上下関係が、定まったらしくあった。
────強さも異なるからな。
現在の蒼依の力はB級中位で、水仙はB級下位だ。
両者は一樹から莫大な気を与えられる同士だが、元々の種族差がある。山の女神である山姫が、絡新婦を上回るわけだ。
水仙をわからせた蒼依は、天沼矛を収めた。
張り詰めた空気が弛緩していくと、一樹は蒼依に恐る恐る報告した。
「これから五鬼童に、水仙を連れて報告しに行く。先に毒塗れの服を着替えるから、水仙はそこで待っていろ」
「ボクは着替えに一緒でも気にしない……けど、良い子で待ってまーす」
蒼依に一睨みされた水仙は、即座に表明を撤回した。
それを確認した一樹は、ようやく着替えのために部屋へと向かった。そして、すぐに着替え終わった一樹は、説明のために指揮用のコテージに移動した。
「水仙、お前のほかにコテージを監視している奴は、居ないんだな」
「うん、ここはボクの担当だよ。ボク達には、テリトリーがあるからね」
式神となった水仙からもたらされる情報について、一樹は概ね信用した。
式神使いの一樹は、式神の水仙を呪力と術で縛っている。使役者からの明確な問いかけに対して、術で縛られる式神が真逆の嘘を吐くことは出来ない。
もちろん呪力や術が不充分であれば、効果が不完全になる。
自身の呪力に見合わない妖怪を従えようとしたり、術が未熟だったりすると、式神は上手く制御できない。
だが、一樹の呪力は莫大だ。
大焦熱地獄で魂に染み込んだ穢れを充分に抑え込める陽気、そして同量となる地蔵菩薩の神気。
それらを以て、絡新婦の一匹すら縛れないなど、有り得ない話だ。
式神術も、手順と意味を理解した上で行使している。
故に一樹は、水仙を完全に従えた確信を持つ。
そしてコテージに赴き、集まった陰陽師達と自衛官の前で、水仙に説明を行わせた。
もっとも一樹の依頼人は沙羅であるため、あくまで沙羅に報告する形を取ったが。
「私の依頼人である、沙羅お嬢様に報告致します。コテージを監視していた絡新婦一体を殺し、式神化しました。術は完全に及んでおり、嘘は吐かれません。まずは情報を話させようと思いますが、よろしいでしょうか」
「それで良い」
A級陰陽師の義一郎が指示したが、一樹は一瞥のみで、沙羅の指示を待った。
一樹は言葉と態度で、自身の依頼人が沙羅であると示したのだ。それを頷いて肯定した沙羅は、義一郎の指示を追認した。
「式神化した絡新婦に、情報を話させてください」
「畏まりました。水仙、白神山地に居る絡新婦の強さと数を教えろ。地図に書き込んで良い」
一樹がテーブルに広げられた白神山地の地図を指すと、水仙はペンを取って、書き込んだ。
まずは、白神山地の西側にある十二湖側に一つ、東側にある高倉森に一つ。
合計二ヵ所に、大きな丸が書かれた。
「一番強い伯母さんが西、二番目のお母さんが東に巣を持っていて、前の陰陽師と自衛隊を倒したのも二人だよ」
次いで水仙は、青森県の鰺ヶ沢町、深浦町、西目屋村、秋田県の能代市、藤里町、三種町、八峰町に一つずつ、合計七つの丸を書いた。
「これはボクと、姉妹や従姉妹達の縄張り。今は皆、伯母さんとお母さんの所に、戻って来ているけどね」
集まった陰陽師と自衛隊員の面々が、水仙の情報に息を呑んだ。
ボスが二体いるなど、想定していなかったのだ。
そんな彼らに構わず、一樹は新たな疑問を質した。
「お前達は、協力するのか」
「うん。女郎蜘蛛って、卵から沢山生まれて、小さい頃は集団生活を送って、大きくなったら独立するでしょ。それなのに、どうして協力しないと思うの」
言われてみれば、至極尤もだ。
妖怪達の集団戦法に驚いた一樹だったが、女郎蜘蛛の生態と同じであると聞いて納得した。
「親の二人と牛鬼を比べれば、どちらが強い」
「ボクは伯母さんとも、お母さんとも戦ったことがないから断言できないけれど、二人とも牛鬼に勝てそうな気がする」
一樹の牛鬼は、B級上位の強さを持つ。そして一樹の気を介して繋がりを持った水仙は、牛鬼の正確な力を理解している。
その水仙が、「牛鬼に勝てそう」と判断した絡新婦二体は、最低でもB級上位、おそらくはA級の力を有していると思われた。
だが絡新婦は、本来はC級妖怪だ。
捕食する獲物は、人間や小鬼、強くてもD級の中鬼程度。
B級の大鬼などは、絡新婦の身体には大きすぎて、狩っても食べられない。
そのため絡新婦は、食性によってC級の強さに進化した。
長く生きた特殊個体であればB級に届くが、A級の強さは生物学的に有り得ないのである。
「どうして、そんなに強いんだ」
「お爺さんが大魔だからかな」
「……大魔か」
大魔とは、A級に分類される上級の悪魔・魔族だ。
魔王や魔族は日本に居ないと思われがちだが、それは誤解である。
宮城県と山形県の境にある船形山。
その伝説を記した書物『船形山手引草』によれば、神武天皇から数代後、
貪多利魔王は、金剛山の金剛神を退けた。
そのほかにも、不動明王と戦った烈風魔王、毘沙門天と戦った荒ラ獅子魔王、摩利支天と戦った天竜魔王らがいる。
神仏と悪魔邪神との戦いでは、貪多利魔王を除く三体の魔王が逃げ延びた。
配下の一部も逃げており、それらと子孫が日本に土着した現在の魔王と魔族だ。
A級の大魔は、B級の大鬼に勝る存在だ。不動明王や毘沙門天、摩利支天らと戦って生き延びた魔王達の配下であり、尋常の存在ではない。
その力を受け継いだ絡新婦ならば、A級に届く力を有しても不思議はないと、一樹は理解した。
「連携するB級上位の絡新婦、捨て置けんな」
義輔は、絡新婦をB級上位と見積もった。
B級の絡新婦が二体いると聞いて、実質C級陰陽師と自衛隊員一〇〇名の犠牲について、納得してしまったようである。
絡新婦はC級で、特殊個体がB級になるのは常識だ。
血は薄れるため、親が大魔だからといって娘が大魔になるとは限らない。
だが今まで確認されていないからと言って、存在しないとは限らない。
根拠はないが、一樹は絡新婦の脅威度をA級ではないかと疑った。
そして危険性を訴えるべく、水仙を質した。
「お前達は、糸に毒を塗ったりするのだよな」
「うん。妖気を神経毒に変換して、獲物を麻痺させたり、殺したりするんだけど、ダーリンには効かなかったよね」
一樹に毒が効かなかったのは、対抗できる陽気が莫大で、万病熱病平癒の力を持つ観音菩薩の神気も持つからだ。
平安時代の今昔物語にも、地蔵菩薩による平癒は記される。
一樹の訴えは、一樹自身が無事だったことから効果に乏しかった。
「我らには、毒に対応できる天狗の仙薬がある」
あまり良くない気がした一樹は、水仙に自ら危険性を説明させた。
「水仙、絡新婦と戦う際、人間側の注意点は何だ」
すると水仙は、恐ろしいことを口走った。
「自衛隊の無線機は、傍受できるよ。前に奪ったし、それが駄目なら新しいのを奪うからね」
「何だと、なぜ使える」
水仙が口にした内容に、当の自衛隊から驚愕の声が上がった。
詰問口調に対して水仙は、使役者ではない自衛隊からの問いを無視した。
一樹が義一郎に対した態度と同じであり、一樹には責める資格がない。
代わって一樹は、沙羅と同じく重ねて問うた。
「水仙、どうして無線機を使える」
「ボク達も人間の学校に行くし、捕まえた人間に使い方を教えさせるからね」
一樹は目を見張って驚いた。
日本政府は人間に有益な一部を除き、妖怪に戸籍や住民票を発行していない。
「戸籍や住民票はどうしている」
「捕まえた娘を喰えば、人化で細部までソックリに化けられるよ。後は、親の片方を捕えて人質にして、もう片方を脅すとかね」
「それでどうするのだ」
「決まっているじゃない。紛れ込めば、露見しないように食べられるからだよ。それに途中で見つかっても、同級生を喰えば化け直せるし……かく言うボクも、弘前市で中学三年生だったんだ」
長年人間に紛れてきた絡新婦の手練手管に、獲物扱いされる人間側は言葉も無かった。
「せっかく模試の成績も凄く良くて、高校も良いところに行くはずだったのに。これって、女子中学生殺人事件にならないかな」
「犯人は、お前だ」
一樹は真犯人を指差して、自身に掛けられた疑惑を晴らした。
◇◇◇◇◇◇
「作戦と編成を変更する」
水仙から情報を得たA級陰陽師の義一郎は、討伐隊を再編成した。
最優先目標は、大魔の娘である二体の母蜘蛛となる。
これらが強い子供を生み、その子供達が人間の世界に紛れ込んで、人を喰う。さらには子孫を生んでいき、被害はネズミ算式に増えていく。
確実に元を絶たなければならない。
そのように確信した義一郎は、連絡し合う母蜘蛛を逃さないために、二体同時攻撃を決断した。
一班 五鬼童義一郎(A級一名)
二班 義一郎を除く五鬼童家と春日家(B級六名、C級二名)
水仙が一番強いと話した西側が一班、残る東側が二班。
ランクが一つ上がると、一ランク下の一〇人分と言われる。
五鬼童と春日の割り振りからは、義一郎の実力に対する評価の程が窺えた。
「無線は傍受されているようだが、青森県の開発で携帯電話が繋がる。代替に使えるだろう。もっとも、この期に及んでは殲滅するだけだが」
作戦は、大天狗の子孫である五鬼童家と春日家が、空から巣に急襲する。
地上からは自衛隊が先行して、巣を包囲して同時接敵し、逃がさず駆除する。
なお一樹は、依頼主の沙羅から、一足先に依頼達成を告げられた。
「C級陰陽師の一樹さんは、索敵と戦闘支援の依頼を達成しました」
絡新婦の住処を全て特定した一樹は、索敵を完璧に果たした。
さらには親蜘蛛二体と子蜘蛛七体のうち、子蜘蛛一体を撃破している。
一樹への依頼料は、総額二〇億円のうち一〇〇〇万円で、二〇〇分の一。
それに対して仕事の貢献度は、全体の一割には達している。
これ以上活躍されると、五鬼童が下位の陰陽師を安く酷使したことになり、風聞が悪くなる。
故に一樹の仕事は、完了したと見なされた。
「依頼人として、期待を超える成果に満足しています。また機会がありましたら、よろしくお願いします」
ほかの五鬼童一族が見守る中、沙羅は依頼完了を告げた。
────俺は、一〇〇〇万円分の仕事は、熟したかな。
仕事振りを振り返った一樹は、水仙の糸に引き摺られて泥だらけになったことを思い起こした。
C級上位、すなわち強いマンティコアやグリフォン並みの力を持つ水仙だけでも、武装した自衛隊員にそれなりの殉職者を出せる。
一樹が死ななかったのは、守護護符と万病熱病平癒の力があったからだ。
故に水仙を倒して、自衛隊の殉職者を減らした一樹の働きには、明らかに一〇〇〇万円分の価値がある。
その成果は、一樹を招き入れた沙羅の功績だ。
故に一樹は、確かに仕事を果たしたと納得した。
「ご指名を頂き、ありがとうございました。また依頼がございましたら、お得意様として優遇させていただきます」
沙羅のおかげで、一樹は高校の進学費用や、陰陽師事務所の開業資金を得られた。YouTuborもやっていたが、それでは資金が足りなかった。
事務所を建てるには未だ足りないが、山姥が住んでいた一階部分を事務所として使って良いと、一樹は蒼依から伝えられている。
一樹の陰陽師事務所は、開業の目途が立った。
────沙羅には感謝している。だから沙羅の父親は、許してやらなくもない……かもしれない。
沙羅の父親である義輔は国家試験時、閻魔大王の神気が破壊したプレス機を一樹に弁償させて、借金を負わせている。
だが今回の契約では、沙羅に名義を貸した。
故に一樹は、沙羅を除く五鬼童家に対しては恩に着たり、特別扱いをしたりする考え方は持たないが、試験の借金は水に流すこととした。
「それでは行ってきます」
「ああ、気を付けてくれ」
依頼が完了した一樹は口調を戻して、攻撃に参加する沙羅を見送った。
その後、一樹は自衛隊の現地司令部に残って、取り調べに応じた。
水仙が行った諸々は、被疑者が死亡して、絡新婦も人権を持たないために、裁判は行われない。絡新婦は駆除の対象であり、既に駆除されているので、処分自体は終わりである。
取り調べを行うのは、主に姉妹や従姉妹の情報を得るためだ。
それらが二つの巣に潜んでいなければ、潜伏している町に陰陽師と自衛隊を派遣して、駆除しなければならない。
そして被害者を死亡扱いにする。そのために水仙の情報が必要だった。
「ボクが知っているのは、青森県を拠点にする姉妹二人だけだよ。伯母さんの所の従姉妹は、芋づる式にならないように聞かないことになっていたからね」
自衛隊員と警察官は、水仙に疑わしい眼差しを向けた。
犯人の主張を頭から信じるなど、出来るはずもない。
そのため一樹は、陰陽師として説明した。
「この絡新婦は、死して霊体化した後、C級陰陽師である私の術で縛りました。使役者の私に対して、式神は嘘を言えません」
C級陰陽師は、中の上に分類される。
B級が都道府県の統括者であり、その一つ下のため、実力で考えれば相当高い。
さらには一樹が比叡山を解放した動画が世間を賑わせていたため、自衛隊員と警察官は一先ず納得した。
「それでは先ず、二人の姉妹について、教えてもらおうか」
問われた水仙は、素直に答えた。
その結果、青森県の鰺ヶ沢町に住む中学三年生と、深浦町に住む中学二年生が、妖怪の可能性が高いと判断された。
スラスラと話す水仙の態度に、取り調べを行っていた側が訝しんだほどである。
「姉妹に対する仲間意識は無いのか」
はたして、気で繋がる使役者の一樹だけに答えた水仙の思考は、想像の斜め上を行っていた。
『ボクって、悪魔の孫でしょ。ダーリンの式神として気を貰い続ければ、受肉できるA級の大魔に届くんじゃないかな。だったら、ダーリンに付くべきだし、娘が強くなるなら、お母さんも本望だと思わない?』
気を介した水仙の意思は、一樹にしか届いていない。
質問に答えなかった水仙に対して、自衛隊と青森県警は表情を観察して推察していたが、人間に化ける絡新婦に対しては無意味だった。
『絡新婦は強さに応じて、獲物の種類が変わるでしょう。ボクも大魔になれば、妖気が大きいほかの妖怪を食べるよ。ダーリンの役にも立つから、ボクのことを捨てないでねーっ』
水仙の本心は、取り調べ官に見せる殊勝な表情とは真逆だった。
人間が期待するような反省は、皆無である。
追及の言葉を続けなかった自衛隊と青森県警に対して、一樹は騙されるなと言いたかったが、取り調べが長引く未来を想像して口を噤んだ。
水仙の行為は、犠牲になった本人や、娘を失った家族には決して許せないことだろう。
だが水仙が成長して、人を喰う大鬼を食べる大魔になれば、大鬼一体を食べるだけで数百人が助かる。数百人の家族側から見れば、水仙を大魔に成長させるのは、犠牲を防ぐ正しい行為だ。
一樹自身は、水仙に喰われた少女の家族から復讐依頼を受けていない。
自身も被害を受けておらず、熟慮の結果として見逃した。
────分かり易い前例は、生駒山地に住んで人を喰っていた前鬼・後鬼だな。
現在の五鬼童家は、人を喰っていた前鬼・後鬼の子孫だ。
修験道の開祖・役小角に使役され、その後どれほどの人間を助けたのか、もはや計り知れない。
『水仙の方向性は認めるが、俺の式神である間、絶対に人間を喰うな』
『大丈夫だよ。だってダーリンから、最上級の濃厚な気を貰えるからね』
一樹から送り込まれる気は膨大で、人間を喰うよりも遥かに力を得られる。
水仙は完全に一樹側に付いており、母や姉妹の犠牲を割り切った上で、自身が大魔に成長して受肉する最適解を選んだようだった。
類する判断は、『太平百物語』(一七三二年)にも記されている。
太平百物語では孫六という者が絡新婦を殺したが、殺された絡新婦は孫六の元に現れて、娘を嫁がせようとする。そして娘も、それを望む。
すなわち絡新婦は、自身や身内が殺された恨みよりも、生物として子孫を残すことを優先する。
水仙が恨んでも無意味で、一樹にしたがって受肉するほうが遥かに建設的だ。
そんな分かり易くて強かな水仙が、率先して情報を出していったために、取り調べはスムーズに行われた。
◇◇◇◇◇◇
太陽が高く昇り、窓から溢れる陽光が肌に熱を感じさせる頃、一樹のスマホに着信があった。
電話の相手先が沙羅と表示されるのを見た一樹は、直ぐに通話を繋いだ。
「五鬼童から連絡です…………賀茂一樹だ」
一樹の報告で、自衛隊と青森県警が口を噤んだ。
急に静かになったコテージ内で、一樹の耳に沙羅の声が聞こえてきた。
『急で申し訳ないのですが、追加依頼を受けていただけませんか』
絡新婦の討伐に向かった五鬼童が、帰還を待たずに連絡している。
一樹は至急であろうと想像して、手短に答えた。
「どんな依頼だ」
『……私は右手と左足を噛み裂かれて、毒を受けました。応急処置されましたが、もう動けません。東の母蜘蛛はA級下位で、二班は負けそうです。東より強い西側の一班も、負けるかもしれません。一樹さんは、どのくらい対応できますか』
悪い予想の的中に、一樹は息を呑んだ。
一樹の式神は、最も強い牛鬼でもB級上位でしかない。
B級とA級を隔てる壁は高く、戦って勝てる確信はない。
『絡新婦に食べられると、魂を吸収されて、共に地獄堕ちだとも聞きます。最悪の場合、遺体の一部でも回収して供養していただけましたら、とても嬉しいです。依頼料は、こちらに来ていない五鬼童一族から出させていただきますので』
地獄に堕ちると聞かされた一樹は、電話口の沙羅に誤解されないように舌打ちを堪えながら、怒りの形相を浮かべた。
地獄がどれほどの苦しみであるのかは、同じ階層の地獄か、より下層の地獄を体験した者でなければ分からない。
分かると宣う愚か者が居れば、態度次第では頬撫でを使って、実際に片鱗を体験させてやりたいとすら一樹は思う。片鱗を体験した程度では完全には分からないが、それでも「分かる」と愚かなことを軽々しく口走る真似は、出来なくなるだろう。
そして罪を犯していないにも拘わらず、本当の地獄に堕とされて苦しむなど、そんな理不尽なことは絶対にあってはならない。
だが閻魔大王の仕事振りについて、一樹は昔からまったく信用していない。信用できないに足る冤罪の実績があるのだ。
一樹は躊躇いを振り捨てて答えた。
「今すぐ助けに行き、絡新婦を撃退して、沙羅を解毒して病院に運ぶ。依頼料は高く付くからな」
基本的に陰陽師は、自分のランクより一つ下までの依頼を受ける。
互角の相手と戦えば、半々で自分が死ぬのだから、受けられるはずがない。
そのためA級陰陽師までしか存在しない日本において、A級妖怪に対する依頼は、基本的に成立しない。入念な準備をしてから、A級下位に挑むことは有り得るが、緊急依頼の場合は誰も受けないので相場すら無い。
『助けていただけましたら、延びた命で、最大限にお支払いします』
「分かった、契約成立だ。直ぐに行く」
相場が無い以上、不当に安い価格で受けたということにはならない。
『蒼依、八咫烏達を連れて、式神符も全部持ってきてくれ』
一刻の猶予もない依頼を受けた一樹は、通話を切った後、取り調べ中だった自衛隊員と青森県警に向かって叫んだ。
「東の母蜘蛛はA級下位。西の母蜘蛛は、それ以上。私の依頼主は、右手と左足を噛み裂かれて、毒を受けています。形勢不利にて、これより式神を連れて、救出に赴きます」
宣言した後、水仙を取り調べていた青森県警に依頼する。
「青森県警の方、運転できる方と、車一台を貸してください。それで私の助手を、近くの一番大きな病院に連れて行ってください。助手の気で位置を確認して、飛行できる式神を使って、依頼主を搬送します」
式神への取り調べを行うには、使役者である一樹の協力が必要だ。
陰陽師として正式に来ている一樹が現場で妖怪に対応する以上、取り調べは続けられない。
A級妖怪向けの装備を持たない警察は、取り調べの手が空いたからと言って、現場に向かったりは出来ない。
故に一樹は、手が空く青森県警に依頼した。
「取り調べの続きは、病院か日を改めてください。搬送した依頼主の家族からも、状況を聞けるでしょう。車をお願いします」
「……分かった」
取り調べをしていた青森県警は、一樹の依頼に応じた。
安堵した一樹は、忙しく動き出した現地本部から外に出て、駆け付けた蒼依と合流した。
「蒼依、こちらの警部さんと一緒に、この近くで一番大きな病院に向かってくれ。蒼依の気で居場所を確認して、負傷した依頼主を運ぶ。重症者が搬送されることも病院に伝えてくれ」
「分かりました。主様、お気を付けて」
蒼依は心配そうな表情を浮かべつつも、案内役の警察と視線を交わし合った。
それを確認した一樹は、次いで式神符が入った鞄を受け取り、中から二〇〇枚もの呪力を籠めていた式神符を取り出した。
『黄竜、玄武。試験で追いかけていた、沙羅と紫苑の気に向かって飛べ。青龍、朱雀、白虎は、西で一番大きな妖気に向かえ』
「「「「「クワッ」」」」」
『絶対に近寄らず、遠距離から攻撃して、鳩が尽きたら帰ってこい。水仙、気で繋がる八咫烏達に、絡新婦のイメージを送れ』
「はいはい。こんな感じだよ」
水仙から一樹を介して、背中から八本の蜘蛛足を生やした白髪の女、同じく黒髪の女、そして娘達の姿が流れ込んでいった。
白髪の女は、生気を失った男の首を掴んで、薄らと笑みを浮かべている。
黒髪の女は、口角を吊り上げながら、巣に妖糸を張り巡らせていた。
思わず鳥肌が立つ、おぞましき妖気の気質が、八咫烏達に伝えられた。
伝達が終わると、一樹は有りっ丈の式神符を手にとって、呪を唱えながら空へと撒き散らした。
『臨兵闘者皆陣列前行……木より流転し無の陰、我が陽気にて生へ流転せよ。八咫烏の導きに従いて、矢の如く飛び、我が敵を悉く征討せよ。急急如律令』
ばら撒かれた二〇〇枚の式神符が、次々と鳩に変化していく。
それらの鳩達は、力強く羽ばたいて、上空に舞い上がっていった。
八〇羽と一二〇羽の二手に分かれた集団は、先行する八咫烏達の後を追い、白神山地の上空を飛翔していった。
「主様は、どうされますか」
蒼依に尋ねられた一樹は、懐から一枚の式神符を取り出した。
「これは朱墨の代わりに、俺の生き血で作った式神符だ。これで作る大鳩に乗って飛んでいく。病院への先行を頼んだ」
宣言後、莫大な神気を持つ陰陽師の呪術により、巨大な鳩が生み出された。
◇◇◇◇◇◇
紫苑は翼をはためかせ、ブナの原生林を縫うように飛び回っていた。
そんな紫苑の背後から、背中に四本の蜘蛛脚を生やした銀髪の少女が迫る。
紫苑は金剛杖を握り締めると、空中で身体を回転させながら木の幹に着地する。そして木を蹴った反動で、追っ手を迎え撃った。
「死ねっ!」
怒りと共に振るわれた金剛杖が、霊気を撒き散らしながら振り抜かれた。
それを銀髪の絡新婦が、ブナの木に糸を巻き付けて自身の身体を引っ張り、空中で軌道を変えて避ける。そこを鬼火が追尾したが、それも絡新婦は容易に避けた。
糸を操って跳ね回る絡新婦の動きは、天狗の俊敏さを凌いでいた。
避けた空間に張られた蜘蛛の糸を、紫苑の金剛杖が強引に振り払う。
だが完全には振り払えず、残った蜘蛛の糸が、紫苑の肌を傷つける。その糸には、妖力を変じて作られた妖毒が染み込んでいた。
毒を受けた紫苑の表情が、苦悶に歪む。
絡新婦の毒は、気と仙薬で軽減できるが、無効化までは出来ない。
互角同士の戦いで、僅かな毒の有無は、勝敗を左右する。紫苑は痺れる身体を呪力で奮い立たせて、銀髪の絡新婦に金剛杖を構えた。
銀髪の絡新婦は、水仙の姉妹達の一体だ。
水仙と同じくC級上位で、紫苑とも互角の強さを持つ。
ほかに強い絡新婦は、B級下位が一体と、母蜘蛛であるA級下位が一体。それらは、ほかの五鬼童で対応している。
B級下位である絡新婦には、同じくB級下位の五鬼童風花。
A級下位であった母蜘蛛には、B級上位である義輔、B級中位である弥生、春日一義、五鬼童義友、B級下位である春日結月の五人。
呪力や妖力は概ね互角だが、戦闘場所が絡新婦の巣で、絡新婦は毒も持つ。
戦闘は襲撃側が、形勢不利に傾きつつあった。
巣には、ほかにもD級以下の子供達が居て、自衛隊と交戦している。
自衛隊は戦果を挙げていたが、木々の合間を縫って襲い掛かる身体能力が遥かに上の敵に対して、相応の犠牲も出していた。
自衛隊の足を引っ張るのは、巣に捕らわれていた人間達だ。
巣の周囲には沢山の人骨もあって、絡新婦の巣はこの世の地獄だった。
「しぶといね」
銀髪の絡新婦が、捕食者の赤い瞳を紫苑に向けた。
「そっちがね!」
大地を蹴った紫苑は、銀髪の絡新婦に突撃した。
時間が掛かると、沙羅が死んでしまう。なにしろ絡新婦の母蜘蛛に右腕と左足を噛み裂かれ、A級下位の妖気で作られた猛毒を注がれているのだ。
沙羅が即死しなかったのは、一樹が渡した守護護符があったが故だ。
そのおかげで応急手当は行えたが、背中を見せれば襲ってくる絡新婦を撃破しない限り、後方への搬送は行えない。
西側に向かった五鬼童当主の義一郎は、A級中位だ。
だが絡新婦も東側の母蜘蛛より強い情報があって、救援は望み薄だ。
せめて紫苑だけでも勝てれば、沙羅を連れて逃げる隙が生まれる。
そのため紫苑は攻めるが、焦って放つ鬼火と振るう金剛杖は、どちらも容易く避けられた。
沙羅の状態を気にして、麻痺で痺れる紫苑の動きは、雑になっていく。
それを紫苑も自覚していたが、双子の片割れが死にかけている状況では、理屈で分かっていても焦らずにはいられなかった。
交戦する間、紫苑の身体には、次第に糸と毒が纏わり付いていった。麻痺毒が蓄積して感覚が鈍り、それで新たな毒を受ける悪循環が続く。
気が付けば紫苑は、絡新婦の糸に捕らわれた。
「ねぇ、どこから食べてほしい?」
「うっさい。黙れ、ブス、人化した胸がわざとらしくて、キモい。蜘蛛牛」
罵声を浴びせられた銀髪の絡新婦は、苛立った顔で紫苑を睨み付けた。そして背中から生やす四本の蜘蛛脚を滑らかに動かしながら、言い返す。
「両手両足を落として、蓑虫にしてあげる。その後は、どうしようか。ねぇ、されたくないことを言ってみて。捕まえた小鬼の慰み者にするのはどうかしら。なるべく醜悪なのを選んであげる」
紫苑は金剛杖を構えながら、銀髪の絡新婦を睨み返した。
対する銀髪の絡新婦は、無機質な蜘蛛の眼差しを向けながら、舐るようにゆっくりと紫苑に歩み寄っていく。
そして背中にある四本の蜘蛛脚が、高らかに振り上がった。
刹那、直上から乱入者が飛び込んできた。
矢のように降り注いできたのは、一〇羽の鳩だった。
咄嗟に飛び退いた銀髪の絡新婦に、避けきれなかった鳩の一部が触れた。
直後、まるで石油を浴びせられて火を付けられたように、爆発的に膨れ上がった炎が絡新婦の身体を包み込んで、激しく燃え上がった。
「グギャアアアアアアァッ」
絶叫した銀髪の絡新婦は、纏わり付いた炎を振り払おうと激しく動く。
だが鳩の炎は、呪力から変じて生み出されたものだ。
物理的な炎とは異なり、浴びせられた気が消えない限り、炎も消滅しない。
燃え上がった炎が、絡新婦の身体を焼き払い、動きを鈍らせる。
その間、先程は避けられた鳩が次々と急旋回して、銀髪の絡新婦に触れては、新たな爆炎を生み出していった。
銀髪の絡新婦は膝を突き、燃え上がる身体を眺めながら、崩れ落ちていった。
鳩達が襲い掛かった絡新婦は、銀髪の個体だけではなかった。
一五羽がB級下位の個体に、五五羽がA級下位の母蜘蛛に向かう。そして西の母蜘蛛と娘達には、一二〇羽の鳩が飛んで行った。
一樹の鳩達は、母蜘蛛を殲滅できるほどの物量ではない。
C級下位の鳩とA級下位の絡新婦では、呪力量が百倍差もある。だが、五五羽で五割五分を削ったならば、五鬼童や春日と戦っていた絡新婦には大打撃となる。
さらに東の母蜘蛛に対する一樹の追撃は、鳩の式神だけに留まらなかった。
炎が降った場所の上空には、巨大な鳩が姿を現していた。
『鳴弦』
上空から弦が鳴らされて、戦場に広く響き渡った。
途端に地獄のようだった殺し合いの場に、本当の地獄が現れる。
絡新婦達の足元から亡者の青白い手が無数に湧き出して、崩れ落ちた絡新婦の死体を掴み、鳩の式神に耐えた母蜘蛛の手足や身体にも纏わり付いたのだ。
「グギャアアアアッ!?」
焼けただれた身体を無数の亡者に掴まれた母体が、痛みと不快さから振り解こうと暴れた。
『伊邪那美ノ祓』
それは天地を貫く、天沼矛の神気を帯びた矢だった。
天空から伸びた鋭い矢が、亡者達に纏わり付かれて動けなくなった母蜘蛛の身体を鋭く貫いた。
「ギャアアアアアアッ」