届かない空では、赤い鳥の妖怪が優雅に飛んでいた。

「あれは、斑猫喰はんみょうくいだな」

「毒が有る鳥ですよね」

一樹が鳥を見て呟くと、蒼依が確認した。

「そうだ。毒蛇や毒虫を食べる鳥の妖怪で、毒を持っている。人間にとっては益鳥だが」

斑猫喰は、人見蕉雨の黒甜瑣語こくてんさご(一八九六年)に記される妖怪で、山鳥ほどの大きさをした赤い鳥だとされる。

福島県の伊達市で古池に身を浮かべていたところを侍が矢で射て捕まえようとしたところ、池に足を踏み入れると死んでしまった。

その侍の骸を回収しようとした者達も、次々と死んでしまった。

生息域は広く、中国では毒鳥のちんとして知られ、ニューギニア島でもピトフーイの名で呼ばれる。

古来では、その毒が暗殺に使われることもあった。

毒の種類は、神経毒ステロイド系アルカロイドのホモバトラコトキシン。

コロンビアのモウドクフキヤガエルなどが持つ毒と同じで、一グラムの毒で一万五〇〇〇人を殺すことが出来る。中国では駆除のために、皇帝が山ごと焼き払い、ヒナを都に持ち帰った男をヒナごと処刑した記録もある。

人を殺すときには役立つだろうが、殺した人間を食べると毒を摂取してしまうので、山姥も使えなかっただろう。

「……アレが居ることは、内緒にしたほうが良いと思うぞ」

一樹は自然豊かすぎる山の生態系の情報について、蒼依に注意喚起した。


豊かすぎる山を歩き続けると、やがて一〇〇メートルほど先に玄武の姿が見えてきた。

玄武は木の枝に留まっており、そこから前方の藪をジッと観察している。

玄武に関しては気が繋がるので気付けた一樹だが、玄武が何を見ているのか迄は分からない。

すると蒼依が、直ぐに状況を理解した。

「藪の中に、イノシシが居ますね」

「イノシシが居るのか」

イノシシは概ね一二月から二月に発情し、四ヵ月間の妊娠期間を経て、四月から六月に出産する。

一度に出産する数は四頭から五頭ほどで、授乳期間は六週間から八週間。七月の今は授乳期間か、それが終わった頃だ。

子供は一年ほどで独立するが、メスは母親と共に小さなグループを形成する場合もある。

一頭のメスが一年で四頭から五頭も生み、雑食で九割方は植物を食べるために、日本中で増え続けている。生息域は広く、南は九州から、北は青森県にまで分布している。農作物を荒らす害獣として知られ、妖怪の餌にもなっている。

数多の妖怪が生息する世界において、限られた人間の農地を荒らし、妖怪まで増やしてしまうイノシシは、明らかな害獣だ。

そのため野生のイノシシは、動物愛護法の愛護動物に指定されておらず、殺しても罰則は無い。だがイノシシは足が速く、警戒心も強いために、人間は猟銃でもなければ倒せない。

相川家の土地にもイノシシは生息しており、蒼依が稀に狩るが、駆除は追い付いていなかった。

「狩りでもしているのか」

巣立ちしたばかりの八咫烏達は、飛ぶのが上手いとは言えず、あまり大きな獲物は運べない。

子供のうり坊を狙って、子供を庇う母親に邪魔されて睨み合っているのだろうと予想した一樹は、八咫烏が帰ってこなかった事情を理解した。

「朱雀なら、火行の術で藪を焼いて、追い立てただろうな。だけど玄武は水行だから、水に濡れても平気なイノシシは、追い立てられなかったのかな」

「玄武は性格も、のんびりしていますからね」


八咫烏達は、木行が青龍、火行が朱雀、金行が白虎、水行が玄武、土行が黄竜の命名だ。

一樹が姿をイメージしながら呪力を送り続けた結果として、五羽の性格も、命名の由来となった五獣に似通っている。

玄武は、亀に蛇が巻き付いた姿で描かれることが多い。

五行では冬を司り、静と動では、明らかに静に属する。

飛び回る朱雀とは対極に、玄武は何日でも構え続けるだろう。

怪我やトラブルではなく、単に狩りをしていただけだと安堵した一樹は、せっかくの狩りを中断するように指示を出すか否かを迷った。

心情的には好きに狩りを続けさせてやりたいが、一晩も戻って来ないのは流石に遅い。呪力を送っているとは言え、生身なので食事も必要だろう。それにまだ生まれて間もない。

悩む一樹を他所に、蒼依は足元から、小さな掌で握れる程度の大きさの石を拾い上げた。

そして一樹を介して、気が繋がる八咫烏達に呼び掛ける。

『青龍、朱雀、白虎、黄竜、こっちにおいで』

『『『『クワッ!』』』』

蒼依の指示を受けた四羽の八咫烏達が、即座に応えた。

各地から蒼依に向かって、飛行を始めたイメージが伝わってくる。

「……何をするんだ」

「イノシシを捕まえて、早く帰ろうと思いまして」

一樹の疑問に答えた蒼依は、一樹を介して八咫烏達にイメージを送った。

それは蒼依が投石で藪からイノシシを追い出して、八咫烏達が術で倒す狩りの光景だった。

────式神同士で、そんなイメージを送れるのか。

数秒の映像は、言葉を尽くして説明するよりも圧倒的に情報量が多くて、相手にも伝わる。

蒼依による藪への投石、イノシシ達が逃げ出す光景、それを五羽が連携しながら術で攻撃する手順などが八咫烏に伝達されて、八咫烏達からも理解した旨の意思が返ってきた。

「……マジか」

一樹が固唾を呑んで見守る中、八咫烏達は続々と集結して、上空を旋回し始めた。

やがて準備が出来たのだろう。

五羽から藪の中を見たイメージが返ってきて、蒼依は手にしていた石を振りかぶり、一〇〇メートル手前から藪に向かって投げ付けた。

投げられたのは単なる石だが、投げたのは女神イザナミの分体にして、大鬼と同じB級中位の力を持つ蒼依だった。

最新のピッチングマシーンから硬球を打ち出すよりも遥かに速く、火山が噴火して岩石が飛んだかのように、硬球よりは小さな石が藪に向かって突き進んでいった。

ズガンと空気を掻き分けて進んだ石は、一〇〇メートル先の藪の中に突っ込んだ。

途端に茂みの中から四匹のうり坊が飛び出して、四方に逃げ出していく。

『『『『『クワアッ!』』』』』

逃げるのを待ち構えていた四羽の八咫烏が、各々が受け持っていた場所に逃げ込んだイノシシ達を五行の術で攻撃した。

呪力を変じた木矢が乱れ飛び、炎が山肌を炙り、鉄屑が上空から叩き付けられ、土塊が土煙を上げていく。

そして玄武は水弾を藪の中に飛ばして、蒼依の投石が倒していた母イノシシを押し出した。

────まさか、投石で倒していたのか。

一〇〇メートル先のイノシシを投石で倒すなど、一樹にとっては目を疑う事態だ。

驚愕する一樹に対して、蒼依は笑顔で答えた。

「主様、イノシシが捕れました」

「……ああ、今夜は猪鍋かな」

若干の間を置いて、一樹は自然に近い笑顔を浮かべて答えた。

一樹が蒼依の狩りを見たのは今回が初めてだったが、まさかこんな強引な狩り方をしているとは、想像だにしなかった。イメージしていたのは、罠を仕掛けて獲る方法だったのだ。

だがイノシシの調理に関しては、見たことがある。

山姥の家には、イノシシを煮られるくらいに大きな鍋がある。イノシシを熱湯で煮ると、皮が削ぎやすくなって、解体がし易いのだ。熱した後に、包丁で皮を削ぎ落としていた。

一樹は蒼依がイノシシの頭を落とす光景や、腹を切り開いて股関節を割り、豪快に解体する光景も見ている。解体して業務用の冷凍庫に入れて、料理に使っていた。

猪鍋は、猪肉と骨、大根を入れて圧力鍋で煮る。

料理は上手いのだが、食材の調達は豪快である。

「それでは早く持って帰りましょう。この場で血抜きをすると、蝿が寄ってきますから」

母イノシシの傍に寄った蒼依は、自分の体重よりも重そうなイノシシの足を掴んで背負い込んだ。そしてブラブラと揺れるイノシシを背に帰路へ就く。

『みんな、帰るよ』

『『『『『クワアッ!』』』』』

蒼依から狩りの終了と帰宅を指示された八咫烏達が、次々と翼を翻した。そして一樹と蒼依の頭上を旋回しながら、ゆっくりと付いてくる。

その中には玄武の姿もあって、集団で大きな獲物を狩れたことから、うり坊を逃がしたことは、割り切ったらしくあった。

「術は、試験までに要練習だな。動きが遅い小鬼でも狩らせるか」

猪を狩るのが初めてだった八咫烏達は、高速で逃げる小さな標的に向かって、上空から術を当てるのは難しかったのだろう。

蒼依の豪快な狩りから目を背けつつ、一樹は八咫烏達の教育方針を考えた。