第七話 賀茂一樹陰陽師事務所
「地獄へ道連れにされなかったのは、幸いでした」
絡新婦の巣を襲撃してから、三日が経った。
大学附属病院に運ばれた沙羅は、右手の肘から先と、左足の膝から先を失ったものの、一命は取り留めた。
普通の人間であれば死んでいただろうが、沙羅は鬼神と大天狗の子孫だ。
一樹が与えた莫大な神気を取り込んで、生命力に変えられた結果として、命を繋ぐことが出来た。
「片手と片足が残っただけでも、良かったと思いたいです」
右手と左足は、A級下位の妖力を持つ絡新婦の妖毒に侵されていた。
絡新婦が妖力を変じて作る神経毒は、獲物を麻痺させたり、殺したりする効果がある。その毒は、妖力が強いほど毒の効果が高くて、獲物は呪力が低いほど抵抗できない。
A級下位の絡新婦が生み出す毒の力は、五鬼童が持ち込んだ仙薬の効果を上回り、C級上位だった沙羅の抵抗力を軽々と突破して、右手と左足を侵食した。
一樹が到着して解毒した時点で、既に切断は不可避だった。
右手と左足の欠損について、沙羅はもっと悪い状況を想像して、それよりはマシだと考えようとしていた。
両手を失うだとか、脊椎を損傷して身体が動かなくなるだとか、地獄に堕ちるだとかに比べればマシだと考えて、心を保とうとしていた。
決して割り切ったり、受け入れたりは出来ていない。
一五歳の少女にとっては、あまりに過酷な状態だろう。
一五歳未満には陰陽師の資格を与えない協会の方針について、一樹は正しさを痛感した。もう少し幼ければ、沙羅のように考えることすら出来ないだろう。
返す言葉に悩んだ一樹は、一先ず現状の沙羅を肯定した。
「身体の状態について色々考えるだろうが、それでも沙羅は俺の役に立つ。俺が作る陰陽師事務所の事務員とか、色々と考えている。俺には秘密があるから、金を積まれても絶対に裏切らない人間が欲しいと思っていた」
五鬼童は、役行者との約束を一三〇〇年以上も守り続けてきた一族だ。
そんな五鬼童家の沙羅は、『助けていただけましたら、延びた命で、最大限にお支払いします』と、一樹に約束している。
一樹の莫大な力は、傍に居れば居るほど違和感を覚える類いだが、今の沙羅であれば死んでも口を割らないだろう。
「延びた分の命で、A級妖怪から救出した依頼料を払ってくれる話だったよな。だったら残りの人生は、俺が貰えるはずだ。高校に入れば事務所を作るから、俺を手伝ってくれ」
一樹が同情で口にしていることは、精神的に参っている沙羅にも理解できた。
五体満足であれば、延命分で納得できるだけの貢献を行えた。だが利き腕と片足を失っては、陰陽師に期待される仕事で貢献できない。
陰陽師の知識が必要な電話番などは、国家試験に落ちるレベルでも、慣れれば出来るだろう。会計などの事務仕事であれば、両手がある一般人のほうが有利なはずだ。
故に沙羅は、自身が手伝うどころか、一樹の足手纏いになる不安を抱いた。
「最大限のお支払いはしますが、一樹さんの事務所の事務仕事でA級の緊急依頼料を支払えるほど貢献できるとは思えません。ですが、ご連絡せずに勝手に死ぬことは無いとお約束します」
つまり連絡してから命を絶つことは、否定していないわけだ。
巨大な負の感情に囚われる沙羅に、一樹は思わず溜息を吐いた。
「分かった。それなら内心を二つ話す。それで納得できるか試してくれ」
「お伺いします。寝ているしか出来ないので、時間だけは有りますから」
一樹は沙羅を死なせないために、渋々と、立派ならざる言葉を口にした。
「俺は陰陽師の仕事で稼げるようになったから、身に余る大金は求めていない。それよりも、同学年の可愛い女の子が恩を返してくれることに期待している。ぜひ払ってくれ、というのが一つ」
一つ目の吐露に対して、沙羅は軽蔑も失望もせず、むしろ失った手足を残念そうに眺めてから尋ねた。
「お役に立てれば良いのですけれど。それで、二つ目は何でしょうか」
やはり根本的な解決を要する。
一樹は沙羅が命を絶たないように、可能性を示した。
「もう一つ、俺は式神使いだ。怪我を治せそうな妖怪を探して、使役する。今のうちに沙羅を先物買いして、式神で治療して、後で得をしたいと企んでいる。以上だ」
一樹が説明を終えると、言葉の意味を反芻した沙羅が、恐る恐る口を開く。
「そんな妖怪、いましたっけ」
人体の治癒は、とても難しい。
西洋では『天使ラジエルの書』に治癒護符の作り方が記されており、日本では『休息万命急急如律令』と書かれた御札などには咳止めの効果があるが、人体の再生は出来ない。
カラドリオスという神鳥は多少の病を治せるが、傷に関しては不可能だ。
だが一樹には、アテがあった。
「ダメ元で、試してみても良いだろう。失敗しても、うちの事務所で引き取る計画に変更はない。それで、どうだ。限定一品限りの沙羅は、俺に売ってもらえるか」
今の沙羅が五鬼童に残っても、動ける双子の紫苑を見て辛い思いをするだけだ。それならば一樹の事務所で引き取ったほうが良い。
恩義を返すという目的意識を持てるし、誰かに必要だと求められたのならば、自分の存在意義を肯定できる。
はたして沙羅は、少し間を置いてから答えた。
「今のところ商品に欠損がありますけれど、それでもよろしければ、お売りするに吝かではございません。生憎と取扱説明書が無いので、その都度ご説明になりますが、それでもよろしいでしょうか」
「それで良い。買った」
「それでは、お売りしますね。お買い上げ、ありがとうございます。父と母に説明しますので、何日かお時間を下さい。父も入院していますし、お互いに動けないですから」
今回の作戦では、沢山の死傷者が出ている。
討伐目標と定めた母蜘蛛二体と、子蜘蛛六体を討伐して、依頼には成功した。
それと引き替えに受けた陰陽師の被害は、大元の依頼受託者である春日弥生と、春日家長男の一義が、陰陽師を引退するレベルの後遺症を負っている。
沙羅の父である義輔も、ランクが下がる後遺症こそ負わなかったものの、現在も重傷で入院中だ。そのほかは中程度以下の負傷で、参加した陰陽師は大打撃を受けている。
一樹が参戦しなければ、東側は全滅していた。
西側は義一郎だけであれば逃げ切れたが、自衛隊は壊滅していただろう。
結論として、今回の依頼は見積もり間違いで、報酬に全く見合わなかった。
依頼料を二〇億円にしたのは、春日家の大失態である。
結果から算出するのであれば、金額は一桁上にして、複数のA級陰陽師を投入すべきだった。現場で総指揮を執ったのは五鬼童当主であり、春日家だけに責を負わせる話でもないが。
「回復できる妖怪を捕まえてくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
一樹が受けた追加依頼は、沙羅を助けることである。
現状で「助けた」と称すには微妙であり、一樹は仕事の完遂を目指した。
◇◇◇◇◇◇
「
仕事の完遂として沙羅を治すべく一樹が選んだ妖怪は、鎌鼬だった。
鎌鼬とは、日本のほかに中国でも翼の生えた虎の姿で現れる妖怪である。
凶悪性は千差万別で、一番恐ろしいのは中国で四凶に数えられる
関東、東海、関西、四国などでも鎌鼬の伝承は様々にあって、いずれも人を襲う存在である。
だが美濃や飛騨の山間部では、一風変わった鎌鼬が出る。
岐阜県に出る鎌鼬は、三柱の神だとされている。
日本には八百万の神が居て、物にまで付喪神が宿る。
力は千差万別で、日本の鎌鼬は、神と讃える程の戦闘力は持たない神だと考えられている。ただし鎌鼬は、戦闘力ではなく特性に、特筆すべき点がある。
岐阜県の鎌鼬は、一柱目が相手を転ばせ、二柱目が相手を斬り付け、三柱目が傷を治癒する。その中でも三柱目の治癒は非常に強く、二柱目の傷を癒やして痛みを消し、血も止める。
治癒できる鎌鼬が欲しかった一樹は、岐阜県で確認された鎌鼬の発生場所をインターネットで調べて、丹生川ダム上流の天端まで赴いた。
「そろそろかな」
インターネットが無い時代であれば、地道に探し歩くしか無かった。
だが現代では、ネットを使える数千万人が調査員のようなものだ。
一樹は情報が集中する地点で、鎌鼬が出るまで、幾度も右岸と左岸を往復し続けた。そして習性を把握されているとは知らない鎌鼬は、ノコノコとやってきた獲物に対して、簡単に釣られた。
「どわぁっ!?」
一樹は突然足を打たれて、声を上げて転ばされた……振りをした。
さらに転んだところを斬り裂かれて、左上腕から真っ赤な鮮血が噴き出す。
痛みに顔を歪ませた一樹は、三神目の鎌鼬が薬を塗ろうと近付いたところを、絡新婦の妖糸が纏わりついた右手で手掴みした。
「おまえだっ!」
三柱目の鎌鼬は神薬をぶちまけながら、一樹に捕まって暴れはじめた。
すると一樹を転ばせた上の兄神と、斬った下の弟神が怒り、戻って威嚇した。
「「キッキッキッ!」」
何を言っているのか全く分からないが、おそらくは離せと訴えているのだろう。
もちろん離す気など無い一樹は、威嚇する兄神と弟神に向かって、あからさまな挑発を行った。
「鎌鼬、めかかう」(かまいたち、あっかんべー)
舌を出した一樹は、さらに白目を剥いて馬鹿っぽい表情を作った。
舌を出すのと同時に首も動かして、舌をベロベロと振って見せる。さらに妹神を右手で掴みながら、軽くステップして、その場で小躍りした。
「めっかっかー、めっかっかー」
一樹は謎の呪文を唱えながら、妹神を掴んで不思議な踊りを始めた。
すると
「「キュキュキュキュキュッ!」」
頭に血が上った鎌鼬達は、再び一樹を転ばせて、斬り付けようとした。
そして一樹に肉薄した刹那、足元の影から投げ付けられた妖糸の網に、突っ込んだ身体が絡め取られた。
鎌鼬に絡み付いていく妖糸には、一樹から莫大な呪力が送られている。
一樹が抱え込んだ妹神を含めた三柱は、止め処なく生み出される妖糸に、絡み取られていった。
「はいはい、ごめんね」
妖糸を投げ付けたのは、一樹が使役する水仙だ。水仙の力はB級下位で、鎌鼬は一柱がC級上位だ。三柱では水仙を上回るが、水仙は一樹から莫大な気を送られている。
雁字搦めにされた三柱を引き寄せた一樹は、伏せていた陣を起こして、使役を試みた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、神たる汝ら三体を陰陽の陰と為し、我が気を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝ら、この理に従いて我が式神と成れ。急急如律令』
陰陽道系の式神術は、鬼神・神霊を呪力と術で使役する。
すなわち神たる鎌鼬は、式神術によって使役できる対象となる。
普通の人間であれば呪力が足りないが、一樹には莫大な陽気と、地蔵菩薩の神気がある。そして神たる鎌鼬に神気を与えられるのだから、神性を損なわずに使役できる。
一樹は神気を送りながら、手元の鎌鼬に呼び掛け続けた。
『お前達が捕まったのは、いきなり殴り付けて、斬り付けたからだ。攻撃すれば、反撃されるのは当然だ。世の理、自然の摂理に従い、我に降れ』
妹神だけは、全く悪くない。
不良な兄神達の後ろを付いて行き、兄神達が怪我をさせた相手の手当てをして回っているだけだ。人語を話せれば、謝罪の言葉すら口にしたに違いない。
だが一樹は、その点を意図的に無視した。
一樹と縛られた鎌鼬三柱との攻防は、およそ一刻も続けられた。
最初に諦めたのは、三柱で唯一悪くない妹神だった。妹神が一樹に降ったことで、一樹には鎌鼬の言葉が伝わってきた。
『だから悪いことをしたら駄目だって、言っていたでしょう。いつも、いつも、いつも、あたしが傷を治して来たけれど、今日こそは、本当に怒ったんだから。これ以上は、絶対に付き合えないから、早く式神に降って!』
妹神は、兄神達に対する説得に加わっているらしかった。
『力を試したかった。反省はしていないが、負けたからには従ってやろう』
『鎌が有れば、使うだろう。俺も悪くない。使役させてやるから斬らせろ』
『いいから、早く、こっちに来て!』
二柱の容疑者達は、警察が発表出来なさそうな、反省が皆無の主張を述べた。その後、妹神に厳しい口調で指示されて、渋々と一樹の影に入って来た。
それを見届けた妹神は、兄神達に呆れた眼差しを向けた後、二柱を追いかけて一樹の影に入っていった。
鎌鼬は一柱目が転ばせて、二柱目が斬って、三柱目が治す。
一樹は使役によってB級下位に上がった三柱に神気を継ぎ足し、
その後は八咫烏達に小鬼を捕まえて来させ、水仙に切断させて、鎌鼬に治癒させる実験を何度も繰り返した。
これは決して遊びではなく、沙羅を確実に治療するために不可避の行為だった。鬼を使ったのは、沙羅が鬼神の血も引くからである。
その後は、一樹自身の身体を使って実験した。
神である鎌鼬を使役して再生する人間などおらず、小鬼で試したから斬り落として再生させると言っても、沙羅は恐怖を感じるだろう。
一樹も自身のことであれば構わないと考えても、蒼依に行うと聞かされれば、頭から信じたりは出来ない。であれば一樹と同様に、五鬼童家も受け入れがたいに違いない。
だが治療すると言っている人間が、自分の身体を斬って再生してみせればどうだろうか。
術者が、絶対に成功する確信を以て行っている証明になる。
一樹自身、成功すると確信しなければやる気はないし、であれば自分で実験するのは不可避だ。
大焦熱地獄を経験している一樹は、痛みに対する感情など振り切れている。それに水仙が麻痺毒を使えるために、痛みを消すことも出来る。だが痛くなくても、失敗して手が無くなっては活動に困るため、最初は小指の腹だけを斬らせて神治に再生させた。
「……キュイ」
神治は心配そうな顔をしながら、丁寧に指を治してくれた。
指の肉は、しっかりと再生した。
「大丈夫そうだな。次は骨を含めて試すが……水仙、俺の肉を食ってみろ」
斬り落とされた身体の一部を指し示した一樹に対して、水仙は怪訝な表情を浮かべた。
「別に良いけど、どうしてかな」
意図を問う水仙に対して、一樹は説明せずに目線で行動を促す。
水仙は渋々と一樹の肉を口にした。
そして身体に生じた変化に対して、驚愕に目を見開いた。
「…………何、コレ」
一樹の知覚では、肉を食べた水仙の力が多少上がった。
修行していても、少しずつ上がる力の上昇を知覚したりはしない。それが一樹の肉を食べただけで、僅かなりとも上がったことが明確に感じられたのだ。
「俺の肉を食べれば妖怪が強くなるのは、事実だったらしいな」
一樹は、輪廻転生前に閻魔大王から告げられた『お前に染みついた穢れは、魔性の存在や妖怪変化を強大化させるが故に、穢れに気付いた者達からは狙われる』との言葉について、これまで注意して生きてきた。
穢れは陽気で抑えられているが、妖怪には一口も喰われないように立ち回っていた。
そして絶対服従の式神を得て、A級に至ってもほかの妖怪を食べると約した水仙を使い、本当に強化されるのかを試したのだ。
「水仙、お前がしっかりと働いて、俺を守り切れば、いつかお前をA級に至らせてやる。理想は、お前が前鬼・後鬼のような存在になることだ。役小角も、賀茂の一族だったしな」
一樹が告げると、水仙は捕食者の瞳を向けながら一樹に答えた。
「働きを求めるなら、報酬が必要だよ。ボクは、報酬に釣り合う分の仕事はしても良いよ」
「良いだろう。お前が釣り合うと思う仕事をしろ」
「交渉成立だね。ボクのご主人様」
納得した水仙は、一樹に対して
◇◇◇◇◇◇
一樹が沙羅の入院する病院を再訪問したのは、鎌鼬達の使役から一週間後だった。
一樹は五鬼童当主の義一郎に依頼して、病院の敷地外にトラックを駐車させ、そこに沙羅を車椅子で運び込んでもらった。
立会人は、義一郎と沙羅の両親である。
「失敗したらどうなる」
自らも重傷を負う義輔が、同じく車椅子から質した。
手足を失って自殺を選びかねなかった娘に対して、さらに手足を斬るのだから、一樹が失敗した場合を懸念するのは当然だ。
予想していた質問に対して、一樹は自らの左手を義輔に見せて答えた。
「水仙、俺の小指を斬れ。鎌鼬、その後に治せ」
「はいはい、麻痺毒を塗りまーす。抵抗を弱めてね」
一樹が強張った表情で指示すると、一樹の影から現れた水仙が小指に触れて麻痺毒を塗り、その後に妖糸を巻き付けて、一樹の指を中節骨から切断した。
歯医者で、麻酔を打たれた後に歯を削られたような痛みが響く。神気によって、一樹は麻痺の効きが悪かったのだ。それを殆ど顔に出さずに耐えた直後、三柱の鎌鼬が現れた。
そして直ぐさま一樹を倒し、斬られた左手の小指をさらに深い基節骨から斬り落として、莫大な神気を変換して生み出した神薬を塗りつけた。すると一樹の斬られた左小指が、鎌鼬に送られる神気と神薬で再生した。
溜息を吐くと、一樹は斬られた小指を回収した水仙に告げた。
「しっかりやれよ」
「もちろんボクの最善を尽くすよ」
小指を飲み込む水仙を見届けた一樹は、義輔に説明した。
「このように、自分の身を使って証明するくらいには、治せる確信があります。ですが治療を先送りすると、気の巡りが右手と左足の欠損で定着して、治せなくなります。そして私と沙羅さんは、治療内容で合意しています」
一樹から言外に「邪魔するな」と告げられた義輔は、沙羅の瞳に宿る意思を確認した後、念を押した。
「失敗したとき、お前が一生の責任を取るならやれ」
これで「失敗するかも知れない」と不安を見せるのであれば、改めて質さなければならない。
険しい表情を浮かべた義輔に対して、一樹はハッキリと言い返した。
「分かりました。それでは治療しますので、以降は口出し無用に願います」
五鬼童一族が注視する中、一樹は水仙に指示を出して、沙羅の右手と左足に麻痺毒を塗り始めた。
次いで一樹は、三人の大人に依頼する。
「治療で回復するには、大量の特別な気が必要になります。これから沙羅さんに俺の気を送るのですが、その間だけ、後ろを向いてもらえませんか」
「なぜだ」
僅かに逡巡した一樹は、ハッキリと口にした。
「人工呼吸みたいなことをしますので」
車椅子に乗る義輔が、思わず呻った。すると沙羅と、沙羅の母親が、同時に義輔を睨み返した。さらに義一郎も加勢して、義輔の肩に手を置いて押さえ込む。
「治療として明確な必要があり、お前は責任を取るならやれと言い、彼も応じた。ならばお前は、黙って後ろを向いていろ」
眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せる義輔は、苛立ちながらも押し黙った。
大人達が後ろを向いたのを確認した一樹は、沙羅に顔を近づける。
沙羅は一樹に微笑み、静かに目を瞑った。
◇◇◇◇◇◇
夏に大金を稼いだ一樹は、陰陽師としての活動を休止した。
中学三年生の二学期に入り、受験が差し迫ってきたためである。
『式神使いが式神を使うのは、自身が持つ力の内だ』
その様に一樹が考えたのは、式神化した絡新婦の霊体である水仙の学力が、想像以上に高かったからだ。
水仙に学力テストを受けさせたところ、全教科の平均が九九点を超えた。
『英語九八点、数学一〇〇点、国語九八点、理科一〇〇点、社会一〇〇点』
普段の平均点から掛け離れた一樹は、もちろんカンニングを疑われた。
だが一樹だけが個別に受けさせられた再テストで、やはり同等の点数を取った結果、無罪放免となっている。
死んで霊体化している水仙は、呪力を用いて顕現しなければ姿が現れない。
教師には見えない水仙を使役する一樹は、自身の成績が水仙の学力と連動するようになった。
日本の法律では、式神が何らかの損害を出せば、術者が賠償責任を負う。
式神使いが式神を使う場合、式神が起こす事象の全てが、式神使いの力とみなされる。故に式神の水仙に試験問題を解かせても、式神使いである一樹の力で解いたことになる。
一樹は強引に、水仙に試験問題を解かせるのは自分の力とした。
なぜ絡新婦の知能は、人間よりも高いのか。
それは愚かな絡新婦が、自然淘汰されてきたからだと考えられる。
人化して人間社会に紛れ込み、捕食と繁殖を続けてきた絡新婦達は、人より賢くなければ発見されて、殺されてきた。
人が見分けられないほど優れた人化の術と、人間社会に溶け込む知能を持った個体のみが子孫を残してきた結果として、絡新婦は人間よりも賢くなったのだ。
優れた血統と知能を持つ水仙は、かつて自称したとおり成績が良かった。一樹が教科書や問題集を渡して勉強させたところ、学力はさらに向上した。
そして式神の水仙を引き連れた一樹は、花咲高校の受験に臨んだ。
『問六の答えは、三番だよ』
霊体の水仙が問題を解いて、呪力の繋がる一樹に答えを教えた。
マークシート式の答案用紙が丁寧に埋められる間、さらに次の問題を解いた水仙が、新たな解答を告げる。
『問七の答えは、二番』
自身の学力で受験したほうが、その後の高校生活は楽だろう。
だが成績の良い蒼依は、式神であるが故に、一樹と同じ高校に進学する。蒼依に不利益を与えないために、一樹は水仙を用いる決断を下したのだ。
受験した花咲学園高等学校は、「枯れ木に花を咲かせましょう」で有名な『花咲か爺さん』の子孫である旧花咲財閥の経営者が、社会貢献目的で建てた高校だ。
花咲家は代々の犬神使いで、現当主はA級陰陽師でもある。
豊富な資金力で作られた花咲学園には、大学もある。高校と大学が同じ敷地内に併設されており、施設や活動の一部は共有される。
大学の施設を使えるため、高校生に与えられる教育環境は、国内最高峰。
花咲大学への内部進学も可能であるため、近隣の偏差値が高い中学生には、私立の花咲高校と公立高校とを併願して、受かれば花咲高校に入学する者も多い。
『問八の答えは、一番』
水仙の伝達は、同じく式神で、一樹と呪力で繋がる蒼依にも届いている。
花咲高校は、成績順でクラスが分かれてしまう。そのため蒼依と同じクラスになるべく、一樹は成績を揃えようと考えた。
一樹は『式神使いが式神を使うのは、自身が持つ力の内だ』と開き直った。
そして水仙に問題を解かせて、同じく式神の蒼依にも伝えさせ、高校受験を乗り切った。
◇◇◇◇◇◇
「一樹さん、蒼依さん、合格おめでとうございます」
二月中旬、ウェブサイトで合格発表があり、一樹と蒼依は花咲高校に受かった。
第一志望であったため、公立高校の出願は行わずに高校受験は終了となる。卒業式以外では中学校に行かなくて良いため、一樹は一足早い春休みに突入した。
そしてTwittorで高校合格と、陰陽師の活動再開の報告を載せて、賀茂一樹陰陽師事務所の立ち上げも報告したところ、翌日には沙羅が来た。
蒼依の家は、一階部分を一樹が事務所として借り受けている。
蒼依の家は二世帯住宅で、二階には蒼依と両親が住み、一階には蒼依の両親を殺した祖母の山姥が住んでいた。
一階は嫌いだが、二階には両親との思い出があるため、家は捨てられない。
そのため祖母から解放してくれて、人間としての道も示してくれた一樹が一階を塗り替えてくれるのであれば、蒼依にとっては歓迎する話だった。
蒼依は一樹に対して、一階は自由に変えてほしいと伝えた。そして蒼依の心情に鑑みた一樹も、施工業者に依頼して、敢えて大きく改装した。
そんな事務所の応接間に沙羅を通したところ、蒼依に菓子折を渡した沙羅は、花咲高校の受験番号を見せて報告した。
「私も花咲高校の進学コースに受かりましたので、高校からはご一緒できます。事務所をお手伝いしますので、よろしくお願いします」
椅子から立ち上がった沙羅は、一樹と蒼依に向かって深くお辞儀をした。
沙羅に受験先や受験番号を伝えたのは、一樹自身だ。
高校に入ったら事務所を開所して、沙羅に手伝ってもらうと告げていたため、予定を伝えたのだ。すると沙羅も当然のように、花咲高校を受験した。
事務所に人を雇うことについて、蒼依は特に反対していない。
沙羅は国家資格を持つ陰陽師で、知識もコネもある。天狗の翼で空も飛べる。
いざというとき、一樹を抱えて飛んで逃げられる可能性があるのだ。
一樹が女性を雇うことに、蒼依は嫉妬が皆無なわけではない。
だが危険な仕事をする一樹は、沙羅が居なくて命を落とす可能性もある。そんなことになれば生きていられないため、蒼依は沙羅を受け入れた。
「こちらこそ、よろしく頼む。成績順でクラスが分かれるそうだが、沙羅なら、水仙を使った俺と同じクラスになりそうだな」
一三〇〇年以上も続く陰陽大家の五鬼童家は、少なからぬ資産を持つ。
B級陰陽師に対するC級妖怪の調伏は、相場が一億円にもなる。
先だっては失敗したが、普段の五鬼童は分家でも億単位を楽に稼げるため、教科ごとの家庭教師を雇うのは造作もない話だ。花咲高校は田舎で、ほかの都道府県から高成績者が押し寄せるわけでもない。沙羅にとって花咲高校の受験は、難関では無かった。
高校で同じクラスになる光景を想像した沙羅は、はにかんだ。
「それで蒼依さんにご相談なのですが、家賃をお支払いしますので、一樹さんが事務所として使う一階の客室の一つに、所員の私を住み込みさせていただけませんでしょうか」
「どうして、そうなるのですか?」
沙羅に請われた蒼依は固まり、間を置いて質した。
両親を殺した山姥の住処であった一階は、一樹の事務所として、本当に好きにしてくれて良いと考えていた。
一樹が一階で蕎麦屋を始めるのであれば、蒼依は苦笑しながらも、従業員として接客を手伝うだろう。だが沙羅が住み込みをする話には、蒼依は頷けなかった。
「恩義を返すために、なるべくお側に居たいと思いまして」
「助けられた五鬼童家全体で、依頼料を支払えば良いのではありませんか」
家主の蒼依は許可を出さず、五鬼童家で報酬を支払う対案を提示した。
それに対して沙羅は、勿論引き下がらない。
「依頼人は私個人でしたから、五鬼童家は関係ありません。近くに賃貸マンションでもあれば良いのですが、山と民家ばかりで……事務所に住み込みをさせていただけたら助かります」
沙羅が主張するとおり、追加依頼を行ったのは沙羅個人で間違いない。
ほかの五鬼童家や春日家とは契約を結んでおらず、一樹が報酬を要求する権利は無い。契約していないのに料金を取るのは、おかしな話だ。
もちろん沙羅が要求すれば、五鬼童と春日は直ぐに報酬を払うだろう。
援護が無くとも逃げられた義一郎は別として、東側を攻めた沙羅を除く七名は、沙羅の追加依頼で命を救われている。
そんな沙羅であればこそ、一族に対して無理を押し通せる。
沙羅が五鬼童の陰陽師でありながら、一樹のところへ来られた所以だ。
頷かない蒼依に対して、沙羅は思い切った提案を行った。
「住み込みで恩義を返せないのでしたら、不足分は別の返し方にしましょうか」
「別の返し方って、何ですか」
条件付きで引いて見せた沙羅に対して、蒼依は訝しみながら尋ねた。
「一樹さんは、『俺は身に余る大金は求めていない。それよりも、同学年の可愛い女の子が恩を返してくれることに期待している。ぜひ払ってくれ』と仰られました。私は、そちらでも大丈夫ですよ」
沙羅が上目遣いで微笑み、襟元に右手を添える。
すると蒼依は椅子から立ち上がり、山姥を彷彿とさせる般若の笑顔で答えた。
「人助けで励ますために、所員として誘ったって聞きました。沙羅さんは、一階の客室にどうぞ。事務所で沢山働いて、恩を返してください。わたしと主様は、二人で二階に住みます。二階は立ち入り禁止ですっ!」
「はい、ありがとうございます」
上下関係は、水仙のときとは異なり、明確には定まらなかった。
蒼依に笑み返した沙羅の足元で、猫太郎が大きなあくびをする。
かくして賀茂一樹陰陽師事務所は、従業員二名と共に始動したのであった。